ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

スケッチ  ~ ‘23 夏

2023-07-29 11:51:52 | 北の大地
 夏休みを待って、
藤沢市で暮らす孫が二男と一緒にやって来た。
 コロナ前以来だから、4年ぶりになる。
なんと、幼稚園の年中組が小学3年に・・・。

 今回は、往復新幹線と特急で、
片道7時間をかけての旅。
 4泊5日を一緒に過ごした。

 北の大地は、これからが夏本番。
だが、私の「‘23 夏」は、この5日間で十分なくらいだ。

 ① 午後3時、伊達紋別駅で迎える。
疲れなど感じさせない笑顔で現れた。
 それだけで、私は満足。
「もう、メロメロ!」。

 自宅に着くと待っていたのは、
ようやく旬を迎えたトウモロコシだ。

 茹でたばかりが、皿に載ってテーブルへ。
「今朝、伊達の畑でもいだばかりのトウキビだよ。
 きっと美味しいよ。
食べてこらん」。

 家内が勧めると、まだまだ遠慮がちな孫だったが、
「な~に?」と声に出し、不思議な顔。

 私たちもついに道民になってしまった。
「トウキビじゃなかったね。
 トウモロコシだったね」。
慌てて言い直す。

 今日から5日間、
決して「ゴミ、投げて!」なんて言わないよう、
気をつけなくちゃ。

 ② 2日目の朝、 
いつもならまだ目覚めない5時前のこと、
2階ベッドで寝た孫が、階段を降りてくる足音がした。

 私たちの寝室の扉をそっと開け、
「ジイジ、まだ寝てる?」。
 「ウン! でも今、目が覚めた。
一緒に寝るかい? おいで」。

 遠慮なんて、もうない。
私の横にスルスルと入り込み、モゾモゾと足を伸ばす。
 しばらくは、どうでもいいような質問に、
寝ぼけながら付き合う。
 そして、枕元の目覚まし時計が鳴る。
 
 私は、手の届くところに常備してある体温計を取る。
ピッピーと鳴って測定を終える。
 「僕も計る。いつも計ってるから」。
「毎朝、ピッピーって鳴るまで」。
 「ウン。そうだよ!」。

 測定の終了音がなるまで、訳もなく嬉しかった。
コロナで始めた朝の検温習慣だ。
 コロナが収束してもずっと続けたいと思った。

 ③ 2人の息子が小学生だった頃、
夏休みになると、決まって千葉から北海道にいる両親の元に帰省した。
 帰省するたびに、色々な観光地を回った。
二男は、クマ牧場が好きで、よくリクエストされた。

 なので、今回も洞爺湖へ行く途中で、昭和新山のクマ牧場へ立ち寄った。
二男は、「寄らなくてもいいのに」と恐縮しきりだったが、
彼と一緒の孫がどう反応するか、そこに興味があった。

 注釈する。
クマ牧場では、熊がしきりに餌をおねだりする姿が見られる。
 見物客は、高い檻の上から買い求めたクッキーのような丸い餌を、
熊に向かって投げ入れるのだ。
 私は以前から、熊のその姿があまり好きではなかった。
しかし、小さい頃の二男は違った。

 そして、今回、同じ年恰好のわが子の手を引いて、
二男は10数頭の大きな熊がいる広い檻の上に立った。

 わが子の前で、買い求めた餌を投げて見せた。
孫は、後足で立ち前足を合わせて餌をねだる熊を見て、
目を丸くした。

 そこから先は、小学生だった頃の二男と同じ。
自販機で買った餌がなくなると、もう一袋もう一袋と買い求め、
これが最後と私が言うまで、熊のおねだりに応じた。

 クマ牧場を去る車の中、2人は「楽しかった」をくり返した。
ハンドルを握りながら私は、相性のいい親子に微笑んでいた。

 ④ 2年前の誕生日プレゼントは、本人からリクエストで、
青のナップザックだった。
 そのザックを背負い、孫はやってきた。
そして、どこへ行くにもそれを忘れなかった。

