ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

北の大地の紅葉 あれこれ

2024-11-23 12:42:08 | 北の大地
 1週間程上京し、先週末に帰ってきた。
新千歳空港に着陸する時、
眼下には、山すその広大な唐松林が、
太陽光を受けて橙色に染まっていた。

 どうやら、その美しさに見とれていたのは、
私だけではなかったようだ。
 「ねぇ、見た。唐松の紅葉。
やっぱり北海道よね。すごいね!」
 そんな声を、航空機からの出口付近で聞いた。
 
 北海道民になって、12年だが、
その声に、自然と嬉しくなってしまった。

 さて、随分と冷え込むようになった。
1週間ぶりの我が家のジューンベリーも、多くの葉を落としていた。
 周りの山々も紅葉を終え、稜線の木々も落葉した。
すっかりと稜線が透けて見えるまでになっていた。

 まもなく本格的な冬将軍の到来だ。
その前に、少々北の大地の紅葉に想いを馳せてみたい。


 ① リアウインドウに舞い上がった橙色 

  落葉キノコは唐松林にしかない
  その唐松は針葉樹なのに
  橙色に染まり落葉する
  道は細い橙色におおわれ
  風までがその色に舞う
  そこまで来ている白い季節の前で
  私が見た
  北国の深秋の一色

 上記は、当地に居を構えた翌年・2013年の
年賀状に載せた詩『微笑』の一節である。
 
 ゴルフ場を出てすぐの道は、
両側とも背の高い唐松林が続いていた。
 その舗装道路が、橙色になった唐松の葉で覆われていた。
西陽を背に、ハンドルを握りながらそこを通った。

 ふとバックミラーで、リアウインドウを見た。
すると、車が通過した勢いで唐松の落ち葉が舞い上がり、
時にはミラーの一面が橙色に変わった。

 随分と長いことその舞は続いた。
初めての光景に、何度も何度もバックミラーに目がいった。
 私一人が、得をした気分になった紅葉のワンカットであった。

 
 ② 思いがけない眼下の紅葉

 いつかは登ってみようと思いつつ、数年が過ぎた。
秋を迎えてすぐ、
「この時期を逃したら、また1年持ち越しになる」
と思い、紋別岳登山を決めた。

 登山靴に昼食の入ったリックを背に、
家内と自宅を出発した。
 近所のご主人がたまたま雑草刈りをしていた。

 私たちのスタイルを見て、不思議そうな顔をした。
「どこへ行くんですか?」
 「紋別岳登山に挑戦してきます。
登ったことありますか?」
 「ないです。山は見るだけ。気をつけて」

 息子くらいの年齢の方だ。
なのに見るだけとは、勿体ない。
 そんな思いを笑顔で隠して別れた。

 地元では『東山』と呼ぶ方が多いが、
その峰の連なる姿は穏やかで、いつ見てもほっとする。

 だから、さほど苦労なく登れると思っていた。
ところが意外だった。
 急傾斜の登山道が続いた。
「山は見るだけ」が合っていたかもと少し悔いた。

 しかし、山頂付近の縦走路まで登り着くと思いは一変した。
そこはもうすっかり秋で、紅葉の真っ盛りだった。

 着いた先にあったのは、簡単には踏み込めない奥深い峰峰だった。
眼下のその1つ1つの山が、すでに赤や黄色に色づき、
壮大な秋色に染まっていたのだ。
 それを見るための、登山ではなかった。
予期しない景観だけに、インパクトは強かった。
 「見るだけ」の人では、この素晴らしさは味わえないと
息を弾ませながら微笑んだ。


  ③ 「だけど 秋だもの」 
 市内の大きな通りの両側は、どこも街路樹がある。
それが、通りによって樹木の種類が違うのだ。
 従って、木の形状、大きさが違い、通りの趣を変えている。
当然、紅葉も違う。

 今年、特に目に止まったのは、山法師の並木だ。
濃い赤の紅葉が、通りの両サイドに並び、
例年以上の鮮やかさだった。

 そして、毎年のように私の足を止めるのが、
伊達インター通りと青柳通り交差点だ。
 ここに立ち、インター通りを見ると、
両側には、黄色くなった銀杏が立ち並び、
歩道も車道も黄色で染まる。

