▼ 久しぶりに朝のランニングをする。
息が弾むと、喉に入る空気が冷たさを伝えた。
次第に氷点下の季節がやってくる。
「コロナ禍の中だ。
さてこれから先、どんな展開が待っているのだろう。
インフルエンザと新型コロナの同時流行が心配だ。
何とか大混乱だけは、回避できないだろうか。」
そんなことを思いつつ、
5キロの行程の中盤まで来る。
進路を、西から東へと進む道へと変えた。
すると、朝陽が紋別岳のある東山の方から差し込む。
この時季ならではのまぶしさを、
帽子のつばで遮りながら走る。
何かの気配に、ふと顔を上げてみる。
「そうか!」。
私の街はすっかり秋色になっていた。
▼ 自宅前の道から、一本上った道沿いに、
コスモスとガーベラのお花畑がある。
伊達で暮らし始めて3年目の夏の終わり、
そのお花畑を造っている方と偶然出会った。
突然だったが、
美しいお花畑へのお礼を口にした。
すると、80歳をすでに超えていたその方は別れ際に言った。
「じゃ、来年も生きていたら、頑張って花を咲かせるわ。」
返す言葉がなく、
私は、ゆっくり頭を下げることしかできなかった。
それからも、毎春、畑にはトラクターが入り、
2種類の小さな苗が綺麗に植えられた。
徐々に緑色が増し、
やがて、色とりどりの花が私たちの足を止めた。
ところが、昨秋、お花畑のその方の悲報が伝わった。
なのに、コスモスもガーベラも、凜と咲いていた。
「もう、このお花畑も見納め」。
そう思いながら、何度もカメラを向けた。
シャッターを押す指に、力を込めた。
そして、今春が来た。
雪の解けたお花畑は、いつの間にか整地された。
そして、網の目のように縦と横にまっすぐ、
小さな苗が植えられた。
後に、それがガーベラの苗だと知った。
夏が近づいた頃、お花畑を囲むように、
無数の緑色の芽が出ていた。
この新芽が,コスモスだと気づいたのは、
それからかなりの日が過ぎてからだった。
今は、コスモスの花もガーベラの花も、
盛りを過ぎようとしている。
あの方は逝ってしまった。
でも、その遺志を継いだ方がいた。
今年も、この街に素敵な秋色を贈ってくれた。
▼ 自宅から数十歩の十字路に立つと、
有珠山の山頂付近がすべて見える。
この山は、2,30年を周期に噴火をくり返してきた。
最近では2000年に爆発した。
以前の山容を知る方は、
「噴火前の方がいい形で、好きだった」とよく言う。
今は、山頂の周りに時折噴煙が見える。
そして、所々に小さな噴火口跡らしい窪みが見てとれる。
きっと噴火直後の山は、全てが火山灰で被われていたのだろう。
だが、裾野から次第に樹木が育った。
私が知る有珠山は、山頂付近までその緑が近づいていた。
さて、9年前、移住した最初の秋だ。
その山が変なのだ。
夏が終わり、日の出が遅くなった。
十字路に立ち、西にある朝の有珠山を見る。
朝日で、山は明るい陽差しを受け、
神々しくさえ感じた。
その山が、昨日とはわずかに違う色なのだ。
山頂は、灰色のままだが、
裾野から迫る緑が少し変色した気がする。
翌朝も十字路から見る。
矢っ張り、緑色が薄くなって見える。
不思議な気持ちを、打ち消せない日が続く。
遂に、明らかに緑が消え、
山頂付近から下が、薄く赤茶けた色になる。
有珠の全山が、色を変えているのだ。
それが秋の紅葉だと、誰もが承知しているだろう。
しかし、当時の私は無知だった。
1本1本の木々が美しく紅葉するのは、熟知している。
だが、それによって、
その山が全て赤や黄に染まるとは・・・。
心に強く刻まれていなかった。
だから、秋の有珠山の変色を、
紅葉と思わず、
私は、「噴火の前ぶれでは?!」と疑った。
当たり前だが、確信などなかった。
だから、誰にも言えず、
朝の有珠山を見ては、一人思い悩み、
胸の鼓動を大きくしていた。
ある日、朝食のサラダを口に運びながら、
家内がポツリと言った。
「有珠山も東山の方も、紅葉してきたね。」
「山が・・、紅葉・・?!」。
私は、ハッとした。
そして次に、急に安堵した。
「有珠山が変だ、噴火かも・・」。
なんて、誰にも言わなくてよかった。
今年も有珠山をはじめ、周りの山々が紅葉してきた。
その秋色を見上げながら、
『噴火の前ぶれでは?』が蘇り、苦笑している。
▼ ご近所さんの庭には、ブドウ棚があった。
散歩しながら、時折、その棚を見た。
夏からだったろうか。
小さな房に気づいた。
それが次第に膨らみ、ブドウらしくなっていった。
薄緑色のまま、実りの時を迎えた。
「品種は、きっとナイアガラ!」。
やがて、その蔓がたわみ、棚には重みが加わった。
最近のことだ。
そこの奥さんが、我が家の玄関ベルを押した。
片手には、ブドウの入ったパンパンのレジ袋を下げていた。
「これ、うちのブドウ。
いっぱい採れて、少し食べてもらっていい。」
家内は、笑顔でお裾分けを頂いた。
朝と夕、食卓に薄緑色のブドウが置かれた。
私は、2ツ粒3ツ粒を口に運んで、終り。
だから、翌日もまたブドウが・・。
その日も、家内は、美味しく食べる。
やっと、食卓からブドウが消えた日、
再び、パンパンのレジ袋を下げ、玄関ベルが鳴る。
「また、いっぱい採れたの。
もう少し、手伝って・・。」
再び,薄緑色が食卓に置かれる日が始まった。
そんな日の矢先だ。
電話が鳴った。
「いるかい?」
「アッ!はい。」
「今、カボチャもっていくから。
貰い物だけど、食べて!」
親しくさせてもらっている近所のご主人からだ。
「ねえ、カボチャ4個も貯まったよ。
どうする?」。
家内は、嬉しさと迷いと、半々の顔で私に言う。
同じように、大根だって、キャベツだって、
ブロッコリーだって・・。
みんなみんな、お裾分け。
美味しい秋色が、食品庫で眠っている。
伊達市大滝区 通称『ナイアガラの滝』のオータム
息が弾むと、喉に入る空気が冷たさを伝えた。
次第に氷点下の季節がやってくる。
「コロナ禍の中だ。
さてこれから先、どんな展開が待っているのだろう。
インフルエンザと新型コロナの同時流行が心配だ。
何とか大混乱だけは、回避できないだろうか。」
そんなことを思いつつ、
5キロの行程の中盤まで来る。
進路を、西から東へと進む道へと変えた。
すると、朝陽が紋別岳のある東山の方から差し込む。
この時季ならではのまぶしさを、
帽子のつばで遮りながら走る。
何かの気配に、ふと顔を上げてみる。
「そうか!」。
私の街はすっかり秋色になっていた。
▼ 自宅前の道から、一本上った道沿いに、
コスモスとガーベラのお花畑がある。
伊達で暮らし始めて3年目の夏の終わり、
そのお花畑を造っている方と偶然出会った。
突然だったが、
美しいお花畑へのお礼を口にした。
すると、80歳をすでに超えていたその方は別れ際に言った。
「じゃ、来年も生きていたら、頑張って花を咲かせるわ。」
返す言葉がなく、
私は、ゆっくり頭を下げることしかできなかった。
それからも、毎春、畑にはトラクターが入り、
2種類の小さな苗が綺麗に植えられた。
徐々に緑色が増し、
やがて、色とりどりの花が私たちの足を止めた。
ところが、昨秋、お花畑のその方の悲報が伝わった。
なのに、コスモスもガーベラも、凜と咲いていた。
「もう、このお花畑も見納め」。
そう思いながら、何度もカメラを向けた。
シャッターを押す指に、力を込めた。
そして、今春が来た。
雪の解けたお花畑は、いつの間にか整地された。
そして、網の目のように縦と横にまっすぐ、
小さな苗が植えられた。
後に、それがガーベラの苗だと知った。
夏が近づいた頃、お花畑を囲むように、
無数の緑色の芽が出ていた。
この新芽が,コスモスだと気づいたのは、
それからかなりの日が過ぎてからだった。
今は、コスモスの花もガーベラの花も、
盛りを過ぎようとしている。
あの方は逝ってしまった。
でも、その遺志を継いだ方がいた。
今年も、この街に素敵な秋色を贈ってくれた。
▼ 自宅から数十歩の十字路に立つと、
有珠山の山頂付近がすべて見える。
この山は、2,30年を周期に噴火をくり返してきた。
最近では2000年に爆発した。
以前の山容を知る方は、
「噴火前の方がいい形で、好きだった」とよく言う。
今は、山頂の周りに時折噴煙が見える。
そして、所々に小さな噴火口跡らしい窪みが見てとれる。
きっと噴火直後の山は、全てが火山灰で被われていたのだろう。
だが、裾野から次第に樹木が育った。
私が知る有珠山は、山頂付近までその緑が近づいていた。
さて、9年前、移住した最初の秋だ。
