ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

ダイニングテーブルを囲み 3話

2024-05-18 10:20:00 | 
  ⑴
 ゴールデンウィークの最中だ。
受話器を取ると、「久しぶり」の声の次に、
「連休中だけど、何か予定はある?」
と問われた。
 「特段の計画はないけど・・・」
と応じた。

 すると、
「じゃ、会いに行くわ」。
 「いつ?」
やや間が、
「・・・ううん、明日、行く!
明日で、いいかい?」。
 やや驚きながらも、
「いいよ。2人で来るの?!」

 「うん、一緒に行く。
車で・・、お昼頃着くと思う。」
 「高速道でしょう。
インターの近くまで来たら、電話して。
 道案内するから。
着いたら、一緒にお昼ご飯を食べよう」
 「わかった。じゃ、明日!」。

 余りにも突然のことだ。
2人とは、大学時代の友人である。
 初めて伊達の我が家にやって来るのだ。

 翌日、家内が用意した昼食を前に、
「会いたいと思う人と、
いつかではなく今会っておこうと思ってサ。
 だから、急でも構わないから、
後悔しないようにとやってきましたよ」
と彼は言う。
 嬉しかった。

 彼をYさん、奥さんをKちゃんと呼び、
食べながら、思い出話に花が咲いた。
 そして互いの近況報告に、
時間はアッと言う間に過ぎた。
 
 そんな団らんの合間だった。
Kちゃんが、目の前の五目チラシを食べながら
 「私、白いご飯があまり好きじゃないの。
だから、これすごく美味しい!」
と、若い頃と変わらない笑顔を作った。 
 
 同じ趣向仲間がいた。
「それって同感だよ。
嫌いと言う訳じゃないけど、どうも白いご飯はイマイチで、
いつも納豆とかふりかけとかをかけないとね・・」
「そうよね。そうするといいけれど、
白いままじゃね」。

 それに対し、Yさんも家内も
「白いままが美味しいのに」と。
 でも、Kちゃんも私も、
「そうじゃない」と譲らない。
 急の再会も良かったが、
それにプラスアルファー、白米への共感者がいた。


 ⑵
 麺類が好物である。
ラーメンやそば、うどんなら、例え毎食でも構わない。
 焼肉屋へ行っても、
最後は真冬も冷麺でなければならなっかった。

 さて、スパゲッティーも麺類だ。
貧乏学生だった頃、奨学金支給日にだけ、
ナポリタンを食べに行った。
 ずっとパスタは、
ナポリタンの味で満足だった。
 
 40代になった頃だったか、
飲んだシメに、ペペロンチーノが出てきた。
 それまでは知らなかった美味しさに驚いた。
それからはその店に行くと、
最後はペペロンチーノを注文した。

 徐々に、イタリアンレストランが増え、
どこの店にもペペロンチーノのメニューがあった。
 店によって味は若干違ったが、
ニンニクの効いた美味しさは、パスタにぴったり。

 次第に、他のパスタメニューにも惹かれるようになった。 
カルボナーラ以外は、大好物になった。

 半年前になるだろうか、
市内スーパーの生麺のコーナーに、
生うどんや生そばと一緒に、
生パスタが並んでいるのに気づいた。

 生パスタ以外の麺は、
複数の製麺所からのものが、
種類豊富に場所を取っていた。
 だが、生パスタは、
M製麺所の細麺と太麺の2種類が、
ひっそりと置かれていた。

 市内のレストランでも、
生パスタのメニューを見たことがあった。
 しかし『生』に惹かれて、
オーダーしたことはなかった。
 同様に、スーパーに並んだ生パスタに、
特別の関心はなかった。 
 ただ何故か物珍しくて、
たびたびその棚に立ち止まった。
 
 「一度、食べてみたら・・!?」
家内の誘いに、2食入り細麺の袋に手が伸びた。
 乾麺パスタはどのメーカーも、
ゆで時間7分程度だったが、
生パスタは2分から2分半でいいと、
袋に説明書きがあった。
 「これは、手軽でいい!」。   

