花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

中秋の名月の夜に「道の会」の懇親会

2015年09月30日 | 日常の日記
今年の中秋の名月は「9月27日(日)」
この日は防犯パトロールが終わってから自治会館で懇親会がありました。


我住宅街の半分を1時間かけて、カチカチと拍子木をたたきながら6500歩を毎夜平均7~8人で廻ります。
この「道の会」に参加させていただいてから私は夜空を見上げる機会が増えました。

お月見をするこの時期の十五夜が「中秋の名月」と言われています。
新月と呼ばれる月が出ないときから満月になるまでおよそ15日ほどかかることから
十五夜と言われていますが・・・

新月から満月へとなる周期が14日〜16日とブレがあるので、
実は十五夜はいつも満月とは限らないようです。

今年の十五夜は9月27日でしたが、満月は9月28日だったそうで・・・

折しもその日は月が地球に最も近づく「スーパームーン」が見られ
快晴の夜空に登りだしたオレンジ色の大きな月はそれは見事でした。

でも・・・
私はカチカチ会で歩きながら眺めただけで満足し、この日の写真を撮りそこなって残念でした

中秋の名月の夜に粋な「懇親会」

会場のテーブルの真ん中に飾られたお花・・・
ススキにワレモコウ、ホトトギスに十五夜菊だそうで、渋い藤の篭に活けられ、
周りに柿とイガグリが並べられていて、とても風情がありました。

味気ない会議室の中の懇親会も和みますね(画像がブレたのが残念ですが)


1200円の会費を払って、女性10人男性7人が参加しました。
お当番が用意したお弁当とおつまみと、差し入れのビールやワイン日本酒が並びます。

ひとしきり食べながら飲みながら周りの方々とお話しした後、
各自一人づつ近況報告と感じたことなどを述べました。

私が一番新入りなので、改めて名前を名乗りご挨拶しました。

「夫が昨年の夏に突然他界し途方に暮れている時に、私より一ヶ月前にご主人を亡くされた
斜め前に住む〇〇さんから誘われ、昨年の12月にこの会に入れていただいた事」

主治医から鬱にならないように、毎日せっせと歩き人と会って会話をする事!
言われていたので、この会に入ってそれが実行できて良かったし」

「趣味が山登りとカメラ撮影なので、こうして日々歩くことにより筋力がついて楽になったと実感」

「お仲間の皆様は自治会の役員をやった時の顔見知りや、夫が入っていたゴルフ会のメンバーもいて
すぐに受け入れてもらえ感謝している事」

そして「地域の中でそれぞれの分野で活躍している方々ばかりなので
決断に迷った折には相談にのってもらい頼りにしてる事」

「一軒家の独り暮らしは不安で不経済だけど、息子一家も近くに居るし
私が元気な内は何とかこの地で生活して行きたい」
「地域の皆様に見守られていると思うと安心できますので、今後とも宜しくお願い致します」と
挨拶しました。

これが今の私の偽らざる心境です。


去年と同じように、夫が入院している時も「水をやるようにと」気にしていた
小さなコムラサキの実が今年も色付きだしました。

でも・・・
デゥランタ・タカラズカが枯れてしまったのか?、お花が見当たりません昨年のお花はこちらです
酷暑の夏の外壁工事時に水やりができなかった事が原因と思います

夫亡きあと、私が淋しさで心が乱れると一緒にランチに付き合ってくれたり、カメラ撮影に付き合ってくれたりと
たくさんたくさん助けられた友人と、ここ数日連絡が取れず心配していたら
昨夜彼女からようやく電話がありました。

身体が思うように動かなくなり、スマホも手にできない状態だったそうです。
食欲もなくなり眠れない日が続き、あれほどダイエットしても痩せなかった体重が
日々減っているとのこと

MRIやCT検査で徹底的に調べてもらったけど異常なし・・・
「強度のストレスが原因らしい」とのことでビックリ

昨年お父様を亡くされ、ご主人がサラリーマンをリタイヤ・・・
頑張り屋さんの彼女は何でも自分でやり、家庭のすべてを仕切っていたようです。
それらが許容量を超え、ある日突然体調に変化が起きたのでしょう。

「もう無理が効かない歳なのよ(彼女は私より2歳若い)」
「夫の死後私も心労であっという間に5kg痩せて、いまだに戻らず・・・」

「あれもこれもやらなければと焦ると手が震え、煩雑な書類を前にすると
身体がザワザワして拒絶反応が出るようになり」

「陽が短くなって、冷たい雨の日は今でも朝から涙がポロポロあふれるけど
もう必死になって頑張らずに、人に頼ることもいとわなくなった」と言うと
「naoさん、それを聞いて気分がだいぶ楽になったわ、ありがとう」と感謝されました。

季節の変わり目は、頑張り屋さんほどドスンと身体に来るようです。
これを読んでいる皆様も用心してください。

今回は「相模川歩き」のフィニッシュをUPする予定でしたが、時節柄中秋の名月を優先し
私の心の内を吐き出し・・・

ブログも無理をしないことにしました、お許しを・・・



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相模川を歩こう、「山中湖」を目指して(最終章1)&お墓参り

2015年09月25日 | ハイキング・散策
シルバーウィークなる5連休も終わりました。
敬老の日があるからシルバーウィークと名付けたのか?
それとも春のゴールデンウィークに対してこの様な呼び名が付いたのか?

