花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

映画「セックス・アンド・ザ・シティー2」

2010年07月28日 | 映画、観劇

「オルセー美術館展2010」を堪能してから、私たちは地下鉄で日比谷に出て映画を観ました。

前作が面白かった「セックス・アンド・ザ・シティー2」です。

アメリカのケーブル局HBOで、1998年から2004年にかけて放送された全6シーズンの連続テレビドラマ、
エミー賞を7回、ゴールデングローブ賞も8回受賞し、2年前に映画化されました。

《大人の女性の本音に迫ったセリフの数々、最先端のファッションなど
都会暮らしの喜怒哀楽や、女性同士の友情を盛り込んでいる》

その劇場版第一作目の私の感想はこちらです。

あのお洒落でゴージャスな4人の女性がスクリーンに戻ってきましたよ。


4人がそれぞれのハッピーエンドを迎えた前作から2年。

ベストセラー・ライターのキャリー(サラ・ジェシカ・パーカ)は幸せながらも
甘いロマンスの失われた結婚生活に疑問を抱き始めます。

女の幸せを綴るライターのキャリーは、夫が靴を脱いでソファーに足を投げ出す姿にも幻滅を覚えます。
お食事はいつも外食かテイクアウト食品・・・

女が常に第一線で活躍し、綺麗で輝き続けるには家事も最小限にとどめ、
「夫」にはいつまでも騎士(ナイト)のようにいて欲しいと願うのでしょうね。
凡人の主婦の意見としては「これではくつろげる家庭は築けません」と言いたいです。

でもこの夫婦が最後に出した「週休2日制」の結論には頷けました。
私も同じ様に思ったことがありますわ。


昇進に性差別があることを痛感する家庭持ちの弁護士ミランダ(右)と
(美人のベビーシッターに子供がなついてしまい)子育てに自信を失う専業主婦のシャーロット(左)

そして4人の中では唯一独身で、大胆な恋愛を楽しむ実業家のサマンサも、事業が上手く行かない上に
更年期症状が現れて、薬なしでは過ごせない

それぞれが40代50代となり、女性が通過しなければならない悩みが生じます。

もっとも親の介護でバタバタし、家事に追われている私から見ればナント贅沢な悩み
としか思えませんが・・・

それはそれ、この映画はお洒落なファッションと本音のトークが売りなのですから目をつぶりましょう。


そんな折、サマンサの多彩な人脈がもたらす贅沢なアブダビ旅行が実現し
4人は現実逃避の旅に出かけます。

アラブ首長国連邦の映画プロデューサーが4人のために用意したのは、
コンパートメント風ファーストクラスでの快適なフライト

1人1台のリムジンサービス、ワンフロアぶち抜きのロイヤルスイートの部屋・・・
そしてジープに乗ったイケメンも登場する、砂漠でのシャンパンブレイク・・・

スクリーンの中の彼女達だけではなく、
観ている我々も夢のようなひと時で、日頃の憂さ晴らしが出来たような気がします。


私たちもエジプトの砂漠でラクダに乗ったけど、
あてがわれたズルズルの「ガラベーヤ」を着ていましたわ。
もっと自分にあった色とサイズを選ばせて欲しかった

だいたい、イスラムの国でこれだけ肌を露出したファッションは許されないはず・・・
題名からして、アブダビでのロケの許可が下りなかったそうで、この現地ロケはモロッコだそうです。

突っ込みどころは満載ですが、
私たちもエジプトでお買い物をしたスーク(市場)も登場して楽しめました。
キャリーはナント、ここで昔の恋人と再会するのです

物語としての面白味は前作の方があったように思えますが
土曜日の午後3時過ぎの映画館は、30代前後の女性達でいっぱいで、私たちも離れ離れの席となりました。


       

映画がはねてから、銀座でお食事をしました。
いつものように「何を食べようか?」とウロウロと歩き回りましたが、結局はイタリアンです。


この日は蒸し暑い日だったのでビールが美味しかったこと
朝から美術館見学と映画のダブルヘッダーをこなし、最後はお食事とお喋りのお愉しみです。

お嬢さんの結婚話が出て、エジプト旅行をキャンセルしたN子さんに「おめでとう」と言うと
何やら浮かぬ顔・・・
「相手は一人っ子なのよ。彼の実家の近くに住んでいずれあちらの親を看るんですって」
とタメイキついていました。

”あの~、私も一人っ子の親なのですが~”
そうか~、一人っ子は結婚相手としては三文安なのか~


「今どきの親は、特に娘がいないシニア世代はちゃんと老後の覚悟は出来ているわよ」と反論し
「でも〇○子ちゃん、結婚する時から相手の親を看ようなんて、心優しいお嬢さんに育ったわね」と褒めつつ
一人っ子の我が息子と結婚し、我が家近くに家を求めた息子のお嫁ちゃんに、私は感謝しましたよ。


この日はサッカーのワールドカップ、日本対オランダ戦が行われていました。
夜の銀座のパブは青い服を着たサポーターたちの、TV観戦をしながらの熱い応援で賑わっていました。

私たちも有楽町駅前の大画面で勝敗を見届けてから(0対1での負け)家路に着きました。



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国立新美術館「オルセー美術館展・2010」

2010年07月24日 | 美術館&史跡巡り
「梅雨明け宣言」が出されて丁度一週間が過ぎました。
冷夏だった昨年の夏とは打って変わっての、連日の酷暑にグッタリです

退院して少し元気になり笑顔が見られた母ですが、その後再び腎盂炎の再発が疑われ、
血圧低下もあって再入院しました
私はカンカン照りの中、アチコチ駆けずり回り、流石に頭がクラクラしています

エジプト旅行から帰国して、2・3・4月には父のヘルペスと前立腺ガンの検査&治療でバタバタし、
薬が効いて元気になった父の姿にホッとしてやっと落ち着いた6月・・・

6月下旬の母の入院の前までは、「白州夫妻の武相荘」や「鎌倉ハイキング」、「自治会のバス旅行」など
久しぶりに友人達との交流を愉しみました。


6月19日(土)にはご近所仲間と3人で、六本木の国立新美術館で開催されている
「オルセー美術館展・2010」に行ってきました。

パリのオルセー美術館が改修工事のため、大量の所蔵品の世界巡回展が実現し、日本にもやって来たのです。
「これらの絵画がまとめてフランスを離れることは2度とない」とフランス大統領のサルコジさんが言ったとか・・・
「これは是非見なくては

「ポスト印象派」と銘打った作品は、モネ・セザンヌ・ゴッホ・ゴーギャン・ルソーなどの
そうそうたる画家たちの傑作絵画115点が並びました

上のチラシに印刷されている絵はルソーの「蛇使いの女」です


3年前にオープンした「国立新美術館」は東京メトロ千代田線「乃木坂」駅の目の前にあります。
私は初めて行く美術館でした。


ポスターに案内されて地上に出ると、近代的な建物が建っていました。


まずはチケット(当日券1500円)を購入します。
梅雨の晴れ間の土曜日は、若い人も多い感じでした。


入り口を入ると、ゴッホの「自画像」が印刷されたポスターが出迎えてくれます。
期待感で胸がおのずと高鳴りますね

会場はモネの「睡蓮の池」やドガの「階段を上がる踊り子」などの第1章「最後の印象派」から始まって
第五章「ゴッホとゴーギャン」、
そして日本の浮世絵に深く影響されたボナールの作品が示す第7章の「ナビ派」
第10章のアールヌーボーの「装飾の勝利」まで順番に仕切られています。

さすが「空前絶後」と謳っているだけあってとても見応えがありました
素晴らしかったです


ポール・セザンヌ「台所のテーブル」

1874年、モネピサロといった若い画家たちが集まり、
のちに印象派展と呼ばれる初めての展覧会を開催しました。

光や大気の影響を受けて刻々と表情を変える身近な光景に着目した彼らは、
これを明るく自由な筆致で生き生きと表現しました。

第1回と第3回展に出品したセザンヌは、やがて自らの進むべき方向との違いに気づきます。
セザンヌが求めたのは「堅固で永続的な」芸術でした。


フィンセント・ファン・ゴッホ「星降る夜」

オランダ出身のゴッホは、最後の印象派展が開催された1886年にパリに出ました。
印象派に影響を受け、オランダ時代の暗い色調とは対照的な、明るい色彩と闊達な筆遣いで描き始めます。

やがてゴッホは力強い筆致と激しい色彩による独特の画風を生み出しました。
ゴッホとゴーギャンが共同生活を試み、悲劇的な破局を迎えたエピソードはよく知られていますね。


ポール・ゴーギャン「タヒチの女たち」

ゴーギャンは文明に絶望し、未開文化の豊穣さに楽園を見出してタヒチに向かい、
人間の本質を追求した数多くの傑作を残しました。


アンリ・ルソー「戦争」

独学で絵画を学んだルソーの作品は、シンプルで力強い表現力に満ちています。
細部まで均質に描き込まれた画面、遠近法によらない独自の表現などは伝統的な絵画技法とは大きく異なります。

また、非常に謎めいた異国情緒豊かな主題によって、画面からは神秘的で象徴的な雰囲気が漂いますね。

私はゴッホの「自画像」と合わせて上に記した5作品の絵葉書を買いました。

クリアファイル(表)クリアファイル(裏)

そして若い頃大好きだった印象派の綺麗な絵が描かれた「クリアファイル」も買いました
何しろ私が初めて買った美術全集の一冊目は「ルノアール」でしたもの・・・

最近では迫力ある「ゴッホ」や自由奔放な「マチス」の絵が好きになりましたけどね。

この「オルセー美術館展・2010」は8月16日まで開催されています。
興味がある方はこちらを参考にお出かけください。

「国立新美術館」内には、カフェやレストランも充実しています。
特に3Fの「ブラッスリー ポール・ボキューズ ミュゼ」は三ツ星レストランとしても有名で
私たちもここでランチを戴くつもりでした。

