ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

心 耕してもらいながら

2019-12-28 19:46:41 | 思い
 ☆ 2019年の年の瀬である。
今年も、思いがけないドラマに、
いくつも出会うことができた。

 そんな日常だから、
70才を過ぎてもなお、前を向き続けているのだろう。

 そうです。
出会いの1つ1つが、私を勇気づけたり、
励ましたり、叱ったりした。
 それが、この1年も心を耕してくれた。

 ☆ まずは、さり気ない朝の1コマから。

 秋も終わりの頃のこと、いつものように、
『ガードランナーズ』の腕章を左腕に巻き、
5キロのジョギングに出た。

 公園の広い道で、ゆっくりと頼りない足どりで、
両手にポールを持ち、
ノルディックウオーキングをするお婆さんに出逢った。

 私を見るなり、腕章を指さし、
「それ、何?」と唇が動いた。
 走るのを止めて、応じた。

 「これですか。」
お婆さんは、私の左腕を見ながらうなずいた。
 「走りながら、
子ども達やお年寄りの見守りをしてるんです。」
 「あらそうなの!」

 お婆さんはちょっと驚いた顔をしたが、
その後一礼して、ゆっくりと歩きだした。

 それを見て、再び走り始めた私の背中に、
お婆さんの元気な声が届いた。
 「頑張ってください!」
「はーいっ!」。

 私も元気な声で答えたが、
「見守っているのは、どっちなんだ?!」
 不思議な気持ちになってしまった。

 お婆さんも、いや私も、
時として年齢を忘れていたのかも・・。
 「それでいい。それで!」
小さくつぶやきながら、自宅まで走った。

 ☆ 続いて、春真っ盛りの季節のことだ。
だて歴史の杜公園の野草園は、
次から次と春の花が咲き、心を弾ませてくれる。

 花の名前も、年々分かるようになり、
それが、私と草花の距離を縮めている。

 野草園の中央にある小さな池の片隅に、
あざやかな緑の葉に囲まれた黄色の花が咲いていた。
 その可憐さが、好きになった。 

 1年前だ。
その近くで、ボランティアの女性が、
手入れに余念がなかった。
 意を決して、花の名を尋ねた。

 「これかい。エゾノリュウキンカ。
この池は湧き水だから、
この花は水がキレイでないとダメなの。
 なのに、今年も一株盗まれた。
悪い奴がいるもんだね。」

 綺麗な水と可憐な黄色の花に合点がいった。
なのにそれを盗むとは、心に小さな汚点が残った。

 散歩がてら、今年もあの池のほとりの、
エゾノリュウキンカを探した。
 きっと手入れのお陰でしょう。
株の数も花も、倍以上に増えていた。

 腰をかがめて、その美しさに見入っていると、
同じように散歩途中の女性が、
私の横で立ち止まった。   
  
 突然、話しかけられた。
「綺麗ですね。」
 嬉しくなって、花を見ながらつい語った。

 「エゾノリュウキンカって言うんです。
別の名をヤチブキとも言って、
湯がいて食べるらしいですよ。」
 
 綺麗な水が育てることを話せば良かった。
なのに、先日、又聞きしたことを、
誇らしげに受け売りしてしまった。
 なんて、心が貧しいんだろう。    

 女性は遠慮がちに言った。
「食べるんですか。これを!。
そうですか・・。」
 曇った表情を浮かべ、一礼すると、
足早に去って行った。

 後姿を追いながら、女性にもエゾノリュウキンカにも、
申し訳ない気持ちが膨らんだ。
 ぽつりとひとり、凹んでしまった。 
汚点を作ってしまったことを悔いた。

 ☆ さて、こんな私の背中を、
何気なく押してくれるものがある。
その1つが、毎朝の新聞のコラムだ。
 今年も、スクラップブックが増えた。

 最近の朝日新聞から、
①11月18日『天声人語』と、
②12月4日『折々のことば』が心に残った。

 ① 
 借景とは、遠くの山や隣家の木々などを自分の庭の一部に見立て、
楽しむことをいう。
 ぶらぶら歩きで目を喜ばせるのも、
同じようなものかもしれない。
 きのう、サザンカの赤い花がほころんでいるのを見た
 ▼冬の始まりを告げるようにサザンカが咲き、
寒さが厳しくなってくれば、
お仲間のツバキの出番となる。
 わざわざ寒い季節を選んで咲くのには理由があると、
植物学者、多田多恵子さんの著書『したたかな植物たち』に教わった。
 鳥たちをうまく誘うためだという
 ▼サザンカと同じくツバキも、
虫ではなく、鳥に花粉を運んでもらう鳥媒花である。
 鳥のエサとなる虫がいなくなる冬はむしろ狙い目で、
たくさんの密を用意し、ヒヨドリやツグミなどを待つ。
 何より赤は、鳥たちを引き付ける色なのだという。
 ▼冬を彩る赤といえば、
マンリョウの小さな実もある。
 色で鳥を誘うのは同じだが、
味はいま一つらしい。
 実の赤さにつられて食べるものの、まずくて飛び去る。
だからこそ種子を遠くまで運んでもらえると、
多田さんは書いている
 ▼この季節に、あの色に、
ひとつひとつ意味を込めているのかと思うと、
植物たちがいじらしく思えてくる。
<万両の万の瞳の息づきて>永方裕子 
 ▼冬は、自然の風景だけでなく、
人の服装もモノトーンになりがちで、
まちなかには黒っぽいコートが目立つようになる。
 だからセーターだけ、
ネクタイだけでも鮮やかな色を身につけるのも悪くない。
 何よりも、自分の目を楽しませるために。
 *   *   *
 先日、久しぶりに散髪に行った。
理容店の明かりとりの四角い窓を、
街路樹の真っ赤なナナカマドの枝が覗いていた。

 青い空と枝先の赤い実が、額に納まって見えた。
これも借景かと、しばらく目が釘付けになった。
 そして、冬の赤い実のいじらしさを思い出した。

 店を出て、ナナカマドの下を歩いた。
その健気さが、心に浸みていった。

 急に、冬の赤に憧れた。
「よし、今年の冬は、あの赤のダウンジャケットにする。」
 セーターだけネクタイだけでは、済まさない。
何年もしまい込んでいたが、
早速、クローゼットの端から引っ張り出した。

 ②
  蜘蛛が上れば蜘蛛の糸は残らない。あえかな
 糸のひとすじの残光だけ、そこにある。
                   小池光
  体内から分泌した粘液で糸を縒って、精
 緻な網を編み、ひっかかった虫を捕食する。
 蜘蛛のその姿に「ものを食うとはかくも苦
 心のいることか」と、歌人は「身につまさ
 れ」る。しかもそのか細い糸の大半を、蜘
 蛛はふたたびきちんと体内にしまい込みつ
 つ、姿を消す。なんと折り目正しい生き方、
 気品のあるふるまい! 詩歌に詠われた動
 物をめぐる随想集『うたの動物記』から。
 *   *   *
 夏になると、我が家の軒下にも、蜘蛛が巣を張る。
それを時々、柄の長い竹箒で乱暴にはらい除ける。

 その緻密な網の目に驚き、箒を止めたことはある。
だが、いつも「こんなところに蜘蛛の巣」と、
邪魔物を取り払うかのように、遠慮なく箒の柄をふるった。

 歌人は、蜘蛛の糸を『あえかな糸』と称した。
「頼りなく弱々しい糸」とでも言うのだろうか。
 そして、「身につまされる」ほど、
蜘蛛の「苦心」に共感している。  

 それだけじゃない。
初めて知って、心が騒いだが、
蜘蛛は姿を消す時、その糸を残さない。
 『ふたたびきちんと体内にしまい込』むとは・・・。

 このコラムを書いている鷲田さんに念を押された。
『なんと折り目正しい行き方、
気品のあるふるまい!』

 若い頃からのツケがまわっている。
ずっと気にかけながらも、置き忘れたままにしてきたことだ。

 蜘蛛が羨ましい。
「今からでも・・」と、密かに私に語りかける。
 蜘蛛のように、
折り目正しく、気品あるふるまいを!


 伊達からの昭和新山 スペースマウンテンのよう?

