ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

そば・そば・そば

2023-08-26 11:27:34 | グルメ
 お盆を過ぎると、夏の気配が薄れるのが北国の常だ。
国連の偉い方が
「地球温暖化ではない。沸騰化だ」
と言ったが、
当地の今週の暑さは、その台詞が大げさではない。

 12年前、伊達に新居を構える時、
エアコンをどうするか、建築業者から訊かれた。
 当地の暑さを知らない私らは、業者の考えに従うことにした。
ところが、業者の意見が分かれた。

 私と同世代の方は、
「内地の暑さとは違うから、なくてもいい」と言い、
若い方は真逆、
「年々暑さが厳しくなっていますので、
これから先を思うとあった方がいいかと」。
 困った私らは、同世代の考えに従った。
設計段階では設置になっていたエアコンを採用しなかったのだ。
 だから今年に限らず、夏は扇風機に涼を求めるだけで過ごしている。

 さて、熱中症警戒アラートが続いている。
外出を控え、エアコンのない引きこもり生活だ。
 これでは、食欲もなくなる。
「何か食べなくては」と思いつくのは、
麺類ばかり。
 ブログも、麺類で「そば」にした。


 ① まずは最近の「そば」から

 以前より行きたいと思っていた所があった。
夕張の『幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば』である。
 あの山田洋二監督の名作。
そのラストシーンのロケ地が残っていると言う。

 つい先日、この暑さの中、
高速道で約2時間のドライブ。
 ロケ地の夕張へ向かった。

 夕張に着くと、お昼時だった。
「まずは昼食を」と、道の駅に駐車した。
 ここも暑かった。

 館内に売店と軽食はあったが、
思っていたような食事処はなかった。

 炎天下、暖簾のかかった店を探すことにした。
夕張は斜陽の町だ。
 期待しないまま、数分歩いた。

 すると、営業中の赤いのぼり旗があった。
店の前には車が3,4台止まっていた。
 とにかく何か食べようと暖簾をくぐり、店に入った。

 予想外だった。
店内は、外の閑散さとは大違い。
 空席はカウンターの2つだけだった。
家内と並んで座った。

 カウンターの中には、
高齢夫婦と30代と見られる女性が1人いた。
 見上げたメニューの張り紙には、
一際大きく『名物・カレーそば』とあった。

 店主と思われる男性が、
「注文は?」と言う強い視線で私を見た。
 急いで、カウンターの左右を見た。
そして、後ろのテーブル席も見た。
 この暑さの中、全員が「カレーそば」だった。

 家内に確認しないまま私は、
「カレーそば」と人差し指と中指を立て、店主に見せた。
 コクリと店主はうなずいた。
期待が膨らむのに十分な店主の振る舞いだった。
 
 先客3人の後、私たち2人に「カレーそば」が来た。
カレーうどんの美味しさは記憶にあった。
 しかし、美味いカレーそばは知らなかった。

 そばとカレーのマッチングにビックリした。
この美味しさの食レポはできないが、
周りで食べていた人たちの美味そうな顔。
 私も同じ顔をしながら食べていたと思う。
珍しく家内が食べながら「美味しいね」と私に同意を求めた。

 食べ終えた器を、カウンターの縁に乗せながら、
店主に「美味しかった」と言った。
 注文を尋ねたのと同じ目をして店主は私を見た。
「期待どおりだったろう」。
 そう言いたかったのかも・・。

 外に出ると、どっと汗が噴き出した。
カレーそばだからだ。
 でも、きっとまたこの店に来る。 
そしてまた同じ注文をするだろうと思った。


 ② グループ旅行の「そば」から

 まだ現職だった頃の夏休みだ。
8人乗りのワンボックスカーで、一泊旅行に行った。
 私は、計画されたスケジュールに従うだけの気軽な旅だった。

 最初の計画は、そば打ち体験だった。
観光地によくある大きな民家風のそば屋だった。
 その裏手に体験教室があった。

 そこへ通されたが、
早く着いたらしくしばらく待たされた。
 やがて、気むずかしそうな男性が現れた。
そして、そば打ちの体験教室が始まった。

 8人はワイワイガヤガヤと、
楽しい雰囲気でそば打ち体験がしたかった。
 ところが、
「これでいいのかな」なんて声を出すと、
すかさず「黙ってやる」と強い口調で言われた。