11時40分に行ったらすでに大勢の人が並んでいて、限定メニューのランチコースはすでに品切れ
仕方なく、地下のカフェテリアで食べました。

三ツ星レストランでのお食事ご希望の方は、早めに(11時半前)行かれる事をお薦めします。
詳しい内容はこちらでお確かめ下さいね





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突然の「真夏」

2010年07月19日 | 日常の日記
南関東地方は7月17日に「梅雨明け宣言」が出され、真夏の暑さがやってきました。
ギラギラとした太陽が今日も朝から照っています

梅雨入りが遅かった今年は、本格的な夏の訪れも遅くなるに違いないと思い込んでいましたので
私はまだ心の準備が出来ていませんでした

7月17日(土)

夕方の6時半過ぎ、西の空が赤く染まっているのが見えたので2Fのベランダに出てみると
「富士山」のシルエットがクッキリと浮かび上がっていました

久しぶりに見る「富士山」です。梅雨明けを実感しましたね。


カメラのレンズを慌てて200mmに切り替えましたが、300mmにすれば良かったと悔いています

7時を過ぎる頃には空がいっそう赤く染まり、珍しい雲の姿にも魅せられて
私は夕げの準備も忘れてベランダに立ち尽くしていました。


晩秋の頃には富士山の左側に沈んでいた太陽も、今の季節はそれよりずっと北側の
「富士山」の右側に沈んでいったようです。

手前は夜のとばりの黒い空が広がっていますが、富士山の周りだけが太陽の残照に空が赤く染まっていました。
明日のお天気を約束するように・・・

7月18日(日)

翌日も真夏の太陽が朝から照り付けていました。
朝8時、「富士山」もバッチリと見えています。もう雪もほとんどありませんね。


9時を過ぎる頃には「夏雲」も湧きだしていました。
いよいよ「盛夏」、真夏の到来です。

母の入院騒ぎで、我が家の夏の準備が進んでいませんでした。
午前中は汗だくになって、リビングの絨毯をはがし、籐の敷物に替えました。

午後から両親のところに行ったら、母は久しぶりに笑顔を見せてくれました。
まだまだボンヤリすることが多いけど、少しづつ表情も豊かになってきています。

今の一番の心配は誤飲性肺炎ですが、タンの絡む咳も少なくなって、
どうにかお食事も時間をかければ出来るようです。

お天気に恵まれたこの3連休、多くの方々は海や山へと飛び出したことでしょう。
私も焦りますが、何だかどっと疲れが出て、戸外に遊びに出かける気力がまだ湧きません。

1994年のアルバムより・・・

遥かなる「黒部五郎岳」
古いアルバムをとり出して、アルプスの雄大な風景と爽やかな風を懐かしんでいます。
こちらの紙焼き写真は、北アルプスの薬師岳から
黒部五郎~三俣蓮華岳~双六岳~新穂高と3泊4日でダイヤモンドコースを縦走した時のものです。

一面に広がるお花畑の向うに目ざす「黒部五郎岳」
夏雲の左手には「雲の平」が見えていました。

40代のあの頃は行けない山はないと思っていましたから、「雲の平」も当然歩くつもりで居ましたね。

実は今月初めに山仲間のYさんと夜行日帰りで百名山の「皇海山」に行く予定でした。
彼女は8月中旬にお嬢さんが第二子の出産を控えていて、
「夏山は無理なので早めにどこかに行こう」となったのです。

ところがYさん自身の体の不調が続いて検査が決まり、私は母の入院で登山どころではなくなった

この5~6年は親の介護、孫の誕生などで皆忙しくなり、山に行けない夏が続いていますが


北アルプス・後立山連峰「爺岳」頂上からの眺め

同じ年の9月に、立山黒部アルペンルートの基地「扇沢」から柏原新道を歩いて登り
爺岳~鹿島槍ヶ岳と2泊3日で縦走しました。
朝の「爺ヶ岳」頂上からの眺めは最高でした

この写真の右手には針ノ木岳・蓮華岳の向こうに「野口五郎岳」などの裏銀座コースが望め
その奥には薬師岳から立山までのダイヤモンドコースが・・・

そして更に右手に目をやると「釼岳」がドカンと存在感を示していて
北アルプスの名だたる山々が全部見渡せて感激しました。


目ざす双耳峰の「鹿島槍ヶ岳」
山は季節やお天気などに左右され、どこが一番良かったかというのはその人々で違うと思いますが
初秋でお花は少なかったけど、展望に恵まれたこのコースは思い出深いものがあります。

一昨年、お花の綺麗な時期に主人と登るつもりで大町温泉に泊まりましたが、雨で断念したこのコース・・・
辛うじてまだ登れそうです。

「母が落ち着いたら行きたいな~」と思っていたら、もう一人の山仲間のKさんからメールが届きました。
「腰を痛めて、足まで動かなくなった

親の事でバタバタしている内に、私を含めて同年代の仲間たちも健康面で危うくなってきています。
「山」どころの話ではありませんね。ガックリ

今日は弟が両親のところに行くようですから、私はまずは美容院に行って、髪をバッサリ切ってこよう・・・
そしてその後はデパートに足を伸ばして「夏物バーゲン」を見て廻る積りです。
真っ赤な半袖のジャケットが欲しい心境ですわ。


