4月11日は、私の誕生日である。
まもなく68才になる。
でも、まだ老いの自覚はない。
勝手だが、年令に対して強気で毎日を送っている。
その源は、何と言っても、
4年前、この地に来てから続けているジョギングにある。
さて、還暦の年に戻る。
公務員なら誰でもそうだが、定年退職の年だ。
その年になってまもなく、学校事務を担当する職員から、
退職金の確認と押印を求められた。
仕事上とは言え、淡々とその書類を差し出され、
私は内心、不快感を覚えた。
確かに自己本位な言い分になるが、
「貴方はもうトシなのです。これだけお金をあげます。
だから、仕事をやめて下さい。
どうぞ、若い人に席を空けてやって下さい。」
と、言われている気がした。
報奨金などとは全く思えず、
心に大きな風穴が空いたようだった。
元気をなくし、意欲も低下した。
それでも、まだレジスタンス精神が旺盛だった私は、
その後、2年間もその職務を離れなかった。
だが、それとは裏腹に、心中はやはり穏やかではなく、
いつも私なりの退き時を考えていた。
「次の世代に、席を譲らなければ。」
「俺はもういい年令なんだ。」
そんな思いが、心から離れなかった。
次第に、精神的にも老け込んでいった。
『第二の人生』、その上『老後』
と言う言葉まで、身近なところに寄ってきた。
そんな時突然、
家内が、「マラソン大会で10キロを走る。」と言い出した。
勤務校の先生方と一緒にチャレンジするのだとか。
どうやら、それをけしかけたのは、
ガッチリとその学校を束ねた校長先生のようだった。
「だから、少し走る練習をしなくちゃ。」
と、言い出し、
「次の休みの朝、マンションの周りを走るから。」
私は、家内のそんな意欲に目を丸くするだけだったが、
いざその日の朝、運動着姿で今にも出かけようするのを見て、
ほっておけない気持ちになった。
「じゃ、俺も一緒に走ってみるよ。」
と、運動着に着替えた。
その大会まで少しずつ走る距離を伸ばした。
同時に、それまで思ってもみなかったことだが、
走り終えた時の、爽快感を次第に感じるようになった。
家内はと言えば、
その大会で何とか10キロをゴールしたものの、
「大変だった。」を連発し、
走ることに一区切りをつけたようだった。
しかし、私は目ざめはじめていた。あの爽快感が忘れられなかった。
だから、時々家内の尻をたたき、早朝のジョギングに誘った。
『退職』、『第二の人生』、『老い』どころか、
それを吹き飛ばしてくれるような、新鮮さがあった。
すごく嬉しかった。気持ちが明るくなった。
時には、走りきった時の達成感のようなものが、
大粒の汗と一緒に加わった。
私をさらに元気にしてくれた。
現在、こうして走ることに意欲を持ち、
「まだまだ」と前向きでいられるのは、
人生の節目のあの時、
家内の「マラソン大会で走る。」と言う、
あの切っ掛けがあったからである。
だから、昨年11月末、今度は私が
その大会に挑戦しようと思い立った。
会場では、全くの想定外だったが、
遠方からの参加者として、沖縄と北海道からの3人に、
特別賞が用意されていた。
そんな嬉しさも手伝って、こんな詩を年賀状に載せた。
新 趣
二度のゴールとも
「また走りたい」と
芝生の上に大の字の彼
眠っていた力があった
限界を決めていたかも
まだまだ遅くはない
そして3度目のハーフマラソン
落ち着きをなくしたスタート前
でも健脚たちの足音と一緒に
永代通りと若洲の堤防へ
早すぎる10キロの通過に
「ねえ 大丈夫 大丈夫」
思わず大声
そしてあと1キロ
沢山のランナーと一緒に
私の前
「すごい すごいよ」
私の声にハイタッチ
自己記録を大きく更新
渡したタオルで顔を隠し
「うれしい」と聞こえた
それでも
帰りの道々
「次はもっと」と言う始末
3月に入り、伊達は雪解けが進んだ。
もうすっかり地面が顔を出し、積雪ゼロとなった。
朝夕、ウオーキングの人の他に、
時折、ランニングで汗する人を見るようになった。
来月17日には、『第29回春一番伊達ハーフマラソン大会』がある。
きっとその準備を始めた人たちだろう。
昨年、私は左足の肉離れと腰痛で参加できなかった。
今年こそはと、ハーフマラソンにエントリーしている。
目標は、完走である。
そして、5月には、遂にフルマラソンに挑戦する。
洞爺湖畔を1周する『第42回洞爺湖マラソン2016』である。
フルなんて、夢のまた夢でしかなかった。
ところが、体育館で知り合った経験豊富なランナーさんから、
こんな声をかけられた。
「ハーフマラソンを完走したのだから、
フルマラソンも走れますよ。
とにかく、35キロ付近の辛さだけ超えれば、大丈夫。」
驚きで、身が固まった。
ようやく、「いや、私は、もうトシだから。」と尻込みした。
「そんな、まだまだ…。年令なんて関係ないですよ。頑張って。」
私は、その気になってしまった。
無理を覚悟で挑戦する。
きっと身の程知らずを痛感させられことになるのでは。
それでもいいと思う。
だって、私の気持ちは、
「まだまだ、まだまだサ!」
って言っている。
年令に強気の私が、そこにいる。
旧三戸部家住宅≪明治10年頃開拓当時の民家・国重要文化財≫
まもなく68才になる。
でも、まだ老いの自覚はない。
勝手だが、年令に対して強気で毎日を送っている。
その源は、何と言っても、
4年前、この地に来てから続けているジョギングにある。
さて、還暦の年に戻る。
公務員なら誰でもそうだが、定年退職の年だ。
その年になってまもなく、学校事務を担当する職員から、
退職金の確認と押印を求められた。
仕事上とは言え、淡々とその書類を差し出され、
私は内心、不快感を覚えた。
確かに自己本位な言い分になるが、
「貴方はもうトシなのです。これだけお金をあげます。
だから、仕事をやめて下さい。
どうぞ、若い人に席を空けてやって下さい。」
と、言われている気がした。
報奨金などとは全く思えず、
心に大きな風穴が空いたようだった。
元気をなくし、意欲も低下した。
それでも、まだレジスタンス精神が旺盛だった私は、
その後、2年間もその職務を離れなかった。
だが、それとは裏腹に、心中はやはり穏やかではなく、
いつも私なりの退き時を考えていた。
「次の世代に、席を譲らなければ。」
「俺はもういい年令なんだ。」
そんな思いが、心から離れなかった。
次第に、精神的にも老け込んでいった。
『第二の人生』、その上『老後』
と言う言葉まで、身近なところに寄ってきた。
そんな時突然、
家内が、「マラソン大会で10キロを走る。」と言い出した。
勤務校の先生方と一緒にチャレンジするのだとか。
どうやら、それをけしかけたのは、
ガッチリとその学校を束ねた校長先生のようだった。
「だから、少し走る練習をしなくちゃ。」
と、言い出し、
「次の休みの朝、マンションの周りを走るから。」
私は、家内のそんな意欲に目を丸くするだけだったが、
いざその日の朝、運動着姿で今にも出かけようするのを見て、
ほっておけない気持ちになった。
「じゃ、俺も一緒に走ってみるよ。」
と、運動着に着替えた。
その大会まで少しずつ走る距離を伸ばした。
同時に、それまで思ってもみなかったことだが、
走り終えた時の、爽快感を次第に感じるようになった。
家内はと言えば、
その大会で何とか10キロをゴールしたものの、
「大変だった。」を連発し、
走ることに一区切りをつけたようだった。
しかし、私は目ざめはじめていた。あの爽快感が忘れられなかった。
だから、時々家内の尻をたたき、早朝のジョギングに誘った。
『退職』、『第二の人生』、『老い』どころか、
それを吹き飛ばしてくれるような、新鮮さがあった。
すごく嬉しかった。気持ちが明るくなった。
時には、走りきった時の達成感のようなものが、
大粒の汗と一緒に加わった。
私をさらに元気にしてくれた。
現在、こうして走ることに意欲を持ち、
「まだまだ」と前向きでいられるのは、
人生の節目のあの時、
家内の「マラソン大会で走る。」と言う、
あの切っ掛けがあったからである。
だから、昨年11月末、今度は私が
その大会に挑戦しようと思い立った。
会場では、全くの想定外だったが、
遠方からの参加者として、沖縄と北海道からの3人に、
特別賞が用意されていた。
そんな嬉しさも手伝って、こんな詩を年賀状に載せた。
新 趣
二度のゴールとも
「また走りたい」と
芝生の上に大の字の彼
眠っていた力があった
限界を決めていたかも
まだまだ遅くはない
そして3度目のハーフマラソン
落ち着きをなくしたスタート前
でも健脚たちの足音と一緒に
永代通りと若洲の堤防へ
早すぎる10キロの通過に
「ねえ 大丈夫 大丈夫」
思わず大声
そしてあと1キロ
沢山のランナーと一緒に
私の前
「すごい すごいよ」
私の声にハイタッチ
自己記録を大きく更新
渡したタオルで顔を隠し
「うれしい」と聞こえた
それでも
帰りの道々
「次はもっと」と言う始末
3月に入り、伊達は雪解けが進んだ。
もうすっかり地面が顔を出し、積雪ゼロとなった。
朝夕、ウオーキングの人の他に、
時折、ランニングで汗する人を見るようになった。
来月17日には、『第29回春一番伊達ハーフマラソン大会』がある。
きっとその準備を始めた人たちだろう。
昨年、私は左足の肉離れと腰痛で参加できなかった。
今年こそはと、ハーフマラソンにエントリーしている。
目標は、完走である。
そして、5月には、遂にフルマラソンに挑戦する。
洞爺湖畔を1周する『第42回洞爺湖マラソン2016』である。
フルなんて、夢のまた夢でしかなかった。
ところが、体育館で知り合った経験豊富なランナーさんから、
こんな声をかけられた。
「ハーフマラソンを完走したのだから、
フルマラソンも走れますよ。
とにかく、35キロ付近の辛さだけ超えれば、大丈夫。」
驚きで、身が固まった。
ようやく、「いや、私は、もうトシだから。」と尻込みした。
「そんな、まだまだ…。年令なんて関係ないですよ。頑張って。」
私は、その気になってしまった。
無理を覚悟で挑戦する。
きっと身の程知らずを痛感させられことになるのでは。
それでもいいと思う。
だって、私の気持ちは、
「まだまだ、まだまだサ!」
って言っている。
年令に強気の私が、そこにいる。
旧三戸部家住宅≪明治10年頃開拓当時の民家・国重要文化財≫