花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

エジプト紀行・その4「ダハシュール」&「メンフィス」

2010年02月26日 | エジプト紀行
「ピラミッドが見えるレストラン」でランチを済ませてから、午後は市街地を離れ郊外へ・・・
ギザの南約10km~20kmの所に、午前中に見学した「三大ピラミッド」の原型となる
古いピラミッドが点在しているのです。


まずはバスの車窓から眺めた、マンションが建ち並ぶギザの街の風景をご覧下さい。

道路はどこもゴミだらけ・・・運河の周りもゴミだらけ・・・

清掃車の姿も見えるのですが、ゴミの収集は全然追いつかないようです


ゴミだらけの運河に沿って南下し、サッカラ、メンフィス、ダハシュールへと向います。

やがて車より馬やロバが多くなります。こちらはロバの八百屋さん?



カイロ近郊は世界一の「ナツメヤシ」の産地だそうです。
運河の向う側は一面に広がるナツメヤシの林・・・

それがいつの間にかなくなり、気がつくとバスは砂漠の中を走っていました。
最初はギザから約20km南にある、ダハシュールの古代ピラミット見物です。

ダハシュール
軍事施設があるために、1996年までは非公開だったたダハシュールには6基のピラミッドがありますが
主なものはクフ王の父、スネフル王が建設した2基のピラミッドです。

ギザのピラミッドは市街地と隣接し観光スポットの代表的な存在ですが、
ここは本当に砂漠の真っ只中、お土産屋さんなどはいっさいありませんでした。

「屈折のピラミッド」

その名のとおり、高さ105mの真ん中地点(50m)から傾斜角度が変わっています。
何故こうなったのか?諸説はいろいろあり、

「建設途中で地盤沈下が起きたため、角度を変えて高さを低くし石の量を減らして重さによる崩壊を防いだ」
叉「王の死が近いので工事を急いだ」という説もあるようです。

モモちゃんの説明では「最初の角度では途方もない高さになるため、途中で変更」というミス説でした。


左に見えている崩れかかったピラミッドは、アメンエムハト三世の「黒いピラミッド」です。
他の三基は崩れて丘との見分けが付かなくなっているようです。

「赤のピラミッド」

スネフル王のもう一つのピラミッドは「屈折のピラミッド」の北にあります。
バスはこのすぐそばに駐車しました。

表面の化粧岩がはがれて出土した石が赤いことからこう呼ばれているそうですが、
他と比べて特に赤いとも思えません。

基礎部分の四角形の1辺は220m、高さは105m。
一面が美しい三角形の「真正ピラミッド」ですが、傾斜角度が緩やかなので(43度)、
後に建てられたギザの三大ピラミッドに比べると迫力に欠けます。
しかし「最古の真正ピラミッド」として意義があるようです。

ここも中に入れるようですが、私たちは先を急ぎました。


この「リビア砂漠」の砂の中には天然のガラスが混じっているそうです。
モモちゃんが砂の塊をひっくり返して、光る粒を教えてくれました。

ツタンカーメンの黄金のマスクにも使われている宝石「天然ガラス」
隕石が衝突した時の衝撃と高熱で、砂に含まれるガラス成分がくっつき結晶化した
天然ガラスだと言われています。

この旅行の直前に観たTV「世界不思議発見」という番組でも取り上げていました。
ここリビア砂漠の奥地には大粒の天然ガラスがゴロゴロと落ちているらしい・・・
砂漠にはまだまだ不思議な「ロマン」がたくさんありますね。

叉ここダハシュールは近年石油が掘り出されたそうで、
パイプから激しく燃え上がる炎がはるか遠くに見えました。

メンフィス
メンフィスは今から約5000年前、第1王朝が始まったときに建設された古代エジプト最初の首都です。
歴史的には重要な役割を果たした都ですが、今では荒れ果てた神殿跡が残るだけの、静かな農村でした。


バスは北に戻り、行きに通り過ぎた「メンフィス」の町へと入りました。

「メンフィス博物館」

セキュリーティーを通って入った「博物館」の正面に「ラムセス二世の立像」がありました。
ラムセス二世本人が、メンフィスの土地神を祭った「プタハ神殿」に奉納した高さ7mの像だそうです。

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広場の真ん中に、1912年に発見されたアラバスター製のスフインクス(約10m)があります。
ギザのスフインクスは顔が痛んでいますが、こちらは端正なお顔が残っています。

モモちゃんは「右側からのお顔が素晴らしい」とお薦めでした。
アップのお顔をマウスオンでご覧下さい


新王国時代のファラオ「ラムセス二世」がプタハ神殿前に建てた巨大な像が
今では足首から下の部分が破損したため、建物の中に横たわるように保存されています。

<
顔の部分は保存状態が良く、威厳が感じられるような堂々とした表情です。
マウスオン・クリックでお顔のアップもご覧下さい


そしてこれが古代エジプトの歴代のファラオの中でも「大王」の称号を与えられるラムセス二世の証

モモちゃんの説明では「上(左)から太陽、王様、太陽、波。これがラムセス二世のマークです」
「これからも度々出てきますから覚えてください」と・・・

「太陽の王、光の息子ラムセス」
父セティ1世の没後、22歳で即位したラムセス二世は、其の後67年の永きにわたり国を治めました。
身長180cm以上という当時では並外れた体格に恵まれ、90歳近い生涯のうち200人もの子供をもうけた
超人的なファラオと言われています。(JTBワールドガイドより)

