ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

D I A R Y 24年10・11月

2024-11-30 14:55:40 | つぶやき
  10月 某日

 昨年11月、5歳違いの姉は、
横浜の大きな病院で,心臓の手術を受けた。
 そこは、姉の娘が看護師をしており、
それを頼っての療養だった。

 手術は当初予想よりも時間がかかったが、
その後は順調な経過だった。
 しかし、年齢が年齢である。
一時は、もう1度若干の手術が必要かもと、
医師から告げられたこともあった。

 しかし、激減した体重も徐々に回復し、
今夏には、投薬もゼロになり、定期的な診断のみに。
 そして、遂に10月、全快にこぎ着けた。

 手術前の姉は、登別温泉の有名旅館で事務スタッフをしていた。
女将は、「お姉様は私の片腕同然、頼りにしてるんですよ」と私に言った。
 とは言え、11ヶ月に及ぶ病休である。
仕事復帰は、難しいと私は思い込んでいた。
 ところが、旅館からは1日でも早く復帰してほしいとのこと。

 1週間程前、連絡を受け、
新千歳空港まで、迎えに行った。
 横浜での日常品は全て宅配便で送り、
姉はハンドバック1つで、到着ロビーから現れた。
 そして、「明日から、働く」と言った。

 私は、5人兄弟である。
長女と長男はすでに他界しているが、
86歳の二男は、今も毎朝、魚市場に出向き、
仕入れた魚の身下ろしをし、開店と同時に接客に立っている。
 
 そして、健康を回復した81歳の二女は、
休む間もなく、明日から仕事に出ると・・。
 2人は口を揃えて明るく言う。
「何もしないで、家でブラブラしているよりもいいもん」
  
 私は、何もしないでブラブラと毎日を過ごしている訳ではないが、
2人を見てると、少し恥ずかしくなる。


  11月 某日 ①

 ここ2,3年のことだが、
道内では名の通ったラーメンの暖簾がかかる店で、
ラーメンではなく、あんかけ焼きそばをよく注文する。

 その店では、ずっと味噌ラーメンだが、
いつ頃からか、家内は特別メニューのような
あんかけ焼きそばを食べ始めた。

 ここはラーメンで有名な店だ。
なのに違う注文をすることに、当初私は不快な気分だった。
 だが、「そんなに美味しいのなら」と、
一度だけのつもりでオーダーしてみた。
 以来、私もラーメンから方針転換をした。

 しかし、あんかけ焼きそばを他店で食べたことがなかった。 

 そこで、東京に来た貴重な機会だと、
デパートの最上階にあった高級中華料理店で食べてみることにした。
 メニューを見て、まずその価格の違いに驚いた。
いつも食べている約3倍の値がした。

 そして、出てきたあんかけ焼きそばの美味しいこと。
その値段に十分納得した。

 さて、家内と私がその中華料理店へ入ったのは、
まだランチメニューの時間帯だった。
 やや空席はあったが、多くのお客さんで席が埋まっていた。

 窓側の席に案内された私の所から、
丁度、2人用のテーブル席が2つ並んでいるのが見えた。
 そこに、初老の男性と女性が1人ずつ着席していた。

 注文したものを待つ間に、2人が注文した昼食が届いた。
やや遠慮しながら2人の様子を見た。
 高級中華料理店で、
1人で中華を食べていることが気になった。

 テーブルがやや離れていたので、当然2人は別々の客である。
その2人が、同じ方向を向いて食べていた。
 やや不思議な気持ちで、
美味しそうに食べる2人を遠慮しながら、ちら見した。

 東京でも、高齢化は間違いなく進んでいる。
だから、このような高級店でも高齢の単身者が食事を楽しんで当然だ。
 なのに、見慣れない私には、異様な光景のように映ってしまった。
同時に、そんな目で見ていることに、申し訳ない気持ちにもなっていた。


  11月 某日 ②

 高級中華料理店での昼食の翌日だ。
コロナ禍前まで、年に1回は一緒にゴルフをしていたOご夫妻と、
夕ご飯を共にすることになっていた。
 お酒の好きなお二人だった。
夕方、錦糸町のおそば屋さんで待ち合わせをした。

