ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

猛暑への備え あれこれ

2024-04-27 10:17:11 | あの頃
 ① 自宅に初めてエアコンを設置したのは、
30歳代になってすぐだった。

 それまで賃貸の団地住まいだったが、
近くにやや広い分譲の団地が販売された。
 家族が4人になったこともあり、
思い切って購入することにした。

 そこへ移るときに、
LDKの部屋だけエアコンを付けた。
  
 その後、近隣の地域を2度転居したが、
エアコンのある部屋は、1室から2室に増えた。
 当たり前のように、夏の生活必需品になっていた。

 ② ところが、首都圏での最後の夏のことだ。
その年、あの3,11があった。
 大地震、大津波、そして原発事故と続いた。

 住んでいた千葉市の海浜地区は、
方々で液状化現象が発生した。
 電柱が軒並み傾いた。
戸建住宅の中には大きく家屋が傾斜し、
住めなくなった家庭もあった。

 その上、首都圏は原発の影響で電力不足になった。
計画停電が実施された。
 道を挟んだ隣の住宅街一帯が停電になり、
真っ暗闇という事態が何日も続いた。

 ニュースはしきりに節電を呼びかけた。
当時、30階建てマンションの9階で暮らしていた。
 高層階の方々はともかく、
私たち2人は節電のためエレベーターの使用をひかえた。

 60歳を過ぎたばかりだったが、
9階までの上りは息が切れた。
 階が増すにつれ、足がどんどん重くなった。
それでも、あの惨事を思い浮かべ、
「これくらいは!」と頑張った。

 やがて夏が迫り、
夜になっても昼間の暑さが解消しなくなった。
 当然、自宅でもエアコンの出番だった。

 しかし、計画節電は終了したものの、
相変わらず電力事情は、改善されていなかった。
 「エアコンは、28度に設定して使用してください」
そんなアナウンスがくり返されていた。

 私は、エアコン使用をためらった。 
9階住まいだ。
 窓を開け放っていても、空き巣の心配はなかった。
深夜も開けたままでよかった。
 ならばと、
「どこまでエアコンを使わないでいられるか、
やってみないか!?」
 家内に提案してみた。

 真夏、最高潮の暑さが続いたが、
それでも、窓を開けていれば、
寝苦しさも耐えられた。
 
 扇風機にうちわ、それにかき氷で、
エアコンを使うことなく夏を乗りきった。

 ③ その年の秋、
伊達の我が家は、基本設計が終わり、
諸費用等の提案があった。
 正式な工事契約の前に業者さんとの話し合いが必要になった。

 家内と一緒に伊達まで来た。
そして、建設会社の担当者2人と対面した。
 2人と会うのは3度目だった。
気心も分かり、遠慮なく相談ができた。

 その席で、エアコン設置が話題になった。
私達は、伊達の暑さについて経験がなかった。
 2人の意見を参考に決めようと思った。

 ところが、2人の考えは割れた。
私達と同世代の上司は、
「このくらいの暑さ、エアコンは要りません。
我慢できますよ」と。
 そして、現場を取り仕切る若手は、
「これから先を考えると、行く行くは必要になります。
付けて置いた方がいいかと思います」。

 脳裏に浮かんだのは、今年の夏の経験だった。
東京のあの暑さを、エアコンなしで乗り切った。
 「このくらいの暑さ・・・我慢できますよ」 
同世代の意見に心が傾いた。

 基本設計にあった2台のエアコン設置は、
削除となった。
 
 ④ それから11年が過ぎ、
昨年の夏だ。
 日本だけじゃない、世界中が凄い暑さだった。
温暖化を越え、沸騰化とまで言われ、
それを伊達でも実感した。

 突然、エアコンの設置について、
「行く行くは必要になります」。
 建設会社若手の言葉が蘇った。
でも、急のエアコン設置は無理に違いなかった。

 せめて新しい扇風機でもと、家電量販店へ出向いた。
「今日、ようやく店に届いた人気の品です」
 店員さんのセールスについのせられ、
高価な一機を購入した。

 しかし、それとて猛暑をしのぐまでには至らなかった。
期待が外れた。
 「絶対に、来年の夏までにはエアコンを付けよう」
そう思いながら、
高価な扇風機の風に涼をすがり、夏を越えた。
 
 ⑤ 年明けてすぐ、
自治会の会館の冷房化が、役員会の話題に上った。
 「早く発注しないと夏に間に合わないのでは」
そんな意見が飛び出した。
 「きっと、値段も上がっているはず」
と言う意見も・・・。
 早々担当を決め、見積もりをとった。