    ※次回のブロク更新予定は、3週間後の1月18日(土)です。  
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「最後」を意識して 人生を

2019-12-21 19:51:17 | 思い
 本屋に長時間居座ったのは、久しぶりだった。
いつもなら、話題の小説に目が行くのだが、
どれも興味なく、手にする気になれなかった。

 きっと、気づかないところで、
私が求めているものが変化しているのだろう。
 そんなことを思いながら、文庫本やエッセイ集の棚をうろうろした。

 やはりいつもと違っていた。
本棚の片隅が気になった。
 『幻冬舎新書』のコーナーだ。

 『幻冬舎新書「知る」⇒「考える」⇒「行動する」力を磨くフェア』
と書かれ、どれも哲学じみた名の新書が並んでいた。
 1冊1冊の帯表紙にあるガイドに惹かれた。
こんなことは、初めてだった。

 全てを買い求めたい衝動にかられた。
しかし、「まずは1冊、読んでみてから」。  
 思いとどまって、1冊を選んだ。
 
 『ズルい。冷たい。愚か。だから人間は面白い!』
帯表紙の大文字が気になった。
 丹羽宇一郎さんの『人間の本性』だ。

 著者は、伊藤忠商事で経営トップにいた実業家だ。
また日中友好協会会長を務めてもいる。

 そのような方の著書だからだろうか。
読み進みながら、
「知る」「考える」「行動する」力が、
くすぐられているように感じた。

 その中から、強く打たれた一節について記す。
『人間の本性』の著者は、
その冒頭のタイトルを『第1章 死ぬまで未完成』としていた。
 
 そして、その章に、こんな言葉が載っていた。
『最後に自分の人生を振り返って心に悔いが残ることがないだろうか。
 仕事をはじめ、いろいろな競争に負けたかもしれないけれど、
人間としては誠実に、ちゃんと生きることができたと思えれば最高です。
 最後の最後に、われわれの死に顔が幸不幸を語ってくれることでしょう。』
 
 『心に悔いが残る』、『人間としては誠実』。
若干言い回しに違いはあるが、
「悔い」「誠実」は、最近富みに心が騒ぐワードだ。
 その上、人生の答えは『死ぬまで未完成』で、
『死に顔』が語ると著者は説く。

 正直、背筋が凍るほど衝撃を受けた。
異論など唱えようがない。
 それを受け止めるしかできない。

 しかし、その後、著者は凹みそうな私へ、
そっとエールをくれた。
 それは、『「最後」を意識すると、今日が変わる』。
そんなメッセージである。

 やや飛躍するように思えたが、
読者にこう問うている。
 『最後の晩餐は何にしますか。
……私なら毎日食べている白いご飯に生卵と醤油、
お漬物と味噌汁だけの食事を望みます。
 ……特別なものを食べたいという人は
意外と少ないのではないかと思います』と。 
 
 しばらく時間が必要だったが、その通りと納得した。
『特別なものを食べたい』とは思わない。
 きっと私は、そのメニューに、
いつもの「少量の大根おろしを加えた大粒納豆」を入れるだろう。

 続いて、著者は再び尋ね、こう強調もする。
『人生最後の一日…に何をするか…。
 私ならやはり、最後の晩餐と同じで、
ふだんと変わらぬ一日を望むと思います。
 最後だからといって、いままでしたことがない貴重で
珍しい体験をしたいということはない』と。

 これにも同感である。
住み慣れた伊達の光と風を感じながら、
いつもと変わらない日常を淡々と過ごす。
 それに優る一日はないと思えた。

 だから、『今が大事』と言う。そして、
『「最後」を意識して、自分の人生を見つめてみる……。
 …それによって何気なくすごしている「今」の大切さを、
心から感じることができるはず…』と。  

 気づかされた。
どこかに置き忘れていたことだ。
 『何気ない日常、凡庸に思える日常が、
実はものすごく非凡なものだということ』。

 その凡庸で非凡な日々を大事にすることが、
きっと「悔い」や「誠実」につながると思えた。

 つい曲がりかけていた背筋が、
シャキッと伸びた。
 これを活力と言うのだろうか。
活気づく私がいた。

 だが、著者は甘くない。
それだけすごい方なのだ。
 厳しさも口にする。

『生きることは基本的に困難や苦労が
つきまとうものであり、
 ……いかなる人も、四苦八苦の原則から
外れることは不可能』だと諭す。

 「四苦八苦?」。それは、
『生老病死<しょうろうびょうし>という大きな苦しみに加え、
 愛別離苦<あいべつりく>(愛する人やものとの別れ)、
怨憎会苦<おんぞうえく>(会いたくない人やものに会う)、
求不得苦<ぐふとくく>(欲しいものが手に入らない)、
五陰盛苦<ごおんじょうく>(肉体があるゆえの苦しみ)
の4つの苦しみを加えた』ものである。

『そこから免れることは、
どれほど優れた人であろうと不可能』なのだ。

 「さあ、覚悟して生きていこう!」。
そんな声が、ページの隅から聞こえてきそうだ。

 加えて、こう襟を正せとも。
それは、『人が常に守るべき5つの道徳『仁義礼智信」』だ。

 『利己心を抑えて人を思いやる「仁」、
筋を通し正しいことを行う「義」、
 人間関係を円滑に進めるための社会秩序である「礼」、
道理をわきまえ正しい判断を下す能力である「智」、
 偽らず、欺かず、人の信用を得る「信」。

 さて、いつまで苦しみを越えていけるか。
どこまで崇高な倫理観を忘れないでいられるか。
 肝に銘じながら、今を大事に過ごそう。

 『人間の本性』が教えてくれた宝を刻む。
今、私が求めていたものは、これだった。




  寒風の中で頑張る ホオズキ
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避難所運営ゲーム(HUG)を通じて

2019-12-07 18:28:44 | 思い
 自治会の自主防災検討委員会のメンバーとして、
昨年の夏から約半年をかけ、
地域防災のあり方について提言をまとめた。

 そして、その1部である自主防災組織『設置要綱』改訂版を、
今年4月の定期総会で提案し、承認を得た。
 その組織の本部構成員として、
防災リーダー、防災サブリーダーを新設した。

 このポジションは、消防、警察、医療従事者のOB等、
防災や救護に精通した方が相応しいと考えた。

 ところが、人選に入るとなかなか難しく、
遂には、検討委員会の私にその声がかかった。

 提言をまとめた1人としての責任があった。
「基本的は道筋だけはつけたい。
 その一歩を、踏み出さなければ、
ペーパープランで終わってしまう。」

 そんな思いがあり、どこまでできるかは後回しにして、
防災リーダーを引き受けた。

 さて、その任の一助になればと、
11月下旬『北海道地域防災マスター認定研修会』に参加した。

 ここで若干横道にそれるが、
研修会場は、室蘭市生涯学習センター「きらん」だった。
 ここは、卒業した中学校が閉校となり、
その跡地に新築され、昨年12月にオープンしたものだ。
 そこに、初めてお邪魔した。

 室蘭市を中心にその近隣から、約60人が受講した。
伊達市からも9人の名前があった。

 午前の講座に続き、
午後は、『避難所運営ゲーム(HUG)北海道版~Doはぐ~』を、
使ったグループ研修だった。
  
 「もし、あなたが真冬の北海道で、
しかも停電している状況下で、避難所で過ごすことになったら、
そして避難所を運営する立場になったとしたら・・」。
 そんな設定で、この防災ゲームは始まった。

 グループ編成は、初対面の6人だ。
真冬の北海道で大地震が発生した。
 災害が発生し、避難所の学校に次々と被災者がやってくる。
6人は、その避難所を切り盛りする役回りという設定だ。

 避難場所は、体育館がメインで、
校内は使用できない教室も多くあった。

 避難所開設前、最初の課題は、体育館の区割りと
受付場所の設定だった。

 二次災害回避と混乱を避けるため、
体育館の通路確保が、避難者を誘導する前の必須条件だった。
 加えて、どこを受付にするかも問われた。

 6人は、学校の見取り図を囲み、即決を求められた。
すでに、避難者は多数来ていると言うのだ。
 ゲームと言えども、緊迫感があった。
6人に遠慮など、許されなかった。
 