 1週間ほど前、4人のグループLINEに、
待ち合わせ時間とおそば屋の名前の知らせが届いた。
 
 そのおそば屋は現職の頃、よく利用した。
落ち着いた雰囲気で、居酒屋とは違い、
数人で飲むには最高の店だった。
 しかし、2年前からそこには店がなくなっていた。

 でもOさんは、その店を指定してきた。
もしかしたら、近くに移転したのかもと思い、
ネットで検索してみた。
 案の定であった。
駅の反対側のビルに、その店はあった。

 さて、待ち合わせ時間の少し前に店に着いた。
でも、Oさん夫妻がなかなか現れない。
 5分が過ぎた。
LINEメールが来た。
 「おそば屋さんが無くなっています。
今、どこにいますか?」
 移転に気づかず、店を指定したのだ。

 「お店は、移転しました。
駅の反対側Rビルの2階にあります。
 店の前にいます」
メールで返信しながら、笑いがこみ上げた。

 だって、移転にいち早く気づいたのは、
東京に住む現地の方ではなくて、
北海道の私たちだったのだもの・・・。

 その後の4人でのお酒を囲んでの食事は、
しばらくの間、このことで盛り上がった。 


 

     晩秋の色・ナナカマドの実
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D I A R Y 24年9月

2024-10-12 10:50:53 | つぶやき
 どうしても優先したいことがあり、
先週は予告もなくブログをお休みした。

 この2週間で、めっきり秋が深まった。
それを象徴するかのように、日の入りの早いこと。
 5時をすぎると暗くなり、街路灯が点灯する。
その早さはどんどんと加速していく。
 毎年のことだが、
この時季になると寂しさを覚えるのは私だけだろうか。

 さて、9月から2つを記す。
残暑で、まだエアコンの恩恵を受けていた時だった。
 今では、それ自体が懐かしく思える。


  9月 某日 ①
 近隣14自治会で『中央区』という連合組織を作っている。
その連合を基にした社会福祉協議会(中央社協)がある。

 前自治会長がその副会長であったため、
私が引き継ぐことになり、昨年度からその役を務めている。
 多くの企画運営は、
手慣れた会長と事務局長の2人で進めてくれる。
 大助かりである。

 ところが、今年度は突然困りごとが発生した。
臨時三役会が招集になった。

 毎年、『お楽しみ昼食会』を実施していた。
これは、75歳以上の単身者を対象に希望をつのり、
昼食をとりながら、楽しい時間を過ごそうと言うイベントである。

 コロナ禍での中止はあったが、昨年度までは、
当地では唯一ディナーが楽しめるRホテルで行っていた。
 ところが、7月にそのRホテルが突然倒産した。

 例年50人以上の参加者がある。
その人数に飲食を提供する会場が市内からなくなったのだ。
 イベントの中止もテーマになったが、
ともかく今年は何とかして、実施しようと決めた。

 よく会議などで利用する『市民活動センター』の多目的室で、
お弁当とアルコール以外の飲み物で行うことにした。

 今回実施してみて、あまりにも参加者が少なかった場合は
来年度からの実施は見送ろう。
 そんなことも考えた。

 ところが、参加募集をすると例年より参加が多かった。
会場は決して広くない。
 ホテルに比べ、食事もイマイチ。
ところが、それが高齢者にはよかったらしい。

 取り寄せたお弁当が、口にあった。
「美味しい」の声が、聞こえてきた。

 そして、こんな声も、
「ホテルなら着ていく服に困るけど、
ここなら気楽にこれて、いいよね!」

 それを裏付けるように、
会場には、和気あいあいとした雰囲気があった。

 「これも、またいいもんだ!」
私もそう思ってしまった。


  9月 某日 ②
 今年度2回目の学校運営協議会があった。
最初に、午後の授業を見せてもらった。
 低学年はすでに下校していたので、
3年生以上の教室を回った。

 学校は、今年度から新校舎になった。
4階建てで、中央に広い廊下があり両側に教室がある造りだった。
 エアコンも設置したと聞いた。

 最初の驚きは、廊下の天井にエアコンがあったことだ。
廊下の冷気を教室に送るシステムらしいのだ。
 教室の窓側の席は、さほど涼しくないように思えた。

 設置方法に違和感があった。
各教室に設置すればいいのに、「どうして?」。

 さて、授業だが学年が進むにつれ、
タブレットを使った学習展開が目についた。
 子供らは、学習ソフトからの情報を基に、
タブレットと向き合い、それぞれのペースで学習を進めていた。

