ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

スケッチ  ~ ‘23 春

2023-05-27 12:10:11 | 北の大地
 ① 雪が消えたわずかな地面に、
福寿草の黄色い蕾をみつけたのは、
2ヶ月前だった。

 それから2週間が過ぎ・・・。
真っ先にクロッカスの花が咲くのは、
国道沿いにある整骨院の庭先に決まっていた。

 案の定。
「やっぱり、同じ所に咲いている!」。
 小さくうなずきながら、散歩の足を一瞬緩めた。
 
 福寿草とクロッカスが、冬の終わりを告げている。
春がやって来たのだ。
 モノクロだけの暮らしに色彩が加わりだすと
この街の雪融けは一気に進む。

 我が家の庭では、宿根草が一斉に芽吹き、
あちこちで、新芽が地表を押し破り、姿を現す。
 「すごい!」
このエネルギーは正真正銘、春到来の合図だ。

 やがて、アヤメ川沿いの散策路には、
キクザキイチゲやアズマイチゲ、
キバナノアマナが花をつける。
 
 歴史の杜公園の野草園には、カタクリや水芭蕉が
私の足を止めた。

 「今年は、春が早そうですね」。
ご近所さんと、そんな挨拶を交わしたのもつかの間、
木蓮の膨らんだ蕾を見た。

 その後は、あっという間だった。
紫木蓮の派手さを押しのけ、桃と梅と桜が、
一気にこの街を飾った。
 
 桜は、例年通りの場所で例年通りに華やぎ、
そして、毎年いさぎよく舞い散り、
花いかだと花の絨毯に化した。
 
 その頃、我が家のシンボルツリーは、
真っ白なジューンベリーに。
 4,5日間満開の時を迎え、
散歩の人が、足を止めじっと見上げた。
 私を見た訳じゃないのに、
少し照れている自分に気づき、思わず笑いをこらえた。

 今、八重桜も終わり、色とりどりのツツジの時。
タンポポの綿毛が、牧草畑の上をフワリフワリと、
舞っている。


 ② 冬期間でも、観光物産館には『だて野菜』が並ぶ。
主に葉物。
 どれもハウス栽培だが、
わさび菜と水菜はいつでもある。

 春が近づくと、そこに、
ほうれん草やグリーンレタスが加わる。
 次第に、野菜は種類も量も増え、
陳列棚は豊富な『だて野菜』で賑やかになる。

 朝は毎日、野菜サラダを欠かさない。
シャキシャキ感が増した野菜に春を感じ、
ついつい買いすぎてしまう。

 1ヶ月前、まだまだと思っていたのに、
ハウス物だけどアスパラが並んだ。
 迷わず、中太のを求めた。

 一番は、茹でて麺つゆをかけた食べ方。
口いっぱいに、アスパラの風味が広がった。
 本格的な夏までこれが堪能できる。
上物は、これからどんどん出回るのだ。
 ウキウキした春は、こんなとこにも・・・。

 だけど、雪がすっかり消えた日だった。 
一緒に自治会の役員をしている40歳代のSさんが、
我が家のインターホンを押した。

 玄関を開けると、新聞紙にくるんだものを抱えていた。
「今年最初の山菜採りに行ってきました。
 これ、少しですけど行者にんにくです」。
頂いた新聞紙の中をのぞくと、
1度に2人では食べられない程の量だった。

 何年か前、行者にんにくの天ぶらそばを食べた。
それ以来、大好物になった。
 「これ、天ぷらにすると美味しいよね」。
「僕は、ジンギスカンと一緒が好きです」。

 急にジンギスカンとはいかない。
夕食には天ぷらとお浸しの両方が並んだ。
 「ドッチもドッチ!」
食べきれないどころか、
「もう少しあってもいい」なんて、
わがままな本性が・・・。

 箸を置きながら、ふと
「もう来春までこれはお預けかも・・!」
と漏れる。
 春の早さが心憎くて・・・。

 
 ③ 母の日に義母の3回忌をするため、
旭川まで車を走らせた。
 約3時間半の長距離運転だ。

 走り始めは、若葉におおわれ丸々とした山、また山だった。
ところが、北へ向かうと、芽吹いたばかりの木々が目立った。
 同じ北海道でも北は、まだ春が始まったばかり。

 でも、大空はどこも春の明るい日差し。
高速道の快適なドライブが続いた。
 
 そして2時間半が過ぎた頃だった。
美唄ICを通ると、右手に山々が連なっていた。
 
 こん盛りとした山の景観に、不自然さを感じた。
私の代わりに見て欲しく て、
ハンドルを握りながら、助手席の家内に言った。
 
 「ねえねえ、この山、なんか赤くない!」。
「そうなの。最初、桜が咲いてるのと思ったけど違うの。
 木が赤いみたい。
・・・何本も何本も、ぼんやりと葉の赤い木あるみたい」。
 「エエッ! そんなことって・・・! 春に・・!」。
「でも、まだ続いている」。

