▼ 1年を通して一番快適な季節と言っていいだろう。
朝ランも、爽やかな風が心地いい。
それに加えて、山々の緑と次々と開花する春の花が、
私の走りを軽くする。
先日、5キロを走り終えた矢先に、
自宅前を通った方から、いきなり訊かれた。
「今年の伊達ハーフマラソンは、走ったんですか?」。
同じようなことを、度々尋ねられる。
気にかけている方がいると思うと、それだけで嬉しくなる。
返答は、いつも同じだ。
「まだ、高齢者が迷惑をかけるわけにはいかないから、
今年は遠慮しました」。
どの方も納得したような、でもやや曇った顔をする。
だから、その後、決まって付け足す。
「だけど、今年も洞爺湖オンラインマラソンがあるので、
それには参加します。
スマホさえあれば、期間内の好きな時間に好きなコースで、
42,195キロ以上を走るんです。
これなら私でも迷惑をかけませんから」。
そのマラソンイベントに、千人以上が参加すると説明すると、
理解しがたい不思議な顔をしながらも、
どの人も「頑張って下さい」と言い残してくれる。
そのオンラインマラソンの期限が迫っている。
残り10キロ余りで、ゴールである。
最後は、洞爺湖の湖畔を走ることに・・・。
さて、伊達に移り住んで10年になった。
ずっとランニングをしてきた。
年齢とともに体力の衰えは、仕方ない。
でも、少しでも長く続けたい楽しみの1つである。
そんな折り、2つの「誰かの役に立つ!」に触れた。
① 児童文化研究会の仲間で、
10歳年下の先生からショートメールが届いた。
定年退職後勤務していた不登校児童生徒の支援教室を3月に辞め、
居住地の町議補選に無所属で立候補した。
めでたく当選したとの知らせだった。
急いでネット検索をしてみた。
30歳代と40歳代、そして65歳の彼で、2議席を争った。
得票数は、2人に大差を付け、圧勝していた。
当選後だったが、YouTubeで彼の訴えを聴いてみた。
現職時代から、誠実さがにじみ出ていた教師だった。
そんな彼らしく、決しておごらない、
でも芯のある口調での訴えだった。
それが、きっと有権者の支持につながったのだと思った。
嬉しかった。
それにしても、大転身だ。
教職一筋から、人口減少下の町政という重たい任に、
進んで身を投じたのだ。
何が、そこまで彼を突き動かしたのか、
私には見当もつかない。
でも、決して私利私欲ではない。
彼なりの「誰かの役に立ちたい」という一念からの行動に違いない。
ただただ心が騒いだ。
② 東京都中央区に在住する方のブログ『心の伊達市民』が、
毎日更新される。
東京の今が感じられ、楽しみにしている。
その方が、先日、友人らと『都心を歩く会』を行った。
その時の愛宕神社「出世の階段」の一節が、心に残った。
転記する。
* * * * *
「出世の階段」を見上げて考えた。
「もう出世も関係無い」・・・と。
引退すると特に義務となることが少くなるので、
「なんでもいい」とか「明日でも、来週でもいい」となる。
そうしている内に「いい加減な男」になり、
周りから「嫌われて行く」のも知らずに平然としているようになる。
現役の時は朝起きると既に戦闘モードに入っていて、
その日の予定が頭に浮かんだ。
問題を抱えている時は気が重かったが、
逃れられないのでやるしかなかった。
だからボケることなど、考えてもいなかった。
人は生きて行く上で、「誰かの役に立つ」ということが必要なようだ。
引退してみると、殆ど私は誰の役にも立っていない自分に気が付く。
私が居なくなっても、世の中は変らないし、困ることも無い。
出掛けたきり戻らなければ、家族は困って探すだろう。
でも死んで居なくなった場合は、すぐに諦めるだろう。
なぜかこの頃の私は暗い話になることが増えた。
軽いうつ病かな?
コロナ騒動で単独行動が増えた結果、
「1人は気楽でいい」と感じるようになった。
こうなると益々、「誰かの役に立つ」から遠ざかる。
今回、集まった同級生達は「誰かの役に立っている」のだろうか?
今でも現役で頑張り、世の中のお役に立っている男、
老人会の会長で老人のお役に立っている男、
写真クラブの役員でお役に立っている男、
会社のOB会でお役に立っている男、
孫のお役に立っている男、
存在が家族のお役に立っている男など色々いる。
私は「都心を歩く会」主宰で、
少しは彼らのお役に立っているだろうか?