いずれにしても毎日が日曜日の我々には関係なく、むしろどこに行っても混雑していて
ご近所仲間と我が家近くでランチするだけでも30分並びましたわ

「三つ峠から山中湖へ」(9月19日)
恒例の「相模川歩き」も今回で最終章です。
総仕上げとして、何が何でも参加せねばと思っていました。

天候が不安定で大雨続きだった先週も、連休初日のこの日から晴れだして
空も味方してくれましたね


前回解散した「三つ峠駅」に9時15分集合
この日の参加者は男性6名・女性9名の15人でした。

お天気には恵まれましたが、まだ山々には雲が・・・
実りの秋を迎えた田園風景が眩しかったです


相模川が見えてきました。
去年の暮れに湘南大橋を渡り、平塚と茅ヶ崎の間の相模湾に注ぐ河口に立ちこちらです。

後半は4月の相模湖からスタートし、山梨県に入ってからは「桂川」という名前に変わり
多くの峡谷美を見せてくれましたが・・・
いよいよ源流の「山中湖」が近付いてきました。


三つ峠駅から歩きだしてまもなく「右方・富士山道」と書かれた
古い標識が建っていました。


昔から「霊峰富士山」を目指す人は多かったようで、
江戸時代はこの辺りも宿場町として栄えたようです。

私たちは富士山道とは違う左側の道を進みました。


町の鎮守様でしょうか?、それとも富士山と関係の深い「浅間神社」?


私たちも皆でお参りしましたよ。


富士の湧水が澄んだ流れを見せてくれて、ここでも鮮烈な美しさの水生植物が見られました。

あちこちにコスモスが咲き誇り金木犀の良い香りが漂っていました。




私たちはひたすら「山中湖」を目指して歩きます。
途中、往時を偲ぶ石碑が建っていて、標識には「三本松地蔵堂跡」と書かれていました。

平安初期に富士山が爆発し、衆生供養の場所であったこの場所一帯も溶岩に覆われてしまったようです。
元禄期に一乗寺の住職が、この辺りを開墾し地蔵堂を建てたとか・・・

近年「富士山噴火の可能性」もささやかれる中、遠い昔のお話として通り過ぎるわけにもいきませんでした

「笹子橋」と書かれた橋を渡ります桂川ではなく「相模川」と記されていました。




橋の上から眺めた「相模川」です。

由緒ありそうなお寺の境内に入りますモミジが色づき始めていました




「増上寺」と書かれていましたが、「あの都心にある芝の増上寺
でも「宗派が違うよ」と、どなたかが呟いていました。

中々立派なお寺で、お休み処の東屋があり綺麗なトイレもありましたのでここで休憩です。


フォークを持つ手、楽器を持つ手・・・
これだけたくさんの手があれば、一度にいろいろなことが出来ますね。

一休みしてから11時10分に出発しました。(次回に続く)


          