 そして、同じ所で向きを変え,青柳通りを見るとそこは楓の街路樹で、
赤を基調としてグラデーションで飾られる。
 まさに,天然のイルミネーションなのだ。

 両方の樹木とも年々成長し、ボリュームを増していく。
それを思うと、来年がまた楽しみになるのだ。

 さて、数年前になる。
秋を迎え、1年1年変化し、
そして1日1日進む当地の紅葉の素晴らしさを
挨拶替わりに話題にしたことがあった。

 すると、地元生まれで地元育ちのその方は、
やや不思議そうな表情を浮かべ、
 「そうですか。そう言われると確かに綺麗かも。
だけど、秋だもの、毎年のことでしょ!」

 私は、返す言葉がなかった。
以来、紅葉の時期になると、その衝撃を思い出す。
 そして、いつまでも心豊かでいようと自分に誓うのだ。




     やっと『庭じまい』完了  
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スケッチ  ~ ‘23 夏

2023-07-29 11:51:52 | 北の大地
 夏休みを待って、
藤沢市で暮らす孫が二男と一緒にやって来た。
 コロナ前以来だから、4年ぶりになる。
なんと、幼稚園の年中組が小学3年に・・・。

 今回は、往復新幹線と特急で、
片道7時間をかけての旅。
 4泊5日を一緒に過ごした。

 北の大地は、これからが夏本番。
だが、私の「‘23 夏」は、この5日間で十分なくらいだ。

 ① 午後3時、伊達紋別駅で迎える。
疲れなど感じさせない笑顔で現れた。
 それだけで、私は満足。
「もう、メロメロ!」。

 自宅に着くと待っていたのは、
ようやく旬を迎えたトウモロコシだ。

 茹でたばかりが、皿に載ってテーブルへ。
「今朝、伊達の畑でもいだばかりのトウキビだよ。
 きっと美味しいよ。
食べてこらん」。

 家内が勧めると、まだまだ遠慮がちな孫だったが、
「な~に?」と声に出し、不思議な顔。

 私たちもついに道民になってしまった。
「トウキビじゃなかったね。
 トウモロコシだったね」。
慌てて言い直す。

 今日から5日間、
決して「ゴミ、投げて!」なんて言わないよう、
気をつけなくちゃ。

 ② 2日目の朝、 
いつもならまだ目覚めない5時前のこと、
2階ベッドで寝た孫が、階段を降りてくる足音がした。

 私たちの寝室の扉をそっと開け、
「ジイジ、まだ寝てる?」。
 「ウン! でも今、目が覚めた。
一緒に寝るかい? おいで」。

 遠慮なんて、もうない。
私の横にスルスルと入り込み、モゾモゾと足を伸ばす。
 しばらくは、どうでもいいような質問に、
寝ぼけながら付き合う。
 そして、枕元の目覚まし時計が鳴る。
 
 私は、手の届くところに常備してある体温計を取る。
ピッピーと鳴って測定を終える。
 「僕も計る。いつも計ってるから」。
「毎朝、ピッピーって鳴るまで」。
 「ウン。そうだよ!」。

 測定の終了音がなるまで、訳もなく嬉しかった。
コロナで始めた朝の検温習慣だ。
 コロナが収束してもずっと続けたいと思った。

 ③ 2人の息子が小学生だった頃、
夏休みになると、決まって千葉から北海道にいる両親の元に帰省した。
 帰省するたびに、色々な観光地を回った。
二男は、クマ牧場が好きで、よくリクエストされた。

 なので、今回も洞爺湖へ行く途中で、昭和新山のクマ牧場へ立ち寄った。
二男は、「寄らなくてもいいのに」と恐縮しきりだったが、
彼と一緒の孫がどう反応するか、そこに興味があった。

 注釈する。
クマ牧場では、熊がしきりに餌をおねだりする姿が見られる。
 見物客は、高い檻の上から買い求めたクッキーのような丸い餌を、
熊に向かって投げ入れるのだ。
 私は以前から、熊のその姿があまり好きではなかった。
しかし、小さい頃の二男は違った。

