花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

ワンゲルの会・総会参加と「三渓園」散策

2016年06月17日 | 庭園めぐり
梅雨空が続いていましたが、この週末はマークの予報が出ています。

ご紹介が前後しましたが、5月末に横浜市戸塚区の総合庁舎にて
「ワンゲルの会」の定時総会が開催されました。

出席者は32名、入会してまだ1年半の私が出席するのもおこがましい思いでしたが
会場が我が家からバスで20分で行ける近さなので、去年も今年も参加しました。

総会後、城島紀夫氏による「日本ワンダーフォーゲルについて」の講演があり、
近年はどの大学も山岳部やワンゲル部が廃部となり、スマホやPCの発達で
コミニケーション能力に欠ける学生が増えているというお話でした。


今回は崎陽軒のお弁当が出て、午後からは電車で移動し「三渓園」に繰り出しました。

「三渓園」散策(5月28日)

流石にワンゲルの会、JR京浜東北線の「根岸駅」からバスで10分の所を歩いて
「三渓園」まで行きました。

高速道路沿いに進み、スイレンの咲く池が見えてくると三渓園の南側に隣接している本牧市民公園です。
ここには友好都市の間柄にある横浜市と中国の上海市が、お互いの地にプレゼントし合った友好園があります。
上の画像は上海横浜友好園の「湖心亭」

尚、三渓園の駐車場は反対側の正門横ですが、本牧市民公園の駐車場の方が広くて安かったはずです。

ビヨウヤナギ「キンシバイ」が見頃を迎え・・・「湖心亭」の建つ池には白いスイレンが見事でした。


入園料500円を払って、南門から入場しました。
ただし私のような65歳以上の横浜市民は、浜カードや敬老パスなど証明するものがあれば無料です。


公園内は各自自由散策です。
前回の「平安鎌倉古道」を一緒に歩いたリーダーさんご夫妻が「三渓園」に詳しいので着いて行き
最初に「松風閣」の展望台に上がりました。

目の前には高速道路が走り、石油コンビナートのタンクが並んでいます。
私の娘時代の頃はすぐ前に海が広がっていたのですが、埋立てられ工場地帯となり・・・
すっかり景色は変わりましたね

「三重塔」(国の重要文化財)
京都の燈明寺にあったもので、1457年の建築。


園内の小高い丘の上に移築されどこから眺めても美しい、絵になる建物で
三渓園のシンボル的存在です。

三重塔横から眺めた風景、背景の建物は本牧界隈のマンション群です。


下に見える「大池」まで下ります。


こちらが正門に近い「大池」から望んだ三重塔方面の景色・・・
写真を趣味とする者にとっては三渓園の典型的なカメラスポットです

この日は梅雨間近を感じさせるうす曇りの空模様・・・
青い空を背景に撮影できなかったのが残念でした。


この5月末の土曜日は、丁度菖蒲が見頃で絵になりましたね。

三溪園は生糸貿易により財を成した実業家 原三溪の住まいがあった所です。
原三渓はこの土地に歴史的、文化的価値がある数多くの建築物を移築、保存し、
明治39年一般に公開しました。

175,000m2に及ぶ園内には京都や鎌倉などから移築された歴史的に価値の高い建造物が巧みに配置され
現在、国の重要文化財10棟・横浜市指定有形文化財3棟が、横浜市により管理されています。

黄色のスジ模様はアヤメでなくて花ショウブ?
山小屋さんご指摘でカキツバタだそうです。
サツキも見頃で「サツキ展」もやっていました。


※ネットや夫の机の前に貼られている「菖蒲類の見分け方」という図には「アヤメの花弁のスジは網目模様」
「花菖蒲のスジは黄色」、そして「カキツバタは白」と記されいて、私はそれを信じてしましたが・・・?


