ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

災害に備えた 試行錯誤

2023-02-25 12:31:01 | 北の湘南・伊達
 キャッチフレーズ『北の湘南』が、的を得ているかどうか、
時には首を傾げたりもするが、
当地が風光明媚な所であることは、間違いない。

 ところが、それに一役買っている有珠山は、
20年から30年を周期に噴火をくり返す。
 まもなくその時が来る。
ハザードマップを見ると、
市街地の多くは、最大50センチの降灰が予想されている。

 また6年前の台風接近では、
市内の河川の多くが危険水域に達した。
 我が家近くにある自然公園内の小さな川も増水し、
全ての木道の橋を押し流し、
川からあふれた水が、一般道に泥水となって流れ出た。
 もう少しで多くの民家が、床上浸水になるところだった。

 そのような状況を踏まえ、
地元自治会の役員会では、防災への関心が高まった。
 早々、『自主防災組織検討委員会』を立ち上げ、
災害に備えた取り組みが始まった。

 私は、検討委員会の一員に加わり、
その後、自主防災組織本部会議の防災リーダーになった。

 自治会が進める自主防災の取り組みは、多岐にわたる。
中でも、災害情報の伝達と災害発生前の避難誘導、
発生後の救援が重要課題と考えた。

 今年度で、本部会議が始動してから4年目になる。
キャリア不足は補いようがないが、この1年の試行錯誤をふり返る。
 
 ① 地域に迫る災害の危機を、
いち早く住民に伝える手段は電話しかない。
 役員への電話連絡網を作成し、印刷配布したものの、
それが有効に機能するとは考えにくかった。 
 
 そこで、会員への一斉メール配信で、
災害や避難の情報を発信できないか、
本部会議で話題になった。
 早速、私が調査し、提案することに・・。

 退職の2年前、不審者や災害などの情報を、
学校から保護者へメールで配信できるようになった。
 多くの保護者がそのシステムに登録し利用が始まり、
手軽に学校からの情報を得ることができるようになったのだ。

 あの3.11で、急きょ下校を保護者への引き渡しにできたのも、
メール配信のシステムがあったからだった。 

 この伝達手段なら、
きっと自治会でも災害時に有効機能すると確信した。
 そのシステムを運用している企業がどこにあるのか。
すでに活用している町内会・自治会はないか。
など、情報収集から始めた。

 市の防災課を訪ねた。
北海道の自治会連合会へ問い合わせをした。
 ネット検索も長時間試みた。

 メールの一斉配信は、様々な団体や組織で活用されていた。
年間費用も思っていたより安価だった。
 システムの運用を扱う業者も、全国各地にあった。

 そして、遂にメール配信を導入している自治会も探し出した。
具体的な取り組み事例が聞けると意気込んだ。

 勇んで、その自治会の担当者に電話した。
彼は、私の問い合わせに明るく応じてくれた。
 システム契約をした会社名や連絡先、
導入時の費用や年間経費など、
私の知りたいことの全てに答えてくれた。

 そして、最後に彼は現状をこう語った。
「システムを導入して3年になります。
 今のところメール登録者は、自治会員の30パーセント程度です。
高齢者宅が多く、なかなか登録数が伸びません。
 それでも重要な情報はご近所から伝わりますので、
無駄ではなかったと思っています」。
 
 それまで膨らんでいた希望が、さっとしぼんでいった。
自治会活動のデジタル化は、
まだまだハードルが高いことを知った。

 本部会議では、収集した資料と一緒に、
導入した自治会の現状をそのまま報告した。

 メール配信の導入は、数年先に見送られた。

 ② 訓練したことは、災害時の行動に直結する。
だから「訓練は実際のように、実際は訓練のように」と、
子供たちに繰り返し教えてきた。

 自治会の防災も同じだ。
訓練したことは、必ず災害時に役立つ。
 防災訓練は、重視しなければならない取り組みだった。

 なので、徐々に対象者を拡大し、
防災訓練を実施していくことにした。
 昨年度は、本部役員と防災班班長の15名で初めて実施した。

 今年度は自治会役員約70名に実施案内を配り、
防災訓練への参加を呼び掛けた。
 内容は、消防署の指導による消火訓練と救命訓練、
そして購入した発電機の操作訓練だった。
 多くの参加を見込んだ。

 秋晴れの穏やかな休日の午後、
会場の準備を整え、参加者を待った。
 参加者用にと、ペットボトルのお茶を、
50本用意した。
 
 ご夫婦での参加、若いお父さん、
女性、高齢者の姿もあった。
 しかし、何度数えても総勢21人。
計画通り実施したものの、盛り上がりに欠けた。

 その様子を見ながら。
防災訓練にわざわざ足を運ぶには、
相当の危機意識が必要なのだと気づいた。

 「どんな防災訓練もなかなか人が集まりません。
でも、懲りずに続けることです」。
 消防署OBの方が、私の肩をポンと叩いてくれた。

 ③ 2年前になるが、
本部会議は、地元の民生委員の力も借りながら、
単身高齢者を対象に災害時避難誘導の援助体制を整えた。

 75歳以上の単身者で希望する方に、
避難時の誘導をするサポーターを配置したのだ。
 サポーターは、高齢者宅の近隣住民。
できるだけ顔なじみの方へ、防災本部が依頼した。
 
 その更新の時期が来た。
この2年間で対象者に加わった方もいた。
 死亡、転居。施設入所の方も・・。
改めて対象者名簿を作成し、
来年度から2年間のサポート体制作りを始めた。

 60名を越える対象者宅へ、2人ワンセットの4組で、
一軒一軒を訪ね歩き、サポート希望の有無を訊いた。

 「まだ元気だから、大丈夫」と胸を張ってみせる方もいた。
しかし、「これからも,どなたかにお願いしたい」
と、頭を下げる方が半数以上。

 次は、サポーター探し。
初年度、サポーターへの理解が難しく難航した。
 しかし、大きな危機はなかったが、
サポーター経験を2年間積んだ。
 「○○さんが、それで少しは安心なら」と、
快く受けてくれる方の多いこと。

 「これって、本当の共助ですよね。
分かりました。Aさんのサポーターやります」。
 初めて訪ねたお宅だったが、私の依頼にこう答えてくれた。
凍てついて滑る帰り道だったが、浮かれながら歩いていた。




     真冬の遠景 ~洞爺湖   
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あ る 詩 の 本

2023-02-18 12:47:10 | 思い
 先週のことだ。
3年ぶりに児童文化の研究大会があった。
 歴代の先輩顧問さんらが、次々と他界し、
とうとう私が、最古参の顧問になってしまった。

 大会開催のために頑張った先生方に、
ねぎらいのひと言がかけたくて、
会場校となった東京都品川区の小学校まで行ってきた。

 公開した6つのどの授業も、3年前までと変わらず、
「児童文化手法」を有効活用していた。
 コロナ禍で子ども達の様子が気になっていたが、
どの学級も雰囲気がよく、
伸び伸びと授業参加している姿が印象的だった。
 嬉しくなった。

 また、現職の頃、一緒に研究会を盛り上げた仲間達とも再会できた。
退職後、町議に立候補し今や地元町議会議員になった者、
地域からの推薦を受け民生委員を務めている者、
エッセイ集を出版した者などがいた。
 それぞれがいろいろな場で活躍していた。

 大会の翌日、沢山の刺激をお土産に、
羽田を飛び立ち、白銀の地へ舞い戻った。

 それから数日後だ。
久しぶりに書店へ出かけた。
 新刊本をペラペラ開きながら、
素敵な本との出会いを期待した。

 めったに立ち止まらない書架のコーナーに、
何冊かの詩集が並んでいた。
 その1冊の装丁に異色感があった。

 私が詩集『海と風と凧と』を出す時、
出版社のスタッフの1人が、
「詩集は売れないんですよね」
と呟いた渋い顔を思い出しながら、
手にとってみた。

 表紙は、藍色の地に林立する杉木立のイラスト。
金文字と白文字でタイトルが書いてあった。

 やや厚みがあり、A5版より小ぶりながらも、
重みを感じた。
 急に購買欲が湧いた。
払い済ませ、帰宅を急いだ。

 目次前の最初のページに、
詩人、川口晴美さん〔監修〕の『はじめに』があった。

 その書き出しで、彼女は言う。
『昨日と同じように続く今日、
ドラマチックなことなど起こらないありきたりな毎日。
 たとえそう思って過ごしていても、
何かのきっかけでふいに感覚がざわめき、
感情が揺らぎ、
日常からあふれこぼれる瞬間はあります。
 私たちは生きているから。』 
 
 そして、10数行の『はじめに』をこう結んでいた。
『ここにおさめられた詩を読むうちに、
あなたのなかに秘められた何気ない感覚や感情が
あたらしい輝きを帯びながら動き始めるかもしれません。
 その読書体験がきっと、
あなたをほんの少しだけ今日とは違う明日へ
連れて行くでしょう。』と・・・。
  
 購買欲に続いて読書欲を揺さぶられた。
ゆっくりとページをめくってみた。

 『甘酸っぱい初めての恋。
夏の日の花火のように
 煌めき燃え尽きた儚い愛。
家族になる人へのやさしい愛。
 今はいないあの人へ
目には見えない「愛」を捧げます。』
と言葉を添えた、第1章「愛」。
 そこには17の詩が載っていた。

 あの日私を熱くしてくれた詩があった。
「あいたくて/工藤直子」
「初恋/島崎藤村」
「祝婚歌/吉野弘」

 『生命と人生の歓びや
切なさや覚悟を
 ひとり噛みしめて流れた涙。
生きるということは
 魂を震わせながら歩むこと。
尊い命が果てるまで。』
と語りかける 第2章「生」。
 そこには16の詩があった。

 今もそうっと私を支えている詩があった。
「生きる/谷川俊太郎」
「雨ニモマケズ/宮沢賢治」
「わたしが一番きれいだったとき/茨木のり子」
「一個の人間/武者小路実篤」

 『失ったあとも決して消えない
何かを思う痛み。
 人を傷つけたとき、
心に渦巻く後悔や嘆き。
 悲しい気持ちをことばに寄せて
そっと心をあたためましょう。』
と励ます 第3章「嘆」。
 そこには13の詩が並んでいた。

 切なさに共感し胸が一杯になった詩があった。
「自分の感受性くらい/茨木のり子」
「貝殻/新美南吉」

 『ただ楽しいということの
不思議なかけがいのなさ
 うれしい気持ちを
音の響きを
 ただ楽しむのもいい。
自由な心で‥。』 
とウキウキさせる 第4章「愉」。
 そこには17の詩があった。

 苦境のとき力むなと気づかせてくれた詩があった。
「からたちの花/北原白秋」
「こだまでせうか/金子みすゞ」
「風景/山村暮鳥」

 そして、最後の第5章は「歌」だった。
添えてあった言葉は・・・。

 『時代を越える名曲は
文字を通すだけで
 景色が、匂いが、感情が、
立ち上ってきます。
 頭に音が鳴ったら
ボリュームを下げて
 歌詞をじっくり楽しんで、』
と、第4章までとは随分トーンが違った。

 選ばれた8つの詩の最後が、
「川の流れのように/秋元康」にも驚いた。

 他の7つは、どれも知らない曲ばかり。
でも、作詞者はいつかテレビで見た気がする。
 あいみょん、尾崎世界観、星野源、堀込泰行、
志村正彦、崎山蒼志、優里、松本隆。

 残念なことに、「頭に音が鳴った』りしない。
そして、くり返し読んでも、
『景色も匂いも感情も立ち上』らいのだ。
 




     厳 寒 の 日 の 出
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私『楽書きの会』同人 (6)

2023-02-04 11:02:53 | 思い
 最初に、昨年5月21日地元紙『室蘭民報』
1面 コラムの「忙中閑」を転記する。

  *     *     *     *

     「大手門」の20年
 ▼土曜の文化欄に連載している随筆「大手門」は、
2002年5月10日に第1回が掲載され、
今年で20年を迎えたロングラン企画だ
 ▼当初は、胆振西部のページでスタート。
伊達市の教育長を務めた故佐藤一雄氏が、
同市の生涯教育活動である長生大学のメンバーを誘い、
楽書きの会を結成。
 以来、同人が入れ替わりながらも
十数人が交代で執筆している
 ▼原稿を依頼した際には「地域のご意見番として先輩世代から、
現役世代へのメッセージを」との構想を伝えた。
 が、連載が始まると、戦時中や戦後の体験、
現役時代の教訓や失敗談、教育談や時事談など、
多彩な人生観や感性が花咲く企画となった
 ▼2代目主宰の南部忠夫さんは、
脳梗塞で倒れた妻の自宅介護をテーマに執筆。
 今年4月26日掲載の「20年目」は介護の期間だ。
図らずも連載が介護記録ともなり、
その時々の心情を読み取れるから感動的だ
 ▼17年12月までの作品は、
2巻の本にまとめ大手門出版会として出版。
 道の駅だて歴史の杜の観光物産館で販売している。
売り上げは3巻目の印刷に充てる計画だ
 ▼きょうの6面には、新加入の佐藤シズ子さんが初登場。
企画の寿命はさらに伸び、
今後も多彩な人生や心情がひろうされるのが楽しみだ。

  *     *     *     *

 随筆集団『楽書きの会』に加えてもらったのは、
4年前の夏である。
 以来、2,3ヶ月毎に掲載させてもらっている。
いつも、読後の声が届く。
 「嬉しい!」。
時には、褒め言葉に隠れた鋭い視線に、
背筋が伸びることが。
 どうやら、その刺激を糧にしている向きが・・。

 いずれも本ブログの一部を推敲したのだが
最近作2つと、頂いた声(【◎  】)を記す。

  *     *     *     *   

 =2022年11月26日に掲載された=

     密着した車内にて

 その日の山手線は特に混雑が激しく、
ドア付近で四方を出勤するスーツ姿に押されながら揺られていた。

 線路の切替ポイントで、いつも決まったアナウンスが流れる。
「間もなく、車両が大きく揺れます。お気をつけ下さい」。
 その揺れには慣れていた。
足に力を入れて備えた。
 ところが、混雑のせいか、
車両の揺れと一緒に満員の乗客が一方向に大きく傾き、
次に一斉に元の位置に戻された。