5連休中はお天気にも恵まれ、絶好の行楽日和となりましたね。

秋のお彼岸の季節でもあり、混む前の18日(金)に夫の姉たちに誘われ
高尾の夫の実家のお墓参りに行きました。


霊園の入り口には秋の七草の「オミナエシ」が咲いていました。

兄嫁と夫の姉二人が手なれた手つきで草取りをし、ツゲの木を刈り
私も一緒にお墓のお掃除をしました。

義姉たちとはその後高尾駅前でお蕎麦を食べ、店を移してケーキ&コーヒーで
午後4時までお喋りです

夫の実家の5人兄弟・・・
私を含めて、昨年一度に3人が未亡人になりました


下の義姉だけが12年前に連れ合いを亡くし、持病を持ちながらも
前々日には雨の中「安全保障関連法案反対」の国会周辺のデモに参加したそうです。

今年のお正月、一人ぼっちで迎える私のために大晦日から泊りがけで我が家に来てくれた
心優しい義姉ですが、内に秘めたる信念は誰もかないません

実は私、この日2時間以上かけてやって来た高尾ですが、
翌日は「相模川歩き」で、高尾駅発7時46分の電車に乗ることになっていました。

横浜郊外の我が家を早朝の5時半には出なければなりません。

時間と体力節減を考え、私はこの近辺の民宿に泊まろうといろいろあたりましたが、
連休前の金曜日はどこも満室

結局近くの八王子に住む中学時代の親友(2週間前にMM21で夕食を共にした友人)に
頼みこんで泊めていただきました。

45年前、新潟でOLをしていた彼女が東京に出てきた際、
この下の義姉の連れ合いが勤める会社を紹介し就職、2年後社内結婚をしました。

友人のご主人のことも良く知っている間柄・・・

今は幸せに暮らしているので、私たち夫婦が就職の橋渡しをして良かったと思っています。
で・・・
ずうずうしく「お泊り」をお願いした次第です。

tomoちゃんご夫妻、突然の押しかけにも嫌な顔せず受け入れてくれてありがとう


連休最後の日は私の両親が眠る、実家のお墓参りに行きました。

我が家から車で15分と近いので、息子一家も連れて行きたかったのですが、
家族でディズニーランドに行くとかで(しかもホテル泊り)、私一人で行きました

「お彼岸の意味」を教えなければ、若い人たちは知りませんものね。
来月に完成する父親のお墓には、毎年お彼岸にお花を添えてくれると信じていますよ。




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夫からの贈り物?、そしていただいた多くの花々と・・・

2015年09月20日 | 日常の日記
5連休のシルバーウィークが始まりました。
お彼岸の時期でもありますね。

はるばる高尾まで、義姉たちと4人で夫の実家のお墓参りに行ってきました。
そして翌日には、ワンゲルの会の「相模川歩き」の最終章・・・

この模様は次回ご紹介することにして、まずはこの一ヶ月の我が家の花々をUP致します。

突然姿を見せた白い「彼岸花」

我が家の庭の片隅に置いてあった大きな植木鉢に、白い彼岸花が咲きだしました。

今まで見たことはありませんし、夫が植えたのか?も定かではありませんが
きっと彼からの贈り物だろうと思うことにしました。

今年は忙しくて見に行けなかった彼岸花我が家で見られるとは思いがけないことですわ


最近はこの白い彼岸花も増えてきましたね。

旧盆から盆明けの一周忌にかけて、私や夫の友人たちから
たくさんの花々やお供物が届けられました。



先週息子とお墓のデザインを最終チェック、あとは10月下旬の完成を持つばかりとなりました。
納骨式は11月上旬に決め、親戚に知らせました。

ですから夫はまだ我が家に居るのですご近所の顧客様から届いたお供物・・・


ブログランキング「日本ブログ村」のシニア、60代や70代のお独り様のお部屋を時々訪ねていますが・・・

さる60代の女性は
”夫の死後、納骨までの間は自宅に骨壺がありました。
夫が入院している時よりも葬式の時よりも
1番寂しかったのは葬儀から納骨までの間でした。

毎朝、毎晩、骨になった夫に語りかけました。”

と記してありました。

今の私はまさにその心境です。


そして8年前に突然奥様を亡くされ、つい最近再婚なさった70代の男性は
”狼狽えて、われを失い、置かれたいまに納得しなかった。
これが、立ち往生だったかと............
無常観ってものができたとすれば、それはあきらめ。

そこから、すこ〜〜しずつ這いだしてきた。
背負っているのは「寂しさ」と「悔しさ」だから、
それを癒してくれる友を得たのは大きい。

あれぇ、1人も気儘でいいじゃないか.........
こういえるにも5年がかかっている”
と記していました。

今の私にも、もう少し時間が必要なのだと思います。

夫の一周忌は我が家で内輪だけでのお食事会

夫の弟夫婦と息子一家と、そして夫のお客様先のお庭を引き継いた仕事仲間さんが
お線香をあげに来ただけで、一周忌は我が家で内輪だけでの食事会と致しました。



ご近所仲間の4夫婦が我が家で「偲ぶ会」を・・・

「お線香をあげに伺う方々、お宅でご主人を偲ぶ会を開かせてほしい」と
親しいご近所仲間が言ってきました。

「コストコ(アメリカ系の大型スーパー)で皆の分の食料を買って行くから」
「あなたは飲み物だけを用意してくれればいいわ」
「紙コップや紙皿も持って行くから」と・・・

私を入れて9人が我が家に集まりました。夫婦同士で30年近いお付き合いです。


我が家は違いますが、このお仲間の奥様達は4人そろって血液型がAB型で、ご主人が全員A型

「年金のこともあるし、妻を残しては死ねない」「妻よりも1日だけ長生きしたい」と
殿方たちは口をそろえておっしゃいます。

日頃から「77歳でピンころで逝きたい」と公言していた我が家の夫とは大違い・・・
皆様責任感が強い旦那さまばかりで羨ましい限りでした

そんなこんなのお話で、気が付いたら午前0時

テーブルには乗りきれない「パエリア」やビックリするくらい大きな「ピザ」も・・・


とてもお腹には入りきれなくて、余った物は分けて持って行ってもらいました。
このピザの残りは翌日の私のお昼ごはんにしましたが、2切れでお腹がいっぱいになりましたわ。

