ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『 高 齢 者 講 習 』デビュー ≪後≫

2022-12-31 12:03:18 | 出会い
 魚料理店をしている兄の所では、
大晦日にお刺身セットとオードブルセットの予約が、
百件も入ったと言う。

 店は、29日から昼も夜も休みだが、
その日の夕食後に電話してみると、
予約の仕込みのためまだ厨房にいた。
 「去年は、予約したお客さんを待たせてしまったから、
そんなことがないようにしないと」と笑う。
 
 兄は、若い頃からずっと、
年越しの日まで、忙しく働いてきた。
 「そろそろ引退しては・・・?」と言う私に、
「したら、俺はどうする。何もすることなくなるべ」。
 だから、きっとこれからも生涯働き続けるのだと思う。

 刺激を受けない訳がない。
老け込んでなんかいられない。
 「来年も、私らしさを探しながら、
一歩また一歩と歩みを進めていこう!」。

 さて、「『高齢者講習』デビュー」の続編である。
繰り返しになるが、
 『講習が終了する正午まで、
様々な微笑ましい言動に出会えた』。
 後編は、講習会場でのエピソードを記す。

 ① プレハブの小さな部屋には、3と3と2列に、
机と椅子の席が並んでいた。
 机には、番号があり、
受講生8人は、指定された番号の席に座った。
 私は、右の前列だった。

 全員が席に着くと、指導員がさっと前に立った。
大ベテラン風の女性だった。
 開口一番、指導員は、
「私の声が、聞き取りにくい方はいませんか。
いらっしゃいましたら、今のうちに言ってください」。
 すぐに、斜め後ろの男性が、
「少し聞きにくいワ。マスクをはずしてもらうと、
ハッキリ聞こえると思うけど」。
 一瞬、小さな笑いが起きた。

 でも、指導員は真顔で、
「マスクをはずすことはできません。
 コロナですから。
前の席に移ったら、大丈夫ですかね?」。
 「どうかな!」。

 「私の席と替わりましょうか」。
私が名乗りでた。
 席を入れ替わる時、そっと顔を見た。
おそらく5歳は年上、人の良さそうな印象だった。
 
 「いかがですか。大丈夫そうですか?」
「うん。よく聞こえる。大丈夫だ」。

 その後、認知機能検査が行われ、
採点のために10分間の休憩が告げられた。
 女性の指導員が、回答用紙を抱えて退室した。

 8人の無言の時間が流れた。
しばらくして、口火を切ったのは、
私と入れ替わった男性だった。

 「珍しいね。女の指導員なんて。
やっぱり若い女の人はいいね。
 何でもいいから、話しかけたくなるワ。
それだけで、元気になるよ」。

 女性は、定年間近に思えていた。
でも、彼の目には・・・。 
 受け止め方は人それぞれ、様々だ。
「若い・・って!」。
 私は、顔を隠して笑いをこらえた。
 
 ② その男性のひと言で、会場の雰囲気が和んだ。
すかざず、私の正面に座っていた
小さなマスクの大柄な男性(前編に登場)が、話しだした。

 「あのさ、年寄りがアクセルとブレーキを間違えて、
事故をおこしたって言うだろう。
 だけど、踏み間違いなんてするか。
俺はそんなことしない」。
 しかし、自信満々の彼に同意する声は上がらなかった。
みんなやや背を丸め、目を伏せて次の言葉を待った。

 すると彼は予想外なことを言い出した。
「だけど、今の検査、タケノコは野菜なのに、
果物の欄に書いちまったサ。
 それから、思い出せないのもいっぱいあったし・・。
運転できなくなると、困るんだよなぁ」。

 これには、後ろの席から続く者がいた。 
「俺なんか、時間を書くところも、
全然違う時間を書いたみたいで・・。
 心配で心配で・・」。

 すかさずこんな声が、
「オンナジだ。いっぱい思い出せなかった。
 けど、大丈夫だ」。
「そう、大丈夫、みんな合格するよ。
大丈夫だ。心配ないって」。
 「そうさ、何ともない」。
声と一緒に、それぞれが大きくうなずき、
励まし合った。

 私も思わず、その温かな空気感に包まれ、
何度も「大丈夫です」を小さく繰り返した。

 ③ 10分後、私たちの前に立ったあの女性指導員は、
「全員合格です」と笑顔で言った。
 誰1人その結果に納得していない顔のまま安堵していた。

 そして、バックの車庫入れがなくなった運転技能講習を受け、
最後の視力検査へ進んだ。

 再び、講習会場の席で、隣接する別室の検査順を待った。
視野検査と2種の動体視力検査があった。
 私は、無事に検査を終えホッとして、席に戻った。

 次に検査を受けた方と男の検査員のやり取りが聞こえてきた。
検査を終えた直後の私には、
そのやり取りが手に取るように分かった。

 2番目3番目は、動体視力の検査だった。
動く丸い輪の切れ目が分かったら、ブザーを押せばいいのだ。
 検査員が彼に訊く。
「見えましたか?・・・・切れ目が分かったら押してください」
 彼は、黙ったまま、無反応が続いた。
検査員は言う。
 「もう一度やりますね。切れ目が見えたら押すんですよ。
いいですね。」
 再び、静寂が・・・。

 「じゃ、次の検査に移りますね。
同じように、切れ目が見えたら押してください。
・・・見えませんか」。
 もう1度、同じことを繰り返す。
結果は同じだった。

 会場にいる全員が、黙って検査の推移に注目した。
当然、誰も助け船など出せなかった。
 じっと検査に聞き耳をたてた。
周囲と同じように、
私も次第に重たい気持ちになっていった。

 検査員は、続けた。
「年齢が進むと、視力の低下か進みます。
眼鏡も合わなくなります」。
 その通りだ。
間違っていない。
 しかし、次はちょっと心に刺さった。

 「だから、私の父は3年ごとの更新時には、
必ず新しい眼鏡にしています。
 安い眼鏡もありますから、
是非視力に合った新しいものを作ってはいかがですか。
 3年に1度のことですから」。

 別室で言われている彼が気の毒になった。
案の定、退出して戻ってきた姿が弱々しかった。
 自席に座りながら漏らしたため息が、
狭い部屋中に聞こえた。
 私たちも同時に、小さく息を吐き肩を落とした。

 講習会が終わり立ち上がった時、
あの大柄な男性が彼に近づき、何やら声をかけていた。
 きっとポンと肩を叩いたのだと思う。




    新春を待つ 伊達神社
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『 高 齢 者 講 習 』デビュー ≪前≫

2022-12-17 14:02:21 | 出会い
 75歳を過ぎたら、運転免許更新の時に、
「高齢者講習」の受講が必要になることは、知っていた。

 「まだ半年も先だが、来年4月の誕生日には免許更新だ。
丁度75歳か!」。
 指を折って数えていたら、受講案内の葉書が届いた。

 案の定『75歳以上の方の免許更新には必要』とあった。
「ついにその年齢が来たか!」。
 ハッキリと知らされ、重たい気分のまま、すぐに講習日の予約を取った。

 認知機能検査と運転技能講習、
それに視力検査を行うことは、
受講経験のあるご近所さんから、なんとなく情報が入っていた。

 しかし、どんなことでも未経験は、不安なもので、
講習の当日は、いつもより早くに目が覚めた。
 会場の自動車学校までは、車で10分もかからない。
その上、朝ランでもよく通る慣れた道だ。
 なのに、集合時間より40分も早くに家を出た。

 会場に着くと、まだ時間に余裕があるのに、
受付では、受講者の呼び出しが始まっていた。
 これも年寄りに合わせてのことかと、小さくため息した。

 4,5人が窓口前の長椅子に間を空けて、座っていた。
私の名前もすぐに呼ばれた。

 受講料と写真代で8300円を支払い、
証明用写真の撮影を済ませた。
 窓口前の長椅子で、同世代やそれ以上の方々と、
一緒に待った。 

 ここから講習が終了する正午まで、
様々な微笑ましい言動に出会えた。
 最近うつな気分だった私だが一変した。
久しぶりにハイで明るい気持ちになっていた。
 その前編として、受付窓口での場面から3つ。

