花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

西伊豆・大田子海岸の夕陽

2012年09月28日 | カメラ教室
涼しい風が吹き渡るようになると、俄然「カメラ撮影」の意欲がわくのか?
写真仲間のSさんに誘われ、久しぶりに「撮影ツァー」に参加してきました。


行った先は伊豆西海岸・堂ヶ島近くの「大田子海岸」

お彼岸の頃、地元で「男島」と「女島」という二つの島(田子島)の間に沈む夕陽の絶景が
見事なのだそうです。

9月24日(月)AM10時、横浜駅前を出発
前日の雨がウソのように晴れ上がり、我が家からも富士山が見えたのですが・・・

西伊豆「堂ヶ島」

PM1時半過ぎ、「堂ヶ島」に着いた時はうす曇・・・

夕陽の時間にはまだ早く、まずは「三四郎島」が見える海岸に下りて撮影です。

三四郎島は、潮の干満によって幅30mの瀬が現れたりなくなったりする、
日本でも非常に珍しいトンボロ現象が見られる海岸です。

「海が割れるのよ♪」という、天童よしみの歌がありましたね。
あれは韓国が舞台ですが・・・

この美しい景色にはロマンティックな伝説も秘められており、小雪伝説として伝えられています。
伊豆は源頼朝が流された地、ここにもその足跡が残っているのですね。

詳しい説明はこちらでどうぞ・・・


青さが出ない海の撮影は苦手です

ワンちゃんを写したり、捕まえたお魚を持ち上げ満面の笑顔で見せてくれた男性を写したり・・・
肖像権の問題があるので、それらのスナップ写真のUPはやめておきましょう。

「大田子海岸」

午後3時、堂ヶ島からバスで10分ほど戻った所にある「大田子海岸」に三脚を設置しました。

お彼岸過ぎのこの日は、男島の左側、猫の耳のような小さな島近くに夕陽が沈むらしい・・・
空が真っ赤に染まると、ゴジラの形をした通称メガネッチョの目も燃えるという

個人で来ていたカメラマンがすでに何人か三脚をたてスタンバイしていました。
この日の日の入りは5時半過ぎ・・・
二時間半以上の待ち時間があります


まだまだ陽は高く、漁港の海がキラキラと光っていました。

今回の撮影ツァーは約50人の参加者のうち、女性は僅か6人・・・

立派なカメラを2台も3台も抱えた大荷物のオジ様方が圧倒的に多く
同じ趣味を持つ者同士、カメラの設定を聞きながらひたすら待ちます。

Sさんは偶然、毎年ご夫婦連れで一緒に海外旅行に出かけるお仲間の男性Nさんの姿を見つけ
色々教えてもらっているようです。


「釣の風景もおさえて置くと良いよ」と、私の隣に三脚を立てていたおじ様が助言してくれました。
「釣り人が横向きになってくれるともっと絵になるのだけど・・・」


新宿発の同じ撮影ツァーの団体も加わって、海岸は三脚であふれました。
丸印で囲った所が撮影ポイントの「田子島」です。

私は200mmのレンズを設置しましたが、300mmを持ってくるべきだったと後悔しました
が・・・
問題は果たして「綺麗な夕陽」が現れるかどうかです
だんだん雲が多くなってきている


5時過ぎ、雲間にオレンジ色の一筋が・・・

「今日の夕陽は難しいので、これを逃す手はないよ」と
待ちくたびれて、海岸に座り込みSさんとお喋りをしていた私に、
お隣のグループの先生と呼ばれている方が声をかけてくれました。


