ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

69歳の 向寒

2017-11-30 19:54:56 | ジョギング
1 伊達の錦秋

 9月末、旭川でハーフマラソンを完走し、
その後は、天候と体調を見ながら、ジョギングを続けた。
 次は、11月末の『江東シーサイドマラソン大会』のハーフに、
エントリーしていた。

 「エッ、わざわざ北海道から東京まで走りに行くの!」
そう呆れられるので、言い訳する。

 実は、大会の3日前に、
校長として勤務した学校の開校100周年記念式典がある。
 それに参列するために上京する必要があった。
だから、ついでに、3年連続になるが、
永代通りと若洲堤防のコースを走ることにした。

 確かに、マラソン大会参加と言う目標があることが、
日々のジョギングの励みになっている。

 それに加え、10、11月の
『紅葉から落葉へ』と向かう伊達が力になるのだ。
 折々の変化を肌で感じ、大きく息しながら、
足を進める爽快感がたまらない。

 そんな朝のジョギングで触れる秋の伊達を、
ちょっとスケッチしてみる。

・ 荒々しい稜線の有珠山が朝日を浴び、
頂の山肌を紅色に染める。
 裾野の樹木はと言えば、これまた秋の赤色。
上から下まで、山は丸ごと深い赤一色なのだ。
 風のない朝、ツンとした空気と共に、
その山容が背筋を伸ばしてくれる。

・ 胆振線が通っていた線路の跡地が、
サイクリングロードになっている。
 紅葉した桜並木のその道を2キロほど走ると、
『チリリン橋』に着く。
 下を流れる長流川に、沢山の鮭が遡上した。
産卵を終え、横たわる数々のホッチャレ。
 それを、目当てに群がる野鳥。
厳しい命の現実を目にしながら、
淡々と駆け抜け、私も冬に向かう。

・ 遠く明治の頃、あのクラーク博士が伊達を訪れた。
ビートの栽培と砂糖生産を推奨したと言う。
 紆余曲折はあったようだが、
毎年、秋とともに製糖工場の太い煙突から、
モクモクと白い煙が上る。
 そして、掘り起こしたビート根を山積みしたトラックが、
西から、東から、北からその工場へ向かう。
 師走を前に活気づく、国道37号線。
町中は、ほんのりとした甘い香りに包まれ、
大きな息づかいの私は、伊達特有の秋を感じる。

・ 日に日に冷たくなっていく風とともに、心待ちにする。
はるかシベリアから飛来するオオハクチョウだ。
 私はもう珍客とは思っていない。
朝、「クワッ、クワッ」と声を張り上げ、
10羽前後でえさ場の畑地へ向かう。
 しばらくすると、また同じような一団が空を舞う。
 「今年も、みんなで帰ってきたんだ。」
私の声など届くはずがない。
 でも、小さく声に出してみる。
「お帰りなさい!!」。
急に、体も心も弾んだ。

 さて、先日、最初の寒波が訪れた。
本格的な冬を思わせるように雪が降った。
 そのためか、風邪をひいた。
完治しないまま、上京の日が来た。


 2 東京の季秋

 あいにく冷たい雨の日だった。
世界のホームラン王と言われる王貞治氏が卒業した小学校が、
開校100周年を迎えた。
 その式典に、元校長として出席した。
多忙の中、王さんも参列してくれた。
 
 ビックネームの来校である。
きっと騒がしいことになるだろうと思った。
 しかし、飾らない人柄がそうさせるのか、
物静かな雰囲気が周りを包んでいた。
 穏やかに写真撮影に応じる姿が印象的だった。

 人間性の違いと言うのだろうか、
ひとつのことを極めた人だからなのだろうか。
その素晴らしさを近くで感じた。

 それから3日後、
前日までの冷たさが一転、好天に恵まれた。
 『第37回江東シーサイドマラソン大会』が、
スタートとフィニッシュを江東区夢の島競技場を会場に行われた。

