2021年は、コロナ禍の最中だった。
夏には、無観客の東京オリンピックがあった。
その年の1月、
『錆び付きそうだ』と題したブログを書いた。
誰もが皆、制約された暮らし。
とりわけ私は、年齢を重ねるごとに、
体力だけでなく、感性にも陰りを強くしていた。
そこに追い打ちをかけるようなコロナ禍。
遂に、「錆び付きそうだぞ、お前!」と、
天の声が降ってきそうだった。
私だけでなく、日本中が悶々と1年を過ごした。
そして、12月25日に『ちょっと背伸び』の題で、
ブログに今後のプランを2つ記した。
たぶんに、錆び付きそうな自分への抵抗だったと思う。
あのブログでは胸張って明言できなかったが、
プラン1は、今はコロナで中止になっているマラソン大会だが、
諦めずに走り続け、
再開したマラソン大会に必ずエントリーすること。
プラン2は、ここまで書き綴ってきたブログの記事を基に、
エッセイ集を出版することであった。
さて、その結果だが、
2年前から様々なマラソン大会は再開した。
でも、私の走りはプラン通りには進まなかった。
諦めずに今後も努力を続けたいと思っている。
続いてプラン2だが、
あれから3年余りの時が流れた。
どんなエッセイ集にするか。
どんな視点でブログ記事をピックアップするか。
どの位のページ構成の本にするか。
実は、それらへの具体化をクリアーできないまま、
どの記事を載せようかと今までのブログを読み返し、
前へと歩を進めた。
どんな本になろうと、これは載せたいと決めたものは、
推敲をはじめた。
すると、ブログにある文の稚拙さに赤面した。
どのエッセイにも、長い時間をかけ吟味を重ねた。
急いで出版することはない。
締め切りに追われることもない。
すると、あっという間に1年が経ち、
まだまだゴールははるか先。
そしてまた1年が過ぎた。
いつ頃からか私の机上には、
「出版まで、諦めずにねばれ!」の張り紙が・・。
エッセイ集の構想を練りながら、
一方では、徐々に徐々に原稿の推敲を続けた。
思い起こすと楽しい時間だった気がする。
昨年初秋、まだ修正の余地を残しながらも、
遂にエッセイ集の原稿が仕上がった。
すぐに、出版社探しを始めた。
10数年ぶりに電話した郁朋社では、
少し間を置いてから、
以前にお世話になった社長さんが電話に出た。
私を覚えていてくれた。
担当を社長自らとし、
専用メールアドレスでのやりとりまで提案があった。
これこそ『素晴らしい縁』だと直感した。
ほぼ完成した原稿をメールで送った。
数日後、エッセイ集への評価と同時に、
出版の契約内容案・日程案等が送られてきた。
その後、「まえがき」「あとがき」の執筆や
表紙とイラスト、帯文の検討。
同時にゲラ原稿の校正と約3ヶ月を費やし、
製本印刷へ進んでいった。
途中で、出版社へ急ぎの連絡を度々した。
ある時は、文面の大幅差し替え。
ある章の標題の変更、
ついには本の副タイトルの修正まで。
私は、細部まで妥協したくなく、
我がままを言った。
出版社は、私のそんな思いを受け入れてくれた。
いつも素早く対応してもらえた。
矢張り私にとっては、『素晴らしい縁』であった。
さて、1月下旬になり、本が完成した。
早々、契約した謹呈分が自宅に届いた。
3年越しに、プラン2が達成した。
手に取ると大きな深呼吸の後に喜びがこみ上げた。
事前に準備していた謹呈リストに従い、
本を梱包し郵送した。
市内の方へは、私が郵便受けへ入れた。
その日から届いた本への電話が鳴り、
メール、ショートメール、LINEが来た。
数日後からは、はがきやお手紙までもが・・。
頂いた声は、すべて高評価。
賛辞ばかりだった。
「そんなお褒めの声に有頂天になってはいけない!」。
そうは思えない厳しい声は、簡単には届かないのだ。
冷静にそう思っても、
好評は素直にエネルギーになった。
3つを記す。
◎ 立春となりましたが寒い。
エッセイ集読ませていただきました。
ほっこりする話があふれ、
共感したり、納得したりと楽しく読み進めました。
「ラクダ色の皮カバン」「9年目の涙」
「美味しいねって」「輝き」など心動かされる作品が多く、
