今も顧問の1人でいる東京都小学校児童文化研究会が、
発足から60年の節目を迎えた。
来年3月に、現職やOB、関係者などが一同に会し、
都内で『60周年記念祝賀会』を計画していると、
知らせが届いた。
大変嬉しく思うと同時に、当時の思い出が蘇った
私は、平成17.18年度、この研究会の会長を務めた。
会長に就いてから最大の悩み事は、
『東京都小学校連合学芸会』の会場探しだった。
この『都連合学芸会』は、確か今年で55回になる。
東京都教育委員会の後援を頂き、
東京都小学校児童文化研究会が主催してきた。
当時は、2日間にわたって行っていた。
都内の各地から名乗りを上げた小学校が、劇を発表し合った。
学芸会は校内で行うのが常だ。
ところが、普段は全く交流のない子ども同士が集まり、
演技を披露し合う。
それは、貴重な経験として、
それぞれの子どもの財産となるのだ。
さて、この学芸会の会場の件である。
長年にわたり渋谷区にあった「東京都児童会館」が使われてきた。
ここの1階には立派なホールがあった。
本格的な広いステージがあり、舞台装置や照明も整っており、
技術スタッフも常駐していた。
学校の体育館での学芸会とは違い、本格的な演劇環境なのだ。
「この舞台で、演じさせたい。」
若い頃、私も何度かチャレンジを試みた。
しかし、区内の連合学芸会での推薦が得られず、
断念をくり返した。
つまり、子ども達と一緒に取り組む学芸会の、
素晴らしさを知る教師にとって、
『東京都小学校連合学芸会』が行われる「東京都児童会館」の舞台は、
一度は子ども達と一緒に行きたい場所だった。
ところが、この会館の老朽化が進んだ。
数年後の閉館が、確かな情報として伝わってきた。
「都連合学芸会の継続、そのために別の会場を探す。」
それは、会長をはじめ役員の大きな課題になった。
演劇環境の整ったステージと、千席規模のホール。
都内各地からの交通の利便性、そして使用経費が条件だった。
「東京都児童会館」と同様の会場はなかなか見つからなかった。
会長としての2年間、奔走した会場探しだ。
その日々から落胆を重ねたエピソードを記す。
それは、無謀な挑戦とも言えた。
しかし、「ダメでもともと」だ。
そんな覚悟で、真っ先に電話したのは、
東京都が保有する立派な劇場だった。
オーケストラの演奏会が行われる大ホールと、
ピアノ演奏などの小ホールがあった。
私は、その小ホールにねらいをつけた。
都が運営していた。
経費での特典も期待できた。
電話口に出た担当者は、
「会ってお話を伺います。」
と、言ってくれた。
数日後、役員数人とその事務室に出向いた。
都連合学芸会の意義、歴史、規模、
子ども達や保護者の声、そして予算等をありのままに、
私は、熱く語った。
そして、
「全都の子ども達が目指す学芸会の新しい場所、
目標の舞台をここにしたい。
この劇場は、うってつけなんです。」
と、結んだ。
応対してくれた職員は、2人とも私より一回りは若かった。
メモを取り、1つ1つうなずきながら話を聞いてくれた。
一緒に行った役員が補足説明をし、約束の1時間が過ぎた。
「ここは、東京都の施設です。
都民のものですから、東京都規模の学芸会のような使われ方は、
理にかなっていると思います。
是非、使えるように、上の者とも相談し、
後日回答させてもらいます。」
現実味のある反応に、うかれた。
東京都児童会館よりもずっとずっと新しい。
その上ネームバリューもある会場だった。
新たなステータス・シンボルとして、期待が膨らんだ。
いい返事がくると信じた。
あのステージで、両手を広げ、
胸を張って演じる子どもの姿を思い浮かべた。
ところがだった。
使用申請には問題はない。
ただし、同日に他団体からも
使用申請があった場合には抽選になる。
だから使用できない場合がある。
優先使用は適用できないと言うのだ。
さらに、使用経費の特典は一部だけで、
照明機材の使用料等は対象にならない。
他にも、様々な制約が知らされた。
全ては、条例がらみのことで、
それが足かせなのだとのことだった。
「私たちも、是非お使い頂きたいと思って、
検討を重ね、頑張ってみたんですが・・。」
担当者の無念そうな声が、受話器に残った。
膨らんでいたものが、一気に消えた。
希望が、天から地に落ちた。
それでも、懲りずに次に挑戦する一手を考えた。
都が運営する会場は、諦めた。
ならば、民間の劇団がもつ劇場に照準を合わせた。
某劇団が所有する複数の劇場の1つを、
勝手に候補に上げた。
くり返す、「ダメでもともと」なのだ。
小さな可能性に期待し、
心落ち着けて受話器を握った。
電話にでたその劇団の担当者に、
依頼内容を伝え、面会を申し込んだ。
事務的に、検討し後日回答する旨の返事だった。