その山が変なのだ。
夏が終わり、日の出が遅くなった。
十字路に立ち、西にある朝の有珠山を見る。
朝日で、山は明るい陽差しを受け、
神々しくさえ感じた。
その山が、昨日とはわずかに違う色なのだ。
山頂は、灰色のままだが、
裾野から迫る緑が少し変色した気がする。
翌朝も十字路から見る。
矢っ張り、緑色が薄くなって見える。
不思議な気持ちを、打ち消せない日が続く。
遂に、明らかに緑が消え、
山頂付近から下が、薄く赤茶けた色になる。
有珠の全山が、色を変えているのだ。
それが秋の紅葉だと、誰もが承知しているだろう。
しかし、当時の私は無知だった。
1本1本の木々が美しく紅葉するのは、熟知している。
だが、それによって、
その山が全て赤や黄に染まるとは・・・。
心に強く刻まれていなかった。
だから、秋の有珠山の変色を、
紅葉と思わず、
私は、「噴火の前ぶれでは?!」と疑った。
当たり前だが、確信などなかった。
だから、誰にも言えず、
朝の有珠山を見ては、一人思い悩み、
胸の鼓動を大きくしていた。
ある日、朝食のサラダを口に運びながら、
家内がポツリと言った。
「有珠山も東山の方も、紅葉してきたね。」
「山が・・、紅葉・・?!」。
私は、ハッとした。
そして次に、急に安堵した。
「有珠山が変だ、噴火かも・・」。
なんて、誰にも言わなくてよかった。
今年も有珠山をはじめ、周りの山々が紅葉してきた。
その秋色を見上げながら、
『噴火の前ぶれでは?』が蘇り、苦笑している。
▼ ご近所さんの庭には、ブドウ棚があった。
散歩しながら、時折、その棚を見た。
夏からだったろうか。
小さな房に気づいた。
それが次第に膨らみ、ブドウらしくなっていった。
薄緑色のまま、実りの時を迎えた。
「品種は、きっとナイアガラ!」。
やがて、その蔓がたわみ、棚には重みが加わった。
最近のことだ。
そこの奥さんが、我が家の玄関ベルを押した。
片手には、ブドウの入ったパンパンのレジ袋を下げていた。
「これ、うちのブドウ。
いっぱい採れて、少し食べてもらっていい。」
家内は、笑顔でお裾分けを頂いた。
朝と夕、食卓に薄緑色のブドウが置かれた。
私は、2ツ粒3ツ粒を口に運んで、終り。
だから、翌日もまたブドウが・・。
その日も、家内は、美味しく食べる。
やっと、食卓からブドウが消えた日、
再び、パンパンのレジ袋を下げ、玄関ベルが鳴る。
「また、いっぱい採れたの。
もう少し、手伝って・・。」
再び,薄緑色が食卓に置かれる日が始まった。
そんな日の矢先だ。
電話が鳴った。
「いるかい?」
「アッ!はい。」
「今、カボチャもっていくから。
貰い物だけど、食べて!」
親しくさせてもらっている近所のご主人からだ。
「ねえ、カボチャ4個も貯まったよ。
どうする?」。
家内は、嬉しさと迷いと、半々の顔で私に言う。
同じように、大根だって、キャベツだって、
ブロッコリーだって・・。
みんなみんな、お裾分け。
美味しい秋色が、食品庫で眠っている。
伊達市大滝区 通称『ナイアガラの滝』のオータム
昭和63年まで月三小で教えて頂いた会下でごさいます。
たまたまブログを拝見させて頂きまして、健脚で足の速かった先生の姿を思い出しました。
私の妻が室蘭の出身で先生と同郷なので、よく月三小と塚原先生と晴海の空を思い出す事があります。
ブログを拝見させて頂いて、とてもお元気そうで何よりでございます。ブログを読ませて頂きながら、沢山の思い出が溢れ帰りました。
カナヅチで泳げないのはさんずいに歩くという名前だからとおっしってみたり、とてもコアなダジャレを放ったり、当時クラス全員で覚えた雨ニモ負ケズという詩は、父の郷里が岩手県という事もあってか30年以上経った今でも暗唱出来ますし、先生が子供の頃の飼い犬のお話だとか、思い出を挙げるとキリがありません。
私も26年前に千葉市民になりまして、高浜の辺りを通りすがると、先生の事を思い出していました。
昨日、妻の両親が室蘭の義兄のもとへ転居しまして、室蘭、千葉市、月島と多数の接点から奇縁を感じております。
これからも変わり無くいつまでもお達者でおられます事を願っています。
このような形で突然のご挨拶させて頂きました事、誠に申し訳ございません。どうもありがとうございました。