ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

12年! 心の変容が・・?

2024-07-20 11:06:17 | 思い
 S区退職校長会から会誌への原稿募集が来た。
例年のことである。
 2012年に当地へ移り住む時に、
多少でも縁つなぎになればと、入会した。
 以来、毎年会誌への寄稿だけは続けてきた。

 ブログや地元紙に書いたことに加筆したものが多いが、
その時々、思いついた近況報告のようなものである。
 それでも、「毎年楽しみに待ってます」と、
便りをいただいたことも・・・。

 300字程度のものだが、列記すると、
この12年間の心の変容が見えるかも・・・。
 「試してみる!」。 


  ① 北の大地にて  ~ 2012年

 『田舎過ぎず都会過ぎない』。
そんな表題が随分と私を惹きつけ、この地に住む動機の一つにした。
 思いの外涼しい真夏。
新天地で目にするものに今までにない感動を覚える。

 すぐそばの緩やかに傾斜した畑には、
キャベツ、南瓜、麦が日一日と確かな生長を教え、
馬鈴薯の白と紫の花が広がる風景に、どんなお花畑より目を奪われる。

ラーメン店や蕎麦屋の味は、どこの暖簾を潜っても私を裏切らない。
水がいいのだとか。
 中心街でのフリーマーケットに沢山の店が軒を並べ、
その賑わいに心躍ったりもする。
 6月からの日々、チョット振り返ってみると、
私は結構満足しているようだ。


  ② 移住して1年  ~ 2013年

 「冬を越えてからでなければ、
伊達への移住の是非は決められない」。
 ようやく顔馴染みになった地元の方々からそんな声を聞き、
1年が過ぎた。

 1日中、降り積もる雪を、朝と夜2回も玄関先、
ガレージ、自宅前の歩道と雪を掻く。 
 氷点下の寒さに頭から手足の先まで完全防寒をし、
最小限の外出で済ませる日が続く。
 予想以上の過酷さにただただ呆れる。

 しかし、芽吹きの春を迎え、一斉に草木の開花が訪れ、
その色彩の鮮やかさに心を奪われ、
そして今、盛夏の時、山々は濃い緑に覆われ、
北の大地の本当の逞しさを教えられた。
 そう、私にとって移住は正解だったと思う。


  ③ ジューンベリー  ~ 2014年

 伊達への引っ越しは6月だった。
その日初めて、完成した我が家と庭を見た。
 その庭で迎えてくれたのが、
穏やかな風に揺れるジューンベリーの樹だった。

 私にとって6月は、
かねてより一年の中でも思い出のある特別な月であった。
 まさにシンボルツリーにふさわしい樹との出会いだった。

 『ジューンベリー・・・?』
それは通常6月に赤紫色の実がなることからの命名のようだ。
 伊達では、7月初旬に実をつける。
今年も、ジャムにし、近所にも配った。
         (ブログ『ジューンベリーに忘れ物』抜粋)


  ④ ブログ『南吉ワールド2』抜粋  ~ 2015年

 『ジューンベリーに忘れ物』という面倒なタイトルをつけたブログも、
週1の更新をくり返し、1年が過ぎた。

 この間、57編におよぶ私の想いを、
その週その週、遠慮なく記させてもらった。
 今日も、このブログを開き、
目を通してくださる方々の存在が、大きな励みになっている。
 心からお礼を申し上げたい。

 さて、昨年10月18日『南吉ワールド』の題で、
そのブログに新美南吉の代表作と言える『てぶくろを買いに』と
『ごんぎつね』について触れた。

 優れたストーリー性に魅了されるが、
人間への不信とも思える冷ややかさに、
私は釈然としない読後感をもった。


  ⑤ ついに そして まだまだ  ~ 2016年

 毎日をサンデーにしないため始めたジョギング。
四季折々変化する伊達の景色に風を感じ、楽しさを知った。

 そして、地元開催の大会へ参加。
それを皮切りに5キロ、10キロ、ハーフと
年々挑戦する距離を伸ばし、自己記録のチャレンジ。
 そんな積み重ねが、ついに今年、フルマラソンにトライ。

 5時間13分で完走。
きっとゴールしたら、喜びの涙がと思いきや、
究極の疲れがそんな感情さえ忘れさせてしまった。

 でも、充実感がたまらない。
今度は5時間を切る。
 その意気込みで、今日も走っている。
私はまだまだチャレンジャーなの?


  ⑥ 北に 魅せられ  ~ 2017年

 移住してすぐに気づいた。
伊達には都会の喧騒とは無縁な空気が流れていた。
 朝に漂う爽やかな風と共に出会う大人も子どもも、
朝の挨拶を欠かさない。
 スーパーに並ぶ野菜も魚も、ひと目でその新鮮さが私にも分かった。

 そして、何よりも私は北海道が彩る四季の折々の表情に、
すっかり心を奪われた。
 そんな日々と暮らすだけで、全てが満ちた。

 ところが3年前、
北の大自然としっかり向き合う人々に心が騒いだ。
 事実、黙々と淡々と悠々と働く、その姿がまぶしかった。

 それが大きな力になった。
ずっと温めていたブログにも、初めてのマラソン大会にも
チャレンジしようと決めた。
 

  ⑦ 伊達の錦秋  ~ 2018年

 ▼荒々しい有珠山が朝日を浴び、頂の山肌を紅色に染める。
裾野の樹木は、これまた秋の赤。
 上から下まで山は丸ごと深い赤一色に。
風のない朝、ツンとした空気の山容が私の背筋を伸ばしてくれる。

 ▼線路の跡地がサイクリングロードに。
紅葉した桜並木のその道を2キロほど進むと、『チリリン橋』だ。
 下を流れる長流川に沢山の鮭が遡上。
産卵を終え、横たわるホッチャレ。
 それを目当てに群がる野鳥。
命の現実を見ながら、私も冬へ向かう。

 ▼明治の頃、クラーク博士が伊達でのビート栽培と砂糖生産を推奨した。
今も秋とともに製糖工場の煙突からモクモクと白い煙が上る。
 そして、町中はほんのりと甘い香りに包まれる。


  ⑧ 軽夏の伊達を切り取って  ~ 2019年

 畑は春キャベツとブロッコリーの収穫期だ。
ジャガイモとカボチャの花も咲き始めた。

 少し離れたところに噴火湾が見える。
時折、海面を朝霧がおおう。
 そのはるか先に、駒ヶ岳のさっそうとした勇姿がある。
走りながら両手を広げ、大きく深呼吸をしてしまう。

 再び住宅街へと戻る。
香りに誘われて、顔を向ける。
 手入れの行き届いた花壇に、
とりどりの薔薇が、満開の時を迎えていた。

 先日まで、凜としたアヤメの立ち姿がジョギング道を飾ってくれていた。
真っ白なツツジも、ルピナスの赤や紫も道端で咲き誇っていた。
 なのに、その時季は終わった。

 『季節の移ろいをあきらめることがあっても、慣れることはない。』



  ⑨ 『コロナ禍の春ラン』から  ~ 2020年 

 ついに春が来た。
梅も桃も桜も一斉に咲いた。
 白木蓮も紫木蓮もコブシも、みんな咲いた。
日の出も早い。
 目ざめも早くなる。

 いい天気の日は、6時半にランニングスタートだ。
人はまばら。
 3密の心配など要らない。
でも、この陽気だからか、時折ランナーとすれ違う。
 みんな若い。
多くはイヤホンをしている。
挨拶しても、視線すら合わせない。

 ところが、近づいてきたランナーが、
私の左腕にあるオレンジ色の腕章を見た。
 「おっ、ガードランナーズだ。お疲れっす。」
さっと頭を下げ走り去った。
 『走りながら、子どもやお年寄りの見守りを!』。
そんな趣旨に「私でよければ」と腕章をして走っている。

 それをねぎらう飾らないひと言だ。
「別に、何もしてないのに!」。
 でも、誰も見ていないことをいいことに、少し胸を張った。

 きっとアカゲラだろう。
ドラミングの音が空に響いていた。
 一瞬、コロナを忘れた。


  ⑩ 春の早朝 窓からは  ~ 2021年

 いつもより早い時間に目ざめた朝。
4時半を回ったばかりなのに、外はもう明るい。
 家内に気づかれないよう、そっと寝室を出て、
2階の自室のカーテンを開けた。

 窓からは、緩い下りの『嘉右衛門坂通り』が見える。
明るさを増す空には、一片の雲もない。
 風もなく、穏やかな一日の始まりを告げているようだった。

 ゆっくりと坂を下る2つの後ろ姿が、視界に入ってきた。
この時間の外は、まだ冷えるのか、
2人とも、ニット帽に冬用の黒の上下服だった。

 男性はやや足を引きずり、
女性の腰は少し前かがみになっていた。
 何やら会話が弾んでいるようで、ゆっくりと歩みを進めながら、
しばしば相手に顔を向け、笑みを浮かべているよう。
 愉しげな背中だった。

 私の視線など気づく訳もない。
早朝も早朝、人も車も通らない日の出前の坂道を、
2人だけの足取りが下って行った。
 布施明の『マイウエイ』が、心に流れていた。 


 ⑪ すげーえ すげー  ~ 2022年

 連休明けから、朝のジョギングを再開した。
5月の風に誘われ、
一斉に花咲く野草や樹木に心寄せながらゆっくりと走る。

 ある朝、中学校近くの道でのこと。
まだ真新しい制服の男子3人が、横並びでやってきた。
 楽しげに会話する姿が、青空によく似合っていた。

 すれ違いざまに、話し声が聞こえた。
「いくつぐらいだ?」。
 同時に、1人の子と目が合った。
応じる必要などなかった。
 なのに、春の陽気がとっさに言わせた。
「七十四!」。

 「余計なことを口走った」。
少し悔いたその時だ。
 背中から声が届いた。
「すげーえ。ぼくのおじいちゃんより上だ」
 「俺のジッちゃんよりもだ。すげーえ、すげー」。

 急に恥ずかしくなった。
振り向くことも出来ず、
それまでよりも少し足早に走って、照れを隠した。


 ⑫ スケッチ・今春  ~ 2023年
 
 福寿草とクロッカスが、冬の終わりを告げている。
モノクロだけの暮らしに色彩が加わり、
この街の雪融けは一気に進む。

 我が家の庭では、宿根草が一斉に芽吹き、
あちこちで、新芽が地表を押し破り、姿を現す。
 「すごい!」。
このエネルギーは正真正銘、春到来の合図。

 やがて、アヤメ川沿いの散策路には、
キクザキイチゲやアズマイチゲ、キバナノアマナが花をつけ、
歴史の杜公園の野草園には、カタクリや水芭蕉が、私の足を止める。

 「今年は、春が早そうですね」。
ご近所さんと、そんな挨拶を交わす。




    もう 宵待草が咲いている
                ※ 次回ブログの更新は 8月3日(土)です
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10 周 年 !!

2024-07-13 11:32:44 | 北の湘南・伊達
 年齢と共に、同じ事をくり返し口にするようになるらしい。
言いながら、これは以前にも言ったことがある。
 ふと、そう思うことが増えてきた。

 これから記すことも、ここで何度綴ったことか。
まあ、10年の節目であるから、
それを承知で、再び・・・。

 還暦から4年目、『人生をリセット』とか、
『東京を卒業』とか、粋がって伊達に移住してきた。
 2012年の6月のことであった。
全てが新鮮で、毎日が充実していた。

 ところが、2年目の春だ。
右手に異変がおきた。
 診断は「尺骨神経損傷」だった。

 5月の連休明けに、手術を受けた。
結果は、期待ほどのものではなかった。

 移住してから始めたランニングは少しずつできたが、
クラブをしっかり握れず、
大好きなゴルフができなくなった。

 左手で箸を使う日々が続いた。
右手で大好きなラーメンを食べたいと、
麻痺の残る手に箸を持たせて、リハビリに努めた。

 いつまでもしびれと痛みが続いた。
やがて血圧が異常に高くなった。
 処方されていた4種類の漢方薬を止めたら、
数日して、血圧は正常値を示すようになった。

 医療への不信感、いっこうに改善しない右手、
不自由な暮らしの継続に、イライラ感は増した。

 まだ当地には、友人も知人もいなかった。
そのイライラをぶつけるのは家内だけだった。
 申し訳なかった。
だから、2階の自室で過ごす時間を増やした。

 時間をつぶすために、PCを覗いた。
そこで、色々な方のブログに出会った。
 こんな表現の場、こんな情報交換の機会があることに驚き、
惹かれていった。

 左手だけで入力することになるが、
ブログ開設に興味が湧いた。
 手術から2ヶ月が過ぎていた。
ブログ『ジューンべリーに忘れ物』を開設した。
 2014年7月7日であった。

 ジューンベリーは、庭にある唯一の樹木である。
シンボルツリーにと、造園業者さんがこの木を選び植えてくれた。

 伊達での今とその光景を、『ジューンベリー』にした。
そして、ここに至るまでの一歩一歩を『忘れ物』に例えた。
 その2つを重ねたところに、
今の私の居場所があるように思え、ブログの表題にした。

 あれから丸10年の歳月が過ぎた。
「忘れ物」のままになっている退職までの道道を、
思いつくままブログに刻んだ。
 私を知る校長先生たちがそれを読み、
先生方に役立つと印刷して配っていた。
 想像しなかった反響に胸が躍った。

 一方、「ジューン」の意である6月には特別の想いがあった。
その名のついた「ジューンベリー」のもとで過ごす日常を、
そのまま記した。
 そのブログを通し、伊達での暮らしぶりを知った友人が、
そんな日々を内容に講演する機会の設定に尽力してくれた。 
 講演後も、同様のテーマでの依頼があった。

 また、6年前になるが、私の講演を聴いた「楽書きの会」主宰の方から、
同人にとお誘いを受けた。
 以来、年に何回も地元紙へ執筆したエッセイが、
掲載されるようになった。
 そして、今ではそれを読んで下さる方と知り合いにまでなった。
 
 10年を迎え、今後が気になる。
きっと,これからも変わらないスタンスで、
読んでいる人がいると信じ、
同様の想いを綴っていくことになるだろう。
 素敵なライフワークを見つけたものである。

 さて、全くの偶然だが、
10周年の記念を祝うかのように、
7月6日(土)室蘭民報の
文化欄『大手門』に再び随筆が載った。

 今回も、いくつかのお褒めの言葉を頂いた。
なかでもその日の早朝、兄から電話があった。

 「おはよう。
今、新聞読んだよ。
 今までで一番良かった。
家族みんなで過ごしたあの頃を思い出したよ。
 大変だったけど、いい時代だったんだな。
ありがとう。
 嬉しかったよ!」。

 兄は、言いたいことを言い終えると
すぐに電話を切った。
 ジワッとこみ上げるものがあった。

  *     *     *     *     *

         ご褒美だって

 昭和30年に戻る。
まだ戦後が色濃く残っている時代だったが、
製鉄所のある街はどこの家庭もある程度の暮らしをしていた。
 なので、1年生の多くは赤や黒の皮のランドセルだった。
ところが、私のそれは薄茶色の厚い布製で、
しかもそこには男の子と女の子が手をつないでいる絵があった。
 子供なりにも、他とは違って貧しい暮らしなことは知っていた。
だから、そのランドセルを前にしても何も言わなかった。
 ただ「これで学校へ行くのか!」と少しも嬉しくなかった。  

 ところが、こんなことがあった。
入学間近の日だった。
 近所のおばさんが、私を洋服屋へ連れて行った。
母が仲よくしていたおばさんだった。
 洋服屋に入るなり、小学生がかぶる学生帽の売場へ行った。
当時は、黒のその帽子をかぶる男の子が多かった。
 店の方と一緒に、私の頭に学生帽をかぶせ、
大きさの品定めをした。
 「少し大きいけど、これでいい?」。
おばさんは私を見た。
 突然のことに私は戸惑った。
頭の学生帽を両手でさわりながら、
「これ、どうするの?」
 「小学校へかぶっていきなさい。
買ってあげる。」
 おばさんは明るく言った。
私はますます戸惑った。
 親以外から何かを買ってもらったことなどなかった。
嬉しい顔もできないまま、押し黙った。
 おばさんはさらに明るく、
「遠慮しなくていいの。
 毎日毎日長いこと保育所に通ったでしょ。
えらかったよね。
 この帽子は、そのご褒美!」。
私は、3才の秋から保育所通いをしていた。
 それを、おばさんは知っていて、
ご褒美だと言った。

 夕食の後、家族みんなに学生帽を見せながら、
おばさんがそう言ったと胸を張った。
 母は、新聞紙を細く折りたたみ帽子の内側にはめ、
目を真っ赤にしながら私の頭にかぶせた。
 帽子の隙間がなくなり、丁度よくなった。
1年生になると毎日、その帽子をかぶって通学した。
 他の子と違うランドセルは気になったが、
それより学生帽が私を元気にしてくれた。




   オオハナウドの上で仲良く      
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インバウンド&『珍事』 in札幌  

2024-07-06 11:57:57 | 
 日帰りでも済むようなことだったが、
1泊で、札幌まで行ってきた。
 札幌までは、
JRを利用するか、車で行くかである。
 今回は、車にした。

 行きは、一般道で、
洞爺湖、留寿都、喜茂別を通り中山峠、
そして定山渓温泉、札幌のルート。

 帰りは、高速道を利用し、
札幌南インター、千歳、苫小牧、
そして白老、登別、伊達インターのルート。

 ニュースなどで、日本中の観光地は、
外国人で賑わっていると聞いていた。
 「コロナ禍後の札幌はどうだろうか」
興味があった。

 到着後、遅い昼食になったが、
最近知ったラーメン店がある狸小路へ行った。
 昼下がりだったからなのか、人通りは少なく、
外国人らしい姿を見かけることもなかった。

 ラーメン店は、どうやら若者に人気のようで、
次々と入ってくるのは、若年齢層ばかりだった。
 私も家内も、こってりしたスープ味を持て余してしまった。
ここにも、外国人らしい姿はなかった。

 インバウンドの影響を感じないまま、
地下街をブラブラし、
家内のパーカーを探してユニクロへ行ってみた。 

 ユニクロなら室蘭にもあるが、
店によって、並んでいる品物が違う。
 特に色合いに差があるように思う。
きっと客層の好みによるものだろうと推測している。

 その客層についてだが、
初めてインバウンドを実感した。

 店内は、アジア系の外国人で混雑していた。
聞こえてくる言語は、
そのイントネーションから中国語(?)が多かった。
 カジュアルな服装でも、
私とは異なるセンスの人が多かった。

 会計レジを見ると、
セルフレジに人はまばらだったが、
免税のレジには長い列ができていた。
 そこだけは従業員も多く、活気に満ちていた。

 店内に並ぶ衣服は,
男物も女物も、どれも好みではなかった。
 身につけようとはしないものばかり・・・。
 
 ところが、外国人らしい男性がさげている買い物カゴは、
様々な衣類でいっぱいだった。
 「そんな客を目当てに品揃えをしているのだ」と納得した。 

 早々に店を出て、
他店にてショッピングすることに切り替えた。

 さて、そうこうしている内に、夕食時を迎えた。
再び、狸小路へ行ってみた。

 先ほどとは一変していた。
アーケード街は、人ひと人だった。
 しかも、その多くは、明らかに日本人ではなかった。

 欧米の方もいたが、子どもづれのアジア人が多かった。
どの人も私たちと同じで、夜の食事処を探しているようだった。

 私は、天ぷらかウナギが食べたかった。
伊達には、その専門店がなかった。
 折角の機会なので、それがよかった。
ところが、ここならと思える店が探せなかった。

 そこで、ここまでの道々で、
店構えが目に止まったトンカツ屋があった。
 きっと美味しいだろうと直感した。
そのお店を目指した。

 ところが、店の近くまで行ってみて、
急に足が止まった。
 行列ができていた。
並んでいる人は、片手にスマホを持った外国人ばかり・・。
 私たちの後ろから歩み寄ってくる方も、
同じような人たち・・・。
 きっとSNSで、美味しい店として紹介されていたのだろう。
これまた、早々に退散した。

 そして、行き着いたのは、
大きなビルの最上階にあったレストラン街の、
しかも、小さなトンカツ屋であった。
 
 初心者マークを胸につけた大学生風の男性が、
4人がけのテーブルを勧めてくれた。
 どれも同じテーブルで、7卓だけの店だった。 

 私たちは6番目の客で、すぐに3人組が入店し、
満席になった。

 それぞれのテーブルが見通せた。
7席の内、日本人は私たちと、
もう食べ始めていた斜め向かいの2人だけ。
 ここもインバウンドだった。

 トンカツは、注文してから時間がかかるのが常だ。
しばらくして、前の席の男女にトンカツ定食が届いた。
 すぐに女性が店員に声をかけた。

 店員は、日本語で説明をはじめた。
小さなすり鉢のゴマを擦ってからソースを入れることを、
身振りと手振りで教えた。

 勘のいい女性だ。
理解したらしく、男性と一緒にゴマをすり、
ソースをつけてトンカツを食べ始めた。

 再び、女性は店員を呼んだ。
店員はうなづき、
厨房から2本のスプーンを届けた。
 その用途に興味がわいた。
時々様子を見た。

 定食についてきた味噌汁を、
スプーンですくって飲んでいた。

 どこの国の方か分からないが、
見ると、ご飯茶碗も持とうとしなかった。
 テーブルに置いたまま、
箸でご飯をつかみ上げ、口へ持っていった。

 やっと私たちのところにも、注文した定食がきた。
私は若干席をずらし、
女性からも私が見える位置に移り、食事を始めた。

 特に、味噌汁のお椀はゆっくりと手に持ち、
おもむろにお椀に口を付けて飲んで見せた。

 女性は箸を止め、ジッとそれを見ていた。
私は素知らぬ振りをし、トンカツを食べた後、
もう1度お椀を持ち、味噌汁を飲んで見せた。

 女性は、すぐに私を真似た。
スプーンを止め、お椀に口をつけ、
箸をそえながら味噌汁を飲んだ。
 やがて、男性もお椀を手にした。

 私たちよりも先に、席を立った。
女性は、私を見て一瞬微笑んだ。
 小さな交流に、爽快な気分になっていた。

 さて、同じ夜にホテルで『珍事』があった。 
大通公園に隣接したそのホテルの最上階は、
大浴場になっていた。

 これはいいと、就寝直前に入浴することにした。
脱衣所には3、4人がいた。
 予想外の混雑に驚いた。
浴室と合わせると10人はいたと思う。 
  
 私は、いつものように脱いだ衣類をカゴに入れ、
その上に眼鏡をのせて湯船に向かった。

 最初は、大きな声で会話する方々がいたが、
その後は静かな浴室になった。

 目の前でゆったりと湯に浸かる眼鏡をかけた方がいた。
突然、脱衣カゴの眼鏡が気になった。
 そんなことを気にしたのは初めてだった。

 急いで体を洗い、浴室を出た。
私の脱衣カゴを見た。
 予感が的中した。
眼鏡が消えていた。

 脱衣室に誰もいなくなったのを待って、
眼鏡を探した。
 洗面所もトイレも、隣の休憩室も見て回った。
 
 眼鏡がないまま、部屋に戻った。
すぐにフロントに電話した
 大浴場は午前2時が終了であった。
その後、探してみるとのことだった。

 不快感は、徐々に膨らんだ。
お風呂から戻った家内は、
「こんな所にありました。
なんて、出てくるといいね」
と、言う。
 「ちゃんと脱衣カゴの一番上に置いた物が、
どうして他から見つかるんだ!!」
 イライラをぶつけた。

 そんな時だった。
フロントからの電話が鳴った。
 「ただ今、間違って持って行ったという方が、
お客様の眼鏡を持ってフロントへまいりました。
 今からお部屋にお届けしたいのですが、・・・」
と言う。

 届けてくれたフロントの女性は、
私の眼鏡であることを確認した後、
安堵した表情で、
「見つかって良かったです」を2度くり返し、
ドアを閉めた。

 どうも釈然としない。
大浴場のどこにも、私の眼鏡どころか、他の眼鏡もなかった。
 フロントに届けた方は、
どう間違えて、私の眼鏡を脱衣カゴから持って行ったのだろう。
 私の眼鏡を大浴場から持ち去った動機が、
不思議だった。
 様々な仮説を考えてはみたが、謎解きは無理だった。
だから『珍事』として、イライラを収めることに・・・・




      匂い立つ 栗の花 
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