 先生は、タブレットの載った机間を巡視しながら、
専ら明るく励ましの声をかけていた。
 学習につまづいている子を見つけ、
その子への個別指導をする姿を、
私が見ることはなかった。
 そもそもタブレットの情報で、
つまづきに気づくのは困難だと思った。

 それよりも、
「一人一人の子どもの理解には差があります。
 だから、一斉に同じように学習を進めること自体に無理があるのです。
一人一人の個別の学習を援助することが重要なんです」と、
学習塾などで聞きそうな理念が、学校に持ち込まれているように思えた。

 私は、腑に落ちなかった。
「きっと私が時代遅れなのだろう!?」
 必死に考えてみたが・・・「無理!」。

 さて、大きな戸惑いがもう1つあった。
学校は、新校舎の完成と共に旧校舎を解体した。
 それによってできた更地を、駐車場にする工事が進んでいた。

 その駐車場予定地の片隅に、
学校の歴史を感じさせる『二宮金次郎像』と『校訓を刻んだ石碑』があった。
 それを撤去し、別の場所に設置するか、廃棄するか。
どちらかにしなければならないとのことだった。

 校長・教頭の2人は、工事業者から「どうすのか」と迫られていた。
撤去し廃棄するのは、簡単だった。
 移動し設置するには、それなりの工事費用が必要だった。

 いずれにしても、像と石碑をどうするかの計画がないまま、
工事は進んできたようであった。
 
 学校における歴史的な施設設備をどう扱うかは、
設置者にとって重要な問題である。
 それは工事計画を立案する上で欠かせない事項であるはずだ。

 それをせずに、工事途中でその措置を校長と教頭の2人に託すとは・・・。 
奇妙なことである。
 なんとも2人には「気の毒!」としか言えなかった。

 


         秋 深まる
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D I A R Y 24年8月

2024-09-14 12:15:40 | つぶやき
  8月 某日 ①

 暑い日が続いていても、無性にラーメンが食べたくなる。
丁度、コーヒー豆も切れる頃だったので、
「室蘭のスタバまで行くついでに」
と、元祖室蘭ラーメンと称する『清洋軒』へ行くことにした。
 「そこの塩ラーメンが大好き!」。

 家内を誘い、猛暑の昼下がり、
室蘭の市街地からはやや離れた、
町外れの一角にあるその店に行った。

 当地も室蘭も、ラーメン店は家族経営が多い。
ここも老夫婦と息子で切り盛りしているが、
最近はご主人の姿がなく、老いた母と息子だけ。

 駐車場は2台がやっとのスペースで、
私はいつも路駐である。

 店の近くまで行くと、
珍しく、道の両側に路駐が5台もあった。
 店内は,カウンター7席とテーブル席1つで、
11人で満席になる。
 案の定、店に入れない客が6人も、
暖簾の外に並んでいた。

 驚いて、路駐の車を見ると、
3台がレンタカーだと分かった。
 きっと旅行ガイドなどで紹介されたのだと思った。

 待ち時間30分を覚悟し、列に並ぶことにした。
話し声と雰囲気で、前に立っている方々が、
アジア系の外国人だと分かった。
 そして、店内で食べている人も同じ仲間だと推測できた。
町外れのこの店で、外国人と一緒になるのは初めてだった。
 インバウンドがここまで広がっていることにも驚いた。

 さて、予想通り30分後、
テーブル席に座った私たちにやっとラーメンが届いた。
 カウンター席では、アジア系の方が7人、
自国語で会話しながら、のんびりとラーメンを食べていた。

 待ちに待った塩ラーメンを食べながら、
彼らの様子が気になった。
 すぐそばの女性は、箸が進まないようだった。
少し食べては、コショウをふったり、
ニンニクを加えたりしていた。  

 その隣りも、少し食べては箸を止め、
また少しといった具合だった。
 きっと口に合わないのだと思った。

 どこの国かは分からないが、
濃い味に慣れているのなら、
このラーメンの薄味は物足りないのかも知れない。

 そう思いながら、私は「相変わらず美味しい!」と、
音を立てながらラーメンをすすった。
 ふっと、気づくと向かい席の家内も、
美味しそうに音を立てながらラーメンを食べていた。

 でも、カウンター席の7人からは、
すする音が聞こえてこなかった。
 ゆっくりゆっくりしか食べていないことに納得した。

 それにしても、市街地から離れたラーメン店まで、
レンタカーで乗り付け、食べたラーメンの味は、
どうだったのだろう。
 あの様子から推測すると、 
「ううーん! 残念!」と言うところだろうか・・・。 


  8月 某日 ②

 芦別で、家内の両親が眠るお墓参りを済ませた翌日、
W市で大学時代の友人とパークゴルフをした。

 昨年、彼とは私の街で一緒にパークゴルフを楽しんだ。
そのお返しで、今回は彼の住まいがある地でとなったのだ。

 昨年は、地の利で私たち2人が勝ったが、
今回は彼のリベンジであった。

 さて、ラウンド後は市内のホテルでランチを予定していた。
ところが、行ってみるとレストランはお盆休み。

 そこで、車をホテルの駐車場に置いたまま、
市街を散策し、適当な食事処を探すことにした。

 ここは大学4年間を過ごした街である。
家内は同窓会で何度か来ていたが、
私がここを歩くのは大学卒業以来であった。

 歩いてみると、街は長い時間が流れて、
大きく変化していた。
 友人に、デパートのあった場所を尋ねた。
よくお酒を飲んで盛り上がった炉端焼きの居酒屋の場所も訊いた。
 冬のバイト先だった郵便局も・・・。
もやしと味噌の味が大好きだったラーメン屋も・・・。
 次々と知りたかった。

 そして、歩きながらふっと思い出したのが、
新入生歓迎コンパや卒業コンパで使った店だった。

 大学卒業後も彼は、マイホームをこの地に構えていた。
時には異動で離れた時期もあったが、多くをここで過ごしている。
 私の問いに、懐かしさを込めながら応じてくれた。

 そして、
「そうだ! コンパで使ったあの店だけど、
 今は,別の場所でレストランをやっているんだ。
あの頃と同じCという名前でね。
 そこで、ランチにしようよ!」。

 もう半世紀以上も忘れていた『C』の名前だった。
「今度のコンパも、Cで5時からです」
 そんな連絡が、50年ぶりに脳裏に蘇った。

 早速、そのレストランへ向かった。
私が知っているコンパ会場『C』は、
通りから直接2階へ行くことができた。
 そして、現在の『C』は3階建ての小洒落たビルの2階にあった。

 まったく様変わりしていたが、
ここも通りから直接階段で2階へ行けた。
 そんな共通項に気づいただけで嬉しくなった。

 お盆休みも手伝ってと閑散とした街中だったが、
それに反して店内は混み合っていた。
 私たちの3人席だけが空いていた。
豊富なメニューから3人ともカレーライスをオーダーした。

 やや時間をおいて届いたその盛りの多さに、
3人で目を丸くした。
 毎日、空腹感で過ごした学生時代、
『C』で出された盛りのいいコンパ料理を思い出した。

 あの頃と同じで、味も良かった。
だけど、明らかに私の方が違っていた。
 食後のコーヒーを持ってきた店員さんに、正直に言った。
「若い頃に食べた『C』と同じで、すごく美味しかったです。
でも、もうあの頃のようには食べられなくなりました。
 残してごめんね」。
店員さんは笑顔で、私と同じように食べ残した
家内のものも一緒にさげてくれた。 
 懐かしい時間が流れていた。




         秋   空
              ※次回のブログ更新予定は9月28日(土)です  
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早 朝 、 夢 見 る

2024-08-17 12:20:01 | つぶやき
 3ヶ月前からになるだろうか、
就寝前にカモミールの入ったハーブティーを飲み始めた。 
 安眠効果があると聞き、半信半疑で試してみた。
「効果てきめん!」と言い切れないが、
グッスリと眠れているようで続けてきた。

 そのためかどうか、
最近、早朝によく夢を見るようになった。
 昔を思い出すような懐かしいものもあれば、
時には、切なくなるようなものもある。
 目覚めた後に思い出せるのは、
決まって後者である。
 2つ記す。

  ① 熱中症!
 先週土曜日に自治会主催の『夏まつり』があった。
朝から快晴で、今夏一番の暑さの日だった。

 夕方開催のイベントだが、
午前10時半から準備を始めた。
 役員や有志など約40人で、
強い日差しの下、櫓や子供縁日、販売所の設営、
そして、串焼きや焼きそばの調理にと頑張った。

 準備前の打ち合わせ会冒頭に、
自治会長の私は挨拶で、こう訴えた。

 「今、一番危惧しているのは熱中症です。
是非小まめに水分補給をお願いします。
 そして、特に屋外での準備の方は、
定期的に会館内に入って、
エアコンの効いた所で休憩をとってください」。
 祈るような想いであった。

 その後、どの人も黙々と準備を始めた。 
私は、様々な指示や相談に応じながら、
時間を見ては、カゴに冷えたペットボトルを入れ、
水分補給を勧めて回った。

 串焼きや焼きそばで、炭火の前に立つ人たちは、
次々と手を伸ばし、カゴからペットボトルを取った。
 
 会場にブルーシートを敷き、長テーブルを置く人たちも、
同様に水分を求めた。

 エアコンのある会館内で、焼きそばのパック詰めをする女性陣も
冷えた飲み物に手を伸ばした。

 どんどん水分消費が進んだ。
何度も、急いで追加を買いに行って貰った。
 やがて、「塩飴」で塩分補給をした方がいいと声が上がった。
それもコンビニへと車を走らせた。

 全ての準備に見通しが付いた4時過ぎ、
暑さも一区切りがついた。
 気がかりだった「熱中症」も、やっと脳裏から消えた。

 「夏まつり」は、昨年同様4百人近い参加者で賑わい、
楽しく進み、予定通り7時過ぎに終えることができた。
 その後、後始末と役員の簡単な慰労会を終え、
9時前にはみんな帰宅した。
 できなかった後片付けは、翌日8時からと決めた。

 さて、カモミール入りのお茶と疲労で、
グッスリ眠った翌朝だった。
 早々と「夏まつり」会場の後片付けをしている夢を見た。

 毎年、翌朝の片付けに集まる面々で、
手際よく盆踊りの櫓から太鼓やスピーカーを降ろし、
会館の物置きに仕舞い込んだりしていた。
    
 昨日同様、猛烈な暑さの朝だった。
そこへ、散歩途中の若いパパがベビーカーを押してやって来た。
 男性は、夏まつりに参加し、「楽しかった」とお礼を言った。

 そして、私たちが片付けに動き回っているのを見て、
「手伝います!」と、
会場の片隅にベビーカーを置いて一緒に動き始めた。

 若い男性の仕事ぶりは、私たちとは違った。
キビキビしていて俊敏、その上力強かった。
 30分、いや1時間が過ぎただろうか。
若い力が1人加わったおかげで、
思いの外作業は早く終了した。

 男性は、ベビーカーへ戻った。
「どうしたの? Uちゃん! どうしたの?」
 男性の声は、異変を伝えていた。

 すぐにピンときた。
「誰か、救急車を!」
 炎天下のベビーカーの中で、グッタリとしている幼子を見た。
『昨日は、あんなに熱中症を警戒したのに・・』
 暗くつぶやきながら、私の至らなさをしきりに悔やんだ。

 夢は、そこで醒めた。
パジャマは全身の汗でグッショリ濡れていた。
 夢とは言え、詰めの甘い私の姿に気持ちは沈んでいた。
しばらくして、やっと夢でよかったと思えた。


  ② 「一歩一歩進めば!」 
 槍ヶ岳山荘に大きなリュックを置き、
水とヤッケ、タオルを入れたナップザックを背負い、登り始めた。
 アタックしているのは、槍ヶ岳の頂上だ。
  
 30代の頃、登頂経験があった。
しかし、年齢が年齢である。
 山荘まででもハードな山登りだった。
早朝、上高地を出発し、やっとここまでたどり着いたのだ。
 パートナーは、なぜか先日孫と一緒に伊達に来た二男。 

 ここから山頂まで30分程度の行程だ。
もう少しである。
 しかし、全ての経路は鉄梯子と鎖を握ってのもの・・・。
急登の連続、その上滑落の危険も伴った。 

 鉄梯子にしがみつきながら進んだ。
途中でふと足元を見た。
 真下は、全身が凍えるような急斜面の崖だった。

 足が止まった。
次の梯子へ足が動こうとしなかった。
 膝がガクガクと小刻みに震えた。

 先導の二男との間が離れた。
反対に、後ろからの登山者がもう足元に迫っていた。
 追い越しなどできない急登路である。

 「登るしかない」と分かっていた。
でも、あまりにもすごい高所なのだ。
 若い頃の景色とは全然違った。
恐怖心を押さえることができず、
私は立ちすくんでしまった。

 突然、入学前の二男も一緒に家族登山をした日が蘇った。  
中々目的地に着かず、泣き出した二男を
「一歩一歩進めば、必ず着くから!」
と私は励ましていた。 

 「そうだ。こんな時こそ一歩一歩だ!」
大きく深呼吸し、鉄梯子を握った手に力を入れ、
梯子の足を一段上へかけた。
 その時、先を行く二男から声が降ってきた。
「一歩一歩進めば、必ず着くから!」
 
 夢は、そこで醒めた。
目覚めると、確かに高齢の私がベッドに寝ていた。
 「もう、そんな歳か!」
小さくつぶやいた。 




     夏草茂る 気門別川
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D I A R Y 24年7月

2024-08-03 10:31:53 | つぶやき
  7月 某日 ①

 20日に『12年! 心の変容が・・?』と題して、
ブログの更新をした。
 次が、その書き出しである。

  *    *    *    *    *
 『S区退職校長会から会誌への原稿募集が来た。
例年のことである。
 2012年に当地へ移り住む時に、
多少でも縁つなぎになればと入会した。
 以来、毎年会誌への寄稿だけは続けてきた。

 ブログや地元紙に書いたことに加筆したものが多いが、
その時々、思いついた近況報告のようなものである。
 それでも、「毎年楽しみに待ってます」と、
便りをいただいたことも・・・。

 300字程度のものだが、列記すると、
この12年間の心の変容が見えるかも・・・。
 「試してみる!」。』 
  *    *    *    *    *

 ブログは、上記に続いて2012年から23年の「駄文?」を、
列記して終えた。

 それから数日後だ。
本ブログの『アクセス分析』にある
6時間以内のアクセスページの記録を見た。
 すると、なんと21年11月23日に更新した
『その時々 ~某会誌より』にアクセスがあった。

 急に記憶が蘇った。
急ぎそのページを開いてみた。
 書き出しは、こうだ。

  *    *    *    *    *
 10年前になる。 
当地へ転居する時に、
それまでの縁を多少なりとも繋いでおこうと、
某OBの会へ籍を置くことにした。

 年数回の集まりは、当然東京都内が会場のため出席できず、
唯一参加できるのは、年1回発行される会誌への執筆だった。

 先日、今年の会誌が届いた。
会員各位の近況を知ることができ、
小誌の隅々まで目を懲らした。
 
 ふと、暇に任せ、今までの会誌を取り出し、
私自身の一筆を読んでみた。
 どんな想いで書き記したのか、その時々が蘇った。

 会誌を通して振り返ると、
あっと言う間だと思っていた歳月を、
1つ1つ私らしく歩んでいたように思えた。   
 貴重な『証』と言えそうだ。
  *    *    *    *    *

  このブログも、上記の後に2013年から21年の「駄文?」を
列記して終わっている。

 つまりは、3年前に同様の記事をブログ掲載していたことになる。
それに全く思い当たらず、
「同じような書き出しで、まったく同じもの!」を記したのだ。
 きっと、それに気づき、確かめた方がいたのだ。
ついに、私もボケが始まったか。
 まったく、情けない!!!


