花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

「春」を探しに鎌倉へ・・・

2013年02月27日 | 鎌倉散策

穏やかな日和に恵まれた2月22日(金)、カメラ仲間のSさんを誘って
鎌倉の「春」を求めて出かけてきましたが・・・
どこも「梅」が見頃の時期でした。

2人ともこの2週間前には、バラギ高原のブリザードの中での撮影会で寒さに震えましたものね

私は「取扱説明書」持参で、新しいカメラの慣らし撮影です。

英勝寺

浄土宗のこのお寺は、かって水戸徳川家につながる尼寺で、太田道灌の居館の地であったといわれています。
今は鎌倉唯一の尼寺で、尼寺に相応しい佇まいを見せている寺です。

仏殿にはご本尊の阿弥陀三尊像が収められていました。


作業をしていたお寺の方に、仏殿の周りに十二支の彫刻が施されていて
ご本尊の両脇には「せみ」がいるので探してみてと言われました。

十二支は軒下にぐるりと並んでいて、すぐに分かりましたが・・・

今年の干支の「巳」ですね。金運の神様です。
こちらは私の干支、一体何?豚ではありません。


「せみ」の方はいくらキョロキョロご本尊様の周りを見渡しても見つかりません
ギブアップです。


結局、仏殿入り口の観音開きの扉の両方の金具に、2匹いましたよ。


周囲にはミツマタがたくさん咲いていました。
「春は黄色から・・・」という感じですね。

でも慣れないレンズはピントが難しい・・・

崖下のやぐらに向かう左手に、狭い穴倉のようなものが掘られ、4~5段下る階段が見えました。
お寺の作業員さんに「入ってごらん」と勧められ、恐る恐る真っ暗な中をいくと・・・

暗くてよく見えませんが、何やら仏像が・・・
カメラのフラッシュで、その姿が分かりました。


何度も訪ねているお寺ですが、まだまだ新しい発見がありますね。


そして境内に咲いていた薄紅色の一重の「梅」が、楚々として風情があったので・・・
Sさんと、逆光の「玉ボケ」を狙って撮りました。

大玉が辛うじて入っているかしら?
同じ梅を写したトップの画像の方が、「玉ボケ」が良く撮れていますね。


「英勝寺」と言えば竹林です。
去年の春に来たとき、行きずりの方から撮影の講義を受けましたこちらです。


今回は2人で「光芒」を狙います。

レンズが違うと、輝きの光の数も違ってくるのですね。
今までのレンズだと6つの輝きでしたが、倍以上になった感じ

「海蔵寺」の福寿草

花の寺「海蔵寺」も、今見られるのは梅と福寿草が主でした。
コケの中は立ち入り禁止ですからズームで撮りましたが、とても難しい・・・


三脚を使うのが良いのですが、鎌倉のお寺はどこも禁止です

鶴ヶ岡八幡宮の「ぼたん園」
今回、Sさんが「ぼたん園の見学券」があると言うので、午前中に鶴ヶ岡八幡宮に行きました。
色鮮やかな「寒牡丹」が柔らかい陽射しの中で咲いていました。

どれもピンアマで恥ずかしいのですが・・・
フォトブックに纏めましたので、お時間のある方はご覧になってください。

デジブック 『寒さの中で鮮やかに♪』


鑑賞は今月いっぱいなのでそろそろ終わりですが・・・
まだまだ艶やかな女性を思わせる「ぼたん」が見られました。

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿はユリの花」という
美しい女性の形容もありますものね。

一日歩いて撮影して、途中小町通りのこじゃれたお店てランチ・・・
帰路には横浜に出て、写真仲間が入選した写真展も鑑賞。

Sさんと過ごした有意義な一日でした。

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友人たちの心遣いを見習って・・・

2013年02月21日 | 日常の日記

昨日今日とやっと太陽が顔を出しましたが、先週末から今週初めにかけては
春は名のみの♪、風の冷たさが身にしみる寒さが続きました。

喉や鼻は中々スッキリしませんが、くしゃみも止まらないので、
もしかしたら「花粉症]


今月は毎週末、自治会の臨時役員会が開かれ、
新旧の三役と部長以上の役員の引継ぎ業務や、来期の予算編成も忙しくて、
私もPC画面に向かっての、活動報告書や決算報告書の作成に忙殺されました


そんな中、喪中ハガキが間に合わず、寒中見舞いで母の死をお知らせした友人たちから
母の仏前にと[胡蝶蘭」が届きました。

墓石がまだ完成せず、母の納骨は3月の100日法要時にする事となっていて・・・
母はまだ実家の和室に置かれています。


早速、弟夫婦が在宅している休日の祥月命日の日に胡蝶蘭を届け、
私も久しぶりにお線香をあげました。

淋しかった仏壇の周りが明るくなり、母の遺影も微笑んでいるようでした。
心温かき友人たちに感謝です。

中には私宛にチョコレートが送られてきたり
ご実家から届く広島の牡蠣をいただいたり・・・


バレンタインデーの日に「トモチョコ」を送ってくれたのは
この25年間会っていない息子の幼稚園時代のママ友

そして母を亡くし落ち込んでいる私に美味しい牡蠣を届けてくれたのは、
写真仲間のSさんです。
本場広島の生牡蠣の美味しさに感激し、牡蠣鍋やカキフライでも堪能しましたよ。
いつも優しい心遣いをありがとうございます

そんな中、自治会役員の共に苦労をしてきた女性部長同士
「お母様を亡くされたnaoさんを慰める会と称して、女子会を開きましょう」
声がかかりました。

Aさんのお宅で一品持ち寄りの会です
女子4人、ワインで乾杯しました


骨折やら母の死を経験しながらも、辛うじて役員を務めた私
60数年間生きてきた中でも、この一年は忘れられない年になった感じです。

総務と広報の2人の女性部長さんには随分助けていただきました。
感謝!感謝!ですね。


日当たりのよい、Aさんのお宅の居間で5時間半も、お喋りに花が咲きましたね。

1月にはご近所仲間ののんちゃん宅で、親しい5組の夫婦が集まって
賑やかにお鍋を囲んでの新年会も催され
私も母をなくした淋しさをしばし忘れる楽しい時間が持てました。

心優しき友人たちに恵まれて、私も何とか哀しみを乗り越えられた感じです。

又”実家がなくなったようで淋しい”とこのブログに記したら、
ブログ仲間のlilyさんに「親の家を片付けながら」という、私の心情にぴったりの
良い本をご紹介いただきました。

母の最後の2年間は「苦しい思いをさせたのでは」と後悔し
「親の行く道は我も行く道」と嘆いていたら
tonaさんのブログで、終末医療に関する参考になる本も見つけました。

lilyさん、tonaさん、早速買いましたよ。

写真仲間さん、とても勉強になりました.


そしてたくさんのブログ仲間さんからのコメントで、元気をもらった私です。

山小屋さんにはウォーキングをご一緒させてもらいましたね。

カメラ仲間の方々からは撮影会に誘っていただいたり
勉強になるカメラ本を教えていただいたり・・・

この歳で新しい仲間も増えて、本当に嬉しい限りです


この友人たちの心遣いを私も見習わねばと、1月14日の大雪の翌日に滑って足を骨折し
入院手術した学生時代の友人をせっせと見舞いました。

持って行ったお花は、犬が大好きな彼女のためにデザインされたカーネーションです。

全治二ヶ月だそうですが、とても元気です。
くるぶしの所を二箇所骨折とか・・・


「医師の話では、若い人と同じ折れ方だったそうよ」と彼女は威張ります。
夏にはボルトを抜くために、もう一度手術があるらしい・・・

二ヶ月間もギブスでがんじがらめだった私と違い、
彼女の足は軽くテーピングされているだけ
術後2週間で、もうリハビリが始まっていると聞かされ驚きました。


骨折して、さぞかしガックリしているだろうと思いきや
行く度に彼女の病室からは笑い声が聞こえてきます。

彼女が中心になって、病室で前回は茶話会、今回は布ぞうりの講習会・・・

右隣のベッドの方はスケートで転んで足を骨折した方、
お向かいの方はバドミントンをしていて、両方のアキレス腱を切ったそうな

皆様痛そうですが、命にかかわらないのが明るさを生むのか
毎度楽しいお見舞いとなり、このようなお土産までもらってきましたよ。

ただ、私も風邪気味になってからはご無沙汰しています。
(インフルエンザが流行っている中、父の施設も今月いっぱい面会禁止ですし・・・)