エジプトの旅では、この後の「アベシンベル神殿」でも巨大なラムセス二世と対面する事になり
その功績をあちこちで見聞きし、彼が「ファラオの中のファラオ、神々に祝福された王」
であることを納得させられました。

尚、今回のバスの車窓からの画像の半分は、同行した友人のぷりんさんが写したものをお借りしました。
ぷりんさん、どうもありがとう


         

 浅田真央ちゃん、銀メダルおめでとう

後半のミスが惜しかったけど、果敢に攻めていった真央ちゃんに拍手です

昨日はエジプトに一緒に行ったぷりんさんに「映画」に誘われて出かけました。
南アフリカの黒人初の大統領となった「ネルソン・マンディラ氏」をモデルとした
クリント・イーストウッド監督の「インビクタス/負けざる者たち」を観ました。

「ミリオンダラーベィビー」や「チェンジリング」のような強烈な内容とは違いますが
憎しみあう白人と黒人の対立をラグビーによって融合させたという、
正統派のしみじみと感激する映画でした。

実在するマンディラ大統領を演じたM・フリーマンも味があって良かったし、
C・イーストウッド監督の作品には「ハズレ」がありませんね。

映画の後はランチとお喋りで、私も鬱積していたものが消えてなくなりました。

そして今日は、女子フィギアスケートに熱くなり・・・

「バンクーバー」は私が初めて海外の地に足を踏み入れた最初の街。
「カナディアンロッキー・ハイキング」に行くために降り立った街で、ここで一泊しました。
オリンピック中継を見ていても感慨深いものがあります。

私も、いつまでも抜け殻状態ではいられませんね

コメント (20)
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「センターまつり」

2010年02月22日 | 日常の日記
エジプトから帰国して丁度3週間が過ぎました。

あまりの寒さに身体が固まっていましたが、
いつのまにか陽射しも強くなり、庭に咲いている梅もそろそろ終りです。
マンサクや桜草、クロッカスにスイセンも咲き出して、我家の狭い庭も早春の風情ですが・・・

この3週間は父の病院通いに付き添ったり、1年中で一番忙しい仕事をこなしたりで
ゆっくりと庭を眺める余裕もなかったような気がします。


父のヘルペスの二次感染が快方に向かい、ホッとしたのもつかの間、
アルバイト先の「地区センターまつり」が控えてました。
通常の仕事の他に、会場の準備に追われる日々・・・

当日の2日間はたとえ熱があっても休めない
「我家には主婦がいないのか~」と、夫がわめいても絶対に休めない

そして好天に恵まれたこの週末の2日間、賑やかに「センターまつり」が開催されました。


普段は多くのおじ様たちが囲碁を楽しんでいる娯楽コーナーも、飾り付けがおわり
「カフェコーナー」に変わりました。

美人のスタッフが自慢のコーヒーを入れますよ


喫茶コーナーの横には何故か中華の飾り付けが 


会議室はレストランに変身
こちらの飾りつけとテーブルセッティングも我々スタッフの仕事
一ヶ月前から、通常の仕事の合間に造花や切り絵つくりなどをしていました。

当日のお料理つくりは「男の料理教室」のグループのおじ様たちです

そして体育館ではこの施設を使って活動しているグループの方々の「作品展」が開かれました。
パネルをセッティングし、机や椅子を並べたのも全部私たちスタッフと
地元の連合自治会の運営委員の人たちです。

写真は二つのグループが出展書や篆刻・・・
パッチワークなどの小物類も・・・押し絵や水彩、油絵、絵手紙などが並びます。

「作品展」の横では、各グループの「体験コーナー」が開かれ盛況でした。

そして土曜日の舞台では「フラダンスの体験レッスン」も開かれました。
私も含めて数人のスタッフも仲間入りし、「パリシェール♪」一曲のフラをマスターです。
外野席からは「naoさん、病み付きになりそうだね」との声が・・・

いやいやいや~
ハワイアンダンスは見た目以上に膝と腰、太ももを使います。
翌日は筋肉痛になりましたよ

さて日曜日は、「作品展」以外にも様々な催し物が開かれました。
ロビーには各団体の模擬店が並び、外ではボーイスカウトの「餅つき」


「歩こう会」のおじ様たちは、子供達を相手に綿飴とヨーヨーのコーナーを出店です。


今回の私の担当は「舞台」「カメラ撮影」
日曜日の午前11時からいよいよ舞台の本番です。
幕引きをしたりマイクを用意したり、出演者を誘導したりと息つく暇がありませんでした。