 「受付は、玄関でしょうね。」
「いや、寒い中、受付を待つ列が外じゃ気の毒だよ。
まずは玄関には入れてやり、それから受付でどうですか。」
 「じゃ、廊下に受付場所を作りますか?」
「なら、体育館前がいいんじゃない?」
 「でも、体育館入口の混雑は、避けた方がいいよ。」
「やっぱり、廊下にしましょうか。」
 「それより、ここはどうですか。
ほらここ、階段前にあるスペースを使っては。」
 「そうか、そこか。そのスペースを受付にしますか。」
6人は、確信が持てないまま、それでも小さく同意する。
 一気にチームワームができていく。

 「次は、体育館の通路ですね。・・」。
しばらく沈黙が続く。
 6人とも、体育館の見取り図をじっと見たまま・・。
すると、助言者が歩み寄り、ささやく。
 「沢山の人が、待ってますよ。」
「急いで」と、急かされる。

 「じゃ、出入口と真ん中だけを通路にしましょう。」
「非常口もつながないと、余震もありますから・・。」
 「ステージの活用も、今後必要になるでしょうから、
そこへも通路をつないでおきましょう。」
 見取り図に、縦横4本の通路が引かれる。

 「よし。では、受付は」
「私がします。」
 「そこまでの誘導は、私と○○さんで。」
「体育館の通路の目印は、どうします?」
 「何か考えて、できると思いますので、やりましょう。」
そんなやりとりがあって、ようやく避難所が開かれる。

 ゲームとは言え、そこまでに20分も要したろうか。
その後、番号の入ったカードをめくると、
様々な被災者がやってくる。
 課題が提示される。

 インフルエンザが疑われる人が来る。
高齢者を同伴したした人も。
 聴覚障害者とその奥さんも。
乳児と一緒のお母さんも。
 ペットの猫を抱えた人も。
そして、マイカーで乗り込んだ4人家族も。
 その1つ1つへの対応に迫られた。

 その上、夕暮れが迫る。
発電機が1台、運び込まれた。
 わずかな明かりだが、校内3カ所に発電機から配線できる。
どこにその電灯を配置するか。

 水200本とおにぎり100個が届く。
それを、いつ、どうやって配るか。

 カードは、私たちに問い、決断を迫る。
水もおにぎりも、全部配ってしまうか。
 いや、次がいつ来るかわからないのだから、
多少は残しておくべきか。
 6人は、顔を見合わせ迷う。

 夜になって気温が低下する。
やっと持ち込まれた暖房器は、石油ストーブが3つだけ。
 この3つを、どこに置くか。

 インフルエンザの人がいる教室?
乳児とお母さんのいる所?
 体育館にも置きますか?
カードは、問いかける。

 「そんなんじゃ、何の役にもならない。
もっと沢山なくちゃダメだ。」
 ついに、怒りが口に出る。
「でも、今は、これだけしかないんだから」
 そうなだめながら、対応に知恵を出し合う。

 そんなグループ討議が、
休憩時間を挟んで、3時間も続いた。
 久しぶりに、手応えのある活気ある研修だった。
グループ1人1人の真剣な表情が、それを語っていた。

 そんな充実感と共に、 
私は、避難所運営の難しさが、強く身に浸みていた。

 研修会場を出ると、すでに陽が落ちていた。
夕暮れの道を、運転しながら、
防災リーダーという任の重さが、ヒシヒシとのし掛かった。

 今さら、引き下がれないと思いつつ、
「もしも、今日のゲームに類似した災害に直面したら」。
 何度も何度も、同じ自問に追いかけられた。
私自身を勇気づける回答など見つけようがなかった。
 重責だけが、私を包んだ。

 しかし、今は思っている。
このような研修を積み重ねること。
 地域の方々にも、同様の研修機会を広げること。
そして、身の丈に応じた備えを、
日頃から、着実に前進させること。
 それしかないと思い直し、
私の責務と、じっくり向き合うことにした。





   雪におおわれた 有珠山の勇姿

      ※次回のブログ更新予定は 12月21日(土)です
 
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