 赤い木が乱立する山は、砂川を過ぎるまで続き、
その後は、パッタリ見なくなった。

 後日、謎は解けた。
あれは、北の大地ならではの春の光景らしい。
 『春もみじ』と呼ぶ。

 まだ春の光が弱い北海道では、
新芽が緑になれないまま数日を過ごすことが稀にあるらしい。
 その間、芽吹いた葉は赤いままでいる。

 『春もみじ』はわずか数日のこと。
その貴重な光景と出会えたことになる。
 ならば、高速道を降りて、
もっと間近で見たかったのに・・・。
 
 


    ヒノデツツジ ~朝日を浴びて
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晴れたり曇ったり その10 <2話>

2023-05-20 10:34:21 | 思い
 ① 自治会長としての難しさを痛感する日が続く。
この役がどれだけの重責なのか、
十分に吟味もせずに引き受けたことを悔いている。

 でも、「今更、何かが変わるわけでもない。
前を向こう!」

 「私にできること!」.。
それに誠実に向き合っていこうと思う。
 そして、少しずつでも、
私自身を生かせるようにしていければ、
それでいい。

 でも、しばらくは苦悶の日が続くだろう。
こんな時、私を支えてくれるのは、いつも出会いである。

 今週末に控える自治会の大きなイベントに向け
先日30数名の打ち合わせ会がもたれた。
 4年ぶりの開催に加え、中心スタッフは私を含め出入りがあった。
チームワークがまだまだだった。
 会議では、そこをつく厳しい質問や意見がいくつもあった。

 矛先は、当然私に向けられた。
致し方ないことだ。
 不備には、何度も頭をさげ、会議を終えた。

 そして、数日後の朝だ。
家内と散歩の途中、会議に出席した奥さんと出会った。
 何気ない会話の後、奥さんは切り出した。

 「会長さんって、本当に大変ですね。
いろんな人から、あんなきつい言い方されて、
それでも、ていねいに受け答えして。
 すごく大変だと思いました。
ご苦労様です」。
 奥さんは、私に向かって小さく頭をさげてくれた。
 
 そして、家内へ、
「きっと、疲れた顔で帰ったんじゃないですか。
いっぱいため息していたりして。
 そうなりますよ。
あんな言われ方されたら、本当に気の毒!」。

 その後、家内と奥さんのやり取りはしばらく続いた。
なのに、2人の会話は私の耳に全く入らなかった。
 それより、会議の日から続いていた張り詰めていた1本の糸が、
急にスルスルと緩んだような気がした。
 
 私に向けられた会議での意見は、
久しぶりに聞く尖った声だった。
 その声が、私にはこたえた。

 ギスギスした会議の雰囲気にも落胆した。
「迫ったイベントにどう対応したらいいのか」などと、
重い気分がズシリと私にのしかかっていた。
 「四面楚歌みたい!」。
その張り詰めた想いが、突然ふわりとなったのだ。

 思い返すと、青空の朝だった。
出会った奥さんのねぎらいの言葉が、
私の心を快晴にしていた。


 ② 会議で久しぶりに向けられた尖った声。
その夜はなかなか寝付けなかった。
 しかし、朝方、教え子が登場する短い夢を2つ見た。
実話のようなシーンが、夢心地に招いてくれた。

