校長として最後に勤めた小学校は、
年長1組と年少1組の小さな幼稚園が併設されていた。
従って、私は園長を兼務することになった。
幼稚園勤務は、後にも先にもこれだけ・・。
校舎と園舎は、校庭を挟んでおり、
私は1日に何回か校庭を横切り、
校長になったり園長になったりした。
幼稚園は初めてのことばかり。
当初は、副園長からレクチャーを受け、仕事をすすめた。
しかし、次第に様子が分かり、
幼稚園で過ごす時間も楽しくなった。
勤務した5年間の最後の仕事は、園舎の新築だった。
耐震検査で、旧園舎は大地震発生時には倒壊の恐れが指摘された。
区長の英断で、園舎を新築することになった。
私は、その新築とそれに伴った園庭工事後に退職した。
平成23年3月のことだ。
それから11年が過ぎた。
最近では、すっかり幼稚園からのお知らせも途絶えた。
ところが、「そろそろ開園50周年ではないだろうか」。
ふと頭をかすめた先日、珍しく幼稚園からの封筒が届いた。
早速、開封した。
入っていた『親子運動会プロクラム』の冠に、
「開園50年並び閉園記念」とあった。
突然の情報だった。
急ぎ、プロクラムにあった園長の「ごあいさつ」を目で追った。
『・・・令和5年3月に閉園を迎えるにあたり、
・・・「ゆり組」9人の子ども達と盛大に開催したい・・・』
と、あった。
きっと園児の定員割れが何年か続いたのだろう。
その結果の閉園であることが推測できた。
致し方ないと思いつつも、寂しさを忘れようと、
「修了式」でのエピソードを綴ることにした。
案の定、子供らの素晴らしさを、確かめることができた。
①
『卒園式』かと思ったら、『修了式』と言った。
違和感があったが、証書も「卒園証」ではなく「修了証」となっていた。
その修了式では、園長の私から卒園する園児一人一人に、
その証書を授与した。
園児は、名前を呼ばれたら、返事をして立ち上がり、
中央の演壇にいる私の前まで歩み出て、証書をもらった。
その後、向きを変え、保護者席の通路に立つお母さんの所へ行った。
そして、証書をお母さんに渡しながら、
「お母さん、毎日、幼稚園まで迎えに来てくれて、ありがとう」
などを言い、
お母さんからは「卒園、おめでとう」などと返事があった。
それが、例年、幼稚園での修了式のパターンだった。
通常、園児から修了証を受け取る保護者はお母さん。
だから、練習ではお母さんが貰うことを前提にして、
園児は、「ありがとう」の言葉を練習した。
ところが、当日の早朝、お母さんが急病で病院へ搬送された。
卒園する園児は、お父さんと一緒に式の直前に席に着いた。
担任とて、家族の急変を知らなかった。
ただ、開式に間に合った園児を見て、ホッとした。
式は、スムーズに進んだ。
そして、ついにその子の順番になった。
担任が、名前を呼んだ。
返事をして立ち上がった瞬間、
「あっ!」。
担任が小さく声をもらした。
その声で、私も気づいた。
見るとそこには、お母さんに変わってお父さんが立っていた。
私から修了証を受け取り、お父さんへ向かう子を目で追った。
不安が膨らんだ。
昨日の予行練習では、当然のようにお母さんへのお礼を言っていた。
お父さんへ向かって、いったい何て言うのだろう。
「お母さんへの言葉のままでもいいから・・」。
しかし、それとて誰も言ってあげる時間がなかった。
「困ったことになった!」。
私も担任も職員も、もう手助けができない。
お父さんへ両手で証書を渡したその子は・・言った。
「お母さん、いつも美味しいお弁当ありがとうって、
病院のお母さんに、言ってね」。
「分かった。必ず言うね。・・・おめでとう」。
その子は、スッと自席に歩き出し、
お父さんは、ハンカチを取り出しながら、席に戻った。
誰からともなく拍手が湧いた。
私も演壇から手をたたいていた。
② その年は、インフルエンザが流行した。
幼稚園でも、交代で毎日欠席者がいた。
修了式が近づくと、担任も保護者も、
いつも以上に罹患を気にした。
なんとしても、出席させたい行事だった。
幸いなことに、春らしい陽気にもなり、
感染が下火になった。
そんな矢先、男の子が発熱でお休みした。
修了式の数日前だったと思う。
幼稚園に、緊張が走ったが、
翌日、インフルエンザではないと保護者から連絡がきた。
でも、「熱は下がったんですけど、お腹の調子が悪いんです。
修了式までによくなるかどうか」とのことだった。
式当日の朝、その子はお母さんと一緒に数日ぶりに登園してきた。
やや優れない顔色をしていた。
無理してでも、修了式に出たかった。
その気持ちが理解できた。
「修了式が終わるまで頑張ってほしい」。
私も、同じ気持ちだった。
開式の直前だった。
園児も保護者も、職員も着席した。
最後に来賓が入場する番だった。
その間際に、その子は席を立ちトイレへ向かった。
職員一人とお母さんが急ぎ後を追った。
しかし、来賓が着席してすぐ、その子は席に戻り、
式は大きな支障もなく始まった。
私は、その経過を園長の席から見て、ホッとしていた。
ところが、本当のハプニングは、その後だった。
一人一人への修了証授与が始まった。
やがて、その子の順になった。
担任が名前を呼んだ。
「ハイ」と返事をして、中央の通路から、
私が立つ演壇に進み出た時だった。
幼稚園には制服の上着があった。
しかし、その日ばかりは、どの子も小学校の入学式用の服装で式にのぞんだ。
その子も、上はネクタイに上着、下はハイソックスに半ズボンだった。
そんな立派な姿で私に歩み寄った途中だ。
その子の半ズボンがずり落ち始めた。
緊張していたその子は、その異変に気づかず歩いた。
そして、とうとう半ズボンは、足首まで落ち、
歩みの邪魔になった。
その子は、ついに立ち止まった。
その異変と恥ずかしさに狼狽し、きっと泣き出すだろうと予想した。
一番近くにいる私が真っ先に駆け寄ってあげようと身構えた。
同時に、保護者席のお母さんも立ち上がった。
しかし、その子は、さっと半ズボンを持ち上げ、つぶやいた。
「さっきトイレで、ちゃんとバンドしなかったからだ」。
その声は、静寂の式場中に行き渡った。
すかさずベルトを確かめ、私の前へさっと歩み寄ったその子に、
証書を渡しながら、
「すごいね。偉かったね」と私は小声で伝えた。
まだ青白い顔色で、ニコッとしたその子は、
もう、自席に立ち号泣するお母さんの方へ、ゆっくりと進んでいた。
後ろ姿に、私はもう1度「すごい!」と小さく言った。
雨上がりの 草っぱらにて
年長1組と年少1組の小さな幼稚園が併設されていた。
従って、私は園長を兼務することになった。
幼稚園勤務は、後にも先にもこれだけ・・。
校舎と園舎は、校庭を挟んでおり、
私は1日に何回か校庭を横切り、
校長になったり園長になったりした。
幼稚園は初めてのことばかり。
当初は、副園長からレクチャーを受け、仕事をすすめた。
しかし、次第に様子が分かり、
幼稚園で過ごす時間も楽しくなった。
勤務した5年間の最後の仕事は、園舎の新築だった。
耐震検査で、旧園舎は大地震発生時には倒壊の恐れが指摘された。
区長の英断で、園舎を新築することになった。
私は、その新築とそれに伴った園庭工事後に退職した。
平成23年3月のことだ。
それから11年が過ぎた。
最近では、すっかり幼稚園からのお知らせも途絶えた。
ところが、「そろそろ開園50周年ではないだろうか」。
ふと頭をかすめた先日、珍しく幼稚園からの封筒が届いた。
早速、開封した。
入っていた『親子運動会プロクラム』の冠に、
「開園50年並び閉園記念」とあった。
突然の情報だった。
急ぎ、プロクラムにあった園長の「ごあいさつ」を目で追った。
『・・・令和5年3月に閉園を迎えるにあたり、
・・・「ゆり組」9人の子ども達と盛大に開催したい・・・』
と、あった。
きっと園児の定員割れが何年か続いたのだろう。
その結果の閉園であることが推測できた。
致し方ないと思いつつも、寂しさを忘れようと、
「修了式」でのエピソードを綴ることにした。
案の定、子供らの素晴らしさを、確かめることができた。
①
『卒園式』かと思ったら、『修了式』と言った。
違和感があったが、証書も「卒園証」ではなく「修了証」となっていた。
その修了式では、園長の私から卒園する園児一人一人に、
その証書を授与した。
園児は、名前を呼ばれたら、返事をして立ち上がり、
中央の演壇にいる私の前まで歩み出て、証書をもらった。
その後、向きを変え、保護者席の通路に立つお母さんの所へ行った。
そして、証書をお母さんに渡しながら、
「お母さん、毎日、幼稚園まで迎えに来てくれて、ありがとう」
などを言い、
お母さんからは「卒園、おめでとう」などと返事があった。
それが、例年、幼稚園での修了式のパターンだった。
通常、園児から修了証を受け取る保護者はお母さん。
だから、練習ではお母さんが貰うことを前提にして、
園児は、「ありがとう」の言葉を練習した。
ところが、当日の早朝、お母さんが急病で病院へ搬送された。
卒園する園児は、お父さんと一緒に式の直前に席に着いた。
担任とて、家族の急変を知らなかった。
ただ、開式に間に合った園児を見て、ホッとした。
式は、スムーズに進んだ。
そして、ついにその子の順番になった。
担任が、名前を呼んだ。
返事をして立ち上がった瞬間、
「あっ!」。
担任が小さく声をもらした。
その声で、私も気づいた。
見るとそこには、お母さんに変わってお父さんが立っていた。
私から修了証を受け取り、お父さんへ向かう子を目で追った。
不安が膨らんだ。
昨日の予行練習では、当然のようにお母さんへのお礼を言っていた。
お父さんへ向かって、いったい何て言うのだろう。
「お母さんへの言葉のままでもいいから・・」。
しかし、それとて誰も言ってあげる時間がなかった。
「困ったことになった!」。
私も担任も職員も、もう手助けができない。
お父さんへ両手で証書を渡したその子は・・言った。
「お母さん、いつも美味しいお弁当ありがとうって、
病院のお母さんに、言ってね」。
「分かった。必ず言うね。・・・おめでとう」。
その子は、スッと自席に歩き出し、
お父さんは、ハンカチを取り出しながら、席に戻った。
誰からともなく拍手が湧いた。
私も演壇から手をたたいていた。
② その年は、インフルエンザが流行した。
幼稚園でも、交代で毎日欠席者がいた。
修了式が近づくと、担任も保護者も、
いつも以上に罹患を気にした。
なんとしても、出席させたい行事だった。
幸いなことに、春らしい陽気にもなり、
感染が下火になった。
そんな矢先、男の子が発熱でお休みした。
修了式の数日前だったと思う。
幼稚園に、緊張が走ったが、
翌日、インフルエンザではないと保護者から連絡がきた。
でも、「熱は下がったんですけど、お腹の調子が悪いんです。
修了式までによくなるかどうか」とのことだった。
式当日の朝、その子はお母さんと一緒に数日ぶりに登園してきた。
やや優れない顔色をしていた。
無理してでも、修了式に出たかった。
その気持ちが理解できた。
「修了式が終わるまで頑張ってほしい」。
私も、同じ気持ちだった。
開式の直前だった。
園児も保護者も、職員も着席した。
最後に来賓が入場する番だった。
その間際に、その子は席を立ちトイレへ向かった。
職員一人とお母さんが急ぎ後を追った。
しかし、来賓が着席してすぐ、その子は席に戻り、
式は大きな支障もなく始まった。
私は、その経過を園長の席から見て、ホッとしていた。
ところが、本当のハプニングは、その後だった。
一人一人への修了証授与が始まった。
やがて、その子の順になった。
担任が名前を呼んだ。
「ハイ」と返事をして、中央の通路から、
私が立つ演壇に進み出た時だった。
幼稚園には制服の上着があった。
しかし、その日ばかりは、どの子も小学校の入学式用の服装で式にのぞんだ。
その子も、上はネクタイに上着、下はハイソックスに半ズボンだった。
そんな立派な姿で私に歩み寄った途中だ。
その子の半ズボンがずり落ち始めた。
緊張していたその子は、その異変に気づかず歩いた。
そして、とうとう半ズボンは、足首まで落ち、
歩みの邪魔になった。
その子は、ついに立ち止まった。
その異変と恥ずかしさに狼狽し、きっと泣き出すだろうと予想した。
一番近くにいる私が真っ先に駆け寄ってあげようと身構えた。
同時に、保護者席のお母さんも立ち上がった。
しかし、その子は、さっと半ズボンを持ち上げ、つぶやいた。
「さっきトイレで、ちゃんとバンドしなかったからだ」。
その声は、静寂の式場中に行き渡った。
すかさずベルトを確かめ、私の前へさっと歩み寄ったその子に、
証書を渡しながら、
「すごいね。偉かったね」と私は小声で伝えた。
まだ青白い顔色で、ニコッとしたその子は、
もう、自席に立ち号泣するお母さんの方へ、ゆっくりと進んでいた。
後ろ姿に、私はもう1度「すごい!」と小さく言った。
雨上がりの 草っぱらにて