 中には、ポケモンカードと対戦グッズが入っていた。
私には、トレカ専門店で何枚かのカードをねだる計画を立てていた。
 それと一緒に、私にポケモンカードを使ったゲームの
対戦相手になってもらうつもりだった。

 「ジイジは何でもできるから、すぐにこのゲームも覚えられる。
だから、僕と対戦しよう」。
 孫は、そう言いながら、私に何度もゲームを教えた。
私も期待に応えようとテーブルをはさみ、孫のレクチャーを熱心に受けた。
 しかし、多様なカードと小文字の解説についていけなかった。
ついに孫は私に失望した。
 暑くもないのにタオルで、私は頭の汗を何度も拭いた。 

 ⑤ 4日目、お墓参りの後、釣り堀園まで足を伸ばした。
倶多楽湖を水源とする湧水『カムイワッカ』が、
勢いよく流れる小川のところどころに、池を配した釣り堀だった。

 白樺の木立に囲まれ、北海道ならではのシチュエーション。
見上げた空は確かに夏の日差し。
 でも木々を抜ける風が心地いい。
思わず深呼吸をしてみる。
 孫も真似て、両手を広げる。
感想を聞くまでもないと、竹竿をぶらさげて池へ行く。

 釣りエサを渡された時、店の方から
「1時間以内に終わってください。
釣った魚はすぐに調理します。
 釣りすぎないよう、食べられるだけにしてくださいね」。 

 言うとおりだった。
15分程度、あっという間に、
15センチのものが3匹、30センチ以上の大物が1匹、
孫と私でつり上げた。
 これ以上は、食べきれなくなる。

 そして、湧水が流れる水音を聞きながら周りを散策し、
ニジマスの唐揚げとお刺身を待った。

 木立の中に建つ東屋で、テーブルを囲んだ。
「美味しいね。釣ったばかりだからだね」。
 そう解説する私の隣で、唐揚げにかじりつきながら孫は、
「こんな場所だから、美味しいんじゃない」。




    「ベビー マロン!」「・・?」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「学校の怪談!」 2話

2023-07-15 10:28:43 | あの頃
 夕食後のくつろいだ時間、
お茶の湯飲みを片手にし、もう一方にリモコンを持ち、
面白そうなテレビ番組を探していた。
 すると、「学校の怪談」が話題のバラエティーが映った。
それを、ボーッと見ながら、
似たような学校での体験を思い出した。
 

 小学5、6年の担任は、
大学を出たばかりの男の先生だった。

 近くでアパート暮らしをしていた。
休みの日に、友達何人かで突撃訪問した。
 「よく来た。よく来た」と、
敷いたままの布団をたたんで、
私たちを部屋に入れてくれた。

 そんな気さくな先生が、
宿直当番の日に、男子数人を夜の学校へ招いてくれた。
 
 暗くなるまで、校庭で野球をした。
その後、学校のお風呂に入れてもらった。
 夕食は、『小遣いさん』が用意してくれたことを、
鮮明に思い出した。

 宿直室という和室の部屋で、
ワイワイガヤガヤと時間を過ごした。
 その時、「学校の怪談」が話題になった。

 校舎は鉄筋コンクリートの3階建てだった。
3階の一番遠い所にトイレがあった。
 「そこに幽霊が出る」と、
子ども同士で言い合っていた。

 それを聞いた先生が、
「本当に幽霊が出るかどうか、見に行ってこいよ」
と、言い出した。
 話し合いの結果、
2人1組で順番に3階の角にあるトイレまで、
幽霊がいるかどうか、見に行くことになった。

 私はSちゃんと2人で、最後に出発することになった。
暗い廊下を、懐中電灯1つで進んだ。
 恐くて、足がなかなか進まなかった。

 まだ半分も行ってない時、
Sちゃんが小声で言った。
 「行ったことにしない?
・・・ここにいて、しばらくしたら戻ろう!」。
 Sちゃんの足は、ガクガク震えていた。
私は救われた。
 すぐに答えた。
「ウン! そうしよう!」。
 