彼女にメールしたら、まだ退院のメドは立っていないとか
私も早く咳とくしゃみを治して、会いに行こうと思います。




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雪の「バラギ高原」

2013年02月15日 | カメラ教室
寒い季節はもっぱら温暖な神奈川西部の海岸近くをウォーキングしたり、
撮影に出かけたりしていましたが・・・

第一級の寒波が襲来した8日(金)に、写真仲間たちと撮影バス旅行に参加して
雪景色を撮りに行きました


出かけた先は群馬県吾妻郡嬬恋村の「バラギ高原」
パルコール嬬恋スキー場のゴンドラに15分乗って、日本百名山「四阿山」の稜線近く
雪深い上まで行きました。

題して「標高1450mの銀世界・バラギ高原の樹氷撮影会」です。


この日の関東地方の天気予報は全部が晴れマーク
でも、集合場所の横浜駅近くでも冷たい風が吹いていました。

関越自動車道の練馬インターから長野自動車道の碓井軽井沢インターを出て北軽井沢までは青空が続き、
浅間山も頂上こそ隠れていましたが、綺麗な稜線を見せていました。

講師のM先生の
「今年のバラギ高原は、樹氷ではなく霧氷が綺麗に見られます」という説明に、
バスで長時間かけてやってきた甲斐がありそうと楽しみでしたが・・・

上に登るほどに雪雲が覆い、いやはや寒かった~


舞台に役者は揃いましたが・・・
三脚を立てるつもりが、あっという間に台座に雪が付着してそれが凍る
手がかじかんでカメラを設置できない

新しいカメラはやめにして、古いカメラに新しいレンズを取り付けての試し撮りです。


ポーズも決まってスタンバイオーケー
あとはスポットライトが待たれます。


一瞬青空が現れました~
カシャッ、カシャッ、カシャッ、手持ちで慌ててシャッターを押します。

雪の風景写真を撮るときは、組み立て<遠・中・近>と、光と影が大事と
バスの中で、M先生の講義を受けましたが・・・

そんな事を考える間もなく、青空はあっという間に消えました


その後は待てどくらせど青空は現れず、モノクロームの世界が続くばかり
風も出てきて、寒さはますますつのります。

慌てて持ってきたホカロンをポケットに入れて、かじかんだ手を温めました。
骨折した方の手の動きが鈍くなっています。


「何をどう写せばいいのぉ~M先生を探しますが、中々見つかりません。

M先生とは何故か、雪がらみの撮影会に縁があり
昨年の冬の「夕景の富士山」も、思いがけず大雪になった「マザー牧場」でも
先頭に立って一人ひとり熱心に教えてくださった。

あの時習った「雪景色の時の露出補正はプラスです」という教えは身に付きましたよ。


M先生の姿は見えませんでしたが「今日は霧氷を撮りに来たはず・・・」と、
仲間同士立ち木に近寄りアップ写真を撮りますが、慣れないレンズは操作が難しい


「風が強く、ゴンドラの運行中止があるようなので撤退願いま~す」
添乗員さんが叫びながらやってきました。

まだカメラを取り出してから30分しか経っていませ~ん。


重い機材を入れたザックを背負い、ゲレンデとは反対側の山の斜面をラッセルして登った道を
後ろ髪引かれる思いで下ります。


下は晴れているようですが、この辺りにはべったりと雪雲が停滞しているのが見て取れますね。
自然相手はままならないものです。

後半は下りながらのやけくそ撮影でした


あのゴンドラが止まったら、スキーヤーは滑って降りられますが
我々はゲレンデを歩いて下らなければなりません

27人の参加者の平均年齢はどう見ても70歳を超え、それもベテランの殿方が多い・・・
中には三脚を杖代わりに、やっとの思いで歩いている膝の悪い方も見かけます。
ここは素直に撤退するしかありません。


