1昨年1月から、6回に分け、『喰わず嫌い』と題し、
『ノリの佃煮』編、『ウナギ』編、『貝』編、『イタリアン』編、
『兎鍋』編、『くだもの』編を書いた。
それぞれ苦手な食べ物にまつわる、エピソードである。
読み返してみたら、『貝』編にこんな一文があった。
「水産物の中の貝類、農産物の中のきのこ類、
ここには共通点があると勝手に解釈している。
それは、それぞれの産物が
マイナーな食品と言ったイメージなのだが、
だからと言うわけではないにしても、
1部の例外はあるものの、
私はどちらも苦手にしている食べ物である。」
そして、「今回は『貝』について記す」として、
帆立貝と北寄貝を取り上げていた。
さて、貝と共に「マイナーな食品」とした『きのこ』であるが、
その後、私は何も語ってこなかった。
つい10日程前になるが、
秋の味覚『きのこ』について、私は一歩踏み出した。
いい機会なので、「喰わず嫌い『きのこ』編」として記す。
きのこは畑ではなく、樹木に育つ。
それも老木のイメージがある。
その上、燦々とした陽光より、日陰を好むのではなかろうか。
私から見ると、暗い農産物なのだ。
どうしても大自然の恵み、
元気で健康な食べ物とは、思えない。
だから、好きになれないできたのかも・・。
しかし、この季節、店頭には山盛りのきのこが並ぶ。
椎茸をはじめ、シメジ、マイタケ、エノキ、エリンギ等々、
時には松茸も。
この時期が旬なのは、その盛大さからもよく分かる。
今までの私は、「それ程、好んで食べる物なのか。」
「そんなに、売れるのか。」と首をかしげてきた。
ところが、先日、家内の買い物につきあって、
スーパーで行った。
小さなナメコの袋づめに目がいった。
「今日の夕食は、ナメコととうふの味噌汁はどうかな?」
自分でも意外だった。そんな提案をしていた。
「えっ! いいの。きのこだよ。」
私が、きのこを苦手にしていたので、
ナメコを使った料理が、
我が家の食卓に上ることはなかった。
ましてや、私がそれを求めるなど、
まさに『あり得ない』ことだった。
家内の驚きようは別にして、
その日の夕食、ナメコの入った味噌汁は、
期待通りの美味しさだった。
実は、今年の春先からキノコ汁に、ある想いが芽生えた。
しかし、それをリクエストするには、
長年、「きのこは嫌い」と言い続けた私にとって、
大きなためらいがあった。
何かの切っ掛けがほしかったが、
時だけが過ぎていった。
そして、ついに一時の勢いで、
その日、突然の提案をしたのだ。
ついに、『きのこ』へ、一歩足を進めることができた。
その動機を書こう。
大袈裟だが、5年もさかのぼる。
伊達に来てから、ジョギングを始めた。
翌年の4月、『春一番 伊達ハーフマラソン』を知った。
その大会で、初めて5キロを完走した。
それから、10キロ、そしてハーフと距離をのばした。
毎年、なんとかゴールできた。
4月のこの大会には、参加賞の他に、
『キノコ汁』券が付いてきた。
なぜ『きのこ汁』なのか、その訳は知らないが、
ゴールしたランナーに、1杯の温かいキノコ汁が振る舞われた。
当初、私には全く興味のないものだった。
それでも、完走の嬉しさが、
つい『キノコ汁』コーナーに向かわせた。
案の定、キノコならではの味がした。
不思議なことに、喉の渇きがそれを完食させた。
「美味しかった。」
決して、そんな言葉は出てこなかった。
ところが、1年に1回の大会。
そこで振る舞われるキノコ汁だ。
ゴール後のキノコ汁に対する想いが、
次第に変わっていった。
昨年、この大会のハーフに、はじめてエントリーした。
途中から、強い風と冷たい雨に見舞われた。
それでも、完走した。
体が、温かさを求めていたのだろうか。
その後の、きのこ汁はそれまでのと違った味だった。
「ウーン! 美味しい!」
思わず、そんな言葉がもれた。
その1杯が、キノコ汁の美味しさを私に刻んだ。
ハッキリと、記憶に残った。
そして、今年の春だ。
地元・伊達で、2回目のハーフを走った。
後半、予想以上に苦しい走りになった。
ようやく走り続ける私に、沿道の声援が励みになった。
そんな時だ。
走りながら、ゴール後のあのキノコ汁が、
急に思い浮かんだ。
あの美味しさを思い出した。
「ゴールしたら・・、キノコ汁が・・」
なんと、きのこ嫌いだった私が、
気力だけで走っていた途中から、
あの味を思い出し、力にしたのだ。
「頑張ってゴールしよう。そしたら、キノコ汁・・。」
残り3キロあたりから、何度も心をよぎった。
まさに「目の前に人参を下げられた馬」である。
ゴール後、すぐに『キノコ汁』コーナーに行った。
にぎわうランナーたちをさけ、
外れのベンチでその1杯を口した。
この味だ。
「伊達ハーフマラソンを完走すると、
この美味しさが待っている。」
きのこへの想いが、はっきりと変わったのだ。
あれから半年である。
『紅葉狩り』と称して、家内とドライブにでかけた。
昼食によった食堂で、
私は、ためらいもテレもなく、
『きのこ入り天丼』を注文した。
大きな丼の上に、椎茸、マイタケ、白シメジの天ぷらが、
いっぱいのっていた。
キノコ汁だけでなく、
秋の味覚『きのこ』を十分に堪能した。
人は、美味しさに対し、こうも変わるのだろうか?