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「梅雨明け」間近

2010年07月15日 | 日常の日記
梅雨前線の影響により、西日本各地で河川の氾濫や土砂崩れなどの被害が相次いだようですね。
豪雨による被害に遭われた皆様には心からのお見舞いを申しあげます。

関東南部の今年の梅雨は、夜に雨が降り、日中は蒸し暑いながらも太陽が顔を出す日が多かったような気がします。

梅雨末期の豪雨で野菜の高騰が懸念されていますが、今のところ我が家庭農園は順調に収穫されていて・・・
私は時間があるかぎり、毎朝畑に出るのが日課となっています。


畑の周りには「ヒルガオ」が咲き出しています。
昨夜の雨で濡れていますが、今日は午後から真っ青な夏空が広がり暑くなりました
梅雨明けも間近のようですね。


すぐそばに毎年このようなお花も見られますが、名前が判りません
※ヒレハリソウ(別名・コンフリー)との事、山小屋さんより教えて戴きました。

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親指大の小さな蛙が、黄色いお花の寝袋でお目覚めのようです


お隣の畑の「カボチャ」のツルが我が畑まで伸びてきていました。
ホラ、立派なカボチャが生っていますね。
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい

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こちらはトマトのお花です。マウスオンでご覧下さい
実も色付き始めましたね。

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そしてこちらはキューリのお花です。マウスオンで赤ちゃんキューリもご覧下さい
1日で一人前の大きさに育ちます

ゴールデンウィークに、一株198円の「接木の苗」を6株買って植えましたが、
一ヶ月前から毎日採れだして、連日キュウリ攻めの我が食卓です。

息子宅や弟宅にもせっせと配っていますが・・・


こちらは月曜日に採れた野菜です。
この4週間、キューりは毎日平均4~5本は採れていて、2日畑に行かないと
ヘチマのようなお化けキューリになってしまいます
スティック状に切って、お味噌とマヨネーズを和えたタレをチョチョンとつけて食べるのが我が家流
のおつまみに最高ですが、流石に一ヵ月も続くと飽きてきますね。

サラダうどん肉じゃが

夫婦二人の食卓ですし、主人の好物は「お刺身」・・・
忙しさを言い訳に、私も手抜き料理が多いのですが、採りたて野菜は新鮮なうちに食べなくてはなりませんね。

<>

マウスオンでご覧下さい
追いかけるように「ナス」「ピーマン」も採れだしました。

野菜のお花も良く見ると可愛いいですね


こちらは一昨日火曜日の収穫野菜・・・
アスパラのようにコリコリと柔らかい「モロッコインゲン」も毎日のように収穫しています。
畑の作物で天ぷらを揚げたら、山盛り出来ました

タコ・キュウリ・ワカメの酢の物とぬか漬け採れたて野菜の天ぷらとサラダ

わたくし、今月末に「健康診断」があり、例年だと2kgのダイエットに励むのですが
今年は母の入院があり、体力勝負なのでモリモリ食べています。

母を見ていると
「食事を口から美味しく戴けるという事を当たり前のように思っていたけど、健康だから出来る事なのだ」
と思い知らされました。

母の食事は「ミキサー食」、それすらも満足に喉を通りません


前日は母の退院があり畑に出られませんでしたが、今朝もキューリが大量に採れました。
小松菜はすでにトウがたって固くなりましたが、ルッコラ、バジル、青ジソが茂っています。

ゴールデンウィークにタネを蒔いた「夏ダイコン」も食べられるようになりました。
細いながらも辛味があるので、この大根おろしはお蕎麦やソーメン、天ぷらなどの薬味として重宝しています。
今ネギは高いので買わずに、青ジソなども加えて日々使っています。



「抗生物質の点滴を止めても高熱が出ないので、施設に戻って様子を見てください」
と主治医に言われて、母は昨日退院しました。


「もう高齢ですから100%の完治は難しいです」との事・・・

「高熱が出たら誤飲性肺炎か腎盂炎の再発が疑われますから、叉すぐに連れて来て下さい」
「次回の入院は経菅栄養が考えられ、胃などに管を通す必要が出てきそうですが、僕は勧めません」
「健康保険の赤字の最大の原因がこの高齢者医療なのです」


言わんとする事は分りますが、家族に対してそこまではっきり言うとは


退院の日、顔なじみの施設の男のスタッフさんが迎えに来てくれました。
母のヤツレ具合にビックリし、抱き上げて車椅子に乗せてくれたとき
「M子さん、ずいぶん痩せてしまいましたね」
「しっかりご飯を食べて叉元気になりましょう」
と言ってくれて私も涙が出ました。


病室で「家に帰りたい」と呟いていた母を、家ではなく施設に連れて行くのは辛いものがありましたが
1時間かけてジックリと食事を食べさせてくれましたし、看護婦さんもいるので「タンの吸引」もしてくれます。

第一ここには父が居るのですものね。
意識も朦朧とし表情もなく、目の焦点も合わない母ですが、父に逢わせたら手を差し出しました。
私が2人の手を握らせるとそのまま15分くらい2人の世界に浸っていて、父の目にも涙が滲んでいました。