「鳥が入るともっと良い、カシャカシャカシャ
オートブラケットの3連写で撮ります。

今回のツァーはベテラン揃いなのか?、講師は特に廻ってきません。


灯台に明かりが灯りました。
「あの明かりも上手く入れること
「F値や露出補正は?」、すべて愛知から来たというお隣のグループの先生に教えてもらいました。

オレンジの陽が消えて静寂が戻ってきた時点で、
「俺達は松崎で温泉と宴会が待っているから失礼する」と、
お隣のグループの方々は引き揚げていきました。


それからまもなく、オレンジ色の丸い光りがポッと現れました。


時計を見ると日の入り近くの5時半です。
このまま左の小さな島に沈むのかな~


そうは上手く行かずにマタマタ光りは隠れます


諦めかけたその時、空全体がうっすらと赤みを帯びてきました


少しピンクがかった色のハーモニー・・・


真っ赤に燃える夕焼けではありませんが、うす紅色のファンタジーが楽しめました。

「ビールが待っていると引き揚げていった愛知のオジ様方も、もう30分居れば良かったのに」


6時近くになり、夕陽の照り返しでしょうか?
最後は山の向こうを茜色に染めて日が暮れました。

帰りのバスの中で、土砂降りだった前日は夕方には奇跡的に晴れて
素晴しい夕焼けが見えたと聞きました。

ツァーの参加者の中には2度目の方も何人かおられて・・・
「恋と同じで、絶景は一度で念願を果たすのは難しい、何度も通って成就して下さい」と
ガイドさんに慰められました

骨折して骨粗しょう症も疑われ、
「山が無理なら撮影旅行だわ」と思い始めていますが
バスで往復7時間もかけて現地に行き、夕陽を待つのに2時間半

カメラと釣りは「待ちが大切」と聞いてはいましたが、
体を動かさないでひたすら待つということ自体、私には合いそうもないと悟った一日でした。

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不安定なお天気に「山行き」を諦めた!

2012年09月21日 | 山シリーズ


「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものです。
昨日今日の朝夕の風は秋を思われるものでした。

久しぶりに「朝の散歩」に出かけ、たくさんの葛の花を見つけてパチリ

ここ数日らいのカミナリを伴う突然の豪雨に花弁を傷つけられたお花が多い中
朝日を浴びてスクッと頭を持ち上げた葛のお花を捜すのが大変でしたが
流石に若いお花は立ち直りが早い感じ・・・



秋の七草としても詠われている葛はマメ科の植物で、
花穂は下から上へと咲いていくようです。

裏の里山では他の木などにからみついて繁茂しています。
蔓は強靭で,民具を作るときの材料にもなるとか・・・

根からは葛澱粉が採れます。
この根はカッコン(葛根)と呼ばれ,漢方薬として御馴染みですね。

大和の国(奈良県)の国栖(くず)という所が葛粉の産地であったところからの命名だそうです。

丁度「吉野の葛餅」を戴きました。美味しくて、甘い物が苦手な我が夫婦も完食です。

さて、ここからが本題です。

本来なら今回はフジアザミが咲く山中湖周辺の山の風景を載せる予定でした。

9月17日、久しぶりに山仲間3人のスケジュールが合い、
私にとっては復帰最初の山登りを楽しみにしていたのに
晴れたと思ったら雨になる不安定なお天気に翻弄され諦めました。

日本はいつからスコールや竜巻が襲う熱帯地方になったのでしょうか

崎陽軒本店 トラットリア イルサッジオ


多忙な3人が顔をそろえられる機会は滅多にありません。
急遽、山行きの代わりに催したのが横浜でのお食事会

横浜駅東口の目の前にあるシュウマイでお馴染みの崎陽軒本店ビル
この中にはビヤホールやカフェコーナー、そしてイタリアンに中華レストランもあり
ユックリとお食事が楽しめます。
3人が揃ったのは、大楠山での新年会以来でした。まずはで乾杯です。

前菜の麦と海老・帆立のサラダが珍しい里芋と牛肉のポルペッティーノのフリット

さつま芋のクリームスープスズキの網焼き、秋野菜を添えて・・・

豆類とトマトのアッラビアータ・パスタ季節のデザートとお飲み物

もうこれだけでお腹がいっぱい、でもお話は更に弾みます。

「山は諦めたのに今朝起きたら晴れているじゃない、一瞬後悔したけど」
「でもアメダスによると富士山の周りは強烈な雨雲だらけよ」

「横浜だって今、真っ黒な雲に覆われてポツポツ降り出したから、山登りはやめて正解よ」
「2日に行く予定だった浅間山の隣の黒斑山もお天気が悪くてやめたのよ。今年は散々だわ