ハンドベルと歌の合唱の次は、地元出身の二つ目の落語家さんの寄席があり、
舞台準備にバタバタバタ・・・
最初にマイクが倒れて冷や汗をかきました。

ドジョウすくいでお馴染みの「安来節」新日本舞踊は「長良川演歌」を踊ります
アダルト世代のフラダンスはシットリと・・・若いママとお子さまのフラはリズミカル♪♪

他にも社交ダンスや、私も習っている自彊術、生バンドの演奏などがあり、午後3時頃まで盛り上がりました。
その後はスタッフ全員で手分けして、いっきに片付けました。

地元の方々のために、縁の下の力持ちとなって動きましたが
「お祭り」が終わってつくづく思うのは、
作品を出したり舞台で演じる側にならない自分がちょっと情けないです。

「センターまつり」は、この公共施設を利用してお稽古に励んでいる方々の一年の集大成
タンゴとルンバを踊った女性の中には83歳の方がいて、自彊術に参加のお爺様は90歳とか・・・
参加された皆様はどなたも若々しくて、目が輝いていました。

そして我が仲間たちも、プロ級の才能の持ち主がいて、
飾りつけは二科展での油絵入賞の芸術家Nさんがデザインし
舞台の司会は元幼稚園の先生のYさんが担当、アドリブをたくさん交えての名司会
ピアノの先生も2人いて、クリスマスの音楽会は彼女達3人が仕切ります

何の取り得もない私は、体力だけを駆使して動き回り、
流石にこの4~5日間はヘトヘトとなりました
我家の食事は簡単な鍋物やお刺身、買ってきたお寿司などで済ませ
夜はバタンキューの日々

コメントを戴いた皆様へのお返事も遅くなり、ご訪問もできずに失礼をしていましたが
今週はようやく一段落・・・
もっか放心状態で、抜け殻のようになっています。

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エジプト紀行・その3「ラクダとスフインクス」

2010年02月17日 | エジプト紀行
パノラマポイントからの眺め


ギザの三大ピラミッドが一同に見える「パノラマポイント」からの眺めです。
左から「クフ王」、「カフラー王」、「メンカウラー王」のピラミットが並んで見えます。
一番右の小さな崩れかけたピラミッドは王妃たちのピラミッド

正面に砂埃で霞んだギザの街が広がっていました。


バスを降りる時全員に、ガラベイヤという色鮮やかな民族衣装が手渡されました。
それを着て一同揃って記念撮影です。

今回のツァーは夫婦連れが6組、女性の2人連れが3組、男性の3人グループ、女性の5人グループ、
そして私たち4人の合計30名(男性9名、女性21名)でした。

この時期の10日間の海外旅行となると、圧倒的に中高年が主流です。
学生さんたちはまだ試験の季節なのでしょう・・・

ここでもたくさんのラクダの姿がありました。

「このツァーではラクダには乗らないのですか?」ぷりんさんが添乗員さんに聞きました。
「以前JTBのお客様がラクダから落下して骨折した人がいるのです。それ以来ツァーには入っていません」
「もし乗りたい方がいらっしゃるならガイドさんが交渉してくれますが、あくまでも自己責任でお願いします」


「砂漠にはラクダでしょう」とK子さんが言い、
好奇心旺盛な私たちはモモちゃんに頼みました。
「一人10$ね。2人乗りの方が安定感がありますよ」と・・・

私と同じ背丈のK子さん、2人とも歩くとガラベイヤがズルズルと引きずります
たくしあげてイザ、ラクダの背中に・・・
気の弱い私はK子さんの後ろ側に乗りました。

「ウァ~ォ
ラクダは後ろ足から立ち上がりますから、一瞬前につんのめりそうになり
慌てて取っ手にしがみつきました。


こちらは私たちの後ろに連なっているぷりんさん姉妹
ラクダの背中は思った以上に高く感じます。

雄大な景色の中を爽やかな風と強烈な太陽を感じながら
ほんの15分程度のラクダ乗り体験でしたが、忘れられない思い出となりました。

「あなた達って勇気あるわね~」と
ツァーの方々から感心(向こう見ずなお転婆ぶりに呆れ果てられた?)されました

「スフインクス」

エジプトと言えば「ピラミッド」、そしてピラミッドと言えば「スフインクス」ですね。
バスで少し戻り、スフインクスを間近で見ることになりました。
(右側にクフ王のピラミッドと太陽の船博物館が見えています)


ここでは三大ピラミッドの中央に位置する「カフラー王」のピラミッドから延びる参道や河岸神殿
スフインクスがセットになった複合体(ピラミッド・コンプレックス)が綺麗に残っています。

スフインクスの左側に見える石組みが「河岸神殿」(昔、ナイル川の船着場があった所)
スフインクスはこの神殿の上から見学することになります。


人面獣身で有名なスフインクスは全長57m、高さ20m。
顔はカフラー王に似せて造られたという説もあるようです。

アラブの侵入後、鼻が削られ、イギリスにはヒゲを盗られたその顔は(ヒゲは大英博物館にあるらしい)、
悲哀にあふれて見えますね


本来のスフインクスはこんなお顔だったと、モモちゃんが見せてくれました。
まるでアニメの主人公のような美男子です


長い前足に支えられるように建っているのは「夢の碑文」

これはトトメス4世が王子の頃、スフィンクスが夢枕に立ち「掘り起こしてくれたら王にしよう」
と告げたという逸話を記したものだそうです(紀元前1400年ころ)

