ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

D I A R Y 10・11月

2023-11-25 11:22:06 | つぶやき
  ① 10月某日
 いつ頃からか、朝食の最後は一杯のコーヒーになった。
若い頃は、インスタントだったが、
30歳になってからは、スーパーで袋詰めのUCCコーヒー粉を買い、
それを毎朝、少々時間をかけてペーパードリップで落とした。

 40代後半だったろうか、
電動のコーヒーミルを買った。
 以来、専門店でコーヒー豆を買うようになった。
コーヒーを淹れる朝の手間が一つ増え、
2杯分の豆をミルで挽くことが加わった。

 1回1回、使用したミルに残ったコーヒー粉を
小さなブラシで綺麗にしなければならず、予想以上の手間だった。
 それでも、挽き立てで淹れるコーヒーは味が違った。
以来、コーヒー粉は買わなくなった。
 
 やがて、ミルのついたコーヒーメーカーが出回り、
コーヒーを淹れる手間が俄然楽になった。

 さて、コーヒー豆だが、次第に違いが分かるようになった。
私自身の好みもだんだんとはっきりした。
 そして、行き着いたのが、
スタバで販売していた『スラウェシ』という銘柄の豆だった。

 新しいマンションに移ると、その敷地内にスタバがあった。
ずっとそこで『スラウェシ』を買った。
 ある日、その豆が店頭から消えた。
「似たお豆です」と店のスタッフが勧めてくれたのが、
『スマトラ』だった。
 確かに同じような美味しさだった。

 それからは、朝の一杯は「スタバのスマトラ」となり、
もう15年以上も続いている。

 ところが、当地に移住するとスタバがなかった。
仕方なく新千歳空港のターミナルを利用した時や、
苫小牧のイオンモールまで買い物に行った時などに、
スタバに立ち寄り、何袋かを買いだめした。

 また、東京からの来客には、こちらから
「おみやげにスタバのスマトラを」とリクエストしたり、
同じように贈答品の返礼にも、
図々しく『スマトラ』をお願いしたりしてきた。

 ところが今年の春だった。
隣町・室蘭市にスタバが出店予定の発表がニュースになった。
 車で30分で、好きなコーヒー豆が買える。
開店を心待ちにした。

 そして、ついに9月末、その日が来た。
地元紙は、スタバのファンが長蛇の列を作った写真を載せ報道した。

 それから10日後、
買い置きしていた豆がなくなり、
いよいよスタバの新店舗へ車で向かった。
 これで手軽に『スマトラ』が買える。
少々浮かれていた。

 東京の友人に、
「近くにスタバができました。
いつでもスマトラが買えます」とメールした。


  ② 11月某日
 5歳違いの姉は、何年も前から定期的に心臓の検査を受けていた。
徐々に徐々に、検査結果が思わしくなくなっていった。

 半年くらい前、検査結果が出るまで長い時間待たされた。
そして、診察室に呼ばれると、医師は早口で告げた。
 「もうダメです。すぐに手術です。手術です!」。

 姉には首都圏で看護師をしている娘がいた。
「手術するかどうか、家族とよく相談します」。
 姉はそう答えて、席を立った。

 その後、娘の病院で再検査を受けた。
やはり手術が最良の方法と診断がでた。
 娘の病院で手術を受けることにした。

 1ヶ月前、姉から電話があった。
「11月に娘の病院で手術が決まったの。
入院はどの位になるかわからないけれど、
元気になって戻ってこられるのは、
3月になってからだと思うよ」。

 思っていた以上の大手術に、
しばらく声が出なかった。
 私の動揺が姉の不安を誘ってはいけない。
「そうか。行く日が決まったら、連絡して」。
 急いで電話を切った。 
 
 手術日と出発する日が決まってから、
兄の店へ行った。
 「激励会をしよう」と提案した。
すぐに兄が連絡をとることになった。

 姉は、出発の前日まで仕事の予定が詰まっていた。
結局、出発日に空港まで私の車で送り、
そこで一緒に昼食をとることになった。

 兄は、今年のお盆のお墓参りで、
兄と姉と家内と私でお昼を食べた後、
「来年はサーロインステーキを食べよう」
と、約束したことを覚えていた。
 そして、「なあ、空港でサーロイン食べるべ」
と、電話で言ってきた。
 