 会場までの途中、区役所前に集結する同じ帽子を被った、
沢山の競技役員を見た。
「この方々の支えがあって、走ることができる。」
 突然、キューンと胸が詰まった。
 
 昨年同様、4000人のランナーと、
多くの人でにぎわう会場だった。
 まだ緑色の芝生。
そこに立ち、青空を見上げてみた。

 前日の朝方、ホテルのベットで大汗をかいた。
私にとって、それは風邪の完治を意味した。
 体調は大丈夫だった。

 しかし、なのだ。
いつだって完走を目指した。
 これで、11回目のハーフマラソンなのに、
自信など、私のどこを探してもない。
 心細さで、逃げ出したい気持ちになってしまう。

 「行けるところまで行くしかない。」
秋の高い空をしばらく見上げ、心を固めた。

 走り初めて2キロ付近、
周りは年若いランナーばかりに思えた。
 軽快な足音ばかりが聞こえた。

 朝のジョギングも同じだが、
走り出しのこの距離がすごく苦しい。
 「歩きたい」、「歩きたい」。
その言葉しかないまま、永代通りへ進んだ。

 そして3キロが過ぎた。
その辺りから、私が変わった。
 息苦しさが去り、足取りも軽くなった。
これなら10キロは走れる。

 最後尾からのスタートだった。
だから、次々とランナーを抜いた。
 いいリズムのまま、10キロを通過してしまった。

 後半は、人気のない散歩道や堤防路だ。
思い返すとそこでの安全運転が悔やまれた。
 周りのランナーのペースダウンに合わせて走ってしまった。

 残り3キロ。
いつもより余力があることに気づいた。
 ペースを上げた。

 19キロ、20キロ、……。
軽快な足取りに、一番驚いたのは私自身だった。
 競技場のトラックは、全力疾走ができた。
しかし、昨年より3分も遅いゴールに力が抜けた。

 ゴールしてしてすぐ、つぶやいた。
「もっと、走れた!」
 年令も、あのスタート前の不安も忘れ、
悔しさがこみ上げた。
 「俺は、まだできる。
来年は、必ず自己ベストをだしてやる。」

 「とんでもない年寄りなこと!」
そう呆れられてもいい。 

  
 
 

   寒空の下 冬の大きな栗の木    
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えっ! 校庭を芝生に

2017-11-17 22:09:37 | 教育
 10年も前のこと、それは突然だった。

 区内小中学校の校長を集めた会議で、
教育委員会から次年度教育予算の説明があった。
 そのペーパーに、『校庭改修1校(芝生化)』として、
私の学校の名前が載っていた。

 「えっ! 校庭を芝生に。そんなの聞いてないよ。」
驚きで、声が漏れそうになった。
 予算として計上されている金額も、相当額だった。

 「来年度、校庭の芝生化をF校で行います。」
若い担当者が、淡々と言い切った。
 それは、あたかも、
以前から決まっていた既成事実のように聞こえた。
 若干冷静さを失いかけたが、記憶をたどった。

 例年のことだが、半年程前に、
学校施設の改修要望を区教委に提出した。
 確か10項目ほどの要望の最後に、
『校庭改修』を初めて入れた。
 若干凹凸が目立ちだした校庭だったので、
数年先を考え、順位を後ろにしての要望だった。

 それを受けてのものだと推測した。
それにしても、改修が芝生化とは、
面倒な予感がした。

 当時、2016年東京オリンピックを目指した誘致活動が、
始動していた。
 そのコンセプトの1つに、
『東京から地球環境の大切さを世界に発信』すると言うものがあった。
 公立学校の校庭芝生化が、その一環として進められていた。

 会議を終え、学校に戻ってすぐ、
当時、気兼ねなく話ができた担当課長さんに、電話を入れた。
 校庭芝生化までの、経緯を尋ねた。

 案の定、校庭改修の要望があったこと、
そして、東京都がすすめる芝生化推進もつけ加えた説明だった。
 区では2校目となる学校として、
「通りに面した校庭を芝生化するのは、
区民へのインパクトも大きい。」
 そんな行政マンらしい発想も、口にしていた。

 1校長として、区の施策にクレームをつけるなどできなかった。
「課題を探り、自校にとってよりよい芝生の校庭にしよう。」
 私は、そう切り替えた。

 早速、次年度早期の改修着工を念頭に、
区の担当者と協議を始めた。

 難題があった。
それは、地域住民・保護者が参加した芝生化の取り組みに、
することだった。

 校庭のどこを芝生にするか。(全面あるいは一部分だけか。)
そして完成後の管理はどうするのか。
 芝生化の全てにわたって、地域と保護者の声を取り入れ、
維持・管理に協力を得るようにすることが、
求められたのだ。

 私は、奔走した。
町会長さん、地域有力者、PTA会長・役員等々の自宅に出向いた。
 そして、できるだけ丁寧に説明し、協力を求めた。

 体制が整うとすぐに、教職員、地域、保護者の代表と一緒に、
校庭を芝生化した学校の視察に行った。

 ゴルフ場や、サッカー場の緑を想像していた。
ところが、出かけた先々の学校は、
芝生の維持管理の難しさに直面していた。

 ゴルフ場の広大さ、サッカー場の使用頻度の少なさ、
それに比べ学校の校庭は、常に子どもが走り回り、
踏みつける。
 芝生が、至るところではげ、地面がむき出しになっていた。

 その上、春の発芽期と秋の種蒔き期には、
校庭使用ができない期間が、数週間発生することもわかった。
 生育期には、週に1、2度は芝刈りが必要になると言う。
植物だから、毎日の水やりも絶対に欠かせないのだ。
 視察した4校全てが、同じ困難を口にした。

 校庭使用ができない期間、
全校朝会は、芝生のないトラックに全児童を集める学校、
屋上で行う学校があった。
 外での体育も制限された。

 まさに矛盾である。
芝生という素晴らしい環境のために、不便を強いられるのだ。

 釈然としないまま、
職員、地域、保護者、そして区担当者との協議を続けた。
 打開策を探る日が続いた。

 新年度に入ってすぐ、
次のように芝生化計画の骨格がまとまった。

 ① 校庭のトラックとフィールドは、ウレタン舗装とする。
  ・ 非芝生エリアを設けることで、校庭の全面使用禁止期間をなくす。 

 ② 上記以外の校庭(校庭総面積の半分以上)を芝生にする。
  ・ 芝生の種類を検討し、校庭に相応しいものを選ぶ。

 ③ 水やりはすべて自動スプリンクラーで行う。
   ・水量、散水時間等の設定は、専門業者に委託する。

 ④ 芝刈りは、地域・保護者の『芝刈り隊』が行う。
   ・地域・保護者にボランティア募集を行い、約50名の協力者を集める。

 ⑤ 芝刈り以外のメンテナンスは、委託業者が行う。
   ・芝生の補植、種蒔き等々生育の管理は、区の費用負担とする。

 ⑥ 改修工事は、夏休み中に行う。
   ・改修工事のために校庭が使用できず、教育活動が滞ることを避ける。

 この決定までには、区教委との意見の開きが大きかった。
しかし、私はくり返し力説した。
 「これが、いい先例になる。」
「これを見て、きっと芝生化を希望する学校が増える。」

 夏休みに限った改修工期には、
区の設計担当者も、特に頭を抱えた。
 ところが、知恵は出るものである。
新しい施工方法の発想と工事業者の努力で、それを乗り切った。

 その工事の様子をスケッチした一文がある。

   *   *   *   *   *

 その夏は例年以上の猛暑でありました。
しかし、その暑さの中でも校庭改修工事は、
着実に進められました。
 35度を越える暑さの中で、休息・休憩時間を除き、
一時たりとも仕事の手を休めることのない作業員の方々の仕事ぶりに、
私は毎日釘付けになっておりました。

 体力的にも相当に消耗を強いられる土木作業です。
いかにシャベルカーやロードローラー等の重機を用いても、
このような校庭改修では、
スコップやトンボ等々の道具を使いながらの力仕事が多くなります。

 そのような仕事を炎天下の下、もくもくと進める姿を見ながら、
私はあることにハッとしました。

 それは、10数名の作業員の方々が、
1人として自分の作業内容・手順について迷っていないことです。
 それは、至極当たり前と言えば、その通りですが、
私たちが集団で何かの仕事をすると、1人2人あるいは多い時には数人、
今何をしていいのか迷い、きょろきょろ、
うろうろしてしまう人が現れます。
 それが校庭で作業する方々には全く見られないのです。

 確かに「プロだから」と言えばそれまでですが、
その作業手順のよさ、そして、今何をどうするかを熟知した仕事ぶりに、
私は目を奪われてしまいました。

 校庭は、この夏でその様相を見事に変えましたが、
そこには黙々と汗を流した方々がいたことを忘ることができません。
 併せて、その仕事ぶりを、
これからの私共の仕事にも生かしていこうと考えました。

 新しい校庭が次第にその形を整え始めたある日、
私はこの工事の責任者の方とちょっとの時間、
立ち話をさせてもらいました。

 「この暑さの中、作業をされる方は大変ですね。
健康状態など、つい心配になりますが。」
と言う私の問いかけに、
 「先生、確かにこの暑さですから、
作業効率は下がりますが、それには無理は言えません。
 でも、やっていて、新しい校庭になっていくのは、
とても楽しい仕事なんです。
毎日、楽しいですよ。」

 私は、その言葉に「なるほど。」と言ったきり、
言葉がありませんでした。
 まさに心から脱帽でした。

   *   *   *   *   *

 関係者のすごい努力の結果、工事は予定通り終了した。
緑に覆われた校庭が完成した。
 思っていた以上に、美しかった。
そこに、子ども達の明るい顔があった。

 評判を聞きつけ、新聞・テレビの取材があった。
芝生に座り、女子アナのインタビューにも応じた。
 都内だけではなく、各地から教育関係者の視察が続いた。

 10年が過ぎた今も、校庭の芝生は健在のようだ。
そして、寒い季節を除き、毎週日曜日には、
『芝刈り隊』が、もくもくと芝刈り機を押しているらしい。

 やれやれ、自慢話が過ぎたよう・・。すみません!



     とうとう雪が・・・ 寒くなる!
 
  ≪次回更新は、11月30日の予定です≫
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新聞コラムに 共鳴して

2017-11-10 22:25:38 | 思い
 毎朝、朝日新聞一面の
『天声人語』と『折々のことば』に目を通す。
 そこから私の1日が始まると言ってもいい。

 ちょっと気になった内容は、
切り取って、読み返したりもする。
 時折、味わい深い一文に触れ、心が動く。

 最初に、今年9月30日の『天声人語』を記す。

   彼岸花の燃え立つ秋である。
  作家新美南吉の故郷、愛知県半
  田市では矢勝川の両岸を300
  万本が紅に染め上げる。代表作
  『ごんぎつね』で南吉が「赤い
  布のよう」と書いた風景を再現
  しようと住民らが植えてきた▼小学校の
  教室で「ごん」を読んだ日の衝撃は忘れ
  られない。火縄銃で撃った後に、ごんの
  やさしさに気づく兵十。これほど切ない
  物語を書いたのはどんな人物なのだろう
  ▼「文学に満々の自信を持ちながら、身
  体が弱く生活力もないという劣等感にさ
  いなまれました」と半田市にある新美南
  吉記念館の遠山光嗣(45)学芸員。東京外
  国語学校で軍事教練の単位を落として教
  員免許を取り損ねる。出版社で働く夢も
  かなわない。卒業の1936(昭和11)
  年は深刻な不況だった。▼病んで故郷に帰
  るが、断られ続けた末に入った飼料会社
  で、不本意にもヒヨコの飼育を命じられ
  る。「また今日も己を探す」「はみ出し
  た人間である。自分は」と日記で嘆いた
  ▼恋も実らない。相思相愛の女性に縁談
  が持ち込まれ、泣いて身を引いた。「ぼ
  くはやぶれかぶれの無茶苦茶だ やぼっ
  たくれの昨日と今日だ 雨だ雨だ」と親
  友に手紙を送った▼『牛をつないだ椿の
  木』『おじいさんのランプ』『花のき村
  と盗人たち』。童話のいくつかを読み直
  した。この世は苦難の連続だが、誠実に
  正直に生きよう。報われなくても孤独に
  屈してはいけない・・。そんな信念が
  作品を貫く。苦難に満ちた29年間の生
  涯を思い、彼岸花の咲く堤を歩いた。

 私も、昨年3月、新美南吉の故郷・愛知県半田市を、
ようやく訪ねることができた。

 その様子は、『南吉ワールドPART4~原風景を訪ねて』として、
このブログに書いた。
 その時、次に機会があったら、
彼岸花300万本の「赤い布」を見たいと思った。

 さて、『天声人語』の筆者は、
「この世は苦難の連続だが、誠実に正直に生きよう。
報われなくても孤独に屈してはいけない・・。
そんな信念が作品を貫く」
と、評した。

 この作品観に私は、異論などない。
だからこそ、南吉の書いた物語が好きなのだと言いたい。
 それにしても南吉の物語は、いつだって胸が詰まる。

 わりにあわないと思いつつ、
それでも兵十への償いを続けるごん。
 なのに、火縄銃で撃たれてしまう『ごんぎつね』。
まったく「誠実に正直に・・報われなくても・・」なのだ。

 だから、「この物語は、こんな終わり方でいいのだろうか。」
「それしかなかったの?」「別の思いもあるのでは・・。」
 南吉作品は、いつもそんな思いを、私の読後に残す。

 晴れやかな気分になどなれない。
なのに、私の芯まで届く何かがある。
 それは何か。

 確かに、いつの時代も苦難の連続だろう。
その中で、みんな、言い尽くせないほどの、
やるせなさや理不尽さ、
時には至らなさと同居しながら生きている。

 だがしかし、人は、そんな思いを抱えつつも、
自分と向き合い、期待に胸膨らませ、
しばしば失望しながらも、明日を生きるのである。
 誰も、屈してなんかいない。

 南吉が書き残した物語には、
そんな説得力があるように思えてならない。
 辛く、切ない読後に、いつも胸詰まらせながらも、
次には、「頑張らなくては」と思う私がいる。

 久しぶりに、『天声人語』が、
南吉を私のそばに呼び寄せてくれた。
 

 続いて、鷲田清一氏の『折々のことば』である。
1つのことばを取り上げ、
彼なりの解説を記した小さなコラムである。
 よく似ていると思った3つを記す。

 ①
  人には、自分がだれかから見られているとい
  うことを意識することによってはじめて、自
  分の行動をなしうるというところがある。
            浜田寿美男・山口俊郎

   幼児は、親がいつも決まった場所から自
  分のことを見ているのを確かめてようや
  く、安心して遊びに没頭することができ
  る。誰かが背後でじっと見ていてくれるか
  ら、逆にひとり、目の前のことに全力で取
  り組めるというのは、もちろん大人たちに
  も等しく言えること。発達心理学者の共著
  「子どもの生活世界のはじまり」から。
        2016.5.9

 ②
  がんばる人にご褒美
         「とと姉ちゃん」の給仕さん
   
   男性上司からは蔑ろにされ、先輩の女子
  社員からは邪魔者扱いされ、心が挫けそう
  になっているNHK連続テレビ小説の主人
  公。大量の書類整理や清書を命じられて残
  業していると、老年の給仕さんにキャラメ
  ルを1個、そっと手渡される。一人でもい
  い、ちゃんと見ている人がいることが人を
  支える。見習ってポケットにいつも飴を忍
  ばせておこう。5月30日放送分から。
               2016.6.14

 ③
  美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会
  った時、これを知ったら絶対に喜ぶなという人
  が近くにいることを、ボクは幸せと呼びたい
                    燃え殻