 「師匠、こんな感じですけど・・」。
女性が不安げに尋ねても、
「ダメなときは、わかります。
黙ってやればいいんです」。
 無愛想な答えが返ってきた。

 全然楽しい時間ではなくなった。
それでも、最後のそばを切るところまで、
全員無言でやり終えた。

 「店に席を用意してあるので、
このそばはそこで食べて終了。
 店でゆで上がるのを待っててください」。

 言われるまま店の席で待った。
待ちくたびれて、2度3度と催促した。
 なかなか茹で上げって来ないのだ。

 ついに遅い理由を訊いた。
「そば打ち体験より店のお客さんを優先しています。
同じ釜で茹でるわけにはいきませんから」。

 待つこと1時間。
やっと私たちが打ったそばがきた。
 「黙って食べる」。
そんなことを言う人がいなくても、
誰も何も言わずに食べ、無言で店を後にした。
 
  
 ③ 1年前、湘南台の「そば」から

 昨年の春、二男は神奈川県藤沢市に転居した。
夏の暑い盛りを避けて、初めて訪ねてみた。
 最寄りの湘南台駅で、二男家族3人と待ち合わせた。

 まだ昼食には早かったが、
開店を待って行列ができる店だからと、
駅近くそば屋へ案内された。
 どこの町にでもありそうな店構えだった。

 「この店に行列ができるなんて・・」。
やや信じがたい思いで、店名の看板を見上げた。
 そこには、『元祖 鴨南ばん 本家』とあった。

 ビックリした。
最近の私は、どこのそば屋へ行っても注文は、
「鴨せいろ」だった。
 きっと、この店の「鴨せいろ」も美味いと直感した。

 ママに訊いた。
元祖は鴨南ばんだけでなく、鴨せいろも元祖だと言う。
 そんな店が、藤沢にあるとは、
驚きと一緒に期待が膨らんだ。
 気づくと、私たちの後ろには行列ができていた。

 やや細めのそばに本格的な鴨の汁がいい。
湘南台に来る楽しみが倍加した。 
  



    ミ ズ ヒ キ  ~歴史の杜公園・野草園 
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喰わず嫌い 『初めて』編

2018-02-15 16:58:13 | グルメ
 誰にでもあることだ。
食べたことのない料理を初めて口にする。
 その体験のいくつかが、鮮明に残っている。
その中から、「喰わず嫌い『初めて』編」として、2つ記す。

 ① 餃 子
 餃子の美味しさは、
東京での暮らしが始まってから知った。

 何と言っても、総武線亀戸駅近くの、
餃子専門店『亀戸餃子』が一番である。
 文字通り、専門店だ。
細長いコの字型をしたカウンターに腰を下ろすと、
注文などしなくても、5コの餃子がのった小皿が、
すっと置かれる。

 それを2こ、3こと口に運ぶと、
そのペースを見計らって、次の5コのり皿がくる。
 それのくり返しが、「もういいです。」まで続く。

 楽しくお喋りをしながら食べる人など、まずいない。
どの人も、店の餃子を醤油だれにつけ、
モクモクと食べる。

 水、ビール、中国酒など、餃子の友はそれぞれだが、
待ち時間が10分、20分でも、
食べたくなる味である。

 パリッと焼かれた皮もいいが、
私は野菜中心の餡に惹かれる。
 今なら、何皿いけるのだろう。
きっと、最低5皿は大丈夫だと思う。
 ちょっと想像しただけで、今すぐにでも食べたくなる。

 さて、初めて餃子を食べた時のことである。
それは、『亀戸餃子』ではない。

 東京の下町で教職の第一歩を踏み出して、
間もなくのことだ。
 その年に、同じ学校で新任だった3人で、
夕食を共にすることにした。

 暖簾をくぐったのは、初めて入った中華料理店だった。
カウンター越しの厨房には、
店主とそれによく似た顔の息子の2人がいた。

 テーブル席に着いてすぐ、メニューを見た。
『炒飯』は何とか読めた。しかし、『餃子』が読めなかった。
 それまで、私は餃子を知らなかった。

 少しテレながら、同期の先生に読み方を訊いた。
私が、知らないメニューだと伝えると、
 「美味しいから食べよう。」と勧めてくれた。
そして、3人とも、炒飯と餃子を注文した。

 運ばれた餃子に、私は物珍しい表情になった。
ここは訊くしかないと、食べ方を尋ねた。

 一緒に運ばれてきた小皿に、
少しのラー油と適量の酢、醤油を入れて、たれを作る。
 餃子を箸でつまみ、そのたれに少量つけて食べる。

 同期は、説明しながらたれをつくり、
餃子を1口食べてみせてくれた。
 そして、「美味しいよ。やってみな。」
満足そうな顔をむけた。

 初めて餃子のたれを作った。
今も、餃子のたれを作るとその時の光景が蘇る。
 どんな味なのか、想像できなかった。
ワクワク感より、嫌いな味ならどうしようか、
そんな不安が先行した。

 それまで味わったことのない食感だった。
でも、嫌いじゃなかった。
 咀嚼しているうちに旨さが分かった。
「これはいい。いける。」
 初めての美味しさだったが、嬉しくなった。
 
