急きょ、昭和記念公園のチューリップを観賞してからお食事会となりました。
聞きしに勝る見事なデザインのチューリップのグラデーションにウットリ
22万球のチューリップと17万球のムスカリが今月末まで見頃のようです。
池や渓流の周りに植えられた数々の色合いのチューリップ
ムスカリの青紫が引き締めて、美しいデザイン画のよう・・・
まるで外国に行った感じのするチューリップガーデンです。
このチューリップガーデンは、オランダのキューケンホフ公園の園長を長年勤められた
ヘンクN.T.コスター氏の監修により、平成18年に作成されたそうです。
これは緑色のチューリップでしょうか、今はお花の色合いの多さに驚かされます。
咲いた 咲いた チューリップの花が
並んだ 並んだ 赤・白・黄色
私が子供の頃は、チューリップと言えば赤・白・黄色が定番でしたね。
ふと昭和30年代の前半に、父の転勤で移り住んだ新潟市を思い出しました。
我が家近くには広大なチューリップ畑があり、春には赤・白・黄色の鮮やかな色彩で埋まりました
それが満開を迎えた頃、バッサリとお花を切り落とすのです
大人になって知ったことですが、新潟は富山と並んでチューリップの球根の生産地だったのですね。
転校したばかりの小学校の春の遠足はチューリップが咲きそろう「新潟農園」でした。
今PCで検索しても出てきませんが、あの見事なチューリップ農園はまだあるのでしょうか
東京中目黒の小学校から転校した私にとって、とにかく最初の新潟の印象は4月の菜の花畑と
5月のチューリップ畑の鮮やかな色彩でした
昭和記念公園のチューリップはパッチワークのように植えられて、どこを撮っても絵になります。
構図など深く考えずにパチパチとシャッターを押しました
お花の撮影には太陽の光と青空が欲しいところですが、雨が止んだだけでもバンバンザイ
チューリップの強烈な色彩は太陽の光を受けなくても、色鮮やかに感じられますね。
そして何より人が少ないのが良い
この素晴らしい景色を、お仲間の皆様と一緒に見ることができて嬉しい限りでした。
雨は夕方からという予報に、遠方の私は4時半起きで登山スタイルに着替えてスタンバイしていましたが
生憎の朝からの雨で奥多摩ハイキングは中止・・・
次の連絡があった集合時間には到底間に合わず、皆様を1時間も待たせてしましました
いろいろご迷惑をおかけしてスミマセン
最近は八重のチューリップもたくさん見られるようになりました。
シャクヤクのような感じで驚かされますね。
チューリップガーデンの先には、アイスランドポピーも咲きだしていました。
ふんわりとした薄い紙細工のような花びらが風に揺れています。
昔結婚25年の銀婚式の年に行ったカナダディアンロッキーのふもとの街で買った
お土産用の花の種を蒔いたら、これとよく似たお花が咲きました。
それ以来大好きになった北国の青空を思い出すお花です
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ポピーの名で出回る花のほとんどが、このアイスランドポピーだそうです。
他にもシャクナゲやオオデマリなどが咲きだしていましたが
珍しい「シジミ花」をパチリ・・・
貝のしじみに似ているからこの名が付いたのかしら?
この公園の広さと伸び伸びと育った木の大きさには圧倒されます。
このケヤキも絵になりますね。
広いはずです・・・
ここは以前東京都立川市と昭島市とにまたがって存在した米軍立川基地でした。
1955年、米軍立川基地の拡張計画が明らかになり、当時の砂川町(現立川市北部)の農家ら住民が反対同盟を結成。
労組員らも運動を支援して、拡張予定地の測量をめぐり警官隊とたびたび衝突し、
56年10月には1千人を超す負傷者が出たとか
結局1977年(昭和52年)に日本に返還され、跡地の大半は国営昭和記念公園に生まれ変わったそうです。
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砂川闘争の記憶は、当時まだ小学生だった私も新聞写真や映画館のニュース映画で観た覚えがありました。
前回来たのは、このメンバーに案内された3年前の秋こちらです。
あの時は立川口の入り口から連なる銀杏の黄葉が見事でしたが、
今の季節は芽吹きだした赤ちゃん銀杏の葉と、小さなお花がとても可愛い
ランチの件では幹事さんに多大なご迷惑をおかけしましたが、安くて美味しくて
ゆっくりできるお店で楽しむことができました。
歩いた後のが美味しいぃ~
いろいろな事がありすぎて、すべてが面倒になり「疲れた」が口癖になっている最近の私・・・
この昭和記念公園のUPもお仲間達の5日後になってしまい、お恥ずかしい限りです
好奇心と行動力抜群のブログ仲間さんたちに
たくさん刺激をいただきました。
特に幹事のDさんとRさんには大変お世話になり恐縮しています。
楽しい一日をありがとうございました