ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ドカ雪が 降った後

2024-01-27 11:59:20 | 北の湘南・伊達
 新年を迎えても、当地は暖冬だった。
とにかく雪がない。
 降っても、うっすら雪化粧程度で、
その雪も数日でとけてしまっていた。

 ところが成人の日の朝だ。
珍しく目覚めが早かった。

 カーテンの隙間から漏れる明るさに、
違和感が。
 日の出には、まだ2時間以上もあるのに、
ほんのりと外が明るいのだ。
 「もしや」と起き上がり、カーテン越しに外を覗いてみた。

 新雪が防犯灯の光を受け、周囲を明るくしていた。
止めてある愛車を見た。
 やや離れているが、車の屋根に雪が、
30センチも積もっているように見えた。
 全く気づかない深夜の積雪であった。

 「まだ冬休み、その上今日は休日だ!」
登校する子ども達はいない。
 通勤の人もいないだろう。
「急ぐことはない!
 朝食を済ませてから雪かきにしよう!」
再びベッドへ戻った。
 
 朝食後、身支度を整え、いよいよ雪かき。
玄関の扉を押す。
 思いっきり力を入れ、ようやく外に開いた。

 玄関先まで雪が積もっていた。
「珍しい!」
 12年前の大雪以来のことだった。 

 これは大変な雪かきになる。
長時間を覚悟した。
 ペースダウンして、体力を考えながら、
大雪に挑まなければならないと決めた。

 いつものように、家内とはエリアを分け、
黙々と作業を始めた。

 お向かいさんも左隣りさんも、
同じような時間から、雪かきを始める。
 みんな、いつもよりゆっくりとした調子で、
雪を集め、移動させていた。


  ⑴ 雪かきの最中
 
 ① 雪かきを始めて、やや時間が経ってから、
右隣りのご主人が出てきた。
 私に挨拶をし「随分降りましたね」と、
車へ向かった。

 雪かきではなかった。
この積雪の中、お出かけするようだ。
 エンジン音がして、しばらくすると
車はバックで駐車場から出ようとした。

 それは無茶なことだった。
車道までの数メートルを進まないうちに、
車は雪に阻まれ、車輪が空回りを始めた。 
 車体が雪の上に乗り上げたのだ。

 そのまま見過ごす訳にいかなかった。
雪かきを中断し、
スコップを持って、近くから数人が集まってきた。

 車道までの積もった雪を除け、車両下の雪もかいた。
15分程度で、
車は圧雪された車道まで出ることができた。

 ご主人は、これから登別のスキー場へ行くと言い、
「冬休み中は、スキー教室があるので」
と、言い残して出発した。
 無事に、着くことを願った。

 しばらくして、奥さんが雪かきを始めた。
まだまだ作業途中の私に、
ご主人の車脱出のお礼を述べた後、こう言った。
 「スキー場の辺りは、
全然雪が降らなかったって、
主人から連絡がきました」。

 私は、信じられない思いで、
「そうですか!
 そう遠くない所なのに、天気って違うんですね」。

  ② その直後だ。
3軒程離れたご近所の奥さんが、
我が家の脇にあるゴミステーションまで来た。

 雪かきする私たちとは大違い。
軽装だった。
 長靴でもなく、エプロンに厚手のカーデガン姿で、
片手に大きなゴミ袋を提げていた。

 私たちの雪かきの様子に驚きながら、
収納ボックスにゴミ袋を置いた。
 そして、私に近寄り言った。

 「こんなに積もっているって気がつかなくて・・。
今、外に出てビックリしました。 
 少し前に、洞爺湖にいる娘から電話が来て、
今朝は50センチ以上も積もってるって言うんです。
 だから私、こっちは大丈夫!
そう遠くない所なのに、天気って違うんだね。
 雪かき頑張ってって言ってしまいました」。

 「今、同じセリフを言ったばかり」
と思いつつ、私は言った。
 「とんだ思い違いでしたね。
電話して伊達も凄いことになっているって、
言い直さなくちゃダメですね」。

 奥さんは、「そうしますね」と転びそうになりながら、
戻っていた。


  ⑵ 数日後の電話

 ①1本目は、
自治会役員を長年されていた先輩からだった。

 「会長さん、頼みがあって電話したんだ。
雪かきのことなんだけどさ、
こんなにいっぺんに降ると、
どこの家も雪の捨て場に困るんだ。
 でも、車道に捨てるのはダメだよ。
そう思わないかい!?」

 私が同意すると、先輩は続けた。
「だから、来月の自治会だよりにさ、
車道に雪を捨てるなって、
会長名の入った文章を載せてくれないかね。
 そうでもしないと、直らないわ」。

 先輩の思いも理解できた。
しかし、どこにも捨て場がなく、
仕方なく歩道と車道の間に雪山を作る家もある。
 よく吟味して、自治会だよりに載せなくてはならない。
  
 「お気持ちはよく分かりました。
どのように自治会だよりに載せたらいいか、
よく考えてみます。
 貴重なご意見、ありがとうございます」
と、答えるだけにとどめた。
 さてさて、どんな内容でどう呼びかけたらいいものか。
頭を悩ませることになってしまった。

 ② ドカ雪の翌日から気温が緩んだ。
徐々に雪が解けた。
 それによって、朝夕は路面がアイスバーンになった。
そんな朝に、2本目の電話があった。

 「私、○班のKと申します。
ツカハラさん助けてください!」。
 Aさんは90歳前後の高齢で、
一人暮らし女性だった。
 自治会の用件で、
何度かご自宅を訪ねたことがあった。
 すぐに顔が浮かんだ。

 「Kさん、どうしました?」
「実は、今朝、ツルツルすべる道でしたが、
ゴミを投げにいったんです。
 途中まで行くと、ご近所のAさんが来てくれて、
そのゴミを持って行ってくれたんです。

 ところがAさん、ゴミを置く所のそばで、
滑って転んだんです。
 腕を痛くしたみたいだったんですが、
私、Aさんの電話番号も知らないし、
骨を折ったんじゃないかと心配で、
ツカハラさんどうしたらいいでしょうか?」
 
 「わかりました。
私がAさんに電話してみます。
 携帯番号も知ってますから、
Kさんのご心配を伝えておきますね」

 Kさんが恐縮しながら電話を切った後、
Aさんに電話し、そこまでの経過を伝えた。
 転んだ腕は少し痛むが、仕事には影響ないと言う。
それよりも、
Aさんはお婆ちゃんに心配をさせてしまったと、
転んだことをしきりに悔やんでいた。

 電話をしながら、私だけがほっこりとしていた。




     湖畔にて 新雪に頬ずり
          ※ 次回のブログ更新予定は2月10日(土)です。
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私『楽書きの会』同人 (8)

2024-01-20 10:14:20 | 思い
 地元で古くから愛読されている新聞が「室蘭民報」である。
幼い頃から我が家にも、毎日朝と夕に配達されていた。
 私も時々それを広げて読んだ。
 
 今、その地元紙の土曜日文化欄に、
「随筆『大手門』」がある。
 そこに同人「落書きの会」のメンバーが、
執筆を継続している。
 早いもので、私も同人に加えてもらって4年が過ぎた。

 昨年8月以来になるが、
12月26日に私が書いたものを載せて頂いた。
 本文と、それに対する友人からの、
身に余る反響を記す。

  *     *     *     *     *

         小さな遊園地にて

 特別支援学級の子ども達と都内の小さな遊園地に行った。
園内ではどの子にも希望する乗り物を体験させたいと、
先生らが付き添い小グループに分かれた。
 さて、3年生のA君だが、どの乗り物を見ても首を横に振った。
口数は少ないが意志は明確だった。
 誰が声をかけても、1つとして乗ろうとしなかった。
とうとう校長の私と2人、ベンチに座っていることになった。

 次第に時間を持てあました。
手をつなぎ園内をウロウロした。
 私が乗り物を指さし「乗ろうよ」と誘っても、
A君は黙って通り過ぎた。
 ところが、メリーゴーランドの横に、
『動くハウス』と書いた小さな家の形をしたものがあった。
 ドアが開いていた。
2人でのぞいた。
 中には長椅子が向かい合っていた。
壁には大きな花の絵があり、明るい感じだった。

 A君はその部屋に入った。
「これがいいの?」。
 A君はうなずいた。
手をつないだまま並んで椅子に腰かけた。
 しばらくして、数人のグループが向かいに座った。
すぐにベルが鳴りドアが閉まった。
 部屋は左右に動き出した。

 急に横にいたA君が手を放し私の前に立った。
険しい目だった。
 何も言わず私をたたき始めた。
ハウスはだんだん大きく揺れた。
 私は座ったまま上体を動かし、突然の攻撃をさけた。
前の席から「A君!やめなさい」「座りなさい」と声がとんだ。
 でも、A君はハウスの動きが止まるまでやめなかった。
私は分かった。
 動くなんて思ってなかったのだ。
なのに部屋が動き出した。
「こわい!」「動く乗り物って言ってない!」。
私が憎くなった。

 その後、動きが止まったハウスを出ると、
A君は急に大声を出して泣いた。
 肩がブルブル震えていた。
「お家動くよって、言えばよかったね」。
 私は何度も言った。
A君は小さくうなずいてくれた。
 しばらくして、私たちは再び手をつなぎ最初のベンチへ戻った。
泣きやんだA君が座りながら、私の目をのぞき込んで訊いた。
 「動かない?動かない?」。
「動かないよ!動かないよ!」。
 そう答えながら、今度は私が泣きそうになった。


 【友人からのメール】
 うるうるしてきました。
そうなんだよね。
 そうでなくても怖い遊園地。
でも、動かないベンチを教えてくれた校長先生、
良かった良かった、A君。

 いつも素敵な綴り方を、
伊達市民の方々は、
幸せな心持ちをいただけているのですね。

  *     *     *     *     *

 さて、先週土曜日の「随筆『大手門』」の筆者は、
同人『楽書きの会』の主宰である南部忠夫先生だった。
 先生は、この欄の執筆を始めた21年前よりずっと、
奥様への自宅介護の日々を綴ってきた。
 今回の題を見て、急に鼓動が激しくなった。

  *     *     *     *     *
 
     刀折れ、矢尽き
                 南部 忠夫

 日々介助に明け暮れていた。
 ーーいる。と現在形で書いていたものが
「いた」と過去形になった。

 21年間自宅介護を続けたが卒業する事となった。

 7月初旬、今まで動いていた人間が
ソファから立ち上がれなくなった。
 どう努力しても肝心の左脚が効かなくなってしまった。
ケアマネージャーさんと相談して
救急車で入院ということにした。
 受け入れてくれる病院が見つからず
隣町の市立病院に入院させてもらった。
 有り難くて病院がお社(やしろ)に見えた。

 紆余曲折があって、
当市の病院に転院させてくださった。
 何より困ったのは面会が
厳しく制限されていることで、
2週間に一度、15分間のみという状態で、
患者にも家族にも不安と苦痛がのしかかっていた。

 どちらの病院の診断名も、
自立は困難だということを暗示していた。
 自立が不可能なら自宅介護は出来ない。
家に連れて帰って来れないとなると、
終の棲家となる施設を探さなければならない。

 伊達中グランドの斜め向かいに、
大きな施設が建設中であった。
 家からも近いし、その施設に入れないかと願った。

 心優しい主治医のお陰で念願が叶い、
新施設の老健に入居が許された。

 12月1日に病院から老健への引っ越しとなり、
安住の地を得た。

 21年間の自宅介護と手を切る我が家にとっても
記念すべき日となった。

  *     *     *     *     *

 21年に及んだ自宅での介護が、ついにできなくなった。
その経過を先生の筆は、じつに淡々と書き記していた。
 急展開の中で様々な窮地があった。
そこから救われた時の心境を、
「病院がお社に見えた」「心優しい主治医のお陰」と言う。
 いつものように、変わらない謙虚な姿勢に脱帽した。

 しかし、どこを探しても先生の無念さがない。
その全てを題・『刀折れ、矢尽き』に込めたのでは・・・。
 秘めた激しさが、いつまでも心に響いた。




   この山並みが好き ~ 紋別岳
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衝  動  買  い

2024-01-13 11:46:00 | あの頃
 どうやら、『事前の計画がなく、来店してから衝動的に
買いたいという意志が働き購入すること』を、
衝動買いと言うらしい。
 
 振り返ると、そんなスタイルの買い方がなんと多かったことか。
自分自身のことだが、無計画性といい加減さといい、
改めて驚くばかり。
 しかし、結果は失敗もあったが、それで良かったことも多い。
その中から 2つ・・・。


 ① 息子2人が大学生になり自宅を離れた。
家内と愛猫との暮らしが2年目を迎えた夏休み、
二男が1週間ほど帰ってきた。

 久しぶりに3人で買い物をと、
駅前の大型スーパーへ向かった。
 その途中に、近くで建設中の高層マンションの、
モデルルームが公開されていた。
 そのマンションの販売を目的にしているところだ。

 ふと、その日の朝刊にあったチラシを思い出した。
そこに『最終販売』の文字が躍っていた。
 2棟の30階建てが、すごい勢いで売れていると言うのだ。

 それだけの動機だったが、突然興味が湧いた。
「そんなに人気があるマンションがどんな造りなのか」
 モデルルームを覗いてみたくなった。

 家内と二男は、私の誘いにあきれ顔だったが、
「ちょっとだけ」と言う後ろを付いてきてくれた。

 入店すると、待ち構えていた販売員がすぐに応対した。
スーツ姿の男性だった。
 控え目でていねいな感じに好感が持てた。
 
 私は、正直に言った。
「買い物に行く途中、たまたまここが目に入ったので、
どんな感じか見たかっただけです」
 すると彼は「どうぞ、遠慮なくご覧下さい」と、
先頭になって私たちを、2つのモデルルームに案内してくれた。

 その1つが、マンションの角を活用した
モダンな間取りだった。
 居間の片面が広いガラス窓で、眺めのいい南向きだった。
3LDKの配置も工夫されていた。
 そのお洒落な造りに、
私はすっかり魅了されてしまった。

 「最近のマンションは、こんな素敵なんですね」
私の驚きに彼は静かな口調で応じた。
 「ご覧頂いたもう1つのモデルルームに比べると、
こちらはずっとずっとお買い得かと思います。
 でも、この物件は1階から20階までに1室ずつで、
残りの3室も抽選になるかと思います」

 買う気など全くなかったはずだ。
家内と新居を話題にしたこともなかった。
 ただペットを飼えない団地で、
愛猫と居ることだけは気がかりだった。
 だから、突然訊いた。
「このマンションでは犬や猫を飼うことができますか」
 家内は、ビックリした顔をした。
「はい、ペット登録をして頂くとご一緒に暮らせます」。

 そこから先は、応接セットのある部屋へ通され、
価格や契約手続きの説明を聞いた。
 そして、印鑑がないのに仮契約書にサインまでして店を出た。

 さて、これには後日談がある。
契約から1年後に、マンションは完成し入居した。
 その翌年、大学を卒業した二男は、
そのマンションを販売した不動産会社へ入社した。

 大手不動産だが、社内でたまたま、
モデルルームのあの販売員男性と一緒に、
仕事をすることになった。
 彼は言った。
「あんなに簡単に売れたお客さんには,
今までに出会ったことないよ」と。

 
 ② 次は、マンション購入とは、
比較にならない買い物である。
 当地で暮らし始めて数年が過ぎた時のことだ。
 
 年齢からなのか、
睡眠に不満を感じるようになった。
 思い切ってベッドを変えてみようかと考えていた。

 当地には、老舗の家具店がある。
新聞にチラシが入ってきた。
 ベッドのセールの案内だった。

 急いで買わなくてもいいが、
快眠できそうならと行ってみた。
 
 まんまとベテラン店員さんのセールスに、
その気になってしまった。
 きっといい眠りが待っていると期待した。

 「いいベッドには、あわせてもう1つが必要です。
それは、羽毛の掛け布団ですよ」
 店員さんは自信満々に言った。

 これまた当地には、老舗の寝具店がある。
それに、羽毛布団なら通販でも買える。
 そう思っていた矢先だ。
「当店でも数は少ないのですが、売っています。
いかがですか?」
 ビニールケースに入った布団を2点、
棚から下ろしてくれた。
 
 売れ残り品のようで、ほこりも一緒に降りてきた。
その1つの値札を見た。
 10数万円が2万数千円に訂正されていた。
 
 「2枚お買い上げならば、4万円丁度にします」
「じゃ、それも!」
 思わず言ってしまった。

 翌日、ベットと羽毛布団が届いた。
ベットを置き、羽毛布団をその上に広げてみた。
 意外だった。
今まで使っていた羽毛布団に比べ、
はるかに厚みがあったのだ。

 数日、その布団で寝てみた。
見た目の印象からか、重みを感じ心地良くなかった。
 やはり売れ残った粗悪品を買わされたかと悔いた。

 快適なベットでの睡眠のためにと、
今までの薄くて軽い羽毛布団に切り替えた。
 よく眠れた。

 それにしても、
あの厚手の羽毛布団が目障りになった。
 目にするたびに、すぐに不快感が蘇った。

 1年半前になるだろうか。
当地に2件目のリサイクルショップが開店した。
 開店記念に高額買取セールをしていた。

 「この機会に思い切って!」
あの羽毛布団を買取ってもらおうと、
勇んで、お店に持ち込んだ。
 しかし、「残念!」
1度でも使用した布団は「買い取れない」と、
断られてしまった。

 落胆した。 
「粗大ゴミにするしかないか!」
 すると、急に4万円の羽毛布団がかわいそうになった。
「なら、もう1度使ってみよう!」

 ところが、使い続けると「意外や意外」、
そん色のない軽さだった。
 その上、厚みの分だけ動きが少なく、
ゆったり感があった。
 
 羽毛だから、当然季節によって快適さが違う。
冬の今は、目覚めてからもいつまでも、
ぬくぬくとその布団に包まれていたくなる。
 そして、時々ふと思い出して苦笑いをする始末だ。




       雪景 有珠善光寺
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晴れたり曇ったり その11 <2話>

2024-01-06 12:21:00 | 北の湘南・伊達
 ① 元日と2日は、昨年同様兄と一緒に自宅で過ごした。
その切っ掛けは、2つある。

 1つは、義姉が高齢者施設へ入所し、
兄が1人で正月を過ごすことになったこと。
 もう1つは、姉が勤める温泉旅館が、
高級おせちを販売している。
 その3人用3段重で高価なものを、
姉がプレゼントしてくれたこと。

 だから、3人でそのおせちを囲みながら、
正月の2日間を過ごそうというのだ。

 大晦日、兄の飲食店は、
年越し用のお刺身セットやオートブルの予約販売で、
終日大忙しだった。
 なので、元日は午後に兄を迎えに行った。

 そして、お茶とお菓子、みかんなどを前に、
テレビを見ながらくつろいでいた時、
2度の『緊急地震速報』があった。

 元日早々の悲惨な映像に唖然とした。
きっと甚大な被害があっただろうと思いつつ、
次の大津波警報に怯えた。

 新年を迎えた日の惨状である。
自然災害の非情さが骨の随まで浸みた。
 そして、人間の非力さを改めて痛感させられた。

 「新年祝いの膳どころじゃないなあ」
と言いながらだが、
頂いた高級おせちを食べない訳にはいかなかった。
  
 テレビからくり返される倒壊家屋の映像や、
津波情報を気にしながら、ビールとお茶で、
並んだ一の重、二の重、三の重に箸を向けた。

 特別な料理だけに、昨年の味は忘れてなかった。
それに比べ、今年のは昨年以上に格段の美味しさだった。
 兄も家内も、同じ感想だった。
高級旅館のおごらない謙虚な努力に脱帽した。

 そして、そんな味を姉に伝えようと、
電話をすることに。
 姉は40日前に、娘が勤務する首都圏の病院で、
9時間に及ぶ大手術をした。
 経過は順調で、退院後は娘のマンションで療養していた。
てっきり正月はそこに居るものと思っていた。

 ところが電話に出た姉は、関西にいた。
息子のところで年越しをしたと言う。
 全く予想していなかった。

 「調子いいよ。
大丈夫、娘も息子も看護師だから・・。
 心配いらないの」
そして、姉は、
「私はいい子どもに恵まれて幸せだわ」
と、元気に言った。

 さほど無茶をしている訳でもないと分り、安堵した。
それにしても、その回復力には驚かされた。
 「私、ずっと旅館で働いていたから、
年齢以上に体力があったみたい」
 驚きのあまり、おせち料理の美味しさを
伝え損なうところだった。

 午前中、伊達神社へ初詣に行った。 
隣で若い2人がおみくじを引いていた。
 凶と大吉だった。 
私の元旦の心もようも同じ・・・。 

 ② 現職の頃、朝は和食が多かった。
しかし、今は生野菜とトースト、それに卵料理などである。
 だから、トースターは朝の必需品だ。 
  
 2年前になる。
長年愛用していたトースターが、
スイッチを入れても作動しなくなった。
 修理より新しい物にしようと家電量販店へ行った。

 パンを焼くことと、
時々餅を焼くことだけの家電である。
 20種程が並んでいる中に、
特価セールになっていたものがあった。
 機能など吟味もせずにメーカー品だったので、それを購入した。

 パンを焼くのは私の担当である。 
翌朝から、新しいトースターを使った。
 快適だったのは 、1ヶ月程だった。
1度に2枚を焼くのだが、
左右で焼け方が違うようになった。

 「やはり特価品だったか」と思いながらも使い続けた。
ところが、3ヶ月目で片側のパンが全く焼けなくなった。
 特価でも1年保証がついていた。
早速、修理に出した。

 1ヶ月前だが、そのトースターが再び故障した。
今度は、網が外れてパンが載せられないのだ。
 修理保証は終わっていた。
その上、相変わらず左右の焼きは均等ではなくなっていた。
 思い切って、再び新しい物を購入することにした。

 2年ぶりに同じ量販店のトースター売り場へ行った。
同じような顔ぶれのトースターが並んでいた。
 今度はしっかりと吟味して購入しようと決めた。

 価格も多様だが、各機種セールの言葉も多彩だった。
パンと餅を焼くだけなのに、どれがいいか迷った。

 そこで、この売り場担当の店員さんを呼んだ。
店員さんは、それぞれの特徴を要約し、親身に教えてくれた。
 でも、私にはどれが最適か決められなかった。
まして、2年しかもたないトースターを選び、失敗していた。

 そこで、決断した。
店員さんのキャリアに頼った。
 私は訊いた。
「もし、貴方が買い換えるとしたら、どれにします?」
 そんな問いかけは珍しかったようで、
彼は一瞬驚いた顔をした。

 しばらく並んでいた棚を見渡し、
「高価な方ですが、最近発売になったこれですね。
私ならこれにします」
 「これが1番いいですか」
念を押した。

 「いえ、もっと性能のいいものはあります。
1番いいのなら・・」
 彼は、慌てて他を勧めようとした。
「いや、貴方が1番買いたいと思うのはこれですよね」
 彼は、真顔で「ハイ」と答えた。

 あれから、あの店員さんが指名したトースターで、
毎朝パンを焼いている。
 同じパンなのに、美味しさの違いに驚いている。

 その道に精通した人の確かさは、
兄の魚の目利きでよく知ってはいた。
 どうやらそれは、兄だけではないと思った。

 そして、再び同様のことを実感する場面があった。
大晦日のことだ。
 数日前に、私が選んだしめ縄飾りを玄関外に提げた。
イメージしていたのとは違い、貧相だった。

 がっかりした。
お正月を飾る玄関である。
 どうにかして素敵な感じに挽回したかった。
  
 そこで、当地で一軒だけの生花店へ急いだ。
玄関内に正月らしいアレンジフラワーを置こうと、
思いついたのだ。
 それでイメチェンを図ろうとした。

 案の定、店内にはそれらしいアレンジメントが、
手頃な価格でいくつも並んでいた。
 純和風と洋風があった。 
どちらも、どれも、お正月の玄関に相応しかった。
 決めかねた。
今年はしめ縄飾りで失敗していた。
 それもあって、
迷った。

 そこで店員さんに訊いた。
「あなたなら、ご自宅でどれを飾りますか」
 彼女は、一瞬驚きの表情を見せた。

 少し間を置いてから、
「私なら、これでしょうか」
 彼女が指し示したのは、私なら選びそうにない、
薄い色合いの洋ランがメインのものだった。
 他のものとはひと味趣が違った。
その素敵さに納得した。


 

   洞爺湖畔 静かな時間 冬    
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