やはり出るのは山のお話しです。


雨で散々だったのは「妙高・火打登山」でした。



1999年に、新潟県の高田まで夜行バスで行き、笹ヶ峰牧場から登った火打山
梅雨時にはハクサンコザクラの群生が見事です。

このお花が見たくて梅雨明け前に登りました。



頂上まではどうにかお天気は持ちましたが、予約した黒沢池ヒュッテに向う途中で降り出した

翌日は朝から土砂降り、ツァー登山の一向は妙高山に向けて出発したようですが
個人のグループには山小屋の主人から待ったがかかった

「妙高の下りの鉄砲水が怖いから、笹ヶ峰に戻るか、神奈山経由で関温泉に下る事を勧めます」
私たちは関温泉に下る事にしたが、「「女3人では危ない」と、
同じルートを行く関西から来た男性6~7人のグループと行動を共にするように勧められた。



エスケープルートの神奈山まではまだ余裕があり、10人が揃って到着したが
そこから先の急降下は、まるで泥の滑り台状態

登山道脇の草や木立等につかまって忍者みたいな姿で必至に下ります。




一番若い男性がトップを勤め、私たち三人の後ろはもう一人の男性がガードをしてくれて
心強い限りでしたが、その後の方々が遅れました。

降りしきる雨の中、幻想的なブナの森が印象的でした。



やっと到着した関温泉スキー場のリフト乗り場にたどり着いたときは心底ホッとしましたよ
5人ともびしょ濡れです。

「皆昔から山はやっている連中ですから、遅れていても心配要らないでしょう」
「大学時代のスキー部の仲間の実家がこの関温泉で旅館をやっていたはず」
「そこでお風呂に入り、ソバでも食いましょう」と・・・

遅れた方々も40分後に無事に到着して、宴会が始まりました。
その後下りの直江津に向うご一行と、東京に向う私たちは妙高高原駅で別れましたが、
忘れられない思い出です。

どの山にもドラマがありましたが、雨の中の登山と言うと必ずこの時のことを思い出します。


イタリアンのお食事とお喋りを堪能した後は、山の店に直行です。



こちらでKさんは薄いフリースのジャケット、私はレイン帽子を買いました。
お琴の発表会で忙しいYさんは、この機会にザックを買う予定とか・・・

「今は1kg以下の超軽量ザックがあるのね」と、3人揃ってその進化に感嘆したが
一番大事なのは肩から背中のラインがフイットするかどうかです。

Yさんが迷ったので、駅の反対側にある「好日山荘」に行きました。

ここにいた関西弁のおっちゃんの店員さんに勧められ

このマークの、36Lの大き目のザックをYさんは購入(画像は携帯で送ってもらいました)

「オスプレイって、今沖縄で問題になっているヘリと同じじゃないの。どういう意味
調べてみると、どうやら鷹の仲間「ミサゴ」の事らしい・・・

「この大きさなら2~3日の山小屋泊まりも大丈夫」という店員さんの言葉を聴きながら、
「行けるかどうかは分らないけど、準備をしておけば安心だわ」とYさん。

お天気に恵まれず、未だに骨折後の初登山は叶わないけど、
Yさんがその気なら、私も初心に戻って頑張ろう




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今年も逢えた「御岳山のレンゲショウマ」

2012年09月15日 | 花シリーズ

去年の8月に初めて目にした奥多摩・御岳山の「レンゲショウマ」
今年も遅まきながら逢いに行きました。

うつむきかげんに咲く淡い紫色の楚々としたお花です


御岳山のレンゲショウマは五万株が自生する、全国でも珍しい群生地です。


車を駐車場に入れ、午後1時45分、麓の滝本駅から関東一急勾配のケーブルカーに乗りました。
わずか6分で標高831mの御岳山駅。爽やかな風が感じられました。
そこから歩いて2~3分でレンゲショウマの群生地「富士峰園地」です。

落葉樹林の斜面に50~60cmの細長い花茎を伸ばし、七月下旬から八月下旬にかけて、
一株に5~10輪位の約三センチの可憐なお花を咲かせます。

「今年は開花が遅れている」と聞き、高尾にある主人の両親のお墓参りを済ませてから、
足を伸ばしてやってきましたが・・・

そろそろ終わりの「レンゲショウマ」でした。


新鮮なお花を捜すのに一苦労・・・


よく見るとシミやソバカスが隠せません
傑作写真は撮れなかったけど、今年も逢えただけで満足です。


林の中には初秋のお花も咲き出していました。

こちらは「ヤマジノホトトギス」
シロヨメナ?