 暗やみで、しばらくの時間を耐えてから、
ゆっくりみんながいる宿直室へ戻った。
 「幽霊、いなかったよ」。
2人一緒に口をそろえて言った。

 その後、暗い廊下やトイレの中の様子を、
報告し合った。
 私もSちゃんも口裏を合わせることに、
必死になった。
 背中にいっぱい汗をかいた。

 思い出すだけで、今も少し心が痛む。


 校長として勤務したS区は、
昭和20年3月10日の『東京大空襲』で多くの犠牲者を出した。

 私が赴任した小学校の周りにも、
沢山の焼夷弾が降った。
 逃げる人々が校舎内や校庭の防空壕へ避難した。
しかし、校舎も防空壕もB29爆撃機の攻撃で焼かれた。
 多くの方が折り重なるようにして亡くなった。
 
 戦後、同じ場所に校舎は再建されたが、
私が赴任する数年前まで、児童が利用する正面玄関の床には、
人が焼け死んだ黒い焦げ跡が残っていたと言う。

 そんな無念な最期をとげた方々には、
大変失礼な話だが、許してほしい。

 そんな歴史がある学校である。
大空襲の犠牲者にまつわる「学校の怪談」が、
いろいろとささやかれ続けてきた。

 校長の私は、そんな話にまったく耳をかさなかったが、
それでもなんとはなく耳に入った。

 その1つが、心霊スポットであった。
校舎1階の廊下の角を曲がった辺りがそれだと言う。

 その角は、別棟の物置へ行く扉があり、
施錠を解くと、外へ出られた。

 その頃、校舎内での喫煙が禁止になった。
その扉から外に出た物置の横だけが、喫煙所になった。
 愛煙家は、わざわざそこでたばこを吸った。

 まだ私もたばこを止められずにいた。
1日に数回、その喫煙所まで行っては煙をはいた。

 それは、夏の蒸し暑い日だった。
遅くまで仕事に追われた。
 帰り道での歩きたばこは止めようと、喫煙所へ向かった。

 学校には警備員さんだけで、もう誰も残ってなかった。
薄暗い廊下だった。
 歩きながら、心霊スポットを思い出した。
決して信じていた訳ではない。
 なのに、突然冷たい空気を全身で感じた。
鳥肌になった。

 そんな馬鹿なと思いつつ、
廊下の角の扉から外へ出て、
物置横でたばこをくわえた。

 その時だった。
閉めたはずの扉が、バタンと音をたて閉まった。
 瞬間、薄暗い先の扉をパッと見た。
人影などあるはずもなかった。
 静かだった。 

 急に恐くなった。
でも、「そんな馬鹿な!」と心を落ち着け、たばこを吸った。
 風もない。
他に残っている人もいない。
 なのになぜ扉の閉まる音が・・・。
ドキドキ、ドキドキが止まらない。

 まだたばこは半分も残っていたが、
もみ消した。
 恐る恐る扉に近づき、ノブを回して廊下へ戻った。
しっかりと施錠し、校長室へ向かった。
 また、一瞬冷たい空気が全身を通り過ぎた。
鳥肌がたった。
 
 まさかまさかと思いつつ、学校を後にした。
駅までの道は明るく、人々が行き交っていた。
 やっとドキドキを忘れた。

 この体験は、今日まで封印してきた。
きっと私の思い過ごしと、今も信じている。
 



      アジサイは 夏の花
                   ※次回のブログ更新予定は7月29日(土)です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高齢になっても 「頑張る!」人 

2023-07-08 10:34:22 | 素晴らしい人
 ▼ このブログによく登場するわが兄だが、
年齢は10歳も離れている。
 中学卒業後、父がしていた魚の行商の手伝いから始まり、
やがては手広く鮮魚店を経営するまでになる。
 その後、現在の居酒屋風の魚料理専門店を始めたが、
その店も今では代替わりをし、同居する息子に譲った。

 しかし、鮮魚への目利きは確かで、
息子は、足下にも及ばない。
 だから、毎日、早朝の魚市場に行く。
その日の仕入れの全ては、今も兄の役目なのだ。

 店に戻ると、息子と一緒に仕入れた魚をさばき、
その日の店のメニューにする。
 ランチの時間に間に合わせると、
兄の仕事は一端、終わる。

 自宅に戻り、体を休めたり、
雑用をしたりして日中を過ごす。
 そして、夕方の開店に合わせ、
再び店の厨房に立つ。
 その日の宴席予約や、
客の注文にすぐに応じられるよう準備する。

 夜の店は、開店から2時間余りが最も忙しい。
兄はその時間だけ、刺身を造ったり接客したりし、
客の求めに応じ動き回る。

 私は、年に数回、兄がいる時間帯を狙って、
店を訪ね、夕食を注文する。
 店内の賑わいの中を、明るい表情で小まめに動き、
店主の息子やパートさんと一緒に、客の声に応じる兄を見る。
 
 その頑張る姿に、弟の私はいつも脱帽するのだ。
兄は言う。
 「俺からこの仕事がなくなったら、
やることが何も無くなるべ。体が動くうちはやっていたいんだ」。
 ただただ私は恥ずかしい気持ちになってしまう。

 ▼ 市内の自治会長が集まる会議が2種類ある。
1つは、全市の会長が集まる「市連合自治会長会」だ。
 もう1つは、市内を幾つかの地域に分けた会長会である。
私の地域は14の自治会で構成する「T区連合自治会」である。

 そのT区の自治会長会があった。
昨年度までの連合自治会長が退任され、
新会長になった。
 会議の冒頭、新会長が挨拶に立った。

 静かな口調でお話しされた。
自己紹介のくだりが、心に残った。
 彼は、今年80歳になった。
前会長より新会長を打診され、その重責を考えると迷ったと言う。
 しかし、長年にわたる前会長のご苦労を思い、
お引き受けしたらしい。
 
 そして、彼は、
「自分の自治会の会長を引き受けて、5年になります。
まだ健康なので、皆さんのお力を借りながら頑張りたいと思います」。

 聞きながら、ふと思った。
彼が自治会長になったのは、今の私と同じ75歳の時だ。
 それから5年後、
彼は「T区連合自治会長」の任に着いたのだ。

 自治会長の任に限らず、
今の私は、時々『億劫』という2文字と戦っている。
 どんな切っ掛けでもいい。
どんな声かけでもいい。
 私の背中を押してもりたい。
そう思うことがなんと多くなったことか。

 そんな私の5年先は明らかだ。
どんな使命感も投げ捨て、
『億劫』と妥協した日々を送っているに違いない。
 どう思い直しても、新連合会長のような80歳にはなれそうもない。

 ▼ 確か、コロナ禍の2年前だったと思う。
退職後、写真撮影を趣味にしていると言う大学時代の友人が訪ねてきた。
 住まいは我が家から車で3時間半余りの所だが、
その時は、途中で2、3泊しながらビュースポットにレンズを向けながらの旅だった。
 伊達には2時間ほど滞在し、眺めのいいところを案内した。
途中下車しては、しきりにシャッターを切っていた。

 帰り際、彼は、
「今度は一緒にパークゴルフができるように、
ゆったりと時間をつくって来るわ」と言った。
 しかし、コロナで足止めに。

 今年4月、突然メールが届いた。
洞爺湖温泉に一泊するので、翌日パークをしようと言うものだった。
 彼は、家内にとっても友達だった。
遠慮はいらない。
 我が家に宿泊するよう勧めた。

 2ヶ月後、色々な所に立ち寄りながら、
午後4時過ぎ彼はやって来た。
 挨拶もそこそこ、開口一番
「いつかやろうと後回しにするのは、
そろそろ後悔につながるから、
先送りしないことにしたんだ。
 だから、2人とのパークも、
コロナが開けたらすぐにと思って来たんだ」。