煩雑な手続きはプロのご主人のお力を借りて・・・

相続の手続きがまだ残っていました。夫がやっていた「ネット証券」です。

まずは私がネット証券の口座を開設して、その中に夫名義の株を移すという手続き・・・
山のような書類が送られてきて、何が何だか分からない状態でした。

防犯パトロールで一緒に歩いて親しくなった方のご主人が、元大手の証券マン
夫とは同じゴルフ会でプレーをした仲間です。

私が自治会の役員をしたときの会長さんで、私とも顔馴染み
「申し込みの方法を教えて欲しい」とお願いしたら、ご夫妻2人で二束のお花を持って我が家に来てくれて
夫にお線香をあげてくれました。


奥様が「こちらのお花はあなたにピッタリと思って、別に買ってきたの」と・・・
それでリビングに飾りました。

「naoさん、提出する書類はこの2枚だけ、必要項目には印をつけておきましょう」
「準備するのは印鑑証明と戸籍謄本、そして本人確認の免許証のコピー」と説明してくれました。


こうして心強いお仲間たちに助けられ、何とかこの一年を過ごすことができました。
ご近所の皆様、そして友人の方々、本当にありがとうございます



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「箱根旅行」と小田原城、そして災害の観光地を憂う

2015年09月15日 | 旅日記
鬼怒川の決壊のニュースに衝撃を受けてすぐに、東京湾を震源とする震度4の地震を体験
そして昨日の阿蘇山爆発のニュース・・・
桜島の噴火も活発で、島民の一部避難のニュースを聞いたのも最近だったような気がします。

災害列島日本で生活するには覚悟が要りますね。
もう一度、改めて避難袋を点検しましたよ。

今回の水害では日光の鬼怒川温泉にも被害が及び、これからの紅葉シーズン
観光客の減少が気になります。
阿蘇も然りで、風評被害が心配ですね。

そんな中、日光と並ぶ関東の観光地「箱根山・大涌谷」の立ち入り禁止地区が一部緩和され、
噴火警戒レベルをレベル3から2に引き下げられたニュースが唯一救われました。

お盆の家族旅行は「箱根」
息子は例年通り、夏休みの旅行は「箱根の保養所」を2泊予約しました。
毎年、我ら夫婦とお嫁ちゃんのご両親も一緒に集まる、恒例のイベントです。


去年は夫が入院したので我が家はパス
楽しみにしていた子供たちのために、息子一家だけ決行・・・

その間夫が重篤となり、息子は連日電車で病院に通ってきましたわ。


あれから1年、私は8月15日の一日だけ参加、午後から電車で箱根に向かいました。
横浜のお盆は7月ですが、それでも旧盆中誰かがお線香をあげに来るかもしれない・・・

それに元気な孫たちと一緒の行動は、3日前に木曽駒ヶ岳登山をしてきた身には到底無理


保養所から見える箱根山・・・
この山の向こうが大涌谷だと思います。


登山電車の駅まで息子に車で迎えに来てもらい、私は午後4時頃合流・・・
すぐに温泉に入って、皆と夕食とを楽しみました。

そして食後はお部屋で全員揃ってカード遊びの「ウノ」で勝負・・・
(昔はもっぱらトランプ遊びが主でしたがね)

孫たちは前日、朝から夕方まで熱海の〇〇ホテルのプライベートビーチで海水浴
そしてこの日は箱根の「ユネッサ」でプールだったそうです

そしてお嫁ちゃんのご両親は二人で「箱根湿生花園」と「ガラスの森美術館」に行ったとか・・・
私も夫と何回か行きましたよ。

日頃は粗食の私、どのお料理も美味しいわビュッフェスタイルの朝食もしっかりと戴きました


いつもは8人だったこの集まり、今年から7人になりました
テーブルに座るのもバランスが悪いですね。

ロビーでは孫たちが喜ぶ縁日・・・朝ぶろに入って朝食後に卓球です。


ば~ばはハー君と真剣勝負、その後オトータンが相手をしてくれました。
以前は父子で真剣勝負をしていた息子こちらで紹介しています。
母親には優しい玉を打ち返してくれましたわ。

午前10時半に宿を出発し、息子一家は箱根湯本のアスレチック公園で遊ぶとか・・・

お嫁ちゃんのご両親はそのまま横須賀に帰るようです
冬に体調を崩したお母さんも元気になられて良かったですね。


私もアスレチックに誘われましたが、木曽駒ヶ岳登山の疲れも残っていて
「お父さんが待っているから、電車で帰るわ」と、息子の車で湯本まで行き駅で降ろしてもらいました。

やはり相方がいないということはとても淋しいことなのです

この時の箱根山はまだ噴火警戒レベル3で、箱根の観光地は閑古鳥が鳴いていると思っていましたが、
お盆の期間中は車も渋滞、保養所も満室でした。


箱根湯本から箱根登山鉄道に乗り、小田原に出ました。

このまま家に帰るのも味気なくて、デジイチ持ってきたのだから、月に一度の写真サークルに
提出する作品を狙わねばと、駅から歩いて10分の小田原城に行ってみました。


小田原城の天守閣はナント、改修工事中で中には入れませんでした。
工事期間などの詳しい情報はこちらでどうぞ

「小田原城」散策
15世紀末、伊勢宗瑞(後の北条早雲)が小田原に進出し、以後、北条氏が5代約100年にわたって
関東での勢力を拡大していきました。


小田原城は、関東支配の中心拠点として整備拡張され、豊臣秀吉の来攻に備え城下を囲む総延長9kmに及ぶ
総そうがまえ構の出現に至ってその規模は最大に達しました。


しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする秀吉の小田原攻めにより
北条氏は滅亡し、戦国時代が終焉を迎えました。