数日を経て、電話があった。
先日の担当者より上の立場の方からだった。
丁寧な言葉遣いが印象に残った。
「劇場使用のご依頼の件で、
会ってお話をしたいと伺いました。
私どもも学芸会について、
話し合いの場を希望しておりました。
是非、よろしくお願いします。
お待ちしております。」
予想以上の好反応に心が高ぶった。
その劇団は、劇場がある近隣小学校を無料で観劇に招待した。
子ども達へのそんな厚意を示す劇団である。
好条件での使用が、現実になるのではないか。
そんな思いを勝手に描いた。
そして、いよいよ劇団の応接室にお邪魔した。
私も役員たちも明るい表情で、
複数の劇団スタッフの方と挨拶を交わした。
高価な茶菓が用意され、手ぶらでの訪問を恥じた。
私から切り出した劇場使用の依頼について、
熱心に耳を傾けてくれた。
しかし、回答は簡潔だった。
「ご依頼はよくわかりました。
ですが、私どもの劇場は、今までも今後も、
他の劇団や団体の使用を認めることはありません。
劇団の専用劇場としてのみありますので・・。」
丁寧に頭まで下げられた。
その明快さに言葉がなかった。
「わかりました。」
それ以外、誰も何も言えなかった。
若干の間があった。
そして、劇団スタッフは切り出した。
「私どもが皆さんにお会いしたかったのは、
お願いがあってのことでございます。」
一言ひとこと、言葉を選んでの話し方だった。
私は、次第に重たい気持ちになった。
劇団は、数多くのミュージカルを公演していた。
子どもにも大人にも、人気あるものが多かった。
確かにそれらのミュージカルをベースにしたものを、
子ども達が演じていた。
それは都連合学芸会の舞台でも各学校でもしばしばあった。
「私どものミュージカルの著作権は、私どもの劇団にあります。
学校であっても、それを尊重しなければいけないのではないでしょうか。」
性急に対応してほしいと言った態度ではなかった。
研究会でも、改善策を考えて欲しいと言うのだ。
意気揚々向かった場だった。
しかし、帰り道は誰一人、言葉を交わさなかった。
会場探しが、それ以上の難しい課題に直面したのだ。
応接室を後にした時、すでに退勤時間が過ぎていた。
役員の1人が言った。
「いっぱい飲もうか。」
しかし、誰も賛同せず、そのまま散会となった。
大きくなってきたイガグリ
※次回のブログ更新予定は 9月7日(土)です
発足から60年の節目を迎えた。
来年3月に、現職やOB、関係者などが一同に会し、
都内で『60周年記念祝賀会』を計画していると、
知らせが届いた。
大変嬉しく思うと同時に、当時の思い出が蘇った
私は、平成17.18年度、この研究会の会長を務めた。
会長に就いてから最大の悩み事は、
『東京都小学校連合学芸会』の会場探しだった。
この『都連合学芸会』は、確か今年で55回になる。
東京都教育委員会の後援を頂き、
東京都小学校児童文化研究会が主催してきた。
当時は、2日間にわたって行っていた。
都内の各地から名乗りを上げた小学校が、劇を発表し合った。
学芸会は校内で行うのが常だ。
ところが、普段は全く交流のない子ども同士が集まり、
演技を披露し合う。
それは、貴重な経験として、
それぞれの子どもの財産となるのだ。
さて、この学芸会の会場の件である。
長年にわたり渋谷区にあった「東京都児童会館」が使われてきた。
ここの1階には立派なホールがあった。
本格的な広いステージがあり、舞台装置や照明も整っており、
技術スタッフも常駐していた。
学校の体育館での学芸会とは違い、本格的な演劇環境なのだ。
「この舞台で、演じさせたい。」
若い頃、私も何度かチャレンジを試みた。
しかし、区内の連合学芸会での推薦が得られず、
断念をくり返した。
つまり、子ども達と一緒に取り組む学芸会の、
素晴らしさを知る教師にとって、
『東京都小学校連合学芸会』が行われる「東京都児童会館」の舞台は、
一度は子ども達と一緒に行きたい場所だった。
ところが、この会館の老朽化が進んだ。
数年後の閉館が、確かな情報として伝わってきた。
「都連合学芸会の継続、そのために別の会場を探す。」
それは、会長をはじめ役員の大きな課題になった。
演劇環境の整ったステージと、千席規模のホール。
都内各地からの交通の利便性、そして使用経費が条件だった。
「東京都児童会館」と同様の会場はなかなか見つからなかった。
会長としての2年間、奔走した会場探しだ。
その日々から落胆を重ねたエピソードを記す。
それは、無謀な挑戦とも言えた。
しかし、「ダメでもともと」だ。
そんな覚悟で、真っ先に電話したのは、
東京都が保有する立派な劇場だった。
オーケストラの演奏会が行われる大ホールと、
ピアノ演奏などの小ホールがあった。
私は、その小ホールにねらいをつけた。
都が運営していた。
経費での特典も期待できた。
電話口に出た担当者は、
「会ってお話を伺います。」
と、言ってくれた。
数日後、役員数人とその事務室に出向いた。
都連合学芸会の意義、歴史、規模、
子ども達や保護者の声、そして予算等をありのままに、
私は、熱く語った。
そして、
「全都の子ども達が目指す学芸会の新しい場所、
目標の舞台をここにしたい。
この劇場は、うってつけなんです。」
と、結んだ。
応対してくれた職員は、2人とも私より一回りは若かった。
メモを取り、1つ1つうなずきながら話を聞いてくれた。
一緒に行った役員が補足説明をし、約束の1時間が過ぎた。
「ここは、東京都の施設です。
都民のものですから、東京都規模の学芸会のような使われ方は、
理にかなっていると思います。
是非、使えるように、上の者とも相談し、
後日回答させてもらいます。」
現実味のある反応に、うかれた。
東京都児童会館よりもずっとずっと新しい。
その上ネームバリューもある会場だった。
新たなステータス・シンボルとして、期待が膨らんだ。
いい返事がくると信じた。
あのステージで、両手を広げ、
胸を張って演じる子どもの姿を思い浮かべた。
ところがだった。
使用申請には問題はない。
ただし、同日に他団体からも
使用申請があった場合には抽選になる。
だから使用できない場合がある。
優先使用は適用できないと言うのだ。
さらに、使用経費の特典は一部だけで、
照明機材の使用料等は対象にならない。
他にも、様々な制約が知らされた。
全ては、条例がらみのことで、
それが足かせなのだとのことだった。
「私たちも、是非お使い頂きたいと思って、
検討を重ね、頑張ってみたんですが・・。」
担当者の無念そうな声が、受話器に残った。
膨らんでいたものが、一気に消えた。
希望が、天から地に落ちた。
それでも、懲りずに次に挑戦する一手を考えた。
都が運営する会場は、諦めた。
ならば、民間の劇団がもつ劇場に照準を合わせた。
某劇団が所有する複数の劇場の1つを、
勝手に候補に上げた。
くり返す、「ダメでもともと」なのだ。
小さな可能性に期待し、
心落ち着けて受話器を握った。
電話にでたその劇団の担当者に、
依頼内容を伝え、面会を申し込んだ。
事務的に、検討し後日回答する旨の返事だった。
数日を経て、電話があった。
先日の担当者より上の立場の方からだった。
丁寧な言葉遣いが印象に残った。
「劇場使用のご依頼の件で、
会ってお話をしたいと伺いました。
私どもも学芸会について、
話し合いの場を希望しておりました。
是非、よろしくお願いします。
お待ちしております。」
予想以上の好反応に心が高ぶった。
その劇団は、劇場がある近隣小学校を無料で観劇に招待した。
子ども達へのそんな厚意を示す劇団である。
好条件での使用が、現実になるのではないか。
そんな思いを勝手に描いた。
そして、いよいよ劇団の応接室にお邪魔した。
私も役員たちも明るい表情で、
複数の劇団スタッフの方と挨拶を交わした。
高価な茶菓が用意され、手ぶらでの訪問を恥じた。
私から切り出した劇場使用の依頼について、
熱心に耳を傾けてくれた。
しかし、回答は簡潔だった。
「ご依頼はよくわかりました。
ですが、私どもの劇場は、今までも今後も、
他の劇団や団体の使用を認めることはありません。
劇団の専用劇場としてのみありますので・・。」
丁寧に頭まで下げられた。
その明快さに言葉がなかった。
「わかりました。」
それ以外、誰も何も言えなかった。
若干の間があった。
そして、劇団スタッフは切り出した。
「私どもが皆さんにお会いしたかったのは、
お願いがあってのことでございます。」
一言ひとこと、言葉を選んでの話し方だった。
私は、次第に重たい気持ちになった。
劇団は、数多くのミュージカルを公演していた。
子どもにも大人にも、人気あるものが多かった。
確かにそれらのミュージカルをベースにしたものを、
子ども達が演じていた。
それは都連合学芸会の舞台でも各学校でもしばしばあった。
「私どものミュージカルの著作権は、私どもの劇団にあります。
学校であっても、それを尊重しなければいけないのではないでしょうか。」
性急に対応してほしいと言った態度ではなかった。
研究会でも、改善策を考えて欲しいと言うのだ。
意気揚々向かった場だった。
しかし、帰り道は誰一人、言葉を交わさなかった。
会場探しが、それ以上の難しい課題に直面したのだ。
応接室を後にした時、すでに退勤時間が過ぎていた。
役員の1人が言った。
「いっぱい飲もうか。」
しかし、誰も賛同せず、そのまま散会となった。
大きくなってきたイガグリ
※次回のブログ更新予定は 9月7日(土)です