花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

エジプト紀行その6・「アスワン」に飛ぶ

2010年03月31日 | エジプト紀行
今日で三月も終りです。
それにしては真冬の寒さが続き、一昨日などは箱根や御殿場では結構な積雪となったらしい・・・
我が住宅地から見える丹沢の山々も雪で真っ白です


サクラの開花宣言が出されて10日が経ちました。

寒さに耐えていた「ソメイヨシノ」も、昨日の青空に花びらを広げだしていました
両親がお世話になっている施設のサクラは、30日時点で3分咲きといったところでしょうか・・・

この所、1日おきに両親の顔を見に通っています。

父の検査入院が「痛くて辛いものだったら断ろう」と弟と決めていましたが
相談に乗ってもらった施設の担当医師は、
是非受けてください。はっきり分った上で今後の療法が考えられるのですから」と・・・
医者ならきっとそう言うだろうなぁ~

帰路、私の頭は混乱していて、このサクラを見上げた時にふと「涙」があふれました。
”そうだ、イトコのコーちゃんに相談してみよう”

コーちゃんは父の長兄の長男で、私より9つ上の従兄です。
先般、一家で両親のお見舞いに来てくれたのですが、
その時、父が疑われている病と同じ病気を患っていると聞きました。

早速TELして詳しいことを聞きました。
「その数値ならガンである事は間違いないと覚悟したほうがいい」
「でも細胞診検査はそんなに辛くはないので受けても大丈夫だと思う」
「ただ骨のスキャナー検査は僕でも恐怖だったから、叔父さんには受けさせたくないな~」
「とにかくもう今更手術とか放射線治療とかは考えるなよ。薬で抑える方法もあるからね」

そうです、このようにハッキリと具体的な意見を言ってくれる身内が欲しかったのです。

本家の跡継ぎ意識の強かったコー兄さんは、昔から私を可愛がってくれました。
「これからも何かと相談に乗ってね」
受話器を置いたとき、少し心が軽くなっていました。

         

さて、エジプト紀行がすっかり途切れていました。
帰国してから早2ヶ月が過ぎ、記憶も薄れてきそうで恐ろしい・・・

今考えると、私がエジプトから帰って来るまで父が元気でいてくれたことに感謝です。
きっと父が予定通りに行かせてくれたのでしょうね

<夕闇迫るギザの街>

エジプト観光第一日目、午前中はギザの「三大ピラミット」を見学し
午後からは郊外の砂漠の中にある古い「階段ピラミッド」「屈折のピラミッド」を見て周り
ギザに戻って、オリンピックで柔道の山下選手と戦ったラシュワン氏が経営する
「パピルスの店」でお買い物・・・

その後は夕食のためのレストランに向かいます。
バスの窓から、ゴミだらけの運河の向うに「ピラミッド」が見えてきました。


カフラー王と、その息子メンカウラー王のピラミッドは、ギザの街のあちこちから見えるようです。

この日は夕方から風が強くなり、砂漠は軽い砂嵐のようでした。


カイロ周辺も砂の影響でけぶっていて、夕陽がボンヤリと霞んで見えました。

「皆さん、明日は早朝出発の飛行機でアスワンに向かいます」
「今夜は早めに夕食を済ませてホテルに戻るので、明日に備えて早く寝てください」
「何時に出発かという事は僕は怖くてとても言えないです
ガイドのモモちゃんはニヤリと笑って挨拶を済ませ、カイロの自宅に帰っていきました。

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こちらがこの日の夕食です。マウスオンでご覧下さい

「旅のしおり」には、この日のメニューは「コフタ(ひき肉の串焼き)料理」と書かれています。
白いライスは香辛料の入ったバターライス、その横にボーイさんがポテトフライをドサッと乗せると
お皿の周りにポテトがパラパラとこぼれました
テーブルには昼食時にもあったヒヨコ豆とゴマのペースト、ナスの炒め物が並んでいました。

7時過ぎにホテルに戻りました。
「明日は4時35分発の飛行機に乗ります」ロビーで添乗員さんが翌日の予定を説明。
「モーニングコールは1時半」「ホテル出発は2時半です」
「荷物は2時までに、ロビーの正面玄関前に持ってきて下さい」
「朝食は出発前にレストランでお弁当ボックスを配ります」

お部屋に戻り、K子さんと順番に入浴し、それから2人で黙々と荷物の整理をしました。
飛行機となると手荷物や荷造りにもそれなりに気を使います。

2日目の夜も興奮していましたが、安定剤を飲むと起きられなくなる恐れがあり・・・
冷蔵庫に入れておいた成田で買った1本のカンビールを半分ずつ飲んで、11時過ぎに就寝しました。

1月25日・「アスワンへ」

カイロから飛行機で約1時間半で、南部の街「アスワン」に到着します。
上の地図をご覧下さい

エジプト南部の旅は、このアスワンから南の隣国スーダンに程近い「アブシンベル」まで南下し一泊
そして再びアスワンに戻って一泊
更にここから200km北上して「ルクソール」で1泊の、計3泊4日をバスで周る旅となります。

尚、このコースはナイル川をクルーズで巡る優雅な船旅もたくさんあります。
多少お値段は張りますが、体力的にはずいぶん楽かと思いますね。


朝の6時半過ぎ、寝不足の目に突然湖が見えてきました。
アスワンと言えば、私たち日本人はすぐに「ダム」が浮んできます。


ナイル川のダム湖(ナセル湖)の向うに朝日が昇ってきました。
睡眠不足でぼぉ~っとしていたせいか?、コンデジだけ抱えてバスを降り、
朝日をパチパチと写しました。


年間を通じて水の供給を図るために、当時エジプトを統治していたイギリスが
1902年に「アスワンダム」を完成させましたが、予想を超える人口増加で目的は果たせなくなり
1964年にソビエトの協力で長さ約3600m、高さ約111mの巨大な「アスワンハイダム」が建設されました。