 そして、今回、同じ年恰好のわが子の手を引いて、
二男は10数頭の大きな熊がいる広い檻の上に立った。

 わが子の前で、買い求めた餌を投げて見せた。
孫は、後足で立ち前足を合わせて餌をねだる熊を見て、
目を丸くした。

 そこから先は、小学生だった頃の二男と同じ。
自販機で買った餌がなくなると、もう一袋もう一袋と買い求め、
これが最後と私が言うまで、熊のおねだりに応じた。

 クマ牧場を去る車の中、2人は「楽しかった」をくり返した。
ハンドルを握りながら私は、相性のいい親子に微笑んでいた。

 ④ 2年前の誕生日プレゼントは、本人からリクエストで、
青のナップザックだった。
 そのザックを背負い、孫はやってきた。
そして、どこへ行くにもそれを忘れなかった。

 中には、ポケモンカードと対戦グッズが入っていた。
私には、トレカ専門店で何枚かのカードをねだる計画を立てていた。
 それと一緒に、私にポケモンカードを使ったゲームの
対戦相手になってもらうつもりだった。

 「ジイジは何でもできるから、すぐにこのゲームも覚えられる。
だから、僕と対戦しよう」。
 孫は、そう言いながら、私に何度もゲームを教えた。
私も期待に応えようとテーブルをはさみ、孫のレクチャーを熱心に受けた。
 しかし、多様なカードと小文字の解説についていけなかった。
ついに孫は私に失望した。
 暑くもないのにタオルで、私は頭の汗を何度も拭いた。 

 ⑤ 4日目、お墓参りの後、釣り堀園まで足を伸ばした。
倶多楽湖を水源とする湧水『カムイワッカ』が、
勢いよく流れる小川のところどころに、池を配した釣り堀だった。

 白樺の木立に囲まれ、北海道ならではのシチュエーション。
見上げた空は確かに夏の日差し。
 でも木々を抜ける風が心地いい。
思わず深呼吸をしてみる。
 孫も真似て、両手を広げる。
感想を聞くまでもないと、竹竿をぶらさげて池へ行く。

 釣りエサを渡された時、店の方から
「1時間以内に終わってください。
釣った魚はすぐに調理します。
 釣りすぎないよう、食べられるだけにしてくださいね」。 

 言うとおりだった。
15分程度、あっという間に、
15センチのものが3匹、30センチ以上の大物が1匹、
孫と私でつり上げた。
 これ以上は、食べきれなくなる。

 そして、湧水が流れる水音を聞きながら周りを散策し、
ニジマスの唐揚げとお刺身を待った。

 木立の中に建つ東屋で、テーブルを囲んだ。
「美味しいね。釣ったばかりだからだね」。
 そう解説する私の隣で、唐揚げにかじりつきながら孫は、
「こんな場所だから、美味しいんじゃない」。




    「ベビー マロン!」「・・?」
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スケッチ  ~ ‘23 春

2023-05-27 12:10:11 | 北の大地
 ① 雪が消えたわずかな地面に、
福寿草の黄色い蕾をみつけたのは、
2ヶ月前だった。

 それから2週間が過ぎ・・・。
真っ先にクロッカスの花が咲くのは、
国道沿いにある整骨院の庭先に決まっていた。

 案の定。
「やっぱり、同じ所に咲いている!」。
 小さくうなずきながら、散歩の足を一瞬緩めた。
 
 福寿草とクロッカスが、冬の終わりを告げている。
春がやって来たのだ。
 モノクロだけの暮らしに色彩が加わりだすと
この街の雪融けは一気に進む。

 我が家の庭では、宿根草が一斉に芽吹き、
あちこちで、新芽が地表を押し破り、姿を現す。
 「すごい!」
このエネルギーは正真正銘、春到来の合図だ。

 やがて、アヤメ川沿いの散策路には、
キクザキイチゲやアズマイチゲ、
キバナノアマナが花をつける。
 
 歴史の杜公園の野草園には、カタクリや水芭蕉が
私の足を止めた。

 「今年は、春が早そうですね」。
ご近所さんと、そんな挨拶を交わしたのもつかの間、
木蓮の膨らんだ蕾を見た。

 その後は、あっという間だった。
紫木蓮の派手さを押しのけ、桃と梅と桜が、
一気にこの街を飾った。
 
 桜は、例年通りの場所で例年通りに華やぎ、
そして、毎年いさぎよく舞い散り、
花いかだと花の絨毯に化した。
 
 その頃、我が家のシンボルツリーは、
真っ白なジューンベリーに。
 4,5日間満開の時を迎え、
散歩の人が、足を止めじっと見上げた。
 私を見た訳じゃないのに、
少し照れている自分に気づき、思わず笑いをこらえた。