 1つ目は、私が座った長椅子でのことだった。
1人分の席を空けた隣に、やや背中を丸めて座っている男性がいた。
 突然、その男性に近寄り、トントンと肩を叩いた方がいた。

 思わず首を上げた男性は、パッと明るい顔になり、
スッと立ち上がった。
 2人は向き合い、話し出した。
「30年、いや40年ぶりになるか」。
 「まだ、あそこに住んでるのか?」。
「そうだよ。変わらない。そっちは?」。
 「俺も、変わらない。ずっと同じ」。
「なんだ。そうか。ここで、逢うとは・・なあ。」。
 「いやぁ、元気そう!」。
「お互いに・・な!」。
 「でも・・・・・・」。

 私の横で、2人の立ち話は途切れることなく続いた。
時折、その2つの顔を、盗み見た。
 若い頃を思い出しているのか、思わぬ再会が嬉しかったのか、
2人のやりとりは、次第に張りのある表情に変わっていった。

 ここは、古い友人との出会いの場でもあったのか。
時には、若さを取り戻す機会になるのかも・・・。
 時々2人を見上げながら、私まで何かを取り戻していた。

 2つ目は、1人だけ集合時間に遅れて来た方のことだ。
私より一回りは年上と見えたが、
大柄で屈強そうな男性だった。

 すぐに受付の窓口へ行った。
手慣れた事務員の女性が、差し出した免許証を見て言った。
 「住所は、S町ですね」。
「そうだ。今は伊達の娘の所にいるけどね」。
 事務員は、その答えで十分だった。
だから、次に質問をしたかったようだ。

 しかし、男性は続けた。
「だけど、S町の家はそのままにしてあんだ。
 娘が心配してここに呼んでくれたんだ。
でもなぁ、もしも喧嘩したとき、
 帰る家がなかったら、困るべ。
だから、家はそのままにしてあるんだ。
 それで、いいと俺は思ってるんだ」。

 事務員は、返答に困っていた。
しかし、窓口の長椅子に座る受講者のみんなは、
じっと男性の声に聞き耳を立てていた。
 自分の境遇と比べていたよう。
私も、その1人になっていた。
 男性の気持ちが身近にあった。
どの人も、同じような想いを共有しているに違いない。
 何故か、穏やかな空気を感じた。
 
 3つ目は、同じ大柄な男性のことだ。
受付を済ませ、近くの長椅子に腰かけてすぐだ。
 再び、立ち上がり窓口へ男性は向かった。

 「マスク 忘れた。
あったら、1枚、売ってくれない?」。
 見ると、その大きな顔にマスクがなかった。
「マスクですか。ありますよ。
お待ち下さいネ」。
 事務員は、席を離れ、マスクを探しにいった。

 しばらくして、立体型の肌色マスクを男性に渡した。
 「おう、ありがとう。いくら?」。
「いいです。差し上げます」。

 礼をいって、長椅子に戻ると、
早速、そのマスクをしようとした。
 その様子が、私からも見えた。

 あきらかに、男性の顔にマスクは小さかった。
両耳にかけると左右に伸び、顎まで十分に覆えなかった。
 女性用の小顔マスクでは・・・。
男性は、一度そのマスクをはずし、まじまじと見た。
 でも、再びそれをした。
 
 無料でいただいたマスクだ。
その上、一度かけてしまった。
 「小さいからもっと大きいのがほしい」とは、
誰だって言えやしない。

 男性は、時々マスクをはずしては、
耳の裏をマッサージした。
 それを繰りかえしながら、ずっと講習を受け続けた。
小さなマスクへの不満など、一度も口にしない。
 顔にも出さない、

 大きな顔に小さな肌色マスク。
可笑しさがこみ上げてもいい。
 でも、それよりも同情が優った。

 いや、黙ってそのマスクをし続けた男性の強さに、
私は脱帽していた。
  
 次回は、講習会場でのエピソードを・・。

 


