① 21日の朝日新聞『天声人語』は、
「吉沢久子、27歳の空襲日記」から記述していた。
一部を転記する。
『・・・神田駅のホームから見ると、
何もなくなってしまった焼け野原がひろがる
▼吉沢は周囲の人の話を聞いて、・・記す。
「為政者への不信、不満は、
すでにそれを通りこしたのではないかと思われる」。
首都爆撃を防げない指導者達への強い不信感である
▼76年前の現実をどうしてもコロナ禍と重ねてしまう。
「緊急事態宣言慣れ」のところをデルタ株が襲った。
空襲を防ぐ手立ての乏しさもコロナ対策とだぶる。・・・』
一読して、背筋が寒くなった。
遂に北海道も再び『緊急事態宣言』下になった。
しかし、当地での措置は、前回からなに一つ変わらない。
『防ぐ手立ての乏しさ』に不安を感じる声が、
各地に充満しているように思う。
先日、総理大臣が語った
「明かりははっきり見え始めています」の言葉に、
胸をなで下ろした国民は、どれだけいただろうか。
それよりも、
「3密を避け、しっかりと手を洗い、換気し、ワクチンを打っても、
それでも、このコロナとの闘いはまだまだ続きます。
これからも政府は医療体制の拡充など手を尽くしてまいります。
みなさん、頑張りましょう。」
私なら、こんなメッセージの方が、ずうっと力になる。
② 1ヶ月前のことだ。
地域で、毎朝子どもの登校見守りボランティアをされている方が、
訪ねてこられた。
「千葉で下校時の小学生5人が、
トラックに巻き込まれる交通事故がありました。
それで通学路の安全点検が各地で行われています。
私たちボランティアからは、
通学路の3カ所に横断歩道や道路標識を設置してほしいと思いまして、
自治会にもお力添えをと、お願いに伺いました」。
A4紙1枚に、箇条書きした要望書を持参し、
私より年輩の方から丁寧に頭を下げられた。
恐縮すると共に、私なりに努力することを約束した。
そこで、先日、自治会役員の会議があり、
その経過を説明し、提案をした。
自治会からも各関係機関に働きかけることに異論はなかった。
言い出しっぺは私である。
だから、私がその担当になった。
そして、過去の経験や他地域での同様の取り組みについて、
何人かの役員からアドバイス的な発言があった。
その1つが・・・。
「設置を要望する横断歩道を何人の子どもが利用し、
交通量がどれだけか。
それをできるだけ詳しく調べ、
それを盛り込んで要望しないと、行政は動かないよ」だ。
何かが違うと思った。
通学路と指定した交差点に横断歩道がないのだ。
それを危惧して、ボランティアが安全横断に手を貸している。
その実情を伝え、設置を要望する。
その後、行政は利用頻度、交通量を調査し、
設置を判断するのではないだろうか。
「殿様商売」「親方日の丸」など、
使い古された言葉を思い出した。
今も、そんな風潮が当地にあるとしたら、切ない。
③ 15年以上も前になる。
校長をしていた私の小学校に、
筋ジストロフィー症の1年生が入学した。
(本ブログ15/12/11『医療の進歩を信じ』参照)
徐々に歩行が難しくなり、
2年生の後半には、車いすを利用するようになった。
教室は、2階だった。
学校には、エレベーターがなかった。
まだ体が小さい。
お母さんや職員が、おんぶして2階まで昇り下りした。
しかし、先々を考え、
私は教育委員会へエレベーターの設置を求めた。
教委でその要望の担当になったUさんが、
早々業者と一緒に学校へ来た。
数日後、Uさんは暗い顔でやってきた。
「校舎の構造上、エレベーターの増設が無理なんです」。
その後も、別の業者をつれて、何度も学校に来た。
答えは同じだった。
「昇り下りをおんぶにたよっても、
もうすぐできなくなります」。
困り顔のUさんに、そう言うしか・・・。
私にも解決策がなかった。