 店によって、対応に開きがあったが、
設置工事も値段も、心配には及ばなかった。
 発注すると、すぐに工事日決まり、
あっという間に、取り付けが完了した。

 「ならば」と、我が家も夏を待たずに設置をと、
再び家電量販店へ行った。
 タイミングよく、エアコンの大セールをしていた。
通常の日より、数万円安い値がついていた。
 設置は、家を建てた業者に頼んだ。

 高密度高断熱の寒冷地仕様の家である。
きっと、室内の冷気もさほど戸外へ流失しないのでは・・・。
 期待しながら、今夏の猛暑を待つことに・・・・・。




     枝先まで 満開 
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4 月 の 学 校 風 景 よ り

2024-04-13 12:37:25 | あの頃
 4月ももう第2週である。
朝のジョギング中に、
交通安全の黄色いカバーをかけたランドセル姿を見た。
 小学校に入学したばかりの1年生である。

 ある子は、途中までだろうけどお母さんが付き添っていた。
兄弟なのか近所の子なのか、上級生と一緒の子もいた。
 1人で登校する1年生はいない。
それだけでホッとするのは、私だけだろうか。
 
 朝食を摂りながら、家内とかわした
学校の4月にまつわる話題から2つ。

 
  ≪その1≫
 私の小学校では、入学式の進行役は副校長(教頭)先生だった。
「ただ今より、新1年生が入場します。
皆様、拍手でお迎えください」

 すると、『1年生になったら』のピアノと、
大きな手拍子の中を、
先生方の誘導で、式場の前方に並ぶ椅子席へと、
緊張したピカピカの1年生が入場を始める。

 並んだ列の順に椅子に座ると、すぐに式は始まる。
初めて体育館に入った子ばかりだが、
キョロキョロする間などない。
 式は次々と進んでいく。

 『開式の辞』『礼』そして『国歌斉唱』。
続いて『校長先生のお話』。
 私の出番である。

 入学式での私の話は、毎年ほとんど同じパターンだ。
第一声は、
「1年生の皆さん、H小学校へのご入学、
おめでとうございます」
である。
 すると稀に、やや遅れて「ありがとうございます」と、
バラバラに声が返ってくることがある。

 でも、ほとんどの年は無反応。
無言でジッと私を見たまま。
 そこで、「あれ、なんか変だよ。
私は、おめでとうございますって言いましたよ。
 さて皆さんは、なんて言えばいいのかな?」
ソフトな声で訊く。
 
 「ありがとうございます!」
そうつぶやく子が1人2人と出てくる。
 「そうだね。ありがとうございますって言うんだよね。
いいー!?
 できるかな!?
じゃ、やり直しますよ」。

 子ども達がうなづくのを確かめてから、
再び「1年生の皆さん、ご入学おめでとうございます!」
と、一礼する。
 今度は、一斉に「ありがとうございます」と大きな声だ。
式場は一気にアットホームな雰囲気に変わる。

 次に、お客様やお家の方、6年生のお兄さんやお姉さんが、
皆さんの入学を祝って、式場にいることを伝える。

 そして、おもむろに上着の内ポケットから、
1枚の紙を取り出しながら言う。
 「これから、『ぞうさんぞうさんお鼻が長いのね』の
歌詞を作ったまどみちおさんの詩を読みます」。
 すると、1年生は不安そうな表情で、その詩を聞く。

     チョウチョウ
           まど・みちお

  チョウチョウは
  ねむる とき
  はねを たたんで ねむります

  だれの じゃまにも ならない
  あんなに 小さな 虫なのに
  それが また はんぶんに なって
  そっと…

  だれだって それを見ますと
  せかいじゅうに
  しーっ!
  と めくばせ したくなります

  どんなに かすかな もの音でも
  チョウチョウの ねむりを
  やぶりはしないかと…

 静かにゆっくりと詩を読んだ後は、できるだけ短く、
「半分になって眠るチョウチョウも、
それを見て、世界中にしーっと目配せするまどさんも、
なんて優しいんでしょうね。
 すごいね。
さあ、みなさんもそんな優しい子になれるといいなあって、
私は願っています」。

 その後、式場後方席の保護者へ、
祝意を伝え、私の話を終えるのだが、
入学式ではいつもこの詩を読んだ。
 緊張した1年生の中に、明るい表情になる子がいる。
「それでいい」と納得していた。


  ≪その2≫
 東京に限ったことではないようだが、
不思議と入学式から数日の内に、必ず雨が降った。

 まだ慣れてないランドセルを背負い、
これまた、慣れない通学路を学校へ向かうのだ。
 それだけでも大変なのに、雨である。

 雨がっぱを着る子もいれば、
大きな雨傘をさし、
時には強い風に見舞われる。

 当地では、
そんな朝は学校近くまで、車で送る保護者を見かける。
 しかし、私が勤務した小学校は、
どこでもそんなことを黙認しなかった。

 だから、入学したばかりの1年生にとって、
この雨は、最初の大きな試練なのだ。

 毎年、どの子も上級生の助けを借りながら、
なんとか無事に登校してくる。
 でも、担任にとって、気が気でない朝である。

 学校に着いてからも心配だ。
傘の置き場を覚えているだろうか。
 雨がっぱの掛け方も場所も分かるだろうか・・。
 
 だから、いつもは教室で子どもを迎えるが、
この日だけは児童用昇降口で、
担任は1年生を迎えるのである。
 
 初めて雨の中を登校した1年生は、
玄関で担任を見て、ホッとした表情を浮かべる。
 こんな機会があったから、距離が近づく子もいる。

 さて、退職する3年前であった。
S区教委の雇用制度が変わり、
私の学校の主事さん3人が、
一気に民間会社からの派遣になった。

 3人の主な仕事は、校舎内外の清掃、来客の応対、
簡単な破損修理などだった。
 勤務する前に、
2週間ほど学校勤務の研修を受けてきたが、
 男性1人女性2人は、
共に学校は初めての仕事場だった。

 それでも、初日の4月1日から、
細々とした仕事を精力的に行った。
 その様子を見て一番安堵したのは、
副校長先生だった。

 やはり、その年も入学式から数日して、
雨の朝になった。
 2人の1年担任は、
やっぱり昇降口で、登校する新1年生を待った。

 いつもは校門で子どもを迎える私も、
この日だけは、
人手が必要だろうと昇降口にいることにした。

 校門を抜け、登校する子ども達が現れた。
どの子も傘をさし、1年生にあわせ、
ゆっくりとした足どりで近づいて来た。

 それを見た主事の3人が、
乾いたタオルの入った段ボール箱を持って、
昇降口に現れた。
 そして、担任と私からやや離れた後ろに控えた。
初めてのことだった。
 何が始まるのか、分からなかった。
 
 担任は、傘の置き場を教えカッパを脱ぐ手助けをし、
私も同じように慌ただしく1年生の世話をした。

 合間に、後方の3人を見た。
傘を置いたり、カッパを脱いだりした1年生を
呼び止めていた。
 そして、
「冷たかったでしょう。大変だったね」
と言いながら、
雨で濡れた頭や肩を、タオルで拭いていた。

 黙ったまま、拭かれる1年生に
「ありがとうございます!っていいな」
と、助言する高学年の声が聞こえた。
 
 時には、「ボクも拭いて」と、
ねだる2年生3年生もいた。
 どの子も嬉しそうに教室に向かっていた。
長い教職だが、初めて見る雨の日の光景だった。
   
 以来、退職までの3年間、
雨の日には必ず、昇降口で濡れた子どもの体を、
3人は「冷たかったね。大変だったね」
と言いながら、タオルで拭いていた。

 いい学校で退職を迎えたと今も想う。




    お気に入りの散歩道8 もう春
                  ※次回のブログ更新予定は 4月27日(土)です
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D I A R Y 3 月

2024-04-06 12:31:10 | つぶやき
  3月 某日 ①
 東京圏で暮らす2人の息子とは、
グループLINEで、時々やりとりしている。

 そのLINEに息子から
『北海道人は、おおむね「したっけ」と
「なんも」で会話できる。
そうですね』
とあった。

 LINEには
『オールマイティーすぎる最強の北海道弁』
と題した「X」Twitterが添付されていた。

 早速、家内が返信した。 
「私がよく言うのは“なんもだ”です。
(2人とも)違和感なかったでしょう?」

 息子からは
「北海道の親戚の皆さんは、
みんな、なんもだ~って言ってましたね
 特にEおじさんが言ってるイメージある」
と返ってきた。

 そんなやりとりに惹かれ、
添付のTwitterにあった『なんも』を見てみた。
 そこにあった『喫茶店で伝票を押しつけあう時』の事例に、
思わず笑ってしまった。

 「いや、なんもなんも、
いやー、この前ごちそうしてもらったじゃないの、
 いやー、今回は私が出すから、
いやいいーのよいーの、
 なーーーんも、いやいいから、私が出すってば、
なーーーーんも、いいのいいの、   
 今日は私に出させて」

 道民なら、よく耳にする会話の一部だ。
私も、ごく自然に「伝票を押しつけ合う」2人の場面が、
イメージできた。
 確かに『なんも』はオールマイティーな言葉と言えそうだ。