キバナアキギリ
オクモミジハグマ、他にカシワバハグマも見られました


レンゲショウマの群生地を登りきるとリフトの「大展望台駅」です。


展望台から都心方面を眺め、一生懸命「スカイツリー」を探しましたが、イマイチ分りません

「御嶽神社まで25分」という標識を見て、行く気になりました。

最近はゴルフに夢中で「山はパス」と言う主人も、珍しく賛成します。
どうやら「御岳山」に来たのは初めてらしい・・・

道路わきにはノハラアザミや
「トリカブト」が見られます。




そしてそろそろ終わりの「ツリフネソウ」もたくさん咲いていました。


山道の先にはビジターセンターや宿坊があり、商店街も並びます。
去年8月に山仲間のYさんと来た時は、ここで宇治金時を食べたっけ・・・こちらをご覧下さい。

賑わっていた去年と比べると、静かな静かな「御岳山」です。


2000年の歴史がある「武蔵御嶽神社」は、東京都内にありながら多くの神話や逸話が息づく、
今話題のパワースポットです。


更に階段は続きます。立ち並ぶ講碑が古い歴史を物語りますね。

「心臓肥大だから山はパス」と言う主人、健康診断の結果はメタメタで(お酒の飲みすぎだわ)
その上、昨秋のゴルフ場でのカート事故で足を10針縫って以来、何かと災難続き
突然「墓参りに行こう」と言い出した・・・

ご先祖様に守っていただくだけでなく、霊験あらたかな神社での厄落としも必要かもしれない。

最後の階段が工事中で、わきの「女道」を登りました。

女道には色鮮やかな「フシグロセンノウ」が見られ
「シュウカイドウ」が更に華やかでした。


「宝物殿」前に出ると・・・


国宝の大鎧を奉納した畠山重忠の騎馬像が現れました。

「畠山氏って鎌倉幕府と関係あるわよね」
「興味があるなら、我が家にある吉川英治の私本太平記を読んで見ろよ」

先週「鎌倉古道歩き」から戻り、新田義貞の鎌倉攻めの話をした時も同じことを夫から言われた・・・
私、山女から歴女に変身しようかしら


厄除、長寿などのご利益で知られる「武蔵御嶽神社」は崇神天皇の御代、
標高929mの山頂に創建された関東有数の霊場で、
御岳山の頂上はここなのです。

2人とも脱帽の上、一礼二拍で真剣にお参りしました。
(本殿の写真を撮り損ねましたので、去年写した画像を加えます)

お参り後は急いで戻り、3時21分発のケーブルカーで下山しました。

帰路に温泉に入ろうと、タオルは持ってきていましたが
八王子と横浜を結ぶ国道16号線が混むので、そのまま我が家を目指すことにしました
案の定、3時間近くかかりましたよ。

後で知ったことですが、ブログ仲間のだんだんさんも同じ9月11日の午後に
「御岳山のレンゲショウマ」を見に行っていたようです。
僅か一時間のすれ違いでしたね。


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鎌倉古道歩き・稲村ヶ崎へ

2012年09月09日 | 街道歩き

9月とは思えない暑さの中、ブログ仲間の「山小屋」さんに誘われて鎌倉を歩いてきました。

新田義貞の足跡をたどりながら、高崎からスタートした「鎌倉古道歩き」も、
6月に鶴岡八幡宮到着で終了したようですが
「稲村ヶ崎は外せない」という声が出て、今回はオマケ編だそうです。

稲村ヶ崎から眺めた「江ノ島」方面
この日の午後にはカミナリを伴う大雨の予報が出されていて、流石に富士山は見えませんでしたが
雨どころか、午後も真夏の太陽が照り付けていました

