花と緑を追いかけて

山を愛し、花を愛し、旅と
映画とパソコンと、好奇心も
いっぱいの主婦の日記です

父の七回忌法要と、ワンゲル「生田緑地散策」(2)

2020年03月16日 | ハイキング・散策
前回の記事にも記しましたが、コロコロ変わるお天気と気温の高低差の大きさに
体がついていかない感じです。



先週は春本番の陽気の日が多く、快晴に恵まれた3月11日の水曜日に
我が家の庭の「ハクモクレン」が見頃となりました



洗濯物を干し終えて、見上げた青空に映えて咲くこの花を
デジイチ取り出してシャッターを押しました。

6年前の3月18日に、誤嚥性肺炎で5カ月間入院していた父を亡くしましたが
一週間後のお通夜告別式の日に「ハクモクレン」が満開となり・・・

私はその時のブログの記事に「これからはハクモクレンを見ると父を思い出すだろう」と
綴った事を思い出しました。2014/3/25記



父のお通夜・告別式は2014/3/23~3/24でした。今年は12~13日も早い
桜の開花予想も東京&横浜は史上最速の3月14日だった



ハクモクレンとは反対側の、庭の東側に植えている「ヒュウガミズキ」も咲き出しました。
コロナコロナで落ち込んだ心も、春の花々が咲き出すと心浮き立ちますね

私はこの日、1月に購入した「電動自転車」で、駅前の銀行やデパートと
ショッピングセンターに買い出しに行きました

暑くて着ていた皮のジャケットを脱いでペタルをこぎましたよ



春はもうそこまで来ているようでしたが、昨日の3/14(土)は朝から冷たい雨が降っていました

PM3時頃TVでニュース速報が流れ「本日史上最速で、東京地方に桜の開花宣言が出されました」と・・・
でもTV横の窓の外には大きなボタン雪が降っている

すぐにコンデジとスマホで、玄関前からの雪降る風景を撮りました。

父の7回忌法要(3月15日)
雪で我が家のハクモクレンも散りだしましたが、この翌日に父の7回忌法要を行いました。

弟一家と息子一家と合計9人の、ごく内輪での法要でしたが
午前10時からお寺の広い本堂での、和尚さまのお経と御講話の40分はとにかく寒かった



三方は外との仕切りが障子だけです。震えあがりました
障子の向こうは中庭・・・
大きなストーブは置いてありましたが、私はオーバーコートをひざ掛け代わりに巻き付けて座りました。



その後、新しい塔婆札を抱えて9人でお墓に行き、お花とお線香を手向けました。
少し陽が出てきてホッとしましたが・・・

この春は孫二人の進学祝いと妹孫の誕生日祝いもあり、私は銀行で新札をドサリと準備しました。
弟に言われて私の名前で父の戒名が書かれた塔婆板も頼みましたが、ふと母の7回忌をしていないので
母の塔婆も新しくせねば!と気づき弟に電話しました。

(おめでたい事は延ばしてもいいが、仏事はダメと言う常識も知っていますが)お寺と相談するようにと・・・
お寺は「お母さまの7回忌は1年3カ月過ぎましたが、一緒にやりましょう」と言ってくれたようです。

ご塔婆料は3000円から6000円に変更です。慌てて5000円札の新札を求めて銀行に駆け込みましたよ

私は今まで実家の弟のやり方には口は挟むまいとしていましたが、仏事には無知と気づき
長女としてもっと口を出すべきだったと反省です。



コロナ騒ぎの中ですから「会食」は無し、弟夫婦から手渡されたお弁当を一人寂しく我が家で頂きました。
弟夫婦も息子夫婦も働いていて日々人と接しています。いつでもコロナ感染者になりうる可能性はありえる。

感染したら重篤になりがちな70代の私には気を遣って、濃厚接触者にならないようにしている感じ・・・
この孤独な生活はいつまで続くのでしょうか

川崎「生田緑地」散策(2月13日)
ワンゲルで行った「花王(株)の工場見学と生田緑地の梅園」の記事の続きです。
1か月以上も前の話題で恐縮ですが、記録として残しておきたいと思いました。