       冬空とナナカマド 
               ※次回のブログ更新予定は 12月31日(土)です
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物 売 り の 声 ・ ・ ・

2022-12-10 11:41:33 | あの頃
 ① 家内が参加している朗読ボランティアの会が、
次の例会で、著名なエッセイ『物売りの声』(?)を朗読し、
録音すると言う。
 家内も、その一部を担当するとか・・。

 エッセイの内容を尋ねると、
昔はよく物売りの声が聞こえたが、
今は、聞くことがなくなった。
 どうやらそんなことが記述されているようだった。

 幼い頃のうっすらとした記録が、断片的に蘇った。
納豆売りや豆腐売りの声が、
目覚めたばかりの早朝や遊び疲れた夕方に、
よく近づいてきた。
 
 時々だが、早朝に母に頼まれた。
小銭を握り、外へ飛び出した。
 荷台に木箱をのせた自転車にまたがり、
「ナットウ! ナットウ!」と叫ぶお兄ちゃんを、
道端でジッと見た。

 自転車を止め、「納豆か?」と訊いてくれた。
私は、黙ってうなずき、お兄ちゃんを見上げ、
手のひらをひろげ小銭を見せる。
 お兄ちゃんは、荷台から納豆を取り出し、
手ひらの小銭を取り、その手に納豆を載せてくれた。

 再び、自転車をまたぎ、「ありがとう!」と言い、
「ナットウ! ナットウ!」と言いながら、
お兄ちゃんは遠ざかっていった。
 しばらく後ろ姿を見ていた。

 家に戻りと、母は「あら、偉かったね」と言い、
納豆を受け取った。
 何も言わないで買ったことを、
いつも誰にも言わなかった。
 後ろめたさが、心に残った。
 
 何年が過ぎただろうか。
確か、小4か小5の頃だったと思う。
 国語で早口言葉を学習した。
「瓜売り」の言葉だけは、それからずっと覚えている。

  瓜売りが 
  瓜 売りに来て
  瓜 売り残し
  売り売り帰る
  瓜売りの声 

 まだ誰も帰って来ない家の中で、
声を出して、「瓜売り」の言葉を繰り返し練習した。

 急に、「ナットウ! ナットウ!」の声と、
自転車にまたがり、遠ざかっていくお兄ちゃんを思い出した。
 一緒に、『売り売り帰る 瓜売りの声』が、悲しく心に響いていた。

 「もしかしたら、お兄ちゃんも納豆を売り残したかも」。
そう思うと、息がつまった。
 一人ぼっちの家で、ベソをかきそうになった。


 ② 私が3歳の頃から、父と母は魚の行商を始めた。
リヤカーに魚を積み、一日中、売り歩いた。

 今も、魚料理専門店の厨房に立つ10歳違いの兄は、
中学を卒業するとすぐに、
両親と一緒にリヤカーを押し、商売を手伝った。

 朝食を済ませ、6時半に父と兄は市場へ行った。
9時過ぎに帰ってくるまでに、
母は台所仕事や洗濯など家事を済ませた。

 市場で仕入れた魚が届くと、リヤカーに積み込み、
3人は10時に出発した。

 売り歩くコースは、曜日によって少し違ったが、
ほぼ変わらない。
 途中で、昼食のため一度戻るが、
休む間もなく4時、5時まで行商は続いた。

 戻ると、売れ残りの処理をした。
魚の多くは干物にした。
 中には氷でもう1日冷蔵保存した。
夕食は、決まって7時を回ってからだった。

 中学生になると、「休みの日ぐらいは手伝え!」。
兄に言われた。
 渋々リヤカーを横から押して、手伝いの真似事をした。
その時、はじめて父と兄の物売りの声を聞いた。

