ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

苛立ちの先 ~暮らしの進化

2022-02-26 11:58:42 | 日記
 ▼ 先週は、小春日和が続いていた。
なのに、本市は総合病院とそれに準ずる病院の2つで、
クラスターが発生した。
 学校でも、感染者が相次ぎ、
学級や学年、そして学校閉鎖にまで至っていた。

 そして、今週は、2日連続で休みなく雪が降り、
ついには大雪警報まで発令された。
 「コロナも怖い。雪も怖い!」の声が聞こえてきた。
 
 さて、相変わらず『まん延防止』期間が継続中だ。
多くの飲食店は、酒類の提供を控えている。
 公共施設も、市民以外の利用を禁止している。
だが、それ以外は、1人1人の感染防止努力に委ねている。
 私には、そんな行政施策にしか思えない。

 「じゃ、今できることは何?」と問われ、
専門家が口を揃えるのは、
「ワクチンのブースター接種!」である。
 
 第5波の収束を振り返ってみると、
2回のワクチン接種率と連動していたように思う。
 だから、私もブースター接種に期待している。

 ところが、届いた接種券には、3月27日接種となっていた。
2回目から、丁度8ヶ月の日である。
 「これじゃ、今できることは、待つことだけじゃん!」
フツフツと苛立ちがこみ上げてきた。

 「こんな時は、うっぷん晴らし!」。
大雪前の快晴の日に、ゴルフバックを車に積んで出発。
 練習場でクラブを握る。
まだまだ寒いが、
大型ファンから送られる暖かい風を感じながら、
3ヶ月ぶりにスイングする。
 時々だが、乾いた音を残し、白球が大空へ飛んでいく。
 
 それが何度か続くと、
コロナの規制や遅いワクチン接種の苛立ちも
一瞬だけ遠のいていく。
 同時に、小さな我が家ニュースを思い出し、
明るい気持ちにもなった。

 ▼ 「つい先日、産まれたばかり!」。
そう思っていたい孫がもう1年生になり、
7歳の誕生日が近づいた。

 もう2年も会えずにいるが、
バースディープレゼントのリクエストを尋ねてみた。  
 
 きっと親子で、思案したのだろう。
10日が過ぎてから、ようやくLINEでビデオ通話がきた。

 スマホに写った孫は、
片手に学校から支給されたタブレットを持っていた。

 そして、その画面にあるリュックのカタログを指さし、
「ジイジ、これをお願いします」と。
 
 同じ形の色違いが、10個並んでいた。
「そのメーカーのその形がいいんだね?」
 「うん、そう。これがいい。」
「わかった。色はどれにするの?」

 孫は、タブレットをスライドさせ、
拡大したリュックを私に見せ、
「この色、ブルーがいい」。

 「よくわかったよ。
じゃ、そのリュックを売っている会社のホームページ名を、
メールで送るようにって、パパに伝えて。」
 「うん!」

 テレビ通話が終わるとすぐ、その会社のHPを知らせるメールが届いた。
早速、販売メーカーのHPを開き、
孫のタブレットにあったリュックを探す。
 同じ物を注文、支払い方法を確認、届け先を通知した。
誕生日の午前中に必着するようにも依頼した。
 時間を待たずに、メーカーから注文受領のメールが届いた。

 私は北海道伊達市、孫は千葉県船橋市、
そして、リュックのメーカーは大阪だ。
 3つの遠隔地が瞬時に縮まり、
ダイレクトに思いがつながっていく。
 昨今の便利さを、また1つ実感した時間だった。
高揚感があった。
 
 ▼ バースディープレゼントを通し、
「ますます暮らしは進化する」と思った矢先、
今度は、東京で暮らす長男から、珍しく電話があった。

 長男とも久しく会っていない。
近況をやりとりした後、次のような依頼があった。

 『これから仕事用のスーツを2,3着買いに行く。
1人で買うと、いつも同じようなものになる。
 だから、店に行って、何着か候補を決めるから、
その中から、よさそうなものを選んでほしい。』

 やけに嬉しかった。
快諾したものの、どうやって選ぶのか見当がつかなかった。

 1時間後、LINEのビデオ通話が鳴った。
私のスマホに写ったのは、紳士服売り場だった。
 「まず1着目はブラウン系にするんだけど、
一応候補の3着を着てみるから」。