生田緑地は多摩丘陵の一角に位置する川崎市内最大の緑の宝庫です。

私たちは小田急「向ヶ丘公園駅」から歩いて15分、「東口ビジターセンター」でトイレタイムをとり
この地図をもらって、目的地の「梅園」(左下の丸囲み)を目指し観賞、再びこの場所に戻りました。

ビジターセンター近くの広場に古い客車が・・・ワンゲル仲間と中に入りました

この車両は昭和23年から、常磐線経由の東北本線で37年間555万キロ(地球を約40週)
青森~上野間を走り続け、昭和40年3月廃車になったとプレートに記されていました。

私は父の仕事の関係で昭和26年の8月に、北海道の滝川から家族で上京
父の姉夫婦が持っていた中目黒の鉄筋コンクリートのアパートに引っ越しました。

「私5歳の時、この汽車に乗っているわ~



「生田緑地」と言えば「古民家」と言葉か出てくるくらい、写真を趣味とする者には有名です。
ですから私はデジイチをザックに入れて行きましたが、今回は時間がなくて入りません

ワンゲルですから山登りをすることになりました。



「桝形山の展望台に登ってから、向ヶ丘遊園駅に出ましょう。」とのリーダーの説明です。



「この古民家のお蕎麦屋さんで食べた覚えがあるわ」と仲間の女性が声をあげました。
「風情がありそうね」でも今は工事中で店じまいしていました。



夫が亡くなる前の年の初夏に、車で「ニッコウキスゲ咲く車山からビーナスライン」を通り
美ヶ原温泉で一泊

2日目は松本から上高地に入り、大正池から明神池まで歩き
憧れの「帝国ホテルのバルコニー付きの穂高が見える部屋」で一泊

翌日は「白川郷~五箇山」の合掌作りを見て廻り、下呂温泉に泊まった懐かしい思い出が蘇りました



階段をどんどん登って行くと桝形山の頂上に出ました。

500年以上前の群雄割拠の時代、ここには山城がありました。
枡形城は稲毛三郎重成により築かれた城です。
当初、重成は小沢城を本拠としていましたが、重政に所領を譲ったあと枡形城に移りました。



頂上は広場になっていて、その一角に「桝形城址」の石碑が建っていました。



重成は1504年(永正元年)9月には、山内上杉氏討伐のため扇谷上杉氏の援軍として出陣した。
北条早雲(伊勢宗瑞)と今川氏親が入城し「立河原の戦い」へ向かっています。

戦国時代の1569年(永禄12年)には武田信玄の小田原攻め(三増峠の戦い)に際して
横山式部少輔弘成が土塁を築きましたが、その後は廃城となりました。

現在城址は生田緑地の中に公園として保存されており、枡形山展望台が作られています。



3Fの展望台までエレベータや階段で登ります。

目の前に見えるのは東名高速道路?話題の武蔵小杉のタワーマンション群?

この日は温度が上がって、私もポロシャツの上にライトダウンのベストだけで歩きました。
午後3時過ぎでは日が傾きだし、全体的に霞んで見晴らしはイマイチで残念



澄み切った日は富士山やスカイツリーは勿論、遠く筑波山や赤城連山までもが望めるようです。

帰路は上の地図の一番上の、駅まで20分のコースを行くことになりました。
緑豊かな中を下って行きます「広福寺」前の紅白の梅が見頃でした

このお寺は桝形城主稲毛入道重成が創建した寺のようです。



ミツマタが咲き出していました。この日から一か月以上が過ぎてもう満開は過ぎたでしょうか?

丁度午後4時に小田急の「向ヶ丘遊園駅」に到着、解散でした。
殿方は1杯飲んで帰るようでしたが、私はラッシュの時間の前に家路に着きたいと思い失礼しました。

相模大野から小田急「江ノ島線・急行」に乗ったら座れましたが、混雑は凄かった
この日初めて、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号以外の感染者が2人、神奈川県で出たとのニュース
マスクはしていましたが、朝も含めてラッシュ時の電車に乗った時の怖さがその後のトラウマになりましたよ。

でも、「生田緑地」は思っていた以上に見どころ満載な自然公園で・・・
コロナ騒ぎが一段落したら、良い季節に写真仲間を誘って又訪ねたいと思いました。





コメント (14)
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