 「サーロインは来年のお盆の楽しみじゃないの」。
私が返すと、
「いいから、サーロイン食べるべ。
4人で、そろってよ」。

 最近は急に涙腺が緩むことがある。
決して口にできない兄の不安がわかった。
 「そうだね。そうしよう。
空港でサーロインステーキが、
食べられる店を探しておくよ」。
 また急いで電話を切った。

 そして、姉の出発日だ。
正午を回ってから、兄の店と登別温泉の姉の所を回って、
新千歳空港に着いた。
 駐車場もターミナル内も、大混雑だった。

 膝の調子がよくないと杖をつく兄と、
少し背中が丸くなった姉と私たち2人で、
洋食の専門店へ入った。

 メニューには、道産牛のサーロインステーキがあった。
それを見て、姉も「これが食べたい」と指さした。

 年寄り4人そろって昼食に、ステーキ&ライスの注文だ。
オーダーを聞いて、店員さんは少し驚きの顔をした。
 当然驚くと思いつつ、
美味しくて柔らかい肉であってほしいと願った。

 期待通りの肉だった。
「美味しかった」と言いつつ4人で店を出た。
 決して忘れられない味になった。 

 
 

    一夜にて山も畑も道も銀世界 
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晩秋に想いを馳せて

2023-11-18 12:52:34 | あの頃
 1週間前、目覚めてすぐ初雪が舞った。
見る見る間に、花壇じまいを済ませた庭が雪化粧した。
 冬へと季節が変わるその時を、
窓辺からしばらく見ていた。

 年々、冬到来と共に暗い気持ちが倍加する。
北海道では温暖といわれる当地だが、
それでも冬は、寒さで行動が規制される。

 年齢と共に体力が衰える。
だから、今のうちにやれることをと思う。
 しかし、春までのこれから4ヶ月は、それをさせてくれない。

 さて、今年の秋はあっという間だった。
ふと過ぎゆく晩秋に想いを馳せた。
 少しだけ私を温めてくれた。


  ① ナメコと豆腐の味噌汁 

 伊達に移住した最初の秋を
年賀状に添えた詩『微笑』の一節で、こう表した。

 落葉キノコは唐松林にしかない
 その唐松は針葉樹なのに
 橙色に染まり落葉する
 道は細い橙色におおわれ
 風までがその色に舞う
 そこまで来ている白い季節の前で
 私が見た
 北国の深秋の一色

 多くの人は唐松の紅葉を「黄金色」と言葉にするようだが、
私には橙色に見えた。
 その美しさを知る少し前だが、
家内と一緒にゴルフをした。

 ラウンド中にコース整備員が、
作業車で私たちのカートに寄ってきた。
 大きな両手に山盛りのキノコをのせて差し出し、
「食べるかい」と笑顔で言った。

 プレー中の予想外のことに驚きながらも、
笑顔で応じた。
 「すみません。頂きます」。
「そっかい。そこの唐松のところにあったんだ、
じゃ、みんなあげるわ」。
 整備員は、車にあった残りのキノコも、
カートの前カゴに入れ、足早に去っていった。
 見ると、コースの周りは唐松で囲まれていた。

 そのキノコが、高価な落葉キノコだと知ったのは、
ラウンドを終えてからだった。
 帰宅後、家内がネットで調べて味噌汁にした。

 私は、椎茸以外のキノコは、口にしなかった。
だから、大量のきのこ汁を見ても箸を付ける気にならなかった。
 それに対し、目の前の家内は、
「美味しい、美味しい」を連発し、
2度3度とおかわりをし私を驚かせた。
 そして、珍しいことに、
私に「食べてごらん」と何度も勧めた。