この池の周りには、甘味処やお蕎麦屋さんもあり、ここで再集合でした。
殿方はビールを飲み、女性群はソフトクリームにパクつき・・・

一眼レフカメラを持参した私は、撮影に歩きまわっていました。
そしてここで解散・・・

お酒の好きな殿方は「中華街のお店に集合」だそうですが、大御所の理事さんが多く
新人の私は何人かの女性群と残り、再び三渓園内を散策しました。

臨春閣 りんしゅんかく(国の重要文化財)
1649年、和歌山県の紀ノ川沿いに紀州徳川家の夏の別荘として建てられたものです


花嫁・花婿の姿があちこちに見られました。
由緒ある建物で披露宴もできるとか・・・

お琴の師匠である山仲間はここで「観月演奏会」に参加しましたこちらで紹介しています

聴秋閣 ちょうしゅうかく(国の重要文化財)

1623年に、3代将軍徳川家光が京都の二条城内に造らせたものです。

4年前に撮影会で来ていますが、三渓園の中でもこの辺りは秋の紅葉が素晴らしいですこちらです

東慶寺仏殿(国の重要文化財)

鎌倉の東慶寺にあった仏殿を移築したものです。1634年建立。


この日は土曜日、ボランティアさんの姿が多く、面白おかしく説明してくれます。

「この意味わかりますか~?」
「お酒や肉、香辛料を食べた人は通っては行けないという標識です」

蓮華院

原三溪が大正6年に建てたもので、6畳と2畳の畳中板の茶室があり
土塀と壁には宇治平等院鳳凰堂に使われていた太い円柱と格子があるそうです。

園内のお茶室はサークルなどのお茶会にも使えますので、この日も和服姿のご婦人がたくさん見られました。

御門(横浜市指定有形文化財)

1708年(宝永5年)頃建築の、京都東山の西方寺にあった薬医門だそうです。

ここにも花嫁・花婿さんが・・・
こちらはモデルさんでしょうか?

「由緒ある建物のお部屋でお料理付き、40人で140万円の結婚式ができるから利用して」と
ボランティアさんは宣伝します。

「我が家の孫娘はまだ8歳だから、利用するとしても早くてあと15年後だわ」と答えると
Hリーダーの奥様が「何言ってるの、naoさんが結婚式すればいいじゃない」と・・・

「相手がいないから探して下さい」とふざけて返事したら、最近は身体を考えてお酒の席には参加せず
残って女性群と一緒に歩いたリーダーが「すぐにくたばりそうな金持ち探してあげる」ですって

先週から今週にかけて私はパソコンの不具合と孫守が続きバタバタしていました。
連日時間があると、PCのデーターのバックアップをする日々です
その上gooのメンテナンスが長引き、マイブログだけでなくお仲間のブログも見られず慌てましたわ。

我が家の駐車場の電動シャッターのリモコンも効かず(電池替えても動かない!)、車も知らない間に傷が
庭や畑も茂りに茂って、頭を悩ませています。

私の望むお相手は大金持ちでなくてもいいけど、PCと電気と車に強くて子供好き・・・
家と庭の維持や畑も元気にこなす面倒見の良い人が希望

今更同居はしち面倒くさいので、近くに住んで「夕食時だけ一緒にお酒が飲める人」が好い。

もっともそんな都合のいい独り者など居るはずないし、もし居たとしても私の歳では相手にされず
第一私は突然逝ってしまった夫がまだ忘れられな~い

我地域でPC相談室を開いている写真仲間のS氏に助けを求め、庭と畑はご近所仲間ののんちゃんご夫妻に・・・と
それぞれにお願いして頼りにしている昨今ですわ。


コメント (32)
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「旧古河庭園」の日本庭園

2008年06月30日 | 庭園めぐり
あっと言う間に今年も半分が過ぎました。
お正月に立てた目標がほとんど出来ていない自分に焦ります。
「ノンビリ、マッタリと過ごしたい」と思っていますが・・・
自分で自分を忙しくしている私には、到底無理なのかもしれませんね~

さて・・・
今回も「旧古河庭園」の続きです。



洋館からバラ園の間の階段をドンと下ると深い木立が広がります。
深山の境と言われる森です。

日本庭園への入口はシイを主体にした濃い植込で、明るい洋風庭園とは雰囲気が一変します。
さらに奥は、シイ、モチノキ、ムクノキ、カエデなどで構成され、この庭園で一番深い植込になっていました。



