花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

千鳥ヶ淵でちょっと早いお花見

2015年03月28日 | 花シリーズ
東京・横浜地方は3月23日にソメイヨシノの開花宣言が出ましたが
その後、お天気は良いものの冷たい北風が吹き、桜の咲き具合が気になる所です。

春到来の暖かい日和に恵まれた27日(金)に、中学時代のクラスメートが住むマンション近くの
桜の名所「千鳥ヶ淵」に行ってみました。


ソメイヨシノは全体的にはまだ3~4分咲き・・・
所々5~6分咲きの木も見受けられました。

下の画像はすぐそばに建つ「イギリス大使館」です。


50代で未亡人になった中学時代のクラスメートのOさんが、横浜の戸建ての家を売って
このイギリス大使館から歩いて5分、東京メトロ「半蔵門」駅から歩いて3分の所に建つ
マンションに引っ越したと聞いたのは3年前でした。

卒業以来ずっと親しくしている同じクラスメートのTちゃんが、今年届いたOさんの年賀状に
”千鳥ヶ淵のすぐそばに住んでいるので、桜の季節に遊びに来て下さい”と記されていたとかで
「行ってみない?」と誘ってくれました。

「都心のマンション生活も興味があるしね」

有名店の和食弁当を用意しておいてくれました。これで1620円、美味しかったです


オフィスといった感じの8Fの角部屋を、1LDKに改装して住んでいるOさんの部屋で
賑やかにお喋りしながら頂きました。

明るくて広いリビングには、彼女独特のセンスが光る骨董家具が並び・・・
仕事に必要なミシンや着物地が収められていました。

Oさんはこの春10冊目の本を出した、着物リフォームデザイナーなのです。
詳しいことはこちらでどうぞ

食後は千鳥ヶ淵を散策(3月27日)

20度を越えた暖かい日差しに、5~6分咲きのソメイヨシノも見られましたが・・・


千鳥ヶ淵と言えば皇居の石垣とお濠に垂れる薄いピンクのソメイヨシノが有名なショットですが
あいにくまだ殆ど咲いていなくて、撮影できませんでした。


代わりに満開だったのがピンクの濃い「寒緋桜」と白い「大島桜」


父の転勤で中学時代は新潟市で過ごした私・・・

中2の時に「ソフトボール部」を仲間達と立ち上げ、私はサウスポーのピッチャー
Oさんはキャッチャーでバッテリーを組み
雪の季節以外は白球を追っていた1年でした。

でもその頃からOさんは美術担当の先生に絵の才能を認められ
市の展覧会で特賞を取ったとか・・・

昔話に花が咲きました。

中2中3のクラスメートだった元乙女たち揃って戌年で、70代が目の前となりました。


私とTちゃんが訪ねると聞いて、急きょ新潟からOさんの親友のKさんも前日に上京
Oさんのお部屋に2泊していくそうです。

旧近衛師団司令部庁舎
芸術家のOさんが案内してくれた所は、桜道の先に建つ「近代美術工芸館」
一般は210円ですが、シニアは無料で入れました。


中村ミナトの「ジュエリー:四角・球・線・面」展をやっていたので入りましたが
凡人の私にはとうてい身に付けられない作品ばかり

Oさんに言わせると「ファッションショーなどで使われるのでは?」とのことでしたこちらです。
                                

明治43年(1910)に陸軍技師田村鎮の設計により完成した司令部庁舎は赤レンガ造り、二階建て
スレート葺、簡素なゴシック風で、明治洋風建築としては代表的な存在となっています。 
関東大震災や第二次大戦をくぐりぬけ、ほぼ完全な姿をとどめています。

昭和52年に一部を改装して東京国立近代美術館工芸館として生まれかわりました(パンフレットより)   


千鳥ヶ淵のお花見は30代の時に両親と息子と来ています。
50歳前後の頃にはご近所仲間と3人で、新宿御苑とここのハシゴのお花見

そして主人と10年くらいに前に帝劇でミュージカル「エリザベート」を観賞した後
ここまで足を延ばしました。

過去3回来ていますが、この重要文化財指定の旧近衛師団司令部庁舎は初めてでした。


2時間ほど散策して再びOさんのマンションに戻り、コーヒーを飲みながらお喋りです。

話題はもっぱらOさんの経験を聞きながらの、これからの私の生き方

ご主人は11ヵ月間のガン闘病の果てに亡くなったというOさん
「気持ちが立ち直るのには3年かかったけど・・・」
「私は着物のリフォームの仕事が具体化していたので、ずいぶん助けられたわ」