 毎日、決まった時刻にリヤカーを止め、
お客さんを呼び寄せる場所があった。
 そこに近づくと、2人は声を張り上げた

 「ちわー! ちわー! 来たよー!」
「ちわー! ちわー!
いいニシンあるよー! イカもいいよー!」
 「ちわー! ちわー!」

 しばらくすると、1人2人とお客さんが寄ってきた。
時には、7、8人がリヤカーを囲んだ。
 その人達が買い物を済ませると、
次の売り場所へ、リヤカーは移動した。

 再び、そこで2人は、
「ちわー!、ちわー! ・・・」と、
リアカーの魚屋が来たことを告げた。
 その声に買い物客は、集まってくるのだ。

 やがて、兄は運転免許をとった。
リヤカーは小型トラックに変わった。
 行商のエリアも広がった。
なのに、車を止めては「ちわー! ちわー! ・・・」と、
声を張り上げた。

 見かねた私は、その声を車載拡声器でするよう提案した。
しかし、兄は真顔で教えてくれた。
 「この辺りは、三交代で仕事してる人、多いべ。
昼、寝てる人もいるべさ。迷惑かけられないべ」。
 
 「やっぱり、この人はすごい!」。
脱帽した。


 ③ 首都圏の団地暮らしでは、
古紙とトイレットペーパーの交換を、
車載拡声器でアナウンスしながら、
頻繁に回る小型トラックがあった。
 しかし、それもいつ頃からか聞かなくなった。

 私が記憶する最後の物売りの声は、『サオダケ』である。
窓の外から「さおだけー さおだけー」のアナウンスが、
繰り返し聞こえた。

 車載拡声器からの物売りの声だと分かったが、
その品物が『物干し竿』と気づくまでには、
かなり時間を要した。

 聞いた当初、私の理解は「竿だけ」だった。
つまり「つり竿だけを売っている」と考えた。
 実に不思議だった。
「つり竿だけ・・、と言うことは、
釣り針とかリールは売っていない。
 当然、釣りエサも売ってない。
変わった物売りだ」。

 「全く、うさんくさい!」。
そう思うと、その声が近づいてきても、
窓から確かめる気にもなれなかった。

 それからしばらく年月が過ぎた。
買い物帰りの途中、
「さおだけー さおだけー」と、
コールする小型トラックがゆっくりと通り過ぎた。
 うさんくさい目で、その荷台を見た。
我が家のベランダにある物干し竿と同じ物が
数十本、斜めに並んでいた。

 「なんだ、竿竹だったか!」。
大きく納得した。
 「あんな長いものは、店で買っても持ち帰りが大変だ。
そうか! ああして売り歩いているのを買うのが一番だ」。
 思い込みのギャップもあって、そんな強い想いに至った。

 ところが、「さおだけー」へのそんな想いが、禍した。
団地の近くに、30階建ての高層マンションができた。
 そこはペットと同居ができた。
愛猫を堂々と飼うためにもと、購入を決めた。

 引っ越しの日、
最後の荷物を積み込み、最終のトラックと一緒に、
新居に向かおうとした時だった。
 「さおだけー さおだけー」のトラックが近づいてきた。

 今、積み込んだばかりの物干し竿を思い出した。
20年以上も使い、さび付いていた。

 何一つ迷わなかった。
竿竹の購入は、「さおだけー」のトラックからだ。
 「買い換える絶好のチャンス!」。

 引っ越しの作業員と、「さおだけー」のトラックを呼び止めた。
新しい竿竹を買い、古いものを引き取ってもらった。

 その後、引っ越し作業は順調に進んだ。
ところが、全ての作業が終えた頃、
作業員たちが車座になって、小声で相談をしだした。

 そして、作業主任がやや困り顔で、私のところへ。
「実は、先ほど買った竿竹ですが、
2つの角を曲がってから、こちらの玄関があるものですから、
長い竿をベランダまで運び入れることができません。
 外からの搬入も、こちらの高さの階まででは、無理でして、
申し訳ございません」。
 主任は、深々と頭をさげた。

 「竿竹のトラックが来たから、
つい衝動買いをしてしまいました。
 後で、スーパーで伸縮性の竿を買えばよかったのに、
ご迷惑をかけました。
 買った竿竹は、不用品扱いで持ち帰ってもらえませんか。
お願いします」。
 今度は、私が頭を下げた。

 


    有珠山 == ずっと平穏でいて!
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『想いを刻んでみたい』から 10年 