心あたたまる愛にあふれた時をすごすことができました。
忘れ物を探すかのような自分探しの旅。
確かな感性とそれを表現する筆力を強く感じさせられました。
私も俳句をがんばろうと思います。
○立春や親しき友の著書届く
◎ 全部読み終わりました。
ひとつひとつについて感じたことを
コメントしません(直接会って話がしたい)が、
優しさ、思いやり、愛に満ちたエピソードですね。
特に母親、兄(人間として大尊敬です)、
決して裕福ではないけど、
年老いて思い出すと家族の愛に包まれていることを感じるワタリさん、
感心するわ。
誰かに教えてもらった言葉を思い出します。
幼年、小中学校、高校時代にたくさん愛をもらった子どもは、
大人になって愛を返すようになると‥。
その反対に愛をもらわなかった子は、
愛が分からず、他人に愛を与えることができないよ‥と。
そのことばを聞いた時、自分がわがままで傲慢で優しくないのは、
生育歴と関係しているのかなと思いました。
すてきな本をありがとうございます。
時々読み返します。
私も自分史を書いておきたいと思っていますが‥。
◎毎朝 K川の川岸を散歩しております。
よくお見かけするダンディな紳士が塚原先生によく似ておられ、
心の中でご挨拶させていただいています。
この度は「ジューンベリーに忘れ物」のご出版
誠におめでとうございます。
素敵な御本をいただき大変うれしく、
早速読ませていただきました。
最初は何故か緊張して折り曲げないよう汚さないようにと
読んでおりましたが、
読み進めていく中で、ふとこれは私の本なのだと気付いて、
又うれしさがこみ上げてきました。
どのお話も文章が美しく、その景色がすっと立ち上がってきて、
心の中に納まっていく感じです。
特に大学の先生と「先生かえる」のお話がとても好きです。
涙なしでは読めません。
塚原先生の優しさの詰まったいい御本だと思います。
すみません。ヘタな文章で、長々と。
でも本当にうれしいステキな贈り物でした。
たくさんの方に読んでもらいたいなあと思います。
教育エッセイ ジューンベリーに忘れ物 ~心豊かであれば~
夏には、無観客の東京オリンピックがあった。
その年の1月、
『錆び付きそうだ』と題したブログを書いた。
誰もが皆、制約された暮らし。
とりわけ私は、年齢を重ねるごとに、
体力だけでなく、感性にも陰りを強くしていた。
そこに追い打ちをかけるようなコロナ禍。
遂に、「錆び付きそうだぞ、お前!」と、
天の声が降ってきそうだった。
私だけでなく、日本中が悶々と1年を過ごした。
そして、12月25日に『ちょっと背伸び』の題で、
ブログに今後のプランを2つ記した。
たぶんに、錆び付きそうな自分への抵抗だったと思う。
あのブログでは胸張って明言できなかったが、
プラン1は、今はコロナで中止になっているマラソン大会だが、
諦めずに走り続け、
再開したマラソン大会に必ずエントリーすること。
プラン2は、ここまで書き綴ってきたブログの記事を基に、
エッセイ集を出版することであった。
さて、その結果だが、
2年前から様々なマラソン大会は再開した。
でも、私の走りはプラン通りには進まなかった。
諦めずに今後も努力を続けたいと思っている。
続いてプラン2だが、
あれから3年余りの時が流れた。
どんなエッセイ集にするか。
どんな視点でブログ記事をピックアップするか。
どの位のページ構成の本にするか。
実は、それらへの具体化をクリアーできないまま、
どの記事を載せようかと今までのブログを読み返し、
前へと歩を進めた。
どんな本になろうと、これは載せたいと決めたものは、
推敲をはじめた。
すると、ブログにある文の稚拙さに赤面した。
どのエッセイにも、長い時間をかけ吟味を重ねた。
急いで出版することはない。
締め切りに追われることもない。
すると、あっという間に1年が経ち、
まだまだゴールははるか先。
そしてまた1年が過ぎた。
いつ頃からか私の机上には、
「出版まで、諦めずにねばれ!」の張り紙が・・。
エッセイ集の構想を練りながら、
一方では、徐々に徐々に原稿の推敲を続けた。
思い起こすと楽しい時間だった気がする。
昨年初秋、まだ修正の余地を残しながらも、