 「そうだね。誰かに教えてもらったけど、
やれることは今のうち、今のうちにできることを、だね!」
と、応じた。

 その後、いつもより遅い時間まで、
思い出話が続いた。

 翌朝、朝食の支度を家内に任せ、
2人で散歩に出た。
 道々、彼は今の暮らしぶりについて話しだした。

 彼には、3人の娘さんがいた。
末の娘さんは、父と同じ教職の道に進んだ。
 結婚をし、彼の家から数軒先に居を構えた。

 現在は、保育園に通う男の子が2人、
しかも年子がいると言う。
 「学校が忙しい上に、年の近い2人の子育てでしょう。
よく助けを求め、2人の孫をつれて来るんだ」。

 そう話している矢先だった。
彼にLINEメールが届いた。

 「丁度その娘からのメールだよ。
今日から2泊3日で5年生をつれて宿泊学習なんだ。
 だから、2人のこと頼みます。
気をつけて早く帰ってきてね、だって」。

 彼は、笑顔でつけ加えた。
「手のかかる孫だけど、かわいいんだ。
娘と2人の孫のため、子育てがひと段落つくまで、
後10年は元気で頑張ろうと思ってるんだ」。

 「10年先・・・まで。
すると85歳か!」
 彼はそこまで視野に入れている。
「すごい!」。
 散歩の足が止まりかけた。

 一緒にパークゴルフをしながらも、
彼の意気込みが脳裏から離れない。
 やけに後ろ姿が、まぶしかった。

  
 

    ビート畑 先は麦畑
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

D I A R Y 6月

2023-07-01 12:46:13 | つぶやき
  6月 某日 ①
 朝食の準備前に家内はノートパソコンへ向かう。
週1回コーラスサークルで使用する会場を予約するためだ。

 以前は、1日に会場受付まで出向き、予約するシステムだったが、
今は、WEB予約に変わった。
 その環境があり操作ができる家内に、役割がまわってきた。

 予約できないと別の会場の当てがない。
少しでも早く予約しなくてはならない。
 
 月初めの朝、私は無事予約が済むよう、
少しだけ気にかけながら、洗面台に立つ。
 しばらくして、予約完了を知らせる返信メールの着信音が鳴る。
私までホッとする。

  6月 某日 ②
 50回目の結婚記念日だった。
世間では金婚式と言うらしいが、
息子2人は全く興味も関心もないらしい。
 LINEメールすら来ない。
想定内のことだ。

 夜は、イタリアンレストランを予約してあった。
白ワインで乾杯し、2人だけでお祝い。
 学生時代に知り合ってからの長い長い付き合いである。
どっちが先に逝くかは分からないが、
後10年は健康で過ごせたらいいと願う。

 さてさてどうなることか、先々のことは分からない。
だからこそ、今を大事に過ごしたい。
 家内には、そう伝えた。

 コース料理で出された「桜エビとアスパラのペペロンチーノ」と、
「マルゲリータピザ」が美味しかった。
 でも、前菜からデザートまで完食するのが大変。
2人とも「満腹!」以上。
 そろそろ高齢者用コースと言うメニューがあってほしい・・。
   
  6月 某日 ③  
 5月に自治会長名で市役所に、3つの要望書を提出した。
そのうちの2つは、地域内の舗装道路に関するもので、
センターラインの再塗装と経年劣化による陥没などの路面補修が主な内容だった。
 その要望箇所について市役所の担当課職員が調査に来た。

 約束の時間に、3名で市の車を自宅前に横付けした。
当初はこちらも3名が調査に同行する予定だったが、
あの人にもこの人にもと声をかけたりして5名になった。
 計8名で2時間余りをかけ、地域内の道路を歩き回った。

 現職の頃、学校施設の現地調査と言うのがあった。
校長時代の私は、教育委員会の職員に同行し、
校舎や敷地内をくまなく見て回り、修繕の必要箇所を確認した。
 その時、修繕の重要性や緊急性についての職員の認識が、
その後の計画に大きく影響した。

 その経験を行かし、私は市の職員が道路の実際を見て、
危険性や緊急性に少しでも多くの箇所で気づくようにと心がけ、
声かけしようとした。
   
 しかし、同行したメンバーは違った。
歩く先々で、道路の不備、劣化、凹凸などを次々と遠慮なく指摘した。
 「ここも直してほしい」「ここは年々凹みがひどくなる」
「あっちもひどいがここもひどい」と、職員に言う。
 職員は防戦一方になった。
表情は曇るばかりだった。
 途中からは、苦情を聞きながら無言で歩き回るだけに。