2022-12-03 12:33:15 | 思い
 冷え込んだ朝、サンダル履きで外へ出てみた。
すっかり冬の外気だった。

 頬を刺すような冷たさの中、
しっかりと防寒した少年5人組の話し声が、
近づいて来た。
 私に気づき朝の挨拶する息が、マスク越しに白い。

 遂に、長い冬が始まった。
昨年は、雪が多かった。
 今年はどうなのだろう。

 毎日のコロナ感染者数も増えている。
当地は記録を更新したとか・・。
 インフルエンザの同時流行も気になる。

 ここで11回目の冬だが、
あるがまま、ありのままを受け止めるしか・・・。
 雪も、寒さも、同時流行も、
きっとなんとか乗り越えられるサ。

  目の前を通り過ぎ、揺れる少年らのランドセルに、
「いってらっしゃい」と言いながら、
自分を励ましていた。

 先日、10年が過ぎた節目にと、
自室の配置換えをした。
 一緒に、引き出しの整理も・・・。
差し出した賀状や葉書の控えが出てきた。
 手を休め、それらに添えた詩を追った。

 時々の想いと共に、
牛歩のようだが、私の『一歩また一歩』があった。
 列記し、確かめるみることに!

  …    …   …   …   …  

 《2012年6月 転居のお知らせ》

     北の大地へ      

噴火湾に向かって
なだらかな扇状地が広がる
私はそこをこれからの地にした

好運と人に恵まれた
40年の現役生活には
ただただ胸も目頭も熱くなる
冷えるものなど何もない
そう この先もそのまま生きることを
誰も否定したりしない

しかし私を揺り動かすものが
少しの未練をもった退去と
難しさを承知の一歩を求め

どこまでも澄んだ大空
すぐそこの濃い山々
急き立てられない時の流れ
本来の営みを手に
ここで一歩また一歩
確かな想いを刻んでみたい

  = 意気込み満載の一歩を踏み出す。
    曖昧だが、新天地の私に何かを期待していたよう =

  …   …   …   …   …

 《2012年9月 転居通知に返信があった方へ近況報告》

    我 逢 人

恋人海岸という名の長い砂浜
若い二人が太陽を背にする姿がいい
しかし そこに人影を見ることはない

6月の街を賑わすアヤメ
紫の花が好きな私の心が踊った
それから沢山の花たちが朝の散策を彩り
どこの庭先でも花の手入れに余念がない
それはきっと長い日々を
寒気に鎖され遮られるからではと

あまりに広大な畑
あの中に一日一人置かれたら
私は間違いなく泣き出す
心細さと頼りなさに慣れたりなどできない
しかし そこでもくもくと汗する人を見る

今まで目にしなかった光景
新しい息吹をもらいながら
私は今日を

  = 「人と逢うことから全ては始まる」(我逢人の意)の教えを信じ、
    北の大地の人影を遠くから追っていた =

  …   …   …   …   …  

 《2013年の年賀状》

    微  笑

収穫の後に蒔いた種が
凍て付く地から陽春を待ち
雪融けと共に畑に力があふれる
暑い風を受けたそれは
穂並の全てを黄金色に
透明な風に輝く秋まき小麦
私が見た
北国の残夏の一色

小高い丘に群生する紅色が
彼岸の時季を知らせてくれたのに
この地に曼珠沙華はない
でも列をなす清純な淡紫色に
“こんな所に咲いて”と近寄ってみる
それは木漏れ日に揺れるコルチカム
私が見た
北国の秋晴の一色

落陽キノコは唐松林にしかない
その唐松は針葉樹なのに
橙色に染まり落葉する
道は細い橙色におおわれ
風までがその色に舞う
そこまで来ている白い季節の前で
私が見た
北国の深秋の一色