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私達は「河岸神殿」から間近にスフインクスを眺めました。
マウスオンでアップの横顔もご覧下さい

古代エジプトではたくさんのスフインクスが造られましたが、このスフインクスが最大にして
最古のものだそうです。


胴体部分は元々あった岩山を彫ったもので、その後で石灰岩で作った頭部を乗せたと考えられていますが
相当痛みが激しいようで、大々的な修理が必要とか・・・


こちらがスフインクスのお尻
シッポを探してみましたか判りませんでした

ピラミッドもスフインクスも「いつ?何のために?」という疑問が
未だに解明されていません。

「ピラミッドはファラオの墓?」という説が古くからありますが、中からミイラは一つも出てこない上に、
一人のファラオに複数のピラミッドがあったりで決め手に欠きます。

最近急浮上しているのが「ピラミッドは公共事業だった!」という説。
ピラミッドはファラオの威厳を示すモニュメント・・・
年に一回起こるナイル川の氾濫時、仕事が出来なくなった農民達を集めてピラミッドを造らせ、
代わりに衣食住を保障したという説です。

折りしも、私たちがエジプトに旅立つ直前に
「クフ王のピラミッド近くから埋葬された労働者たちの墓が見つかった」というニュースが流れました。
「ピラミッドは奴隷を使って造ったものではない」との裏づけになったと聞きました。

「ランチタイム」

12時をとうに過ぎて流石にお腹が空きました。
旅の案内書には、エジプト旅行一日目のランチは
「ピラミッドの見えるお店でシーフード料理」と書かれていました。

テーブルの真ん中には、ヒヨコマメやピクルス、ゴマだれなどが入ったお皿が並び
ナンに良く似たパンが山盛りに置かれていました。


各自のお皿には、チャーハンに良く似たいためご飯と、お魚の唐揚げが配られました。
味は濃い目です。
お魚はパサパサ
でもナンに良く似たパンはモッチリしていて美味しい
これにゴマのペーストをつけて食べると、食が進みました。

マンゴージュースもドロリと濃くて、ビールもバドワイザーのようなサッパリ感がありグ~
もっとゆっくりしたかったランチタイムでした。

「エジプトトイレ事情」Ⅱ
ゆっくり出来ない原因の一つにトイレ問題があります。
不慣れなトイレに並ぶと時間がかかります

このレストランではトイレの一箇所が詰まって大変でした
「何故水の流れがチョロチョロなの」と誰かが叫びました。
そしてツァーの仲間皆が悟りました。

「トイレの中に大きなゴミ箱がある所では、紙はそちらに捨てるのよ」
紙は水に流してはいけないのです。日本の山小屋方式と同じでした。


       

こちら関東南部も今朝は一面銀世界の風景が広がりました。
例年だと西高東低の気圧配置が続き、晴れ間が多い季節ですが、今年はどうした事でしょう?
ハッキリしないお天気の寒い一週間でした。

父の病状は其の後回復し、病院通いからもようやく解放されました
ブログ仲間の皆様にはたくさんのご心配を戴きありがとうございました

私は父親っ子でしたから、病院の付き添いが苦労とは全然思いませんが・・・
痛々しい父の顔を見るのが辛く、検査に断固拒否する姿に胸が切なくなりました

往復1時間半かけて行った病院で、更に1時間待ち、そして目を開けてくれない父を説得して、
半目を開けた一瞬、たった1秒の眼科の診察でしたが
「充血と目ヤニがないようなので大丈夫でしょう」というお医者様の言葉にホッとしました。

今回の騒ぎで、親より先には死ねないと思いましたね。
弟も親孝行ですが、まだまだ現役のサラリーマン・・・
両親のことに関しては、土日は弟、平日は私が対応していますが、
病院に予約を入れてた日に、主人が車を使ってないのに気づき、唖然呆然

私に代わって面倒を見てくれとは言いませんが
私が親を思う気持、親のために動く行動の足をひっぱって欲しくないと、心の底から思いました。



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エジプト紀行・その2「ギザのピラミッド」

2010年02月11日 | エジプト紀行

バスの窓から、逆光の朝日に浮かび上がった黒く尖った三角形のシルエットが見えてきました。
一番大きな「クフ王のピラミッド」のようです
何だか町のはずれにそびえている「三角山」と言った感じです。

眠れないほど気になっていた私のお腹は、この時点では異常なし・・・
それでも気休めに朝食後「正露丸・糖衣錠」を飲んでおきました。

ガイドのモモちゃんは「エジプトの下痢に正露丸は効きません」
「私が良く効く薬を持っていますから、必要な方は申し出て下さい」と言います。

「これからピラミッド見学ですが、入り口を入ってセキュリティーを通ったら一旦集合の事」
「その後、トイレに行って下さい」との指示があり
トイレに必要な1エジプトポンドのコイン(20円)を一人10枚づつ両替をしてくれました。