でも、私の胸の内をUさんに語った。
「隣の小学校には、エレベーターがあります。
バリアフリー化され、車いすで校舎内はどこでも行けます。
でも、転校など私は絶対にさせません。
周りの子はドンドンできることが増えていきます。
なのに、あの子はドンドンできないことが増えているんです。
歩くことも走ることもできなくなりました。
だけど、毎日笑顔で学校に来ます。
そして、楽しそうにみんなと教室で過ごしています。
これ以上、辛い思いなどさせていい訳がないでしょう」。
ハンカチを片手に、Uさんは区役所に帰っていった。
それから2週間以上が過ぎ、
思いのほか明るい顔で、校長室へ来た。
「座ったまま階段の昇り下りができる電動椅子がありました。
それも、子どもサイズのものが・・・。
大人1人の介助があれば、いいんです」。
Uさんは続けた。
「2階でも、3階でも4階でも行けます。
ずっとこの学校に居れます。
リース料金の予算化もできました」。
1,2ヶ月が過ぎてからだったろうか。
その電動椅子が搬入された。
軽量で操作も簡単だった。
しばらくは、職員さんがそれを操作することになった。
「これ、ドイツ製なんです。
日本ではじめて導入しました。
いろいろ調べて、見つけました」。
Uさんに、ただただ頭が下がった。
④ コロナへの対応について、
1年前からよく都内S区の取り組みが報道されている。
つい先日も、ワクチン接種が早く、
その上23区で唯一、コロナの重症患者が、
一人もいない区として特集されていた。
「現行法でも、いろいろ工夫すればできることがある。
それを証明する取り組みを、この区ではしているんですね。」
キャスターのコメントを聞きながら、
Uさんの顔を思い出した。
年齢からするとまだまだ現職だと思う。
Uさんのことだ。
きっと、託された願いに応えようと、
S区の一角で知恵を絞っているに違いない。
活気づく カボチャ畑
「吉沢久子、27歳の空襲日記」から記述していた。
一部を転記する。
『・・・神田駅のホームから見ると、
何もなくなってしまった焼け野原がひろがる
▼吉沢は周囲の人の話を聞いて、・・記す。
「為政者への不信、不満は、
すでにそれを通りこしたのではないかと思われる」。
首都爆撃を防げない指導者達への強い不信感である
▼76年前の現実をどうしてもコロナ禍と重ねてしまう。
「緊急事態宣言慣れ」のところをデルタ株が襲った。
空襲を防ぐ手立ての乏しさもコロナ対策とだぶる。・・・』
一読して、背筋が寒くなった。
遂に北海道も再び『緊急事態宣言』下になった。
しかし、当地での措置は、前回からなに一つ変わらない。
『防ぐ手立ての乏しさ』に不安を感じる声が、
各地に充満しているように思う。
先日、総理大臣が語った
「明かりははっきり見え始めています」の言葉に、
胸をなで下ろした国民は、どれだけいただろうか。
それよりも、
「3密を避け、しっかりと手を洗い、換気し、ワクチンを打っても、
それでも、このコロナとの闘いはまだまだ続きます。
これからも政府は医療体制の拡充など手を尽くしてまいります。
みなさん、頑張りましょう。」
私なら、こんなメッセージの方が、ずうっと力になる。
② 1ヶ月前のことだ。
地域で、毎朝子どもの登校見守りボランティアをされている方が、
訪ねてこられた。
「千葉で下校時の小学生5人が、
トラックに巻き込まれる交通事故がありました。
それで通学路の安全点検が各地で行われています。
私たちボランティアからは、
通学路の3カ所に横断歩道や道路標識を設置してほしいと思いまして、
自治会にもお力添えをと、お願いに伺いました」。
A4紙1枚に、箇条書きした要望書を持参し、
私より年輩の方から丁寧に頭を下げられた。
恐縮すると共に、私なりに努力することを約束した。
そこで、先日、自治会役員の会議があり、
その経過を説明し、提案をした。
自治会からも各関係機関に働きかけることに異論はなかった。
言い出しっぺは私である。
だから、私がその担当になった。
そして、過去の経験や他地域での同様の取り組みについて、
何人かの役員からアドバイス的な発言があった。
その1つが・・・。
「設置を要望する横断歩道を何人の子どもが利用し、
交通量がどれだけか。
それをできるだけ詳しく調べ、
それを盛り込んで要望しないと、行政は動かないよ」だ。
何かが違うと思った。
通学路と指定した交差点に横断歩道がないのだ。
それを危惧して、ボランティアが安全横断に手を貸している。
その実情を伝え、設置を要望する。
その後、行政は利用頻度、交通量を調査し、
設置を判断するのではないだろうか。
「殿様商売」「親方日の丸」など、
使い古された言葉を思い出した。
今も、そんな風潮が当地にあるとしたら、切ない。
③ 15年以上も前になる。
校長をしていた私の小学校に、
筋ジストロフィー症の1年生が入学した。
(本ブログ15/12/11『医療の進歩を信じ』参照)
徐々に歩行が難しくなり、
2年生の後半には、車いすを利用するようになった。
教室は、2階だった。
学校には、エレベーターがなかった。
まだ体が小さい。
お母さんや職員が、おんぶして2階まで昇り下りした。
しかし、先々を考え、
私は教育委員会へエレベーターの設置を求めた。
教委でその要望の担当になったUさんが、
早々業者と一緒に学校へ来た。
数日後、Uさんは暗い顔でやってきた。
「校舎の構造上、エレベーターの増設が無理なんです」。
その後も、別の業者をつれて、何度も学校に来た。
答えは同じだった。
「昇り下りをおんぶにたよっても、
もうすぐできなくなります」。
困り顔のUさんに、そう言うしか・・・。
私にも解決策がなかった。
でも、私の胸の内をUさんに語った。
「隣の小学校には、エレベーターがあります。
バリアフリー化され、車いすで校舎内はどこでも行けます。
でも、転校など私は絶対にさせません。
周りの子はドンドンできることが増えていきます。
なのに、あの子はドンドンできないことが増えているんです。
歩くことも走ることもできなくなりました。
だけど、毎日笑顔で学校に来ます。
そして、楽しそうにみんなと教室で過ごしています。
これ以上、辛い思いなどさせていい訳がないでしょう」。
ハンカチを片手に、Uさんは区役所に帰っていった。
それから2週間以上が過ぎ、
思いのほか明るい顔で、校長室へ来た。
「座ったまま階段の昇り下りができる電動椅子がありました。
それも、子どもサイズのものが・・・。
大人1人の介助があれば、いいんです」。
Uさんは続けた。
「2階でも、3階でも4階でも行けます。
ずっとこの学校に居れます。
リース料金の予算化もできました」。
1,2ヶ月が過ぎてからだったろうか。
その電動椅子が搬入された。
軽量で操作も簡単だった。
しばらくは、職員さんがそれを操作することになった。
「これ、ドイツ製なんです。
日本ではじめて導入しました。
いろいろ調べて、見つけました」。
Uさんに、ただただ頭が下がった。
④ コロナへの対応について、
1年前からよく都内S区の取り組みが報道されている。
つい先日も、ワクチン接種が早く、
その上23区で唯一、コロナの重症患者が、
一人もいない区として特集されていた。
「現行法でも、いろいろ工夫すればできることがある。
それを証明する取り組みを、この区ではしているんですね。」
キャスターのコメントを聞きながら、
Uさんの顔を思い出した。
年齢からするとまだまだ現職だと思う。
Uさんのことだ。
きっと、託された願いに応えようと、
S区の一角で知恵を絞っているに違いない。
活気づく カボチャ畑