母の「皮膚がん」の手術が、今日無事に終わりました。
多くのブロガー仲間の皆様には、色々ご心配戴き励まされました。
御礼申し上げます。
「ガン」と言う言葉が重く、流石に私も昨夜は眠れませんでしたが、母はどう感じているのでしょうか・・・?
「ガンの疑いをかけられているみたいね」と真顔で言ったかと思うと、「病院に何しに行くの?」ととんちんかんな事を言い出したり・・・
手術室に入ってから出てくるまでに1時間半かかりましたが、事前の説明もさして無く、手術後も「できものは全部取って傷口は縫い合わせました。抗生物質と痛み止めを出しますから、今夜食後に飲ませて下さい。そして明日又傷口を見せに来て下さいね」と言う先生のお話だけで終わりです。
そのまま施設に戻って母はパクパクと夕食を食べていました。
何だかキツネにつままれたような思いですが・・・
「脳梗塞の疑い」と言うおまけまで付いた今回のがん騒動、疲れ果てましたが、まずはともあれ無事に手術が終了しホッとしております。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
10月26日、「出光美術館」で仙和尚の禅画を楽しんだ後、tomokoさんと私は「日比谷公園」に向かいました。
幸い雨もやんでいます
有楽門から入るとすぐに日本庭園が現れ、「心字池」が広がっていました。
江戸時代、日比谷公園のある場所は大名たちの屋敷町だったそうです。
大名は江戸城に登城するためには、日比谷御門の中の見張り役人が警備する日比谷見附を通り抜けなければなりませんでした。
そこには石垣があり周囲は濠でしたが、その一部を明治36年の開園時に「心字池」として残したそうです
←こちらがその日比谷見附跡です。
学生時代からこの公園には数え切れないくらい訪れていますが、このような歴史跡を知ったのは初めてのような気がします。
若い頃は、自分たちの事で夢中で、周りが全然見えていなかったのでしょうね。
心字池の隣にある第一花壇の広場に足を向けると甘い香りが漂ってきて、たくさんの「バラ」が私たちを迎えてくれました
tomokoさんと思わず「わぁ~、ステキ」と、声を上げてしまいました。
終わりに近いバラですが、一部をnon_nonさんのソースをお借りして纏めましたのでご覧下さい。
バラをユックリ堪能してから、私たちはランチをとるために「松本楼」を探しました。
明治26年、銀座で創業が始ったあの古い洋食屋さんです。
チャリティーの10円カレーが有名ですね。
<
昭和46年に暴動学生に火炎瓶を投げられ全焼したそうで、今の建物はその後に建てられた物だそうです。
私たちは一階グリルのオープンテラスでランチをいただきました。
3枚の写真をマウスオンクリックでご覧下さい
「松本楼」の詳しい情報はこちらでどうぞ
緑いっぱいの中で、ポークソティーのランチセットを戴きました。
古い洋食屋さんの懐かしいお味です
秋の空気を感じながら、tomokoさんとお喋りの花が咲きました。
ちょっと肌寒くなると、ウェートレスさんがひざ掛けを持ってきてくれました。
老舗の暖かい心遣いがうれしいですね
2人とも子供は息子だけで、娘がいない者同士です。
でも・・・
彼女は私と違って、ある意味自分の楽しみは後回しにして、2人の息子さんを有名私立高校から大学と出し、立派に育て上げた良きお母さんです
ご長男はドクターコースに進んで博士の道をまっしぐら・・・
3年前に結婚し、新妻を連れてもっかカナダに留学中だそうです。
「どんなに力を注いで育て上げても、息子は結局お嫁さんのものになるのね」と、tomokoさんは淋しそうでした。
「そうよ、所詮子供は親から離れていくもの・・・、又そうでなくては駄目なのよ。貴女はご主人と二人の楽しい老後を考えなさい」と偉そうに諭しました。
息子は息子の家庭があるんだから、こちらからあまり余計な口出しはしないのが一番!、SOSを出して頼ってきた時には報いるようにしてあげれば良いのよ・・・
そう訓示を垂れた私。
早速息子に頼まれて、孫の幼稚園の申し込みに徹夜で並ぶことになってしまいました
明日は午前中母を病院に連れて行き、夜の12時から主人と野外で徹夜で~す
雨よ、降らないでちょうだ~い
2009年9月のgooによるバージョンアップのため、文字が小さくなりました。
読みにくい場合は「表示→文字サイズ→大」としてご覧下さい。
多くのブロガー仲間の皆様には、色々ご心配戴き励まされました。
御礼申し上げます。
「ガン」と言う言葉が重く、流石に私も昨夜は眠れませんでしたが、母はどう感じているのでしょうか・・・?