 今、八重桜も終わり、色とりどりのツツジの時。
タンポポの綿毛が、牧草畑の上をフワリフワリと、
舞っている。


 ② 冬期間でも、観光物産館には『だて野菜』が並ぶ。
主に葉物。
 どれもハウス栽培だが、
わさび菜と水菜はいつでもある。

 春が近づくと、そこに、
ほうれん草やグリーンレタスが加わる。
 次第に、野菜は種類も量も増え、
陳列棚は豊富な『だて野菜』で賑やかになる。

 朝は毎日、野菜サラダを欠かさない。
シャキシャキ感が増した野菜に春を感じ、
ついつい買いすぎてしまう。

 1ヶ月前、まだまだと思っていたのに、
ハウス物だけどアスパラが並んだ。
 迷わず、中太のを求めた。

 一番は、茹でて麺つゆをかけた食べ方。
口いっぱいに、アスパラの風味が広がった。
 本格的な夏までこれが堪能できる。
上物は、これからどんどん出回るのだ。
 ウキウキした春は、こんなとこにも・・・。

 だけど、雪がすっかり消えた日だった。 
一緒に自治会の役員をしている40歳代のSさんが、
我が家のインターホンを押した。

 玄関を開けると、新聞紙にくるんだものを抱えていた。
「今年最初の山菜採りに行ってきました。
 これ、少しですけど行者にんにくです」。
頂いた新聞紙の中をのぞくと、
1度に2人では食べられない程の量だった。

 何年か前、行者にんにくの天ぶらそばを食べた。
それ以来、大好物になった。
 「これ、天ぷらにすると美味しいよね」。
「僕は、ジンギスカンと一緒が好きです」。

 急にジンギスカンとはいかない。
夕食には天ぷらとお浸しの両方が並んだ。
 「ドッチもドッチ!」
食べきれないどころか、
「もう少しあってもいい」なんて、
わがままな本性が・・・。

 箸を置きながら、ふと
「もう来春までこれはお預けかも・・!」
と漏れる。
 春の早さが心憎くて・・・。

 
 ③ 母の日に義母の3回忌をするため、
旭川まで車を走らせた。
 約3時間半の長距離運転だ。

 走り始めは、若葉におおわれ丸々とした山、また山だった。
ところが、北へ向かうと、芽吹いたばかりの木々が目立った。
 同じ北海道でも北は、まだ春が始まったばかり。

 でも、大空はどこも春の明るい日差し。
高速道の快適なドライブが続いた。
 
 そして2時間半が過ぎた頃だった。
美唄ICを通ると、右手に山々が連なっていた。
 
 こん盛りとした山の景観に、不自然さを感じた。
私の代わりに見て欲しく て、
ハンドルを握りながら、助手席の家内に言った。
 
 「ねえねえ、この山、なんか赤くない!」。
「そうなの。最初、桜が咲いてるのと思ったけど違うの。
 木が赤いみたい。
・・・何本も何本も、ぼんやりと葉の赤い木あるみたい」。
 「エエッ! そんなことって・・・! 春に・・!」。
「でも、まだ続いている」。

 赤い木が乱立する山は、砂川を過ぎるまで続き、
その後は、パッタリ見なくなった。

 後日、謎は解けた。
あれは、北の大地ならではの春の光景らしい。
 『春もみじ』と呼ぶ。

 まだ春の光が弱い北海道では、
新芽が緑になれないまま数日を過ごすことが稀にあるらしい。
 その間、芽吹いた葉は赤いままでいる。

 『春もみじ』はわずか数日のこと。
その貴重な光景と出会えたことになる。
 ならば、高速道を降りて、
もっと間近で見たかったのに・・・。
 
 


    ヒノデツツジ ~朝日を浴びて
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『OH! ラーメン』 その後

2023-01-21 11:03:12 | 北の大地
 2016年8月のブログでは3週にわたって、
大好きなラーメンについて綴った。
 タイトルは、『OH! ラーメン』『続・OH! ラーメン』
『伊達版・OH! ラーメン』である。

