1週間程上京し、先週末に帰ってきた。
新千歳空港に着陸する時、
眼下には、山すその広大な唐松林が、
太陽光を受けて橙色に染まっていた。
どうやら、その美しさに見とれていたのは、
私だけではなかったようだ。
「ねぇ、見た。唐松の紅葉。
やっぱり北海道よね。すごいね!」
そんな声を、航空機からの出口付近で聞いた。
北海道民になって、12年だが、
その声に、自然と嬉しくなってしまった。
さて、随分と冷え込むようになった。
1週間ぶりの我が家のジューンベリーも、多くの葉を落としていた。
周りの山々も紅葉を終え、稜線の木々も落葉した。
すっかりと稜線が透けて見えるまでになっていた。
まもなく本格的な冬将軍の到来だ。
その前に、少々北の大地の紅葉に想いを馳せてみたい。
① リアウインドウに舞い上がった橙色
落葉キノコは唐松林にしかない
その唐松は針葉樹なのに
橙色に染まり落葉する
道は細い橙色におおわれ
風までがその色に舞う
そこまで来ている白い季節の前で
私が見た
北国の深秋の一色
上記は、当地に居を構えた翌年・2013年の
年賀状に載せた詩『微笑』の一節である。
ゴルフ場を出てすぐの道は、
両側とも背の高い唐松林が続いていた。
その舗装道路が、橙色になった唐松の葉で覆われていた。
西陽を背に、ハンドルを握りながらそこを通った。
ふとバックミラーで、リアウインドウを見た。
すると、車が通過した勢いで唐松の落ち葉が舞い上がり、
時にはミラーの一面が橙色に変わった。
随分と長いことその舞は続いた。
初めての光景に、何度も何度もバックミラーに目がいった。
私一人が、得をした気分になった紅葉のワンカットであった。
② 思いがけない眼下の紅葉
いつかは登ってみようと思いつつ、数年が過ぎた。
秋を迎えてすぐ、
「この時期を逃したら、また1年持ち越しになる」
と思い、紋別岳登山を決めた。
登山靴に昼食の入ったリックを背に、
家内と自宅を出発した。
近所のご主人がたまたま雑草刈りをしていた。
私たちのスタイルを見て、不思議そうな顔をした。
「どこへ行くんですか?」
「紋別岳登山に挑戦してきます。
登ったことありますか?」
「ないです。山は見るだけ。気をつけて」
息子くらいの年齢の方だ。
なのに見るだけとは、勿体ない。
そんな思いを笑顔で隠して別れた。
地元では『東山』と呼ぶ方が多いが、
その峰の連なる姿は穏やかで、いつ見てもほっとする。
だから、さほど苦労なく登れると思っていた。
ところが意外だった。
急傾斜の登山道が続いた。
「山は見るだけ」が合っていたかもと少し悔いた。
しかし、山頂付近の縦走路まで登り着くと思いは一変した。
そこはもうすっかり秋で、紅葉の真っ盛りだった。
着いた先にあったのは、簡単には踏み込めない奥深い峰峰だった。
眼下のその1つ1つの山が、すでに赤や黄色に色づき、
壮大な秋色に染まっていたのだ。
それを見るための、登山ではなかった。
予期しない景観だけに、インパクトは強かった。
「見るだけ」の人では、この素晴らしさは味わえないと
息を弾ませながら微笑んだ。
③ 「だけど 秋だもの」
市内の大きな通りの両側は、どこも街路樹がある。
それが、通りによって樹木の種類が違うのだ。
従って、木の形状、大きさが違い、通りの趣を変えている。
当然、紅葉も違う。
今年、特に目に止まったのは、山法師の並木だ。
濃い赤の紅葉が、通りの両サイドに並び、
例年以上の鮮やかさだった。
そして、毎年のように私の足を止めるのが、
伊達インター通りと青柳通り交差点だ。
ここに立ち、インター通りを見ると、
両側には、黄色くなった銀杏が立ち並び、
歩道も車道も黄色で染まる。
そして、同じ所で向きを変え,青柳通りを見るとそこは楓の街路樹で、
赤を基調としてグラデーションで飾られる。
まさに,天然のイルミネーションなのだ。
両方の樹木とも年々成長し、ボリュームを増していく。
それを思うと、来年がまた楽しみになるのだ。
さて、数年前になる。
秋を迎え、1年1年変化し、
そして1日1日進む当地の紅葉の素晴らしさを
挨拶替わりに話題にしたことがあった。
すると、地元生まれで地元育ちのその方は、
やや不思議そうな表情を浮かべ、
「そうですか。そう言われると確かに綺麗かも。
だけど、秋だもの、毎年のことでしょ!」
私は、返す言葉がなかった。
以来、紅葉の時期になると、その衝撃を思い出す。
そして、いつまでも心豊かでいようと自分に誓うのだ。
