沖縄にも史上初めて雪が舞ったそうな
23日(土)の親友taeさんの49日法要と納骨式は幸い雪にはならずにホッとしましたが・・・
TVでは翌日の日曜日も、できるだけ外出しないようにと呼びかけていた
ですから24日のワンゲルの会「逗子・葉山のワンデリング」の参加も決めかねてしまい
当日の朝6時半に起きて、空を見上げて行く決心をしました。
このトップの写真は、この日歩いた葉山の真名瀬海岸からの眺め
富士山の左に連なる山々は箱根連山です。
「相模湾を見ながら葉山御用邸まで歩きます」と謳った
逗子の桜山から大峰山(三ヶ岡山)へのハイキングは、
風が冷たいながらも、青空の下で楽しむ事ができました
「六代御前の墓」から「桜山」へ(1月24日)
京急「新逗子駅」に9時半集合、参加者は男性7人、女性4人の合計11名でした。
駅から10分ほど歩くと・・・
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三浦半島には“源氏”関係の史跡などは数多くありますが、
ここはなんと!、平家最後の嫡男、六代御前のお墓です。
有名な平清盛の曾孫にあたる方のお墓が、なぜ源氏の地に
大きなケヤキの根元に抱かれるようにして六代の墓の墓がありました。
石の墓石は江戸時代になって建立された物だそうです。。
長柄桜山古墳群
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風は冷たいものの身体が汗ばんできて、上のダウンを脱ぎました。
登り切った所で展望が開け、眼下に相模湾が広がっていました。
正面に江ノ島が見えています。
風が強くて、海には白波が立っていて・・・
普段の穏やかな湘南の海とは違って見えました。
この逗子と葉山の境界線の丘のような所が「前方後円墳」とは驚きです
詳しいことはこちらをご覧ください。
この長柄桜山古墳群は、平成11年3月、葉山桜山団地西側の山頂(現在の第1号墳)で、
携帯電話の中継基地建設工事に伴う小規模な伐採及び整地が行われた際、
埴輪片を発見したことをきっかけに、その存在が公に知られるようになったとか
首都圏といえどもまだまだ知らない遺跡が眠っているのですね~
歩いている限りでは、ここが古墳とはさっぱり判りませんでしたが。。。
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三浦半島の標高200mにも満たない丘のような山歩きなら、スニーカーでもと考えましたが
ヤブ漕ぎが好きなリーダーですから、登山靴にして正解でした。
昔歩いたすぐお隣の山には、鎖場があった事も思い出しましたしね。
宝石のラピスラズリのような美しい青い実を見つけ
同行の山小屋さんに「ノシラン」と教えてもらいました。
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我が家から近い三浦半島の山々は大方歩いていますが、そこかしこに富士山信仰が見られますね。
ここから先は四つんばになっての急降下・・・
そして脇の金網にしがみついて、落ち葉で見えなくなっている細い階段を下ります。
(写真に収める余裕はありませんでした)
途中朽ちたような鳥居がありましたから、昔は浅間神社の参道だったのでしょう。
今では殆ど歩く人もなく・・・
11人のシニアの軍団が、上の茂みの中から下ってきて、
住宅街の道行く人は、ビックリしたに違いありません
瀟洒な家が建つ住宅街を進みます。
次に向かうのは「大峰山(三ヶ岡山)」?
やがて海辺のバス道路に出ると、真名瀬海岸から富士山が見えました
小さなコンデジでズーミング
沖の岩礁地帯である名島には鳥居が立ち龍神が祀られていて
鳥居のそばには有名な裕次郎灯台が(正式名は葉山灯台)・・・
兄の石原慎太郎氏が会長を務めていた日本外洋帆走協会が基金を集めて名島に建設。
高さは約11mで3秒に1回白色光が点滅するそうです。
右手の江ノ島の奥に見える連山は丹沢の山々でしょうか?
先日降った雪で、山肌も白く光っていました。
この日前後の3日間が寒さの底だったような気がしますが
明日から又関東周辺は雨と雪マークが続きます
今日は穏やかな日和でしたが・・・
私は慌てて車で食料品と灯油の買い出しに走りました
西日本では先日の大雪以来、断水している地域が多いとか
北海道では冷える日の夜は「今夜は水道の凍結に注意」という
テロップがTVの画面に流れます。
そんな日、一軒家は水道の水を流しっぱなしにしておきます。
マンションのセントラルヒィーティングは、12月1日から3月31日にまで種火は点けっぱなし
長期間の留守の時は、水を抜いてから種火を消して出かけます。
一人暮らしでの寒さや雪は堪えます
「春よ来い!早く来い!」と願っています。
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