 小学生の頃に初めてラーメンを知った時から、
味噌ラーメンが最高に美味しかった地元『竹よし』の閉店までを、
一気に書いた。

 その後も、時々のブログで、
元祖室蘭ラーメン『清洋軒』や『宇宙軒・伊達店』、
洞爺湖の『一本亭』などの美味しさを紹介してきた。

 そして今は、塩ラーメンなら○○店、醤油ラーメンなら△△軒、
味噌ラーメンなら□□亭と、私なりのお気に入りのお店あり、
その味に満足している。

 しかし、好きな物への関心はつきない。
美味いと噂を聞くと、つい暖簾をくぐりたくなる。
 多くの場合、今のお気に入り店にはかなわない。

 ところが、最近見つけた2店は、
これから先も、度々足を運びたくなりそうだ。

 ① 銀座4丁目の交差点にある『和光』から
1本入った通りに、室蘭から進出したラーメン店があった。
 30歳代のことだったと思う。

 何度か、その暖簾をくぐった。
高校生の頃によく食べた懐かしいラーメンの味で、美味しかった。
 そんな故郷の味が、都心の賑わいの中にあった。
無性に嬉しかった。

 同じ学校の先生方に、自慢気に胸を張り、
『なかよし』の店名を上げ,紹介した。
 
 その店が何年そこにあったのだろうか。
しばらくしてから行ってみると、もう違う店に変わっていた。
 だから、店名も味も記憶から次第に遠のいた。

 ところが、伊達に住んでからゴルフの練習で、
しばしば室蘭まで行くようになった。
 練習場までの道路で、『なかよし』の看板を見た。

 あのラーメンの味を、懐かしく思い出した。
早速、店を探して行ってみた。
 カウンターだけの小さな古い店だったが、
お客さんが数人いて、活気があった。

 注文した醤油ラーメンは、
確かに濃い色で、銀座店のそれを思い出させた。
 決して不味いわけじゃない。
でも、あの味ではなかった。
 
 かなり期間を空けて、もう一度味を確かめに行った。
矢張り同じだった。

 さらにもう一軒、室蘭市内に同じ名のラーメン店を見つけた。
きっと同じだろうと思いつつも、カウンターに座り、
醤油ラーメンを注文した。

 スープの濃い色も、縮れた麺も変わりなかった。
やはり記憶にある美味しさではなかった。
 「もう30年以上も前の味だ。
同じ訳がない」とあきらめた。

 ところが先日、美味しいラーメンの店が、
兄との話題になった。
 初めてのことだった。

 「よく行くのは、『なかよし』だ。
あそこの醤油ラーメンが好きなんだ」。
 仕事柄、味にうるさい兄が、
『なかよし』をあげたことに驚いた。

 私は、すかさず食べたことのある2つの店をあげ、
期待外れだったことを伝えた。
 「ああ、その2軒じゃない」。
兄は別の『なかよし』を教えてくれた。
 興味が湧いた。

 数日後、教えて貰った道順で車を進め、
その店へ行った。
 2つの『なかよし』と同じで、古い店構えだった。
ご夫婦で切り盛りしているようだった。

 醤油ラーメンを注文した。
濃い色のスープは同じだが、縮れの少ない麺だった。
 若干の違いに期待し、食べ始めた。
美味しさも違った。
 私の記憶にある『なかよし』だった。
 
 まだ子供たちが小さかった頃に帰省した時、
母や兄と一緒に食べた時の味を思い出した。
 レンタカーを横付けして店に入ると、客はいなく、
「時間かかるけどいいかい」と店主が言ったとおり、
随分と待たされた時の味を思い出した。

 そうそう、あの『なかよし』は、確か「醤油ラーメン」ではなく、
「正油ラーメン」とメニューにあった気がする。
 それを確かめるのをいい口実にして、
近々また行こうと思う。

 ② 伊達観光物産館の案内カウンターに、
『伊達 ラーメン地図・マップ』のチラシが置いてある。
 市内6つのラーメン専門店の看板メニューと、
「こだわりの秘訣」が紹介されている。

 その中の1軒に、『元祖鶴つる亭』がある。
チラシでは、「ネギしおラーメン」が看板メニューとなっている。
 そして、次のように「こだわりの秘訣」が記載されている。

 『鶴つる亭は、こだわりの豚骨ベースのスープに定評がある。
出汁が十分に行き渡ったその味は、
一杯れんげで飲めば風味がたちまち口の中で広がり、
不思議と二杯 三杯…とやみつきになるほど。
 ひき肉も入っており、これがまたスープとの相性が。
チャーシューも厚くボリュームがあり、
サイドメニューのチャーシューおにぎりは、
ラーメンと肩をならべるほどの人気』