我が家近くの「鎌倉古道」に興味があり、4月5日町田から瀬谷までのコースに、
友人と参加させて戴きましたが、私はその後骨折し、以後の2回は残念ながら不参加

せめてフィナーレだけでも見届けたいと、行ってきました。


「鶴岡八幡宮」

鎌倉駅で集合し、まずは「鶴岡八幡宮」に向います。
山小屋さんはじめ、4月にご一緒した顔なじみの方も何人かいました。

本堂に向う階段の手前にある「舞澱」の前で、参加者20数名が並び記念写真を撮りました。

鶴岡八幡宮は、源頼義が奥州の戦乱「前9年の役」で勝利した礼として
京都の岩清水八幡宮を現在の材木座元八幡(由比若宮)に勧請したのが始まりです。

その後、本拠地を鎌倉に定めた源頼朝が現在地に移し、鶴岡八幡としました。

鎌倉幕府滅亡後も「武門の神」として足利氏、豊臣氏、徳川氏に崇敬されたこの神社、
我が家からも近いので、息子、2人の孫の七五三はいつもここでした。

「源頼朝公の墓」(法華堂跡)
建久9年(1199)12月、源頼朝は相模川にかけた橋の完成祝いに出掛け、その帰りに落馬
それが原因で、翌年数えの53歳で亡くなりました。