「ガンの疑いをかけられているみたいね」と真顔で言ったかと思うと、「病院に何しに行くの?」ととんちんかんな事を言い出したり・・・
手術室に入ってから出てくるまでに1時間半かかりましたが、事前の説明もさして無く、手術後も「できものは全部取って傷口は縫い合わせました。抗生物質と痛み止めを出しますから、今夜食後に飲ませて下さい。そして明日又傷口を見せに来て下さいね」と言う先生のお話だけで終わりです。
そのまま施設に戻って母はパクパクと夕食を食べていました。
何だかキツネにつままれたような思いですが・・・
「脳梗塞の疑い」と言うおまけまで付いた今回のがん騒動、疲れ果てましたが、まずはともあれ無事に手術が終了しホッとしております。
☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆
10月26日、「出光美術館」で仙和尚の禅画を楽しんだ後、tomokoさんと私は「日比谷公園」に向かいました。
幸い雨もやんでいます
有楽門から入るとすぐに日本庭園が現れ、「心字池」が広がっていました。
大名は江戸城に登城するためには、日比谷御門の中の見張り役人が警備する日比谷見附を通り抜けなければなりませんでした。
そこには石垣があり周囲は濠でしたが、その一部を明治36年の開園時に「心字池」として残したそうです
←こちらがその日比谷見附跡です。
学生時代からこの公園には数え切れないくらい訪れていますが、このような歴史跡を知ったのは初めてのような気がします。
若い頃は、自分たちの事で夢中で、周りが全然見えていなかったのでしょうね。
心字池の隣にある第一花壇の広場に足を向けると甘い香りが漂ってきて、たくさんの「バラ」が私たちを迎えてくれました
tomokoさんと思わず「わぁ~、ステキ」と、声を上げてしまいました。
終わりに近いバラですが、一部をnon_nonさんのソースをお借りして纏めましたのでご覧下さい。
シャルル ドゥゴール | ||||
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バラをユックリ堪能してから、私たちはランチをとるために「松本楼」を探しました。
明治26年、銀座で創業が始ったあの古い洋食屋さんです。
チャリティーの10円カレーが有名ですね。
<
昭和46年に暴動学生に火炎瓶を投げられ全焼したそうで、今の建物はその後に建てられた物だそうです。
私たちは一階グリルのオープンテラスでランチをいただきました。
3枚の写真をマウスオンクリックでご覧下さい
「松本楼」の詳しい情報はこちらでどうぞ
緑いっぱいの中で、ポークソティーのランチセットを戴きました。
古い洋食屋さんの懐かしいお味です
秋の空気を感じながら、tomokoさんとお喋りの花が咲きました。
ちょっと肌寒くなると、ウェートレスさんがひざ掛けを持ってきてくれました。
老舗の暖かい心遣いがうれしいですね
2人とも子供は息子だけで、娘がいない者同士です。
でも・・・
彼女は私と違って、ある意味自分の楽しみは後回しにして、2人の息子さんを有名私立高校から大学と出し、立派に育て上げた良きお母さんです
ご長男はドクターコースに進んで博士の道をまっしぐら・・・
3年前に結婚し、新妻を連れてもっかカナダに留学中だそうです。
「どんなに力を注いで育て上げても、息子は結局お嫁さんのものになるのね」と、tomokoさんは淋しそうでした。
「そうよ、所詮子供は親から離れていくもの・・・、又そうでなくては駄目なのよ。貴女はご主人と二人の楽しい老後を考えなさい」と偉そうに諭しました。
息子は息子の家庭があるんだから、こちらからあまり余計な口出しはしないのが一番!、SOSを出して頼ってきた時には報いるようにしてあげれば良いのよ・・・
そう訓示を垂れた私。
早速息子に頼まれて、孫の幼稚園の申し込みに徹夜で並ぶことになってしまいました
明日は午前中母を病院に連れて行き、夜の12時から主人と野外で徹夜で~す
雨よ、降らないでちょうだ~い
2009年9月のgooによるバージョンアップのため、文字が小さくなりました。
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