   食事は独りでとるより誰かとお喋りしな
  がらするほうが旨い。幸せは、自分が満ち
  足りるというより、誰かと悦びを共有する
  ところにある。そんな誰かが自分には居な
  いと感じる時、寂しさが内にしんしん沁み
  わたる。隣の人が歓ばない独り占めの幸福
  なんてある? 会社員作家の小説『ボクた
  ちはみんな大人になれなかった』から。
               2017.9.21


、哲学者・鷲田先生の『折々のことば』が、
誰かの存在の偉大さを再認識させてくれた。

 ①『誰かが背後でじっと見ていてくれるから、
逆にひとり、目の前のことに全力で取り組める』。

 ②『一人でもいい、
ちゃんと見ている人がいることが人を支える』。

 ③『幸せは、自分が満ち足りるというより、
誰かと悦びを共有するところにある』。

 『誰かという人』が、
持っている力の大きさ、素晴らしさ。
 私だけでなく、人はみんな、
それを素直に受け入れることができるだろう。

 『これを知ったら絶対に喜ぶという人が近くにいること』。
確かに、それが幸せの形だと思う。

 『そんな誰かが自分には居ないと感じる時、
寂しさだけが内にしんしん沁みわたる』。
 想像しただけで、心が冷たくなっていく。
寒さを覚える。

 幸い、今日まで『誰かという人』に恵まれてきた。
私を見ていてくれる人、ちゃんと見ている人、
悦びを共有する人がいた。

 そんな人たちが、私をここまで導いてくれたと思う。
改めて感謝を伝えたい。





  とうとう唐松林も 橙色に  
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歩を進める 動機

2017-11-03 20:08:24 | 教育
 最初に、現職の頃に書いた『学習の内発的動機』と題する一文を、
転記する。

   *   *   *   *   *   *

 『5年生を担任していた時のことです。
ある子からこんな質問をされました。

 「先生、1年生が育てているアサガオを見ていて気づいたんですけど、
アサガオのつるは、時計と同じ向きに支柱に巻きつきながら、
伸びていくと思いますか。
それとも反対方向に巻きついて伸びていくと思いますか。
 あのね、ほとんどのアサガオは、
時計と反対回りの方向に伸びでいるんです。
 先生、どうしてなんですか。」

 私は、全くそんなことに気づかなかったので、
「さあ、ちょっとわからないな。先生も少し調べてみるね」
と、約束しました。

 そして、あるものの本を読んでみると、
カタツムリも時計と反対回りの巻貝を背負っているとありました。

 そこで私は後日、その子に
「アサガオだけでなく、カタツムリの巻貝も時計と反対回りなんだよ。
これって地球の自転(北極と南極を結んだ地軸を中心に一日一回転すること)と、
関係があるんじゃないかな。」
と、投げかけてみました。

 「へえ、そうなのかな。」と、その子は目を輝かし、
「本当がどうか調べてみます。」と大変興味を示しました。

 数日して、彼は
「先生、地球の自転と関連があるという考え方は、多くの問題があって、
決して正しいとは言えないようです。
でも、なぜ時計と反対向きなのか、やはり不思議です。」
と、興奮気味でした。

 子供は時として、
私たち大人では決して気付かないような事象をとらえ、
大人顔負けの観察や発見をすることがままあります。
 そして、ものすごいエネルギーでそれに興味を示し、
ねばり強く探求していきます。

 子供のそんなエネルギーを支えているものは、
「あれ不思議だな」「なぜだろう」「どうして」
「やってみたいなあ」「できそうだぞ」
と言った子供自身の体験や実感に根ざした、
子供の内面から沸き上がってきた学習への興味・関心なのです。

 私たちはそれを『学習の内発的動機』と言っていますが、
そのような動機によって進められた学習は、
生涯にわたって腐食化することなく、
貴重な財産としてその子の中に残っていくものです。

