2012年の6月6日だ。
前日から引っ越し業者の派遣した荷造りのプロが、
家中の物をコンポーした。
その段ボール箱の山に囲まれ、
私は昼食のおにぎりを食べた。
その後、「後は、よろしく」。
家内にそう言い残し、マイカーに乗り込んだ。
千葉市から首都高を抜け、東北自動車道を走る。
一路、仙台港へ。
そこから、フェリーに乗り、北海道・苫小牧を目指した。
深夜、フェリーの個室で、東京での42年間が、
自然と思い浮かんだ。
数年前、思い切って出版した、
年賀状に書き記した詩をまとめた『海と風と凧と』の、
「あとがき」が、何度も頭をよぎった。
『……、私は根雪の残る北海道より上京し、
小学校の教員になりました。
その時初めて立った校庭には、
北国の冷たい鉛色の曇り空とは違った
明るい春の光がこぼれていました。
それは、これから始まる私の新たな歩みが
太陽の陽差しに恵まれたものになるような、
そんなことさえ予感させるものでした。
しかし、私のそれからは当然のことではありますが、
教師としての仕事、子育て、家族、めまぐるしい社会変化等々、
全てが時代という大きな流れの中にありました。
その中で、あまりの幸せに歓喜した時も、
また不運に大きくうなだれた時も、
小さな楽しさに胸踊った時もありました。
まぎれもない未熟さが、ある時は人を傷つけたり、
またある時は勝手に自分の心を痛めたりもしました。
そんな1年また1年の営みが、
泣いたり笑ったりの今日の日へとつながっています。
確かにそんな風に歩は進み、
その年その年、私には違う景色が見えました。……』
「あとがき」は紛れもなく私の歩みを語っていた。
船の1室で、1つ1つの景色が、色鮮やさを増していた。
そして、記憶の多くは、あの日予感した通り、
太陽の陽差しに恵まれたもののように思えた。
好運に包まれた42年間だったと、
船体に揺られながら、1人心を熱くした。
そして、少しの後悔と一緒に、
伊達への移住を決めてから初めて、
その英断に不安を感じた。
でもすぐに、気丈に、自分の想いを確かめた。
「リセットすることで、きっと新しい力が生まれる。
そう信じよう。」
「これからは、つま先立ちなどしなくていい。」
「いつまでも、私らしさを探し続けていこう。」
次々と、新たなステップへ私を押し出してくれる言葉が、
脳裏を巡った。
翌朝、苫小牧港は濃霧におおわれていた。
接岸は、予定より1時間も遅れた。
それでも、新千歳空港で、家内と愛猫に合流できた。
高速道路で1時間15分、走った。すっかり霧は消えた。
伊達は、6月の澄んだ青空で私たちを迎えてくれた。
そして、移住した翌年の新春、
年賀状にはこんな詩を載せた。
微 笑
収穫の後に蒔いた種が
凍て付く地から陽春を待ち
雪融けと共に畑に力があふれる
暑い風を受けたそれは
穂並みの全てを黄金色に
透明な風に輝く秋まき小麦
私が見た
北国の残夏の一色
小高い丘に群生する紅色が
彼岸の時季を知らせてくれたのに
この地に曼珠沙華はない
でも列をなす清純な淡紫色に
“こんな所に咲いている”と近寄ってみる
それは木漏れ日に揺れるコルチカム
私が見た
北国の秋晴の一色
落葉キノコは唐松林にしかない
その唐松は針葉樹なのに
橙色に染まり落葉する
道は細い橙色におおわれ
風までがその色に舞う
そこまで来ている白い季節の前で
私は見た
北国の深秋の一色
移住してすぐに気づいた。
伊達には、都会の喧騒などとは無縁な、
ゆったりとした空気が流れていた。
朝に漂う爽やかな風と共に出会う大人も子どもも、
朝の挨拶を欠かさなかった。
スーパーに並ぶ野菜も魚も、
ひと目でその新鮮さが、私にも分かった。
そして、何よりも、『微笑』に記した通りだ。
私は、伊達の周辺にある、
北海道が彩る四季折々の変化に、すっかり心を奪われた。
そんな日々と暮らすだけで、全てが満ちた。
それから2年後、今度は・・・。
洗 心
新雪で染まった山々の連なりを遠くに
晴れわたった土色の台地のふもと
畑から掘り出したビートが長い山を作るのも
去年と同じなのでしょうか
沖合を漂う木の葉色の小舟を載せて
波間の大波小波は遠慮を知らない
黒い海原のざわめきに身を任すのも
いつものことなのでしょうか
積み重ねた白い牧草ロールのとなりで
地吹雪に腰折れ屋根の飼育舎がつつまれ
悲しい瞳をした雄牛をトラックの荷台が待つのも
どこにでもあることなのでしょうか
すぐそばで続く営みの数々に
思わず足を止める私
黙々とした淡々とした悠々とした後ろ姿がまぶしい
額に手を当て
まだまだ私だって磨けばと呟いてみる
『洗心』は、2015年の年賀状に添えた。
あの頃、北国の大自然としっかり向き合う人々に心が騒いだ。
事実、『黙々と淡々と悠々と』働く姿が、まぶしかった。
それが大きな力になった。
すっと温めていたブログにも、
朝のジョギングの延長線だが、
ハーフやフルのマラソンにも、チャレンジしようと決めた。
肩肘など張らず、誰かを押しのけたりなどしない。
でも、年齢を忘れて、自分にしっかりとノルマを課し、
着実に、しかしゆったりと歩を進めよう。
伊達の1つ1つが、今、私にそうさせてくれる。
先日、久しぶりに4日間も東京に滞在した。
楽しい時間だった。
沢山の刺激に触れた。
しかし、最終日、羽田空港に予定より2時間も早くに行った。
「早く、伊達に帰りたい。」
その想いがさせた行為のようだ。
あれから5年が過ぎる。
私の大きな変化が、そこにあった。
この色の『山法師』が好きだ
前日から引っ越し業者の派遣した荷造りのプロが、
家中の物をコンポーした。
その段ボール箱の山に囲まれ、
私は昼食のおにぎりを食べた。
その後、「後は、よろしく」。
家内にそう言い残し、マイカーに乗り込んだ。
千葉市から首都高を抜け、東北自動車道を走る。
一路、仙台港へ。
そこから、フェリーに乗り、北海道・苫小牧を目指した。
深夜、フェリーの個室で、東京での42年間が、
自然と思い浮かんだ。
数年前、思い切って出版した、
年賀状に書き記した詩をまとめた『海と風と凧と』の、
「あとがき」が、何度も頭をよぎった。
『……、私は根雪の残る北海道より上京し、
小学校の教員になりました。
その時初めて立った校庭には、
北国の冷たい鉛色の曇り空とは違った
明るい春の光がこぼれていました。
それは、これから始まる私の新たな歩みが
太陽の陽差しに恵まれたものになるような、
そんなことさえ予感させるものでした。
しかし、私のそれからは当然のことではありますが、
教師としての仕事、子育て、家族、めまぐるしい社会変化等々、
全てが時代という大きな流れの中にありました。
その中で、あまりの幸せに歓喜した時も、
また不運に大きくうなだれた時も、
小さな楽しさに胸踊った時もありました。
まぎれもない未熟さが、ある時は人を傷つけたり、
またある時は勝手に自分の心を痛めたりもしました。
そんな1年また1年の営みが、
泣いたり笑ったりの今日の日へとつながっています。
確かにそんな風に歩は進み、
その年その年、私には違う景色が見えました。……』
「あとがき」は紛れもなく私の歩みを語っていた。
船の1室で、1つ1つの景色が、色鮮やさを増していた。
そして、記憶の多くは、あの日予感した通り、
太陽の陽差しに恵まれたもののように思えた。