上の画像は完成を記念して建てられた「ハイダム記念塔」です。


山の中の急峻な土地に建設される日本のダムのイメージとは大きく異なりますね。
幅が3.6kmもあるので、ダムというより長い長い堰きのようで・・・
その上が自動車道路になっているのです。

1973年にはダムによってできた「ナセル湖」の貯水も完了し、
充分な農業用水と電力が確保できるようになったそうです。

叉このダムは軍事機密地域になっていて、写真撮影も制限があるとか・・・
大きな望遠レンズは駄目だそうです。

ダムサイトの見晴らしの好い展望台に行くだけで、セキュリティーチェックを受けました。
このダムが決壊すれば、エジプトの主なナイル河畔の都市が水没すると言われていますから
このような厳重な警戒も必要なのでしょう。


ダムはエジプトに豊富な電力を供給していますが、毎年起こっていた洪水がなくなることにより
下流域に養分を含んだ土砂が運ばれず、土地が痩せたり、塩害が出たり・・・
ナセル湖の蒸発によって生じた雲から雨が多くなり、遺跡を削り取ってしまうなどの問題も出てきているようです。


アスワンから南の地方は、ヌビア人の国でした。
新国王時代にエジプトと同化しても、ヌビア人は独特の言語や文化を持ち続け
現在もその影響を見ることが出来るとか・・・

ヌビアの人々が暮らす村が正面に見えていました。


ギザのピラミッドを見た時モモちゃんに
「砂漠の砂を少々お土産に持って帰りたいけど、何だかラクダの糞だらけね」
と話したら
「アスワンに綺麗な砂があるから、明日はビニール袋を用意しておいて」と言われました。

約束どおりアスワンハイダム近くの砂山で、砂を少々採取しました。
本当に白くてサラサラの「パウダー・サウンド」です。
でもまたまた荷物が重くなりそうで悩みます。

「皆さ~ん、明日の見学予定のイシス神殿ですが、今時間があるのでこれから行きますがいいですかぁ~?」

モモちゃんの話を聞きながら車窓の風景をカメラで写していたら、
建物の門の前に立った哨戒中の兵士と目が合いました。ドキリ

「軍事施設を写しちゃったかしら
あわてて画像を消去しました。
ここはテロ対策が徹底しているエジプト・・・
平和ボケの日本とは違うということを心しないといけませんね。



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古都「鎌倉」で友人の展示会

2010年03月26日 | 鎌倉散策
東京・横浜では3月22日に「ソメイヨシノ」の開花宣言が出たというのに
冷たい雨に見舞われたりで、今週は本当に寒かったですね。
私の心までが凍っています。


エジプト紀行をUPする予定でしたが、そのエジプトにご一緒した我が家の一軒置いて隣の奥様
K子さんの染物と織物の展示会が古都・鎌倉で催されたので、ご近所仲間3人で行ってきました。
まずはその時の様子をご紹介してからエジプト紀行を再開したいと思います。

彼女とはエジプトでの9日間ずっとホテルで同室でしたが、そのパワフルな行動力にはいつも驚かされました。
エジプトから帰国して一週間目にはもう4泊5日で「奄美大島」に飛び
現地で「泥染め」を体験してきたとのこと

その時の作品も並んでいました(上の写真の茶色のストールがそうです)


60歳まではフルタイムで働き、定年退職してから2年間タイのチェンマイにご夫婦で長期ステイをして
ご主人は木工、K子さんは織物と染色をかの地で学び、1年前に帰ってきましたが・・・

今回はお仲間との展示販売を鎌倉の「古陶美術館」のギャラリーで催されました。


題して「兆(きざし)の会 展」
染・織・表装・陶芸・ブリザーブドフラワーなどのお仲間8人での展示会でした。

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マウスオンで更にK子さんの作品をご覧下さい

K子さんの作品の中から、私はサーモンピンク、のんちゃんは薄いピンクの春らしいストール
そしてぷりんさんは泥染めのモダンなストールを購入しました。

「あなたはこれが合いそうよ」「これも羽織ってみて」・・・
女って、こういう時は生き生きとしてきますよね

「naoさん、意外と泥大島が似合うわよ。大人の女に見える」とぷりんさん。
「私もう充分過ぎるくらいに大人のつもりだけど・・・」
「でもやっぱりnaoさんは明るくて可愛いサーモンピンクよ。絶対に
のんちゃんの強いお勧めに、いつもの私らしい色に決めました。


ストールは身に付けるだけではなくて、敷物としても使えますね。

私も4年前に10ヶ月間ほど「裂き織り」を習いました。
その時の作品が我が家の玄関やリビングに飾られていますが、その後織り機は埃をかぶったままです。

織物は時間がタップリとあり、心が平和でないと向かう気になれず・・・
バタバタと忙しくしている今の私には無理と悟りました。


この美術館には去年の6月初め、「東慶寺のイワタバコ」と「明月院のナツロウバイ」を見に来た時に
寄っています。
「あじさいの小径」という案内板に魅かれて入りました。

その時は「琳派の絵画展」をやっていましたが、今回は「享保のお雛様展」をやっていました。
旧暦の雛祭りの4月初めまで、江戸時代の由緒あるお雛様が飾られているようです。

古民家を移築した建物です「端午の節句」の飾り付けも見られます
吊るし雛は圧巻です可愛い孫のためなら私も作れるかな?

お庭には春を先取りしたような花々が咲いていました。
サムネイルにマウスオンしてスライドショーでご覧下さい。
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バイモ
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この鎌倉に出かけたのは先週の17日の水曜日
ハクモクレンやシモクレンが満開で、ミツマタやサンシユがそろそろ終りの頃でしたが・・・
シャクナゲがもう咲いていて驚きました。
温暖な鎌倉では、山で見るシャクナゲとは咲く時期が違うのですね。


ランチはすぐ近くのこちらのお店でいただきました。
鎌倉にはこのような小洒落たお店が多いですね。

簡単なお弁当ですが、コヒー付きで1200円くらいだったでしょうか?


久しぶりに4人揃っておしゃべりです。
K子さんはこの展示会に向けて作品を仕上げている最中に、
お母様と妹さんとグアム旅行に行ってきたそうです。
「エジプトから帰国して一ヶ月半の間に、奄美大島とグアムに旅行だなんて相変わらず大忙しね」

エジプトをキャンセルしたのんちゃんは、一緒に映画「バレンタインデー」を見に行って以来
この3週間、インフルエンザで大変な思いをしたそうです。

私は・・・
父の帯状疱疹が一段落してホッとしていた所に、先週施設の担当医から呼び出しを受け、
「血液検査の結果、腫瘍マーカーが異常に高い結果が出た」とのお話しで
暗い気持ちとなっていましたので、友との鎌倉での数時間は良い気分転換になりました。

今週に入って、父を総合病院に連れて行き色々な検査を受けました。
ガンの可能性大のようですが、
後は一泊二日で入院をして行う「細胞検査」を受けるかどうか?で悩む日々・・・
痛い思いだけはさせたくありません

この所、胃が痛くなり、変な夢ばかり見て眠れない日が続いています

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丹沢「仏果山~高取山」その2

2010年03月24日 | 山シリーズ
「仏果山頂上から高取山を経て、宮ヶ瀬ダムへ」

「仏果山」頂上の展望台から見たお隣の「高取山」です
これから「宮ヶ瀬越」まで戻り、あの稜線を歩いて「高取山」経由で「宮ヶ瀬ダム」まで
降りるのがこの日の予定コースでした。

私たちは「宮ヶ瀬湖」周辺の丹沢の山々を堪能してから、下のベンチで昼食タイムとしました。
去年の11月下旬に「箱根外輪山」を歩いて以来、4ヶ月ぶりの顔合わせです。

オニギリを食べながら、それぞれの親のこと、子供や孫のことなどを報告しあいました。
子供達が中高生だった頃からのお付き合いですものね。


「仏果山」頂上にもこんな看板が立っていました
これからの季節の丹沢歩きには「山ヒル用の忌避薬」が必要なようですね。

「きっとダム湖ができて湿気が多くなり、ヒルが増えたに違いない」と私たちは推察しました。


行きと同じ様に20分かけて「宮ヶ瀬越」に戻り、「高取山」方面に向かって進んでいくと
目指す山が見えてきました。


ここからおよそ15分で、あっと言う間に「高取山」に到着です。
この頂上にも鉄塔の展望台がありました。


展望台の上から見た「仏果山」です。
なかなか姿形の良い山ですね。
この日は正午を過ぎても、雲ひとつない空が広がっていました。


湖の向うにスクッとそびえている秀麗な「丹沢山」
そしてその左右の奥に見えているのが「塔の岳」と「蛭ヶ岳」
手前の三つのコブのような稜線が「丹沢三峰」でしょうか・・・


反対側に目をやると「宮ヶ瀬ダム」が見えていました。
これからあそこまで下ります。


「仏果山」より北側にある「高取山」は、雪が多く残っていました。
ここで熱いお茶と果物を口に入れ、久しぶりの再会にお喋りが続きます。

さる大手スーパーの中高年ばかりの山岳部に、特別会員として加えてもらっていた頃は
私たちが一番の若手でした。
60代の会長さんからは「さくら三人娘」と呼ばれていましたが・・・
今では3人とも孫のいるば~ばになりました


一休みしてから出発です。
私たちはここから「宮ヶ瀬ダム」まで1時間かけて下ります。



いきなり痩せ尾根の急降下が始まり、足がすくみました
これで雪が多かったらちょっと怖いかも・・・
人の姿も見当たりません

「仏果山」~「高取山」と歩くハイカーのほとんどは車でやってきて、元に戻る方が多いのかもしれません。
バスで来た方々の大半は「仏果山~経ヶ岳」と行かれるのでしょうか・・・?


日陰に雪は残るものの、幸い痩せ尾根の急な登山道に雪はなくホッとしました。

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突然木々が伐採された見晴らしの良い場所にでました。
眼下に「宮ヶ瀬湖」が広がっていました。マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい
三枚目は、Yさんから送られてきた画像を使わせていただきました。

急降下に負担がかかった「膝」を休めながらベンチに座り、しばし3人で見とれていました。
奥に見えているアーチ型の橋は「虹の大橋」でしょうか・・・?


更に下っていくと、目ざす「宮ヶ瀬ダム」が見えてきました。


ここからは雪の残る階段状の下りが続きます。
滑ったらダム湖にポチャ~ンと落っこちてしまいそう・・・
慎重に最後の下りを行きました。


出発して4時間、午後1時半過ぎにようやくダムサイトの駐車場に降りてきました。
「水とエネルギー館」を右に見て
ダムの上の橋を渡りエレベーターで下ります。


「宮ヶ瀬ダム」は、東京、横浜から50km圏内の相模川水系中津川に位置する首都圏最大級の
多目的ダムだそうです。

ここからバス停のある「半原バスターミナル」は中津川沿いを更に30分歩かなければなりません。
私たちはコンクリートの平らな道を歩くのが嫌になり、丁度やって来た「ロードトレイン」に乗って
「あいかわ公園」のパークセンターまで行きました。


ロードトレインも着いた先も、小さなお子様連れのファミリーであふれていて、
山のスタイルは場違いでしたが
3人とも「孫を連れてくるには良さそうな所ね」と視察方々興味を持ちました。
宮ヶ瀬ダム周辺はすっかり新しく整備されたようですね。

半原バスターミナルはここから20分・・・
200円でほんの少々歩く時間が短縮できたでしょうか?