やっと『庭じまい』完了
新千歳空港に着陸する時、
眼下には、山すその広大な唐松林が、
太陽光を受けて橙色に染まっていた。
どうやら、その美しさに見とれていたのは、
私だけではなかったようだ。
「ねぇ、見た。唐松の紅葉。
やっぱり北海道よね。すごいね!」
そんな声を、航空機からの出口付近で聞いた。
北海道民になって、12年だが、
その声に、自然と嬉しくなってしまった。
さて、随分と冷え込むようになった。
1週間ぶりの我が家のジューンベリーも、多くの葉を落としていた。
周りの山々も紅葉を終え、稜線の木々も落葉した。
すっかりと稜線が透けて見えるまでになっていた。
まもなく本格的な冬将軍の到来だ。
その前に、少々北の大地の紅葉に想いを馳せてみたい。
① リアウインドウに舞い上がった橙色
落葉キノコは唐松林にしかない
その唐松は針葉樹なのに
橙色に染まり落葉する
道は細い橙色におおわれ
風までがその色に舞う
そこまで来ている白い季節の前で
私が見た
北国の深秋の一色
上記は、当地に居を構えた翌年・2013年の
年賀状に載せた詩『微笑』の一節である。
ゴルフ場を出てすぐの道は、
両側とも背の高い唐松林が続いていた。
その舗装道路が、橙色になった唐松の葉で覆われていた。
西陽を背に、ハンドルを握りながらそこを通った。
ふとバックミラーで、リアウインドウを見た。
すると、車が通過した勢いで唐松の落ち葉が舞い上がり、
時にはミラーの一面が橙色に変わった。
随分と長いことその舞は続いた。
初めての光景に、何度も何度もバックミラーに目がいった。
私一人が、得をした気分になった紅葉のワンカットであった。
② 思いがけない眼下の紅葉
いつかは登ってみようと思いつつ、数年が過ぎた。
秋を迎えてすぐ、
「この時期を逃したら、また1年持ち越しになる」
と思い、紋別岳登山を決めた。
登山靴に昼食の入ったリックを背に、
家内と自宅を出発した。
近所のご主人がたまたま雑草刈りをしていた。
私たちのスタイルを見て、不思議そうな顔をした。
「どこへ行くんですか?」
「紋別岳登山に挑戦してきます。
登ったことありますか?」
「ないです。山は見るだけ。気をつけて」
息子くらいの年齢の方だ。
なのに見るだけとは、勿体ない。
そんな思いを笑顔で隠して別れた。
地元では『東山』と呼ぶ方が多いが、
その峰の連なる姿は穏やかで、いつ見てもほっとする。
だから、さほど苦労なく登れると思っていた。
ところが意外だった。
急傾斜の登山道が続いた。
「山は見るだけ」が合っていたかもと少し悔いた。
しかし、山頂付近の縦走路まで登り着くと思いは一変した。
そこはもうすっかり秋で、紅葉の真っ盛りだった。
着いた先にあったのは、簡単には踏み込めない奥深い峰峰だった。
眼下のその1つ1つの山が、すでに赤や黄色に色づき、
壮大な秋色に染まっていたのだ。
それを見るための、登山ではなかった。
予期しない景観だけに、インパクトは強かった。
「見るだけ」の人では、この素晴らしさは味わえないと
息を弾ませながら微笑んだ。
③ 「だけど 秋だもの」
市内の大きな通りの両側は、どこも街路樹がある。
それが、通りによって樹木の種類が違うのだ。
従って、木の形状、大きさが違い、通りの趣を変えている。
当然、紅葉も違う。
今年、特に目に止まったのは、山法師の並木だ。
濃い赤の紅葉が、通りの両サイドに並び、
例年以上の鮮やかさだった。
そして、毎年のように私の足を止めるのが、
伊達インター通りと青柳通り交差点だ。
ここに立ち、インター通りを見ると、
両側には、黄色くなった銀杏が立ち並び、
歩道も車道も黄色で染まる。
そして、同じ所で向きを変え,青柳通りを見るとそこは楓の街路樹で、
赤を基調としてグラデーションで飾られる。
まさに,天然のイルミネーションなのだ。
両方の樹木とも年々成長し、ボリュームを増していく。
それを思うと、来年がまた楽しみになるのだ。
さて、数年前になる。
秋を迎え、1年1年変化し、
そして1日1日進む当地の紅葉の素晴らしさを
挨拶替わりに話題にしたことがあった。
すると、地元生まれで地元育ちのその方は、
やや不思議そうな表情を浮かべ、
「そうですか。そう言われると確かに綺麗かも。
だけど、秋だもの、毎年のことでしょ!」
私は、返す言葉がなかった。
以来、紅葉の時期になると、その衝撃を思い出す。
そして、いつまでも心豊かでいようと自分に誓うのだ。
やっと『庭じまい』完了