ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

楽しい授業の条件 その3

2014-11-26 20:33:11 | 教育
 『楽しい授業の条件 その1』(10月7日ブログ掲載)では、
学習課題の魅力について、
 『楽しい授業の条件 その2』(11月1日ブログ掲載)では、
学習方法の魅力について、
それぞれ私見を述べた。

今回は、第3の条件である
「その授業の構成員(教師、友達)の魅力」について記す。

 私のいう授業の構成員とは、
その授業に関わる全ての人をさすが
主には、その授業を担当する教師と
授業に参加する児童・生徒である。

その一人でも二人でも、
あるいは全員に対してでもいいから魅力を感じる、
つまり惹かれる、
そんな存在がいたなら、
その授業はきっと楽しいと感じるものになると思う。

極端な例えになるが、
大好きな異性と一緒の授業は、
だたその人がいるだけで、楽しいのである。

淡い恋心などと言ったものでなくても、
好感のもてる仲間や信頼のできる教師と一緒に
試行錯誤する授業は、
そんな人たちと関わるだけで、
授業の楽しさを十分に感じることができる。

 従って、授業構成員の魅力のポイントは、
次の2つであり、教師はそのことに、
心を砕かなければならない。
① 好感のもてる仲間がいる学級
② 信頼のできる教師の存在


 1、好感のもてる仲間に囲まれた学級

 学級のメンバーに好感がもてるようになるため、 
最も重要なことは、
学習集団である学級の雰囲気である。

 閉鎖的で排他的傾向の強い学級と
開放的で寛容的傾向の強い学級では、
子ども達の友達への対応に大きな違いが生まれる。

 忘れ物をした友達に対する接し方一つをとっても、
一方は、“忘れた子が悪いと放置する”
他方は、“よくあることと自分の物を共同で使用する”
と、この2つに大別される。

この事例が教えるように、
教師は、開放的で寛容な学級を、子ども達とともに
築き上げていくよう心することが重要である。

 そのため、何はともあれ、温かい愛情と肯定的な視線で、
一人一人の子どもを評価することである。
そして、わずかな子どもの変容をも、敏感に感じ取る感受性を磨き、
その子のよさを引き出すことに、
指導の全ウエイトを傾けることである。

 加えて、少しでも成長したその子の姿を、
本人はもとより、学級の共有財産とするよう、
学級の全員に浸透させることが肝要である。

 子どもは、少しずつでも成長を遂げる友達にあこがれると共に、
「次は自分も。」とエネルギーを抱くことになる。
これが、学級の雰囲気をつくる源泉となる。

 このような空気に包まれた学級は、
必ずや子ども同士に聞く耳を磨かせる。
そして、友達の言動に対する興味関心や感受性を高める。
それが、友達の想いや行動、自分にはなかった発想、作品に
今までにない感動や気づきが生まれることになる。

 こんな積み重ねが、その子の回りに、
好感のもてる仲間を造っていくことになる。
このことは、簡単に想像できていい。

 くり返しになるが、
好感のもてる仲間づくりの第一歩は、
授業の構成員の一人である教師が、
愛情あふれる姿勢で子どもを見つめ、
その思いを子どもに分かる言葉で伝えることから始まる。


 2、信頼される教師でいるには

 子どもが信頼する教師とは、
まず何よりも子どもから見て、
分かりやすい教師でなければならない。

 指示や学習内容・方法に一貫性がなく、
教師の想いを理解できない。
 何を考えればいいのか分からない。
 どんな行動を求めているのか分からない。
 意図をどうくみ取ったらいいのか分からない。
 このような不安定な状態では、
教師への信頼は遠のくばかりである。

 教師の思いや願い、子どもへの期待感等々を、
子どもがしっかりと受け止めることができてこそ、
教師への信頼感は生まれるのである。
 教師が子どもから見て分かりやすい存在であること、
このことが子どもから信頼を得る最低条件である。