こうして私たちのお天気に恵まれた心地よい今年の初登山は終了しました。
「宮ヶ瀬ダム」の画像を見て、エジプトのアスワンダムを思い出しています。

エジプト紀行がストップしたままで気になっています。
今週中にも「アスワン編」から再開したいと思っていますが・・・

今日3月24日の夜9時10分から、NHK衛星第1(BS1)の「世界のドキュメンタリー」で
「エジプトのゴミ問題」が放映されます。
ご興味のある方はご覧下さい。





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丹沢「仏果山~高取山」その1

2010年03月20日 | 山シリーズ
「丹沢の仏果山は冬の雪がある季節に登ると好いですよ~」
昨年の秋「八甲田山」登山ツァーに参加した時、同部屋になった海老名在住の方から勧められました。

「2010年の初登山は仏果山ね
山仲間3人の気持ちはすぐに決まったのですが、問題は日程です。

私はエジプト旅行とその後の父の帯状疱疹騒ぎでバタバタし
老人介護のケァーマネージャーをやっていて、日曜日しか時間が取れないKさんも、
ご実家のお父様が危篤と成り、この冬二度も九州に駆けつけたらしい

お琴の先生のYさんも演奏会続きで忙しくて、3人で行ける日が中々決まらず、
雪も解けてしまいそうでヤキモキしていましたが・・・
快晴に恵まれた3月14日の日曜日、3人のスケジュールとお天気がピッタリと一致して
ようやく実現できました。

「仏果山登山口から仏果山頂上へ」

小田急線の「本厚木」で集合し、8時40分発の「宮が瀬」行きのバスに乗ります。
このバスは今の時期、1時間に一本しかありません(どの時間帯も40分に出発です)

私たちは10分前に本厚木駅北口のバス停に行ったのですが、すでに長蛇の列、座れませんでした。

40分乗って「仏果山登山口」で下車。
目の前に「宮ヶ瀬ダム湖」が広がっていました。


「仏果山」(747.1m)は「宮ヶ瀬湖」東側に位置し、湖の展望台として人気があり
麓の正住寺(臨済宗)を開いた仏果上人が座禅修行をした山としても有名です。

登山道はいくつかあり、歩き出す入り口も何箇所かありますから、したがって乗るバスも違ってきます。
自分がどのコースを歩くのか確かめてからバスを決めましょう。

叉この停留所の先には車が20台くらい停められる「大棚沢広場駐車場」がありました。


私たちは今回、今年初めての足馴らしとして、
「登山道入り口~宮ヶ瀬越~仏果山頂上~宮ヶ瀬越~高取山~宮ヶ瀬ダム~半原バスターミナル」
軽めの約3時間半のコースを行く事にしました。


9時半出発、いきなりの階段の登りが始まります。
すぐに杉の樹林帯となり、登山届けを出すポストがありました。


今回のコースを調べたYさんが「登山届け」を書いて投函しました。
その横に注意書きが書かれた看板が
そうです、このお山は最近山ヒルが多くてニュースになっているのです
4月から9月頃までが要注意だそうです

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看板横には、山ヒルよけの薬が置いてありました。マウスオンでご覧下さい
一緒に登ってきた登山者同士、靴とズボンの裾にスプレーをかけあいました。

この山は山ヒルの冬眠中が「登りころ」なのです。
当然、バスも駐車場も混む筈ですね。


しばらくはうす暗い樹林帯を登っていきます。
左側のフェンスは丹沢に多い鹿よけ用の柵のようです。


少し空が開けて明るくなってきました。
このあたりはモミの木やイチイの木に似た針葉樹林が目立ちました。


やがて休憩用のベンチが現れ、木々の間から「宮ヶ瀬湖」の青い水面が見えていました。
私たちは立ち休憩で、スポーツドリンクを飲みました。
寒くもなく暑くもなく、絶好の登山日和でした


湖に架かる白いアーチは「やまびこ大橋」でしょうか・・・
走っている車も見えています。
そして北側斜面にはまだが残っていました。


ここから先の登山道にも雪が・・・
今回はしっかりと軽アイゼンとロングスパッツもザックに入れてきましたが、
それらを装着するほどの雪ではありません。


急登をひと頑張りすると「宮ヶ瀬越」です。
登山口から丁度1時間でした。


ここから南側に20分ほど行くと「仏果山」頂上です。
写真中央の木の向うに見えていますね。

一度下って登り返して頂上に向かいます。


春の光を浴びて、気持ちの良い尾根が続きます。
頂上直下は、短いながら岩場もありロープが張られていました。


「ドッコイショ!」と気合を入れて登ると、経ヶ岳からの道と合流し、すぐに頂上でした。


頂上の何ヶ所かにはテーブルとベンチがしつらえてあり、
13mの鉄骨つくりの展望台がありました。

ザックを置いて、早速登ってみます。


眼下に「宮ヶ瀬ダム湖」の青い水面が広がり、背後には雪の残る丹沢の山々が見渡せました

今回は小さなコンデジでの瞬間撮影ばかりですが、ここでは少しズームを利かせて山々の写真を撮り
目の前に連なっている丹沢主脈のトレイルを三人で歩いた10年以上前の日を振り返りました。


「湖のすぐ上にそびえている高い山が丹沢山と記されていて、その右が蛭ヶ岳ですって」
「あの右奥の白い頂上が蛭ヶ岳ね。ヤビツ峠からいっきにあそこまで歩いた時は3人ともヘロヘロになったわね」
「あの時は手前の丹沢山の山荘に泊まるべきだったのよ」

「ここの標識には出ていないけど、きっと丹沢山の左奥が塔ノ岳ね」
「あの時、次は鍋割山~塔ノ岳~丹沢山~丹沢三峰~宮ヶ瀬と決めたけど、そのルートが見えているわ」

私たちは「丹沢山」の手前の、宮ヶ瀬湖に向かって下っている「丹沢三峰」の稜線に目をやり
まだ体力が充分にあり「登れない山はないと思っていた頃を懐かしみました。

「もうあそこを歩くのは無理かしら?」
「4年前に鍋割山に登った時は、一つのお山で精一杯だったものね」
だんだん淋しくて情けないお話となりました


こちらは南側に見えている「大山」
我が住宅地から見える「大山」とは反対側で、姿かたちも少々違いますが
スマートな円錐形の頂上でわかります。

「あの山ならまだ登れるから、もう一度行きましょう」
いつまでも「山」のお話は尽きませんでした。
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癒しを求めて(その2)・映画「ハート・ロッカー」

2010年03月16日 | 映画、観劇

相変わらず風は強いものの、昨夜から降り続いていた雨がやんで、今朝は思いがけずに良いお天気です
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われていますが、先週末から急に暖かくなりましたね。

我が家の庭の「ニリンソウ」が一輪咲き始めました。
いよいよ本格的な春の到来のようです

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一昨日あたりから咲き始めていた「ハクモクレン」が春の嵐にあって、今にも散りそうです。
マウスオン・クリックで、三枚の画像をご覧下さい
強い南風に煽られてボケボケの画像ですが、今年の春の保存版です。


庭の片隅に植えてある「椿」も今が見頃・・・
マンサク、ヒュウガミズキ、スイセン、クロッカスと黄色のお花を楽しんだ後は、白いお花の競演ですね。
待ちに待った「春」がやってきました。

心浮き立つ思いで、一昨日の日曜日は晴天の中、丹沢「仏果山~高取山~宮ヶ瀬ダム」と歩いてきました。
その模様は次回として、まずは「長谷川等伯展」鑑賞のその後の様子を記録に留めたいと思います。


        

私たちは上野から有楽町に戻り、走るようにして日比谷の「みゆき座」へと足を進めました

心境的には「ウェーブ」のような海の自然を追い求めた映画を観たいところですが、
こちらは我が家近くの映画館でもやっています。

せっかく花のお江戸に出たからには、横浜では観られない映画を観ようとなり
先日のアカデミー賞の「作品賞」や「監督賞」「脚本賞」など6部門の受賞に輝いた旬の映画
「ハート・ロッカー」を観る事に決めたのです。
(その後横浜の109シネマでも公開になったようですね)

映画「ハート・ロッカー」

 2004年、イラク・バグダッド。
駐留米軍のブラボー中隊・爆弾処理班の作業中に爆発が起き、班長のトンプソン軍曹が爆死してしまう。
トンプソン軍曹の代わりに派遣されてきたのは、ウィリアム・ジェームズ二等軍曹。
彼はこれまでに873個もの爆弾を処理してきたエキスパートだが、
その自信ゆえか型破りで無謀な行動が多かった。
部下のサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は彼に反発するが、ある事件をきっかけに打ち解けていく。


いやはや最初から手に汗を握るような画面の展開に、
「3時間待ちの美術鑑賞に疲れて寝てしまうかな?」という心配は吹き飛びました。
単なる戦争映画とは違う、ドキュメンタリーのような重いテーマの映画です。

武装勢力の仕掛ける爆弾を、爆発物処理班の兵士が次々と処理して行きますが
兵士達の日常はつねに「死」との隣り合わせ・・・
見えない「敵」と戦う現代の戦争は恐ろしいものです。

1個10$程度の手製爆弾は米兵を極度の緊張状態に追い込み疲労させ、
どれほどの心理的ダメージを与えるか・・・

そしてこの緊張感はまるで「麻薬」のように、兵士達が普通の穏やかな日常に戻れない悲劇をも
含んでいることをこの映画は教えてくれます。


この映画が未来派(3D)SF大作「アバター」と競ってのアカデミー賞受賞とは
まさにアメリカ国民にイラクでの実情を知って欲しいという審査員達の願いなのでしょうね。

この映画を観たアメリカ人は
「イラク国民のために、命を投げ出してテロ用の爆弾処理をしているアメリカ兵士がいるのだ
と心打たれるのでしょうか?
きっとこの実情を知らずにいた事に驚く事でしょう。
この映画は反戦映画だと思います。

このイラクの対テロ戦争の現実と犠牲は、アメリカのみならず世界中の人々が知るべきですが、
「そんなイラクに誰がした」と一言突っ込みたくもなりました。

それにしても、この硬派の映画を撮った監督がキャスリン・ビグローという女性監督だなんて信じられません。
(女性監督のアカデミー監督賞は初めてだそうです)

「アバター」の監督とは元夫婦だったのでそのことで話題を呼びましたが、
きっととても「強い女性!」なのでしょうね。
このような映画を観る我々も「男性的」なのかもしれませんが・・・

映画を観終わって外に出るとすでに夜のとばりがおりて、銀座通りは華やかな灯りの世界に変身していました。
「食事をして行こう」

どのお店に入ろうかと、さんざん迷って行ったり来たり・・・
結局、「メルサ会館」の中にある「ヴェトナム料理」のお店に入りました。

最初は香味野菜のスープ、濃厚なお味です前菜は生春巻きと春雨サラダ
更に点心のようなお料理が続きますメーンディッシュは海老のグリルとホタテの大根煮

ヴェトナム麺のフォーは海鮮麺を選びました最後のデザートでもうお腹がいっぱい

私たちはコース料理を頼みましたが、ヴェトナムのお料理のお味は、甘酸っぱくて辛いのですね。
でも野菜タップリで、エジプト料理と比べると雲泥の差・・・
アジアン料理は日本人の口には合いますね。
現地のヴェトナムのビールが美味しかった事

何しろ上野の「国立博物館」で80分待ちの合計三時間以上を費やし
映画館では切符を買うのに並び、更にランチがわりのホットドックとコーヒーを買うのも長蛇の列
流石に喉が渇いておりました。