 移住してすぐに、鶴つる亭の「ねぎしおラーメン」を食べた。
ここもご夫婦で切り盛りしている店だった。
 味は、「こだわりの秘訣」に偽りはなかった。
でも、正直に言うと「リピーターになるほどでは・・・」が感想だった。
 
 その『鶴つる亭』の前を、時々車で通った。
店の横が駐車場になっている。
 お昼時には、いつも何台も車が止まっていた。
人気の店なのだ。
 私の感想とは違っていた。

 先日、久しぶりの酒席があった。
飲食店の話題から『鶴つる亭』の名前が出た。
 食べたことのある人からは、美味しいと評判がよかった。
「もう一度、行ってみよう!」。
 心変わりがした。 

 「ネギしおラーメン」ではなく、
みんなから評判のよかった「ネギ味噌ラーメン」を注文した。
 都会のラーメン店ではないのに、メニューは千円となっていた。
それでも、私以外の方も同じ注文をしていた。

 味噌味のスープの中に、縮れ麺と味のついたひき肉だけがあった。
その上に、多めの白髪ネギが山盛り。
 そのネギを少しずつ味噌スープに浸し、麺と一緒に食べた。
久々に美味しい味噌ラーメンに出会えた瞬間だった。

 「千円は決して高くない!」。
そう思いながら、人気の店を後にした。




   氷点下 寒い寒い西浜の海岸
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洞爺湖は すぐそこ !

2022-03-12 13:04:09 | 北の大地
 春を思わせる陽気が続いた。
まん延防止期間中だが、
「どこかへドライブにでも!」。
 そんな気になった。
遠出を控え、洞爺湖まで車を走らせた。

 自宅から緩い上り坂を少し行くと、道道「滝の町・伊達線」に出る。
そこから「伊達トンネル」と「北の湘南橋」を過ぎると、
正面に有珠山、右手に昭和新山が見える。
 上り坂にさしかかると、
徐々に昭和新山が大きくなり、やがてその横を通過する。
 そこが峠の頂点だ。
その後、若干曲がりくねった急坂を下ると、
青一色の洞爺湖全景が、一気に現れる。

 ここまでわずか15分。
「洞爺湖は、すぐそこ!」を実感する。

 車を走らせながら、ここが景勝地であることを再認識しつつ、
何故か、ふと昔と今に想いを馳せる。


  ① ここに熱帯植物園が・・

 2,3年前になるだろうか、昭和新山の麓から、
有珠山ロープウエイに乗った。
 その頂上駅からは、洞爺湖、有珠山の噴火跡、
周辺山々の絶景などが堪能できた。

 小1時間程で、下りのゴンドラに乗る。
間もなく下の駅へ到着する時だ。
 おみやげ店などに隠れていて、
地上からは見えない廃屋が数棟、眼下にあった。
 そこに、おぼろ気であやふやだった熱帯植物園の痕跡を見た。
「やっぱり、ここに熱帯植物園があったんだ!」。

 確か小学5年の見学だったと思う。
昭和新山の説明を聞いた後、そばにあった熱帯植物園に行った。
 そこは、昭和新山の地熱を利用した温室だと聞いた。

 言われるままに一列になって、
見たことのない樹木を見て回った。
 動かない草木に興味などなかった。

 なのに、目に止まり、心に焼き付いたものが2つあった。
1つは、バナナの木だ。
 当時、高級品だったバナナは、
運動会の校庭で広げるお弁当でしか食べられなかった。
 私は、それさえ叶わず、その味を知らなかった。

 そのバナナが大きな木になっていたのだ。
木は4、5本あり、その全てに房になったバナナが幾つもあった。
 私だけでなく、どの子の足もそこで止まった。
あのバナナが、木に実っていることが不思議でならなかった。

 もう1つは、パイナップルだ。
パイナップルは缶詰でした見たことがなかった。
 でも、そのラベルからパイナップルの外形は知っていた。

 温室を進んでいくと、
案内表示がパイナップルとなった。
 急に興味がわいた。
「バナナのように大きな木になっているに違いない」。

 ところが、地面から出ていた太い茎と葉の上に、
缶のラベルと同じ色と形が、ズッシリと乗っかっていた。
 私の驚きは、尋常ではなかった。
 
 帰宅してすぐ、2つの驚きを家族に話した。
バナナにもパイナップルにも、みんな無関心だった。
 なのに、洞爺湖の遊覧船や湖中にある中島のことを訊き返してきた。
それには、全然答えられない私だった。