好運に包まれた42年間だったと、
船体に揺られながら、1人心を熱くした。
そして、少しの後悔と一緒に、
伊達への移住を決めてから初めて、
その英断に不安を感じた。
でもすぐに、気丈に、自分の想いを確かめた。
「リセットすることで、きっと新しい力が生まれる。
そう信じよう。」
「これからは、つま先立ちなどしなくていい。」
「いつまでも、私らしさを探し続けていこう。」
次々と、新たなステップへ私を押し出してくれる言葉が、
脳裏を巡った。
翌朝、苫小牧港は濃霧におおわれていた。
接岸は、予定より1時間も遅れた。
それでも、新千歳空港で、家内と愛猫に合流できた。
高速道路で1時間15分、走った。すっかり霧は消えた。
伊達は、6月の澄んだ青空で私たちを迎えてくれた。
そして、移住した翌年の新春、
年賀状にはこんな詩を載せた。
微 笑
収穫の後に蒔いた種が
凍て付く地から陽春を待ち
雪融けと共に畑に力があふれる
暑い風を受けたそれは
穂並みの全てを黄金色に
透明な風に輝く秋まき小麦
私が見た
北国の残夏の一色
小高い丘に群生する紅色が
彼岸の時季を知らせてくれたのに
この地に曼珠沙華はない
でも列をなす清純な淡紫色に
“こんな所に咲いている”と近寄ってみる
それは木漏れ日に揺れるコルチカム
私が見た
北国の秋晴の一色
落葉キノコは唐松林にしかない
その唐松は針葉樹なのに
橙色に染まり落葉する
道は細い橙色におおわれ
風までがその色に舞う
そこまで来ている白い季節の前で
私は見た
北国の深秋の一色
移住してすぐに気づいた。
伊達には、都会の喧騒などとは無縁な、
ゆったりとした空気が流れていた。
朝に漂う爽やかな風と共に出会う大人も子どもも、
朝の挨拶を欠かさなかった。
スーパーに並ぶ野菜も魚も、
ひと目でその新鮮さが、私にも分かった。
そして、何よりも、『微笑』に記した通りだ。
私は、伊達の周辺にある、
北海道が彩る四季折々の変化に、すっかり心を奪われた。
そんな日々と暮らすだけで、全てが満ちた。
それから2年後、今度は・・・。
洗 心
新雪で染まった山々の連なりを遠くに
晴れわたった土色の台地のふもと
畑から掘り出したビートが長い山を作るのも
去年と同じなのでしょうか
沖合を漂う木の葉色の小舟を載せて
波間の大波小波は遠慮を知らない
黒い海原のざわめきに身を任すのも
いつものことなのでしょうか
積み重ねた白い牧草ロールのとなりで
地吹雪に腰折れ屋根の飼育舎がつつまれ
悲しい瞳をした雄牛をトラックの荷台が待つのも
どこにでもあることなのでしょうか
すぐそばで続く営みの数々に
思わず足を止める私
黙々とした淡々とした悠々とした後ろ姿がまぶしい
額に手を当て
まだまだ私だって磨けばと呟いてみる
『洗心』は、2015年の年賀状に添えた。
あの頃、北国の大自然としっかり向き合う人々に心が騒いだ。
事実、『黙々と淡々と悠々と』働く姿が、まぶしかった。
それが大きな力になった。
すっと温めていたブログにも、
朝のジョギングの延長線だが、
ハーフやフルのマラソンにも、チャレンジしようと決めた。
肩肘など張らず、誰かを押しのけたりなどしない。
でも、年齢を忘れて、自分にしっかりとノルマを課し、
着実に、しかしゆったりと歩を進めよう。
伊達の1つ1つが、今、私にそうさせてくれる。
先日、久しぶりに4日間も東京に滞在した。
楽しい時間だった。
沢山の刺激に触れた。
しかし、最終日、羽田空港に予定より2時間も早くに行った。
「早く、伊達に帰りたい。」
その想いがさせた行為のようだ。
あれから5年が過ぎる。
私の大きな変化が、そこにあった。
この色の『山法師』が好きだ