ホテルを出発してまだ30分位しか経っていないのに、今トイレに行くように言われても・・・
「エジプトでは行きたい時にトイレに行くのではなく、行ける時に行っておくべきよ」
と誰かが声をあげ、ほとんどの人がトイレに並びました。

ここのトイレは、日本の尾瀬辺りのビジターセンターの横に有るような、大きくて綺麗なトイレでした。

<エジプト・トイレ事情>
エジプトのトイレには清掃も任されている管理者が居ます。
その人に1エジプトポンド(20円)を払うと、トイレットペーパーをちぎって渡してくれます。

チップというより有料トイレと思えば良いのかもしれません。
利用者が支払うお金が彼らの収入と聞きました。

私たちが行く観光地やレストランはどこも西洋式トイレでしたが、
水洗タンクの横に何やら小型シャワーのようなものがついている所がありました。

「アラブ式トイレ」はペーパーを使わずに、左手を使って水で洗うと聞いています。
それで左手は”不浄の手”、握手などでは使わないようにと言われています。
ギッチョの私には、少々面倒なお話しですヮ

そのための機器なのかもしれませんが・・・
私はこのギザのピラミッドのトイレで、水洗タンクの上のボタンを押したら、
わが身に向かって水が噴射され、ビショビショに濡れてしまいました

この日の私は小型のザックを背負い、山用のポロセーターの上に七分丈のウインドブレーカーを着ていたので、
タオルのハンカチで拭くだけでどうにか収まりましたが

「クフ王の大ピラミッド」

長々と話しが横路にそれてしまい申し訳ございません
さぁ~いよいよ本題の「ピラミッド」の登場でございま~す

ギザのピラミッドは今から4500年前の「古代エジプト王国・第四王朝」の時代に造られました。

こちらが一番大きな「クフ王」のピラミッドで、「大ピラミッド」とか「第一ピラミッド」とも呼ばれています。
本来の高さは146mでしたが、現在は頂上部がなくなったため137mです。


頂上の中央に建っている鉄の棒は本来の頂上を示していて、避雷針ではありません。
モモちゃんのお話では「頂上部分は金だったので盗まれてしまった」とのことでした。

かって表面は外装用の化粧岩で覆われていたそうですが、
今では全部盗まれて(モスクの建設や一般住宅用資材に使われたそうです)
ごつごつした岩がむき出しになっています。


ここでは内部見学ができます。
遺跡保存のため1日300人限定だそうですが、流石日本の旅行社さん、ちゃんと切符は手配済みとか

観光客用の入り口は、9世紀に盗掘に入ったアル・マムーンが掘ったものをそのまま使っているそうです。
(切符切りのおじさんが4~5人立っている所です

本来の入り口はもう少し上にあり、現在は封鎖されているので外から眺めるのみ・・・
画像の上の方ですが、分りますか~

内部は写真撮影禁止なので、カメラをモモちゃんに預けてから中に入りました。


こちらは、仲間のぷりんさんが以前イラスト満載のエジプトの紹介本に出ていたとかで
「ピラミッド見学は体力勝負なので、大いに鍛えましょう」」とメールで送ってくれた画像です。

旅行前に大笑いしながら読んだ「エジプトがすきだから」という
JTBから出版された本に記載されていたような・・・?
まさにこのように、薄暗い中を中腰で進むのです

蒸し暑くてかび臭い中、ハシゴの上り下りもあったりで汗が滲みます。
太った西欧人とのすれ違いは至難のワザとなりそうでした

大回廊の先は更に天井の低い登り通路となり、
前の人のお尻だけを見て手すりにしがみつきながら進むとやがて「王の玄室」に出ますが
大きな石棺があるだけの暗くて殺風景な空間でした。

「カフラー王のピラミッド」

私たちは更に真ん中に位置する「カフラー王」のピラミッドの中にも入りました。
これらすべてが有料ですが、私たちの場合は旅行代に含まれていました

高さは143m、クフ王のピラミッドよりも小ぶりですが、表面をおおっていた化粧岩も上部と下部の一部に残っており
「エジプトでもっとも美しいピラミッド」と言われているそうです。

「太陽の船博物館」

「クフ王のピラミッド」のすぐ脇に、
このピラミッドから発見された世界最古の大型木造船を展示した「博物館」があります。
ここでもセキュリティー検査を受けてから、靴カバーをはいて見学しました。


発見当時はバラバラに解体された状態で、ピットという溝に埋められていたそうです。

「太陽の船」とは、亡くなったファラオの魂が天空を往来する時に使うもの

博物館の船は1954年に発見されたそうで、
その後1987年に日本の調査隊(吉村先生!)が第二の「太陽の船」を発見しています。

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マウスオンでご覧下さい

この博物館では14年間かけて復元したという「第一の太陽の船」を展示し
二階の通路からグルリと見学できるようになっています。


ピラミッドの一つ一つの石は、人間の背丈よりも大きなものです。
自然界の雄大な山々を見慣れた私には、ピラミッドの大きさはさほど驚きませんでしたが
これらを人間の手で積み上げた事に圧倒されました
それも今から4500年以上も前に、何を使ってどのように