  7月 某日 ②

 夏休みになり、小4の孫が二男と一緒に、
5泊6日の予定で遊びに来た。

 昨年は、往復新幹線だったが、
今年は勇気を出して羽田から新千歳まで空路。

 いくつかやりたいことや、行きたい所のリクエストがあった。
その1つが、温泉だった。
 
 色々と宿泊先に迷ったが、
今年は、北湯沢温泉の『森のソラニワ』にした。
 ここには「山の中のアスレチックパーク」があり、
子供に人気だと聞いたからだ。

 かなり本格的なコースのようで、
利用には身長と体重の制約があった。

 数年前に家族ずれを対象にリニューアルしたリゾートホテルには、
館内にもいくつか遊技施設があった。
 そして、北海道らしい広い大浴場と屋外プールも。
食事処も広く、夕食も朝食もバイキングで、
賑やかな子供の声が飛び交っていた。

 さて、翌日はいよいよアスレチックに挑戦だった。
「ジイジもいっしょにやろう」
 何度も誘われたが、その都度「無理!」と強く断った。

 受付を済ますと、
係員が孫と二男にヘルメットと命綱のついた装備を着せた。
 その装着なしでは、チャレンジできないのだとか・・。
2人は次第に緊張した表情になっていった。

 そして、いよいよ森の木立ちに造られたアスレチックへ。
私と家内も一緒に森に入り、その様子を見ることに・・・。

 命綱を付けた2人が梯子で登ったスタート位置は、
1本の杉の中間点にあった。
 見上げると平屋の屋根上より高い場所に2人はいた。

 私はドキドキしていた。
「あんな高い所の空中散歩!」
 命綱とヘルメットがあっても、落下が心配になった。

 スタート順が来た。
「ゆっくりでいいからね!」
 回りの人々は固唾を飲み、静かなのに、
私だけ一人、大声を張り上げていた。

 1つまた1つ、
孫も二男も真剣な表情で進んでいった。

 「ヨウシ! うまいよ、うまいよ。
その調子! 一歩一歩慎重にね!」
 首が痛くなるほど高い所を見上げ、
ずっと大声で励まし続けた。

 声を出しながら、こんな危険な所へ誘ったことを
後悔していた。
 もう途中で止めることができない。
無事、ゴールするまで声援を続けるしかなかった。

 所要時間はどれ位だったか。
途中で進めなくなっていた子がいたりで、
渋滞があった。
 なので、40分余りだったろうか・・・。

 2人は、笑顔で生還してきた。
「面白かった。もう1回やってもいいなぁ」
とまで言った。
 「もうやらなくていい。それより、じいじの声、聞こえた?」
思わず尋ねた。
 「全然、聞こえなかった。だって、夢中だったもん!」

 そして、もう一つ訊いた。
「高くて、怖くなかったの?」
 「あまり! ずうっと足元ばかり見てるから、
どれだけ高いかなんて、わからなかった」だって。

 私のドキドキは、すべて空振りだったようだ。

 
  7月 某日 ③

 小中学校が夏休みになった。
自治会が声をかけ、
恒例の「ラジオ体操」が始まった。

 時間になると、ラジオ体操の出席カードを首に下げ、
自治会会館横の広場に、子供たちが集まってくる。
 昔も今も変わらない夏の光景である。

 昨年より参加者が多く、活気がある。
しかし、気になることが・・・。
 「友達同士で誘い合って」の参加が減っている。
代わって、親子での姿が年々増えているのだ。

 さて、この変化をどう理解すればいいのだろう。
子供の友達関係が希薄になっているのではないだろうか・・。
 だから、友達を誘うよりも親を頼りにする。
そう推測し、気が重くなるのは私だけだろうか。




    『ガクアジサイ』盛り ~色がいい
               ※次回ブログの更新予定は8月17日(土)です。
   
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