 例えば、授業において、
「あの先生の授業は分かりやすい。」
と、言った子どもからの評価が重要なのである。

 さらに、分かりやすい教師が、
どの子に対しても、その子の成長を心から喜び、
これからの進歩を励まし、
時には苦しみを共有してくれたなら、
子どもは限りない信頼を、その教師に寄せることになる。

 だから、教師は、子どもと同じ目線と
子どもに対する共感的な姿勢を貫くことに徹しなければならない。
しっかりとした子どもを見る目を持ち、
その子への深い理解を確かなものとし、
そして、それがその子にきちんと伝わるようにすること。
それが、信頼を紛れもないものにするのである。

 教師に、カリスマ性は不要と考えるが、
しかし、「どんな失敗をしても、決して先生は私を否定しない。」
そんな強い絆で結ばれていれば、
それだけで授業は楽しいものになる。




秋蒔き小麦の畑 間もなく緑色のまま雪の下で春を待つことに



 
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ラクダ色の革カバン

2014-11-19 20:00:22 | 恩師
 大学に入学して最初に受けた講義は『一般社会学』だった。
 北海道の小都市にある小さな教育大学にあって最も大きな教室に、
私たち1年生だけでなく沢山の学生がいた。
私は、前方中央の席を選び、講義の始まりを待った。

 しばらくすると、
いかにも学者風でよれよれの背広にネクタイ、猫背、
その上、白髪まじりで長めのパサパサ髪をオールバックにした教授が、
静かに静かに教壇に立った。

 私は、A田先生のその立ち振る舞いを見て、
「うわぁ、大学だ。」
と心が高ぶり、ギリギリの成績ではあったが、
こうして大学という舞台にいることに、この上ない幸せを感じた。

 先生は、くたびれたラクダ色の革カバンから
2,3冊ノートを取り出し、それを机に置くと、
おもむろに白いチョークを握り、
『SOCIOLOGY』と筆記体文字で大きく黒板に書いた。

 私は、当然読めなかった。
しかし、何も見ず、
手慣れている風にスラスラとスペルを書く姿を目の前にし、
新入生の私は目を見張り、思わず「すごい。」とつぶやいていた。

 以来1年間、私はこの講義だけは一度も欠かさず聴いた。
残念なことに講義内容の多くは理解できなかったが、
専門用語の横文字を殴り書きし、その文字を指さしながら、
それでもちょっと照れくさそうに、誰とも目を合わせず、
しかし熱の入った語り口調での講義に、私は一人のぼせていた。

 だから、2年生から始まるゼミでは、
A田研究室のゼミを選択した。
「これで、毎週先生とお話ができる。」
それだけでワクワクした。

 しかし、劣等生の私だった。
専門書などどれだけ頑張っても理解不能。
そんな私でも、先生は他のゼミ生と分け隔てなく問いかけてくれた。

先生の質問に答えるどころか、
私はその質問の内容さえ分からなかった。
先生は、
「いいんだよ。塚原君、
質問が質問として理解できたら、
それはその質問の半分が分かったことになる。
頑張りなさい。」
と、私を励ましてくれた。

 風貌などは全く似てはいないのだが、
どこか父に共通するものを感じ、
私は次第に甘え上手になった。
いつ頃からか同期のゼミ生と二人で、
先生のご自宅に伺うようになった。

 夕食後、大学の近くにある平屋の質素なお住まいを訪ねると、
先生一人が出迎えてくれた。
座卓のある広い居間に通された。
いつ行っても、先生は、初めにガラスコップと箸を卓に並べ、
次に台所から、日本酒の一升びんを片手にぶらさげ、
一方の手にロースハムを10枚ほど並べた大皿を持ってきた。
 当時、ロースハムは高価なものだったが、
それを肴にお酒をいただいた。
何も分かっていない学生二人の談論風発を、
先生は穏やかな表情で聞いてくれた。