「太陽の船博物館」横から眺めた「カフラー王のピラミッド」と、その周囲の風景です。
ラクダの奥に見えるのが第三のピラミット、一番小さな「メンカウラー王のピラミッド」でしょうか・・・
その南側には王妃たちのピラミッドが有るようです。


そのままカメラを左に移動すると「西方(リビア)砂漠」が広がっています。
やはりピラミッドの背景には砂漠が一番似合いますね


更にカメラを左に移動してみると、カイロ首都圏の街が迫ってきています。
この日、ギザの高台から望んだカイロ方面は、砂埃でボンヤリと霞んでいました。

朝の内は風が冷たくて日本の「晩秋の寒さ」でしたが、
10時を過ぎると太陽の光がいっそう強くなり、初夏の暑さになりました
エジプトでは、1日の中に四季があるようです


各国の観光客を乗せた大型観光バスが、ゾクゾクと集まってきました。
今頃着たのでは、ピラミッドの内部見学はできるのかしら?

私たちは正面に見えている「カフラー王」のピラミッドをもう一度振り返りながら
この地を後にしました


     

12日追記
父のヘルペス騒ぎがあって忘れていましたが
帰国してから1日休んだだけで仕事に出た私、流石にぼお~っとしていたのか?
車を仕事先の駐車場のポールにぶつけて、凹ませてしまいました

嗚呼、修理の見積もりが今日出ましたが、16万円強
保険を使うことになりますが、我家の車の保険料はいつまで経っても全然安くなりませんわ

3日連続の点滴が功を奏して、父の顔の腫れはほとんどなくなりました。
病院の付き添いが、取りあえず一段落したとたん、私は目が廻りだしました。
腰と肩はバリバリ、頭はクラクラ、耳鳴りまでしています。
体がドーンと重くて家事をする気になれませ~ん

私の帰国と入れ替えのように、3泊4日の仕事を兼ねたゴルフ旅行に出かけた夫が帰ってきて
まるで明治時代の姑のように口うるさくゴチャゴチャと言い出して
時差ボケの最中に、仕事と父のことでバタバタしていた私は完全にプツンと切れました

父の病気は一見良くなっているように見えても、脳や目の神経に水疱瘡の菌が作用しているので、
未だに要注意なのだとか・・・

来週は叉仕事が始まり、そして父の検査のための病院行きにも付き合わなければなりません。
エジプトから帰った私の現実はストレスだらけの日々・・・
あの10日間は「夢だったのか?」と思う昨今です。

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エジプト紀行・その1「カイロに向けて出発」

2010年02月08日 | エジプト紀行

今回の旅行は、JTB通販の「旅物語」”感動のエジプト紀行10日間”を利用しました。
(詳しい日程は上のURLをクリックしてご覧下さい

3ヶ月前に、各社のエジプトツァーのパンフレットを大量に集め、
実際にエジプト旅行の経験がある仲間のお嬢さんに見てもらって候補を絞りました。

JTBの海外旅行ブランド「LOOK」と同じ様な所を回り、ホテルも似たり寄ったり・・・
それでいて30万円を切るお値段に魅かれて申し込みました。

「LOOK」と比べれば、食事の内容が劣っていたようですが、
私たちは特にエジプトにグルメは期待していませんでしたのでヨシとします。

<1月23日・成田国際空港第二ターミナル集合>
エジプト航空のカイロ直行便は14時25分出発
その2時間前の12時25分が集合時間です。

私たちは「成田エキスプレス」で早めに出かけ、空港で昼食を済ませて、
正午過ぎに「旅物語」のカウンターに行きました。

すでにエジプト航空の搭乗手続きは始まっていて、希望の窓側の席は取れず、
真ん中の4列に並ぶ事になりました。

各自で搭乗手続きを済ませてから、ツァーの一同が集まり、
30代前半の女性添乗員H島さんから説明を受けました。
参加人数は30名、中にTVで見覚えのある芸能人ご夫妻の姿がありました。


各自でセキュリティ検査を受け、出国手続きを済ませて、途中DFS等でお買い物をしながら
エジプト航空機の搭乗口にたどり着いた時は、集合時間ギリギリの2時・・・
すでに機内への搭乗が始まっていました。

主人との旅なら「何グズグズしているんだと怒鳴られたに違いありません

飲酒を禁じているイスラームの国ですからエジプト航空機内ではアルコールは出ません。
ただし持ち込みはOKなので、搭乗口近くのお店でビールと水も買いました。

中に入り、飛行機に乗り込む手前でもう一度セキュリティー検査があり、ボディーチェックまで受けました。
テロの頻発する国への旅行を実感し、少々緊張を覚えます。
座席にたどり着いた時は汗だくでしたが、「ホルス」のマークを見てホッと一息付きました。