 その日、茹でたあと湯切りをして、
平皿にのせた。
 市販のスパゲッティーソースをかけて、
混ぜ合わせみた。

 私は『旨辛ペペロンチーノ』ソース、
家内は『きのこと野沢菜』ソース。

 もちもちした食感に驚いた。
ソースもよく絡んだ。
 新しい美味しさに出会った。

 家内のも少々つまみ食い。
どちらも生パスタに合っていた。

 好きな麺料理が1つ増えた。
「今度は、太麺を試してみよう!」
 家内も、賛成してくれた。
   
   
 ⑶
 4人がけのダイニングテーブルは部屋の中央だが、
大きな窓と平行に置いてある。

 だから、向き合って座ると、
1人は窓を背にするが、
もう1人は、外を見ることができた。

 窓からは、駐車場の先の通りが見え、
通学の子や散歩の方、通過する車もわかった。
 時には、小枝に止まる小鳥も・・。

 1日に3回、それらを見ながら食事をする人、
全く目にできない人。
 ふと、公平感に差があることに気づいた。

 今までは、ずっと外が見える席に私が座っていた。
でも、2ヶ月前から月ごとに席を交替するように改めた。

 私は、初めて窓を背にした。
家内は通りを歩く人を見て、
「あら、久しぶりにHさんが通った。
しばらく見なかったけれど、元気そう」。
 ずっと私が言っていたのと同じようなことを言った。

 それを聞いて、私は思わず体を反転させて外を見る。
すでにHさんの姿はなくなっていた。
 「なんだ。もう行っちゃったのか!」
以前、家内が言っていた決めぜりふを言う。

 一度や二度じゃない。
毎日食事時には、同様のことをくり返す。
 半月が過ぎると、早く元の席に戻りたくなった。

 そして、今月は外の見える席が私。
でも、残り半月で交替だ。
 公平感に差があるなんて、気づかなきゃよかった。
「もう遅い! 本当に失敗した!」




   ~鈴蘭だから?~立ち止まる
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うまい味 み~つけ! ≪東京編≫

2023-11-04 12:21:53 | 
 5日間程、東京に滞在した。
伊達で12回目の秋を迎え、
すっかり当地での暮らしに慣れた私にとって、
大都会は、全てにわたり刺激的だった。

 たまたまだが、北海道の食とは違う
うまい味に出会ったのもその1つだ。

  その1
 長男は小田急線千歳船橋駅から、
3つ目のバス停近くで暮らしている。
 徒歩でも10数分程度だが、
道に慣れてない上に、
キャリーバックを引きずっている私たちは、
いつもバスを利用する。

 初めてバス停を降りた時から、
歩道の反対側にある古びた構えの店が気になった。

 明らかに昔から地元にある老舗蕎麦店と言う雰囲気で、
後から分かったが、暖簾には『蕎亭仙味洞』とあった。
 当然、なんと読めばいいのか迷ったが、
『キョウテイセンミドウ』でいいらしい。

 今年2月に上京した時、
ついに長男を誘い家内と3人で、遅い昼食だったが暖簾をくぐった。
 重たい格子ガラスの玄関を開けると、
4,5人のカウンター席と、2人用のテーブル席があった。
 奥の座敷を勧められた。

 4人用の小上がり席が4つあった。
薄暗い畳敷きは、私たちで満席になった。
 テーブルにあったメニューの他に、
壁にも10種程のメニューが貼ってあった。

 壁のメニューは蕎麦よりもうどんの方が多かった。
他の店では見ない名が並んでいた。
 俄然、興味が湧いた。
まずはメニューが多いうどんに決めた。
 そして壁のメニューを指さし、店員さんに「あれ」と、
『法論味うどん』を注文した。
 冷たいつけ汁とうどんの組み合わせだった。
今までに食べたことのない味だった。
 
 そして10月、再びそのバス停に降りた。
暖簾のかかった古びた店構えを見て、
もう一度あのうどんを食べてみようと思った。

 同じように遅い昼食になったが、 
2月と同じ小上がり席に3人で座った。
 注文を聞きにきた店員さんに、
メニューの『法論味うどん』を指さし、
「何て読むの?」と尋ねた。
 「ほろみうどんです」と教えてくれた。
家内と私はそれにした。
 長男は、これまた聞き慣れない『常夜うどん』の温かいのを頼んだ。

 手元のメニューをみると、
『法論味噌仕立ての汁につけてお召し上がり下さい』
と『法論味うどんの解説があった。
 味噌味ベースのあっさりした汁に、
スライスしたキュウリが沢山のっていた。
 その汁に冷たいうどんをつけて食べた。

 猛暑でも、すいすいすいすいと箸がすすむ、
ちょっと不思議な美味しさだった。
 「これはうまい!」。
思わず言っていた。

 長男の『常夜うどん』だが、
やや浅めのどんぶりに卵でとじたうどん、
その上に生卵の黄身がのっていた。
 寒い冬に打ってつけのように思えた。
冬に来る機会があったら、これにしようと決めた。