 満腹で会計を済ませ、店を出ると私はすぐに言った。
「ねえ、来週もまた来ようよ。あの餃子、美味しいね。」

 餃子が、好きになった。
それから、その店に限らず、たびたび餃子を注文した。
 やがて行き着いたのが、あの『亀戸餃子』である。

 ② ホ ヤ
 1月下旬、近隣の方々との新年会があった。
10人程の酒席だったが、
時間と共に次々と話に花が咲いた。

 その終盤、「今まで食べた中で一番美味しかったのは何か」に、
話題が集中した。
 「俺は、キンキの煮付けだ。」が、皮切りとなった。

 その味や見栄え、食べた場所や値段まで、一人一人のその話は、
まさに『人に歴史あり』そのものだった。

 「キンキもいいけど、ババガレイの煮付けかな。」
すると、
「こんな大きな毛ガニ、それが一番。だって、あれは美味しかったよ。・・」
と続き、次は
「○○で食べた生ガキだなあ、
大きいし、身がプリプリで・・、他のものとは違ったな。」
話はつきなかった。
 あげた食べ物は、海産物ばかり。
矢っ張り北海道民なんだと思って相づちを打っていた。 

 その続きで、ある女性があげた食べ物に、ビックリした。
なんと『ホヤ!』。『ホヤ』である。
 それが「一番美味しいかったよ。」と言うのだ。

 「なんか生臭い気がしていたんだけれど、
きっとすごく生きがよかったんだと思うの。
 食べてみたら、臭みなんかなくて、すごいの。
あの味、ずっと忘れられない。」 

 その話を聞きながら、
若い頃、初めてホヤを知った日を思い出した。

 退勤時間が迫っていた頃、今夜の夕食が話題になった。
そこから、なぜホヤへと話が進んだのか、思い出せない。

 一応、魚屋の息子なのに、
私はそれまでホヤなる海の幸を知らなかった。
 東北地方の海から、よく水揚げされること、
『海のパイナップル』と言われていること、
そんな説明が、周りからあった。

 その話の輪に、私と同様、ホヤを知らない同僚がいた。
話が、トントンと進み、ホヤを食べに行こうとなった。

 数日後、4,5名で寿司屋へ行った。
寿司屋なら、ホヤがあるだろうと思ってのことだ。

 注文すると、にぎり寿司の前に、
小さく切ったオレンジ色のホヤの刺身が、運ばれてきた。

 一斉に、箸が伸びた。
初物に慎重な私は、みんなから間をおき、
箸を持たなかった。

 私と同じく、ホヤを知らない同僚は、
何のためらいもなく、ホヤを口に運んだ。
 さすが、日頃から好き嫌いはないと言うだけある。
私は感心した。
 若干の時が・・。

 次の瞬間だ。
彼は、急に片手で口を押さえ、立ち上がった。
そして、店のトイレへ走り出した。

 しばらくして、若干青ざめた顔で席へ帰ってきた。
「いや、あれはダメだ。全部もどしたよ。」

 私のチャレンジ精神は、すっかりと消えてしまった。
ホヤを口にすることに、怖じ気づいた。

 「折角だから、少しでも食べてみたら。」
くり返し勧められても、首を横にふるだけ。
 無言を通した。

 あの日から今日までに、
様々な席でホヤ料理が並んだ。
 時には、「こんな美味しいホヤは初めて!」
と、言いながら勧められたこともある。

 それでも、ホヤに私の箸が向いたことは一度もない。
いつも、あの時の同僚の慌てぶりを思い出した。

 まさに、喰わず嫌いのままである。
それでいいと思っている。
 今後も、きっと変わることはない。





   『だてカルチャーセンター』 
2年前に陽水が公演 春にはアルフィーが来る

         ≪次回更新は3月2日予定≫ 
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喰わず嫌い 『きのこ』編

2017-10-27 22:03:38 | グルメ
 1昨年1月から、6回に分け、『喰わず嫌い』と題し、
『ノリの佃煮』編、『ウナギ』編、『貝』編、『イタリアン』編、
『兎鍋』編、『くだもの』編を書いた。

 それぞれ苦手な食べ物にまつわる、エピソードである。
読み返してみたら、『貝』編にこんな一文があった。

 「水産物の中の貝類、農産物の中のきのこ類、
ここには共通点があると勝手に解釈している。
 それは、それぞれの産物が
マイナーな食品と言ったイメージなのだが、
だからと言うわけではないにしても、
1部の例外はあるものの、
私はどちらも苦手にしている食べ物である。」
 そして、「今回は『貝』について記す」として、
帆立貝と北寄貝を取り上げていた。