 1つ目は、銀座三越デパートのエレベーター内だった。
休日の午後だったようで、
1階から上へ行く室内は、ギュウギュウの人だった。
 
 何を買いに行ったのか知らないが、
押されるままに奥の方まで進み、立っていた。
 連れはなかった。
静かな室内だったが、突然子どもの声が響いた。

 「アッ! 先生だ!」。
こんな所で「先生」か。
 呼ばれた先生に同情した。

 ところが、素知らぬ振りをする私の上着の裾を引っ張りながら、
再び子どもの声が、
 「ねえ、先生!」。

 「エエッ、私のこと!」。
急に、尋常ではなくなった。
 「あら、先生!」。
横から大人の声までも・・・。

 まさかと思いながら、2人を見た。
驚きを隠しながら、小声で言った。
 「こんにちは、お母さんと一緒にお買い物ですか。
いいですね」。

 当時、担任をしていた3年生と母親だった。
「うん、僕の洋服を買いに」
 3年生は臆することなく、愉しげに言った。

 私は人目が気になった。
でも、話に付き合わない訳にはいかない。
 次々と話しだす子に、1つ1つ相づちを続けた。
「そうですか・・・・それはそれは・・」。

 ようやく子供服売り場の階に着いた。
手を振り2人は降りていった。

 その後もエレベーターは、人、人、人だった。
誰もが無言。
 思い過ごしかも知れないが、
私の様子を伺う気配を周りに感じ、背筋が伸びた。

 急きょ、予定していた階よりも早くにエレベーターを降りた。
そして、誰も見てないことを確かめ、大きく深呼吸した。
 なのに、何故か嬉しい気分。

 まさかまさかの夢だ。

 2つ目は、年に1度の職員旅行だった。
1泊2日のバス旅行。
 
 2日目の昼は、旅行だからとテーブルを囲んだ4人で、
ビールを2本呑みながら、食事をした。

 最後に立ち寄ったのは、地方の観光地によくある『○○江戸村』だった。
そこで、忍者ショーを見ることになった。

 舞台上の武家屋敷を右から左、下から上へと
目まぐるしく黒装束の忍者が動き回った。
 斬り合いが始まり、迫力があった。
次第に気分が高揚した。

 よく見ると、10数名の忍者の中に、
鼠色の装束の「くノ一」と呼ばれる女忍者が2人いた。

 昼食のビールの勢いが手伝った。
4人で、「くノ一」に大声援を送った。
 女忍者は、私たちの応援に応え、動き回った。
ショーが終わっても、しばらく拍手喝采を続けた。

 そして、観客がちりじりになった頃だ。
鼠色の忍者が1人、私に近寄ってきた。

 「先生、声、大きすぎ!」
一気に、昼のアルコールがとんだ。
 覆面をとった顔に見覚えがあった。

 「エエッ、Tちゃんか?」
「そうです。
先生はどこにいても元気。
 すぐわかりましたよ。
もうビックリです」。

 高校を卒業した後、
アクションスターの養成所へ行ったことは知っていた。
 ここでこうして逢うなんて・・。
でも、成長した姿との再会。
 「くノ一」へのはしゃぎすぎを恥じるよりも、
嬉しさが勝っていた。

 まさかまさかの夢だ。

 2つの夢は、私に元気をくれた。
決して偶然見た夢ではない。
 やっぱり私は、幸運に恵まれている。




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晴れたり曇ったり その9 <2話>

2023-05-06 12:43:35 | 北の湘南・伊達
 ① 年に4,5回、私のエッセイが、
土曜日の室蘭民報文化欄に載る。
 同じページに、『北の岬』と題する
小さな投稿エッセイ欄があった。

 先週、その欄に伊達市在住の方が
想いを寄せていた。
 全文を転記する。

  *     *     *     *     *

     伊達への思い
                山口  悟巳

 伊達に引っ越して早10年になる。

 あの日銀行は混んでいてATMも並んでいた。
やっと自分の番がくると前の人がお釣りを取り忘れていた。
 急いで外まで追いかけて渡した。
また並ぶのかとあきらめてゆっくり歩いて戻ると、
列はそのままでどうぞと手招きしている。
 えっどうも頭をさげ手続きを終えた。
こりゃずい分道徳観の高いところに来たと思った。
 忘れられない出来事である。

 街はいたって穏やかで気取った感じがない。
一両列車、近所からの差し入れ、
星座がわかる、以前の生活にはなかったことだ。
 近年は雪が増え、カラスが逃げなくなり、
デコが広くなった。

 仕事の方は運よく当直員になり
今は営繕をしている。
 働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに、
毎日出勤できるのはたいへんありがたいことだ。

 階段をモップでふきながら登っていく。
顔見知りの人には「暖かくなりましたね。」と
たわいないあいさつ。
 どうでもいい話ができる人は
どうでもいい人ではないのだ。