連休は別として、最近ではスキー場も案外空いているようで、ここもがらがらでした。
だから旅行社の「撮影ツァー」も受け入れているのでしょう。

寒い中、お天気待ちの写真撮影よりも、私は無性にスキーがしたかった・・・

東京から3時間というキャッチフレーズのこのスキー場

でも横浜からだと練馬インターまで時間がかかりますから、
結局往復10時間かけて、撮影時間は45分の強行スケジュールでしたが
帰りのバスの中でのカメラ談議も色々勉強になりました。

私も友人のSさんも、講師の先生や仲間のKさんが使っている軽量のオリンパスの
ミラーレスカメラに興味が湧きましたが・・・

私はとりあえず、新しいカメラをマスターすることに専念いたします。


              

何十年ぶりかでスキー場に足を踏み入れ、スキーをしていた頃が懐かしくなった私
家に帰ってから、札幌時代のアルバムを取り出して見ました。


昭和56年から60年までの4年間、主人の転勤で札幌で暮らしました。
冬はスキー三昧でしたね。

今回の撮影会では、山用の軽量ダウンの上にゴアテックスの雨具を着る予定だったのですが
(雪のマザー牧場ではそのスタイルが丁度よかったのです)
「それでは寒い」と、主人が取り出した札幌時代に彼が着ていたスキー用の黄色と紺のウエァー


当時5年生の息子が着ていたこの赤い上着を、しばらくお古で着た事はありますが・・・
いくらなんでも夫のスキーウエァーだなんて、大きすぎるはず
でも、羽織ってみるとそうおかしくもない

ちょっとショックでしたが、今回は強烈な寒波がやって来たようなので借りていきましたよ。
「naoさん、全然違和感ないわよ」と、友人のSさんにも言われました。

「下にモコモコとフリースのセーターも着ているしね~」と言い訳します


中学1年でスキー検定1級を取った息子には到底かないませんでしたが
札幌では私もスキーを楽しんだ4年間でした。

今では骨折が怖くて、やりたくてもやれなくなったスキーですが・・・
もし「どの時代に戻りたいか?」と聞かれれば
「まだ30代だった札幌時代に戻りたい」と答えたいと思います。




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「岩戸山から十国峠へ」・その2

2013年02月10日 | 山シリーズ

我が家の庭の「冬至梅」もようやく咲き出しました。

暖冬の年なら暮れのうちに咲き出すこの早咲きの白梅も、今年は遅れて
2月10日で3分咲きでしょうか・・・


八重の紅梅は一輪だけほころび始めました
春はもうすぐそこまで来ているようですが、すんなりとやって来てはくれませんんね。

お天気にも恵まれた三連休ですが、喉が痛くて体調はイマイチ・・・

熱はないのですが、予定していたハイキングも諦めて静かに過ごしています。
もろもろの疲れが出たのかもしれませんね。

           

2月3日に歩いたハイキングの続きをUPいたします。

十国峠(日金山)到着
岩戸山を出発して50分、途中「日金山・東光寺」をお参りし
樹林帯を抜けて、左手に「姫の沢公園」を見ながら右手の霊園横の丘を登ると、
芝生の広場に出ました。


突然富士山が姿を見せ、右手には十国峠・ケーブルカー「山頂駅」の建物が望めました。


11時35分、雲が富士山を隠してしまう前に無事到着です。

伊豆、駿河、遠江、甲斐、信濃、武蔵、相模、安房、上総、下総の十国と、
大島、新島など5島を望むことができることからその名がついた十国峠。
標高766mの日金山の山頂でもあります。

山頂駅のストーブのそばで、温かい「甘酒」を飲みながら、
私たちは1時間ほどお喋りを楽しみました。

日金山頂上に建つ右大臣源実朝の歌碑
18年前に登った沼津アルプスの向こうは駿河湾


『箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄せ見ゆ』
実朝は鎌倉から二所詣で(箱根権現と伊豆権現)のため、
この峠をいくたびも越えていたとか・・・

帰路、私たちは「東光寺」の先まで戻ります。

「日金山・東光寺」
万葉集で「伊豆高嶺」と詠われたのがこの十国峠で、
古くは久地良山(くじらやま)、日金山(ひがねさん)と呼ばれ、
伊豆大権現(現在の伊豆山神社)もこの山上に鎮座していたそうです。