大倉法華堂(現在の鶴岡八幡宮横の白旗神社)に葬むられ
現在の墓は白旗神社のすぐ横の階段を登った所にあります。

53歳で亡くなった頼朝と同じ数の階段を登ると
うっそうと木々の茂った中にお墓があります。


墓の層塔(そうとう)は1779年(安永8)に、子孫である島津重豪(しまずしげひで)により
大御堂から移されたものといわれ、国の史跡に指定されています。


20人もの団体で行った私たちに、ボランティアのガイドさんが説明をしてくれました。


カンカン照りの中、歩いて南下し「宝戒寺」の先を左に折れて「東勝寺跡」を目指します。

住宅街でありながら「祇園山ハイキングコース」に通じる道は緑が深く、
ヒンヤリとした風が流れるとホッとします。

「北条高時・腹切りやぐら」
東勝寺は13世紀前半に鎌倉幕府の三代執権・北条泰時が創建した寺院です。

新田義貞らの鎌倉攻めの時、新田軍が若宮大路まで迫ってきた事を知った北条高時は、
一族郎党870名余りとここに立て篭もり、火をかけて最後を遂げました。

鎌倉幕府終焉の地は金網に囲まれて、今は何もありません。



この裏山に自害した一族の墓「腹切りやぐら」があります。

瀟洒な家が並ぶ住宅地のすぐ裏の、ハイキングコースの入り口に、
鎌倉幕府終焉の地があること自体、いかにも鎌倉らしい風景ですね。

「本覚寺」

車の往来の激しい道を更に南下し、日蓮に縁のある「本覚寺」で一休みです。

正午近くなって、太陽の光は更に強まった感じ・・・
熱中症が怖いので水分を補給しました。


鐘楼には応永17年(1410年)銘の梵鐘がありました。

境内の大きなアメリカ芙蓉と、サルスベリが晩夏の風情を漂わせています。
積乱雲がモクモクと大きくなっていますが、午後から雨は降るのでしょうか

日傘をやめて雨傘を持ってきた私
これ以上の日焼けが怖いので、カンカン照りの中雨傘をさして歩きましたよ

「長谷寺」
鎌倉の古いお店が並ぶ道をひたすら歩いて、紫陽花で有名な「長谷寺」にようやく着きました。


ここで昼食タイムです。

拝観料300円を払って中に入りました。6月末に来た時は500円でしたね。
今は端境期でお花は殆んど咲いていません。


上境内の湘南の海が望める展望台横の、日影のベンチで持参したオニギリを食べました。
涼しさを呼ぶ頭上のミストも、この太陽光線であっと言う間に気体になっている


食後は一本のクスノキから彫られたという本尊の「木造十一面観音像」にお参りをしました。
高さ9,18mの日本最大級の木造の観音様です。

その後は涼しい日影を求めて散策し、1時半に山門前に集合
再び歩き始めました。

江ノ電と紫陽花の撮影スポット御霊神社をお参りし
極楽寺坂の切り通しを行きます。


日本の駅100選に選ばれている、江ノ電の可愛い駅舎「極楽寺駅」を右手に見ながら
線路に沿って進み、踏切を渡ると「石碑」が建っていました。


元弘3年(1333)5月8日、かねてから幕府に不満を持っていた上野国(群馬県太田)の御家人・新田義貞は
後醍醐天皇の幕府追討の令旨により、上野国の氏神明神社前で挙兵し
鎌倉幕府のある鎌倉目指して関東平野を南下しました。

鎌倉は三方を山で囲まれた天然の要害で、攻め込むことのできるのは、鎌倉七口と呼ばれる切通のみ・・・

新田義貞は、極楽寺切通からの攻撃を大舘宗氏という武将に命じました。
幕府は、極楽寺切通に大仏貞直を配置し防備に当たり、激戦の末、宗氏は極楽寺切通を突破しましたが、
北条軍に反撃され、宗氏以下11人が討死。

この11人が葬られたとされるのがこの塚で、十一面観音が安置され霊を弔ったといわれています。

ここから更に歩いて7~8分で「稲村ヶ崎」です。


新田義貞が「稲村ヶ崎」から鎌倉に攻め入ったのは、元弘3年5月22日(西暦1333年)

♪七里ヶ浜の磯伝い 稲村ヶ崎 名将の剣投ぜし 古戦場♪
と唱歌でも歌われていますね。


新田義貞が鎌倉攻めの際海中に宝剣を投げ入れ、潮が引いたところを一気に攻め入った…
という伝説が残っています。


フィナーレはそれにあやかって、この日のリーダーが自作の剣を海に投げ入れます。
(海に落ちないでね~)

新聞紙で折った兜をかぶり、真剣に挑む気持ちが素敵ですね。
こうして遊びを楽しむ姿勢が若さの秘訣なのでしょう・・・

最後に明治天皇が新田義貞を詠った碑の前で全員揃って記念写真を撮り解散となりました。


この日はフラダンスのイベントも開催されていて
現代の稲村ヶ崎は「古戦場」に思いを馳せるにはあまりにも明る過ぎました。

ここは夕景の富士山の撮影場所としても有名で、3~4日前にはダイヤモンド富士が見えたのでしょうか?

「今日の歩きは僅か10kmで少ないよ。15000歩程度だね」と、
お仲間がおっしゃっていました。

でも炎天下の鎌倉歩きは決して一人ではできません。
私も丁度良い足馴らしができました。

山小屋さん、お誘いいただき有難うございます。
汗びっしょりになった後の、皆さまとご一緒に飲んだが何とも美味しかったです。


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伊東「オフ会」と家族旅行「箱根の関所」

2012年09月04日 | 旅日記
今夏もラッシーママさんにお声をかけて戴き、八月最後の31日(金)に
伊東でのオフ会に参加してきました。
ラッシー家の伊東の別荘を解放しての、合宿のような集まりです。

今年で4年目だそうですが、私は去年からお仲間に入れて戴きました。
去年も今年も翌日に所用が入り、残念ながら一日だけの参加でしたが・・・
接待上手なラッシーご夫妻のご案内で、大いに楽しんだ1日となりました

伊東駅12時集合で集まったのは、ブログ仲間の銀河さん、だんだんさん、ビオラさん、
遠路大阪からいらっしゃったlilyさん、そして私の5人。

lilyさんとは初対面でしたが、まるで以前から懇意にしている知り合いのよう・・・
それがブログ友の不思議な関係ですね。


ラッシーママさんが車で出迎えてくれて、そのまま向ったのはパパさんが場所取りをして待っている
「ふしみ食堂」(私が2週間前に寄ったお店です)

お店の前が海水浴場ですが、前回と違って水平線のクッキリした真っ青な海が広がっていました


こじんまりとしたお店の中は、私たち7人が座れば一卓しか残らず、ほぼ貸し切り状態に近い感じ・・・
全員がラッシーママさんお薦めの「お刺しみ定食」をいただき、いける口の数名はを・・・