 ある時、酒の勢いで私は本音を言った。
「僕は頭が悪く、特に物覚えがダメなんです。」
先生は、すかさず
「塚原君、君が大切だと思ったこと、
それだけを覚えておけばいい。つまり決定的瞬間だけ覚えておけばいいんだ。
後は全部忘れていい。」
私を縛っていた縄が一本ほどけた。
その言葉は、今も私を支えている。

 学生運動が盛んな時代だったが、
何とか4年生になり、夏、教員採用試験を受けた。
 結果は、不合格。
それでもめげずに第2次採用試験がある首都圏の都県を受験した。
これもことごとく不合格。
お先真っ暗な時、
東京都がこの年度だけ1月末に、
第3次採用試験を都内で実施することを知った。

 最後のチャンスと、受験を申し込んだ。
ところが、私には東京へ行く旅費がなかった。
それを知った友人達が
なんとか費用の半額をカンパと称して集めてくれた。
それでも、不足分を工面するめどが立たなかった。

 学食帰り、真冬のキャンパスをうつむきながらトボトボと歩いていた。
バッタリ先生に出会った。
 「君を探していたんだ。東京の受験、頑張りたまえ。」
と、くたびれたラクダ色の革カバンから祝儀袋を取り出した。
 袋には、『祈念 A田』と黒々とあった。
旅費の半額を賄うのに十分なピン札が入っていた。

 奇跡がおこり、私は1次筆記試験に合格した。
そして、2月、第2次作文・面接試験がこれまた都内でとなった。
再び、同じ悩みが訪れた。
ところが、これまた友人達のカンパ。
そしてキャンパスの雪道で、
「君を探していた。」
と、先生から『祈念』と書かれた祝儀袋。
 私は、経験したことない幸福感を力にし、2次試験も突破した。
卒業を目の前にして、江戸川区から採用内定の知らせも頂いた。

 大学を離れる日、
こんな私なのに、沢山の後輩達が駅まで見送りにきてくれた。
 数日前、私は先生へのお礼に代えて、
よくお酒を頂いたご自宅の屋根の雪下ろしを一人でやった。
先生は姿を見せなかった。
奥様に精一杯のご挨拶をし、お別れをしてきた。

 まだストーブに火が燃えている駅だった。
若者ののりで、大声をあげ、寂しさをごまかしながら、
それでも、別れのタイミングを見計らっていた時だった。
駅舎の扉が開いた。
まさかと思った。
黒の大きめのオーバーコートに
くたびれたラクダ色の革カバンをさげ、先生が入ってきた。

 言葉を失っていた私に、
先生は、焦げ茶の中折れ帽子をとって、
いつものようにちょっと照れたような表情で、
「塚原君、虐げられた者の味方でいたまえ。」
と、右手をさしだしてくれた。
初めて先生の手を握った。

 先生が亡くなられて、20年近くになるだろうか。
先生から託された『虐げられた者の味方』と言う言葉を忘れたことはなかった。
しかし、私にはあまりにも難しいことだった。

振り返ると、教師としてあるいは人間として、
私はどちらかと言えばいつも『虐げられた者』の側で生きてきた。
いや生きようとしてきた。
だが、「味方として何ができたか。」「味方であったか。」と問われると、
私は再び大学のゼミの時間に戻り、答えに詰まってしまう。

そんな私を見て、先生はきっと、
「その言葉を忘れなかっただけでいいんだよ。」
と言ってくれるような気がする。

 私は、まだ、一度も先生のお墓参りをしていない。
それどころが、先生のお墓がどこにあるのかも分からない。

 大きな忘れ物をしたままでいる。




街路樹のナナカマドが 赤い実だけに
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共感すること

2014-11-13 17:07:36 | 映画
 その映画を観たのは、先週の金曜日だった。

 それから5日が過ぎ、昼食のために小さな食堂に入った。
 映画のワンシーンに似たテーブル席についた。
 最近はまっている醤油ラーメンを注文した。
 しばらくして、熱々のラーメンがテーブルに置かれた。