この「日金山東光寺」は、伊豆大権現の本宮(日金山本宮)の流れをくむ古寺で、
鎌倉時代は、源頼朝の篤い信仰に支えられ、現在本尊として祀られている
延命地蔵菩薩像も、頼朝公の建立によるものとか・・・

私たちもお参りしました。


古い石仏がたくさん並ぶお寺です。

何やらこの辺りは、箱根山、天城山、富士山方向からの磁場が交わっている場所で、
ビッグパワーが生まれているパワースポットらしい




裏山に富士山の山頂に大日寺を建立し、富士山の山岳信仰を定着させた、
富士上人として知られる末代上人の宝篋印塔があります。

「湯河原温泉」へ
その先の分岐で道は二手に分かれます
私たちは「湯河原」に下る道に入ります。


まっすぐ進む道は笹の広場にでて、熱海の来ノ宮神社までこの「石仏の道」を下るようですが
私たちは湯河原の日帰り温泉に浸かって、ささやかな新年会を催す計画がありました


このコースは信仰の衰えと共にすたれた細い参道を拡幅整備したもので、
道標となっていた丁仏も新しく見直して設置されています。

丁仏は真鶴の小松石で日金山東光寺までの間に一丁(109メートル)ごとに設置され、
最後の東光寺が42丁目の丁仏です。

日金山ハイキングコースを下ります
丁仏は苔むした古いものや、新旧並んでいるものもある。



道路の左右にあり、うっかりすると見過ごしやすい
熱海水道局の水源もあります




水槽から下流へ向かって太いパイプが敷設されている沢を2~3回わたって
桧の林を下っていきます。


21丁目の手前に大きな石碑があり「日金山登山半丁」と彫られているので、
ちょうど半分(日金山は42丁目)下ったことになりますね。


更に桧の林の中をゆるやかに下っていきます。
小さな枝道もありますが、丁仏が迷うことなく案内してくれるので大丈夫


20丁目の先で「日金山ハイキングコース」の登山口に出ました。
「湯河原分岐」から1時間弱、それなりに歩き応えのある道でしたが
ふかふか落ち葉の登山道はここで終わります。

泉高区第1配水池の水槽の先にトイレも完備されていました。


ここからはアスファルトの道を「落合橋」まで行くのがルートですが
(橋のたもとに日金山道起点と書かれた石塔と石仏、ハイキングコースの案内板があります)
私たちは万葉公園の公営の日帰り温泉「ここめの湯」までの30分を歩きます。

損傷が激しく字も読めなくなった古い石塔と並んでいる新しい石塔の多くは
昭和31年と刻まれていました。

午後2時半に「こごめの湯」にようやく到着
温泉に入り、その後は館内の軽食レストランでお蕎麦を食べながらビールで乾杯
今回はお代わりナシの、おばさんたち3人のささやかな新年会でした。


○印が今回巡ったところですが・・・

穏やかな天候の中を、相模湾を眺め、富士山を望み、
石仏に導かれながら気持ちよく歩けたことに充分満足していました。





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「岩戸山から十国峠へ」・その1

2013年02月05日 | 山シリーズ

節分・立春と過ぎ、暦どおりの春を思わせる暖かい日が続き
日の入りの時刻もだいぶ延びてきましたね。

でも、明日6日の予報は「雪マーク」
これからは、春と冬が行ったり来たりの「三寒四温」が続き、
少しづつ、春の花々が咲き出していくのでしょう。

2月3日・熱海・七尾峠から「岩戸山」へ
さて・・・
20年以上も細々と続いている山仲間3人の、新年初の山登りは、
我々にとって、伊豆箱根方面での数少ない未踏の山「岩戸山から十国峠」、
そして最後は湯河原へ下るコースを楽しんできました。

トップの画像は「岩戸山」の頂上近くから写した「富士山」です


岩戸山は箱根山塊の南端に位置する、広葉樹林と草原の山です。

この山は十国峠までバスで行き、日金山・東光寺~岩戸山~七尾峠と下るルートの紹介が
圧倒的に多く、最後はアスファルトの道を、頼朝・政子ゆかりの
「伊豆山神社・奥の院」~「伊豆山神社」と見学しながら熱海駅に到着ですが・・・

