カメラが趣味の古い知り合いが「富士山を撮りに行こう」と誘ってくれました。
こちらが我が家から眞反対の、静岡県側から見た富士山
頂上の剣ヶ峰が真ん中で尖っていて「山」という字に見えるそうです。
「宝永火口」は右手の雲の中・・・
こちらが東名高速道路の神奈川県側から見た富士山、宝永火口は一番左端です。
山梨県で見る富士山は、コレ又少し違って見えるはず・・・
東名を降り海岸線の道路を走ると「浜石岳」が見えてきます。
2000年の12月に仕事仲間6人で登り、あのパラボラアンテナが立つ頂上で
富士山と南アルプス、そして弧を描く駿河湾と伊豆半島の360度の眺望に感嘆した覚えがあります。
あの時、頂上でおにぎりを食べた後、左手南に進みミカン畑を下ってさった峠に出ました。
さった峠
今回最初に目指したのが目の前に駿河湾が望めるその峠です。
由比町と静岡市の境、駿河湾に突き出した山の裾にある峠で
歌川(安藤)広重の 東海道五十三次「由井宿」にも描かれており、昔は東海道の難所でした。
午前10時、雲が湧き富士山は頭だけ見えていてちょっと残念
この日は春の日差しが眩しい暖かい日和でしたから、霞もかかっていたのでしょう・・・
富士山は愛鷹連山の上に浮かんでいるように見えています。
眼下は東海道本線、国道1号、東名高速道路が通る日本の大動脈
ここは写真撮影の名所として知られています。
東海道線の電車が通過していきました。
一番左端の線路の上を走る銀色の電車が分かりますか?
オレンジ色と緑のあのお馴染みの車体ならもっと絵になるのに・・・
こちらが駐車場から歩いてすぐの展望台です
オバサマが描いていた富士山は、広重と同じような実物よりも尖った富士山でした。
この場所は歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の作品の中で
当時と同じ風景が望める、唯一残された場所とも言われています。
季節感を出すならミカンの木を入れた方が良いかしら・・・
もう一度ファインダーを覗いてシャッターを切りました。
旧東海道由井宿で、ランチ&散策
狭くて急な来た道を戻り、少し早いランチです。
由井と言えば駿河湾でしか獲れない「桜エビ料理」ですね。
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他にサラダと菜の花のおひたしもあり、お腹がいっぱいになりました。
由比宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠32軒の宿場だったそうです。
宿内の総戸数は160軒、難所であるさった峠を控えた宿場として、
ここに泊まる客も多かったようですね。
この本陣跡には広重美術館があり、浮世絵師歌川広重の作品を中心に
1300点余を展示しています。
正雪紺屋と暖簾の掛かった旧家は、由比正雪の生家と言われている所です。
江戸で多数の旗本や大名家臣に軍学を教えていた正雪は
三代将軍家光が死去すると、幕府転覆を企てた。世にいう「慶案事件」です。
当時、改易等で浪人が20万人にも増えており、それを憤った正雪は「浪人救済」を掲げ、
慶安4年(1651年)に江戸、駿府、京都、大坂で騒乱を起こすことを計画したが
密告で発覚、府中で自決しました(お店のチラシより)
由井宿の風情ある佇まいが気に入りましたわ
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田貫湖に向かおうと、富士宮市内に入ると富士山が綺麗に見えていました。
トップの画像の富士山は、この時車の中から撮った写真です。
山宮浅間神社
富士山世界文化遺産の構成資産の一つ、静岡県富士宮市にある「山宮浅間神社」に案内されました。
辺りは鬱蒼と大木に覆われ神秘的な雰囲気が漂っています。
ただ駐車場とトイレは綺麗に整備されていましたが、あちこち工事中でした。
鳥居から参道を進むと、大きくて立派な建物が現れます。
これは本殿ではなく「籠屋」と呼ばれる建物。昭和8年に再建されたもので・・・
大きな門のような形をしていて、くぐると砂利道の参道が続いています。
参道の先は50段ほどの石段ですが、こちらも工事中で迂回路を登っていきます。
石段の上は本来なら本殿がある場所ですが、ご覧の通り!
塀で囲まれた四角い場所に、空に向かって大きく伸びた大木・・・
そして正面に富士山が
富士山そのものを神として拝む所なのですね。
ここは噴火を繰り返す富士山を恐れて、富士山の平安を祈った「遥拝(ようはい)所」
古い富士山信仰の形を残した貴重な神社のようです。
日本で唯一ここだけ! 富士山自体を「神」として祀った「山宮浅間神社」。
古代からの富士山信仰を留めた神聖なる神社です。
この日は日曜日、東名高速道路の上り線がそろそろ渋滞しだすころ・・・
田貫湖行きは諦めて、帰路に着くことにしました。
今回は満足な写真は一枚もなし
こちらが今回のテキストですが、正直富士山の撮影はとても難しい
まず富士山自身が気まぐれで、姿を表したり隠れたり
気象条件・時間・光の具合・雲などを考慮し・・・
じっくりと時間をかけて狙わなければ良い写真などは到底無理
観光気分で芸術写真が撮れるはずないですね~