 辛くやるせない毎日、
だけど前を向き、歩もうとした彼と彼女そして弟。
三人で乾杯をする場面が思い出された。
ラーメンの湯気が、急に熱さを増した気がした。

その時突然、あるシーンがよぎり、
向かいの席でラーメンをすする家内に、
「彼女から、一緒にお墓参りに行こうって言われたとき、
どれだけ嬉しかっただろうね。」
と、私は胸をつまらせ、箸を止めた。
 食堂の方が、不思議そうな顔をして、何度も私を見ていた。

 映画を観ていた時、涙など全く浮かんでこなかった。
ただただ暗く重たいストーリーと映像に、
ついて行くのが精一杯だった。
きっと、映し出されたスクリーンは、
私のキャパを超えていたのだと思う。

ところが、
映画を見終わって、席を立ってから、
時間が経つにつれ、徐々に徐々に悲しみがこみ上げ
「あの時、達夫(主人公)は、
こんな思いであの繁華街を歩いていたんだ。」
「千夏(彼女)は、あんな立ち位置しかない現実の中で、
ああやって暮らすこと以外できないよ。」等々。
息が詰まりような切なさに襲われてた。
そして、その苦しみとやるせなさが深いだけに、
一瞬の嬉しさと安堵感は、
私の想像をはるかに越え、
あれから何日も過ぎたのに、
たびたびその衝動が、私を感涙へと誘った。

 最近、娯楽映画とホームドラマに取り囲まれ、
ハッピーエンドなストーリーに観慣れていたからか、
映画の悲劇性と優しさに魅せられた。

 聞くところによると、原作は23年前。
作者は41歳の若さで自ら命を絶ったと言う。
しかし、描かれた映画は、
全く色あせることなく、見事に現代を映し出し、
強いメッセージを私たちに託している。

 蛇足だが、綾野剛も池脇千鶴も菅田将暉もすごい役者だと思った。
また、この映画でモントリオール世界映画祭最優秀監督賞を
37歳の若さで受賞した呉美保監督もすごいと思った。

 この映画のチラシにある言葉を借りると
「男は彷徨っていた。生きる場所を探して―」
「女は諦めていた。生きる場所を探すことに―」

 そんな二人が、少しずつ距離を縮めていくのだが、
それでも現実はさらに過酷なものに。

 私自身の足下を見ると、類似した現実が数多くある。
過去には、過酷な現実の中で生活していた教え子を何人も見てきた。
そのような中で、私はただただ無力でしかなかった。
現実をチェンジする力も、言葉も私にはない。

 あるのは、彼らに共感することだけだった。
今もそれだけしかない。
あの悲しみや苦しみの一部分でも、
自分の悲しみや苦しみに、
せめてそれだけでもと思いつつ、
だけども、それがきっと無力から抜け出す力につながる
と、私は信じてきたし、これからもそう信じていく。

 この映画は、私にそんなことを気づかせてくれた。

 しかし、題名は、『そこのみにて光輝く』と言うのだけど。




唐松が橙色に染まった。まもなく落葉。


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サンダルに片手ポケット

2014-11-07 21:58:48 | ジョギング
 『勝手にチャレンジャー』(8月17日ブログ掲載)になって、
4月末に行わた“伊達ハーフマラソン”の10キロコースに出場した。

 朝、家内と二人で走るのとは異なり、
沢山の老若男女に入り交じり、しかも同じ方向をむいて走ることは、
私のテンションを上げるのに十分だった。

それでも、この年齢での10キロ走である。
去年は、5キロしか走っていないのだから、その倍の距離。
「無事完走できるか。」「他のランナーに迷惑をかけたりはしないか。」
などと、ゴールするまで不安と同居しての走りだった。

その反面、あわよくば1時間を切りたいなんて、
大それた目標を心に秘めていた。
しかし、1分7秒のオーバー。
「あの下り坂はもっと速く走れた。」だの、
「なぜ最後にピッチを上げなかったのだ。」などと、後悔しきり。

 しかしである。
1年前に同じ大会で見た、
視覚に障害のある方々と伴走者のゴールシーンに胸を焦がし、
私も10キロを走りたいとスロージョギングを継続してきた。
その成果を確かめることができ、ともに完走した家内と一緒に喜びあった。

何かの事情があったのだろう。
今年、視覚障害の方の走る姿は見られなかった。

 この大会の数日後、私は右肘の手術。
そして術後の手と手首の痺れ、麻痺、痛み。
現職時代からの趣味であったゴルフは、「夢のまた夢」になっている。
ジョギングだけは、医師からオーケーとなり、
なぜか走っている時は痛みが和らぎ、私を慰めてくれた。

 ところで、伊達に来てから気づいたことがある。
それは、どこの地方でも同じだろうが、
伊達も『車社会』だということ。

 人々の一番の移動手段は車。
『ドアツードアは車オンリー』が大勢である。
だから、道を歩く人の姿は、車に比べると極めて少ない。

 主な歩く用途、それは犬の散歩かウオーキングである。
だから、昼日中より朝夕の方が歩く人の姿が多い。
 おかげで、朝のジョギングですれ違い、
「おはようございます。」と声をかけ合ううちに、
一言二言と言葉を交わし、
今ではご近所付き合いをするほど親しくなった方もいる。

 私と同じ年格好の男性と顔馴染みになったのは、
右肘手術後の5月末のことだった。

 家内と私は、10キロの完走に少々自信が芽生え、
朝のジョギングの距離を少しだけ伸ばすことにした。

 彼との最初の出会いは、
私たちが初めてジョギングしながら駆け上った、
ちょっと小高い農道だった。
伊達のなだらかな丘陵地帯に広がる畑では
様々な野菜が栽培されおり、
その農道からの野菜畑の眺めは、開放感が一杯で、
その後ろにある有珠山と昭和新山がこれまた素敵だった。

 彼は、その農道をサンダルばきで片手をポケットに入れ、
愛犬をつれてのんびりと散歩していた。
初めてすれ違った日、
「おはようございます。」とあいさつした私たちに、
愛犬が、急にワンと一声吠えた。
彼は、「吠えるな。」と小声で愛犬を叱り、
農道の片隅に立ち止まり、私たちを見送った。

 次に出会ったとき、愛犬はもう吠えなかった。
彼は私たちのあいさつに、「おはよう。」と答えてくれたが、
相変わらずサンダルに片手ポケットだった。

どうした訳か、私は、あの広々とした丘陵の農道で、朝の光を受け、
彼と出会うことを楽しみにするようになった。

 わずが数秒のすれ違いである。
しかし、そこには幾つものエピソードがある。

 あの朝は、いつもの帽子をかぶり忘れ、
一人でジョギングに出た。
彼は、例のごとくサンダルと片手ポケット。
愛犬は私を見て、いつものように吠えなかった。
私は、明るく「おはようございます。」
と、声をかけ、走り過ぎた。
彼は不思議そうな顔をして私を見た。
若干、不自然な空気が流れた。
そして次の瞬間、私の背に
「帽子ないと、そっか。ゴメン。」
 きっと片手ポケットのままだろう。
それでも、きちんと体を私にむけていたと思う。
私は、おかしさがこみ上げ、
走りながら振り向くことなく、片手を勢いよく振った。

 夏の暑い盛りの日、
久しぶりにいつものスタイルの彼に出会った。
 「おはようございます。」
と、二人して声をかけた。
 「暑いね。よく走るね。百まで生きれるわ。」
と彼。
 「そう、百歳が目標。」
と笑う私。
 「それはいい。無理するな。」
素っ気なく言い放つ彼。
 肩の力がすっと抜け、クスッと足下を見た。

