以前、本ブロクに書いたことから始める。
教職について2年目だった。
まだ結婚前だ。
民家の2階の4畳半を、家内は間借りしていた。
日曜日の午後、その部屋で時間を潰していた。
たまたま手の届くところに絵本『モチモチの木』があった。
寝転びながら、はじめて手にした。
臆病な豆太が、
真っ暗な夜道を医者さまをよびに走るシーンに、
心が熱くなった。
そして、翌朝、腹痛が治ったじさまが、
豆太に言った言葉が、今も浸みている。
『・・じぶんで じぶんを よわむしだなんて おもうな。
にんげん、やさしささえあれば、
やらなきゃならねえことは、きっと やるもんだ。・・』
この一冊が、絵本や児童文学のイメージを一新させた。
と同時に、「やさしささえあれば・・」という言葉が、
しっかりと私に根付いた。
以来、斎藤隆介作品だけでなく、
童話や物語に興味をもった。
特に、宮沢賢治作品や新美南吉作品に惹かれた。
さて、そんな出会いから数年が過ぎた頃だ。
灰谷健次郎さんのデビュー作『兎の眼』を手にした。
子どもの読み物にしては分厚い本で、
その内容に衝撃を受けた。
そこから灰谷さんの新作は、
短編であれ長編であれ欠かさず読んだ。
その上、彼の講演会等にも、よく足を運んだ。
一時はまさに熱烈なファンで、舞い上がっていた。
30歳になって間もなくだったろうか。
『この本の物語は、人間のやさしさというものをもう一度
考えなおす機会をぼくに与えてくれた、子どもたちの話です。』
そんな言葉が帯にあった彼の短編集
『ひとりぼっちの動物園』が、出版された。
その後、子どもいや人間を理解する
大きな指針になった1冊だ。
表紙をめくると最初のページに、
こんな言葉があった。
『あなたの知らないところに
いろいろな人生がある
あなたの人生が
かけがえのないように
あなたの知らない人生も
また かけがえがない
人を愛するということは
知らない人生を知るということだ』
つい置き忘れそうになる大事なことに、
はっと気づかされた。
案の定、この本にあった5つの短編は、
どれもかけがいのないものだった。
特に、その1つ『だれも知らない』は、
今も時々思い出し、作者が託したメッセージに、
汚れそうになる私の心を洗浄してくれた。
6年生の麻理子は小さい時の病気で、
筋肉の力がふつうの人の10分の1くらいしかない。
だから、家から通学バスのバスストップまでの、
わずか200メートルの道を、毎日40分もかけて歩いて行き来した。
毎朝、私たちの日常では考えられない、
その距離とその時間の中で、
麻理子が出会う人や生き物を、灰谷さんは丁寧に描写していた。
驚きと感動の連続だった。
中でも、マツバボタンとの場面が印象的だ。
そして、5つの物語のあとがきとして、
灰谷さんは、麻理子をはじめ登場した子ども達などについて、
こう振り返っている。
『子どもたちの中には、ずいぶんつらい境遇の中で
生きている者も少なくありませんでした。
しかしかれらは、決してやけくそをおこすということがありませんでした。
絶望するということがありませんでした。
それどころか、つらい境遇の中で生きている者ほど、
他人に対してやさしい思いやりをしめそうとしました。
ぼくは、そんな子どもたちをすばらしいと思いました。』
この一文は、17年間の教職生活で、
灰谷さんが実感した真実だと思う。
初めてこれを読んだ日から、
私の子どもを見る、いや人を評価する目が変わった。
つらい境遇の中で生きる者の、
本当のたくましさ、強さに気づいた。
灰谷さんと同じ道を私は40年歩んだ。
その歩みの中で、何人ものそんな境遇の子に出会った。
そして、その子たちが示す本物のやさしさに、
支えられ、励まされた。
だから、今の私がいると言ってもいい。
そんな数々の出会いに、感謝している。
結びになる。
灰谷さん、2006年11月、享年72歳で逝った。
彼も癌だったと聞いた。
この機会だ。
彼が書き残したり、語ったりした数々の名言から、
記憶にあたらしいものを記しておく。
『人は時に憎むことも必要な場合もあるのでしょうけど、
憎しみや怒りにまかせて行動すると、
その大事なところのものが吹っ飛んでしまうのが怖い。
憎しみで人に接していると、人相が悪くなるわ。
正義もけっこうだけど、人相の悪い人を友達に持ちたくない。』
『自分の方に理があると思っているときほど、
よく考えて行動しなくちゃいけない。
居場所のなくなった相手に、
自分の方が理があるからと言って、一方的に攻め立てるのは、
本当に勇気のある人がすることなの?』
『人間の犯す罪の中で最も大きな罪悪は、
人が人の優しさや楽天性を、土足で踏みにじることだろう。』
『人に好き嫌いがあるのは仕方がないが、
出会ったものは、それが人でも、ものでも、
かけがえのない大事なものじゃ。』
もう福寿草が! 春が早そう!