 先生や家の人に誉められるから、あるいは叱られるから、
そのような動機でする学習とは、
雲泥の差があると言ってもいいでしょう。

 子供の内なる学習への動機をどう揺り動かすか。
それをどのようにして支援していくのか。
 それは、教員に課せられた大きなテーマであります。』

   *   *   *   *   *   *

 上記の一文に、若干の解説をさせてもらう。

 私たちは、『子供自身の体験や実感に根ざした、
子供の内面から沸き上がってきた学習への興味・関心』を、
学習への『内発的動機』と言ってきた。

 それに対して、
『先生や家の人に誉められるから、
あるいは叱られるから、そのような動機でする学習』を、
『外発的動機』とした。

 テストで100点を取ったら、
「ディズニーランドに行けるから・・・」
「お小遣いがもらえるから・・・」、
このようなご褒美を得るための学習は、
典型的な『外発的動機』によるものである。

 この動機は、他者からの誉めること、叱ること、
ご褒美などがなくなると、
いっきに学習が停滞してしまうのだ。

 それに比べ、内発的動機は、
その子自身の興味・関心に基づく学習である。
 自らが抱いた動機によって進められた学習だからこそ、
楽しく、粘り強いものになる。

 つまり、学習活動の本来のあり方は、
外発的動機ではなく、
内発的動機によるものであるべきなのだ。

 しかし、学習本来の姿である内発的動機は、
時として外発的動機の力を必要とすることがある。
 ここでは、そのことを強調したい。
3つほど、例をあげる。

 ①
 先日、ピンク色のワンピースと赤い靴の小学生を見た。
母親と手をつなぎ、市内の小さなホールに入っていった。
 ピアノの発表会が開催されていた。

 この女の子もピアノの先生も、
発表会のために、きっと練習にも熱が入ったことと思う。
 それが、上達へとつながっているに違いない。
発表会があるのとないのでは、
練習への取り組み方に大きな違いができる。

 そんなくり返しが、
ピアノへの向き合い方を変える。
 「もっとうまく弾けるようになりたい。」
そんな想いは、
ピアノ発表会等という機会を通して生まれるのではないだろうか。

 ②
 3年前から、4月に『伊達ハーフマラソン』、
5月に『洞爺湖マラソン大会』、6月に『八雲ミルクロードレース』、
9月に『旭川ハーフマラソン』、
そして11月に『江東シーサイドマラソン』にエントリーしてきた。

 マラソン大会に参加し、そこで完走したい。
そんな目標があったから、
週に3,4回のジョギングを続けてこられたと思う。

 当初、退職後の生活リズムと健康維持のためのジョギングだった。
それを、今日まで継続させ、体力を保ってこられたのは、
「あのマラソン大会で走りたい。」
そんな気持ちがあったからに、他ならない。

 ③
 現職の頃から、旅行にはスケッチブックを欠かさない同僚がいた。
「ちょっと待って。」
 よく旅先の名所で、私たち同行者を待たせ、ひんしゅくを買った。

 その彼が、退職後、本格的に油絵を描き始めた。
絵画サークルに参加し、
先生から熱心に指導を受けるようになった。

 元来、描くことが好きだったからか、才能があったからか、
指導者がよかったからか、
いくつかの公募展で、素晴らしい賞を頂いた。

 彼は今、大きなキャンバスに向かっている。
きっと、公募展での受賞が、
彼を勇気づけ、今に至っているのだと思う。

 さて、3つの例を記した。
ピアノ発表会も、マラソン大会も、公募展も、
いわばイベントである。
 それに参加することで、
ピアノや絵画の上達、体力向上の力になったのである。

 つまりは、イベントという外発的な動機がしっかりと機能すると、
より高みを目指したいと言った内発的動機を、
揺り動かすことができるのだ。

 『誉められたり、叱っられたり、励まされたり』
そして
『発表会の舞台に立ったたり』
『マラソン大会で走ったり』
『公募展で受賞を目指したり』。

 そんな外発的な動機の手助けを受けながら、
子供も大人も、自らのの目標に向かって、
歩を進めることができるのだと思う。



 
 

   伊達・大雄寺にあった秋    
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