 雨が降らない日が何日も続いた。
 農道から畑の土色を見ながら、
「これじゃ、農家は困るなあ。」
と、挨拶代わりに彼。
 「そうですね。」
としか切り返せず、駆け抜ける私。
 そして、雨上がりの朝。
「雨降って、良かったですね。」
と、明るく声をかける私に、
 「このくらいの雨じゃ、足りん。」
と、無愛想な彼。
 私は「すみません。」
と、心の中でつぶやきながら、
なんで叱られ役なのと、首を傾げ、
それでも、家内と顔を見合わせ、明るくランニング。

10月に入り、家内が膝痛で走れなくなる。
 「あれ、一人かい。」と片手ポケット。
「はい、膝を痛めて。」
「そうかい。大変だ。」
それから数日後、
「あれ、一人かい。」
「膝、痛めて。」
「知ってるけど、まだ治らんかい。」
「はい。」
「大事にしてやんな。」
寒くなってきたのに、まだサンダル。
でも、その言葉ににじむ温かさに、
私はちょっとだけ熱いものが。

 飾りっ気などどこにもない。
 いつも愛犬をつれ、
ゆっくりとした歩調の散歩。
振る舞いもたたずまいも変わらない。
だけど、彼とのすれ違いながらの会話に、
私は、人としてのあり方を教えてもらっている。

「そんなに、力、入れないの。」って。




数日前 有珠山 初冠雪
  



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楽しい授業の条件 その2

2014-11-01 14:21:03 | 教育
 授業実践と授業観察から、私は楽しい授業の条件を次の3つとした。
 ① その授業の学習課題(学習問題)に魅力があること。
 ② その授業の学習方法(進め方)に魅力があること。
 ③ その授業の構成員(教師・友達)に魅力があること。

 『楽しい授業の条件 その1』で、学習課題の魅力について述べたので、
ここでは、②学習方法の魅力について、私見を記す。

 私がいう『学習方法』とは、授業展開そのものを指すが、
授業の冒頭つまり導入の段階で示された学習課題に対して、
どんな方法でそれに迫り、解決に導いていくのか、
それが学習方法=学習の進め方である。

 この学習の方法=進め方は、まさに多種多彩、千差万別で、
定番など決してないが、
学習課題の達成・解決にとって最も有効であることが望ましいとされている。

 また、学習方法とはその授業の成否を決定づけるものであり、
授業の根幹と言えるものである。

 したがって、授業を立案する教師にとって、
学習方法の吟味と採用は、教師としての技量か問われ、
ワクワクする時間であると共に、苦悩の時間でもある。

 「こんな方法で、はたして子どもの理解は進むのだろうか。」
「この進め方で、課題達成に近づけるのだろうか。」と不安を抱くこともある。
また、アイディアに富んだ方法が生まれ、期待感を膨らませることもある。

いずれにしても、教師の情熱から生まれた学習方法が、
授業の運命を握るのである。

 若干重複するが、学習方法を決めるとき、
教師は、常にその授業で学んでほしいこと、
つまり、学習課題の達成を強く意識する。
それは当然のことであり、授業はまぎれもなく学習の場であり、
課題達成のための時間なのである。

 しかし、その学習方法に対して、
子どもが魅力を感じず、意欲が持てないものであれば、
授業の使命である課題達成は、遠のくことになるであろう。
味気ない時間から実りを得ることなど絶対にできない。

 つまり、学習方法とは、
学習課題を達成させるためのものであると同時に、
その学習方法が
「面白そう。」「やってみたい。」「このやり方でできそうだ。」等と、
子ども自身が受け止め、
魅力と感じてこそ、課題の達成が期待できるのである。

そして、達成が実現できそうだという学習の過程が、
どの子も楽しさを感じる時間となるのである。

 続いて、子どもが魅力を感じる学習方法の手掛かりを4つ紹介する。

 1 バリエーションを豊かに

 「聞いたことは忘れる。見たことは覚える。やったことは身につく」
 この言葉は、体験学習の重要性へのキャッチフレーズだが、
課題に対応した的確な体験は、子どもに活気を与えてくれる。