この日の箱根はうす曇りで涼しかったのですが、小田原まで下ると暑い暑い


それでも若い方々の見学者が、それなりにいましたわ。

銅門(あかがねもん)

馬屋曲輪(うまやくるわ)から二の丸に通じる位置にあり、二の丸の正門にあたります。


地元民のお散歩コースですね本丸には常盤木門、鉄門の2つの城門がありました



常盤木門

このうち常盤木門は本丸の正門にあたり、重要な防御拠点であったために、
他の門と比べても大きく堅固に造られていました

ファミリー向けの催し物もあります暑さで思わず食べた「氷イチゴ」


あまりの暑さに撮影意欲も減退し、サークルに持って行けるような画像は撮れませんでした


重機が並ぶ小田原城、この時は辛うじて全景が見られましたが、
ホームページによると今は幕で覆われているらしい・・・

息子が高校に入学した春に(今から28年前)、旅行会社の広告を担当していた夫が
「伊豆の高級ホテルに泊まらせてやる」と言って、家族で二泊三日の伊豆旅行に行きました。

泊まったホテルは今はない下田の「黒船ホテル」だったような・・・
その帰りにこの「小田原城」を見学し、天守閣に登った覚えがあります。

その時のことを思い出しながら、私は電車で帰途に着きました。
案の定、弟と私の友人たちからお花が届いていたようで・・・
不在票が何枚もポストに入っていました。

旧盆が明けるとすぐに夫の一周忌
この一ヶ月、多くの方々がお線香をあげに来てくださったり
お花やお供物を送って戴いたりで、私は接待と礼状書きに追われていました。

皆様、夫の事を覚えていてくれてありがとうございました





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大雨と私の不安

2015年09月10日 | 日常の日記
いや~、よく降りましたね~
「これまでに経験したことのない降水量で重大な状況になっています」とのことで
気象庁から「大雨特別警報」が出されたようです

我街も9月7日の夜から8日(火)・9日(水)は豪雨になりました。

8日は「筋トレ体操」の日なので、ご近所仲間4人で歩いて10分のコミニティーハウスに行きました。
終わってから近くのスーパーでランチ&お喋りをして、2時過ぎに帰りましたが
レインコートを着て傘をさしていても濡れましたよ。


そして9日は同じ場所でコーラスの日、10月のコミハ祭りに参加するので
練習も追い込みで休むわけにはいきません。

洪水警報が出る中、歩いて行く気力がなく車で行きました
幸い我地域は川もなく、丘陵地帯で洪水の心配はありません。

帰路大きな虹が出ているのを見つけ、慌ててコンデジを取り出しパチリ
よく見るとダブルの虹です


そして我が家の2階のベランダに出てみると、まさに陽が沈むところでした。

富士山は見えていませんが夕焼けが広がっていたので、翌日の今日は台風一過の晴天を期待しました。
でも晴れ間はほんの30分程度で、その後も雨は降り続き・・・
TVでは神奈川県の相模川や引地川等の河川が、避難水域に達したとの速報が出まくりましたね。

今朝は雷鳴で目が覚めました
そして大雨の範囲は北関東に移っていて、鬼怒川が氾濫したニュースをやっていました。
大きな被害に心が痛みますね。

今月に入って晴れたのは、5日の土曜日だけたったような気がします。


この5日の午後、夫の仕事仲間が3人、一周忌のお線香をあげに来てくれる方々、
夫が造った我が家のデッキを支えている物入れの柱と梁に腐食剤を塗ってれましたから、
晴れてくれて本当に良かったです。

(外壁業者は外側だけ塗って、肝心の所が残っていたのですよ

中学時代の友人とMM21で夕食を共にする(9月6日)
先週はご近所仲間の4夫婦も夫にお線香をあげに来てくれて、お食事も持ち込みで
私を入れて9人が我が家で食事会


6日の日曜日は流石に接待疲れでぼぉ~としていると、八王子に住む中学時代の親友からTEL
「今日明日と主人が旅行でいないから、私横浜まで行くから一緒に食事をしよう」と誘われました。

午後3時に桜木町駅で落ちあい、ラウンドマークタワーで大道芸を見て・・・


トモちゃんは時々心配して電話をくれますが・・・
会ったのは今年の3月末、リメークデザイナーの同級生が住む半蔵門のマンションに
2人で伺って以来でしょうか・・・


日本に現存する商船用石造りドックとしては最も古い「旧横浜船渠第2号ドック」を
後世に伝えるべき資産として復元して生まれた「ドックヤードガーデン」横の

ドッグレストランで、まずはコーヒーを飲みながらお喋りをしましたこちらです。
(先月ラッシーママさんとランチしたところです)