「あなたは50代だったから飛べたのよ」と私が言うと
「70代だって飛べるわよ。諦めることない」
「3年後には好きな趣味で輝きなさい。いつまでもめそめそしていてはダメ」と
叱咤激励されました。

「まずは3年かけて生活をスリム化して、マンション住まいを勧めるわ」
助言を頂きました。


どうもTちゃんも私も長女でヌクヌク育っている分、芯が弱いところがあって
若かりし頃の苦労を語るOさんの迫力には叶わないと感じましたが・・・

たくさんの刺激をいただいて、5時過ぎには失礼しました。

渋谷で軽くディナー
半蔵門線で渋谷に出て、Tちゃんは井の頭線経由で八王子
私は東横線経由で横浜に帰りますが、渋谷で軽いお食事をしていくことにしました。


渋谷の様変わりには驚き、しばしウロウロ
完全なオノボリさん状態でした、
ようやく見つけた「イタリアン」での、桜エビのパスタとビールが美味しかったです
刺激がありすぎた1日に、二人して思わずタメ息をつきました。

9時半頃帰宅したら、点けて行った覚えのない玄関ドァー脇の電気が灯っている

今の私が一番怖いのは突然の孤独死と、押し込み強盗

主人が生きていた頃は点けたことがない電燈ですが、自動的に灯る門燈とは別に
今は防犯上夜から朝まで点けています。

ご近所の友人ノンちゃんのご主人が毎日犬の散歩で我が家前を通るので
日中もこの電気が点いていたら、ピンポーンを鳴らして確認して欲しいとお願いしています。

ですから起きるとすぐにこれを消すのが私の日課ですが・・・
元神奈川県警のご主人に今朝聞いたら「昨日は点いていなかったはず」との答え
「じゃぁ~いったい誰が点けたの

一軒家はとにかく無用心で怖い
他にも摩訶不思議な出来事が多々あって・・・
「やっぱりマンションの方が安心かな~」と呟いています。






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鳶尾山から八菅山へ(その2)・そして白モクレンの花に想う