前もって「今回は面白い企画を色々考えています」とラッシーママさんからのメールがありましたが
ご夫妻の息の合った連携で、次ぎに案内されたのが「日帰り温泉」

骨折してリハビリ中の私には、とても嬉しいところです。


それもナント、すこぶる眺望の良い貸し切り露天風呂

熟女たちは皆カメラ持参で、写真右手下に写っている赤くて丸い露天風呂の浴槽に入りました。
いきなり間近の裸のお付き合いです。

私もリハビリを忘れて、賑やかなお話の輪に加わりました。

海風が心地よい中、初島が見えています
こちらは内風呂、トリミングに苦労しましたわ


温泉に浸かりながらのお喋りで、あっと言う間に1時間が過ぎました。

ラッシーパパさんが車でお迎えに来てくれて、次ぎに案内されたのかカラオケ

プロ並みの歌声を披露してくれただんだんさんと
迫力万点のパパさんの歌に酔いしれました。


テレながらもご夫婦仲良くデュエット曲を歌うラッシーママさんとパパさん
本当に素晴しいご夫妻です。


後半は一同立って腕を組み、「ふるさと」や「みかんの花咲く丘」「埴生の宿」などの懐かしい歌を合唱・・・
しかもだんだんさんのリードでハモっている
「合唱団の名前を考えなくてはね」


楽しく歌って弾けたあとは、高台にあるラッシー家の別荘で飲んで食べてお喋りタイム
ママさんのお姉さまが作られた「中華チマキ」が特に美味しかったです。

お話しは尽きませんでしたが、ビオラさんと私はおいとましなければなりません。
翌日は「ハイキング」と言うお話しに、後ろ髪を引かれる思いで8時過ぎに帰路に着きました。

ラッシーママさん&パパさんの気配りと実行力に、心から感謝申しあげます。
楽しい一日を有難うございました


     

家族旅行三日目の「箱根の関所」のUPがまだでしたので、記録のためにも記しておきたいと思います。

「箱根の関所」
宿での朝食後、8人揃っての記念写真を撮ってから解散です。
息子一家は小田原の「地球博物館」を見学してから、湘南の海で海水浴の予定とか・・・

私たち夫婦は、去年「旧道・杉並木」だけの見学だったので、その先の「関所」を見ていく事にしました。


朝方、強羅の辺りは陽も出ていましたが、関所に着く頃は雨が降り出しました。

駐車場に車を停めて、最初にくぐったのが西側の「京口御門」

中には大番所・上番休息所が並び
当時の取調べの模様も再現されています。


昔、実家の両親を連れて来たことがありますが、平成19年春にリニューアルされてからは初めてでした。


階段を登って高台に立つと、芦の湖畔に資料どうり再現された「箱根の関所」が見渡せます。


こちらは東側にある「江戸口御門」


芦の湖畔には「タマアジサイ」がたくさん咲いていました。


湖畔を歩いて5分で「関所資料館」

「通行手形」などの実物が展示され、関所の役目が分ります。

厳しく取り締まったのが「入り鉄砲に出女」と言われていますが、
私は今までこの出女の意味がイマイチ分りませんでした。

江戸時代徳川幕府は全国の諸大名の奥方様や姫様を、人質のように江戸屋敷に住まわせていました。
大名の家族の女性が江戸より出て行かないように、注意して取り締まったという意味での出女・・・

箱根の関所は特に厳しく、女の身体的特徴を専門に検分する人見女(髪改め女)が常駐し、
出女の監視を行っていたとか。


関所の歴史は此方の案内板をご覧下さい

関所を見終わって、正午前に小田原に下ったら明るい夏空が広がっていました
本当に変なお天気の3日間でした。

そして9月に入ったとたん、突然豪雨のような雨が降り、カミナリが轟きました。
乾ききった大地を潤し、涼しさも運んでくれましたが・・・

私の「復活登山」も延期となりました
今年はどうもお天気の巡り合せが悪いようです。




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