 一瞬のことだが、再び定位置を確保しホッとした矢先だった。
左手前で密着していた男性が声を荒げた。
 「俺の足を踏んだだろう。謝れよ」と、
私の右前で背を向けていた若者を押した。

 若者はギュウギュウの中を反転し、男性を見た。
「踏んでませんよ。失礼だな!」。
 今度は、男性が若者をにらみ、
「いや、君の足が私を踏んだ」。
 「僕が踏んだのなら、すぐに謝りますよ」。
「なに言ってる。謝れ!」。
「違うって、言ってるでしょう!」。

 密着した右と左で言い合いが続いた。
私は、目だけ動かしその事態に驚いていた。
 幸い、2人の間には腕を振り上げる隙間さえなかった。
そこだけは安心だった。

 ところが、言い争いは思わぬ方向へ進んだ。
これには参った。
 「君じゃないのなら、誰だ。誰が踏んだ?」。
「そんなの知りませんよ。揺れで、みんな動いたんだ」。
 「でも、一番近いのは君だ」。

 いやな予感がした。
若者は目を見開いた。
 「僕だけが近くじゃない」。
「じゃ、誰だ。誰が踏んだ?」。

 周囲に緊張が走った。
2人の目は同時に、直近の私を見た。
 『ええぇ、私!』。
2人を交互に見た。
 無言のまま、あわてて首を横に振った。
きっと私は青ざめていた。
 突然「じゃ、仕方ない。変な言いがかりをつけてしまった」。
男性は小さく頭を下げ、若者もうなずき、向きを戻した。

 争いは終わった。
一体、2人は私を見て、何を思ったのだろう。
 今も謎だ。
念を押す。
 私は無実だ。

 密着した車内で、男3人の緊迫したシーンだった。
なのに、日が経つにつれ笑えるのは、どうして。


 【 ◎ 伊達の方にはショッキングな内容だったかも・・。
都会は怖い、が最初の印象で、最後は別の印象が・・。
 でも、都会はやはり異常だと思う。
人が密集しすぎると色々な意味で過度の摩擦が・・。
 私はその都会しか知らないから、
逆に田舎暮らしへの怖さがある。 】

  *     *     *     *

 =2023年1月29日に掲載された

     夕焼けが素敵なので

 昼食を済ませてしばらくすると、眠気に襲われる。
その誘いに逆らわず、20分程度の昼寝をする。
 目覚めは期待とは違い、さほどスッキリしない。
ボーとしたまま2階の自室へ階段を上がる。
 机に向かい、キーボードを打ったり読書をしたりして午後を過ごす。

 9月になると、随分と早い時間から
西日がガラス窓を通して机上を射る。
 その眩しさにたまりかね、レースのカーテンを下ろす。

 そんなある日、突然、居間の家内から大きな声が
「ねえ、見てごらん夕日。素晴らしいよ」。
 声に促された。
机を離れカーテンを上げる。
 窓越しに西空を見ると、茜色に広がる薄雲が大空に輝いていた。
もう秋が訪れたのか、ひときわ鮮やか。

 その美しさをガラス越しに見るだけにしておけなかった。
急いで階段を降り、外へ出た。
 自宅前の通りまで行くと、そこは一面の『大夕焼け』。
家内も遅れて通りまで出てきた。
 会話のないまま、並んでしばらく見とれた。

 その時、近所のご主人がご自宅の駐車場に車を止めた。
いつもより早い帰宅のようだったが、
2人並んで、通りに立つ私たちが気になったらしい。
 わざわざ声をかけてきた。
「どうしたんですか。何かあったんですか?」
 「すごい夕焼なので、見てました」。

 するとご主人は、驚いたように「エッ!エェ」と、
西空に顔をむけた。
 そして、つぶやくように
「忙しさに、つい忘れていました。綺麗ですね。
ありがとうございます」。

 すかさず私は
「現職の頃は私たちも、夕日を見る余裕などなく、
毎日走り続けてました。
 仕方ないですよ!」
「そうですか。同じですか」。
 ご主人は少し寂しげな表情を残し、
足早に玄関へ向かった。

 【 ◎ 目の前のことにとらわれていると、
景色ばかりか視野も狭くなるなあと、学びます。
 人として豊かでありたいです。

 ◎ そんな夕日をゆったりと眺める時空間、
大切な一時を文字に表現する。
 素敵ですね。
お隣さんのお気持ちも分かります。
 日々の何気ない自然との触れ合いを大切にしたいものです。
そんな示唆を頂いたエッセイ、ありがとう 】




    生まれ故郷=室蘭の 製鉄所
                ※次回のブログ更新予定は、2月18日(土)です
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