いや、喰わず嫌いだっただけかも・・。
秋の赤色 『山法師』の紅葉
『ノリの佃煮』編、『ウナギ』編、『貝』編、『イタリアン』編、
『兎鍋』編、『くだもの』編を書いた。
それぞれ苦手な食べ物にまつわる、エピソードである。
読み返してみたら、『貝』編にこんな一文があった。
「水産物の中の貝類、農産物の中のきのこ類、
ここには共通点があると勝手に解釈している。
それは、それぞれの産物が
マイナーな食品と言ったイメージなのだが、
だからと言うわけではないにしても、
1部の例外はあるものの、
私はどちらも苦手にしている食べ物である。」
そして、「今回は『貝』について記す」として、
帆立貝と北寄貝を取り上げていた。
さて、貝と共に「マイナーな食品」とした『きのこ』であるが、
その後、私は何も語ってこなかった。
つい10日程前になるが、
秋の味覚『きのこ』について、私は一歩踏み出した。
いい機会なので、「喰わず嫌い『きのこ』編」として記す。
きのこは畑ではなく、樹木に育つ。
それも老木のイメージがある。
その上、燦々とした陽光より、日陰を好むのではなかろうか。
私から見ると、暗い農産物なのだ。
どうしても大自然の恵み、
元気で健康な食べ物とは、思えない。
だから、好きになれないできたのかも・・。
しかし、この季節、店頭には山盛りのきのこが並ぶ。
椎茸をはじめ、シメジ、マイタケ、エノキ、エリンギ等々、
時には松茸も。
この時期が旬なのは、その盛大さからもよく分かる。
今までの私は、「それ程、好んで食べる物なのか。」
「そんなに、売れるのか。」と首をかしげてきた。
ところが、先日、家内の買い物につきあって、
スーパーで行った。
小さなナメコの袋づめに目がいった。
「今日の夕食は、ナメコととうふの味噌汁はどうかな?」
自分でも意外だった。そんな提案をしていた。
「えっ! いいの。きのこだよ。」
私が、きのこを苦手にしていたので、
ナメコを使った料理が、
我が家の食卓に上ることはなかった。
ましてや、私がそれを求めるなど、
まさに『あり得ない』ことだった。
家内の驚きようは別にして、
その日の夕食、ナメコの入った味噌汁は、
期待通りの美味しさだった。
実は、今年の春先からキノコ汁に、ある想いが芽生えた。
しかし、それをリクエストするには、
長年、「きのこは嫌い」と言い続けた私にとって、
大きなためらいがあった。
何かの切っ掛けがほしかったが、
時だけが過ぎていった。
そして、ついに一時の勢いで、
その日、突然の提案をしたのだ。
ついに、『きのこ』へ、一歩足を進めることができた。
その動機を書こう。
大袈裟だが、5年もさかのぼる。
伊達に来てから、ジョギングを始めた。
翌年の4月、『春一番 伊達ハーフマラソン』を知った。
その大会で、初めて5キロを完走した。
それから、10キロ、そしてハーフと距離をのばした。
毎年、なんとかゴールできた。
4月のこの大会には、参加賞の他に、
『キノコ汁』券が付いてきた。
なぜ『きのこ汁』なのか、その訳は知らないが、
ゴールしたランナーに、1杯の温かいキノコ汁が振る舞われた。
当初、私には全く興味のないものだった。
それでも、完走の嬉しさが、
つい『キノコ汁』コーナーに向かわせた。
案の定、キノコならではの味がした。
不思議なことに、喉の渇きがそれを完食させた。
「美味しかった。」
決して、そんな言葉は出てこなかった。
ところが、1年に1回の大会。
そこで振る舞われるキノコ汁だ。
ゴール後のキノコ汁に対する想いが、
次第に変わっていった。
昨年、この大会のハーフに、はじめてエントリーした。
途中から、強い風と冷たい雨に見舞われた。
それでも、完走した。
体が、温かさを求めていたのだろうか。
その後の、きのこ汁はそれまでのと違った味だった。
「ウーン! 美味しい!」
思わず、そんな言葉がもれた。
その1杯が、キノコ汁の美味しさを私に刻んだ。
ハッキリと、記憶に残った。
そして、今年の春だ。
地元・伊達で、2回目のハーフを走った。
後半、予想以上に苦しい走りになった。
ようやく走り続ける私に、沿道の声援が励みになった。
そんな時だ。
走りながら、ゴール後のあのキノコ汁が、
急に思い浮かんだ。
あの美味しさを思い出した。
「ゴールしたら・・、キノコ汁が・・」
なんと、きのこ嫌いだった私が、
気力だけで走っていた途中から、
あの味を思い出し、力にしたのだ。
「頑張ってゴールしよう。そしたら、キノコ汁・・。」
残り3キロあたりから、何度も心をよぎった。
まさに「目の前に人参を下げられた馬」である。
ゴール後、すぐに『キノコ汁』コーナーに行った。
にぎわうランナーたちをさけ、
外れのベンチでその1杯を口した。
この味だ。
「伊達ハーフマラソンを完走すると、
この美味しさが待っている。」
きのこへの想いが、はっきりと変わったのだ。
あれから半年である。
『紅葉狩り』と称して、家内とドライブにでかけた。
昼食によった食堂で、
私は、ためらいもテレもなく、
『きのこ入り天丼』を注文した。
大きな丼の上に、椎茸、マイタケ、白シメジの天ぷらが、
いっぱいのっていた。
キノコ汁だけでなく、
秋の味覚『きのこ』を十分に堪能した。
人は、美味しさに対し、こうも変わるのだろうか?
いや、喰わず嫌いだっただけかも・・。
秋の赤色 『山法師』の紅葉