ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

「錆び付きそうだぞ!」

2021-01-23 17:59:30 | 今 を
 ▼ コロナ騒動が始まって、1年がすぎた。
まさかまさかと思う間に、ウイルス感染症が世界中に蔓延し、
人々の営みをこれほどまでに狂わせるとは、・・・。
 いまだ私は、その変化に十分対応できないままだ.。

 地球規模で始まるワクチン接種が、
果たして流れをかえることができるのか。

 急ぎ開発されたワクチンだけに、
決して根絶を期待することはできないように思う。
 それでも、せめて今の状況を緩和する力になってほしいと願う。

 ▼ さて、コロナに加え、いつになく雪の多い当地だ。
日常生活が、大きく制限されている。

 毎朝、日課のように雪かきが待っている。
豪雪地区の方からは呆れられる程の積雪でしかないが、
30分から小1時間をかけて自宅前をきれいにする。

 その後、ゆっくりと朝食をとりながら、朝ドラを見て・・。
そこで次なのだが、
この冬は、その後が全くない。

 氷点下の日が続く。
風邪による発熱がこわい。
 だから、寒気の中の散歩もランニングも、
二の足を踏む。

 自治会で2年前から始めた『子ども冬まつり』も、
中止になった。
 それに伴って、打ち合わせ会もない。
だから、今年になってから、
役員さん達と顔を合わせる機会もない。

 ましてや、旅行など不要不急の外出はしない。
折角買い求めた新車『カムリ』も、遠出ができないままだ。

 仕方なく、テレビから流れる朝や昼の情報番組に目をやる。
春から変わることなく、コロナ対応の遅れを指摘し続けるばかり・・・。
 「つまらない!」。
 
 ▼ 先日、目覚まし時計に頼らず、朝を迎えた。
すぐに起き出せばいいのに、
いつまでも、ぬくぬくと掛け布団の温もりに甘えていた。

 その時だ。
突然、よぎった。
 「錆び付きそうだぞ、お前!」 
私自身からの警告に思えた。

 ジワリジワリと得体の知れない何者かに、
エネルギーを吸い取られている。
 「目指すものがあれば、道がなくても進める」と、
信じてきたものが揺らいでいる。
 「まだまだ!」を、
どこかに置き忘れてはいないか。

 「こんな想いの時に?!」。「何故なんだ?!」。
ぬくぬくとしたベッドの中で、
学生時代以来、口ずさんだこともない、
好きになれなかった歌が、蘇ってきた。

 『 若者よ♪ 体を鍛えておけ♪
  美しい心が たくましい体に♪
  からくも支えられる 日がいつかはくる♪
  その日のために 体を鍛えておけ♪ 
  若者よ♪ 』

 やけに、心がざわついた。
だから、道はないけど、どんな日が来るか分からないけど・・・。
 その日のために、「美しい心」と「たくましい体」は無理だけど・・・。
せめて、これ以上錆び付かせないようにしようと、
 温もりの掛け布団をはね上げ、ベッドを出た。

 「思いつくまま、
やりたいと思えたことを淡々と重ねるよう!」と決めた。

 ▼ ロック歌手が、NHKの歌番組で、
『ロマンス』を熱唱した。
  以来、彼がカバーしたCDを聴いてみたいと思った。
 当地の店になかったので、ネットで購入した。 
 
 聞き覚えのある曲の中に、
1曲だけ初めての歌があった。

 昔、桜田淳子が歌っていたらしい。
作詩作曲が中島みゆきの『化粧』だ。

 失恋した女心を、宮本浩次が情感込めて豊かに歌い上げていた。
『流れるな涙 心で止まれ!』
 『馬鹿だね私 愛して貰えるつもりでいたなんて!』
歌詞も曲も、編曲も心を打った。

 この曲に込めた哀感が、
ヒシヒシと古希を過ぎた私にも伝わる。
 あの夜に化粧した女性の心情に、訳もなく共感し、
聴くたびに、切なさで息苦しくなった。
 深呼吸しながら、もう一度リッセットして聴いた。

 同じCDから流れる『木綿のハンカチーフ』も繊細で、
これまた私に迫ってきる。

 イヤホンからの歌声を聴きながら、
まだまだ真っ直ぐ前を向ける私に気づいた。

 ▼ 好きな作家・桐野夏生さんが、
『日没』を出版し、新聞で話題になっていた。

 作品は、映倫をもじっての、
『ブンリン』なる言論統制機関を通した、
サスペンス小説と言っていいだろう。

 新聞記事によると、
この小説を執筆した動機を、桐野さんは、
昨今の政治の動向に危機感を抱いたからと語る。

 暗黒の時代を予感させる結末からも、
その警鐘が聞こえてきた。

 それにしても、桐野さんの小説は歯切れがいい。
一文一文の切れ味もすごい。
 そして、場面展開もドラマチックで、惹きつけられる。
小説の面白さと醍醐味を、十分に堪能させてもらった。

 これが呼び水になった。
買い求めたまま『ツンドク(積ん読)』になっている小説に、
手が伸びる。

 門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』の次は、浅田次郎さんの『おもかげ』、     、
そして、川越宗一さんの『熱源』も・・・。
 そうそう小川糸さんの『ライオンのおやつ』も読み忘れていた。

 久方ぶりに、小説好きのワクワク感にハッとする。

 ▼ 冬場は、総合体育館の1周200メートルのランニングコースを、
走ることにしている。

 コロナ禍だが、体育館では運動時に限りマスク着用が免除される。
一方通行で、どの人も無言でウオーキングやランニングをする。

 家内と25週を並走すると、数日の間隔をおいて、
また、出掛ける。
 そんな日が続いていた。

 今年も早々と『伊達ハーフマラソン』も『洞爺湖マラソン』も
中止になった。
 だから、その程度のランニングでいいと決めていた。

 先日、空いている時間帯を狙って、体育館へ行った。
挨拶程度だが、顔見知りのランナーが、
4人で列をつくって走っていた。

 本格的な市民ランナーで、スピード感ある走りだった。
私と家内がまだ半周の時に、追い抜かれた。
 そして、また半周で4人してスイッと抜いていった。

 まさに疲れを知らない走りなのだ。
だが、やがて4人の速さがばらけだし、距離があいた。
 後ろのランナーが追いつこうと必死の走りになった。

 なかなか追いつけない。
それでも、精一杯腕を振り、
声を張り上げ、後を追い続けた。

 形相もかわり、歪んで見えた。
ますます差が開いた。
 なのに、追いかけるのを諦めない。
遠目にも、その必死さが伝わってきた。
「すごい!」。
 
 「一日おきにこのコースを走ろう!」。
私は、何を諦めないつもりなのか。
 それは明瞭ではない。
でも、何かを諦めたくなかった。

 ここでも、あの歌が聞こえた。
『体を鍛えておけ』って!




   日本一(?)海に近い 『北舟岡駅』      
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己責任と徒労感!?

2021-01-09 19:17:01 | 時事
 ▼ 年末・年始は、コロナの感染者数にばかり、
気が取られた。
 そして、連日「過去最多!」のアナウンスを聞くたび、
気が滅入った。
 私だけではない。
きっと、多くの方が同じ気持ちだったに違いない。

 年が明け、首都圏で暮らす息子からメールが届いた。
そこに、こんな一文があった。

 『迫り来る危機にただただ無策のまま為すがままで、
自己責任論を押しつけられているようでもあるが、
一方でロックダウンなんかをされてしまうと、
業界的には大混乱アンド大打撃でもあり、
確かに難しいところだなと。
 結局のところ、やはり自己責任・・、となるのかね。
もはや、かかるかからないは運の問題としか思えない・・。
 ベストを尽くしてもリスクをゼロにはできない・・。』

 一個人がどんなにベストを尽くしても罹患してしまう。
大都会では、そのリスクが大きい。
 それを自己責任で済ませるなんて、
あまりにも理不尽だ。

 だが、無策のまま為すがままの日々なら、
窮屈な暮らしになるのも、無理ないこと。

 蓄積された徒労感を、息子に限らず
都会暮らしの老若男女は抱いていることだろう。
 それが現実だと思う。
 
 だから、今くらい政治の力を求められている時はない。
失政を恐れず、果敢な施策を迅速にと願うばかりだ・・・。 

 ▼ 若干、話は変わるが、その施策の一例に移る。
クリスマスが近づいた頃だ。
 久しぶりに隣町の兄の店を訪ねた。
家族経営の小さな飲食店だ。

 兄と、息子、娘、そしてパートさん2・3名で、
もっぱら魚料理をセールスポイントにしている。
 最近は、コロナ禍で、客足の鈍い日がずっと続いている。

 ところが、私が行ったその日は、何日かぶりで、
宴会の予約が2組も入ったと、兄は明るい表情だった。

 1組は8人で、もう1組は6人だとか・・・。
襖のついた小上がりに、
いつもより倍の広さにテーブルを置き、
コース料理が並べられていた。

 しばらくして、同時に宴会が始まった。
きっと、このご時世だからだろう、
乾杯の発声もその後の会話も、ヒッソリとしていた。

 やがて、私と家内が座るカウンターも、
他の小上がりも満席になった。
 「こんな事は、久しぶり。」
兄は、何度もくり返しながら、
厨房で忙しく刺身を切っていた。

 そんな様子を見ながら、ふと、
「もしも、この店に休業要請がきたなら・・」
と、頭をよぎった。
 大義は、当然コロナの感染拡大防止だ。
地方での協力金は、おそらく多くても30万円程度だろう。

 一時は、GoToで客足は戻った。
しかし、春からの自粛続きで、金繰りは火の車らしい。
 そのような状況で、要請を受け入れられるのだろうか。

 終わりが見えているなら、
細々とでもなんとか食いつなぐだろう。
 だが、収束は誰の目にも先が見えていない。
そうなら、自衛手段を講じることも考える事になる。
 その一手が、
「休業要請を受け入れない!」ことになるとしたら・・。
  
 「今日は、ババガレイがうまいぞ!」。
兄が勧めるその煮付けを食べながら、
私の思考は、迷路へと進んでいく。

 そして、ついには稚拙な想いは、行き止まる。
 『「コロナが収束するまで、協力金は保障します。
貴方の生活は必ず守ります。」
 そんな虫のいい約束事を、誰かしてくれるといいのに・・!』。

 さて、ここ数日、事態は急変している。
1都3県に、再び「緊急事態宣言』が出された。
 その上、全国では感染者が1日7800人を超えてしまった。
宣言の地域拡大も間近だろう。
 都会に限らず、ドンドンとコロナが迫ってきている。

 兄の店への要請だって、
絵空事の域ではなくなるかも・・。
 これが実際となった時、
私はどんな考えに至るのだろうか。
 無理を承知で、
「要請を受け入れろ!」と言えるだろうか。

 施策の1例を思い描いても、
今後、難しい選択が突きつけられそうだ。
 ここにも、自己責任と徒労感が見え隠れして、
気分が沈む。
  
 ▼ そんな想いの時、ふと開いた新聞のページに、
雲間から射し込む一本の陽光を見た。

 第6回になるようだが、朝日新聞が中・高校生に、
『心に響いた大切な「ことば」と、エピソードを教えて下さい』
と、「私の折々のことばコンテスト2020」を募集した。

 約3万もの応募から、
各部門賞がそのページに掲載されていた。
 最優秀賞に力をもらった。    
  
  ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

            聖園女学院中学校(神奈川)2年 小倉 欄

  私の事を想うなら、あなたのことを一番大切にしてください。
                              母親
 私の一番心に残っている言葉は、緊急事態宣言中に出勤していく母に
言われた言葉です。私の母は看護師で、新型コロナの患者を受け入れて
いる病院に勤務していました。そのため、私は、母が出勤することが毎
日心配でたまりませんでした。母が仕事に行くときには行ってほしくな
い気持ちがありました。一方で、人のために命懸けで戦う姿が、とても
かっこよく見えました。誇らしい気持ちと、不安で心配な気持ちが入り
交じり、私は仕事に行く母に、行かないでとも、行ってらっしゃいとも
言えず泣かずに見送るのが精いっぱいでした。そんな時に母がかけてく
れたのがこの言葉でした、私は自分の命の重さを知り、世界で一番温か
い愛情を受けました。

  ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 「受賞にあたって」と、小倉さんはこんなコメントを添えている。

 『 緊急事態宣言下、早朝に病院へと笑顔で出勤する母を、家族で見送りました。
小学5年生の妹は「行かないで」と泣いていましたが、
自分は泣くこともできず、「大丈夫?」と母に聞くと、
この言葉が返ってきました。
 最初は母が心配で「そんなことできないよ」と思ったけど、
いまは自分を大切にして、その上で周りの人を大切にしたいと考えています。

 患者を救う母はかっこよくて、一番一緒にいて幸せと思える存在です。
将来は母のように医療に携わる仕事をして、一緒に働くのが夢です。・・・』

 ▼ コロナ禍にあっても、
ブレずに真っ直ぐ前を向き、歩み続ける母子を見習いたい。




   2階から見た 冬の夕陽
          ※1,2,3月のブロク更新は隔週の予定です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする