ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

「閉園!」 寂しさを忘れようと

2022-09-24 12:35:24 | 思い
 校長として最後に勤めた小学校は、
年長1組と年少1組の小さな幼稚園が併設されていた。
 従って、私は園長を兼務することになった。
幼稚園勤務は、後にも先にもこれだけ・・。

 校舎と園舎は、校庭を挟んでおり、
私は1日に何回か校庭を横切り、
校長になったり園長になったりした。

 幼稚園は初めてのことばかり。
当初は、副園長からレクチャーを受け、仕事をすすめた。
 しかし、次第に様子が分かり、
幼稚園で過ごす時間も楽しくなった。
 
 勤務した5年間の最後の仕事は、園舎の新築だった。
耐震検査で、旧園舎は大地震発生時には倒壊の恐れが指摘された。
 区長の英断で、園舎を新築することになった。

 私は、その新築とそれに伴った園庭工事後に退職した。
平成23年3月のことだ。

 それから11年が過ぎた。
最近では、すっかり幼稚園からのお知らせも途絶えた。
 ところが、「そろそろ開園50周年ではないだろうか」。
ふと頭をかすめた先日、珍しく幼稚園からの封筒が届いた。

 早速、開封した。
入っていた『親子運動会プロクラム』の冠に、
「開園50年並び閉園記念」とあった。
 突然の情報だった。

 急ぎ、プロクラムにあった園長の「ごあいさつ」を目で追った。
『・・・令和5年3月に閉園を迎えるにあたり、
・・・「ゆり組」9人の子ども達と盛大に開催したい・・・』
と、あった。

 きっと園児の定員割れが何年か続いたのだろう。
その結果の閉園であることが推測できた。
 致し方ないと思いつつも、寂しさを忘れようと、
「修了式」でのエピソードを綴ることにした。
 案の定、子供らの素晴らしさを、確かめることができた。

 ①
 『卒園式』かと思ったら、『修了式』と言った。
違和感があったが、証書も「卒園証」ではなく「修了証」となっていた。

 その修了式では、園長の私から卒園する園児一人一人に、
その証書を授与した。
 園児は、名前を呼ばれたら、返事をして立ち上がり、
中央の演壇にいる私の前まで歩み出て、証書をもらった。

 その後、向きを変え、保護者席の通路に立つお母さんの所へ行った。
そして、証書をお母さんに渡しながら、
「お母さん、毎日、幼稚園まで迎えに来てくれて、ありがとう」
などを言い、
お母さんからは「卒園、おめでとう」などと返事があった。
 それが、例年、幼稚園での修了式のパターンだった。

 通常、園児から修了証を受け取る保護者はお母さん。
だから、練習ではお母さんが貰うことを前提にして、
園児は、「ありがとう」の言葉を練習した。
 
 ところが、当日の早朝、お母さんが急病で病院へ搬送された。
卒園する園児は、お父さんと一緒に式の直前に席に着いた。
 担任とて、家族の急変を知らなかった。
ただ、開式に間に合った園児を見て、ホッとした。

 式は、スムーズに進んだ。
そして、ついにその子の順番になった。

 担任が、名前を呼んだ。
返事をして立ち上がった瞬間、
「あっ!」。
 担任が小さく声をもらした。
その声で、私も気づいた。
 見るとそこには、お母さんに変わってお父さんが立っていた。

 私から修了証を受け取り、お父さんへ向かう子を目で追った。
不安が膨らんだ。
 昨日の予行練習では、当然のようにお母さんへのお礼を言っていた。
お父さんへ向かって、いったい何て言うのだろう。
 「お母さんへの言葉のままでもいいから・・」。
しかし、それとて誰も言ってあげる時間がなかった。

 「困ったことになった!」。
私も担任も職員も、もう手助けができない。

 お父さんへ両手で証書を渡したその子は・・言った。
「お母さん、いつも美味しいお弁当ありがとうって、
病院のお母さんに、言ってね」。
 「分かった。必ず言うね。・・・おめでとう」。
その子は、スッと自席に歩き出し、
お父さんは、ハンカチを取り出しながら、席に戻った。
 誰からともなく拍手が湧いた。
私も演壇から手をたたいていた。

 ② その年は、インフルエンザが流行した。
幼稚園でも、交代で毎日欠席者がいた。
 修了式が近づくと、担任も保護者も、
いつも以上に罹患を気にした。
 なんとしても、出席させたい行事だった。
 
 幸いなことに、春らしい陽気にもなり、
感染が下火になった。
 そんな矢先、男の子が発熱でお休みした。
修了式の数日前だったと思う。
 幼稚園に、緊張が走ったが、

 翌日、インフルエンザではないと保護者から連絡がきた。
でも、「熱は下がったんですけど、お腹の調子が悪いんです。
修了式までによくなるかどうか」とのことだった。

 式当日の朝、その子はお母さんと一緒に数日ぶりに登園してきた。
やや優れない顔色をしていた。
 無理してでも、修了式に出たかった。
その気持ちが理解できた。
 「修了式が終わるまで頑張ってほしい」。
私も、同じ気持ちだった。

 開式の直前だった。
園児も保護者も、職員も着席した。
 最後に来賓が入場する番だった。
その間際に、その子は席を立ちトイレへ向かった。

 職員一人とお母さんが急ぎ後を追った。
しかし、来賓が着席してすぐ、その子は席に戻り、
式は大きな支障もなく始まった。
 私は、その経過を園長の席から見て、ホッとしていた。

 ところが、本当のハプニングは、その後だった。
一人一人への修了証授与が始まった。
 やがて、その子の順になった。
担任が名前を呼んだ。
 「ハイ」と返事をして、中央の通路から、
私が立つ演壇に進み出た時だった。

 幼稚園には制服の上着があった。
しかし、その日ばかりは、どの子も小学校の入学式用の服装で式にのぞんだ。
 その子も、上はネクタイに上着、下はハイソックスに半ズボンだった。
  
 そんな立派な姿で私に歩み寄った途中だ。
その子の半ズボンがずり落ち始めた。
 緊張していたその子は、その異変に気づかず歩いた。
そして、とうとう半ズボンは、足首まで落ち、
歩みの邪魔になった。
 その子は、ついに立ち止まった。
 
 その異変と恥ずかしさに狼狽し、きっと泣き出すだろうと予想した。
一番近くにいる私が真っ先に駆け寄ってあげようと身構えた。
 同時に、保護者席のお母さんも立ち上がった。

 しかし、その子は、さっと半ズボンを持ち上げ、つぶやいた。
「さっきトイレで、ちゃんとバンドしなかったからだ」。
 その声は、静寂の式場中に行き渡った。

 すかさずベルトを確かめ、私の前へさっと歩み寄ったその子に、
証書を渡しながら、
「すごいね。偉かったね」と私は小声で伝えた。

 まだ青白い顔色で、ニコッとしたその子は、
もう、自席に立ち号泣するお母さんの方へ、ゆっくりと進んでいた。
 後ろ姿に、私はもう1度「すごい!」と小さく言った。

 
 

    雨上がりの 草っぱらにて 
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DATE 語 録 ⑵

2022-09-17 10:53:45 | 北の湘南・伊達
 当地での10年間、様々な方とふれ合い、
心に刻まれたエピソードも、数多い。
 思い出すまま、語録として綴る。
その続編である。
 
2.愛犬と一緒
 半月板損傷と診断され、
ランニングができなくなって、もう2ヶ月になる。

 年齢とともに老化のスピードは、加速するようで、
気づくと、太ももの張りがなくなり、弱々しくなった感じだ。

 「膝のまわりに筋肉をつけないと、走れるようにはならない。
だから、トレーニング室へ通って鍛えるといい」。
 そう思いつつも、
「またあの激痛にみまわれ、歩行に苦労することになったら・・」
と、臆病になっている。
 
 今は、小1時間程度の、
朝の散歩を増やすよう、心がけている。

 さて、よく朝ランをしていた頃のことだが、
数々の愛犬連れに出会った。
 中には、立ち止まって言葉を交わし、
住まいや名前まで教え合った方もいる。

 しかし、こんな方は珍しかった。
私は、当地に移り住み始めてすぐから、
朝ランを始めた。
 だから、10年前から、
お気に入りのランニングコースの1つで、
よくこの方とすれ違った。

 ゆっくりとした歩調で愛犬と一緒に散歩していた。
姿勢は悪くないが、その方も愛犬も伏し目かちで、
物静かな雰囲気だった。
 「気心の知れたカップルが、
同じ視線、同じ呼吸で寄り添いながら歩んでいる」。
 そんな感じだった。

 だから、他の方とすれ違う時よりも、
私はトーンを押さえ、
やや小さめな声で朝の挨拶をするようにした。
 
 その方は、私の挨拶に一瞬静かに視線を上げ、
そして、無言で会釈を返してくれていた。

 同じ時刻に同じ道を愛犬と散歩するのが、
日課なのだろうと思っていた。

 ところが、2年ほど前だろうか。
朝ランで、その道を走っても出会わなくなった。
 1度が2度3度となり、会わないことが常態となってしまった。

 すれ違い際に、挨拶を交わすのは、その方だけじゃない。
気にも止めない日が続き、季節が一周した。
 そんなある日、同じ道で、
1人きりで散歩するその方とすれ違った。
 相変わらず、ゆっくりと伏し目がちな足どりだった。
私の挨拶に、変わらず無言で会釈した。

 数日して、再び1人きりのその方に出会った。
すれ違い際、私は決めた。
 その方の近くで立ち止まり、尋ねた。

 「ワンちゃん、亡くなられたんですね?」。
その方は、一瞬顔を上げ、私を見てから、
コクリとうなづいた。

 「そうでしたか・・。やっぱり。それはお気のどくに」。
私が一礼すると、それに合わせるようにその方も無言のままで頭をさげた。
 その後、いつものようにランニングを再開し、別れた。

 またまた数日が過ぎた。
同じ道を1人で歩くその方が見えた。
 距離が縮まり、走りながら挨拶しようとすると、
珍しくその方が私を見た。

 一瞬、足が止まった。
すると静かに私に近づき。言った。
 「あのう・・、先日は・・、
うちの子を気にかけてくださり、ありがとうございました」。
 小さく頭をさげ、その方は歩きだした。

 ただ呆然と、後ろ姿を追った。
突然、雪道を茶色まじりの黒い毛並みの中型犬が、
リードを持ったその方の横を、そっと歩く姿が蘇った。
 「愛されていたんだ!」。
胸も目頭もジーンとしていた。


3.秋の夕焼け
 昼食を済ませて、しばらくすると、
突然眠気に襲われることが多くなった。
 時間に追われる用事がない限り、
その誘いに逆らわず、20分程度の昼寝をする。

 目覚めは、期待とは違い、さほどスッキリしない。 
ボーとしたまま、2階の自室へ階段を上がる。
 机に向かい、キーボードを打ったり、
読書をしたりして、午後を過ごす。

 9月に入ると、随分と早い時間から、
西日がガラス窓を通して机上を射る。
 その眩しさにたまりかね、
慌ててレースのカーテンを下ろす。

 そんなある日、
突然、居間の家内から大きな声が飛んできた。
 「ねえ、見てごらん。夕日がすごい!」。

 声に誘われ、机を離れ、
レースのカーテンを上げ、窓越しに西空を見た。
 朱色に染まった薄雲と天空が輝いていた。

 すっかり秋になったのか、
ひときわ夕焼けが色鮮やかだった。
 その美しさを窓ガラス越しに見るだけにしておけなかった。
急いで階段を降り、外へ出た。

 自宅前の通りまで出ると、
空は一面の大夕焼けだった。
 家内も遅れて通りまで出てきた。
会話のないまま並んで、
その美しさにしばらく見とれた。
 
 その時、ご近所のご主人がご自宅の駐車場に車を止めた。
いつもより早い帰宅のようだった。
 2人並んで、通りに立つ私たちが気になったらしい。
わざわざ声をかけてきた。
 「どうしたんですか。何かあったんですか?」。

 「あまりにも夕焼けが素敵なので、見てました!」。
するとご主人は、驚いたように「エ、エェッ!」と、
西空に視線をむけた。

 そして、つぶやいた。
「忙しさに、ついつい忘れていました。
すごく綺麗ですね。ありがとうございます」。
 「私たちも現職の頃は、夕日を見る余裕もなく、
毎日走り続けてました。仕方ないですよ」。

 「そうですか。同じですか」。
ご主人は少し寂しげな表情を浮かべた後、
足早に自宅の玄関へ向かった。




    始まった! 稲刈り!
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DATE 語 録 ⑴

2022-09-10 12:47:59 | 北の湘南・伊達
 『北の湘南』と言われる風光明媚な地に暮らし始めて10年になる。
全てが未知の所だったが、この10年には満足している。

 都会のような刺激はないが、
コンパクトシティとしての手軽な暮らしやすさと共に、
手の届く所に自然の恵みがあるのがいい。

 さて、このブログでは、この地で出会った方々との、
エピソードを『だての人名録』などと題していくつも綴ってきた。
 今回は、その続編と言えるかどうか。
出会った方からの心に刻まれたひと言を記してみようと思う。
 まずは、その1・・・。

 
1.路傍の家庭菜園にて
 ① ズッキーニ
 先日、ご近所さんからのお裾分け野菜に、
ズッキーニが2,3本入っていた。
 新鮮なうちにと、輪切りにしフライパンで焼き、
さっと醤油をかけ、夕飯の食卓にならんだ。

 見た目は、肥大化したキュウリのようだが、
食感は、なすを思わせる。
 そして、味はどの野菜とも違う。
「ズッキーニの美味しさ!」である。
 次から次、箸が進んだ。

 私が、この野菜を食べるようになったのは、
この10年である。
 それ以前に、ズッキーニはあったのかも知れないが、
口にした記憶は曖昧である。

 もう7,8年も前の初夏、
朝の散歩途中でのこと。
 住宅街の一角を流れる狭い川の、
肥よくな河川敷を区分けし、家庭菜園が並んでいた。
 勝手な想像だが、無許可の菜園のように思えた。

 しかし、どの畑も手入れが行き届き、
野菜だけではなく、
季節の花も所々で綺麗に咲いていた。
 つい足が止まった。

 ある畑の片隅に、野菜にしては太い緑の茎から、
これまたしっかりとした枝が何本も横に伸び、
その先々には大ぶりの葉が付いていた。
 それが野菜なのか花なのか、全く見当が付かず、
ただその力強い立ち姿に、興味が湧いた。

 こんな時の私は、厚かましく、
遠慮を忘れてしまう。
 つい、通りがかった同世代の男性に、
声をかけてしまった。
 
 「おはようございます。
すみません。これ、野菜なんですか?」。
 畑の片隅を指さし、尋ねた。

 男性は、立ち止まり、
「それかい。ズッキーニだ。
ほら黄色の花の横から小さい実が出てきてるべ」
と言い、こう付け加えた。

「この頃、これを生産する人がいるけど、
横に大きくなって場所をとる割に、できる量が少ないんだ。
 割に合わなくて、農家は大変かもなあ」。

 教えてもらったズッキーニを、もう一度よく見た。
横に伸びた枝と葉が、確かに畑の片隅を目一杯独占していた。
 作物生産者には、美味しさや品質だけじゃなく、
違う難しさがあることに、気づかされた。

 ② ニンニク
 家内と一緒に朗読ボランティアをしている男性が、
朝の散歩途中に、玄関チャイムを鳴らした。

 彼は、掘ったばかりのニンニク20個余りを袋に入れ、
家内に渡した。
 「網の袋に入れ替えて、物置にでも吊して置くと、
美味しくなります」と言い、帰っていた。

 ニンニクの味を知ったのは、
教職に就いてすぐのことだった。
 同僚3人で中華料理店で夕食を囲んだ。
その時、初めて餃子を食べた。
 その味がいっぺんに好きになった。
野菜や挽肉の美味しさを、ニンニクが引き立てていることを知った。

 そして、もうすぐ40代という頃、
レストラン風のカウンターで、何度か飲む機会があった。
 どうして締めにペペロンチーノを注文したか、
いきさつは忘れたが、一度で大好きになった。
 この味もニンニクだと知り、驚いた。

 そのニンニクを伊達で、しかも家庭菜園で、
栽培していることを知ったのは、3年前のことだ。

 散歩の帰り道、休耕地の一部を利用した家庭菜園で、
作業をしている男性に出会った。
 
 ブロッコリーやキャベツ、長ネギ、ジャガイモ、カボチャなどが
2、3畝ずつ整然と並んでいた。
 雑草もなく、ていねいな作業ぶりがすぐに分かった。

 同世代のその男性の足下に、
抜き取ったばかりの細長い葉のついた根が、山盛りになっていた。
 根の形を見ると、ニンニクのよう。
でも、ニンニクの葉を知らなかった私は、半信半疑。
 思い切って、訊いてみることにした。

 「作業中、すみません。それってニンニクですか?」
男性は、作業の手を休めて、応じてくれた。
 「そうだよ。今年の収穫はこれだけ」。

 「伊達でも、ニンニクができるんですね。
すみません。なにも知らないので、教えて下さい。
 今年の収穫量は、多い方なんですか?」。

 「まあ、今年はうまくいった方かな。
毎年、同じように堆肥しても、収穫量は違う。
 まず、ニンニクは、秋に植えて、越冬させるから、
うまくいく年も全くダメな年もあるんだ」。

 「ニンニクは、雪の下で冬を越すんですか!」。
驚く私に男性は続ける。
 
 「雪が解けたら、早く芽を出してほしいからって、
浅く埋めると、雪の下でシバれて発芽しなくなることもあるし・・。
 反対に、それを恐れて深く埋めすぎると、
芽が出るのが遅くなって、いいニンニクができなくなる。
 毎年、これでいいだろうかと迷いながら埋めるんだけど、
なかなか難しいものだ」。

 「じゃ、抜き取るまで今年の善し悪しは、
ハッキリしない訳ですね?」。
 「まあ、そういうことだけど・・・。
俺たちは、自分の分だけだからいいよ。
 でも、農家さんはそうはいかない。大変だよね!」。 

 今年も、物産館やスーパーの地元野菜売り場に、ニンニクが並びはじめた。
栽培の難しさを知ったあの日以来、ニンニクにはすぐ目が止まるようになった。 
 



    ナナカマドに 秋の気配
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