 「道路状況がよく分かった。
それじゃ、最初にあの道とここの道の路面修理をしよう。
 その後で、あそこの道にとりかかろう」。
道路調査を通し、職員のそんなプランニングと意欲に期待した。
 しかし、3人の思いは大きくかけ離れたもののように思えた。

 だから、別れ際にそっと伝えた。
「いろいろと勝手な思いで、勝手な注文を言いました。
 すみません。
皆さんが現状を見て、感じたことが一番ですから、
どうぞ、 その判断でできるところからよろしくお願いします」。
 「わかりました」と応じた職員の表情が、
少しだけ明るくなった気がした。

  6月 某日 ④ 
 グリーン回りのアプローチショットが思うようにできない。
それが原因で、スコアーもよくない。

 近所に鳥かごのような小さなゴルフ練習場がある。
早起きして、1人でショートアイアンだけを持って、
練習に行ったこともあった。
 しかし、調子は戻らず、思うようにボールは飛ばなかった。

 不調のまま、コースに行く。
やはりグリーン回りでトラブルをくり返す。

 このままじゃ益々自信を失うばかりだ。
家内に同行を頼み、
今朝、早起きして再び鳥かごのような練習場へ行く。

 何度打ってもボールが思うように上がらない。  
いらいらして打つと、遂にはシャンクして斜めに飛んでいった。
 家内が横でクラブを振る。
狙ったところにボールが飛んでいく。
 特段、私のスイングとちがうところはない。

 若干、投げやりになり、右手だけでクラブを握り、
ボールを打った。
 ビックリした。
イメージしていた軌道をえがいて、ボールが飛んでいった。
 まさかと、もう一度右手だけで・・・、同じように飛ぶ。

 「右手だけで打つ感じで、振るといいかも」。
家内からもアドバイスが。

 不調の原因が分かった。
左手が強すぎたのだ。
 もっと右手を使って、スイングすればいいのだ。
そのことに気をつけて、打ってみた。
 「見違えた! 見違えた!」。

  6月 某日 ⑤
 2日前に、市役所から電話があった。
私の自治会を対象に、新しい取り組みを始めるという。
 事前に会長に、その内容を知らせたいと言う趣旨だった。

 自宅へ訪問するとのことだったが、
私が市役所へ伺うと申し出た。

 約束の時間に、担当課のカウンターへ行く。
会議室へ案内された。
 若い女性の担当者から説明を受けた。

 65歳以上の住民を対象に健康教室的な取り組みを行うと言う。
そのために募集案内を郵送するとか。
 もしそのことで会長さんに問い合わせがあった場合は応じてほしい。
そんな内容だった。

 健康なまま長生きすることは、
市民一人一人の願いである。
 同時に、市の医療財源上も大きな課題に違いなかった。
私は、若い担当者の説明と要望に二つ返事で応じた。

 最後に、担当者が新たな印刷物と封筒を差し出した。
「ついでで申し訳ありません。
本来なら郵送すべきですが、これは会長さんご夫妻宛の
募集案内です」。
 手にとると、私と家内宛てになっていた。

 思わず声が大きくなった。
「そっか! 当然か! 65歳以上だもんね。
私たちだって対象者なんだ」。
 そう言いながら、急に心が沈んだ。

 帰り際、背が丸まっていないかと気にしながら、
庁内を進んだ。

  6月 某日 ⑥
 庭のジューンベリーが、
赤紫色の実におおわれ始めている。
 朝と夕に30分程度、実の収穫作業を始めた。

 早々、車を止め「大変だね!」と声をかけてくれた方がいた。
「今年も、この実を採る時季がきました」と答えながら、
いつの間にか春が駆け抜けていってしまったことを、
惜しんでいた。




   ジューンベリーの実 収穫の時
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする