座右の銘までではないにしろ、
人それぞれ、その人を支えている言葉があるように思う。
私も幸い沢山の言葉に出会い、励まされ、導かれてきた。
その一つを紹介したい。
教職について3,4年が過ぎた頃だったと記憶している。
理科好きの後輩教員が研究授業をした。
その研究協議会の席で、講師の先生から教えて頂いた言葉である。
誰もが知っているのだろうが、
不勉強な私は、その時初めて学んだ言葉だった。
先生は、黒板に大きく『昇華』と書いた。
私はその字が読めなかった。
しかし、ドライアイスやしょうのうのように、
液体を通らずに、固体から気体、気体から固体になる現象を言うと知った。
「自然界では、まれにこういうことがある。」とのこと。
そして、理科教育に精通した先生が、
「文学の世界でもよく描かれている。」
と、付け加えた。
私は、
「人生において、もしもそんなことがあるのなら。」
と、その字をノートに書き留め、
その後の講評など全く耳に入らず、
一人、心の高ぶりを抑えるのに必死だった。
私は、幼少の頃から自分の人生を『後列の人生』と思っていた。
家は貧しく、しかも私は心も体も非力だった。
だから、どんな時も列の前に出ることはなく、
いつもみんなの後ろを歩いていた。
しかも、懸命に差がつかないように頑張って頑張ってであった。
それは教職に就いてからも同じで、
表向きは元気で明るくほがらかを装いながらも、
しかし、先生方にはいつもかなわないと思っていた。
確かに私はそれでいいと思っていた節がある。
ところが、『昇華』と出会った。
この言葉は、私に夢をくれた。
「もしかしたら、私だって、いつか何かで、液体を通らず気体になるのではないか。」
「まだ気づかない私自身の何かが『昇華』するかも。」
「信じよう。」
そう思えた時、
私は今までとは違う新しい一歩を踏み出していた。
今はもう、その言葉とは無縁なように思うが、
その言葉が私を力づけ、
その後の私を、
時には全力で日々かけぬけさせたのだった。
「だて歴史の杜公園」でみつけたカモの親子
人それぞれ、その人を支えている言葉があるように思う。
私も幸い沢山の言葉に出会い、励まされ、導かれてきた。
その一つを紹介したい。
教職について3,4年が過ぎた頃だったと記憶している。
理科好きの後輩教員が研究授業をした。
その研究協議会の席で、講師の先生から教えて頂いた言葉である。
誰もが知っているのだろうが、
不勉強な私は、その時初めて学んだ言葉だった。
先生は、黒板に大きく『昇華』と書いた。
私はその字が読めなかった。
しかし、ドライアイスやしょうのうのように、
液体を通らずに、固体から気体、気体から固体になる現象を言うと知った。
「自然界では、まれにこういうことがある。」とのこと。
そして、理科教育に精通した先生が、
「文学の世界でもよく描かれている。」
と、付け加えた。
私は、
「人生において、もしもそんなことがあるのなら。」
と、その字をノートに書き留め、
その後の講評など全く耳に入らず、
一人、心の高ぶりを抑えるのに必死だった。
私は、幼少の頃から自分の人生を『後列の人生』と思っていた。
家は貧しく、しかも私は心も体も非力だった。
だから、どんな時も列の前に出ることはなく、
いつもみんなの後ろを歩いていた。
しかも、懸命に差がつかないように頑張って頑張ってであった。
それは教職に就いてからも同じで、
表向きは元気で明るくほがらかを装いながらも、
しかし、先生方にはいつもかなわないと思っていた。
確かに私はそれでいいと思っていた節がある。
ところが、『昇華』と出会った。
この言葉は、私に夢をくれた。
「もしかしたら、私だって、いつか何かで、液体を通らず気体になるのではないか。」
「まだ気づかない私自身の何かが『昇華』するかも。」
「信じよう。」
そう思えた時、
私は今までとは違う新しい一歩を踏み出していた。
今はもう、その言葉とは無縁なように思うが、
その言葉が私を力づけ、
その後の私を、
時には全力で日々かけぬけさせたのだった。
「だて歴史の杜公園」でみつけたカモの親子