* * * * *
▼ 「心の伊達市民」さんの言葉が、1つ1つ刺さった。
・「いい加減な男」になり‥
・「嫌われて行く」のも知らずに平然として‥
・誰の役にも立っていない自分に気が付く‥
・私が居なくなっても、世の中は変らないし、困ることも無い
・「1人は気楽でいい」と感じるようにな‥ると益々、
「誰かの役に立つ」から遠ざかる
最近の、私自身を見透かされたようで、ドキリとする。
「誰かの役に立つ」ことに、腰が重くなる私は、
それよりも私の楽しみを優先させている。
朝ランもそうだ。週1のゴルフも・・・。
そして、読書や執筆が楽しさに追加される。
でも、
『生きて行く上で、「誰かの役に立つ」ということが必要なようだ』と、
「心の伊達市民」さんは言う。
知人は、町議になり、
第2の人生でも『誰かの役に立つ』ためのポジションを奪い取った。
私はどうだろうか。
若干、気恥ずかしい。
でも、少しでもお役に立てたらと受けた自治会の仕事に、
誠実でいようと思う。
そこで、「誰かの役に立つ」真似事ができれば、
それはそれでいいような・・気がする・・が。
ヒノデツツジ 真っ赤! ~歴史の杜公園~
※次回のブログ更新予定は 6月11日(土)です
朝ランも、爽やかな風が心地いい。
それに加えて、山々の緑と次々と開花する春の花が、
私の走りを軽くする。
先日、5キロを走り終えた矢先に、
自宅前を通った方から、いきなり訊かれた。
「今年の伊達ハーフマラソンは、走ったんですか?」。
同じようなことを、度々尋ねられる。
気にかけている方がいると思うと、それだけで嬉しくなる。
返答は、いつも同じだ。
「まだ、高齢者が迷惑をかけるわけにはいかないから、
今年は遠慮しました」。
どの方も納得したような、でもやや曇った顔をする。
だから、その後、決まって付け足す。
「だけど、今年も洞爺湖オンラインマラソンがあるので、
それには参加します。
スマホさえあれば、期間内の好きな時間に好きなコースで、
42,195キロ以上を走るんです。
これなら私でも迷惑をかけませんから」。
そのマラソンイベントに、千人以上が参加すると説明すると、
理解しがたい不思議な顔をしながらも、
どの人も「頑張って下さい」と言い残してくれる。
そのオンラインマラソンの期限が迫っている。
残り10キロ余りで、ゴールである。
最後は、洞爺湖の湖畔を走ることに・・・。
さて、伊達に移り住んで10年になった。
ずっとランニングをしてきた。
年齢とともに体力の衰えは、仕方ない。
でも、少しでも長く続けたい楽しみの1つである。
そんな折り、2つの「誰かの役に立つ!」に触れた。
① 児童文化研究会の仲間で、
10歳年下の先生からショートメールが届いた。
定年退職後勤務していた不登校児童生徒の支援教室を3月に辞め、
居住地の町議補選に無所属で立候補した。
めでたく当選したとの知らせだった。
急いでネット検索をしてみた。
30歳代と40歳代、そして65歳の彼で、2議席を争った。
得票数は、2人に大差を付け、圧勝していた。
当選後だったが、YouTubeで彼の訴えを聴いてみた。
現職時代から、誠実さがにじみ出ていた教師だった。
そんな彼らしく、決しておごらない、
でも芯のある口調での訴えだった。
それが、きっと有権者の支持につながったのだと思った。
嬉しかった。
それにしても、大転身だ。
教職一筋から、人口減少下の町政という重たい任に、
進んで身を投じたのだ。
何が、そこまで彼を突き動かしたのか、
私には見当もつかない。
でも、決して私利私欲ではない。
彼なりの「誰かの役に立ちたい」という一念からの行動に違いない。
ただただ心が騒いだ。
② 東京都中央区に在住する方のブログ『心の伊達市民』が、
毎日更新される。
東京の今が感じられ、楽しみにしている。
その方が、先日、友人らと『都心を歩く会』を行った。
その時の愛宕神社「出世の階段」の一節が、心に残った。
転記する。
* * * * *
「出世の階段」を見上げて考えた。
「もう出世も関係無い」・・・と。
引退すると特に義務となることが少くなるので、
「なんでもいい」とか「明日でも、来週でもいい」となる。
そうしている内に「いい加減な男」になり、
周りから「嫌われて行く」のも知らずに平然としているようになる。
現役の時は朝起きると既に戦闘モードに入っていて、
その日の予定が頭に浮かんだ。
問題を抱えている時は気が重かったが、
逃れられないのでやるしかなかった。
だからボケることなど、考えてもいなかった。
人は生きて行く上で、「誰かの役に立つ」ということが必要なようだ。
引退してみると、殆ど私は誰の役にも立っていない自分に気が付く。
私が居なくなっても、世の中は変らないし、困ることも無い。
出掛けたきり戻らなければ、家族は困って探すだろう。
でも死んで居なくなった場合は、すぐに諦めるだろう。
なぜかこの頃の私は暗い話になることが増えた。
軽いうつ病かな?
コロナ騒動で単独行動が増えた結果、
「1人は気楽でいい」と感じるようになった。
こうなると益々、「誰かの役に立つ」から遠ざかる。
今回、集まった同級生達は「誰かの役に立っている」のだろうか?
今でも現役で頑張り、世の中のお役に立っている男、
老人会の会長で老人のお役に立っている男、
写真クラブの役員でお役に立っている男、
会社のOB会でお役に立っている男、
孫のお役に立っている男、
存在が家族のお役に立っている男など色々いる。
私は「都心を歩く会」主宰で、
少しは彼らのお役に立っているだろうか?
* * * * *
▼ 「心の伊達市民」さんの言葉が、1つ1つ刺さった。
・「いい加減な男」になり‥
・「嫌われて行く」のも知らずに平然として‥
・誰の役にも立っていない自分に気が付く‥
・私が居なくなっても、世の中は変らないし、困ることも無い
・「1人は気楽でいい」と感じるようにな‥ると益々、
「誰かの役に立つ」から遠ざかる
最近の、私自身を見透かされたようで、ドキリとする。
「誰かの役に立つ」ことに、腰が重くなる私は、
それよりも私の楽しみを優先させている。
朝ランもそうだ。週1のゴルフも・・・。
そして、読書や執筆が楽しさに追加される。
でも、
『生きて行く上で、「誰かの役に立つ」ということが必要なようだ』と、
「心の伊達市民」さんは言う。
知人は、町議になり、
第2の人生でも『誰かの役に立つ』ためのポジションを奪い取った。
私はどうだろうか。
若干、気恥ずかしい。
でも、少しでもお役に立てたらと受けた自治会の仕事に、
誠実でいようと思う。
そこで、「誰かの役に立つ」真似事ができれば、
それはそれでいいような・・気がする・・が。
ヒノデツツジ 真っ赤! ~歴史の杜公園~
※次回のブログ更新予定は 6月11日(土)です