そしてその先に見えてくるのが心字池。
「心」の字に似せて造った池で、日本庭園の中心です。

パンフレットによると、日本庭園の作庭者は、京都の庭師・植治こと小川治兵衛で、洋風庭園にも勝るとも劣らない魅力的な名園を造り上げました。

主人はバラ園には見向きもせずに、こちらの日本庭園に直行していました。



正面には「荒磯」、雪見燈篭、枯滝、石組、そして背後には築山が見られます。

「旧古河庭園」は大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、平成18年に国の名勝に指定されたそうです。



灯篭にもそれぞれ種類があり、呼び名も違うようですね。
手前右の灯篭は「雪見型灯篭」・・・
詳しい意味は説明板をご覧下さい




人なれしているカモ君が居ました。
近づいても逃げません。
お目目の周りの毛が薄くなっていて、もう相当なお年のようですね。

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相方さんはどこ?
お水を飲んでいました。マウスオンでご覧下さい



お茶室などを見ながら一回りして来ました。
アジサイやクチナシが咲いていましたが、水辺のハナショウブはほとんど終りのようですね。
それがちょっと残念でした。



こちらは「奥の院型灯篭」
池のすぐ横にあった「雪見型灯篭」とは全然違う形ですね。

この日は雨が降ったりやんだりの、典型的な梅雨空でしたが・・・
緑がいっそう鮮やかに映えて、しっとりと落ち着いた日本庭園が楽しめました。



こちらが「旧古河庭園」の入り口です。
入園料が一般150円、65歳以上70円(小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)だそうです。

駐車場がありませんので、2台の大型観光バスは道路に横付けでした。

ご町内の仲間103名が参加した文化部主催の「バスツァー」
知った顔がチラホラと見えましたが・・・
主人は「この地に住んで20年になるけど、知らない人ばかり」と唸っていました。

昭和40年代の中ごろから大手デベロッパーにより大々的に開発された横浜郊外の我が住宅地・・・
居住者はほとんどがサラリーマンですが、最近はリタイヤ組の方が多くなりました。
殿方もそろそろ住んでいる地域に目を向ける時期なのではないでしょうか・・・
今回の参加者も7割が奥様達でした。

※「旧古河庭園」の詳しい情報はこちらを参考にしてください。

コメント (16)
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「旧古河庭園」のバラ

2008年06月28日 | 庭園めぐり

そぼ降る雨の中、主人と自治会の文化部が主催した「バスツァー」に参加して東京見物をしてきました。

まず最初に向かったのが、北区西ヶ原にある「旧古河庭園」です。
今の季節はバラが綺麗でした。

毎年、お花の綺麗な5月6月は、花と緑を追いかけて車で遠出をするのが恒例の我が家でしたが・・・
今年は主人の目が思わしくなく、長距離ドライブは諦めて大人しくしている日々でした。
彼は仕事柄、常日頃「浜離宮」や「六義園」などの日本庭園を見たいと言っていたので、気楽に参加できるこのようなバスツァーは渡りに舟だったのです。



洋館の南側に面したバルコニーの外側から中の部屋を覗いてみました。
アンティークな照明器具に興味を持ちましたが、前もって葉書で申し込んでおかないと邸内の見学はできません。

南側のバルコニーに立つと石垣の階段を真ん中に、左右に広がるバラ園が見下ろせます。
「こんな中で生活してみたい」とどなたかが呟いておりました。



パンフレットを読むと・・・
「ジョサイア・コンドル設計で、左右対称の幾何学模様の刈込のフランス整形式庭園と、石の欄干や石段・水盤など、立体的なイタリア露壇式庭園の技法を合わせた庭園です」と書かれていました。



こちらは我が家の庭にもあるバラ「クィーン・エリザベス」です。
バラと洋館が調和した、絵画的な景観美が味わえますね。



時々雨が落ちてきて、終りに近いバラも活き活きと見えました。
こちらは「芳純」
ほんのりと甘い香りが漂っていました

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ピーチ
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アップで撮ったバラをnon_nonさんのソースをお借りして纏めました
小さな写真にマウスオンしてご覧下さい。
バラの名前は何百種?、とても覚えられません



