江戸時代以前からあった地域だと聞いていた。
碁盤の目のように区画された街は、
昔から縦と横に真っ直ぐな道で仕切られていたらしい。
その一角にある小学校に、校長として赴任したが、
驚いたことに、世帯数が3百から5百戸程度の町会が12もあった。
当時は、10数年前にできた団地自治会を除いた各町会に、
大きな神輿が1基ずつあった。
毎年の祭りでは、その神輿を中央に奉った神酒所が設けられた。
5年に一度の大祭では、総勢150名におよぶ
『神幸祭・鳳輦(ほうれん)行列』がある。
なんと牛が神輿を載せた車を曳いて練り歩くのだ。
その翌日には、大勢の屈強な大人が各町会の神輿を担ぎ、
神社への渡御が行われた。
49基もの神輿がその日、神社に集結する姿は圧巻である。
また、祭りにあわせて、
各町会では『奉納踊り』と称した盆踊りが行われた。
小さな公園広場を利用する町会もあるが、
多くは道路の一部を通行止めにし、
張り巡らした提灯に明かりを灯し、
櫓の上で和太鼓を打ち鳴らしての踊りの輪が、
ほうぼうでくり広げられた。
祭りに限らない。
町会によっては、毎月縁日が開催された。
これまた、一般道を止め露店が並び、家族づれで賑わった。
そして、夏休みのラジオ体操は、学校の校庭は使わない。
町会毎に、その時間だけ車道を通行止めにし、町会総出で行った。
ラジオ体操が始まった戦前から、
そうやって続けてきたと言うことだった。
このように各町会は、代々受け継がれてきた神輿を大切にし、
その祭りを中心とした伝統的な行事を粘り強く継承してきたのである。
後々知ったが、『氏子町会』と呼ばれるらしい。
「御輿があり祭りがあるから、この町会があるんです。
それを受けつぎ次へつなぐのが、俺らの役目なんですよ。」
お祭りの日、お祝いの日本酒を持って神酒所を訪ねた時、
町会長さんが、お揃いの半纏姿で話してくれた。
どれ位長い伝統があるのか。
詳しいことは分からない。
しかし、祭りのポスターに『御鎮座千百・・年』の文字があった。
「平安時代前期に歴史は遡る」とも聞いた。
きっと、町会もその道を歩んできたに相違ない。
それを今につなぐ町会、
取り分け町会役員さんにかかる使命感は、
計り知れないだろう。
次々と神輿が宮入するのを道路脇で見ながら、
町会役員さんが私に呟いたひと言が忘れられない。
「神輿の担ぎ手を集めるのに、どの町会も大変なんです。
こうして神輿が担がれてくるのを見ると、もうたまりません。」
あの時、歴史の重みを背負いながらの町会活動がヒシヒシと伝わった。
だからこそ、きっと勝手気ままにその任についたり、
退いたりできないだろうと思った。
さて、今の私の住まい、地域の自治会はどうだろうか。
そのような重厚な伝統など、比較にならない。
「軽い!」。
世帯数37戸で自治会が結成されてから、
まだ70年にも充たない。
私の近隣に至っては、住宅地として分譲されはじめてから、
わずか20年少々でしかない。
培われてきた伝統など、ほんのわずかである。
当然、自治会に神輿はない。
近くに神社はあるが、祭りの時に神酒所などは設けない。
神社の本神輿がこの地域まで来ることもない。
それでも、近隣の地域住民が安全で健やかに暮らすために、
自治会は必要不可欠だ。
神事がいいとは言わない。
しかし、受け継ぐ何かがあるといい。
それを軸として、地域は結束するのだが・・・。
子どもみたいに『無い物ねだり!』。
思わず笑ってしまう。
いつの間にか 水芭蕉まで
碁盤の目のように区画された街は、
昔から縦と横に真っ直ぐな道で仕切られていたらしい。
その一角にある小学校に、校長として赴任したが、
驚いたことに、世帯数が3百から5百戸程度の町会が12もあった。
当時は、10数年前にできた団地自治会を除いた各町会に、
大きな神輿が1基ずつあった。
毎年の祭りでは、その神輿を中央に奉った神酒所が設けられた。
5年に一度の大祭では、総勢150名におよぶ
『神幸祭・鳳輦(ほうれん)行列』がある。
なんと牛が神輿を載せた車を曳いて練り歩くのだ。
その翌日には、大勢の屈強な大人が各町会の神輿を担ぎ、
神社への渡御が行われた。
49基もの神輿がその日、神社に集結する姿は圧巻である。
また、祭りにあわせて、
各町会では『奉納踊り』と称した盆踊りが行われた。
小さな公園広場を利用する町会もあるが、
多くは道路の一部を通行止めにし、
張り巡らした提灯に明かりを灯し、
櫓の上で和太鼓を打ち鳴らしての踊りの輪が、
ほうぼうでくり広げられた。
祭りに限らない。
町会によっては、毎月縁日が開催された。
これまた、一般道を止め露店が並び、家族づれで賑わった。
そして、夏休みのラジオ体操は、学校の校庭は使わない。
町会毎に、その時間だけ車道を通行止めにし、町会総出で行った。
ラジオ体操が始まった戦前から、
そうやって続けてきたと言うことだった。
このように各町会は、代々受け継がれてきた神輿を大切にし、
その祭りを中心とした伝統的な行事を粘り強く継承してきたのである。
後々知ったが、『氏子町会』と呼ばれるらしい。
「御輿があり祭りがあるから、この町会があるんです。
それを受けつぎ次へつなぐのが、俺らの役目なんですよ。」
お祭りの日、お祝いの日本酒を持って神酒所を訪ねた時、
町会長さんが、お揃いの半纏姿で話してくれた。
どれ位長い伝統があるのか。
詳しいことは分からない。
しかし、祭りのポスターに『御鎮座千百・・年』の文字があった。
「平安時代前期に歴史は遡る」とも聞いた。
きっと、町会もその道を歩んできたに相違ない。
それを今につなぐ町会、
取り分け町会役員さんにかかる使命感は、
計り知れないだろう。
次々と神輿が宮入するのを道路脇で見ながら、
町会役員さんが私に呟いたひと言が忘れられない。
「神輿の担ぎ手を集めるのに、どの町会も大変なんです。
こうして神輿が担がれてくるのを見ると、もうたまりません。」
あの時、歴史の重みを背負いながらの町会活動がヒシヒシと伝わった。
だからこそ、きっと勝手気ままにその任についたり、
退いたりできないだろうと思った。
さて、今の私の住まい、地域の自治会はどうだろうか。
そのような重厚な伝統など、比較にならない。
「軽い!」。
世帯数37戸で自治会が結成されてから、
まだ70年にも充たない。
私の近隣に至っては、住宅地として分譲されはじめてから、
わずか20年少々でしかない。
培われてきた伝統など、ほんのわずかである。
当然、自治会に神輿はない。
近くに神社はあるが、祭りの時に神酒所などは設けない。
神社の本神輿がこの地域まで来ることもない。
それでも、近隣の地域住民が安全で健やかに暮らすために、
自治会は必要不可欠だ。
神事がいいとは言わない。
しかし、受け継ぐ何かがあるといい。
それを軸として、地域は結束するのだが・・・。
子どもみたいに『無い物ねだり!』。
思わず笑ってしまう。
いつの間にか 水芭蕉まで