 嫌なら残すことを条件に、
お椀の味噌汁をすすり、落葉キノコも食べてみた。
 半信半疑だったが、残さなかった。

 翌朝も、その味噌汁が食卓に出てきた。
何も言わず、一杯だけ食べた。
 決して感想は言わなかった。
本当はいい味だと認めていた。

 その時から、徐々にキノコ類との距離が縮まった。
そして10年以上が過ぎた。
 最近の夕食では、当然のように「ナメコと豆腐の味噌汁」が出てくる。
私は、キノコ嫌いだったことをすっかり忘れ、
表情を変えることもなくお椀に口を付ける。


  ② こがらし

 先日、「東京地方に木枯らし1号が吹きました」と、
テレビの女子アナが言っていた。
 晩秋から初冬の間に吹く強い北風を木枯らしと言うようだが、
「木枯らし」と聞いて、学芸会の『かがし焼きどんど』を思い出した。

 教員になって3年目、初めて学芸会があった。
5年生が劇『かがし焼きどんど』を演じた。
 その劇を見て、学芸会の素晴らしさに胸が熱くなった。

 高学年を担任したら、いつか私もこの劇に取り組んでみたいと、
早速台本を譲って貰った。
 原作も脚本も作者不明だと知った。

 数年後、5年生を担任した。
ちょうど学芸会があった。
 学年は2学級で、キャスティングの人数も丁度よかったので、
もう1人の担任S先生に台本を見せた。

 劇は、主役の「かがし」と「こがらし達」とのやりとりが中心で、
伝統行事「かがし焼きどんど」で幕が閉じる展開だ。 

 終始、主役である「かがし」が劇の中心にいた。
「かがし」の演技力が劇の出来不出来を左右した。
 1人の子どもへの負担が大きい劇は、
当時も今も学芸会で敬遠される。
 それでも私はこの劇に惹かれた。

 山に置き忘れられた「かがし」と「こがらし達」の心温まるやりとり、
そして、1年間の役目を終え、
村人に見守られながら燃える「かがし」の宿命、
その温かくも悲しい劇に、子ども達と一緒に取り組みたかった。

 S先生は、私の想いに同意してくれたが、
すぐに「かがし」を演じられる子を心配した。
 やはりそこがこの劇のポイントだと確信した。

 早速、2つの学級から主役候補を数人あげた。
そして、その子らに台本を渡し、
「かがし」をやってみないかと打診した。

 数日後の返事は、どの子も尻込みするものだった。
台詞の多さがその理由だった。
 ただ1人、「すぐには覚えられないけど、
練習中にはきっとできるようなると思う。
 かがしをやってみたい」と名乗りでた子がいた。

 村の子供らが山に置き忘れたかがしを、
こがらし達は、かがしの願い通り元の畑に戻すことにする。
 しかし、畑に戻ったかがしは、焼かれる運命だと知る。
戻すのをためらうこがらし達に、
仲間と一緒に焼かれる道を選択するかがし。
 そして、「かがし焼きどんど」の日、
遠くから真っ赤に燃え上がるかがしを見つめるこがらし達。
 そこで、劇は終った。

 幕が降りたその時、見事に演じきったかがしは、
私と一緒に舞台袖にいた。
 一瞬暗転になった会場が明るくなると、
かがしは私に訊いた。

 「先生、山に置き忘れられたままでいるよりも、
一緒に焼かれて、かがしはそれでよかったんですよね!」。

 「そんなことに迷いながら、この子は沢山の台詞を覚え、
演じていたのか!」。
 私は驚きながら、そして迷いながらこう応じた。
「だから、この劇をやったんじゃないの」。

 遠い昔のことだ。
でも、今もそう思っている。




   ご 近 所 の 柿 ~2階の窓から  
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道 し る べ ! ~3 つ~  

2023-11-11 11:12:08 | 思い
 当地で購読されている新聞の第1位は、
「北海道新聞」に違いない。
 次は、「室蘭民報」ではないだろうか。
我が家のように、「朝日新聞」を購読している家庭は、
ごく少数な気がする。
 
 2年ほど前になる。
「朝日新聞」の取扱店が変わった。
 なので、新しい店の方が挨拶に来た。
全く商売っ気がない方のようで真っ先にこう言った。

 「来月から取扱店が変わります。
この機会に、購読をやめても構いませんよ。
 今まで何か義理があって断れなかったのと違いますか。
私の方、全然大丈夫です。
 どうしますか。やめますか?
それとも続けて配達しますか?」。