  ② めざせ! 洞爺湖

 中学3年の時、一気に仲良し5人組ができた。
その5人とは、高校を卒業するまで色んな所へ出かけた。
 夏は、テントを背負ってキャンプへ。
冬は、寂れた温泉宿に泊まり、スキーへ。

 その5人で初めて計画し実行したのが、
洞爺湖へのサイクリングだった。

 私たちが暮らしていた室蘭市中島町から洞爺湖まで、
自転車でどれくらいかかったのか、覚えがない。
 確か・・、日帰りだった気がする。

 どんな自転車で行ったのかも覚えがない。
5人のうち、私ともう1人は、
自転車屋さんからその日だけ貸してもらったのを、
使ったことだけは間違いない。

 夏休みが始まってすぐ、快晴の日だった。
サイクリングは初めての経験で、
5人にとってそれは、冒険旅行のようだった。

 5台の自転車が1列になって、
国道37号線の道路脇を走った。
 きっと伊達も通ったはずだが、町並みなどは記憶にない。
ただペダルをこぎ続けて疲れた体に、
行く先々での海風が柔らかく、心地よかった。

 当時は『虻田』と呼んでいたが、
洞爺湖町に着くまでは、さほど起伏がなかった。
 ところが、そこから国道を右折すると上り坂が険しくなった。
5人とも途中で音を上げ、自転車を降り、押して峠を目指した。

 峠越えから下りになって、すぐだったと思う。
眼下に洞爺湖が広がった。
 近くの道路脇に展望台のようなところがあった。
そろって自転車を止め、一斉に洞爺湖に駆け寄った。

 誰も言葉が出なかった。
青空が、そのまま湖面になっていた。
 中島のこんもりとした山が、
緑色のままツヤツヤしていた。
 周辺の山々だけが、じっと息を潜めていた。

 長い長いサイクリングの末に見た洞爺湖の思い出は、
そこまでしかない。
 その後、湖畔で何をしたのか。
どうやって帰路に着いたのか。
 曖昧である。

 ただ、5人で見た洞爺湖のあの美しさは、
ずっと色あせることなく、今も忘れていない。


  ③ とうや湖ぐるっと彫刻公園

 洞爺湖温泉街からはずっと離れた東側に、
小さな日帰り温泉『来夢人(キムンド)』がある。
 5年以上も前になるが、タオルとシャンプーを持参して、
その源泉掛け流しの温泉に行ってみた。

 湯船は小さいが、湯量は豊富だった。
泉質は体の芯まで温めてくれ、湯上がりは最高だった。

 その心地よさのまま、外に出て『来夢人』の周りを散策した。
確かに洞爺八景の1つと言われるように、綺麗な眺めだった。
 そこに、自然と調和するように、4つの彫刻があった。

 後日、知ったが、4つとも1993年に設置されたもので、
『春~風光る』(熊谷紀子・作)、『夏~渚へ』(神田比呂子・作)、
『秋~終日』(秋山知子・作)、『冬~星降る夜』(小野寺紀子・作)という人物の像だった。

 湖畔の白樺林を背景に、たたずむ4つの彫刻が、
初秋の光を受けていた。
 しばらく時を止め、それを見ていた。

 温泉の温もりも手伝っていただろうが、
心を耕し豊かにする素敵な時間が静かに過ぎた。

 それが、洞爺湖の周りにある彫刻を知る
切っ掛けになった。

 80年代、90年代に設置されたようだ。
『とうや湖ぐるっと彫刻公園』と言われ、
58基の彫刻などのアート作品が、
周囲40数キロの湖畔に置かれている。

 まだ、その全てを見ていない。
でも、いくつかを知り、
人と自然が織りなすその様を見る度にいつも、
私は活気づくのだ。

 特に、真夏の大空と洞爺湖を背にした
『漣舞ーリップル・ダンス』(関正司・作)と、
雪の中島を借景にした『波遊』(折原久左エ門・作)がいい。


 

      春 みーつけた!
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