遂にエッセイ集の原稿が仕上がった。
すぐに、出版社探しを始めた。
10数年ぶりに電話した郁朋社では、
少し間を置いてから、
以前にお世話になった社長さんが電話に出た。
私を覚えていてくれた。
担当を社長自らとし、
専用メールアドレスでのやりとりまで提案があった。
これこそ『素晴らしい縁』だと直感した。
ほぼ完成した原稿をメールで送った。
数日後、エッセイ集への評価と同時に、
出版の契約内容案・日程案等が送られてきた。
その後、「まえがき」「あとがき」の執筆や
表紙とイラスト、帯文の検討。
同時にゲラ原稿の校正と約3ヶ月を費やし、
製本印刷へ進んでいった。
途中で、出版社へ急ぎの連絡を度々した。
ある時は、文面の大幅差し替え。
ある章の標題の変更、
ついには本の副タイトルの修正まで。
私は、細部まで妥協したくなく、
我がままを言った。
出版社は、私のそんな思いを受け入れてくれた。
いつも素早く対応してもらえた。
矢張り私にとっては、『素晴らしい縁』であった。
さて、1月下旬になり、本が完成した。
早々、契約した謹呈分が自宅に届いた。
3年越しに、プラン2が達成した。
手に取ると大きな深呼吸の後に喜びがこみ上げた。
事前に準備していた謹呈リストに従い、
本を梱包し郵送した。
市内の方へは、私が郵便受けへ入れた。
その日から届いた本への電話が鳴り、
メール、ショートメール、LINEが来た。
数日後からは、はがきやお手紙までもが・・。
頂いた声は、すべて高評価。
賛辞ばかりだった。
「そんなお褒めの声に有頂天になってはいけない!」。
そうは思えない厳しい声は、簡単には届かないのだ。
冷静にそう思っても、
好評は素直にエネルギーになった。
3つを記す。
◎ 立春となりましたが寒い。
エッセイ集読ませていただきました。
ほっこりする話があふれ、
共感したり、納得したりと楽しく読み進めました。
「ラクダ色の皮カバン」「9年目の涙」
「美味しいねって」「輝き」など心動かされる作品が多く、
心あたたまる愛にあふれた時をすごすことができました。
忘れ物を探すかのような自分探しの旅。
確かな感性とそれを表現する筆力を強く感じさせられました。
私も俳句をがんばろうと思います。
○立春や親しき友の著書届く
◎ 全部読み終わりました。
ひとつひとつについて感じたことを
コメントしません(直接会って話がしたい)が、
優しさ、思いやり、愛に満ちたエピソードですね。
特に母親、兄(人間として大尊敬です)、
決して裕福ではないけど、
年老いて思い出すと家族の愛に包まれていることを感じるワタリさん、
感心するわ。
誰かに教えてもらった言葉を思い出します。
幼年、小中学校、高校時代にたくさん愛をもらった子どもは、
大人になって愛を返すようになると‥。
その反対に愛をもらわなかった子は、
愛が分からず、他人に愛を与えることができないよ‥と。
そのことばを聞いた時、自分がわがままで傲慢で優しくないのは、
生育歴と関係しているのかなと思いました。
すてきな本をありがとうございます。
時々読み返します。
私も自分史を書いておきたいと思っていますが‥。
◎毎朝 K川の川岸を散歩しております。
よくお見かけするダンディな紳士が塚原先生によく似ておられ、
心の中でご挨拶させていただいています。
この度は「ジューンベリーに忘れ物」のご出版
誠におめでとうございます。
素敵な御本をいただき大変うれしく、
早速読ませていただきました。
最初は何故か緊張して折り曲げないよう汚さないようにと
読んでおりましたが、
読み進めていく中で、ふとこれは私の本なのだと気付いて、
又うれしさがこみ上げてきました。
どのお話も文章が美しく、その景色がすっと立ち上がってきて、
心の中に納まっていく感じです。
特に大学の先生と「先生かえる」のお話がとても好きです。
涙なしでは読めません。
塚原先生の優しさの詰まったいい御本だと思います。
すみません。ヘタな文章で、長々と。
でも本当にうれしいステキな贈り物でした。
たくさんの方に読んでもらいたいなあと思います。
教育エッセイ ジューンベリーに忘れ物 ~心豊かであれば~