 職場の悩みのほとんどは人間関係だろう。
いろんな人がいると割り切り、
都合の悪い事には鈍感になる。
 ミスしてまわりに笑われたら
自分も一緒に笑えたらいい。

 上の階に行く程景色が広がり
思わず見入ってしまう。
 山が笑っている。
また春を迎えられた。
 ありがとう。

  *     *     *     *     *

 先の市長選挙で、6期24年勤めた市長から
後継指名を受けた候補者が大差で落選した。
 市民の審判である。
特段の感想はない。

 しかし、落選した候補者が選挙期間中に演説した内容を
新聞記事で読んだ。
 いつまでも心に残っているフレーズがある。

 彼は、20数年前に伊達で暮らし始めた。
そのような人を『風の人』と称した。
 そして、この地で生まれ暮らし続けている人を『土の人』と。
『風の人』と『土の人』が一緒になって、
風土はできると力説したのだ。

 すると『伊達への思い』の筆者・山口さんも私も「風の人」だ。
「風の人」同士だからか、
山口さんのひと言ひと言が私の想いと重り、浸みた。

 『ずい分道徳観の高いところに来た』
『街はいたって穏やかで気取った感じがない』
と、人と環境に好印象を抱いた。
 
 日々の暮らしについては、
『運よく‥働きたくてもそれがかなわない人も大勢いるのに‥』
と、幸運に恵まれていることを感謝している。

 『どうでもいい話ができる人はどうでもいい人ではない』、
『ミスしてまわりに笑われたら自分も一緒に笑えたらいい』
と、日常にある宝物を拾う日々が続く。 
 
 山口さんは、『上の階に行く程景色が広がり思わず見入ってしまう』と言う。
私は今、次々と春を知らせる草木の開花と若葉の緑に見入っている。
 そして、『山が笑っている』と私も春を迎えた。


 ② 1月末までの約1年半もの間、
長きにわたって歯科医院通いをしていた。

 通院の頻度は、その時々によって違ったが、
月1回から3回だったから、相当の回数になった。

 市内には、10数軒の歯科医院がある。
どこも駐車場があった。
 だから、それが医院選びの決め手にはならなかった。

 ネットで検索をした。
私が選んだ医院のホームページには、
『安心して治療を受けていただくために
ワンランク上の診断と治療』とあった。
 そのうたい文句に惹かれた。

 初診の時、医師は私の願いに、
熱心に耳を傾けてくれた。
 その後、レントゲンやCT、写真撮影などの予定を立て、
2,3回の通院に分け、念入りに口腔内検査をした。

 そして、難しい治療になりそうなのでと注釈を入れて、
「今月、札幌で学会があります。
その時、いつも指導頂いている大学の専門医に、
治療プランのアドバイスをもらってきます」
と告げた。

 1ヶ月後、医師から時間をかけて、
治療方法と治療費の説明を受けた。
 「この治療のやり方がベストです」と言い切られ、
承諾するしかなかった。

 毎回、言われるままに治療台に上った。
言われるままに口を開け、口をゆすいだ。
 それが終わったら会計をし、
次の予約をして、帰宅した。

 ほとんどの日、医師は患者の掛け持ちをしていた。
私の治療が一区切りすると、もう1人の治療に行った。
 それが終わると再び私の治療を始めた。

 治療台に横になったまま、かなり待たされる日もあった。
50代と思われる医師は、丁寧な口調の方で腰も低かった。
 それでいて、あっちの治療台、
こっちの私の台と忙しく動き回り。
 その都度、サンダルで小走りする足音が行ったり来たり。

 私の台に来ると「お待たせしました」と、
柔らかい声で決めぜりふを言う。
 若干の怒りも、あのパタパタパタの足音と声で、
つい飲み込んでしまった。

 治療の最終段階は、医師のこだわりもあったようで、
微調整のくり返しが、数回続いた。
 「先生、何度同じ事をするんですか。
もうその辺でいいですよ」を、
2度3度と我慢した。

 そして、ついに最後の治療日だった。
ほっと胸を撫で下ろし、治療台から降りようとした私に、
医師が遠慮がちに言った。

 「もしよければ、私とのツーショット写真を撮らせて下さい」。
「エッ、先生との写真ですか」。
 「はい、記念にお願いできませんか。
よろしいですか?」。
 ノーとは言えなかった。
「時々、患者さんと一緒にこうして写真を撮るんです」。
 いつもより明るい声だった

 治療台の背もたれを起こした私と、
その横で腰掛けに座る医師。
 2人の笑顔は、どんな写真だったか知らない。

 でも、カメラに向かい嬉しそうな医師の横顔を一瞬盗み見た。
いい医師に出会ったんだと実感した。
 私もとびっきりの笑顔でカメラを見た。




    路傍に増える ムスカリ
                 ※次回のブログ更新予定は5月20日(土)です
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