私たちが乗ったエジプト航空MS965便は、30分ほどの待機を経てから、午後3時に飛び立ちました。
カイロまでの飛行時間は15時間です


「ホルス」とはエジプトの神話に登場する天空と太陽の神。
通常はハヤブサの頭をした男性として表現されています。

シートベルトのバックルや背もたれシート、お食事用のナイフやフォークにも「ホルス」の姿がありました。
モチロンエジプト航空のマークにもなっています
このホルスのお話しは、エジプトの「イシス神殿」でシッカリと説明を受けました


去年の今頃「バリ島」に行きましたが、その際は「ガルーダインドネシア航空」を使いました。
あの「ガルーダ」も、ヒンズー教の神鳥です。

「日航も以前の鶴のマークの方が断然好いのに、何故変えたのかしら?」という声が飛びました。
「あのような赤丸にしたから赤字になったのよ」という意見も加わりました。

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夕方の4時半頃に最初のお食事が出ました。
マウスオンでご覧下さい

K子さんがチキン、私はビーフを頼みましたが・・・
この先、飽きるほど硬いお肉料理を食べる事になるのですから、この時はお魚料理が食べたかったですね。


乗り馴れたカンタスパース便と同じ、窓側2列、真ん中4列で、座席にモニターがない古い型の飛行機です。
正面の壁に掛かった画面を写しました

空路は鳥取沖から日本海に出て、朝鮮半島を横断し、チベットの北のゴビ砂漠の上空を飛んでいるようでした。


お喋りにも飽きてウトウトしていた頃、こんなものが配られました
シャケのオニギリが美味しかったこと、ドラ焼きはバッグにしまい込みました。


真夜中の1時過ぎに再びお食事タイムです。天丼もありましたがとても胃が受け付けません。
海鮮オジヤにして正解でした。美味しかった~

エジプトとの時差は7時間ですから、これはきっと夕食なのでしょう。

日本時間の翌朝の6時近く、現地時間の午後11時頃に「カイロ国際空港」に無事到着
流石に15時間の狭いエコノミー席での飛行は疲れ果てました。

空港内の両替コーナーで、K子さんと2500円づつ出し合って、取り扱い最低単位の5000円分を
エジプトポンドに替えました。
今回は細かい米ドルをたくさん持ってきましたから、現地ポンドはトイレ用のチップのみとしました。

カイロの宿はギザのピラミッド近くの「アマランテ・ピラミッズ」
空港からバスで40分くらいの所にあるらしい・・・

バスの中でイケメンの現地ガイドさんの挨拶がありました
「私はモハンメドと言います。モモちゃんと呼んで下さい。カイロ大學の文学部を出て日本に留学しました」

真夜中のカイロの街は賑わっていました。
お酒も飲まないのにこの陽気さは何だろう?

12時過ぎにようやくギザのホテルに到着
「このジュースは安全です」と言われたウエルカムドリンクを飲みながら
添乗員さんからお部屋の鍵を渡され、説明を受けました。

「明日朝のモーニングコールは5時45分、レストランは6時から開いています。」
「各自で朝食を済ませてから7時15分にロビー集合して下さい」とのこと・・・
ひぇ~、一体何時間寝られるのかしら~

「私は5時45分のモーニングコールでは間に合わないから、5時半にしてちょうだい
粋でスマートなオバサマが声をあげました。
「ツァーでそれは無理というもの・・・」誰かが呟きました。

「JTBのお知らせには目覚まし時計が必要とは書いてなかったわよ
と、オバサマが更に声を荒げました

1月24日「ギザのピラミッド見学」へ
生野菜とカットフルーツはパスですチーズはまぁ~まぁ~かな?
パンは充実していて美味しい旅は体力勝負!、シッカリ食べました


こうして改めて画像を見てみると、エジプト第一日目の朝食をキチンと食べていましたね。
私、このホテルの事はさっぱり覚えていないのです

前夜、翌日の衣類や持ち物の準備をしてからお風呂に入り、ベッドに横たわったのが2時過ぎ
「水道水は飲まないで下さい。歯磨きもペットボトルのお水でするように」と添乗員さんから言われていたのに、
ウッカリ水道水で口をすすいでしまった
もう気になって眠るどころではありませ~ん
興奮と寒さも加わって一晩中悶々としていました

隣のベッドのK子さんを見るとダウンコートを着て寝ているではありませんか
私も慌て羽織りましたよ。


ナイル河畔の交通の要衝として中世に建設されたカイロの街は、
長い時代を通じてイスラム世界における学術、文化、経済の中心でした。

現在のカイロ首都圏(ナイル河西岸のギザ市含む)の人口は1525万人・・・
アフリカ大陸、中東地域の中での最大の都市です。


マンションが林立し、朝から車の大渋滞・・・
クラクションがけたたましく鳴り響き、喧騒の朝でした。


馴染みのなかったアラビア文字の看板が異国の文化を感じます。
信号や横断歩道などはほとんどありません。あったとしても信号は守られないとか・・・
車の間を人々はすり抜けて行きます。
日本人にはまず無理だろうなァ~


ピラミッドは遠い砂漠の中にあるわけではありません。
騒音の街の建物の向うに「ピラミッド」が見えてきました


      