2015年03月22日 | 山シリーズ
ハッキリしないお天気が続いていましたが、今日(22日)ようやく晴れました
お彼岸の中日の連休後半の日曜日です。

主人が剪定を任されていたご近所のお庭の白モクレンが、2日前に満開になりました
この青空を待っていたので、今朝ようやく撮影できました。


我が家の庭の白モクレンは、昨年の3月24日の父の葬儀の時に満開となり、
これからは白モクレンを見るたびに父を思い出すだろうと思っていましたが・・・

主人のお仲間さんが昨秋バッサリと刈ってくれて、今年は僅か三輪しか咲きませんでした


その代り、主人が剪定したご近所の白モクレンが見事に咲いて・・・
私にとっては心のよりどころだった父と、頼りにしていた主人を同時に思い出し偲びました


一週間前の日曜日に父の一周忌を済ませましたが、その時はまだ蕾だった白モクレン・・・
あっという間に咲いて、あっという間に散りそうです。

今週は父の法事の翌日に松田山の早咲き桜を堪能し、
その翌日は高校時代の友人と鎌倉散策&お食事&お喋り

そして金曜日は主人の姉たちと4人で、高尾にある主人の実家のお墓参りに行きました。
流石に疲れはててこの連休は静かにしている私です。

鳶尾山から八菅山へ(2月13日)
もう一ヶ月以上前に行ったハイキングですが、後半の様子を遅まきながらUPいたします。
前半の(その1)はこちらです。


ゆっくりと昼食タイムをとった「鳶尾山」頂上を後にして下りました。


10分ちょっとで「やなみ峠」に到着です。
ここから「まつかげ台バス停」へ出られますが、流石ワンゲルの会

更にお隣の「八菅山」を目指します。


15分で「八菅神社」(はすげさんじんじゃ)に着きました。


中々古くて由緒ある神社ですね。

幕末まで大山阿夫利神社、日向薬師とともに
関東での山岳修験の道場として八菅山七社権現と呼ばれていたそうです。


八菅神社に繋がる約250mの急な階段(約300段)は「ハトムネ(破途胸)」と呼ばれるているとか
途中で胸が破れそうなと言う意味らしい・・・

最後の急段は私も手すりにつかまり必死で登りました。

日本武尊の神跡が残る神社です。屋根には立派なシャチホコも見られました。


お参りをしてから神社裏を軽く登っていくと「八菅山いこいの森」に入ります。


ところどころにあるアスレチックを楽しむことができます
中学生やファミリー向けの自然公園ですが・・・

仲間のシニアも早速挑戦です。皆様本当に足も強いけど気も若い!


トイレもあちこちに完備され、老いも若きも楽しめますね。

気持ちの良い森の中を15分歩いて行くと、八菅山の展望台が現れました。
登ってみると相模原の街の向こうに、東京や横浜方面が見えています。


右手の横浜方面はちょっと曇っていて、翌日聞いたら雪がちらついたらしい・・・

山小屋さんが「筑波山も見えている」と言っていました。
私のコンデジでは東京もハッキリしませんが・・・
カメラも腕も良い彼のブログのこちらをご覧ください。

展望台の横には東屋もあって、ここで一休みしました。


それから八菅山いこいの森を通り抜け下っていきます。
気持ちの良い陽だまりハイクが楽しめました。

やがて左側にゴルフ場が見えてきて、ゴルフ場の中のコンクリート道路をひたすら下りました。
私はこういう道路が苦手です。


30分弱ほど下るとようやく家々が建ち並ぶ里に出てきました。

上萩野バス停からバスに乗り、3時ころ小田急「本厚木駅」で解散しました。


この日は駅ビルの中の中華料理屋さんで「懇親会」でした。
ビールも美味しいけど、中華には「紹興酒」ですね。
6時過ぎに帰宅してTVを点けると、「厚木市で竜巻発生とニュースで流れてビックリ

後で「旋風(つむじ風)」と訂正されましたが、そんな気配は全く感じられない
雪国の方々には申し訳ないくらいの、真冬にしては穏やかなハイキングを楽しんだ私たちでした。






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速報!、松田山の早咲桜

2015年03月18日 | 花シリーズ
3月16日(月)、「ワンゲルの会」に参加し、神奈川県足柄郡松田町の早咲の桜を見に行ってきました。
河津桜は盛りを過ぎていましたが、春めき桜(足柄桜)とおかめ桜が丁度見頃でした。


松田町の桜と言えば山の斜面に咲く「河津桜」が有名で
TVで何度も紹介されていましたね。

1970年代に伊豆の河津町で偶然発見された「寒緋桜」と「大島桜」の自然交配が広まったものだそうです。


こちらは春めき桜
南足柄市内の農家などで彼岸の頃に咲いていた桜の枝から育成し、
2000年3月に品種登録された比較的新しい桜です。

寒緋桜とシナミザクラの交雑種の一つとされており、足柄桜とも呼ばれています。


「おかめ桜」は寒緋桜とマメ桜との交配種
イギリス生まれで、日本女性の代表的な「おかめ」という名前が付いたとか・・・

これら三種類の桜が堪能できましたが、この日の天気予報は午後からマーク

申し込み締め切り日の寸前まで参加を迷っていましたが、リーダーさんの
「河津桜の最盛期は過ぎましたが、内藤園の早咲桜が見頃ですよ」という
お話で行く気になりました。

この日は空けており、一人家にいても淋しいだけですから・・・

桜まつりは前日で終わりです。散り始め?二宮金次郎の生家が近いらしい・・・


9時45分、小田急「新松田駅」前集合で、そこから歩いて行きました。
(桜まつり期間中はシャトルバスが運行されていますが)
ワンゲルの会ですから、いずれにしろ歩くのが当たり前です


東名高速道路をくぐって、松田山を登って行きます。
この日の参加者は男性10人、女性4人の14名でした。


まずは河津桜のトンネルで有名な「西平畑公園」を登っていきます。

ここからは酒匂川の流れと東名高速道路、富士山と箱根の山々はもちろん
遠く相模湾から大島まで望めますが、この日は眼下の町も霞んでいました。


3年前の3月25日に山仲間のYさんと「矢倉岳」を登った帰路に、ここに来ていて
(その時の記事はこちらです)

富士山や相模湾を始め、見事な眺望を楽しみましたので・・・
今回は葉が少し出ていましたが、これだけの河津桜が見られただけでも満足でした。


前日の15日(日)で桜まつりは終了で、賑やかな出店も見当たりませんが・・・
私たちの最終目的地は更に登った「内藤園」詳しい情報はこちらでどうぞ。

新松田駅から歩いて40分、入り口で300円を支払って入りました。


桜はまだ若木ながらも、ピンクの濃淡と黄色の菜の花との競演が見事でした


薄っすらと陽も照りだして、紅梅や花モモも加わった園内は桃源郷のような美しさです


こちらがこれからが見頃の「春めき桜」(足柄さくら)


上着も脱いで、暖かい陽光を浴びながら「お弁当タイム」です


すぐそばには「おかめ桜」も満開でした

桜の種類がこんなにたくさんあるなんて、最近まで知りませんでしたわ

3年前の2月に主人と行った西伊豆一泊旅行の帰路、「熱海梅園」に寄った際
近くに咲いていた「熱海サクラ」(糸川さくら)を思いだしました。


今の私にはまさにこの様な場所が必要なのです。


来て良かったとつくづく思いました。


こちらは花モモだそうです。

菜の花は最盛期を過ぎていましたが、一人3本の持ち帰りができました。

帰路内藤園のお土産屋さんで、リーダーの奥様が「一昨日の土曜日も下見に来た」と話したら
たくさんのハネ物のタクアン漬けを皆様にと、無料でいただけたようです。


菜の花もタクアンもせっせと手際よく14人分に分けて下さるお仲間さん
頼もしいお方ですね
(素人とは思えない手さばき!という声がかかりましたよ)


2時過ぎに新松田駅で解散です。と同時に雨が降りだした

有志だけで「懇親会」(反省会?)と称して駅前のお店に入りました。
家に帰っても待っている人がいない私、紅一点で参加です

余計なことを考えず無心に歩いて、綺麗な桜を楽しみ・・・
そして皆様と賑やかに飲むビールが美味しかったです。

今の私にとっては「ハイキング」が一番の癒しのような気がします。


内藤園の菜の花をリビングに飾りました。
翌日の17日は20度を越えて、庭もリビングにもポカポカと春が来ましたね。


そして今日3月18日は父の祥月命日、そして主人の7ヶ月目の「月命日」です。

父を見送って1年が経ったのです。
15日の日曜日にお寺で、弟一家、息子一家と私、そして父の本家の従兄弟一家が集まり
一周忌を済ませました。

今回は急きょ早咲き桜の速報をUPしましたが
次回は再び「鳶尾山から八菅山」の後半を続けたいと思います。


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鳶尾山から八菅山へ(その1)&友人宅のお雛様

2015年03月11日 | 山シリーズ
雨模様のハッキリしないお天気が続き
8日の日曜日には山仲間と3人で行く予定だったハイキングが取り止めとなり
ガックリしていましたが・・・


「苦労して飾ったお雛様を片づける前に、誰かに観てもらいたくて・・・」
「主人が役員会議でいないから遊びに来て」と、親しくなった防犯パトロールのお仲間から電話があり

雨の日の孤独な休日が、一転御汁粉をいただきながら華やかな中での談笑となりました。
今年は私のお雛様も孫娘のお雛様も見ていませんから、嬉しい限りでした


お嫁に行ったお嬢様の40年前のお雛様だそうです。
綺麗に保存されていて感心しました。

当時流行った7段飾りも、こうして2段で飾ると場所もとらずに華やかになりますね。

3年前にやった自治会の役員の時に、私はご主人様と顔見知りになり
主人ともゴルフ会で一緒で、主人がやっていた世話役をその後引き受けてくれました。

奥様もとても良い方で、いつもご夫婦で防犯パトロールに参加
「男手や男の意見が必要だったらいつでも言ってね、主人に伝えるから」と・・・

戸建ての一軒家は無用心&不経済で、このままここに住むべきかと迷う事も多々ありますが
やはりこの地は離れられないと思いました。


そしてお天気は10日火曜日にようやく晴れましたね

昨年の12月に入会した「ストレッチ体操」をするために
ご近所仲間と3人で、暖かい春の日差しの中を歩いて行きました。

ところが帰路、近くのスーパーで買い物して外に出てみると、冷たい突風が吹き渡り
北の空には真っ黒な雲がモクモクと・・・
ニュースによると、横浜の都筑区ではあられが降ったらしい

昨日今日と爆弾低気圧が通過だそうで、日本全国嵐に見舞われたようですね。
被害がないことを祈ります。

毎日7000~8000歩は歩きたいと思っていますが、この3月は雨が多くて中々達成できません。
それに引き換え2月は良く歩きましたわ。

            

鳶尾山から八菅山へ
2月13日(金)、ワンゲルの会主催のハイキングに参加してきました。
小田急本厚木駅北口に9時半集合し、バスに乗って終点の鳶尾団地で下車


天覧台公園から登り始めます。
この日の参加者は男性6名、女性7名の合計13名でした。


画像の左下が欠けてしまいましたが、ここから20分で「金毘羅宮跡」
更に35分登ると「鳶尾山」頂上のようです。

今回は”冬を感じながら一等三角点の置かれた標高234mの鳶尾山から
展望の八菅山までの雑木林の尾根を歩きましょう”
と言うのが
誘い文句のコースです。


長い石段を登ります。


登りきると大きな鳥居があり、振り返ると丹沢の「大山」が見えていました。
真冬の2月中旬、流石に雪が見えています。

そして青空が広がる中、丹沢方面の灰色の雲も気になりますね。


落ち葉踏み分け進む金毘羅宮の参道は、自然のままの気持ちの良い山道でした。


金毘羅宮跡にはトタン張りの小屋があるだけ・・・
金毘羅宮そのものは昭和の時代に焼失したそうです。

ここから5分で「日清戦没記念碑」が見えてきて、その先が展望台でした。


高さは17mあるそうです。早速登ってみました。


遠くスカイツリーが見えていましたが、私のコンデジでは上手く撮れません。

この日参加していたブログ仲間の山小屋さんの画像が鮮明ですこちらをご覧ください。


反対側には雪の丹沢の山々が連なっていました。


展望台からおよそ30分で「鳶尾山頂上」に到着です。


一等三角点が置かれていました。


頂上はベンチが設置された広場になっていて、周囲には桜の木が多く見られました。
フェミリーでお花見に来るのも良さそうですね。

私たちも40分のランチタイムとなりました


木々の間から奥多摩方面の山々も見えていました。


                  

今日11日(水)も良いお天気で、朝は久しぶりに富士山が見えていましたが
冷たい風が強くてとにかく寒い、真冬に戻りましたね。

東日本大震災の起きた3月11日
4年前の計画停電で寒さに震えた時のことを思いだしました。


ニッカポッカ姿で山々を歩いていた頃まとめて買っておいた、山用のロングの靴下を履いて
コーラスに行ってきました。

ずっと箪笥の肥やしになっていましたが、高いだけあって劣化は全然見られません。
この冬に重宝した暖かい靴下です、まだまだ片づけられませんね。





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「湘南アルプスハイキング」・その2

2015年03月06日 | ハイキング・散策
「湘南平・展望台」からの360度の眺望
高来神社~高麗山~浅間山~湘南平と歩いてきた私たちは
富士山に面した西側正面の展望台に登りました。


ご覧の通り、富士山が目の前に

手前の山並みのポッコリした山は「矢倉岳」でしょうか・・・
3年前の3月中旬に同じくYさんと登り、帰路松田町の「河津桜」を観ましたね。


富士山の左側には箱根の山々が連なります。

この日は大寒のさ中の2月1日(日曜日)
雲一つない青空が広がっていましたが、温度が上がって少し富士山は霞んでいたでしょうか?