 他のメニューにも、好奇心がかき立てられた。


  その2
 昭和46年春に東京暮らしを始めた。
すぐに学校の先輩に誘われて、有楽町ビルにある万世拉麺店へ行った。
 そこの『特選パーコ麺』が大好きになった。

 伊達に居を移してからも、
東京に行くたびに、有楽町へ足が向いた。
 そして、いつも「特選パーコはうまいなあ」と満足した。

 だから、今回も行くことにした。
混雑するお昼時をさけて、ビルに入ってすぐの階段を降り、
地下1階へ、そして店の前まで。
 するとそこはシャッターで仕切られ、薄暗かった。
「6月30日で閉店」の張り紙が1枚だけあった。

 すぐには立ち去れなかった。
都内に何店かある万世拉麺の1号店だと聞いていた。
 指を折ってみた。
時々だったが、52年間も通い続けた店だった。
 また私の終止符が1つ増えた。

 ビルを出ると、空腹も手伝って、
自然と新しいらーめん店を探していた。
 当てのないまま、ブラブラと駅周辺を歩いた。
そして、向かった先が、交通会館の地下だった。

 イタリアンレストランや立ち食い寿司店が並んでいた。
その一角に、カウンター席が7脚だけのラーメン店があった。
 満席のうえ、10人ほどが周りを囲んで並んでいた。
日頃は、並んでまで食べたりしない私が、
迷うことなく列の後ろについた。

 私の番まで30分以上はかかった。
じっと待った。
 カウンター内では、2人の店員さんが淡々とラーメンを作り続けた。
狭いスペースで無駄なく手際のいい動きに見とれた。

 自販機で求めたチケットは、
私も家内も『和風柳麺』だった。
 魚介出汁の食べやすいラーメンだったが、
客の列は途切れず、
ゆっくりと味わうゆとりが欲しかった。

 ふと両隣を盗み見ると、『和風柚子柳麵』だった。
食べ終えてから、家内に「次回は、あれにする」と言った。
 「きっといつだって並んでるよ。それでもいいの?」。
「どんな味か、ちょっと興味が・・」。
 並んででも食べてみようとすることに、
私自身も驚いていた。

 チケット自販機の横に、
『和風ラーメン麺屋ひょっとこ』の看板があった。
 甘味処の名店が出している店だという。
さて、私にとって『特選パーコ麺』の二世になるか。


  その3
 東京滞在中に、食事会が2回あった。
ゴルフ友達のご夫妻、もう1つは児童文化研究会の仲間らとだった。

 最寄り駅は違ったが、どちらも小洒落たレストランだった。
ワインなどを飲みながら、お店がお勧め料理を注文し、
それがなくなると追加注文しながら、3時間ほどを過ごした。

 どちらの会も、上京した私がゲストだった。
だから、私から料理を注文することはなかった。

 全くの偶然だが、2つの食事会で『アヒージョ』がテーブルに載った。
私にははじめてのメニューだった。
 スペイン料理で、ニンニクを入れたオリーブ油に、
魚介や野菜などの具材を加えて煮込んだ小皿料理だと言う。
 具材を味わうほか、油にバゲットをひたして食べるのが定番らしかった。
1つ目の具材は、数種類の貝と根菜。
 もう1つは、小エビだけだった。

 以前の私なら、初物は「食わず嫌い」のため、
決して食べなかった。
 しかし、今は違う。
熱々の小鉢から取り分け、恐る恐るだが食べてみた。
 貝も根菜も、そして小エビも中々の味だった。
勧められるままに、アヒージョのオリーブオイルに
パケットをひたし食べてみた。
 初めての味だったが、その美味しさに驚いた。

 料理法を訊くと、
スーパーで「アヒージョのもと」が売っていると言う。
 簡単に家庭でも作れるとか・・・。
「それは楽しみ!」。
 ますます嬉しくなった。




 モンスターウルフ登場 ~野生動物 震える~
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美味しい思い出話でも

2020-04-18 18:02:53 | 
 『ウイルスという見えない敵とは長期戦になる』。
そんな様相が、ハッキリしてきた。
 どうやら、私たち1人1人が、
この戦いに対し、覚悟を固めなければならない。

 「そのうちに、何とかなるのでは・・」。
そんなばく然とした期待感は、もう捨てるしかない。
 全国民、いや全世界が総力戦だ。
みんな、頑張ろう。
 
 それにしても、2月末しかり、4月しかりだが、
事態が悪化すると、真っ先に手を付けるのが、
学校の休校措置である。

 急転直下、なんの予告もなく、
「明日から学校はしばらくお休みです」。
 そう知らさせる子ども達。
そんな日常の急変に、ただ黙って従うしかないのが、
子どもの実際だ。

 「休業補償をしてください。」
そんな声はなく、お金がかかる心配もない。
 それが休校措置だ。
だからか、いつもいの一番に行政がうつ一手だ。

 いやいや、屈折した考え方に固執するのはよくない。
それよりも、弱者である子ども達への感染防止策を、
最優先した措置と思おう。

 3月中旬だったろうか、新聞記事にこんな一文があった。
『埼玉県内の30代女性は、小1の長女の言葉に頭を抱えた。
 「いつもの学校じゃない。もう行きたくない」。
教室で一時預かりをしてくれたが、
私語厳禁、立ち歩きはトイレだけ。
 娘の動揺を見かねて、
パートの仕事を休まざるを得なくなった。』

 子ども達が置かれている今が、垣間見える一事だ。
一読して、心が痛んだ。
 コロナで、学校も子どもも親もそれぞれが辛い。

 悔しいが、今は、その事実に耐えるしか方法がない。
さて、どうやって耐えていくかだ。
 一人一人の知恵が、大きく問われている。

 「こんな時だからこそ、親子で料理を楽しもう!」
某テレビ番組が呼びかけていた。
 それも、一つのアイデアだろう。 

 いつもより時間をかけ、
「美味しいね。」と言葉を交わしながら、
家族みんなで食卓を囲む。
 ゆったりとした楽しい家族団らん。
「そんな好機にする!」。
 そう発想を膨らませるも一案ではないだろうか。

 ところで、我が家はどうだ?!
時間をかけての食卓は、伊達に来てからの日課だ。
 贅沢はできないが、旬の物を買い求め、
「美味しいね」と言いながら、
味わうのは毎日のことだ。

 それ以上に時間をかけた2人の団らんをどう工夫する?
思い出話以外には即答できない。

 くり返しになるが、外出自粛の長期戦だ。
その知恵の1つは、
テーブルに並んだ料理に、箸を進めながら、
ダラダラと美味しい思い出話を語ることだろう。
 それも戦いの一環と思いたい。

 先日、昼食で蕎麦を食べながら、
美味しかった蕎麦屋ベスト3を話題にした。
 随分と時間をかけてしまった。


 ベスト1 

 まもなく40歳をむかえる頃だった。
初めて教務主任という役が回ってきた。

 その年、教頭先生が替わった。
3,4年先輩の口数の少ない方だった。

 5月に入り、2人一緒の出張があった。   
そこでの研修が5時過ぎに終わり、
帰りの駅に向かった。

 「どう、蕎麦でも食べない?」
教頭先生から誘われた。
 断る理由などなかった。

 「今日は、私がお金を出します。
なので、好きな蕎麦屋に行ってもいいですか。」

 彼はそう言うと、
人を縫うようにドンドン前を行った。
 その後ろを追うのがやっとだったので、
その蕎麦屋が日本橋のどこにあったか、覚えていない。

 それまで、私が知っていた蕎麦屋とは店構えが全く違った。
ちょっと値のはった料理店風だった。
 店内も、小洒落た落ち着きがあった。

 向き合ってテーブル席に着くなり、
「大昔だが、ここは天ざるを最初に出した店なんだ。
お勧めなんだけど、それでいい?」。
 俄然興味が湧いた。二つ返事だった。

 やや時間をおいて、天ざるが置かれた。
お盆にも器にも、目が止まった。
 しかし、天ざるの味はそれ以上にすごかった。

 2人はひと言も発することなく、
天ぷらと蕎麦に箸が動いた。

 私にとって、蕎麦屋ベスト1は、ずっとここだ。
店の名は、『砂場』だった気がする。

 
 ベスト2

 総武線の小岩駅前から、金町駅行きのバスに乗る。
途中で京成線の踏切を渡る。
 すると、そこは江戸川区から葛飾区へと変わる。
街路樹が銀杏になり、まもなく「寅さんの故郷」柴又。
 そのバス通り沿いに、目立たない店構えの蕎麦屋がある。 

 もう30年も前になるが、初めてその暖簾をくぐった。
間口の狭い小さな店で、
ご夫婦2人で切り盛りしているように見えた。

 奥さんの口調は歯切れよかった。
メニューを見て迷っていると、近寄ってきて言った。
「始めての方だね。
ウチは、他より盛りが多いよ。
 でも残すような人はお断り。
残さない人だけ、注文してもらってるの。」

 客商売らしくない、随分乱暴な言葉だが、
何というのだろうか、
その言いっぷりに嫌味がなく、私は笑顔になっていた。

 思い切って、お勧めの品を尋ねると、
『鴨せいろ』と即答された。

 それを注文したものの、食べたことがなかった。
せいろにのった蕎麦と鴨肉の入った温かい汁がきた。
 確かに蕎麦の量は多かったが、一気に食べ終えた。

 以来、どこの蕎麦屋でも、「鴨せいろ」一筋。
そして、いつもあの柴又で食べた『やぶ忠』の味を思い出した。

 先日、その店のホームページにこんな一文を見つけた。
『(30年以上も前)手打ちそば屋が珍しい頃に・・・、
手打ちそばを習得し、粉屋から買う粉を
玄そばから製粉までの工程のすべてをやることで、
低コストで量を普通もりでも多く、
おいしい手打ちそばを提供できるようにしました。』

 店の心意気と一緒に、
奥さんが初顔客に言った乱暴な言葉の真意を知った。
 旨味がさらに蘇ってきた。


 ベスト3

 私の耳学なので、不確かだ。
江戸なのか明治なのか、とにかく昔むかしだが、
うどん屋では薬も売っていた。
 それに対し、蕎麦屋は酒が飲め、
今でいう居酒屋を兼ねていたらしい。

 その名残なのか、首都圏の蕎麦屋では、
今もゆっくりとお酒を楽しめる店がある。

 その蕎麦屋は、家内の情報だった。
千葉市の海浜地区に住まいがあった頃だ。
 我が家から、徒歩なら40分弱の所だ。

 近くによく通った内科医院があり、その店の暖簾は知っていた。
しかし、若干寂れた店構えで,気にもかけなかった。
 ところが、美味しい店で近所では評判だと言う。

 伊達に移り住む数年程前になる。
夏休みの夕方、散歩を兼ねてその店まで行ってみた。
 店内も、蕎麦屋のイメージ通りで、惹かれなかった。

 小上がりを避け、5,6つあるテーブルの、
一番奥席に座った。
 隣の席には、同じ年格好の男女いた。

 渡されたお品書きを見ながら、
その2人のテーブルを見た。
 ガラスコップの日本酒と、
陶器の皿にのったつまみが、いくつか見えた。

 それを見なければ、お蕎麦だけを注文していただろう。
だが、すっかり魅せられた。
 お品書きから日本酒の銘柄を選び、
そして、板わさに鴨の燻製、そして天ぷらを頼んだ。
 蕎麦屋が作るつまみの美味しさを始めて知った。
酒が進んだ。
 飲み終えてから、ざる蕎麦で仕上げた。
これがまた、「絶品!」。

 帰りは、タクシーを拾った。
その運転手さんが言った。
 「あの蕎麦屋、俺たち運転手はよく行くんだ。
美味しいから、あまりみんなには教えないんだ。
 これ以上混んだら、俺たち使えなくなるから・・。
だから、よろしくな・・。」

 そんな訳で、誰にも教えず、伊達に来る日まで、
時々、家内と一緒に『三升屋』の暖簾をくぐった。




 蝦夷立金花(エゾノリュウキンカ) 真っ盛り!  
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ランチ あれこれ

2018-01-12 22:04:54 | 
 ▼ まずは、中学生の時の弁当である。
来る日も来る日も、おかずが煮豆とちくわの煮物だった。
 きっと今日は違うおかずだろうと期待して蓋をあける。
やっぱり煮豆とちくわの煮物。
 それでも、食欲には勝てず、空にして持ち帰った。

 次第に、疑問が広がった。
なぜ、同じおかずなのだろう。
 当時我が家は、貧しかった。
だから、これしかおかずに入れられないのだろう。
 そう考え、煮豆とちくわの煮物で我慢した。

 しかし、あまりにも長く続いた。
我慢も限界になった。
 若干怒りを抑えて、母に言った。
「いつもいつも煮豆とちくわの煮物だよ。
たまには、違うおかずにしてよ。」
 「だって、あんた、煮豆もちくわの煮たのも、
大好きって言ったでしょう。」

 確かに、そんなことを言った憶えがあった。
「そう言ったかも、でも・・・。」
 母は、少し不快な顔をしていた。

 今も、煮豆やちくわが食卓に上ると思い出す。
ランチに関する最初のエピソードかも知れない。

 ▼ 教職に就いてからのランチは、学校給食だった。
教員は早食いだと言われる。
 「それは、職業病です」と、よく私は言った。

 少しでも早く食べ終え、食の細い子を促したり、
お代わりの給仕をしたりする。
 その上、できれは連絡帳に目を通したり、
ノートの添削、テストの採点をしたりしたいのだ。

 だから、担任時代の私は、
給食をゆっくり味わったことがなかった。
 でも、年々給食が良くなり、
美味しくなっていったことだけは実感した。

 パン食一辺倒だった献立も、
米飯食や麺類などバリエーションが豊富になった。
 いち早く旬の果物が出ることも増えた。
パエリアやポルシチなどは、給食で初めて口にした。

 ▼ 校長として着任したS区は、
全べての小中学校に栄養士がいた。
 だから、学校独自の献立が可能だった。
さらに給食は充実した。

 ところが、『Oー157』が流行してからは、
校長に「検食」が義務づけられた。
 私は、出来立ての給食を、
学校で1番早く食べる役回りになった。
 言わば『お毒味役』なのである。
私が食べて、異常がないことを確認してから、
全校児童への配食が始まるのだ。

 それも仕事と思って、割り切っていたが、
それまでと違って、
美味しいと諸手を挙げてられなくなった。

 ▼ それはさておき、言うまでもないことだが、
安心、安全な給食を毎日提供することは、
学校の重要な役割だった。

 予定していた給食が作れず、
子どもを空腹のままにすることなど、
決してあってはいけないことだ。
 ところが、そんな危機を、2度経験した。

 ▼ 1つ目は、明らかな調理ミスだった。 
その日のメイン献立は、煮物だった。
 3つの大鍋で、低・中・高学年に分けて具材を煮て、
味付けを始めた。
 中学年の鍋を担当した調理師が、何を勘違いしたのか、
砂糖と間違って、大量の塩を投入してしまったのだ。

 栄養士が、顔色を変えて校長室に来た。
「今から作り直しは無理です。
校長先生、どうしますか。」
 このような事態を想定したことはなかった。
でも、こんな時、校長には即断即決が求められた。
 1分間ほどの静寂があった。

 「2つの鍋のものを、全校で分けましょう。
それでは、量が足りないでしょうから、
今からでも調達できるものはないかな。」

 校長室を飛び出した栄養士は、
すぐに出入り業者に電話をかけた。
 何軒か問い合わせた末だった。
「校長先生、ゆで卵なら人数分何とかできます。」
「それでいい!」

 ▼ 2つ目は、作業の油断が招いた。
調理室の脇には、小さなエレベーターがある。
 人を乗せるものではなく、
出来上がった給食と食器等を、
それぞれの教室階へ運ぶためのものだ。

 その日も順調に調理作業が進み、
エレベーターを使って各階へ、給食を上げる作業に移った。
 1番はじめに4階の高学年用を運び上げた。
少しの時間をおいて、ガタンという音と一緒に、
エレベーターが急停止した。

 原因はすぐに予想できた。 
エレベーター内で、何かが荷崩れしたのだ。
 その荷が、内部のどこかにはさまり、停止したようだ。
幸い汁物がこぼれている気配はなかった。
 
 エレベーターの上下ボタンをいくら押しても、全く動かない。
調理主任が顔色を変えて、校長室へ飛び込んできた。
 「4階以外は、階段を使って運びます。
校長先生、4階の給食はどうしますか。」
 主任は、経験したことない事態に、
常軌を逸した表情だった。

 私は、何の確信もなかったが、ゆっくりと言った。
「大丈夫だよ。何とかなるよ。
まずは、エレベータの点検業者に連絡して、
できれば、来てもらってください。」
 「でも、業者はどんなに早くても1時間はかかります。
それじゃ、給食時間が終わってしまいます。」
 「いいから、まずは連絡をしてごらん。」

 私の強い口調に折れて、主任は電話した。
事態の緊急性を理解した業者は、
その日の作業員の行動予定を調べた。
 すると同じ区内の学校で点検作業をしている社員がいた。
直ちに連絡を取り、10分後には駆けつけてくれた。

 彼は、事故の様子をすぐに把握し、
最上階の天井裏に潜り込んだ。
 そして、エレベーターを真上からのぞき込み、
手動でゆっくり1階の調理室まで下ろした。

 その後、もう1度積み直しをし、
給食は、無事4階まで上げられた。
 高学年は、20分ほど遅れて食べ始めることができた。

 ▼ 学校を離れてから、
1年間は教育アドバイザーとして研修室勤務となった。
 ランチは、給食でなくなった。
スタッフ6人の中には、
弁当やコンビニ物を持参する者もいたが、
多くは私と同じで、美味しいランチを求めて、
お店を歩き回った。

 ある日の昼休み、スタッフの1人が提案した。
「狭くて汚いんだけど、安くて美味しい店を見つけました。
そこへ行きませんか。」

 半信半疑で、案内してもらった。
ビックリした。
 カウンターの前に、椅子が7つだけ並んでいた。
しかし、奥の席に行くには、
座っている方に立ってもらわないと行けなかった。
 カウンター越しのこれまた狭い厨房には、
老夫婦が立ち働いていた。

 ランチは曜日ごとにワンメニューで、
その日は麻婆豆腐定食だった。
 店に入る時、外扉の脇にあったカゴに、
10数個の豆腐と長ネギがあった。
 その訳が分かったが、
食材が無造作に外に置かれていることに驚いた。

 しかし、それにしても店内は古くて汚い。
その壁の一角に、どこかのテレビ番組でやっていた
汚いけど美味しい店の『認定証』が貼ってあった。

 出てきた麻婆豆腐定食は、確かにいい味だった。
だが、隣の定食とは、まったく違う器に盛られていた。

 私たちが食べ始めると、客が途絶えた。
するとご主人は、ゆっくりと厨房を出て、
私たちの後ろにあるトイレに入って行った。

 狭い店である。
小用を済ましているのが分かった。
 それを聞きながらのランチだった。
「参った。」と思いながら、500円を払い店を出た。

 「あの店いいね。安いし、美味しい。また行こう。」
「そうしよう!」
 そんな感想を聞きながら、
私はどうしても同意できなかった。





  久しぶりの雪化粧 だて歴史の杜公園 
   
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美味しい店 み~つけた!