この日の銀座は久しぶりのお天気に誘われて夜の銀ブラを楽しむ人も多く
花のお江戸は人をかき分けズンズン進める体力と、長時間並ぶ忍耐が必要と実感いたしました。

「癒し」を求めて絵画鑑賞と映画鑑賞、そして友人とのお食事と愉しいお喋りで盛り上がりましたが
「癒し」というよりも、大きな「刺激」を受けた一日となりましたわ。

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癒しを求めて(1)・「長谷川等伯 特別展」

2010年03月12日 | 美術館&史跡巡り

低気圧の影響で雪混じりの風雨が続き、ハッキリしない毎日でしたが、
昨日(3月11日)やっと晴れ上がりましたね

我が家からクッキリと富士山が見えたのは何日ぶりでしょうか・・・
火曜日の夜から水曜日にかけては、横浜南部の我が家周辺もうっすらと銀世界でしたから、
富士山の雪も断然多い感じです


今週初めに両親がお世話になっている施設に出かけたら、父はコックリコックリ居眠り状態・・・
「ヘルペスをやって以来体力が無くなったようで、最近は日中も寝ている事が多いですよ」
とのスタッフさんのお話でした

寝ている父に「目は大丈夫?」と問いかけると、目をつむったまま「痛い」との返事でビックリ
すぐに看護婦さんを呼んで看てもらいました。
「様子を見ておかしい様だったら連絡します」とのこと・・・

家にいても気になるので、何度も父の様子を見に行ったりの落着かない日々を過ごしていましたが
取りあえずは充血もなさそうで、ちゃんと目を開いて自分でお茶碗を持って
お食事もしているようなので、少しほっとしました。

このピンク色のお花は上野公園に咲いていた「寒緋サクラ」です。


久しぶりの好天に恵まれた上野の山は、ソメイヨシノはまだでしたが、
濃いピンク色の「寒緋サクラ」が青空に映えて綺麗でした。
これぞ「春色」ですね。

この上野の国立博物館で開催されている「没後400年特別展・長谷川等伯」に行ってきました。

だんだん体力がなくなってきている親を見る度に切なくなりますが
私がクヨクヨ考えてもどうにもなりません。

そう割り切って、以前から決めていたこの日、ご近所仲間のぷりんさんと
一日、存分に楽しんできました。
(もう一人一緒に行く予定だった仲間がいたのですが、今回インフルエンザに罹り同行できませんでした)


水墨画の最高峰「松林図屏風」(国宝・東京国立博物館蔵)、
金碧障壁画の至宝「楓図」(国宝・京都智積院蔵)を描き
あの狩野永徳をも脅かした絵師、長谷川等伯(1539~1610)は能登七尾(石川県)に
生を受け、はじめは「信春」と名乗り仏画を描きました。

30代で上洛すると画題を肖像画、花鳥画などにも広げていきます。
豊臣秀吉や千利休ら時の権力者に重用され、一躍桃山時代の寵児となりました。

時に精緻に、時に豪放に描き分けられた作品群は、いまも我々を魅了します。
(上にUPした案内用のチラシより))



家を10時過ぎに出て、11時半ごろ上野駅の「公園口」の改札を降りました。
国立博物館方面に向かうと、たくさんの人々が同じ方向に歩いていきますが
何やら嫌な予感が・・・


ナント、行列は延々と続き、入館規制が行われていて80分待ちとか
一瞬、入館を迷いました。
でも・・・
3月22日までの展示ですから、出直したとしても混むのは必至
2人で楽しかったエジプト旅行の話をしながら、80分並んで待ちましたよ


11日(木)は久しぶりに晴れたこともあり、叉、前夜10時からNHKTV「歴史秘話ヒストリア」
長谷川等伯が紹介されたすぐ後だったのでこんなに混んだのでしょうか?

<
番組の中で紹介された3点の国宝をマウスオン・クリックでご覧下さい

一枚目は「楓図壁貼付」
この絵は中央に松の太い幹と、水平に広がる枝がダイナミックに描かれ
その周りには秋の花々や色付いた葉が繊細に描かれています。
秀吉の好みを意識した豪奢艶麗な作品です。

等伯は御用画家の狩野永徳に熾烈な競争を挑みますが、妨害にあったりで中々叶いません。
ところが永徳がこの世を去った翌年、3歳で亡くなった秀吉の嫡子である鶴松の菩提寺・祥雲寺の
大仕事が舞い込みます。

永徳を意識した金碧障壁画でありながら、狩野派にはない抒情的な自然表現を取り入れ、
等伯はこの仕事を通して名実共に狩野派に対抗するまでになったようです。

二枚目は「桜図」
こちらは等伯の息子久蔵の作品と言われている国宝です。
今回の特別展には出ていませんが、等伯の「楓図」と一対に考えられる作品のようです。

三枚目は「松林図屏風」
障壁画完成の前年に、等伯の良き理解者であった千利休が自刃。
その上、等伯の片腕となって制作にあたった息子の久蔵までが、
26歳という若さで亡くなってしまうのです。

この「松林図屏風」には、大切な人たちの死を乗り越え、
水墨画にその境地を求めていった等伯の心情が映し出されているようです。

この絵の前に佇んでいると
実際には描かれていない霧に自分が包まれているような感覚を覚え
その幽玄な世界に圧倒されます。


今回、私はお気に入りの作品の絵葉書を5枚買いました。
印刷物だと、本物の作品が持つ奥深さや渋み、煌びやかさなどが感じられず残念ですが・・・



こちらは金の輝きと、色付いた葉や秋草の色彩が美しい「楓図」の絵葉書1枚です。


そしてこちらは同じ絵師が描いたとは思えない、すべて装飾的な物をそぎ落とした
墨一色の世界の「松林図屏風」
絵葉書を二枚買って左右に並べてみました。


こちらも2枚並べて一つの作品となる「柳橋水車屏風」の絵葉書です。

金箔と水墨画をドッキングさせたような画風で、ナント大胆でモダンなのでしょう・・・

その他にも絵葉書は買いませんでしたが、息子の鶴松を亡くした大公秀吉のために描いた
国宝「松に秋草図屏風」(京都・智積院蔵)や
日蓮宗に帰依する等伯が上洛後、居住し制作活動を行った本法寺蔵の、見上がるばかりの大きさの
「大涅槃図」(縦10m、幅6m」などの作品も印象に残りました。

私たちが見終わって外に出たのは3時少し前・・・
2時間かけて鑑賞した事になります。

この特別展は、国宝3点、重要文化財約30点の、全80点・・・
国内にある等伯の作品のほとんどが集められたようです。
80分並んで見た価値は充分にありました。

これからお出かけを計画している方は、是非朝一番で行かれる事をお薦めします。

ランチを食べる時間が吹き飛びましたが
私たちはもう一つの「癒し」を求めて、ダッシュで上野駅に向かいました。

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孫娘の誕生祝い

2010年03月07日 | 
が行ったり来たり、その上隠れてしまったりの定まらないお天気が続いています


去年の今頃は可愛い小粒のラン、白とピンクの「ギンギアナム」が咲いていましたが
今年はまだ蕾み・・・
その代わり、見事な大輪のシンピジュウムの4本立てが先月から咲き出しています。(8日、画像追加)


遅まきながら「雛人形」のUPです。

孫娘の菜々ちゃんは3月7日が満2歳のお誕生日

冷たい雨のふる今日の日曜日、孫娘の「お節句&誕生日」のお祝いに
両方のじ~じとば~ばが招かれて、息子宅でお嫁ちゃん手作りのご馳走を戴きました。

お雛様はすぐにしまわないと「お嫁に行くのが遅くなる」と言われています。
今の時代は少々結婚が遅くてもさして問題なし・・・
とば~ば2人が話していると、ハー君のお話しは少し違っていました。
「お雛様をずっと出しているとお内裏様同士がケンカするので、早く片付けなければいけないんだよ」
これがちびっ子たちの現代風の考えのようです。

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私が準備した「バースデーケーキ」、ロウソクが2本になりましたね。
マウスオンでご覧下さい

「菜々ちゃん、満二歳のお誕生日、おめでとう」

怪我をしたり、肺炎で入院したりしてようやく迎えた去年の「初節句&1歳の誕生祝」から1年・・・
菜々ちゃんも今年は本当に元気で、こんなに大きくなりました。

でもまだちょっと火の付いたロウソクが怖くて、ニィニィに一緒にふ~ふ~してもらいました。

2月に行ったグアムでは海やプールにも入ったし、
このところ毎週のように元モーグル選手のオトウタンに連れられて
志賀高原のスキー場にも行っているお兄ちゃんと菜々ちゃんです。

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「カマボコにお雛様の絵が描いてある~」
とハー君に言われてアップ写真も撮りました。マウスオンでご覧下さい

両方のじ~じとば~ばはお正月以来2ヶ月ぶりの顔合わせです。
毎年お正月明けにみんなで一緒に温泉旅行に行っていましたが、今年は息子一家が「グァム」へ
そして私の「エジプト旅行」もあったのでみんなでの旅行は無しにして、
息子の新居で「新築祝い」も兼ねてのお正月を祝いました。


そして今日は菜々ちゃんが主役
両方のじ~じとば~ばから、たくさんのプレゼントをもらって嬉しい一日でしたね。

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ママが歯医者さんに行ったり、御用があるときには近くに住む私が菜々ちゃんと
2~3時間遊んでお留守番していますが、菜々ちゃんの言葉が達者なのに驚かされます。

そしてダンスも大好きなのね。
♪ぷるるんるん♪♪
シマちゃんと一緒に踊ります。
マウスオン・クリックで三枚の菜々ちゃんのポーズをご覧下さい

私がカメラを向けると、お出かけスタイルでちゃんと夏用のサンダルまで履いて決めてくれました。
男の子しか育てていない私には、菜々ちゃんの一挙一動が面白くて可愛く見えますわ


じ~じが作ったリビング前の2Fのデッキも、二人の良い遊び場になっています。
時々ケンカもするけれど、仲の良い兄妹・・・
これからも元気に育って欲しいと、ば~ばは願います。


去年の菜々ちゃんの初節句の日に見事に咲いていた我が家の庭の「枝垂れ梅」は、
今年は冷たい雨に打たれて、終りに近くなっていましたが・・・
その代わり「ヒュウガミズキ」が元気に咲き出しました。(8日、画像追加)

本格的な春がもうそこまで来ているようですね。


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エジプト紀行・その5「サッカラの階段ピラミッド」

2010年03月02日 | エジプト紀行
「冬季オリンピック」も終り、気がついたら慌しかった2月は過ぎ去り弥生3月に入っていました。
春を探しに出かけたいところですが、この所の悪天候に足止めをくらっています。

引き続き「エジプト紀行」をUP致しますのでお付き合いください。

サッカラ
「メンフィス博物館」を見学してから、運河の反対側にあるネクロポリス(死者の町)として
数多くのマスタバ墳(墓)が造られたサッカラに向かいました。

ここはエジプトでのピラミッド建設の第一歩をしるしたと言われる
「ジェセル王のピラミッド」が在る所として有名です。

「階段ピラミッド」

風が強くなり「ナツメヤシ」が大きく揺れていました。
細かい砂が舞い上がり、バスの窓も曇りがち
「砂嵐」が多いのは3月から5月にかけてと聞いていますが・・・

そんな中、ジェセル王の「階段ピラミッド」が前方に見えてきました。


バスを降りて入り口を入ると、二列20本の柱が並ぶ柱廊が続きます。
モモちゃんが棒を使って、何やら柱の説明してくれましたが内容は覚えていません


柱廊を抜けると「階段ピラミッド」が目の前に現れます。
これが紀元前2650年頃の古代第三王朝時代に建てられた世界最古のピラミッドです。

マスタバを6段重ねた階段状になっていて、高さは約60m、基底部は140m×128mと小ぶりですが、
それまでとは全く違う新しい形の墓を造りました。
その形は独特で、私たちが持つピラミッドのイメージとも少々異なりますね。
(ただし今回見学したどのピラミッドも基底部は四角形です。三角錐ではありません)


風がますます強くなってきたので、カメラを慌てて上着の内側へ隠し
そして、ウインドブレーカーのフードを深くかぶりました。

音声ガイドを通してモモちゃんの説明は続きます。

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マウスオンで、右側の三本の柱と「王の小館」をご覧下さい

東西277m、南北545mの周壁に囲まれ、「階段ピラミッド」を中心に「セド祭殿」、「葬祭殿」の
建物が残っており、ピラミッドコンプレックス(複合建築)の仕組みがよく分る場所す。

<>

今から4700年も前のピラミッドだけあって、崩壊が激しく手作業での修復がなされています。

モモちゃんが「ピラミッドから少し離れたこちらからの撮影がベストポイントです」というのを聞いて、
出口近くでもう1度カメラのシャッターを押しました。マウスオンでご覧下さい

カメラの前を横切った仲の良い二人連れ・・・
同じツァーで周っているTVでお馴染みのご夫妻です。
さてさて誰でしょう? 
(尚、お二人にはブログ掲載の了解をいただいてあります)


メンフィスやサッカラの周辺は、日本の昭和30年前後のような懐かしい風景が広がっています。

果物屋さん頭に荷物を乗せて運ぶ女性

去年旅したバリ島の田舎の風景にも良く似ています。

ただ「バリ島」では制服を着た小学生の姿が見られましたが、
ここではお父さんの手伝いをする子供の姿はあるものの、学校らしきものが見当たりません。


こちらの無数の穴のあいた塔は「鳩料理用」の鳩を飼っている「鳩小屋」です。
鳩のヒナ料理はエジプト料理でも有名で、結構美味しい物でしたよ。

車窓の風景を楽しみながら、モモちゃんの案内を何気なく聞いていました。
「エジプトには義務教育はありません」
「エエッ~、知らなかったわ」

「カーペットスクール」見学

「ペルシャ絨毯が有名ですが、エジプトの絨毯も品質が良くて負けません」
「このサッカラ周辺にはたくさんのカーペットスクールがあるので、これから見学に行きます」


「繊細なシルクのカーペットを織るのは、10歳前後の少女の指が丁度良いのです」
「ここでは8歳から15歳までの少女達が習っています」

中に導かれ入っていくと、薄暗い中でいたいけな少女達がせっせとカーペットを織っていました。
一瞬、昔読んだ小説「野麦峠」で描かれていた「女工哀史」の悲劇が頭に浮かびましたよ。

ここはあくまで「観光用」で、絨毯の製作をお見せするのが目的のようでしたが・・・

<
マウスオン・クリックで三枚の画像をご覧下さい

10cmを織るのに一ヶ月かかると聞いています。
気が遠くなるようなお話しですが、私のカメラに向かって微笑んだ少女の笑顔を見てホッとしました。
大人の先生達は指が太いので、織るのはウール専門だそうです。

最近、草木染と織物に懲りだしたK子さんは熱心に先生達が織る姿を見ていました。

私たちはチップも要らない綺麗なトイレを使わせてもらってから、2階に案内されました。

2階の絨毯売り場は撮影禁止でした。
流石に100万円を越すような超高級カーペットが並んでいます。


私が買えるのはこの程度、絹で織られた(35cm×15cm)小さな花瓶敷きを購入しました。
米ドルで110$、日本円で1万円とか・・・

プリンさん姉妹と一緒に「同じものを3枚買うから負けて」と交渉しましたが、
負けてくれたのは僅か500円、9500円を払いました。

少女たちの姿にほだされて記念に買いましたが、何だか上手く乗せられた気持ちがなくもありません。

今我が家のリビングのカップボードの上に敷いて、備前焼きの壷を置いています。
それが案外マッチしているので良かったと思っていますが・・・


ギザの街に戻り、最後は「パピルスの専門店」に案内されました。

「皆さんはロスアンゼルスオリンピックで、柔道の山下選手が金メダルを取った試合を覚えていますか?」
バスの中でモモちゃんがその時の試合のビデオを流し、そして語り始めました。

「あの時の決勝戦の相手はエジプトのラシュワン選手でした。」
「彼は山下選手の負傷している足を狙わずに、フェアプレーで戦い負けましたが、エジプトでは英雄となりました」
「山下選手とも深い友情が生まれ、それが縁でラシュワンは山下選手の監督の妹さんと結婚
「ここギザにパピルスのお店を開いています。これからいく所がラシュワン選手のお店です」

店内は撮影禁止でしたが、実演をまじえてのパピルスから紙を作るまでの説明を受け、
ウエルカムドリンクとクッキーを戴き、そしてパピルスの額とお土産用のしおりを10枚買いました。

ツタンカーメン王の夫婦が描かれた額「ツタンカーメンの玉座」(25cm×25cm)は100$(9000円)、
JTBのお客様は1割引になりましたが、物価の安いエジプトから考えれば結構なお値段です。

「町の市場で売っている安物のパピルスはサトウキビから出来ています」
「甘いから、やがて蟻がたかって変色します」
というモモちゃんの言葉を信じて、ここで本物を買いましたよ。

山下選手のお話も聞かされて、本当に説明の構成が上手いプロ中のプロのガイドさん。
イケメンでステキなお方でしたわ

コメント (26)
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