 遣い慣れると実に便利な言葉で、私も利用するが、
『なんも』には、主にこんな意味があるようだ。 

 1つ目、「大丈夫」とか「気にしないで」の代わり。
例えば、
 「遅れちゃってごめんね」
「なんもなんも!」。

 2つ目、「いやいや」とか「ちっともだよ」として遣う。
例えば、
 「この前は送ってくれてありがとう」
「なんもだよ!」。

 3つ目、「いや~どういたしまして」の意味合いで。
例えば、
 「プレゼントありがとう!」
「なんもさ~」

 続いて『したっけ』だが、
これもなかなか使い勝手がいいようだ。
 ただ、私はうまく遣えないままでいる。
どうやら、『いたっけ』には2つの意味があるらしい。

 1つ目は、あいさつに遣う「したっけ」だ。
「さようなら」や「それではまた(失礼します)」
「それじゃ、また後でね!」の意味で、
帰り際に「したっけね〜!」と言って別れる。

 時々そんな光景に出会うことがある。
親しみがあって、ホッコリとする。

 2つ目は、接続詞として遣う「したっけ」だ。
例えば、「そうしたら」という意味の接続詞として、
「山本さんに出会って、したっけね」と遣うのだ。

 また、会話のつなぎの「それにしても」など
話題を変える場合に、
「雨になりそうだけども、したっけ、この花綺麗ね」。
 そして、「ちょっと」の部分を置き換えて、
「こんな講義意味ある?
 したっけ、飲み物買ってくるわ」。

 自治会で一緒に役員をしている方に、
活動報告で「したっけ」を多用する方がいる。
 臨場感があって、みんな真剣に聞いてしまう。
うまく遣えるといいのにといつも思う。  

 さて、北海道暮らしも12年になる。
『なんも』と『したっけ』以外の北海道弁も、
小さい頃は触れていた。
 今は、懐かしく想うことが多いだけで、
まだまだ私の日常語にはなっていない。
 徐々に徐々に馴染むことだろう。

 私を温めてくれる北海道の方言を羅列してみる。

・ぺったらこい = ひらったい      ・はっちゃきこく= 一生懸命やる
・もちょこい  = くすぐったい     ・あっぱくさい = 簡単だ 
・みったくない = みっともない     ・こてんぱ   = さんざん
・げれっぱ   = ビリ         ・だはんこく  = 無理を言って泣く
・ゆるくない  = たいへんなこと    ・じょっぴん  = 戸締まりをする
・あったらもん = あんなもん      ・しばれる   = 凍る
・ばんきり   = いつもかわらない   ・おばんです  = 今晩は
・かじける   = こごえる       ・やばちい   = きたない
・あずましくない= おちつかない     ・ごんぼほる  = 駄々をこねる
・めんこい   = 可愛い        ・かっちゃく  = ひっかく
・はんかくさい = ばかみたい      ・ごしょいも  = 馬鈴薯


  3月 某日 ②

 コロナ禍前だったと思う。
書店に並ぶ1冊に目がいった。
 『銀河鉄道の父』だった。

 表紙の帯には、
『父でありすぎる父親が
 宮沢賢治に注いだ無上の愛。
感動の「親子」小説!』
とあり、こうも書いてあった。

 『岩手県をイーハトヴにし、
銀河に鉄道を走らせた宮沢賢治は、
いかにして想像力豊かな詩人・童話作家になったのか。
 賢治の父・政次郎は
「質屋に学問は必要ねぇ」
と自分の父から言われ、進学を断念して店と家を守ってきた。
 だが、家業を継ぐべき賢治は学業優秀で、
上の学校へ行きたいという。
 苦悩する父と夢を追い続ける息子の、
対立と慈愛の月日』

 門井慶喜さんのこの小説は、
第158回直木賞受賞作だったが、
表紙の帯で俄然興味が湧き、買い求めた。
 それから、もう4年以上が過ぎている。

 ぶらりとレンタルビデオ店に立ち寄り、
DVDの棚を見ていたら、
 小説と同じタイトルで映画になっていた。

 役所広司さんが政次郎役を務め、
長男・賢治を菅田将暉さん、
賢治の妹・トシを森七菜さんが演じていた。
 早速、自宅でビデオ鑑賞した。 
 
 日本のアンデルセンにと願った妹・トシが、
肺結核で亡くなり、
そして、賢治も同じ病気で闘病。

 その時、政次廊は賢治の手帳にあった
「雨ニモマケズ」を見つける。
 そして、死の直前だ。

 その時を迎えて伏せる賢治に、
「雨ニモマケズ 風ニモマケズ
・・・・・ ソウユウ人ニワタシハナリタイ」
と、政次郎は暗唱する。
 映画ならではの感動の場面だった、

 死別を前に、役所広司さんが演じる賢治への愛に、
私の涙腺は崩壊してしまった。




      春 陽 に 孟 宗 竹    
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