昨日の日曜日、友人のマルさんからTELがありました。
「エジプト旅行記を楽しみにしているのに、全然UPされないからダウンしたのかと思って」と・・・

一緒に行った友人は帰国してから下痢が続き、腸炎と診断されて抗生物質を飲んだようですが、
私は一応は元気で居ます。

ただ父が目の周りのヘルペスに罹り、顔半分が腫れあがりました。
無意識に傷口を掻きむしるので、二次感染を起こしひどい事になりました

私のエジプト旅行の間は両親共々元気にしていたようで、ホット胸をなでおろした矢先の出来事です

失明の危機が有るとかで、私は父に同行し、皮膚科、眼科と掛け持ちして、
待ち時間2時間が当たり前の総合病院での、毎日(日曜日も!)の点滴に付き添っています。

仕事も一番忙しい第一週目で、時差ボケもあり、流石に睡魔には勝てずPCに向かう元気はありませんでした。
コメントのお返事も遅くなり、皆様の所へのご訪問もままならず申し訳ございません

仕事の週がやっと終わって少し余裕が出ましたので、エジプト旅行記第一弾をUPしました。
長い記事で読んでいただく方にはご迷惑をおかけしますが、私の保存版の旅行記ですので
お付き合い宜しくお願い致します。

お忙しい方は遠慮なくスルーしてくださいね。

     

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エジプトから無事帰国

2010年02月02日 | エジプト紀行
ギザ「カフラー王のピラミッド」と「スフィンクス」

2月1日の正午過ぎ、私たちが搭乗した「エジプト航空・MS964便」は無事成田にランディングし
10日間の感動の「エジプト旅行」から現実の日本に戻りました。

「成田エキスプレス」に乗り、横浜の我家にたどり着いた頃には、冷たい雨が本降りとなり・・・
強烈なエジプトの太陽を浴びてきた身には堪えました。

連日の脂っこいエジプト料理に胃腸が流石にお疲れモードで
夕食は近くの海鮮レストランに行き、夫婦でお刺身とお寿司をたらふく食べ、
熱燗でお互いの無事をねぎらいました

レストランから戻る頃には、雨が雪に変わり、心身の切り替えが難しい所ですが・・・
大きな気温差は5年間のオーストラリアのパース通いですでに体験済みですので、
さして問題はないでしょう

夕食後はベッドに倒れこむようにバタンキューでしたが、
真夜中に目覚めこの帰国報告のブログを綴っています。

エジプトとの時差は7時間、オーストラリアのパースは時差無しでしたので
暫くは時差ボケとの戦いが続きそうです。

「アブ・シンベル神殿」

今私の頭の中には、3000年~5000年前のファラオの息づかいが感じられる遺跡の数々と
悠久の時を越えて流れるナイル河
ざわめきと静けさが交差する「カイロ」の街とそこで生活するイスラームの人々・・・
それらがグルグルと廻っています。

エジプトに関する画像はTVなどでも度々紹介され、私の想像もそれなりに膨らんでいましたから、
「ピラミッド」も、数々の「神殿」「王家の谷」のお墓も、その壮大さにはさほど驚きませんでしたが
日本がまだ縄文式土器の時代に、エジプトではすでにこのような文明が花開いていた事に圧倒されました。

旅の最終日はカイロの「考古学博物館」見学でしたが
王としての在位が短い「ツタンカーメン王」のお墓から出土された数々の展示品の
現代に通じるモダンさと精巧さに感嘆しました。

もっと偉大なる王たちの墓にはどんなにか素晴らしい品々が埋っていたのかと・・・
そしてそれらはいずこにと・・・
ミステリアスな思いにも駆られました。

ツァー旅行でしたからすべてに慌しく、ゆっくり撮影する時間もとれず、
PCに取り込んで見てみると絵葉書的な画像ばかりでさして面白味はありませんが
現地ガイドさんと添乗員さんに恵まれて快適な旅が続けられ
楽しいお話がたくさん聞けました。

頭の中を整理するには少々時間がかかるかもしれませんが
ジックリと急がずに、私自身の記録のための「旅行記」を綴って行きたいと思います。


ルクソール「カナルック神殿」

一番心配だった体調も、エジプト入国後はストンと元気になり
我が仲間4人共、誰一人としてお腹も壊さずに無事に乗り切れました。
恐れていたトイレ問題も、ガイドさんの配慮で不快な思いをすることはありませんでした。

ツァーには若い方も数人いましたがほとんどが中高年・・・
それでも過酷なスケジュールに脱落者もなく、全員元気で帰国できましたので
エジプト旅行はそう恐れる事は無いと思います。

テロ対策としての厳重なセキュリティーが、頼もしいと思う反面少々煩わしいですが
(観光施設はモチロン、ホテル、デパートまであります)健康で普通の体力があれば問題ありません。

「行きたいけどもう無理かしら?」と思っている方が居るようでしたら、迷う事はありません。
日本の大手旅行社のツァー旅行なら大丈夫です。是非ご計画ください。

しばらくは頭がぼぉ~として現実の生活に戻るには時間がかかるかもしれませんが
まずは元気で帰国した事のご報告です。




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