そして5時になって夕食をするために、お隣のビルの「コレットマーレ」に移動しました。
この頃から雨が降りだしました。


去年の5月の結婚記念日に夫と映画を観てから食事した日本食の店や、
昨年の「海の日」に山仲間とランチしたスペイン料理の店などが入るコレットマーレ

MM21の見晴らしも素晴らしいので・・・
最近はもっぱら駅横の新しいこの商業施設のレストラン街を利用しています。

パン食べ放題のレストラン・サンマルクのカジュアルコースをいただきました


お店と詳しいメニューはこちらです。

前菜はトモちゃんがエビで、私はホタテを選び、メインディッシュは2人共白身魚のポアレ
(お喋りに夢中になり、メインディッシュの画像を写し忘れ、ネットよりお借りしました)

自家製パンは20種以上、焼けるごとに若いお姉さんが持ってきてくれて、私たちも食べる食べる
小さいパンを7~8個頂いたでしょうか?

二人で語りながらのお食事は美味しいね
TVがお供で一人で食べる夕食はやはり淋しくて・・・
泡泡で流し込んでいるようなものですわ

日曜日はお互い最終バスが早いので、8時過ぎには席を立ち駅に向かいましたが
外は大雨となっていて、折りたたみ傘では駅までの2~3分でも濡れました

横浜線で帰るトモちゃんと別れて電車に乗ったら、一緒に防犯パトロールで歩いている
ご近所の奥様に会いました。
(もう少し遅かったら、京浜東北線も遅れたようです)

駅には娘さんが車で迎えに来てくれていて、私も乗せて頂きました。ラッキー
バスだったら、停留所から我が家までの5分でずぶ濡れになる所だったわ


          

木曽駒ヶ岳登山から帰って、翌朝たくさんの洗濯物を洗おうとしたら
洗濯機が作動しません

まだ買って3年しか経っていないのに・・・

水が注入されないのです旅行から帰ってきたらPCが開けない・・・


洗濯機はすぐにメーカーの消費者窓口にTELしたら、5日後に2人の作業員が来てくれました。

その間は息子の所の洗濯機を使わせてもらいました。
お嫁ちゃんが言うには「ドラム式は汚れ落ちが悪い、壊れやすい」とのこと

結局水道の蛇口につなぐところの部品交換ということで、出張費と合わせて15000円

旧盆中に息子一家と旅行して帰ったら今度はPCが、パスワードを受け付けずロックがかかってしまった
私毎日使っているパスワードを忘れるほどボケていないはず

結局購入したお店に持ち込み、訳が分からないまま指示された通りに一度家に帰り
お店からの電話を受けたら開けたようです。ハァ~

5年の延長保証を付けていたのに、それはハード面の適用で、ソフト面では
お店のクラブに入っていないと有料とのこと・・・
4000円請求されましたわ。

そしてとどめは「漏水」
水道の検針時に「お宅は前回の2.5倍かかっています」といわれ、

「外壁工事の時に高圧洗浄をかけたからそれが原因かも」とも思いましたが
全部の水道栓を閉めても、針が動いているとのこと

水道屋さんを紹介してもらって調べたら、外のメータに繋がっている管から漏っているらしい
値段は3万円からで、場所が遠くだとどんどん高くなるとか

結局、36000円の請求がありました。
僅か2週間で次々とトラブルが続き、懐も痛み対応にも疲れ果てましたわ

女一人の家の中に入って来られての作業がとても不安で、
その都度ご近所の友人に立ち会ってもらいました。

ガス漏れの点検時もチラシを見ていなかったから
東京ガスの制服着ていても信じずに、友人のノリチャンに確かめ来てもらいましたよ。

夫がいた時は考えもしなかった事が不安で、まずは疑ってしまい疲れ果てている私です




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美ヶ原高原と中央アルプスの主峰「木曽駒ヶ岳」登山(最終章)

2015年09月06日 | 山シリーズ
9月に入り、少し残暑も見られクーラを入れる日もありましたが
6日の日曜日は涼しい朝を迎え、夕方から大雨となりました

中学時代の友人とMM21で食事&お喋りと楽しみましたが、帰路には傘をさしても濡れる始末・・・
次週の天気予報も傘マークが並び、ため息が出ますね

「木曽駒ヶ岳」頂上から下山(8月12日)
3週間以上も前の、楽しかった「夏山登山」の思い出を懐かしんでいます。


この日は薄曇りでしたが、木曽駒ヶ岳の頂上から北アルプス方面が良く見えました。
40~50代の頃に、3人で歩き廻った峰々を遠く眺めながら、お弁当タイムです


30分後に招集がかかり、ガイドの堺澤清人さんの説明が始まりました。
(79歳とは思えないお元気なベテランガイドさんです)

「本当の頂上はどこか解りますか?」

あちこちに標識は建っていますが・・・「本当の頂上はこの一等三角点です」とのこと


そして字が書いてある側が南だそうです。

「頂上にお宮さんが二つ建っていますが何故だか解りますか?」
更に説明が続きます。


伊那側を向いているのは「伊那駒ヶ嶽神社」


木曽側を向いているのが「木曽駒ヶ嶽神社」

頂上に珍しくアゲハチョウが飛んでいました。
その模様をガイドの堺澤さんがブログにUPしていますこちらです。


「三ノ沢岳」が目の前に見えていました。
ブログ仲間の山小屋さんが7月に登ったようですねこちらです。


12時15分に下り始めます。
すぐに「姫ウスユキソウ」が咲いている所をガイドさんが教えてくれました。

結婚30年記念で行ったスイスの、マッターホルンを見ながら歩いたコースに咲いていた
エーデルワイスとよく似た大きさです。

ガイドさんが「以前もこの駒ヶ岳に登ったことがある人いる?」と問いかけたので
「はぁ~い、25~26年前に夫とご近所のご夫妻と4人で登りました」と答えると
「思い出の山なんだね」と言われ・・・

思わず「その夫も1年前に亡くなりました」と喉まで出かかりましたが声を出すのはやめました。
山に感傷を持ち込むのは禁止です。


来た道を戻ります。
木曽駒ヶ岳からの下りで見た「中岳」と、鞍部に建つ頂上小屋。


中岳を登り返し下った先の天狗岩で撮影タイムです
右手の岩が天狗の顔に見えるでしょうか・・・

乗越浄土まで戻るといよいよ千畳敷カールの急下りが始まります。
下る前にガイドさんから靴の紐の結び方の実践がありました。

「下りはダブル結びの繰り返しでキッチリと紐を結ぶ事」
「登りは一つ手前で結び終えて、足首にゆとりを持つ事」

流石に初級コース、お勉強になります。
体力が衰え、そろそろアルプス登山もできなくなる頃に教えてもらうなんて遅すぎたわ

千畳敷カールの花々
山での怪我は圧倒的に下りの方が多いと聞いています。
最初の下りの八丁坂は慎重に歩きましたが、お花がたくさん現れるとカメラを取り出しました。


行きに見て、帰りには絶対に撮りたいと思っていた「山トリカブト」
ブログ仲間のtonaさんは「サクライウズ」(ヤマトリカブトの仲間)と紹介しています。


午後になってもまだまだ登ってくる登山者が多く、下りも時間がかかります。
この日から流星群が見えるとかで、テントを担いだ若者も多く見られました。

イワオトギリヨツバシオガマ




久しぶりに見た「コバイケイソウ」

タカネグンナイフウロクロトウヒレン(おみやさんに教えていただきました)




たくさんの高山植物が咲いています。
他にもクロユリやクルマユリも見られましたが、歩きながらの撮影で画像がボケました

ミヤマアキノキリンソウエゾシオガマ




チングルマが穂になっていました。
青紫の小さな蕾はミヤマリンドウでしょうか・・・

可愛い2本のウサギギク花弁が光っているのはミヤマキンポウゲ


高山植物を堪能し、ロープウェー駅に戻ると大勢の人々が・・・
添乗員さんが中岳から一足先に下り整理券を手にしましたが、1時間以上の待ちとなりました


3時半過ぎにようやく乗れたロープウェー、標高差1000m近くを8分で下ります。


眼下の急峻な山肌を流れ落ちる「滝」があちこちに見えていました。
こうして午後4時にしらび平に戻ってきました。

帰路、駒ケ根の日帰り温泉に寄ってさっぱりしましたが、時間が巻いて大忙し

午後6時にバスは中央高速道に入りました。
すぐに事故渋滞があったり、大月~小仏間の自然渋滞があったりで

途中のサービスエリアでの2度のトイレタイム時に、海苔巻きやお稲荷さんなどを買って
バスの中で食べながら、3人でお喋りしたり居眠りしたりで過ごしました。

Yさんがバスを降りた町田で、今回もザックの取り違いがあり(前回参加した弥彦&角田山登山でもありました)
バスが戻ったりして、横浜駅に着いたのが10時半を大きく廻っていて、急ぎ足で電車に乗りました。

たまたま同じツァーに我が家の隣の住宅地の方がいて、近くの駅から一緒にタクシーに乗り
帰りついたのは11時半でした。

でも・・・
久しぶりのアルプス登山、十分に満足しました
「又行きましょうね」と3人で約束しましたよ。

コメント (20)
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オフ会・今年も伊東で「夏合宿」

2015年09月02日 | 旅日記
9月がスタートしました。
秋雨前線の影響で、連日ハッキリしないお天気が続いています
あの眩しいまでの暑い「夏」はどこに行ったのでしょう

伊東で夏合宿(8月28日~29日)
恒例となったブログ友のラッシーママ家の伊豆・伊東にある別荘での集まり・・・
去年は夫の突然の死去で参加できませんでしたが、この夏は4回目の参加で行ってきました。

4ヶ月前には「ワラビ採り」でやはり一泊していますから、もうすっかりお馴染みの「まりも荘」です。


はるばる大阪から参加のlilyさん、地元静岡のビオラさん
そして7年間皆勤賞の銀河さんと熱海で集合し、いつもの電車で12時2分に伊東駅着
ラッシーママさんのお出迎えを受けました。

すぐに案内されたのは駅近の活き魚料理のお店・・・
ママさんご夫妻が最近見つけた、安くて新鮮で盛りが良いのが特徴
すでに5~6人が並んでいましたわ。


ご夫妻が並んでいる間に我々は海辺に出てみました。
八月とは思えない涼しさで寂寞感が漂っています。

初島が見えていましたが・・・
軍艦らしき船が錨をおろした暗い海では遊ぶ人影も見られませんでした。

ママさんが呼びに来て、我々6人で打ち切り
ギリギリセーフでランチにありつけたようです。

分厚い切り身のお刺身にビックリ・・・金目の煮つけもアジやエビのフライも美味しい


6人分4種類の定食を頼んで皆で戴きましたが・・・
3皿頼んだお刺身は食べきれない量で、これで1人前1100円とは驚きですね

ママさんご夫妻が紹介してくれた五味屋さんもふしみ食堂も、お魚大好き人間の夫と訪ねています。
この新鮮で盛りの良いお刺身定食を「夫にも食べさせたかった」と、ラッシーママさんと2人で呟きました。

ラッシー家の別荘「まりも荘」へ
今年で7回目の夏合宿ですが、クーラーを入れないのは初めてだそうです。


お腹がいっぱいでしたが、テーブルにはママさん手作りのお料理が並びます。
(我が家の畑で採れたキューリとトマトを使った春雨サラダを持参しました)

パパさんと私はウィスキーとワインをちびりちびり・・・
そして6人で喋る!喋る!喋る!

食べて飲んで喋って気が付いたらもう12時近く
順番にお風呂に入って夜中の2時に就寝

私たち居心地の良い居間で、12時間も語り合っていたわけです

奥野ダム「松川湖」ハイキング(8月29日)
翌朝は7時半ごろ息子からの電話で起こされた
「車を貸して欲しい」ですって・・・

皆様安眠妨害で失礼しました


朝はノンビリコーヒーを飲みながらパン食を頂きました
そして10時半出発でハイキングです。


途中コンビニで昼食用のおにぎりと飲み物を買い
11時前にダム湖に到着しました。


奥野ダムは、温泉街の中心を流れる伊東大川(通称:松川)の上流に
治水・飲料水の確保のために作られた伊豆半島唯一の本格的ロックフィルダムです。


一周4800mの周遊道を時計回りに歩きます。


奥野ダムによって生まれた湖が松川湖だそうです。
緑豊かな中にひっそりと佇んでいました。


ダムを作ることにより湖底に沈んだ25軒の家があったようです。
故郷を忘れずにとの思いの碑に、住民の名前が記されていました。


「センニンソウ」があちこちに咲いています。


緑の中を歩いていると、正面の斜面に鹿が三頭
皆カメラが間に合いませんでした

テーブルとベンチが備わった東屋で昼食ですパパさんのザックから魔法のように現れた品々・・・


何度も通った伊豆ですが、こんなに良い所があるなんて知りませんでした。

普通の伊豆観光では見逃すような素敵な場所を次々に見つけるママさんの
好奇心が素晴らしいです


パンパスグラスが咲いていました。

この先には「ロウバイ広場」もあり、桜の木も多く見られ・・・
季節のお花も楽しめそうです。

「水遊びの広場」もあり、孫たちを連れてきても喜びそうですね、

シニアのブログ友同士の5人ですおっぱい山を背景にパパさんが撮ってくれました。


我々の話の輪にも加わって、運転手兼カメラマンに徹してくれる優しいパパさんが居るから
7年も「夏合宿」が続けられたのだと思います。

本当に良いご夫妻です。


天気予報ではマークがあったのですが、ここまでお天気は持ちました。
スタート地点まであと300mという所で雨が降りだしましたが、さして濡れずに済みました

2時過ぎに別荘に戻ってきました。
そして再びお喋りです。

ラッシーママ家のお庭で生った小玉スイカちゃんと赤く熟しています・・・


パパさんが野菜クズで作っている堆肥から自然に芽生えた、貴重なスイカです


お喋りをしているとソーメンが出されました。
台所仕事もスピーディーで手際よく、さりげなく出されるお料理には愛情が籠っていますね。

まるで実家にいるような居心地の良さでのんびりさせていただきました。

ラッシーママさんご夫妻には感謝!感謝!です。
そして楽しい二日間を共に過ごしたブログ友の皆さん、ありがとうございました。

「木曽駒ヶ岳」登山記の最終章「千畳敷の花々」をUPする予定でしたが、
次回とさせていただきます。









コメント (26)
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