▼ コロナの第3波である。
どこまで感染拡大が続くのか。
日本中、誰もが心を痛めている。
ついつい気持ちが暗くなる。
それにしても、不安な日々をどれだけ過ごしてきただろう。
そして、これから先、どれだけ続くのだろうか。
今は、逃れることができない現実である。
みんなで支え合い、励まし合いながら、
一日一日を過ごしたい。
と言いつつ、どうしても不透明感が拭えない。
多少つまらなくても、
しばしコロナを忘れる一手を考えなくては・・・。
まずは、エッセイスト・飛鳥圭介さんの『軽い」を転記する。
* * * * *
おじさんは毎朝6時に起床し、ざっと入浴する。
これは一年中変わらない。
朝食と身支度を済ませて、
約20分ほどの道のりを駅まで歩くのだ。
その朝は何だか心身が快調だった。
1年に何度もない爽快な気分だ。
「ああ、こんな良い日はきっといいことがあるに違いない」
と口笛を吹きたくなった。
いつもの道を歩きながら、自分の体の身軽さにびっくりした。
まるで足に羽が生えたように弾んで歩行できるのだ。
脚も膝も痛まず、呼吸も楽だ。
駅に着き、電車を待つ間に背負ったリュックから本を取り出そうとした。
そのときになってやっと気づいたのだった。
リュックを背負っていないことに!
何が身が軽い、だ。
本と老眼鏡とお弁当、その他雑多なモノが詰め込んである
けっこう重いリュックを背負わなければ身軽に決まっている。
心身快調、が聞いてあきれる。
こうなったら仕方がない。
足取り重く、また家まで引き返すことにした。
ところが家に着いたら妻は不在だ。
「あっ、彼女は病院に行く日だった」。
家のカギも携帯もリュックの中だ。
「なんて日だ!」
とうとうワシは健忘症の域を超えてしまったのか。
* * * * *
▼ 家のカギも携帯もないまま、
その後の飛鳥さんは、どうしたのだろう。
誰にでもありそうな話なだけに、愉快・・。
やけに、明るい気持ちにさせてもらった。
私も、『軽い』に続き、カギにまつわること・・。
① 2年ほど、自治会の総務として、
毎月末に班長さんのお宅へ、
市の広報など各家庭への配布物を届けて回った。
玄関のインターホンを押し、
配布物を届けに来た旨を伝える。
すると、室内から声か戻ってくる。
その返答と行動が、2つのパターンに別れていた。
1つは、「ハーイ、お待ち下さい。」の後、
しばらくして中から玄関のカギを解錠する。
もう1つは、「どうぞ、お入り下さい。」の後、
私が玄関ドアを開ける。
つまり、玄関ドアが施錠されているか、解錠してあるかの違いだ。
我が家は、常に施錠している。
だから、「どうぞ、お入り下さい」には、いつも違和感があった。
でも、少なくないパターンがそれだった。
ある懇親会で、そのことを話題にしてみた。
施錠している派は、解錠に驚き、
解錠している派は、施錠に首を傾げた。
「だって、いつ誰が、
黙って家に入ってくるか、分からないでしょう。
カギを開けておくなんて、不安でできない」。
「ウチに来られた方を、いつでも迎え入れるために、
カギは開けておかなきゃ。
カギをかけておいたら、来るなって言ってるみたい」。
双方の主張は、ずっと平行線だった。
私はそれを聞きながら、解錠しておく方々に共感しつつも、
なかなかできることではないと呟いていた。
つい先日も、ご近所さんから電話を頂いた時のことだ。
「これからつぶの塩辛もっていくから・・。ウチに居て・・。」
数分で、インターホンが鳴った。
ならば、玄関のカギを解いておけばいい。
それが、人を迎えるマナーだと解錠している派は言うだろう。
だが、それができない・・・。
ご近所さんはどう思ったことか・・・。
②
伊達での最初の冬だった。
その日、家内は9時からのボランティアで、
社会福祉会館へ行くことになっていた。
目ざめると、その年1番の積雪だった。
朝食を済ませるとすぐ、2人で雪かきにかかった。
まだ、慣れていない。
時間ばかりがかかった。
「ボランティアには遅れて行けない。」
と、家内だけ雪かきを止め、社会福祉会館へ急ぐことになった。
着替えを済ませ、鞄を抱え、
家内は、忙しく玄関ドアを閉め、カギをかけた。
私は、スコップで雪を放り投げながら、
車のハンドルを握る家内を見送った。
それから小1時間は、雪と格闘しただろうか。
ようやく自宅前の歩道と駐車場に積もった雪がなくなった。
頭と背中は、汗で濡れていた。
早々、着替えようと玄関ドアのノブを引いた。
「ううん!?」。ドアが開かない。
「そうか、カギをかけていたなあ・・。」
家内が、施錠している姿を思い出した。
あの時、私も家内もなんの不自然さも感じないままだった。
そう思いつつ、ポケットを確かめた。
キーが入っているはずがない。
「俺は、自分のウチから閉め出されたのか!」。
その迂闊さが腹立たしく、悔やまれた。
こうなったら、家内のいる社会福祉会館まで行って、
自宅のキーをもらうしかない。
私の車のキーは、当然家の中だ。
まだ除雪の進んでいない道を、歩いて行くしかなかった。
片道20分余りを履き慣れない長靴で向かった。
雪かきスタイルの出で立ちで、
初めて社会福祉会館の受付に立った。
案内された部屋では、
家内のボランティア仲間が会議中だった。
私は赤面しながら、家内からのキーを待った。
「迂闊な施錠!
軽くみてはいけない!」
決して忘れないゾー!
