
ベッドから起き上がりカーテン開けたら冷たい雨が降っていて、、、
暖かかった先週から、チラホラ咲き出した我が家の庭の「梅」が震えているようでした。

実家が二世帯住宅に建て替えた時に、我が家に持ってきた古木です。
毎年このブログで紹介していますが、1月20日頃から咲き出すのは珍しい・・・

一昨年の秋に夫の後輩に剪定していただきましたが、その後は私と息子が自己流で枝を切りました。
今年は蕾がたくさん付いていて楽しみです

近くの鎌倉のお寺の梅も見たいと思い、今月末にワンゲルで歩く予定の「鎌倉お寺巡り」の
第5回目を楽しみにしていましたが、緊急事態宣言で中止になりました

第三回「鎌倉八十八カ所お寺巡り」(その2)(11月28日)
去年の1月から始まったこの企画、2月の2回目を歩いて、次の3月から新型コロナにより長い間中止

11月末にようやく3回目が再開されたところでした

予定通りなら昨年中に88カ所全部が終わっているはずです。
怠け者の私の更新も遅くなり、やっと再開なった第3回目の(その2)を記しました

先月の12月14日にUPしている(その1)の続きです。
㉗休場山「等覚寺」(高野山真言宗)
手広地域の「青蓮寺」と「泉光院」をお参りした後、20分歩いて梶原地区にやってきました。

等覚寺の応永年間の創建、開山は秀恵僧都。
山号「休場山」は、梶原景時が休んだ地であるからと伝わります。

梶原氏は、桓武平氏の血をひく坂東八平氏の一つ鎌倉氏の一族。
頼朝の片腕となった人物です。

境内には、新田義貞の鎌倉攻めで死んだ武士の供養塔がある。

茅葺きの山門は薬医門です。
㉘霊松山「大慶寺」(臨済宗円覚寺派)
等覚寺から歩いて5~6分の大慶寺は、大休正念(仏源禅師)の開山と伝えられ
九代執権北条貞時の十三回忌供養には83人の僧が参加したといわれるほど壮大な寺院で
塔頭も五つあったといわれています。

室町期には関東十刹に列せられたが、戦国時代に荒廃し、上杉謙信が鎌倉に乱入した際には
本尊を円覚寺に移したものの、円覚寺の大火で焼失してしまったとか

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赤く色付きだした木々の中階段を登って行きます | 振り返って見た風情ある茅葺の山門 |
現在の大慶寺は、塔頭の一つ「方外庵」が残ったものです。

開山は大休正念(仏源禅師)、本尊は釈迦如来
創建は弘安年間(1278~1287) この時の開山は日照上人
㉙天照山薬王院「東光寺」(高野山真言宗)
歩いて10分の当寺は、鎌倉市寺分に在り
もと手広青蓮寺の末寺であったが、現在は高野山宝寿院の末寺。
永享3年(1431)に高野山慈眼院の霊範法印が隠居所とし、中興したと伝えられています。

現在、本尊は不動明王であるが、もともとの本尊は不明。
また、開基、開山、宗派も不明となっているようです。

「相模国準四国八十八ヶ所第十三番札所」とされ、境内にお大師様が安置されています。
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このお大師様の周りを廻れば御利益があるらしい・・・ | 何人かのお仲間が時計回りに廻っていました |

入り口に並ぶ赤い旗と、お地蔵様の紅いエプロンはフォト的には外せませんね。
時計を見ると11時45分、お腹も空きました。
1か月前にも行った寺分の「鎌倉中央公園」で昼食です。

途中このような標識がありました。
寺分(てらぶん)は工匠が住んでいた場所のようです。
住宅街の中の広い公園に向かって、私たちは坂を登って行きました。







前回も記しましたが、真冬の寒さの中での朝6時半からのラジオ体操と散歩は血圧にも悪く、
目下の私の体調も「冷えが要注意!」なので中止して、、、
富士山の見える日の午前中に30~40分の撮影に出かけてるだけで

相変わらず私の巣ごもり状態は続いています




先週の後半は気温が上がり、富士山が見えない日が続きました。
挙句に土日は冷たい雨


運動不足解消のために、ユーチューブでのラジオ体操を朝食前と、夜の入浴前の2回
生協の宅配で購入した猫背改善用のベルトを付けてやっています。

昼食前は前回紹介したTVのエクササイズと、上の画像の器具を使ってのトレーニング


でも、やはり一人では淋しい

写真の断捨離を始めたご近所仲間のK子さんを見習って、私も始めたが
思い出に浸ることが多くて中々進まない・・・
早く以前の生活に戻れますようにと、切に願っています