今日訪ねたら、「M子さんお風呂に入って疲れたのか寝ていますよ」
「昨日よりタンも少なくなって表情も豊かになりました」
「お食事も100%近く召し上がりました」
というスタッフさんの報告でした。

追い出されるように病院を退院しましたが、こちらの方が母にとっては居心地の良い住み慣れた場所です。
私も少しホッとしました。

まだまだある日突然高熱を出す不安があり、薄氷を踏むような思いの日々ですが・・・



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映画「アイガー・北壁」を観て・・・

2010年07月11日 | 映画、観劇
丁度一ヶ月前、まだ母の入院騒ぎが起きる以前のこと・・・
私は近くの駅前のショッピングセンターに買い物に出かけた際、ミニシアターのポスターに
”本日「アイガー・北壁」最終日”と書かれているのを見つけて、思わず入って観てしまいました。


《ナチス政権下、若き登山家が挑んだ前代未聞の絶壁ーー》
《アルプス登攀史上、最大の事件と呼ばれた衝撃の実話!》
ポスターに書かれた文字に惹きこまれてしまったのです。


1930年代、ヨーロッパ最後の難所と呼ばれ、何人もの一流アルピニストの挑戦を阻んできたアイガー北壁。

ベルリン・オリンピックを目前に控えた1936年夏、
ナチス政府は国家の優位性を世界に示すべく、ドイツ人によるアイガー北壁初登頂を
大きな目標に掲げ、成功者にはオリンピックと同じ金メダルを授与すると約束していた。

そして、トニー・クルツとアンディ・ヒンターシュトイサーの2人のドイツ人と
オーストリアの2人の登山家がアイガー北壁への挑戦を開始する。
麓には、今度こその期待を膨らませた記者や見物客が押し寄せ、彼らの命を懸けた闘いを固唾を呑んで見守る。
そんな中、快調に北壁を登っていく4人の登山家たちだったが…



スイスのベルナーオーバーランド地方の美しい山岳風景を舞台に話は進み、前半は楽しんで観ていましたが
一転、後半の壮絶な猛吹雪の中の遭難場面は悲惨で、観ている私も力が入り体中が固くなってしまいました
「人間は何故?こんな危険を冒してまで山に登るのだろう」
征服欲?功名心?

山国で育った幼馴染の2人はただただ純粋に「山が大好きで、山を愛していた」だけだったのに・・・

「ベルリンオリンピック」を政治的に利用しようとしたヒットラーは、登山の領域までも手を広げ、
そしてマスコミもそれに加担して、国家高揚を煽って行ったのです。


気象観測も今ほど発達していない中での「運まかせの登山」
山の装備も貧弱です。

若き登山家トニー・クルツの元恋人、雑誌記者のルィーゼは、ユングフラウ登山鉄道駅
「アイガーヴァント駅」の氷河への出入り口から大声でトニーの名前を叫びます。
ナント!その声が聞こえる位置で生死の戦いに挑んでいるトニー・クルツがいるのです。


10年前の結婚30周年の時に行った私の「スイスハイキング旅行」のアルバムを開いてみました。
その中にユングフラウヨッホ駅から自宅宛に出した1枚の絵葉書があります。
日付が2000年7月11日
10年前のまさに今日、私たち夫婦がユングフラウヨッホで書いた絵葉書でした

<>

マウスオンでご覧下さい

標高3456mの所にあるユングフラウヨッホ駅には、日本でお馴染みの見慣れたポストがありました。
現地の郵便局が日本の富士郵便局と姉妹関係にあるそうで、この世界一高い所にあるポストは日本製

この絵葉書には
「今、ユングフラウヨッホのスフインクス展望台です。一面雪の世界・・・
何も見えなくて残念ですが、いつか叉必ず訪れたいです

という私の文字が綴られています。

そして
「頭がボォ~っとしています。外は真っ白、世界で一番高い郵便局より発信します」
という主人の文字が並んで書かれています。
この時、主人は高山病気味だったことが分りました


2000年7月11日
朝一番の電車に乗ってホテルのあるインターラーケンからグリンデルバルトに向かいました。
残念ながらお天気は下り坂・・・


山々は雲の中でした。

童話の世界に出てくるような美しいグリンデルバルトの村から更にゴンドラに乗って上ります。
一面霧の中で何も見えません。
牛さん達のカウベルの音だけが下から聞こえてきました。


我々も「アイガー」「メンヒ」「ユングフラウ」の三山を眺めながら、
このような美しい中を歩くはずだったのですが・・・


7月上旬だというのに雪がどんどんひどくなり、まるで「「八甲田山雪中行軍」状態


私の持っていたミニ傘の骨も雪の重みで折れました

スイスのお天気が安定しているのは9月と聞きますが、やはり高山植物の美しい季節に行きたいものです。
この時も、スイス三大名花の一つ、ピンクの「アルペンローゼ」が綺麗でしたが


トラノオもご覧の通り雪に埋もれていましたよ


ようやく「クライネシャイディック」に到着して昼食タイムでしたが、
手足がすっかり凍えていました。

「お天気が良ければ、目の前がアイガー北壁よ~」と添乗員のみ~ちゃんが説明してくれましたが
今考えると、この時の北壁は強烈な吹雪状態だったのでしょうね。
まさに「山には魔物が住んでいる」と言われる所以です。


私たちはクライネシャイディックからユングフラウヨッホまで登山電車に乗りました。

この「ユングフラウ鉄道」は1896年着工、1912年に開通した、全長9.3kmの山岳鉄道です。
そのほとんどがトンネルで7.4キロメートルにも及びます。

途中の「アイガーグレッチャー駅」(2320m)と「アイガーヴァント駅」(2865m)からは
外の氷河を望むことが出来るので、停車時間も長く設けられています。


私たちもシッカリと氷河を覗きました。

この映画でも、ルィーゼはこの「アイガーヴァント駅」から、必至でトニーの名前を呼び
頭を下げて来てもらった救援隊共々氷河へと一歩を歩み出すのですが、
猛吹雪に阻まれて・・・

今回観た映画は、このように10年前の「スイスハイキング旅行」を思い出させてくれた映画でした。
日本での封切りは今年の3月だったので、今興行している劇場はないかもしれませんが、DVDも出ているようです。
興味のある方はオフィシャルサイトのこちらをご覧下さい。


こちらのザックは、ユングフラウ鉄道のキオスクでしか売っていないもの・・・
肩賭けショルダーとリュックの両方が使える優れものです。

ベルト部分のチロリアンテープがとても可愛い

スイスで連日一緒にハイキングを楽しんだ奥様同士、現地ガイドさんが持っていたこのバッグが気に入り
親しくなった4人が買いました。

夫たちは「どうせ押入れのゴミと化すから止めておけ」と反対したのですが・・・
私はカメラを入れて、近場の鎌倉歩きなどに重宝していますよ

これを買ってもう10年が過ぎたのですね。
まだ全然傷んでいません。

鎌倉でこのザックを背負った中高年女性を見つけたらそれは私です。
是非声をかけてくださいね。

 
       

母の入院に関しては皆様からたくさんの温かい励ましを戴き感謝しております。
お陰様で最近の母は38度以上あった熱も37度前後の微熱に下がり、少し食欲も出てきました。
「肺炎」は併発していないようなので私もホッとしています(まだまだ楽観はできませんが)

すると途端に医師から「退院話」が出てきて、大変戸惑っています。
まだ微熱もあり血尿も出ていますし、タンの吸引などもやってもらっているのに何故
「つまりは病院を追い出されるってわけ」ですか?


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「弱り目にたたり目」

2010年07月05日 | 日常の日記

入院中の母が先週後半から叉、発熱を繰り返しています。
私は毎日洗濯物を抱えて病院に通っていますが、母は日に日に目が凹み、口数も少なくなって、
入院時よりも二回りくらい小さくなってしまいました

「お母さん、私よ。判る?」と問いかけると
「nao・・・」と辛うじて答えてくれますが、目はうつろで焦点が合いません。


一週間前は私の顔を見ると、あそこが痛いここがだるいと訴え、
そして必ず「家に帰りたい」と言っていた母ですが、この2~3日はそんな言葉も聞かれなくなりました。

「ちゃんと口から食事ができて、順調に回復すれば7月10日過ぎには施設に戻れるでしょう」
「ただしこのお年ですから今後何が起こるかわかりません。腎盂炎は敗血症が怖いです」
という主治医の話でしたが・・・

この様子ではあと一週間で退院できるなんてとても思えません

ネジ花ヒオウギスイセン

日に日に弱っている感じの母を見て、毎度辛い気持ちで帰る私・・・
昨日は突然ピィ~!と笛でお巡りさんに呼び止められてしました。

「一時停止マークをちゃんと見ましたか?」
「ハイ、ブレーキかけましたよ」
「停止線の手前で止まらなくてはいけないのに、止まっていませんでした」
一時停止違反で切符を切られました


「弱り目にたたり目」とはこういうことを言うのでしょうか?

今の私は、車が運転できることで生活が成り立っています。
母の病院までが車で10分、そこから更に20分で父のいる施設・・・
直角三角形のような配置を車でぐるりと回って来るのが私の日課ですが、その車でつかまるとは

ゼラニュウムルリマツリ

弟は仕事があるので土日しか病院に行けません。
義妹も仕事がある上にリュウマチを患っていて、この季節は体調が悪いらしい・・・

我が家の主人も息子も、娘である私が動くのが当たり前と思っていて「我関せず」です。
病院通いはそれほど苦になりませんが、この辛い気持ちを分かち合える人がいないことに愕然とし
違反切符を切っているお巡りさんを、バックミラーで眺めていたら突然があふれました