歩道脇のドウダンツツジが真っ赤
※次回のブログ更新予定は、12月5日(土)です。
どこまで感染拡大が続くのか。
日本中、誰もが心を痛めている。
ついつい気持ちが暗くなる。
それにしても、不安な日々をどれだけ過ごしてきただろう。
そして、これから先、どれだけ続くのだろうか。
今は、逃れることができない現実である。
みんなで支え合い、励まし合いながら、
一日一日を過ごしたい。
と言いつつ、どうしても不透明感が拭えない。
多少つまらなくても、
しばしコロナを忘れる一手を考えなくては・・・。
まずは、エッセイスト・飛鳥圭介さんの『軽い」を転記する。
* * * * *
おじさんは毎朝6時に起床し、ざっと入浴する。
これは一年中変わらない。
朝食と身支度を済ませて、
約20分ほどの道のりを駅まで歩くのだ。
その朝は何だか心身が快調だった。
1年に何度もない爽快な気分だ。
「ああ、こんな良い日はきっといいことがあるに違いない」
と口笛を吹きたくなった。
いつもの道を歩きながら、自分の体の身軽さにびっくりした。
まるで足に羽が生えたように弾んで歩行できるのだ。
脚も膝も痛まず、呼吸も楽だ。
駅に着き、電車を待つ間に背負ったリュックから本を取り出そうとした。
そのときになってやっと気づいたのだった。
リュックを背負っていないことに!
何が身が軽い、だ。
本と老眼鏡とお弁当、その他雑多なモノが詰め込んである
けっこう重いリュックを背負わなければ身軽に決まっている。
心身快調、が聞いてあきれる。
こうなったら仕方がない。
足取り重く、また家まで引き返すことにした。
ところが家に着いたら妻は不在だ。
「あっ、彼女は病院に行く日だった」。
家のカギも携帯もリュックの中だ。
「なんて日だ!」
とうとうワシは健忘症の域を超えてしまったのか。
* * * * *
▼ 家のカギも携帯もないまま、
その後の飛鳥さんは、どうしたのだろう。
誰にでもありそうな話なだけに、愉快・・。
やけに、明るい気持ちにさせてもらった。
私も、『軽い』に続き、カギにまつわること・・。
① 2年ほど、自治会の総務として、
毎月末に班長さんのお宅へ、
市の広報など各家庭への配布物を届けて回った。
玄関のインターホンを押し、
配布物を届けに来た旨を伝える。
すると、室内から声か戻ってくる。
その返答と行動が、2つのパターンに別れていた。
1つは、「ハーイ、お待ち下さい。」の後、
しばらくして中から玄関のカギを解錠する。
もう1つは、「どうぞ、お入り下さい。」の後、
私が玄関ドアを開ける。
つまり、玄関ドアが施錠されているか、解錠してあるかの違いだ。
我が家は、常に施錠している。
だから、「どうぞ、お入り下さい」には、いつも違和感があった。
でも、少なくないパターンがそれだった。
ある懇親会で、そのことを話題にしてみた。
施錠している派は、解錠に驚き、
解錠している派は、施錠に首を傾げた。
「だって、いつ誰が、
黙って家に入ってくるか、分からないでしょう。
カギを開けておくなんて、不安でできない」。
「ウチに来られた方を、いつでも迎え入れるために、
カギは開けておかなきゃ。
カギをかけておいたら、来るなって言ってるみたい」。
双方の主張は、ずっと平行線だった。
私はそれを聞きながら、解錠しておく方々に共感しつつも、
なかなかできることではないと呟いていた。
つい先日も、ご近所さんから電話を頂いた時のことだ。
「これからつぶの塩辛もっていくから・・。ウチに居て・・。」
数分で、インターホンが鳴った。
ならば、玄関のカギを解いておけばいい。
それが、人を迎えるマナーだと解錠している派は言うだろう。
だが、それができない・・・。
ご近所さんはどう思ったことか・・・。
②
伊達での最初の冬だった。
その日、家内は9時からのボランティアで、
社会福祉会館へ行くことになっていた。
目ざめると、その年1番の積雪だった。
朝食を済ませるとすぐ、2人で雪かきにかかった。
まだ、慣れていない。
時間ばかりがかかった。
「ボランティアには遅れて行けない。」
と、家内だけ雪かきを止め、社会福祉会館へ急ぐことになった。
着替えを済ませ、鞄を抱え、
家内は、忙しく玄関ドアを閉め、カギをかけた。
私は、スコップで雪を放り投げながら、
車のハンドルを握る家内を見送った。
それから小1時間は、雪と格闘しただろうか。
ようやく自宅前の歩道と駐車場に積もった雪がなくなった。
頭と背中は、汗で濡れていた。
早々、着替えようと玄関ドアのノブを引いた。
「ううん!?」。ドアが開かない。
「そうか、カギをかけていたなあ・・。」
家内が、施錠している姿を思い出した。
あの時、私も家内もなんの不自然さも感じないままだった。
そう思いつつ、ポケットを確かめた。
キーが入っているはずがない。
「俺は、自分のウチから閉め出されたのか!」。
その迂闊さが腹立たしく、悔やまれた。
こうなったら、家内のいる社会福祉会館まで行って、
自宅のキーをもらうしかない。
私の車のキーは、当然家の中だ。
まだ除雪の進んでいない道を、歩いて行くしかなかった。
片道20分余りを履き慣れない長靴で向かった。
雪かきスタイルの出で立ちで、
初めて社会福祉会館の受付に立った。
案内された部屋では、
家内のボランティア仲間が会議中だった。
私は赤面しながら、家内からのキーを待った。
「迂闊な施錠!
軽くみてはいけない!」
決して忘れないゾー!
歩道脇のドウダンツツジが真っ赤
※次回のブログ更新予定は、12月5日(土)です。