 さて、貝と共に「マイナーな食品」とした『きのこ』であるが、
その後、私は何も語ってこなかった。

 つい10日程前になるが、
秋の味覚『きのこ』について、私は一歩踏み出した。
 いい機会なので、「喰わず嫌い『きのこ』編」として記す。

 きのこは畑ではなく、樹木に育つ。
それも老木のイメージがある。
 その上、燦々とした陽光より、日陰を好むのではなかろうか。

 私から見ると、暗い農産物なのだ。
どうしても大自然の恵み、
元気で健康な食べ物とは、思えない。
 だから、好きになれないできたのかも・・。

 しかし、この季節、店頭には山盛りのきのこが並ぶ。
椎茸をはじめ、シメジ、マイタケ、エノキ、エリンギ等々、
時には松茸も。
 この時期が旬なのは、その盛大さからもよく分かる。

 今までの私は、「それ程、好んで食べる物なのか。」
「そんなに、売れるのか。」と首をかしげてきた。

 ところが、先日、家内の買い物につきあって、
スーパーで行った。
 小さなナメコの袋づめに目がいった。

 「今日の夕食は、ナメコととうふの味噌汁はどうかな?」
自分でも意外だった。そんな提案をしていた。
 「えっ! いいの。きのこだよ。」

 私が、きのこを苦手にしていたので、
ナメコを使った料理が、
我が家の食卓に上ることはなかった。
 ましてや、私がそれを求めるなど、
まさに『あり得ない』ことだった。

 家内の驚きようは別にして、
その日の夕食、ナメコの入った味噌汁は、
期待通りの美味しさだった。

 実は、今年の春先からキノコ汁に、ある想いが芽生えた。
しかし、それをリクエストするには、
長年、「きのこは嫌い」と言い続けた私にとって、
大きなためらいがあった。

 何かの切っ掛けがほしかったが、
時だけが過ぎていった。
 そして、ついに一時の勢いで、
その日、突然の提案をしたのだ。
 ついに、『きのこ』へ、一歩足を進めることができた。

 その動機を書こう。 
大袈裟だが、5年もさかのぼる。

 伊達に来てから、ジョギングを始めた。
翌年の4月、『春一番 伊達ハーフマラソン』を知った。
 その大会で、初めて5キロを完走した。
それから、10キロ、そしてハーフと距離をのばした。
 毎年、なんとかゴールできた。

 4月のこの大会には、参加賞の他に、
『キノコ汁』券が付いてきた。
 なぜ『きのこ汁』なのか、その訳は知らないが、
ゴールしたランナーに、1杯の温かいキノコ汁が振る舞われた。

 当初、私には全く興味のないものだった。
それでも、完走の嬉しさが、
つい『キノコ汁』コーナーに向かわせた。
 案の定、キノコならではの味がした。
不思議なことに、喉の渇きがそれを完食させた。
 「美味しかった。」
決して、そんな言葉は出てこなかった。

 ところが、1年に1回の大会。
そこで振る舞われるキノコ汁だ。
 ゴール後のキノコ汁に対する想いが、
次第に変わっていった。

 昨年、この大会のハーフに、はじめてエントリーした。
途中から、強い風と冷たい雨に見舞われた。
 それでも、完走した。

 体が、温かさを求めていたのだろうか。
その後の、きのこ汁はそれまでのと違った味だった。
 「ウーン! 美味しい!」
思わず、そんな言葉がもれた。

 その1杯が、キノコ汁の美味しさを私に刻んだ。
ハッキリと、記憶に残った。

 そして、今年の春だ。
地元・伊達で、2回目のハーフを走った。
 後半、予想以上に苦しい走りになった。
ようやく走り続ける私に、沿道の声援が励みになった。

 そんな時だ。
走りながら、ゴール後のあのキノコ汁が、
急に思い浮かんだ。
 あの美味しさを思い出した。

 「ゴールしたら・・、キノコ汁が・・」
なんと、きのこ嫌いだった私が、
気力だけで走っていた途中から、
あの味を思い出し、力にしたのだ。

 「頑張ってゴールしよう。そしたら、キノコ汁・・。」
残り3キロあたりから、何度も心をよぎった。
 まさに「目の前に人参を下げられた馬」である。
 
 ゴール後、すぐに『キノコ汁』コーナーに行った。
にぎわうランナーたちをさけ、
外れのベンチでその1杯を口した。

 この味だ。
「伊達ハーフマラソンを完走すると、
この美味しさが待っている。」
 きのこへの想いが、はっきりと変わったのだ。

 あれから半年である。
『紅葉狩り』と称して、家内とドライブにでかけた。
 昼食によった食堂で、
私は、ためらいもテレもなく、
『きのこ入り天丼』を注文した。

 大きな丼の上に、椎茸、マイタケ、白シメジの天ぷらが、
いっぱいのっていた。
 キノコ汁だけでなく、
秋の味覚『きのこ』を十分に堪能した。

 人は、美味しさに対し、こうも変わるのだろうか?
いや、喰わず嫌いだっただけかも・・。





   秋の赤色 『山法師』の紅葉
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