違反金は7000円なのでさほど負担はないのですが、問題は車の保険料です。

3年前、新車を買って1年ちょっとの時に、主人が日光で自損事故を起こしました。

この時の事はブログでもUPしましたが・・・
かなり大きな事故で(夫婦して怪我がなかったのが奇跡)、車の修理代に80万円近くかかりました。

すべて保険でまかなえてホッとしたのですが、問題は次の年の保険料がドカンと上がったことです。
20万円を越えました


其の後保険料は少しづつ安くなりましたが、今年の冬、父のヘルペス騒ぎのさ中、
私が仕事の帰りに駐車場のポールに車をぶつけて、車体の後を凹ませました

こちらの修理の見積もりが10万円以上となり、またまた車両保険を使った上に、
主人が五年後は70歳を越えるのでゴールド免許の切り替えができなくなったせいで、
再び保険料が上がり唖然とさせられました

解決策としてゴールド免許の私の名義で保険料を払うことにして3万円安くなりましたが
それでもこの春20万円以上を振り込んだばかりだったのです。

他にも業務用の軽トラックがあり、そちらは別に保険料がかかります。
春は自動車税や固定資産税、その他諸々の支払いもありますから流石に堪えました。

今回の違反切符で、私のゴールド免許は来年初めの切り替えでパァ~になります。
わざわざ二俣川まで行って講習を受けなくてはなりません。
その上来年の車の保険代を考えると頭が痛くなりますよ


毎日蒸し暑い中気分までが落ち込んでいますが・・・
この「一時停止違反」は”こういう時こそ、自動車事故を起こさないように”という
「警告」だったと思うことにしました。


一緒にエジプト旅行に行った一軒おいてお隣のK子さんご夫婦が、「留守中宜しくね」と言って、
一昨日カナディアンロッキーに向けて出発しました。

マチュピチュのツァーを申し込んでいたのが、そのツァーが中止となり
カナダに住んでいる友人ご夫婦と一緒に2週間、個人でカナディアンロッキーを歩いてくるそうです。

彼女の身軽さが羨ましい・・・


私も結婚25年周年の丁度今頃、カナディアンロッキーに行きました。
あの広大な山と湖の風景
あの清冽な澄んだ空気と青い空
「カナダの爽やかな風が恋しい」・・・

今年は我が夫婦も結婚40周年ですが、遠出は控えて
のちのち後悔しない様に「母が元気になる日」を信じて、病院通いにいそしむつもりでいます。

※今回の画像は今我が家に咲いているお花と、「カナダ旅行」のマイアルバムよりUP致しました。

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エジプト紀行その12・「砂漠街道」のバス横転事故に思う・・・

2010年07月01日 | エジプト紀行
今日から1年の後半の7月がスタートです。梅雨の晴れ間が広がりました
入院中の母のパジャマとタオル類を洗い、主人の汗と泥にまみれた作業着を洗濯しました。

熱戦を繰り広げていた「サッカー・ワールドカップ」も、日本は惜しくもベスト16で敗退・・・
とても残念でしたが「感動をありがとう」と、感謝の気持ちでいっぱいです。


夜半に決勝トーナメントの「パラグアイ戦」が行われた29日の夕方、
弟夫婦と一緒に入院中の母の主治医から、直接話を聞きました。
病名は「急性腎盂炎」
この歳でのこの病気は「再発」を繰り返し、完治は難しいとの事・・・

今の所、連日の抗生物質の投与で熱も下がり、血液中の細菌もマイナスとなり、
辛うじて食事も(介助が必要ですが)、口から取れています。
あとは尿が綺麗になれば退院して施設へ戻れるようですが・・・、

再発・入院が続けばどんどん弱って、いずれ喉を切開しての栄養投与となるであろうと・・・
その場合は次の病院も考えてくださいと言われました

そんなこんなで心が疲れた時に観て感動した「サッカー・ワールドカップの侍ジャパン」
翌日の各TVのワイドショーで観た、PKを外してうなだれる駒野の肩を抱き
一緒に泣いていた松井の姿にウルウルしていた私です


そして、洗濯物の山を片付けながら横目で観ていたTVの画面に飛び込んできた
韓国の俳優&歌手のパク・ヨンハ君の自殺のニュースにビックリ・・・

主人の父が亡くなり、喪に服して過ごした6年前の年末年始、
暇に任せてBSで連日再放送していたノーカット版吹き替え無しの「冬のソナタ」を見て過ごしました。

人気のヨン様には特に惹かれませんでしたが、
婚約者(チェジュウ)の前に突然記憶喪失となった昔の恋人(ヨン様)が現れ、
不安で切ない気持ちを味わうサンヒョク(ヨンハ)に同情しましたよ。

それ以来、ヨンハ君の爽やかな笑顔と低音の声に魅せられて、CDを1枚買った覚えがあります。

私の観た韓流ドラマはその後1本「パリの恋人」で終わりましたが、
32歳の若い韓国の俳優さんが、末期がんの父親を残しての自殺とは、一体何があったのでしょう

ところで、サッカーの予選で日本がデンマークに快勝しお祭り騒ぎのようになった日に流れたニュース
「JTBエジプトツァー・バス横転事故」の情報がその後さっぱり入らず
今の私は両親の事以外では、このニュースが一番気になってヤキモキしています。

       

日本人を乗せた観光バスが、アスワンからエジプト南部のアブシンベルに向かう「砂漠街道」で、
対向車線をはみ出してきた車に接触して横転したそうです。

”現地ガイドの男性(42)が意識不明の重体となり
ツアーに参加した男性2人が右腕を骨折してカイロ市内の病院に搬送されるなど、
日本人11人を含む計13人が重軽傷を負った”


この事故のニュースはNHKTVや新聞などでも取り上げられましたが詳しいことはこちらをご覧下さい。

重体のエジプト人ガイドの名前も発表されていませんが、その後どうなったのでしょうか?