 あたかも購読を望んでないかの言いっぷりに、
不人気ぶりを実感した。

 その上、今年の夏のことだが、
二男が孫と一緒に数日、我が家に滞在した。
 朝日新聞を購読していることに気づき、
「朝日は、公平さに欠けているよ。
 別の新聞を読んだ方がいいと思うよ」。

 現職の頃、電車の中吊り広告で、
朝日新聞の酷評を目にしたことがある。
 同様の声を息子から聞き、驚いた。

 私が朝日新聞の購読を続けているのは、
そんな不人気や酷評とは無縁である。
 毎日1面に掲載される『折々のことば』と
『天声人語』を読みたいからである。

 朝一番に、この2つのコラムを読み、
共感したり、気づかされたり、反省したり・・・。
 今や、私の日々には無くてはならない、
道しるべのようなものだ。

 さて、11月6日7日8日の3日連続だったが、
その日その日の『折々のことば』に強く打たれた。
 
 このコラムを執筆している哲学者の鷲田清一さんは、
『哲学の発想を社会が抱えている諸問題につなげることによって、
哲学が社会に対してできることを探求している』と、
ウィキペディアが紹介している。

 だからか、彼がコラムで取り上げる「ことば」も、
その解説もやや難解で、投げ出すこともある。
 しかし、3日間の内容は、
私の今を導くヒントに十分だった。


  ① 11月6日号

 感情が波立っているうちに言い返しては
 いけません。……母はよく「つばを3回
 飲み込みなさい」と言うとりました。
               石井哲代
   言い返したその時はすっきりするか
  もしれないが、後でかならず後悔する
  からと、元小学校教員は言う。要はち
  ょっとした間をつくって、心を落ち着
  かせること。「同じ一生なら機嫌よう
  生きていかんと損じゃ」と自分に言い
  聞かせてもいる。心は自分で育てるほ
  かないからと。石井と中国新聞社の共
  著『102歳、一人暮らし。』から。

 ~ 感情が波立ったまま言い返し、
後悔した過去を生々しく思い出した。
 あんなこともこんなこともあった。

 恥ずかしいことに、
「機嫌よう生きていかんと損」なんて、
自分に言い聞かせたことは一度もなかった。

 私の軽薄さに気持ちが沈みかけた。
でも、心は自分で育てるほかないと、
励まされた。 ~


  ② 11月7日号
  
 一人が一度に背負う悲しみには限界があ
 ります。だから仲間が一緒に引き受け
 て、一人の深い憂いに寄り添うの。
              石井哲代 
   人は死んだら終わりではない。同じ
  時間を過ごした仲間が覚えていてくれ
  るなら、その人はまだ居る。年に一度
  開く「偲ぶ会」も、だから各自が背負
  う悲しみを共に乗り越えてゆく集いな
  のだと、元小学校教員は言う。そうし
  て欠けた三日月のような自分を満月に
  してゆくのだと。石井と中国新聞社の
  共著『102歳、一人暮らし。』から。

 ~ ここ数年、大切な人が何人も逝ってしまった。
寂しさがずっと尾を引いている。

 それに限らない。
「まだまだ頑張れる!」。
 そんな気力に曲がりなりにも体力がついていった。
時には旅先でのランニングも楽しんだ。

 しかし、次第にハードルが下がり、
今では、「まだまだ」が「ここまで頑張れた」になった。
 押し寄せる変化に、切なくなったり・・・。

 先日、都内で研究会仲間6人で食事会があった。
遠慮などいらない。
 気心の知れた打ち解けた時間が流れた。
 
 『各自が背負う悲しみを共に乗り越えてゆく集い』には、
まだほど遠い。
 でも、『欠けた三日月のような自分を満月に
して』くれた余韻が残った。
 「そんな仲間と時間が大事なんだ!」と・・・。~
 

  ③ 11月8日号

 草花を愛して、人間を愛さなくなってい
 る自分を発見して、おどろくこともある
                長新太
   人間はこんなことさえできるのか。
  そしてその可能性がまぎれもなく自身
  にもあることに気づき、人間であると
  いうことに絶望することがある。草花
  を愛でるのは、草花そのものを愛する
  というより、人間ではないというただ
  その一点でそれを愛しているだけなの
  かもしれない。だから絵本画家・イラ
  ストレーターはこのあと『情無い』と
  続けた。『絵本画家の日記2』から。

 ~ 同じように私も
『人間であることに絶望することがある』。
 故に長新太氏は、
『草花を愛して、人間を愛さなくなっている自分』
に驚き、
『人間ではないというただその一点で
それを愛しているだけなのかも』
と言う。

 ふと、相田みつを書の1枚が思い浮かんだ。
   花には人間のような
   かけひきがないからいい
    ただ咲いて
    ただ散って
    ゆくからいい
   ただになれない
   人間のわたし

 2人にある「逃避と弱音」に共感する私。
でも、相田氏の書は、淡々とした筆跡を残し「かけひき」がない。
長新太氏は『情無い』と綴る。
 「音を上げるのはまだまだ先!」と、
2人から声が聞こえた気がした。 ~




   花壇じまい そして 初雪の朝
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うまい味 み~つけ! ≪東京編≫

2023-11-04 12:21:53 | 
 5日間程、東京に滞在した。
伊達で12回目の秋を迎え、
すっかり当地での暮らしに慣れた私にとって、
大都会は、全てにわたり刺激的だった。

 たまたまだが、北海道の食とは違う
うまい味に出会ったのもその1つだ。

  その1
 長男は小田急線千歳船橋駅から、
3つ目のバス停近くで暮らしている。
 徒歩でも10数分程度だが、
道に慣れてない上に、
キャリーバックを引きずっている私たちは、
いつもバスを利用する。

 初めてバス停を降りた時から、
歩道の反対側にある古びた構えの店が気になった。

 明らかに昔から地元にある老舗蕎麦店と言う雰囲気で、
後から分かったが、暖簾には『蕎亭仙味洞』とあった。
 当然、なんと読めばいいのか迷ったが、
『キョウテイセンミドウ』でいいらしい。

 今年2月に上京した時、
ついに長男を誘い家内と3人で、遅い昼食だったが暖簾をくぐった。
 重たい格子ガラスの玄関を開けると、
4,5人のカウンター席と、2人用のテーブル席があった。
 奥の座敷を勧められた。

 4人用の小上がり席が4つあった。
薄暗い畳敷きは、私たちで満席になった。
 テーブルにあったメニューの他に、
壁にも10種程のメニューが貼ってあった。

 壁のメニューは蕎麦よりもうどんの方が多かった。
他の店では見ない名が並んでいた。
 俄然、興味が湧いた。
まずはメニューが多いうどんに決めた。
 そして壁のメニューを指さし、店員さんに「あれ」と、
『法論味うどん』を注文した。
 冷たいつけ汁とうどんの組み合わせだった。
今までに食べたことのない味だった。
 
 そして10月、再びそのバス停に降りた。
暖簾のかかった古びた店構えを見て、
もう一度あのうどんを食べてみようと思った。

 同じように遅い昼食になったが、 
2月と同じ小上がり席に3人で座った。
 注文を聞きにきた店員さんに、
メニューの『法論味うどん』を指さし、
「何て読むの?」と尋ねた。
 「ほろみうどんです」と教えてくれた。
家内と私はそれにした。
 長男は、これまた聞き慣れない『常夜うどん』の温かいのを頼んだ。

 手元のメニューをみると、
『法論味噌仕立ての汁につけてお召し上がり下さい』
と『法論味うどんの解説があった。
 味噌味ベースのあっさりした汁に、
スライスしたキュウリが沢山のっていた。
 その汁に冷たいうどんをつけて食べた。

 猛暑でも、すいすいすいすいと箸がすすむ、
ちょっと不思議な美味しさだった。
 「これはうまい!」。
思わず言っていた。

 長男の『常夜うどん』だが、
やや浅めのどんぶりに卵でとじたうどん、
その上に生卵の黄身がのっていた。
 寒い冬に打ってつけのように思えた。
冬に来る機会があったら、これにしようと決めた。

 他のメニューにも、好奇心がかき立てられた。


  その2
 昭和46年春に東京暮らしを始めた。
すぐに学校の先輩に誘われて、有楽町ビルにある万世拉麺店へ行った。
 そこの『特選パーコ麺』が大好きになった。

 伊達に居を移してからも、
東京に行くたびに、有楽町へ足が向いた。
 そして、いつも「特選パーコはうまいなあ」と満足した。

 だから、今回も行くことにした。
混雑するお昼時をさけて、ビルに入ってすぐの階段を降り、
地下1階へ、そして店の前まで。
 するとそこはシャッターで仕切られ、薄暗かった。
「6月30日で閉店」の張り紙が1枚だけあった。

 すぐには立ち去れなかった。
都内に何店かある万世拉麺の1号店だと聞いていた。
 指を折ってみた。
時々だったが、52年間も通い続けた店だった。
 また私の終止符が1つ増えた。

 ビルを出ると、空腹も手伝って、
自然と新しいらーめん店を探していた。
 当てのないまま、ブラブラと駅周辺を歩いた。
そして、向かった先が、交通会館の地下だった。

 イタリアンレストランや立ち食い寿司店が並んでいた。
その一角に、カウンター席が7脚だけのラーメン店があった。
 満席のうえ、10人ほどが周りを囲んで並んでいた。
日頃は、並んでまで食べたりしない私が、
迷うことなく列の後ろについた。

 私の番まで30分以上はかかった。
じっと待った。
 カウンター内では、2人の店員さんが淡々とラーメンを作り続けた。
狭いスペースで無駄なく手際のいい動きに見とれた。

 自販機で求めたチケットは、
私も家内も『和風柳麺』だった。
 魚介出汁の食べやすいラーメンだったが、
客の列は途切れず、
ゆっくりと味わうゆとりが欲しかった。

 ふと両隣を盗み見ると、『和風柚子柳麵』だった。
食べ終えてから、家内に「次回は、あれにする」と言った。
 「きっといつだって並んでるよ。それでもいいの?」。
「どんな味か、ちょっと興味が・・」。
 並んででも食べてみようとすることに、
私自身も驚いていた。

 チケット自販機の横に、
『和風ラーメン麺屋ひょっとこ』の看板があった。
 甘味処の名店が出している店だという。
さて、私にとって『特選パーコ麺』の二世になるか。


  その3
 東京滞在中に、食事会が2回あった。
ゴルフ友達のご夫妻、もう1つは児童文化研究会の仲間らとだった。

 最寄り駅は違ったが、どちらも小洒落たレストランだった。
ワインなどを飲みながら、お店がお勧め料理を注文し、
それがなくなると追加注文しながら、3時間ほどを過ごした。

 どちらの会も、上京した私がゲストだった。
だから、私から料理を注文することはなかった。

 全くの偶然だが、2つの食事会で『アヒージョ』がテーブルに載った。
私にははじめてのメニューだった。
 スペイン料理で、ニンニクを入れたオリーブ油に、
魚介や野菜などの具材を加えて煮込んだ小皿料理だと言う。
 具材を味わうほか、油にバゲットをひたして食べるのが定番らしかった。
1つ目の具材は、数種類の貝と根菜。
 もう1つは、小エビだけだった。

 以前の私なら、初物は「食わず嫌い」のため、
決して食べなかった。
 しかし、今は違う。
熱々の小鉢から取り分け、恐る恐るだが食べてみた。
 貝も根菜も、そして小エビも中々の味だった。
勧められるままに、アヒージョのオリーブオイルに
パケットをひたし食べてみた。
 初めての味だったが、その美味しさに驚いた。

 料理法を訊くと、
スーパーで「アヒージョのもと」が売っていると言う。
 簡単に家庭でも作れるとか・・・。
「それは楽しみ!」。
 ますます嬉しくなった。




 モンスターウルフ登場 ~野生動物 震える~
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