 店員さんに預けたスマホで、
試着した長男の上着姿が次々と映し出された。
 「なるほど!」。
要領が理解できた。

 私はそれを見ながら、
全身や後ろ姿など再度見たいところを写すよう、
リクエストする。
 生地の折り方や柄のアップも求めた。
続いて、売り場の明かりが違う2カ所へ移って貰い、
最後の品定め。

 「2着目は、紺色なんだけど」。
再び、3着を試着し、それを店員さんがスマホで写し、
映像を、北海道で私が批評する。
 その後も、同じ手順で順調にスーツ選びは進んだ。
 
 試着の合間に店員さんに訊いてみた。
「こんな買い方をする客って、他にいますか?」。

 やや遠慮がちに店員さんは、
「写真を送って、選んでいたお客様はいました。
 ビデオ通話のオンラインで買い物される方は、初めてですね」。

 自宅にいながら、
東京の長男と一緒にするショッピングだった。
 妙な気分と同時に、楽しくなった。

 今度は、私が提案した。
 「ついでにネクタイも買ったら・・。
選んでやるから、ネクタイ売り場へ行って・・・。」
 スマホで店内を写しながら、
移動した長男が、次々とネクタイを写した。

 私は、そこから数本を選び出し、吟味した。
そして、1本を選び長男に勧めた。

 「1人なら、なかなか選べないものばかりだ。」
そう言って、長い長いテレビ通話は終わった。

 暮らし方が進化すると、こんな楽しさがある。
この先も、きっとまだまだ面白いことが待っている。
 そんな予感が・・・・。




    我が家の2階 初めての雪庇
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あ の 道 ラ ン ~ 収 束 後 に 是 非

2022-02-12 12:40:30 | 思い
 ▼ まだ雪の季節が続く。
それでも以前は、路面の雪が解け始めた日は、
外でランニングをした。
 しかし、転倒が怖くなった。
ここ数年は、完全に雪が消えるまでは、我慢することにした。

 2月いっぱい、いや3月中頃までは、
体育館のランニングコース。
 カウンターを握りながら、淡々と周回するのだ。

 「仕方ない!」と思いながらも、
朝の日差しを浴び、四季折々の風と、
目に映る沿道の光景に心を動かされながらの外ランが、
待ち遠しい。
 
 1日でも早く、もう10年も走ってきた当地での、
お気に入り5キロと10キロのコースを走りたい。
 そして、いつも通り、笑顔で「ただいま!」って、
我が家にゴールしたい。

 そして、願いは先々へと向かい・・・。
コロナで規制され、旅行できない日々が続いているから・・。
 あるいは、ひたひたと押し寄せる衰えから・・。
「あそこもここも」と、
思い出のあの道を、走りたいと妄想する。
 今だがら、いやここ数年しかチャンスがないように思うから、
「収束後に是非、叶えたい!」と・・。

 ▼ 都内東部地区の9小学校に勤務していた。
住まいは、千葉市内の海浜地区にあった。
 従って、約40年間の通勤では、朝夕と必ず江戸川を渡った。

 その上、『フーテンの寅さん』がブームの頃に、
舞台となった葛飾柴又周辺の小学校に8年も勤務していた。 

 寅さんが、江戸川土手で映画撮影をしていると聞き、
急ぎ駆けつけ、参道の草団子屋さんのご主人を介して、
渥美清さんと握手をさせてもらった。

 その映画でもよく使われる河川敷の野球場は、
地元の方々との野球大会で、たびたび使わせて貰った。

 また、そこよりももっと下流の河川敷には、
サッカー場があった。

 20歳代の後半には、
そこで教職員の区選抜チームの対抗試合をした。
 足が速いと言うだけで、選抜チームに声がかかった。

 日曜日の午前中に、試合をした。
勝っても負けても、試合後は土手の近くにあったラーメン屋で、
ビールで乾いたノドを潤し、みんなでラーメンをすすった。
 3年ほど続いたが、若い先生にレギュラーを奪われ、
やがて声がかからなくなった。

 夏の花火大会を、間近で見たのも江戸川だった。
遠足で、子ども達と一緒に満開の花菖蒲を見たのも江戸川。

 先日、BSテレビで、寅さん映画の再放送を観た。
博さんと満男君の親子が、江戸川土手を朝ランする場面があった。
 それに触発された。

 帝釈天の参道を抜け、江戸川土手へ駆け上がる。
そこからは、土手の上の遊歩道を篠崎方面へ向かって走りたい。
 広い河川敷の先、川向こうには緑豊かな国府台が見える。
土手の上は、日陰を作るものが何もない。
 大空と一帯になった一本道が続くだけ・・・。

 さて、私は、その道を一歩一歩走りながら、
何を思うのだろう。
 自然とあのころのあのことが蘇り、
胸を張ったり、息を詰まらせたりするのでなかろうか。
 「それでいい!」「それしか!」とつぶやきつぶやき、
でも、最後は爽快感と一緒にゴールするだろう。

 それより、江戸川土手のランは、
私に大きな力をくれるはずだ。
 だって、40年もの間、毎日のように江戸川を渡り続けた。
なのに、土手を走るなんて、一度たりとも思ってみなかった。
 その私が、ゆっくりでも、風を切ってそこを走る。
私を満たすのに十分な、凄いことに思えてならない。

 ▼ 同僚たちの誘いにのって、家内が還暦記念にと、
マラソン大会で10キロを走ると言う。
 なので、休日の早朝、運動着に着替え練習すると張り切った。

 どういう訳か、私は放っておけない気持ちになった。
「なら一緒に走るよ」と、私も運動着に着替え、
自宅マンションを出た。

 遠浅の海岸を埋め立てた造成地にできた住宅地だ。
他地区に比べ、どの道幅も広い。
 その歩道を、2人で並んで走った。
やがて開放された気分になった。

 住宅街の外れに、直線のサイクリングロードがあった。
そこへ向かい、中間点あたりから、その道を進んだ。
 追い抜いていったランナーが、
気づくとあっという間に小さくなっていた。
 2人の足取りがいかに遅いかだ。
でも、息は荒く、前途多難な走りが続いた。

 なのに、マンションの玄関まで戻り、
額の汗を拭っていると、
経験したことのない心地よさがあった。

 だから、翌週も、その次も、家内が運動着に着替え始めると、
黙って私も着替え、同じ道を併走した。
 やはり、走る終えると汗を拭きながら、心地よかった。

 家内のマラソン大会が終わっても、
あの心地よさが忘れられず、今度は私が家内を誘い、
時々同じ道を走った。

 あれから、10年が過ぎた。
東京周辺は、疲弊する地方とは違う。
 日々、刻々と進化している。
だから、走り終えた心地よさを初めて教えてくれたあの道も、
その周辺も変わっていることだろう。

 再びあの道を走りながら、その変化を確かめたい。
それよりも、あれからずっと走り続けてきた私の違いに、
気づけたらもっといい。
 あの頃より、成長しているはず・・。
それとも!・・・。
 「そんなことない!」。




      春  の  予  感
                   ※次回のブログ更新予定は2月26日(土)です  
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確かに シニアだけど・・・

2022-02-05 11:19:54 | 思い
 ▼ 思いのほか、深夜の降雪が少なく、
20分位で雪かきが済んだ。
 なのに、着替えて、朝食の席に座ると、少々腰が痛い。
そんな時は、いつも『バンテリン』を塗ることにしている。

 食事前に、常備薬の引き出しを開ける。
そこから、箱に入ったジェル状の『バンテリン』を取り出す。

 部室を移り、「さあ塗ろう!」と、
シャツを上げてズボンを少し下げ、腰を出す。
 そして、箱の『バンテリン』を手に取った。
ところが、その箱が同じような色の『のどヌール』だった。

 「まったく!」とつぶやき、今度はシャツを下げてズボンを上げる。
『のどヌール』を持って、再び常備薬の引き出しへ行く。

 確か『バンテリン』と『のどヌール』の間違いは、
これが3度目だ。
 類似したことは、年々増えているような気がする。

 「年寄り」という言葉を、簡単には受け入れたくない。
でも、『シニア』を思い知らされる小さな気づきに、
たびたび巡り会う。
 素直に、現実を認めるしかないのだが・・・・。

 ▼ こんなこともあった。
休日の午後だったからか、
体育館のランニングコースは利用者が多かった。
 
 私が走り始めてしばらくすると、
一緒に自治会の仕事をしている方が1人、また1人とやって来た。
 走りながら会釈し、それぞれ自分のペースでランニング。

 1人は、100キロウルトラマラソンを何回も完走していた。
もう1人は、定年後も再任用で消防署に勤務していた。
 2人とも、私より5歳以上も若い。 
   
 200メートルの周回コースだ。
しばらくして、バラバラに走る2人に追い抜かれた。
 それから5周走ったあたりで、再びそれぞれに抜かれた。 
そして、また5周、同じように抜かれた。
 少し早めに走ってみたが、矢っ張り追い抜かれた。

 その日、私は50周、つまり10キロを走り終えた。
汗をぬぐいながら、暗算した。
 同時に走り始めていたら、
2人は2キロも先を走っていることになった。

 吹き出る頭の汗を、タオルでゴシゴシと拭きながら、
「5年前なら、あの早さでも一緒に走れた。でも、もう無理!」。
 誰にも気づかれず、小さく唇を噛んでいた。
「シニア」の衰えを、思いっきり知らされた。

 とは言え、「まだまだ」と普段は見栄をはっている。
なのに、私を「シニアだから」と気遣う方々が時々現れる。
 その「好意?」に、複雑な気持ちになりつつも、
気づかれないよう甘受するよう努めている。

 ▼ 体のキレの精だろう。
年々、ゴルフの飛距離が短くなる。
 以前は、アイアンで届いた距離でも、
ウッドを使う場面が増えた。

 「そんなはずない」と、頑張ってスイングしてみても、
飛ばないのは、歴然とした事実だ。
 そこで、頼る場面が多くなったウッドを新調しようと、
ゴルフショップへ行った。

 高価なものは避け、バーゲンの品で手頃な価格の、
3番、5番、7番ウッドを探した。
 丁度、予算に合致した3本セットを2組見つけた。

 手にとっても、善し悪しの判断がつかない。
そこで店員さんのアドバイスを受けることにした。

 応じてくれた店員さんは、
2種類のクラブの特性を簡単に説明した後、
やや価格の高い方のセットを薦めた。

 「高い方がいいのか。
なるほど、店員のアドバイスらしい!」
 私は、そう笑止しながらも、
店員さんの薦めるクラブを買うことにした。

 「じゃ、このセットにします。
3本でいくらになります?」。
 それを聞いた店員さんは、
目の前にある5番と7番ウッドを手に持ち、言った。
 「3番ですが、要りますか?」。

 予期しない質問だった。
返答に困った。
 すると、ためらわずに店員さんは続けた。

 「3番ウッドを使って、思い通りに飛びますか。
年齢とともに、3番はあつかいが難しくなります。
 無駄な買い物になる方が多いです。
もう5番と7番だけでいいと思いますけど」。

 見栄を張って、「3番まで買います」と言い張れなかった。
確かに3番ウッドは、思い通りに振れなくなっていた。

 アイアンよりウッドの必要性を感じての買い物だったのに、 
それに加えて、「年齢とともに」と3番ウッドまで不要になるとは・・・。
 買った2本のウッドを手に店を出ながら、
いつまでも、気持ちは重く沈んでいた。

 ▼ 2年に1度は、市保健課が奨励する定期健康診断を受けている。
1時間余りで済むものだが、
同じような健診で胃がんが見つかった方を知ってからは、
まじめに受診している。

 前回は、医師の聴診器による心音で、
会場の別室に設けられた所で、心電図をとることになった。

 その部屋の廊下でしばらく待っていると、
準備ができたのか、名前を呼ばれた。

 入室すると白衣の女性が、
やさしいやや大きめの声で、ゆっくり言った。
 「では、これから心電図をとりますからね。
上はハダカ、それからズボンの裾を上げてください。
 そこまでできたら、あのベッドで横になりますね。」
 いつもと変わらない心電図の手順だが、
女性の言い方が、何となく不快に感じた。

 でも、指示通りに裾を上げ、シャツを脱ぎ、ベッドまで進んだ。
すると、女性は再び大きめのゆっくりとした声で、やさしく言った。

 「ベッドが少し高くなってます。1人で横になれますか。
踏み台をお持ちしましょうか」。

 踏み台が要るほどの高さではなかった。
私は、無言でベットに寝た。

 すかさず女性は、
「あら、大丈夫でしたか。
この高さでも大変な方が、結構多いんですよ。
 お元気ですね」。

 「それほどの高齢者じゃない!!」。
そう大声を張り上げたら、本物の年寄りになる。
 だから、「それは、どうも」と答え、
上半身裸で仰向けのまま、静かに目を閉じた。

 心穏やかでないのが、心電図に出たりはしないかと、
心配しながら、測定の終わりを待った。

 全ての健診が済んだ帰りの道々、
白衣の女性の過剰な年寄り扱いへの怒りを、
何度も何度も家内にぶちまけた。

 「同じことを、また言ってる。
本当の年寄りみたい!」。
 家内に、笑われた。

  


     空とつらら 共演
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