2017-04-28 22:19:33 | 
 2週間程前のことになる。
お向かいの奥さんが、
大きなビニル袋に詰め込んだほうれん草を、
2抱えも持ってきた。

 「これ、食べて。」
「エッ、こんなに!」
 家内はその量に、今にも悲鳴を上げそうだった。

 地元の農家さんから、
ビニールハウス1棟分のほうれん草を、頂いたのだそうだ。
 まったく、豪快な話である。

 毎日収獲しているが、「多すぎて困っている。」と、
お向かいさんは曇った顔をした。

 ビニル袋のほうれん草は、採ったばっかり。
シャキッと生きがよく、美味しそうだ。

 早速、2人で食べる数日分を残し、
大量のほうれん草を、レジ袋に小分けした。

 伊達で知り合った方々に、次々と電話を入れた。
それを車に積み、配り歩いた。

 中には、パンパンのレジ袋を見て、
「食べきれないから、近所の娘の所に持って行くわ。」
と、おっしゃる方も。

 伊達に来て5年になる。

 昨年の秋は、頂き物のカボチャが何個も、
物置に転がっていた。
 年を越し、春先までカボチャ料理が食卓にあった。

 そんな暮らしに、大分慣れてきたとは言え、
都会では体験できない有り様に、つい心が浮かれてしまう。

 さて、北海道は食の宝庫である。
四季折々の旬の農産物、新鮮な魚貝類、
そして、最近ではスイーツも台頭してきている。

 だから、私の食生活も次第次第変化している。
一番は、生野菜サラダを、
毎朝食べるようになったこと。
 新鮮な野菜の味とシャキシャキ感は、
伊達で知った。

 次は、北海道ならではの、美味しいお店である。
これもたくさん見つけた。
 そして、リピーターになっている。
その中から3店を記す。


 ① とうふ店

 洞爺湖の温泉街をぬけ、
羊蹄山に向かって、1時間弱、ひたすら車を走らせると、
真狩村がある。

 そこから、まもなくニセコ町という所に、
『湧水の里』がある。

 ここは、京極町の『ふきだし公園』と並んで、
羊蹄山の雪解け水が、
ふんだんに湧き出ているところとして、
道民には、よく知られている。

 初めてそこを訪ねたとき、湧き出る水の勢いに、
しばらくぼう然とした。

 道内各地のナンバープレートをつけた車が、
からの大きなペットボトルを何本、いや何十本も積んで、
その湧き水を汲みに来ている。
 料金無料の銘水が汲み放題なのだ。

 そんな『湧水の里』のすぐそばに、
「名水とうふ店」がある。

 「きぬ名水」「ふんわりもめん」「あげとうふ」など、
豊富な種類と品数が、店内に並ぶ。
 試食もできる。とてもうまい。
だから、どれを買おうか、迷いに迷う。

 そして、いつも買いすぎる。
何日も食卓にとうふが並ぶ。

 それでも、ここのとうふは飽きがこない。
どれも納得できる美味しさなのだ。

 きっと羊蹄山の湧き水と、
北海道産大豆の成せる技なのだろう。
 とうふの本来の味、うまさを教えてもらった。

 スーパーのものに比べ、はるかに高価だ。
それでも、数ヶ月に一度は車を走らせ、
買い求めたくなる。


 ② ピザ屋

伊達インターから高速道を、函館方面へ1時間程走る。
ブナの北限とされる原生林が広がる黒松内町に着く。

 私も、そのブラ林を何度か散策した。
秋、紅葉のブナは、陽光と調和し、
強烈な美しさだった。
 強く心に刻まれている。

 加えて、この町は、
食に対してこだわりを持っていると聞いた。

 確かに、
『道の駅くろまつない「トワ・ヴェールⅡ」』には、
地元産のパン、チーズ、ソーセージ、ワイン等が並び、
販売されている。

 そして、この道の駅の一角に、
『天然酵母熟成 ピザドゥ』がある。

 道内では、「美味しいピザ」として、
広く知られるようになり、休日ともなれば、
30分や60分待ちは、当たり前なのだ。

 ピザのメニューは、10数種類だ。
どれも食欲をそそられるのだが、
私は、『マルゲリータ』をいつも注文する。

 しばらくすると、テイクアウトが可能なように、
八角形の箱に入ったピザが出来上がる。

 天然酵母熟成のピザ生地がふっくらと盛り上がり、
その上にモッツァレラチーズがとろけ、
バジルやトマトなど野菜がのっている。

 チーズのあっさりとした絶妙な味加減と、
新鮮な野菜の美味しさが、
これまたピザ生地と、見事にマッチングしている。

 「これは、美味しい!」
何度食べても、一口目の感想はいつも同じだ。

 今までに食べたどこのお店のピザより、
ここのが一番と思うのは、私だけではないようだ。


 ③ 元祖室蘭ラーメン

 私の生まれ故郷・室蘭は、カギの手の形をした半島にある。
その外海は、太平洋の大海原で、
海と陸の境目の多くは、険しい断崖になっている。

 昭和10年に創業したという「元祖室蘭ラーメン『清洋軒』」は、
その断崖が間近に迫る市内舟見町にある。

 急坂の中頃にある店先には、
『清洋軒』の大文字が鮮やかな暖簾がかかっている。

 年齢のいったご夫婦と、
その父親によく似た顔の息子さんの3人が、
カウンターの向こうで、忙しくラーメンを作る。

 なぜ「元祖室蘭ラーメン」なのか、その真意は分からない。
「きっと、室蘭最古のラーメン店だからではないか。」と、
勝手に推理している。

 ここの塩ラーメンが、大のお気に入りだ。
若干黄色みのある透き通ったスープ。
 それに、一切添加物を使っていないという、
中太のやや縮れた麺。
 メンマと桃色のなると、ネギ、麩、
そしてチャーシューがのっている。

 まったくシンプルな一杯だが、
レンゲですくった最初のスープを口にすると、
もう一口、もう一口とレンゲが進む。
 毎回、麺に行く前に、
「美味しい!」と声が出てしまう。

 その後は、無言。
今日のこの一杯を十分に堪能する。
 なぜか、食べ終わる頃には、冬でも額から汗が流れ出す。

 店には、味噌味も醤油味もある。
また、「日華ラーメン」と称する、
かき揚げ天ぷら入りのオリジナルなものもある。

 しかし、私は一切それらには興味がない。
この店は、塩ラーメンだけで、十分に私を満たしてくれる。

 先日、ネットで、
「人生の最後は、清洋軒の塩ラーメンにする。」
との書き込みを見た。
 その境地には、なかなかなれないが、
十分に理解ができる。





 梅や桜より先に エゾムラサキツツジ

コメント
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