  = 転居から半年が過ぎた。40年ぶりに見る故郷は、
    一刻一刻景色を変えた。ただそれに見とれ、日々が過ぎた =

  …   …   …   …   …

 《2015年の年賀状》

    洗  心

新雪で染まった山々の連なりを遠くに
晴れわたった土色の台地のふもと
畑から掘り出したビートが長い山を作るのも
去年と同じなのでしょうか

沖合を漂う木の葉色の小舟を載せて
波間の大波小波は遠慮を知らない
黒い海原のざわめきに身を任すのも
いつものことなのでしょうか

積み重ねた白い牧草ロールのとなりで
地吹雪に腰折れ屋根の飼育舎がつつまれ
悲しい瞳をした雄牛をトラックの荷台が待つのも
どこにでもあることなのでしょうか

すぐそばで続く営みの数々に
思わず足を止める私
黙々とした淡々とした悠々とした後ろ姿がまぶしい
額に手を当て
まだまだ私だって磨けばと呟いてみる

  = 2月だった。多忙なスケジュールを割いて、
    東京から友人が来た。
    3時間の滞在後、私の年賀状を片手にかざし
    「これを見て来た。頑張れ!」と言い残して帰った =

  …   …   …   …   … 

 《2017年の年賀状》

    遅 い 春

寒々とした小枝の新芽が弾け
息吹きを取り戻したのは何度も見てきたから
  どうしてそんな無茶をと問われて
  手が届きそうな気がしてと答えてみた
遅咲きの桜が並ぶ湖畔ににぎわうランナー
それに飲み込まれ先が見えない私

やがてそこら中に新緑が陽を受け
色とりどりに咲き誇るのを何度も見てきたから
  途中でリタイアする勇気を持ての助言に
  必ずゴールインをと意気込んでみた
ガラス色の細波のそばをまばらなランナー
それでも重くなった足で前を見据える私

初の42,195キロは完走後に号泣さと先輩ランナー
その感情を走路に置き忘れてきた私
  潤んだ声で「頑張ったね」の出迎えに
  言葉のない小さな微笑みが精一杯
いつしか洞爺の湖面に流れる春風がそっと肩を
初めての心地よさにしばらくは酔っていた

  = 68歳で初のフルマラソンに挑戦。
    思いもしない方から激励の葉書が届いたりして、
    支えの数々に背中を押されて、ゴール。
    『私だって』を1つクリアしたような  =

  …   …   …   …   …

 《2019年の年賀状》
          
   色 彩 豊 富       

赤や黄 青色の風船を膨らませたい
その風船が誰かに届くといい
 だから
八雲の放牧牛が見ているマラソン道を
ひとり淡々と走っていた
 月数回だがキーボードと向き合い
 足あとに想いを載せて綴ってみた
突然 この街で出逢った人々との
小さな物語を語る機会に恵まれた
 なので
やがて来る衰えなど  無関心
無理しないでの声など  完全無視
まして老いの手解きなど  無礼千万
 そして 今年も
ピンクや黄緑 真白な風船を
いっぱい膨らませ空へ空へ

  = マラソン大会に、週一ブログの執筆に、
    この街での講演会講師にと、
    「人はみんな無年齢だ」と呟きながら、
    アクティブに =

  …   …   …   …   …

 《2021年の年賀状》

   折々の 光景

朝ランの途中 突然の通り雨
近づくピンク色のランニングシューズが
湿ったショートカットで すれ違う
“雨だよ足もと気をつけて”
私の忠告に背後から
ピュアな弾んだ声が
“はーい ありがとうございます”
おおっ これは春の雨
その時 一瞬コロナを忘れた

庭にアルケミラが花やか
そうだ 今朝の仏壇に供えよう
早々 一本また一本 鋏を入れる
摘んだ七本を束ね かざしてみる
朝の日差しがよく似合う
あの時 一瞬コロナを忘れた

入り日が沢山のススキを銀色に染め
すぐそばで掘り出されたビートが山に
先日 その畑に白鳥が舞いおりた
百羽が鳴き交わす健やかな声に
私から寒さが消えた
折々の光景に 一瞬コロナを忘れて

  = 世界が揺れているコロナ禍でも、
    黙々と淡々と悠々とした後ろ姿が私を励ます。
    だから、私らしく一日一日を! =




    今年も ビートの山 出現
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