教職について2年目だった。
まだ結婚前だ。
民家の2階の4畳半を、家内は間借りしていた。
日曜日の午後、その部屋で時間を潰していた。
たまたま手の届くところに絵本『モチモチの木』があった。
寝転びながら、はじめて手にした。
臆病な豆太が、
真っ暗な夜道を医者さまをよびに走るシーンに、
心が熱くなった。
そして、翌朝、腹痛が治ったじさまが、
豆太に言った言葉が、今も浸みている。
『・・じぶんで じぶんを よわむしだなんて おもうな。
にんげん、やさしささえあれば、
やらなきゃならねえことは、きっと やるもんだ。・・』
この一冊が、絵本や児童文学のイメージを一新させた。
と同時に、「やさしささえあれば・・」という言葉が、
しっかりと私に根付いた。
以来、斎藤隆介作品だけでなく、
童話や物語に興味をもった。
特に、宮沢賢治作品や新美南吉作品に惹かれた。
さて、そんな出会いから数年が過ぎた頃だ。
灰谷健次郎さんのデビュー作『兎の眼』を手にした。
子どもの読み物にしては分厚い本で、
その内容に衝撃を受けた。
そこから灰谷さんの新作は、
短編であれ長編であれ欠かさず読んだ。
その上、彼の講演会等にも、よく足を運んだ。
一時はまさに熱烈なファンで、舞い上がっていた。
30歳になって間もなくだったろうか。
『この本の物語は、人間のやさしさというものをもう一度
考えなおす機会をぼくに与えてくれた、子どもたちの話です。』
そんな言葉が帯にあった彼の短編集
『ひとりぼっちの動物園』が、出版された。
その後、子どもいや人間を理解する
大きな指針になった1冊だ。
表紙をめくると最初のページに、
こんな言葉があった。
『あなたの知らないところに
いろいろな人生がある
あなたの人生が
かけがえのないように
あなたの知らない人生も
また かけがえがない
人を愛するということは
知らない人生を知るということだ』
つい置き忘れそうになる大事なことに、
はっと気づかされた。
案の定、この本にあった5つの短編は、
どれもかけがいのないものだった。
特に、その1つ『だれも知らない』は、
今も時々思い出し、作者が託したメッセージに、
汚れそうになる私の心を洗浄してくれた。
6年生の麻理子は小さい時の病気で、
筋肉の力がふつうの人の10分の1くらいしかない。
だから、家から通学バスのバスストップまでの、
わずか200メートルの道を、毎日40分もかけて歩いて行き来した。
毎朝、私たちの日常では考えられない、
その距離とその時間の中で、
麻理子が出会う人や生き物を、灰谷さんは丁寧に描写していた。
驚きと感動の連続だった。
中でも、マツバボタンとの場面が印象的だ。
そして、5つの物語のあとがきとして、
灰谷さんは、麻理子をはじめ登場した子ども達などについて、
こう振り返っている。
『子どもたちの中には、ずいぶんつらい境遇の中で
生きている者も少なくありませんでした。
しかしかれらは、決してやけくそをおこすということがありませんでした。
絶望するということがありませんでした。
それどころか、つらい境遇の中で生きている者ほど、
他人に対してやさしい思いやりをしめそうとしました。
ぼくは、そんな子どもたちをすばらしいと思いました。』
この一文は、17年間の教職生活で、
灰谷さんが実感した真実だと思う。
初めてこれを読んだ日から、
私の子どもを見る、いや人を評価する目が変わった。
つらい境遇の中で生きる者の、
本当のたくましさ、強さに気づいた。
灰谷さんと同じ道を私は40年歩んだ。
その歩みの中で、何人ものそんな境遇の子に出会った。
そして、その子たちが示す本物のやさしさに、
支えられ、励まされた。
だから、今の私がいると言ってもいい。
そんな数々の出会いに、感謝している。
結びになる。
灰谷さん、2006年11月、享年72歳で逝った。
彼も癌だったと聞いた。
この機会だ。
彼が書き残したり、語ったりした数々の名言から、
記憶にあたらしいものを記しておく。
『人は時に憎むことも必要な場合もあるのでしょうけど、
憎しみや怒りにまかせて行動すると、
その大事なところのものが吹っ飛んでしまうのが怖い。
憎しみで人に接していると、人相が悪くなるわ。
正義もけっこうだけど、人相の悪い人を友達に持ちたくない。』
『自分の方に理があると思っているときほど、
よく考えて行動しなくちゃいけない。
居場所のなくなった相手に、
自分の方が理があるからと言って、一方的に攻め立てるのは、
本当に勇気のある人がすることなの?』
『人間の犯す罪の中で最も大きな罪悪は、
人が人の優しさや楽天性を、土足で踏みにじることだろう。』
『人に好き嫌いがあるのは仕方がないが、
出会ったものは、それが人でも、ものでも、
かけがえのない大事なものじゃ。』
もう福寿草が! 春が早そう!