富士山の右側には丹沢連山が並びます。
円錐形の大山はすぐに判りますね。

カメラをそのまま時計回りに移動すると、遥か東京方面も望めましたが
小さなコンデジではハッキリとは写りません。

およそ2時間の簡単ハイキングでしたから、大きなデジイチを持ってくれば良かったと思いました。


東側にはこの湘南平の象徴のような、大きなテレビ塔が建っています。
そのすぐ奥には、この日歩いてきた稜線と浅間山が・・・

そして遠くに薄っすらと、横浜みなとみらいの「ラウンドマークタワー」が見えました。


更に時計周りに目をやると相模湾です。
江ノ島方面と三浦半島が広がっていました。

昨年末にはあの相模川河口まで歩きましたねこちらです。
あの時も富士山が綺麗に見えていました。


眼下には「大磯港」
「何年か前に、主人とあそこで活き魚料理を食べたわ」と、私が呟くと
「今日のお昼はここで食べないで、大磯港までいきましょうよ」とYさんが言いました。


11時半を過ぎて逆光気味の相模湾ですが、遠く「大島」も望めます。


小田原方面と箱根の山々・・・
私たちは360度の大展望に大満足でした。


もう一人の仲間のKさんが参加できなかったのは残念でしたが、湘南平は思った以上に良い所でした。
駐車場もあるので夜景も楽しめるようです。

広場の周りは桜の木がいっぱいで、春のお花見も素晴らしいでしょうね。


この2月1日は梅が2~3輪、ほろりと咲いているだけでした


私たちは「大磯港」を目指して下ります。


真冬でも安心して歩ける「陽だまりハイク」のコースとしてはお勧めです。

下りきると、大磯の古い別荘地に出ました。

大磯港までは人に聞いて結構歩き、着いた時は12時半過ぎ・・・
漁港料理のお店は大勢の人々が並んでいて、30分以上待ちました。


メニューも殆ど売り切れで、「お任せコース」(1500円)のみ
それでもカレイの煮つけが美味しくて、食べがいがありました。

主人だったら果たして30分も待ったかどうか?その時の様子はこちらです。

そんなこんなを思い出しながら、古くからの友人のYさんには素直に
今の私の不安な心情を吐露し・・・

一人で味気なく食べるお食事とは違い、美味しく楽しくいただきました


              

夜は12時過ぎに寝て、朝は5時半から6時頃に目覚めます。
寒いので、7時近くまではベッドの中にいて・・・

NHKBSの「グレートトラバース・日本百名山一筆書き踏破」
朝ドラの「マッサン」を見ながら、一人で朝ごはんです。

同じく「グレートトラバース」を熱心に見ているKさん
(今回ケァマネの仕事で参加できなかった山仲間)から時々電話やメールが入ります。

「私は40代で夫を亡くして、一緒に旅をした思い出は殆どないけど」
”あなたはご主人とあちこち旅し、山々も一緒に歩いた思い出がたくさんあるから羨ましい”と・・・


TVでは先週から「北アルプス編」に入りました。
殆どの北アルプスは山仲間と登りましたが、主人と唯一登ったのが「立山」と「燕~常念」です。

先々週の「南アルプス編」の時も、Kさんからメールが来て
主人と歩いた「鳳凰三山」や「仙丈岳」「荒川三山~赤石岳」を思い出しながらTVに見入りました。


「思い出がありすぎて、その風景を見ると切ないのですと返信しましたよ。


主人と最後に登った百名山は九州の「久住山」こちらでUPしています。
東日本大震災のあったすぐ後の2011年の4月でした。

あれから4年、今年も忘れられない3月11日がやってきますね。








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「湘南アルプスハイキング」・その1

2015年03月03日 | ハイキング・散策
気が付けば早弥生三月、梅が見頃となりました
ただ猫の目のように変わるお天気と気温に身体が着いていかず
自律神経系が乱れていますが・・・

せっせと人に会い、歩いて気分転換を計っています。


2月26日に雨の鎌倉で催された「歴史漫歩」に参加してきましたが
場所によっては紅梅白梅が満開でした。

丁度一年前の同じ日に、北鎌倉でオフ会を催し「円覚寺」や「東慶寺」に
行きましたが、今年の梅の状況は雪が多かった去年と同じくらい?