<>

こちらがこの冬に行った我々のエジプト旅行の時の現地ガイドのモハンメドさん(通称モモちゃん)
JTBのツァーの専門ガイドと聞いています。
ご近所仲間と行った7回目の海外旅行でしたが、今までの旅の中での現地ガイド・ナンバーワンでした。

マウスオンでご覧下さい
映画「アラビアのロレンス」を演じたピーター・オトゥールにも負けない素敵な男性
我々4人の瞳が星のように輝いているのも頷けるかと思います

「アラフォー」で3人の奥様と(イスラームは4人まで持てるそうです)6人の子供がいると聞きました。
事故に巻き込まれた現地ガイドさんがモモちゃんに重なりますね。
どうか元気に回復して欲しいと願っています。

「砂漠街道」

1月26日、私たちはアスワンの街から280km南にある「アブシンベル」に一泊して
世界遺産の「神殿」を早朝夜のライトアップ日中と堪能し、再び「砂漠街道」をひた走り
アスワンの街へと戻ります。


旅行者をテロから守るために、観光バスはパトカー先導の軍団で行きますが、
我々のバスの運転手さんは制限速度を守って走っているせいか?
だんだん間があいてきて、追越をかけられたりしていました

この日の私の座席は一番前でしたので、砂漠の中の一本道が良く見えること


もしフルスピードで走って来る対向車が中央車線をはみ出したら、
運転手さんは慌ててハンドルを切って、車体は脇の砂漠の中に突入しそうです。
そして横転

この画像はアブシンベルからの帰り道ですが、今回の事故は行きに起きたらしい・・・
我々もそうでしたが、行きは殆んどの人が寝ていますから、余計に怪我人が出たかと思います。


運転席のすぐ後の席が添乗員さんとガイドさんの席です。
2人とも怪我の被害が大きかったようですね。


一応「速度表示」の看板は立っていますが、守られているとも思えません。
どの車も凄いスピードで走っていました。

「砂漠の中の蜃気楼」

アブシンベルを出発して1時間半くらいたったころ、モモちゃんが「まもなく蜃気楼が見えてきます」
と言ったとおり、砂漠に浮島が出来ていました。


蜃気楼とは大気中の温度差によって光が屈折を起こし、遠方の風景などが伸びたり反転した虚像が現れる現象です。

「どこの風景が映るの?」と思いがちですが、実際にそこに見えている風景が下に変形するだけで、
ある風景がまったく別の方向に投影されるわけではありません。


原理的には真夏のアスファルト道路などに見られる「逃げ水」と同種の現象です。


本当に「水」が流れているように見えますね。
灼熱地獄の砂漠の中で、手持ちの水がなくなったら「きっとだまされるだろう」と実感しました。


およそ3時間・・・
古い方の「アスワンダム」を渡ると「アスワンの街」に到着します。


「ナイル」河畔に広がる、まさに砂漠の中のオアシスの街です。


アスワンの街の中心部は思ってた以上に近代的な雰囲気です。


バスを降りて、最初にナイル河畔の「レストラン」で昼食です
陽射しは強烈ながらも、街には緑が多く吹く風も爽やかでした。

<>

こちらがこの日の「ランチ」です。ひよこ豆とピリ辛のピクルスはもうすっかり御馴染みとなりました。
マウスオンでメーンディッシュもご覧下さい

メニューはムスカ(ギリシャ風ナスの煮込み料理)、カレーのようにご飯にかけていただきます。


レストランのすぐ前は「ナイル川」が流れており、その向うに見える建物がこの日泊まるホテルです。

今回の「バス横転事故」の重傷者は、首都「カイロ」の病院に運ばれたようですが
軽症者はアスワンのホテルで待機と新聞記事で読みました。

このように近代的な大きなホテルがありますから、そんなに不便は感じなかったでしょうが
今の季節のエジプトは、50度近くの猛暑の日々とガイドブックで読みました。
異国での事故は不安がいっぱいだったと思います。

そうそう、4月のアイスランドの火山爆発の影響で飛行機が飛ばなくなり、
ミラノに3日間足止めをくった友人から、自費となった延長分の支払いについての結果報告がありました。

旅行会社からの請求は10500円だったそうです。
「あまりの安さにビックリ、結局飛行機代の自己負担はなかったのよ」
「これならもう2~3日、ノンビリとミラノで遊びたかったわ」と・・・


イタリアのミラノならそう思うかもしれませんが、エジプトの南の砂漠に囲まれた街での足止めは
できたらやはり避けたいですね~





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