「山は土と岩の山道を登ってこその山」と3人の意見が一致、
私たちは熱海駅からタクシーで、保養所や豪華別荘マンションが建ち並ぶ
七尾峠のゲートまで入りました(2040円)
(七尾峠手前の、七尾団地入り口まで、熱海駅からバス便もあり)


朝9時10分七尾峠を出発し、まずは「岩戸山」を目指します。

七尾峠までのもう一つのルートとしては、湯河原駅から相模湾を見ながらミカン畑の中を歩き
約1時間半でここまで来るコースもありますが

仲間には腰の悪いメンバーもいるので、アスファルトの道路歩きは避けました。

七尾峠からは土の道のハイキングコースとなり
逆光の相模湾に浮かぶ「初島」が見えていました。




案内板も要所要所に立っていますから、自分が目指す方向がしっかりと頭にあれば
迷う心配はありません。

なだらかな登りの登山道が、少し急になってきて
「岩戸山」頂上ももうすぐです。


七尾峠から丁度1時間、突然鉄塔が現れて見晴らしが良くなり
箱根方面の山並みの向こうに「富士山」が顔を覗かせていました。


トップの画像の富士山はここからの眺めです。

Yさんはお琴の師匠
更に大学でお三味線も専攻し、演奏会や練習に打ち込む日々・・・

Kさんは介護福祉関係の事務所の副社長
ケァマネセンターを立ち上げるべく、今は自ら資格を取り他所で修行を重ね
二足のわらじを頑張っています。

お陰で皆忙しくて、中々山には行けなくなりましたが
この二人の向上心にはいつも煽られ、刺激をもらっています。


10時20分、鉄塔の場所からすぐのところの「岩戸山・頂上」(734m)到着
七尾峠から富士山の撮影タイムを入れて、1時間10分の行程でした。

頂上はさして広くなく、ベンチとテーブルセットが一つだけ置かれています。

25分間の食事とお喋りタイムです。
男性が登ってきたので記念写真を撮ってもらいました


この日は節分、春の気配が感じられ、
頂上でも上着が要らないくらいの暖かさでした。


頂上からは富士山は見えませんが、相模湾が眼下に広がり
洋上の初島はもちろん、大島や伊豆半島の東海岸が望めます。


この日の夜からお天気は下り坂・・・
それを示すように水蒸気が上がり、飛行機雲が幾スジも見られました。


10時45分出発、箱根竹の生い茂る登山道を一路「十国峠」を目指して進みます。

最初は巻き道まで少し下り、再びゆるい登りを行くルートです。


葉を落とした木々の間から箱根の「駒ケ岳&神山」がクッキリと見えていました。
コンデジのズームを効かせて写します

あのコースは真冬の雪のある時と、イワカガミが咲き乱れる5月上旬に歩いたことがありますが
気持ちの良いハイキングが楽しめました


そして目指す「十国峠」の右奥には見事な富士山

下から雲が湧き出しています。
「さぁ~、富士山が雲に隠れる前に十国峠に上りましょう

       

歌舞伎界の重鎮、市川団十郎さんがお亡くなりになりましたね。
人気&実力ともナンバーワンだった中村勘三郎さんに続いての、大物の訃報にショックです

私は熱狂的な歌舞伎ファンではありませんが、成田屋の友の会の会員で
団十郎親子のファンのご近所仲間のぷりんさんに誘われて時々観に行ったものです。

特に勘三郎の出る演目は面白く、渋谷のコクーン歌舞伎も観に行きましたこちらです。
歌舞伎を最後に観たのは、古い歌舞伎座のさよなら公演・・・

あの時の団十郎の助六は今でもよく覚えていますこちらです。
又くぐりをした勘三郎さんのアドリブが場内を沸かせていましたね。

二人とももういないと思うと淋しいものがあり、
日本の古典芸能文化の損失を感じます。

幸い息子の海老蔵には「華」があります。彼の助六にはシビレました
これからは精進努力して、役者としても人間としても大きく羽ばたいて欲しいですね。

勘三郎の息子の勘九郎もだいぶ成長したとぷりんさんが話していました。
これからの歌舞伎界を背負っていく若い方たちの成長を願っています。




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