この2月末には蕾も多く見られ、梅で有名な東慶寺は6~7分咲くらいの状況でしたでしょうか・・・
まだまだ初々しい梅が見られました。

            

取りあえず速報で鎌倉の梅の開花情報をお知らせし
まずは一ヶ月前に山仲間のYさんと行った「湘南アルプス」ハイキングの模様をUP致します。

高来神社から湘南平へ(2月1日)
当日はお天気に恵まれ、絶好の陽だまりハイキング日和でしたが
もう一人の山仲間のKさんが急きょ仕事が入り、同行出来なかったのが残念でした。


Yさんと二人でJR東海道線「平塚駅北口」から大磯方面行きのバスに乗り、およそ10分
右手の車窓にポコポコと連なった山並みが見えてきました。

「あれがきっと湘南アルプスね」と、Yさんと話しながら「花水バス停」で下車
国道一号線を進行方向の西に進みます。

昔から通じていた「東海道」、沿線には古い家が目立ちました。


高来神社入り口で信号を渡り参道を行くと、右側が「慶覚院」
正面が「高来(たかく)神社」です。


このコースは「関東ふれあいの道」の一部を歩くことになるようですね。


神奈川県中郡大磯町高麗、高麗山の麓に高来神社があります。

登山道は神社の裏側より始まります。
私が写真を撮っている間、Yさんはストレッチをしていました。


「高来(たかく)神社」は江戸時代まで「高麗寺」に属し、神仏分離により、
明治元年「高麗神社」となりましたが、明治30年に現在の名称に変わったとか・・・

ただ今でも地元の人々は「高麗の権現様」と呼んでいるそうです。


登山道は「高麗山県民の森」の中を進み、すぐに「男坂」「女坂」と別れますが
途中で合流します。

Yさんは本年初歩きですから、私たちは「女坂」を行きました。


およそ20分、最後の階段を登ると「高麗山」です。

頂上は常緑広葉樹に囲まれ、眺望は殆どありませんが
ここは高麗寺の上宮・高麗権現社があった場所だそうです。

時計を見ると10時半、私たちは一休みして軽くパンを食べました。


奈良時代のころ朝鮮半島の高句麗は唐・新羅に滅ぼされ、日本に難を逃れた人も多く
その中に高句麗王族のひとり高麗若光もいました。

若光は一族をつれて海を渡り大磯に上陸、日本に帰化してこの山のふもとの化粧坂あたりに住み、
この地に高度な文化をもたらしました。

高麗若光と高句麗の人たちが住んでいたことから、この地が高麗と呼ばれるようになったようですね。


「高麗山」を出発し5分で「八俵山」
尾根道に出ると富士山が見えてきました。


ここから先は気持ちの良い「陽だまりハイク」が楽しめます。
大寒のさ中とは思えない暖かさでした。


11時過ぎに、一等三角点のある「浅間山」に到着です。
木々の間から「富士山」と「丹沢の山々」が見えていました。


富士山を登る時に発する掛け声の「六根清浄」という意味と
浅間神社の由来が分かりましたね。

反対方向からやって来たハイカーが「湘南平からの眺めが素晴らしかったわよ」と・・・
ここでは休まずに先に進みました。


上り下りを繰り返し、右手のアスレチックの斜面を登ると
湘南平のテレビ塔の横を通り、広い湘南平の東側に出ました。


整備された頂上は千畳敷と言われる広さで、中央部は広場となっています。
平塚駅からここまでのバスも通じていて、レストランを併設した展望台が建っていました。

そこに登ると、まさに360度の大展望が広がっており
Yさんと2人で思わず「わぉ~」と歓声を上げましたわ



「手巻き寿司パーティー」(3月1日)
今日は3月3日、お雛様の日です。
今年は私のお雛様も出しませんでしたが・・・

新潟に住む高校時代のクラスメートからたくさんの「甘エビ」が送られてきたので
一足早い一昨日の日曜日、我が家で手巻き寿司パーティーをしました。


毎年、息子の所で菜奈ちゃんの誕生祝と桃の節句を祝って両家で集まりましたが
今年はオカータンも忙しくて時間がとれず・・・

実家のお母様のお加減も悪いそうで(我が家も主人が居ませんしね)
菜奈ちゃんへのプレゼントは後ほどということで、我が家で誕生祝の乾杯をしました。

去年までの10年間、皆元気で集まり孫たちの誕生祝や、全員で行っていた旅行が
如何に貴重な時間だったのかと、改めて思い知りました。

今回我が家でこの様な機会を催す気になれた「甘エビ」・・・
送ってくれた新潟の旧友に御礼申し上げます。

冷たい雨の日曜日でしたが、お陰様で楽しいひと時が過ごせましたよ。
ありがとうございました



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