こちらは東側から見た洋館です。

鹿鳴館やニコライ堂などを設計した「J・コンドル」最晩年の作で、大正6年5月に竣工しました。
躯体は煉瓦造、外壁は真鶴産の新小松石(安山岩)の野面積で覆われ、屋根は天然ストレート葺き、地上2階・地下1階となっています(パンフレットより)

「今日の様な雨の日は、外壁の石が濃く浮き上がってとても綺麗ですよ」
バスガイドさんの説明どうり、緑の中にくっきりと浮かび上がっていました。

一番右側が「サンルーム」のようですね。


ガラス戸の外から「サンルーム」の中を覗いてみました。
真ん中に水場があって・・・
左右対称のデザインと色彩がとてもモダンですね



こちらが北側にある玄関です。

ここは明治の元勲「陸奥宗光」の別邸でしたが、その次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となったそうです。

大正初期に建て替えられて、関東大震災後は貴賓の為の別邸となり、昭和14年頃には後に南京政府を樹立する国民党の汪兆銘が滞在したとか。

日露戦争や第一次世界大戦に勝利した頃の・・・
日本人の「西洋に追いつけ、追い越せ」という気概が感じられる生活がここにあったように思いました。




コメント (24)
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京都「庭園めぐり」

2006年10月22日 | 庭園めぐり
晴天に恵まれた21日(土)、主人の「京都庭園めぐり」に付き合いました。
JR東海が募集している、50+という中高年向き新幹線利用の日帰り旅です。


京都に着いて最初に向かったのが大原の「三千院」
上の写真は三千院の源とも言われる「往生極楽院」です。
ここにある国宝の「阿弥陀三尊像」は流石に素晴らしかったですね
主人はお庭の写真を取りまくっていましたが、私はシッカリとご講話を聞き、お参りしました。

「日本庭園の魅力はこの苔だよな~」と主人は呟いておりました。


こちらは三千院の近くにある「宝泉院」の中庭「鶴亀庭園」
小さな池が二つありました。

お座敷でお抹茶をいただきながらしばし「額縁庭園」の風情を満喫しました。


京都でも北に位置する「大原の里」
木々の先に紅葉が始まっていました。

大原で昼食を含む3時間の時間が与えられて、ノンビリできましたね
私にとっては三度目の、主人にとっては四度目の大原でした。








次に訪ねたのが、岩倉にある「実相院」
狩野派の画家の襖絵と、床に映るお庭の木々の色が素晴らしいお寺ですが、撮影は禁止されていました。

中庭の他に比叡山を借景に造られた「石庭」があります。
比叡山は大きな木の間に見えていますが、「借景があってこそ活きる日本庭園」と、主人の説明が入りました。


中庭の池のほとりに濃いアカバナダイモンジソウが咲いていました。
こんなに大きくて濃い色は始めて見ましたね










最後に訪れたのが「詩仙堂」
写真は中側の入り口です。
主人が「ガイドの説明が聞きたい」と、添乗員付きのツァーで来ましたが、説明はバスの中だけで、各お寺では時間が与えられて自由に見学する形式でした。


詩仙堂のお庭は広くて、ししおどしのコーンという音が響いていました。
私たちはほとんどお庭に出ていましたね。
ツツジと紅葉が有名ですが、季節の小花も多いようです
たくさんのホトトギスが咲いていました。




この小菊は何でしょう?
主人はノコンギクと申しますが?
まだまだ佇んで居たかった詩仙堂ですが、残念ながら新幹線の時間もあって後にしました。
今秋のJRの「京都キャンペーン」のコマーシャルやポスターはこの詩仙堂だそうです。
楽しみ!楽しみ!



こうして日帰りの「京都庭園めぐり」はあっという間に時間が来てしまいましたが、気持ちの良い秋の風の中、夫婦で楽しく巡ることができました

一つ一つのお寺の詳しい紹介はいずれ「中欧旅行記」と「山陰旅行記」が終わってからUPしたいと思っています。
記録写真ばかりが増えて焦っていますが、一日中パソコンに向かっているわけにも行きませんものね
コメント (18)
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