 「大きなかぶをどうやってぬいたのか。やってみようよ。」
と、授業の一部に劇を取り入れる。
 「今日の問題は一人で考えるのではなく、最初から班で解くことにしよう。」
と、グループ学習の授業にする。
 「今まで学んだことで心に残ったことを4コマまんがにしよう。」
と、まとめの学習をする。

 学習方法は、教師と子どもの一問一答であってはならない。
じっと机に向かい、前を向き、
教師の話を聞いているだけでは、面白味は全くない。

 課題に応じた学習方法は、
毎時間授業のどこかに変化があったり、
デジタルやアナログな教材が使われたりと、
とにかくバリエーション豊富でなければならない。

 今日はどんなやり方で授業が進むのか。
その期待感が魅力なのである。

 そのため、教師には豊かな発想力が求められる。
併せて、学年会等々教職員のチームワークが
豊かな発想力を補う役割を負ってくれる。

 2 流れが見通せる

 ドリル学習のような、くり返しくり返しを通して進んでいく学習に、
集中力を発揮し意欲が持続する子が多い。
これは、学習の流れのパターンが分かり、
学習内容と共に学習方法を熟知したことが、
意欲につながったからである。

 このことが示すように、学習の流れが理解できること、
言い換えると学習の流れに見通しが持てることが、
子どもにとっての魅力の一つになる。

 教師が示す学習課題を受け止めたはいいが、
教師の発問が迷走し、
最初の発問と次の発問の関連性があいまいで、理解できない。
あるいは、渡されたワークシートによる作業学習が、
どう課題解決に役立つのか見当がつかない。
こんな先の見通せない学習では、魅力はほど遠く、
学習の押しつけでしかない。

 学習を進めていくにつれ、
達成のめどがおぼろげながらでもつかめてきた。
あるいは、こう進めていったら、きっといいものが仕上がる。
それが先の見通せる学習であり、
子どもはそこに魅力を感じることができる。

 3 学び合う・高め合う

 かねてより学校の授業と学習塾の授業の違いについて考えてきた。。
 その大きな違いは、
学習塾の授業は、主に競い合いの授業であり、
学校の授業は、主に学び合い高め合いの授業にあると言えよう。

 学習塾は、進学受験が目的であるため、
どうしても競争から逃れることはできない。
従って、授業も受験という競い合いがメインとなる。

 それに比べ、学校は人格形成、
つまり人間性や社会性の育成を重視する。
従って、授業においてもそれが求められる。
全ての授業において、友達をはじめ
多くの人々との関わりの中で
学習を進めることが重要視される。

 とりわけ、学級内の友達同士による
学び合い・高め合いの楽しさが大切である。

 同じ解答であっても、
全く違う方法でそれを導き出した友達への驚きと共に、
発想や視点の豊かさに気づく。
 同じ物語を読んだのに、
自分とは違う感動をしている友達がいることや、
同じ言葉への感じ方に大きな開きがあることに気づく。

これらは、学び合いから得た人間性の豊かさに直結する。
こんな体験への期待感が、学校の授業の魅力なのである。

 4 子どもを主役に

 できうる限り子ども自身が授業の進め方を
決めていけることが魅力につながる。

 学習課題の有効な達成方法として、
A案でもB案でも大差がない場合には、
あるいは、三つの学習の順序が、A・B・Cであっても、
反対のC・B・Aであっても構わない場合などには、
その決定を子どもに委ねることは可能である。

 子どもは、自らの学習のやり方を選べたことに
大いに満足する。
自分の学習方法と捉え、意欲を持って取り組むことができる。

 誰でもそうであろうが、
自ら選んだこととそうでないことでは、
その魅力に歴然とした違いが生じるものである。

 可能な場面では、進んで学習方法を
子どもに選択あるいは決定を委ねるようにしたい。


 なお、『楽しい授業の条件 その3』で、学習構成員の魅力については述べる。




歩道が黄色く染まった 
  
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