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ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

兄ちゃん 逝く

2021-02-27 15:02:37 | 思い
 兄弟は、長女、長男、二男、二女、
そして三男の私、5人だった。
 長女の姉は、認知症で5年程ケア施設で暮らし、
昨年9月95歳で逝去した。

 そして・・・・。

 先週末のこと。
前夜に、飲食店を営む二男の兄から電話があった。
 「初めて聞いて、ビックリしたばかりだけど、
兄ちゃん(長男のこと)が入院して、危ないんだってよ。
 あと5,6日かも知れないって!」。

 全てが不意の知らせだった。
兄ちゃんの息子(M朗)からの電話連絡だったようだが、
どんな様子なのか兄(二男)も見当がつかないらしい。

 「明日、見舞いに行こう!
苫小牧まで俺の車で・・・。」
 私の提案に、
「それが、コロナで見舞いはダメなんだって。」
 「そうか・・・、コロナ・・か!」。

 次の朝、8時頃だった。
そんな時間に鳴る電話に、
「まさか」と緊張が走り、受話器を握った。
 「あの・・、M朗です。今朝、父が・・」。
必死に言葉を探した。

 急ぎ釧路から車で、苫小牧へ向かっている途中だと言う。
「運転に気をつけて・・・。」
 それが、精一杯だった。

 兄ちゃんとは、12歳も離れていた。
私とは違い、無口で物静かだった。
 「兄ちゃんは勉強ができたのよ。
小さい頃は買ってもらったおもちゃを分解し、
それを1人でまた組み立てて遊ぶのが好きな子だったよ。」
母が言っていた記憶がある。

 高校を出てから、3年程就職に苦労した。
職場でいじめにあったり、
慣れない工事現場の作業で大怪我をしたりした。
 ところが、友だちが勤務する高校の事務職に、
臨時募集があり、そこに採用になった。

 その後は、彼の努力だろう。
いつごろからか、北海道の正規公務員になった。

 私が大学生になると、
兄ちゃんは、札幌にあるあの赤レンガの北海道庁に勤務していた。

 一度だけ、夕食でも一緒にと誘われ、
道庁の正面玄関で待ち合わせた。
 玄関ホールまでの広い階段を、
背広にネクタイ姿で兄ちゃんが降りてきた。

 その後、道庁前の明るいレストランに入った。
メニューを見ても、訳が分からず、
「何でもいい」と言う私の前で、
兄ちゃんは、慣れた言い方で注文をした。

 以前とは大きく違う兄ちゃんに戸惑い、
でも、やけにまぶしく見えた。

 その後、私は東京の小学校に勤務し、
兄ちゃんとは冠婚葬祭の機会に会うだけになった。
 兄弟の前では、相変わらず口数が少なかった。

 長いこと道庁で勤務し、
その後は道東方面の高校で事務長をし、
退職を迎えた。

 兄ちゃんの奥さん(義姉)は、苫小牧育ちだった。
親戚の多くが苫小牧にいた。
 だからかどうか。
兄ちゃんは、退職後を苫小牧で暮らし始めた。
 
 私が、その兄ちゃん宅を訪ねたのは、
わずかに1回だけだった。 
  
 その兄ちゃんが、急逝した。
知らせがあった午後、
病院から自宅に戻った兄ちゃんと対面した。

 丁度、同じマンションのお隣さん親子が、
お悔やみに来ていた。
 小学5,6年生らしい娘さんが、
何度も涙をふきながら、
兄ちゃんへ手を合わせてくれた。

 「この子、小さい頃からかわいがってもらっていたから」。
お隣の奥さんが、兄ちゃんの2人の息子へ話しているのを聞きながら、
私は、やや離れたところで、
やっとの思いで、悲しみをこらえていた。

 その時、兄ちゃんの穏やかな暮らしぶりが、
垣間見えた。
 そして、死を惜しんでくれている方を目の当たりして、
ようやく兄ちゃんの死を、私は受け止めることができた。
 涙が込み上げた。

 葬儀は、次の日通夜、そして翌々日に告別式と進んだ。
コロナ禍とあって、家族葬だった。
 なのに、予想以上に多くの方が席についていた。

 私の一家は、兄(二男)姉(二女)と私に家内、
それと甥の4人だけだが、
義姉の親戚縁者が、20人以上も顔を揃えていた。

 賑やかな葬儀にしてもらった。
兄ちゃんは退職後の生活を苫小牧にして、
よかったんだと、実感した。

 さて、3日間とも、苫小牧の往復は私の車で、
兄姉と一緒だった。
 「次は、俺の番だ。」
兄は、車内で何度も言った。
 「兄ちゃんと同じなら、あと3年しかない。
ショックだ。」
とも、くり返した。

 そんな兄の不安を聞きながら、
私は自分の最期を想像してみた。

 兄ちゃんのように
賑やかな家族葬にはならないだろう。
 兄は10歳上、姉は6歳上である。
きっと二人を私が見送ることになるだろう。
 家内も私が見送るとすでに約束済みだ。

 私の時は、2人の息子はいるだろう。
きっと2人に、私は見送られるのだ。
 「それでいい!。
いや、今のうちに・・・。
 そうだ! 生前葬はどうだろう!」

 それより、私にも終わりが迫っている。
明らかに、限られた人生なのだ。
 残された時間をどう過ごすか。

 宝塚ジェンヌの真似じゃないが、
『清く、正しく、美しく』生きたいと思う。
 
 兄ちゃんのような、
寡黙な穏やかさは持ち合わせていない。
 その変わり「私なりの正義は貫きたい!」。

 兄ちゃんの棺へ菊の花をいっぱい入れながら、
その想いを確かめた。
                合 掌




    春まで もう少し 
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気 に な る !!

2021-02-13 16:59:03 | ジョギング
 ▼ コロナ対策は、マスクと手洗い、それに3密の回避。
後は、不要不急の外出をしないこと。
 誰もがみな同じ。

 私の場合、きっとそれが功を奏しているのだろう。
この冬、風邪で伏せることが今のところない。
 毎冬見まわれる、喉の痛み、発熱が一度もない。
コロナ対策のお陰に違いない。

 それにしても、マスク、手洗い、加えてソーシャルディスタンスの
飛沫ブロックが、感染症にここまで効果的とは・・・。
 
 「急所がわかってきた」と、今回の緊急事態宣言では、
最大の施策が、飲食店の時短だった。
 その結果が、対象地域での陽性者数の減少に現れている。

 マスクなしの会食による飛沫拡散が、
いかに感染拡大を招くか、それを証明した形なった。

 ワクチン接種が効力を発揮するまで、
この取り組みを粘り強く進めること。
 それに尽きる。

 ▼ さて、体育館のランニングコース通いを続けている。
週2,3回だが、朝の雪かきで、
出発時間帯が決まっていない。

 午前は午前の顔なじみ、午後は午後の方が、
必ずウオーキングやランニングで汗を流している。

 会釈だけの方、時には短い会話を交わす方など、
ランニングと共に、そのちょっとした交流が、
閉ざされた冬の楽しみの1つである。

 なのに、昨シーズンはよく見かけたのに、
全く出会わない方が、3人もいる。

 ▼ 1人目は、よく私の走り方をコーチしてくれた方だ。
4年前になるだろうか。
 走り方に違和感があった。

 とにかく足音が大きいのだ。
雪道で滑らないようにと走っていたから、
そうなったのだろうか。
 とにかく、バタバタと大きな音を立てて走り、
以前のように静かに走れないのだ。

 その時、私の後ろから伴走し、
アドバイスをしてくれた方がいた。

 その方は、冬の期間、午前中はほぼ毎日、体育館を走っていた。
だから、私が走り始めると、しばしば後ろに付き、
走り方のチェックをしてくれた。 

 足の運びが徐々に改善され、
その後は、ドタバタ走りがなくなっていった。

 今はもう走り方に不安はないが、
今シーズン、まだその方の姿を見ていない。
 時には、走り方を見て、
「よくなったね!」と言ってもらいたいのだが・・。

 ▼ 2人目は、春の緊急事態宣言で、体育館が閉鎖になるまで、
私と家内の後ろを追尾して走った女性だ。

 切っ掛けは、その女性からの声かけだった。
「一人じゃ無理なので、走れるところまで、
着いていっていいですか」。
 私たちより一回りは若いスリムな方だった。

 以来、体育館で顔を合わせると、
明るく会釈をし、私たちの後ろを付いてきた。

 最初は、1キロだったが、1,5キロ、2キロと
距離を伸ばした。
 「今日は、3キロも走れました!」。
それ以来、体育館が閉鎖となった。

 ところが、春の陽気に誘われた日だ。
閉鎖が続く体育館に変わり、
雪が解けたサイクリングロードを走った。

 散歩を楽しむ人、いいリズムでランニングする人などと
すれ違ったり、追い抜かれたりした。

 家内と並走し、2,5キロ地点で折り返し、
残り1,5キロまで戻った時だ。

 一人で散歩している女性を抜いた。
どこかで見た後姿に思えたが、
振り返ったりはしなかった。

 しばらく進むと、後ろから声がした。
「すみません。体育館でご一緒した・・・」。
 その言葉で、ピンときた。
足を止めて振り向くと、
その女性は、私たちを追いかけて走ってきた。

 「こんな所でお目にかかるなんて!」。
体育館で後ろを走っていたその女性は、
嬉しそうな笑みを浮かべた。
 そして、
「この道のゴールの所に、車を止めているんですが、
そこまで後ろから付いていってもいいですか」。

 二つ返事の私たちを、荒い息で女性は追ってきた。
ゴールした額には玉の汗が光っていた。
 「ありがとうございました。楽しかった。」
女性はそう言い残し、
急いで運転席に座り、発進していった。

 今シーズン、体育館で顔を合わせることだろうと思っていた。
いまだ一度も見ていない。

 ▼ 3人目は、平日の午後2時頃、
黙々とウオーキングをしている男性である。
 きっとそれが日課なのだろう。
午後、ランニングに行くと、必ず出会った。

 いつも同じペースで、
200メートルの周回を、1時間以上も歩き続けていた。

 思い返すと、もう5年以上も前から、
彼を、定時刻にそこで見てきた。

 ところが、昨シーズンの初めだ。
彼の姿がなかった。
 「体調を崩したようだよ」。
どこかから、そんな声が聞こえていた矢先だった。

 いつもの黒のベンチコートの下に、
トレーニングウエアー姿で、2階出入口に彼が現われた。

 ほんの数回言葉を交わした程度だったが、
走るのを中断して、声をかけた。
 「お久しぶりです。
体調を崩されたとお聞きしましたが・・。」
 「もう大丈夫。
S病院の先生が、すぐに脳外科病院まで連れて行ってくれてサ。
 いろいろな人に、すっかり助けてもらって・・・。」

 「それは!・・・」。
呆然とする私に、彼は真顔で
「また、今日から頑張るさ」。
 言い終わるとすぐ、ベンチコートを脱ぎ、
屈伸を何回かして、
いつものリズムで、歩き始めた。

 以来、昨シーズンは、
午後のランニングコースで必ず彼を見た。
 なのに、今は・・・。
「どうしたのだろう?」。




   快晴の冬 猛々しい有珠
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『行雲流水』にならう

2021-02-06 17:18:38 | あの頃
 節分が過ぎた。
季節の変わり目。
 日の出が早くなってきた。
その上、日の入りも随分と遅くなった。

 そうは言いつつ、
まだまだ厳しい寒波は続くだろう。
 でも、日差しの長さだけでも、
冬の終わりを告げていて、嬉しい。

 そんな陽気に誘われた。
このブログも、3月まで隔週更新にと思っていたが、
時にはお休みしつつも、早々と毎週土曜日更新に切り替える。
 「冬眠なんて、もういい!」。

 さて、今日は、まず、
今年の年賀状に添えた詩を記すことから始める。

 ◇     ◇     ◇     ◇

    折々の 光景

朝ランの途中 突然の通り雨
近づくピンク色のランニングシューズが
湿ったショートカットで すれ違う
“雨だよ足もと気をつけて”
私の忠告に 背後から
ピュアな弾んだ声が
“はーい ありがとうございます”
おおっ これは春の雨か
その時 一瞬コロナを忘れた

 庭にアルケミラが花やか
 そうだ 今朝の仏壇に供えよう
 早々 一本また一本 鋏を入れる
 摘んだ七本を束ね かざしてみる
 朝の日差しがよく似合う
 あの時 一瞬コロナを忘れた

入り日が沢山のススキを銀色に染め
すぐそばで掘り出されたビートが山に
 先日 その畑に白鳥が舞いおりた
 百羽が鳴き交わす健やかな声に
 私から寒さが消え
折々の光景に 一瞬コロナを忘れて 

  ◇     ◇     ◇     ◇

 今年も、年賀状は私と家内の連名で、
約300人の方へお出しした。
 約1ヶ月が過ぎたので、
改めて、今年の詩を読み返してみた。

 ふと、12年前の詩との共通項に気づき、
驚いた。

  ◇     ◇     ◇     ◇

   行 雲 流 水

春になりました
 チューリップの畑と満開の桜並木に
 上着を脱いで笑みを返しました

夏になりました
 一面のヒマワリと蓮池の一輪に
 通りぬける風から涼を止めました

秋になりました
 一群の彼岸花と初めてのジンジャーに
 見入る足どりは無口でした

冬になりました
 紅色の山茶花と幾重もの葉ぼたんに
 コートの襟を立て暖を探しました

ああ 色とりどりの日々
 そこには ドラマと日常が
 心を奪い合い
 そう メラメラと淡々と
しかし 
 今朝もスラウェシのコーヒーが
 ふわりと私に香り立つ

  ◇     ◇     ◇     ◇

 12年前の私は、まだ現職だった。
だから、『色とりどりの日々』に、
時には『メラメラと』、時には『淡々と』過ごした。
 でも、いつもコーヒーが『ふわりと私に香り立つ』朝に、
迎えられていた。

 それに比べ今は、コロナ一色の日々が続く。
だが、時には私の周辺に、
春色、夏色、秋色、冬色を見つけることができる。
 そんな四季折々が織りなす光景は、
コーヒーの香りに迎えられたあの朝と、
変わりないように思える。

 『日常とドラマ(現実と願望)が心の奪い合い』をしていたあの頃も、
コロナの禍に心ざわめく今も、
求めるものは同じなのではなかろうか。
 
 それが私に、禅語『行雲流水』を連想させる。

 その『行雲流水』について、
「ほっとする禅語70」(渡會正純・著)は、
次のように解説している。 

 『 大空に浮かぶ雲。留まることなく流れていく水。
どこまでも自由で拘束されていない様子が
絵に描いたようにわかる言葉です。

 行く手を阻む大きな岩が出てきたって、
なんなく流れていく水は、
こだわりなく執着なく海に向かってぐんぐん進む。
 丸いものに入れられれば丸くおさまり、
四角いものに入れられれば四角におさまっていますが、
固まったわけじゃない。
 だれも水に形を強制することはできません。
山頂で雲はすぐそこにあるように見えますが、
誰にも掴めない。
 そんな風に自由に生きていきましょうよ、
と禅語は言っています。 』

 『だれも水に形を強制」できない。
『誰にも(雲は)掴めない』。
 そんな風に『自由で拘束されない』日常に、
すっと惹かれている。

 『行雲流水』の雲と水から、
修行僧を「雲水』と呼ぶらしいが、
彼らのように、
『居場所を決めずに、1カ所に留まることなく、
いろいろな師をたずねて修業を重ねる』。
 そんな強さを私は、持ち合わせていない。

 でも、丸くも、四角にもおさまるが、
固まらない水のような自由さがほしい。
 その証が、私にとって、
毎朝のふわりと香り立つコーヒーが代弁している。

 実は、私にできることならと、
この町でも、様々なお手伝いをしてきた。

 今春からの自治会活動の体制づくりが、
始動しているようだ。
 当地に居を構えて、まだ8年半足らずだ。

 その私に、重い役回りの依頼がありそうだ。
それをどう受け止めたらいいか。
 堂々巡りの日が続いている。

 だけども、香り立つコーヒーに迎えられない朝は、
どうしても考えたくない。
 『行雲流水』にならいつつ、
1歩を踏み出すことになるのか・・・・・。


  

     雪道に ポツーン 
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