ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

丁寧に説明 してほしい

2020-03-28 15:32:33 | 思い
  ①
 2ヶ月間隔で薬をいただきに通院している。
失礼を承知で言えば、その病院の患者は年寄りばかりだ。

 予約制のため15分程度も待てば、診察室に呼ばれる。
医師とは、1,2分の会話だ。

 「その後、いかかですか?」
「ハイ、特に変わりはありません。」
 「それはよかった。薬をいつものように出します。
8週間後にまた来て下さい。」
 「分かりました。ありがとうございます。」

 診察は、おおむねこれで終わり。
その後、次回の予約をとり、会計を済ませる。
 そして、処方箋を持って、病院のすぐ横にある薬局へ行く。
それがお決まりの通院パターンだ。
 いつも何も変わらない。

 ところで、先日の薬局であった一コマが、
心に残っている。
 長椅子に、私のほかに2人が離れて座っていた。
しばらくして、私の前にいた女性が立ち上がった。

 呼ばれたのは男性の名前だったが、
きっとご主人の薬だと推測した。
 薬剤師がカウンター越しに明るく言った。
「今までの薬とは違って、ジェネリックの薬になりました。
 だから少しお安くなりましたからね。
薬は違っても、効き目は同じですからね。」

 なのに、高齢の女性は返事にためらっていた。
薬剤師は、歯切れよく続けた。
 「少し違うところがあっても、
国が同じように効くと証明しているから大丈夫ですよ。」

 「今まで飲んでいたのとは、違うの?」。
小声だったが、女性は食い下がった。
 「少しだけ違うところがあっても、大丈夫!」。
即答だった。

 女性は、しばらく沈黙し、思い悩んでいた。
そして、今度は、はっきりとした声で言った。
 「お父さんになんかあったら困るから、
今までの薬にしてください。
 少し高くてもいいですから」。

 薬剤師が食い下がる番になった。
「国が、大丈夫って言ってるんですから、
心配しなくてもいいんですよ。」
 もう女性は、不動だった。
「でも、今までの薬をお願いします。」
 薬剤師は、無言で奥へ姿を消した。

 しばらく時間がかかった。
女性はまた椅子に座り、待った。

 再び名前を呼びながら、薬剤師が現れた。
明らかに不満げな声だった。 
 「じゃ、今までと同じお薬です。」
女性は、小さな背をさらに丸めて支払いを済ませ、
店を出て行った。

 女性と薬剤師には行き違いがあった。
「薬剤師からもっと違う説明があれば・・」。
そんな感想を持った。
 一方、「お父さんに何かあったら」と、
心を痛める女性の想いに、ジーンときていた。

 これには、続きがあった。
若干時間を置いて、次にもう一人、
横に座っていた女性が呼ばれた。

 これを間が悪いというのだろう。
薬剤師は、この女性にも同じ説明を始めた。
 「今までの薬とは違って、ジェネリックの薬になりました。
だから少しお安くなりましたからね。
 薬は違っても、効き目は同じです。」

 「あの・・。すみません。
・・・私も、今までの薬でお願いできませんか。」
 女性は、深々と頭を下げた。

 「薬の名前が違うだけで、同じなんですよ。
国が証明しているから、間違いないんですよ。」
 「でも、今までので・・」

 薬剤師は、今度ばかりは引き下がらなかった。
「大丈夫です。飲んでみて下さい。
 どうしてもいやでしたら、次は元に戻しますから。」
 
 「でも・・・。そうですか?じゃ・・。」
女性はしぶしぶ応じ、店を出て行った。
 これまた、小さい背をさらに丸めて・・・。

 続いて私が呼ばれた。
もともと私はジェネリックだ。
 薬剤師とは平穏なやりとりで、
背をスッと伸ばしたまま、店を出た。

 ジェネリック薬品への理解度の差に起因した出来事だと気づいた。
「薬剤師には、誰もが分かる丁寧な説明を心がけてほしい。」
 珍しくそんな想いを抱いた。

 だって、ジェネリック薬を強引に渡された女性は、
その後どうしただろう。
 まさか、服用を止めたりしてはいないだろう。
いつまでも気になっている。

  ②
 10日程前の新聞記事を転記する。
見出しは、『学校林 ほぼ伐採
        伊達小「貴重な緑」残念の声も』だ。

 『 伊達小の前庭にあり、環境教育の場にもなっていた学校林が
「危険防止」を理由にほとんどが伐採され、丸裸になった。

 市教委によると、強風が吹くたびに折れた枝が
近隣の住宅に飛散したり、
落ち葉が屋根のといに詰まったりして、
市民から苦情が寄せられていた。

 「台風などで風倒木がでたら、
児童にも危険が及びかねない」(学校教育課)として、…
開校当時に植えられたとみられるケヤキなど数本を残し、
計84本の樹木を伐採した。

 ただ、樹種や空洞ができるなどして倒木の恐れがある木が、
どの程度あったかについては「把握していない」(同)という。

 同校で秋にドングリ拾いや「草原ビオトープ」を作るなど、
環境教育を実践してきたNPO法人…代表は
「ミズナラやオニグルミといった広葉樹が子どもの教育だけでなく、
エゾリスの採餌場にもなる市街地の貴重な緑だったので残念でならない」
と話す。

 さらに「危険というなら、折れそうな枝を個別に切るなどして
十分対処できたはず。
 苦情があるからといきなり伐採してしまうのは乱暴すぎる。」
と嘆く。

 市教委によると、跡地に植樹する予定はなく、
「もともと不足していた駐車スペースとして活用される」としている。』

 東京都内なら小学校の校庭をこえる広さの前庭だ。
そこにあった緑豊かな84本が一気に消えた。
 信じがたい記事だった。

 事実を確認するため、
伊達小まで行く勇気が湧くのに、1週間もかかった。

 更地と化した前庭の向こうに、
三階建ての校舎が寒そうだった。
 
 学校林の重厚な樹木が、
伝統ある学舎の雰囲気を作っていた。
 多くの人が、無条件にうらやむ教育環境だ。
だが、その素晴らしい姿が一変してしまったのだ。

 確かに、学校のご近所に住む方から、
秋の枯れ葉掃除のご苦労を聞いたことがあった。
 でも、ここまでの伐採を、その方は望んでいただろうか。

 きっと伐採の決断までには、
私などが図り知ることができない、
様々ないきさつがあったに違いない。
 長年の葛藤の末のことなのだろう。

 しかし、84本のある1本に、想いを託した子がいたら、
あの学校林を見るたびに、幼少のあの頃を思い起こし、
奮い立つ方がいたら、
 凜として学校を見続ける樹々に励まされ、
今を生きている人がいたら、

 いや、そういう人が沢山いるのが学校と言う場なのだ。
だから、このままではなく、
こうした成り行きを、誰か丁寧に説明してほしい。
 その手段なら、いくつもある。

 消えた学校林に消沈する人々の心を、
なんとか癒やしてほしいのだ。




     伊達・東浜の 早春     
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ランニングコースのあの人は

2020-03-21 15:23:04 | 出会い
 ▼ 春らしい陽差しに誘われ、
数日ぶりに、すっかり雪が消えた道を走った。
 10キロを1時間少々かけて、自宅付近まで戻ってきた。
11時を回っていただろうか。
 歩道の向こうから、ランドセルを背負い、
両手に手さげカバンを持った少年が歩いて来た。

 3,4年生くらいに思えた。
近づいた頃合いをみて、声をかけた。
 「学校へ、行ってきたの?」。
コロナで休校中だが、伊達では分散登校が始まっていた。

 走ってきたランナーから突然声がかかり、
少年は驚いた表情をした。
 もう一度、同じことを言った。
「学校へ、行ってきたの?」。
 今度は、分かったようで、
「ウン」とうなずいてくれた。

 すかさず私は続けた。
「よかったね!」。
 それは、思わず出た言葉だったが、
その少年はすぐに反応した。

 「ウ~ン!!」。
はずむような明るい声だった。
 いつまでも心に響いた。
 
 一瞬のすれ違い。
しかも、初めて言葉を交わした少年の、わずかな仕草だ。
 それでも今の子どもの心情を感じ、胸が痛んだ。 

 ▼ そんな折り、東京都墨田区教育委員会が出したメッセージを知った。
まずは転記する。
 
 『      墨田区の子どもたちへ
   学校がおやすみになり2週間が過ぎました。
   今回のお休みは、皆さんの体を感染から守るだけでなく、皆さんを
  通して、ほかの人へとウィルスが広がることも防ぐための重要な取り
  組みです。
   皆さんの我慢や頑張りが、皆さんにとって大切な人たちの命を守る
  ことにつながるのです。
   皆さんは、このお休みの意味をよく考え、感染予防のために、手洗
  いやうがいをしっかりして、外にもあまり出ずに、規則正しい生活を
  していることでしょう。
   でも、毎日、テレビや新聞で報道されている、コロナウィルス感染
  のニュースを見て、いつから学校で勉強ができるのか、不安に思って
  いる人もいるでしょう。
   毎日、顔を合わせていた友達や先生とも会えずに、寂しい思いもし
  ているでしょう。特に、卒業を迎える小学校6年生、中学校3年生の
  皆さんは、それぞれの学校生活の最後の思い出を作る機会がなくなっ
  てしまい、本当に残念な思いをしているのだと思います。
   お休みの間の長い時間の、いやな面、困った面を見るだけでなく、
  今だからこそできることや、良い面にも目を向けてみましょう。
   お休みの日々を大切に過ごして、皆さんが登校するときに、先生や
  友達と元気に会えることを願っています。
               令和2年3月 墨田区教育委員会   』

 一読し、熱いものを感じた。
メッセージの全てが、今の子ども達の境遇に寄り添っていた。
 学校へ行けない日々の寂しさ、コロナ感染への不安を察し、
その上で、自分自身と大切な人の命を守るための今だと、
優しく訴えかけていた。

 本来、なんとしても守るべき子ども達へ、
大人として精一杯誠実に、
送り届けたメッセージだと思えた。

 これを読んだ墨田区の多くの子は、
改めて資するものがあったに違いない。
 そう信じることができた。
私も一緒に頑張ろうと思った。
 
 ▼ さて、話題を変える。
伊達では総合体育館の閉鎖が続いている。
 冬季は、そこの2階ランニングコースをよく利用する。

 このコースでは、私と家内のように冬季のみの利用ではなく、
年間を通して汗を流している市民も少なくない。

 そんな方々の何人かとは、顔馴染みになり、
近況など言葉を交えることがしばしばあった。

 そこで体を動かす機会を失った方々の、
今が気になっている。

 ▼その女性とは、それまで数回挨拶をした程度だった。
それは、突然の申し込みだった。
 「いつも歩いているばかりなんですけど、
後ろからついて走ってみてもいいかしら。」
  
 「どうぞ、どうぞ。」
私も家内も、伴走者の出現を喜んだ。

 その後、走りながらのやりとりだったが、
長距離を走った経験がないこと、
いつも走っている私たちを見て、
走りたくなったこと、
機会をみて、声をかけようと決めていたことが分かった。

 私たちより一回り以上若い彼女は、
後ろからすいすいと走り、
1周200メートルを10回まわり、
「2キロも走れた。嬉しい!」
と声にし、その後はウオーキングに切り替えた。

 そして、出会う度に
「一人じゃ走れないので、付いていっていいですか。」
笑顔で同意を求めてきた。

 楽しく一緒に走った。
10周が、やがて15周、20周へと伸びた。
 そこで、コロナ騒動になってしまった。

 ▼ 私よりやや若い、その男性の姿をはじめて見たのは、
昨年の冬だった。

 ランニングと言っても、私と家内よりも遅い。
体育館のコースで、私たちが追い抜ける貴重な方だった。

 「後ろ、付いていってもいいかい。」
気さくに声をかけ、時折、私たちの後を追って走った。
 それでも、2,3周もすると、
付いて来れなくなり、音を上げた。

 ところが、今年の冬は違った。
走るフェームからスッとしていた。
 速さも別人だった。

 走りながら、言葉を交わした。
「いや、久しぶりですが、
走り方がいいですね。スピードもあってすごい。」
 衰える私の走りと比較し、心中は穏やかでなかったが、
素直に気持ちを伝えた。

 「そうかい。そう言ってもらって嬉しいわ。」
彼は、そう言いながら私の後を軽々と走った。

 「俺、脳梗塞で倒れてさ。
ようやく命があったんだ。
 助けてくれた先生が、運動するといい、
走るのもいいっていうから、やってるんだ。」
 そんな大病の後とは、想像もしなかった。

 思わず訊いた。
 「後遺症は、なかったんですか。」
「少し言葉がだめなんだ。」
 「気になりませんが・・・。」
「いや、こうしてしべっているとすごく疲れるんだ。」

 それから、何周かを一緒に走り、
「お先に」と、彼はコースから外れた。
  
 そして、別れ際に言い残した。
「また明日も頑張るさ。
2,3日、間を開けると辛くなるからさ」。
 その直後の、閉館になった。
走らない日が、きっと続いているに違いない。

 ▼ 私より2歳年上のその男性は、
午前中なら必ず総合体育館にいた。
 ランニングコースでなければ、
1階フロアーで,何人もの仲間とソフトテニスをしていた。

 挨拶や言葉を交わすようになって、
もう4年にもなるだろうか。
 気さくな人柄が、好きだった。

 この冬は、昨年よりランニングする姿をよく見かけた。
それも、軽快な走り方に目を見張った。
 年齢を感じさせないスタミナにも驚いていた。

 洞爺湖マラソンのエントリー受付が始まった。
彼も、毎年、フルマラソンにチャレンジしていた。
 「もうエントリーしましたか。」
走りながら、声をかけてみた。

 すると、
「郵便局の振り込みで申し込もうと思ったら、
今年からその方法がなくなったんだって、
だからもう参加しないことにした。」
 彼は、あっけらかんとそう言った。

 ビックリして、私は応じた。
「私は、ネットで申し込みました。
追加できますよ。
 手間はかかりませんから、申し込みましょうか。」
「いや、いい。洞爺はもう止めた。」

 そう言いながら、彼の走りは私よりもスムーズだった。
「私よりもずっとずっといい走りなのに、
走らないんですか。
勿体ないですよ。」
 本当の気持ちだった。
しかし、すかさず彼は切り換えした。
 「嬉しいこと言うね。
冗談でも、その気になっちゃうよ・・・。
 その分、伊達ハーフで頑張るさ。」

 それから数日後、
伊達ハーフマラソンの中止も発表になった。
  
 

    山深い牧場の 早春 
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やっぱり 旅先でRUNかな

2020-03-14 19:29:13 | ジョギング
 ▼ きっとコロナウイルスとの闘いは、まだまだ続く。
ついに、義母が暮らすサービス付き高齢者住宅では、
外部との接触が禁止となった。
 家族とも会えない日が続いている。

 心配して家内が電話すると、
まもなく96歳の元気な声が返ってきたと言う。
 「こんなことでは死ねない、だって・・!」
さすが戦争を経験した人は魂胆が違う。

 それに比べ、私たちはどこまでこの自粛と向き合えるだろう。
とにかく毎日じっと自宅に閉じこもり、
耐えている子ども達が可愛そうでならない。

 どこかの国のように、
『お年寄りはみんな外出禁止!』にして、
子ども達を学校へ行かせて欲しい。

 そんな願いをもつのは私だけなの?。
悶々とした釈然としない日が続いている。

 一方、『風邪ぎみの方は外出を控えてください』。
そんなアナウンスが気になる。
 とうとう3月に入ってから、
ランニングで汗を流したのは2日だけ・・。

 2度とも、快晴無風の昼下がり、
寒さを感じない日を選んで、5キロを走った。
 走り終えた時の、爽快感がたまらなくいい。
翌日も,走りたいと思う。

 しかし、昨日より気温が低い、風が強い、
あるいは曇天。
そうなると、「風邪をひいては・・」と二の足を踏む。
 悶々とした日がさらに深まる。
これまた辛い。

 こんな日々で、改めて気づいた。
どこからか、「70歳を超えてまで、ランニングなんて無理して・・」。
そんな声がかすかに聞こえる。
 でも、私にはまだランニングは欠かせない生活のかてなのだ。

 さて、この騒動が収束に向かったら、どうする?
やっぱり旅先でランニングがいいかな・・・。
 ややその魅力のトリコかも・・。

 ▼ 2月初旬だ。
東京での研究大会に出席した。
 まだそれ程コロナが騒動になっていなかった。

 それでも飛行機の機内は、9割がマスクだった。
窓側の席で2つ3つ咳をした。
 すると隣席でマスクの若者が、
迷惑そうな不審な目で私を睨んだ。
 その後は、ずっと背を丸め、小さくなっていた。
マスクがないことを悔いた。

 久しぶりに、東陽町のホテルに泊まった。
翌朝、ランニングをすると決めていた。

 平日の早朝、青空だった。
通勤の人並みの多さに驚いた。
 伊達とは大きく違い、私も活気づいた。
でも、ランニング姿が少し気恥ずかしくなった。

 走りながら向かったのは、都立木場公園だ。
ここの遊歩道には、ランニングコースがいくつか設定されていた。
 1周3,5キロを選んで走った。

 途中に木場公園大橋があり、
その往復で、何人ものランナーとすれ違った。
 気恥ずかしさが薄れた。

 そして、年齢は様々、スタイルもスピードもそれぞれ。
でも、モクモクと走る姿に励まされた。

 芝生広場へ差しかかったT字路で、
園児カバンの女の子とお父さんが立ち止まっていた。
 その視線の先に、白梅が咲き始めていた。
きっと、梅の花をみつけ、何やら会話していたのだろう。
 喧噪の大都会の朝、小さな清涼感が漂っていた。

 公園からの帰り道、紅梅の並木を見ながら、
旅行先を走る新鮮さで、心も体も弾んだ。
 「きっと伊達は雪だろう。」
心をかすめた。

 ▼ 山深い温泉に一泊した朝、
さほど気乗りしない家内を誘って、走り始める。
 山間の傾斜道だが、舗装路だ。
上りに苦戦しながら、家内のペースで足を進める。

 右も左も山が迫っていた。
その斜面に林立する緑と、澄んだ空気が心地いい。
 二人とも息を弾ませ、迂回し、ようやく下り道へ。

 突然、視界が開け、背筋まで伸びる。
次第に息が整う。
 ゆっくりゆっくり、時には言葉を交わしながら走る。
緑だけの道には、音もなく、変化もない。
 淡々と走り、再びホテルへ戻る。

 丁度その玄関で、散歩から戻ったご夫妻と出会う。
どちらからともなく、挨拶をかわす。
 そして、
「走ってきたんですか。」
同世代のご主人が、やや驚きの表情をする。
 「ええ、その辺りをゆっくりと」
私の返事に、今度は奥さんが
 「すごいですね。長いこと走ったんですか?}
「いいえ、30分程度です。」
 すると、ご主人、
「毎日、そのくらい」
 「毎日ではなく・・、時々です。」
2人は、若干腑に落ちない表情をした。
 ここは説明がいると、感じた。

 「見慣れた道を走るのとは違って、気持ちがいいんです。
ちょっと荷物が増えますが、またとないことなので・・」
 「そうですね。散歩してもそう思いますから、
走れたら、また違うんでしょうね。」
 奥さんが、つけ加えた。
「走ってみたくなりました。無理かしら・・・」
 はじめて、家内が口を挟んだ。
「是非、頑張って下さい。」

 ▼ 3,4年前に『旅先でランニング』をしてみた。
その魅力を知った。
 旅行好きではないのだが、
知らない道を走るのはワクワクする。
 さて、今の霧がはれたら、どこを走る?

 まもなく桜の季節だ。
各地で桜並木が満開のトンネルをつくる。
 2キロ3キロと続く桜色を走り抜けてみたい。

 やがて海辺を抜ける潮風が心地いい時季がくる。
見知らぬ海岸線を走ってみたい。
 きっと風が運んだ波で、顔が塩辛くなるに違いない。

 子ども達を引率して、真夏の戦場ヶ原へ何度も行った。
雄大な男体山を見ながら、あの高原を走ってみたい。
 人間の小ささを思い知らされてもいい。

 

  アカマツと迎賓館 <だて歴史の杜>
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夢・・・叶えたろか!

2020-03-07 18:09:32 | 思い
 お正月の特番のようだが、
聞くところによると、1995年1月が始まりらしい。
 今年で26回目になる長寿だ。

 確か1月13日の放映だった。
明石家さんまと中村珠緒が司会をする
『あんたの夢をかなえたろか』を観た。

 自分の夢がテレビ番組の力を借りて、
叶えられる。
 その喜びが、映像から伝わってくる。
毎回、ついつい笑顔になる番組だ。

 今年の圧巻は、50歳代の漁師が抱いた夢だった。
あのフジコ・ヘミングさんが奏でる『ラ、カンパネラ』を聴き、
弾いてみたいと思った。
 それから7年間、毎日8時間の猛練習を続けた。

 ゴツゴツとした指の漁師は言う。
「全てを犠牲にした。
それでも弾けるようになりたかった。」

 彼の夢は、
『自分の演奏するラ、カンパネラを、
フジコ・ヘミングさんに聴いてもらいたい』だった。

 フジコさんの前で、ラ、カンパネラを弾き終え、
賞賛を受ける満面の明るい表情が、まぶしかった。

 それまでクラシック曲とは縁遠い暮らし、楽譜も読めない。
そこからのスタートでも、
見事に、プロも敬遠する難曲を弾いた彼。
 そして、夢を叶えた。

 決して真似出来ない執念と情熱に、
私は、拍手をするしかなかった。
 凄い人がいる。
腰が砕けそうになった。

 そしてもう1つ、この番組で心に残ったシーンがあった。
それは、北海道苫小牧の街中で、
マイクを向けられた女性の夢だ。

 彼女は、まだ知る人が少なかったアイドルに、
ファンレターを出した。
 すると、返信の手紙が来た。
今もそれを大事にしている。

 「私にわざわざ返事を書いてくれた佐藤栞里さんに、
会いたい。そして、お礼が言いたい。」
 そんな夢だった。

 番組では、その彼女をスタジオに呼んで、
サプライズで佐藤栞里さんと対面させた。

 そんな企画は、過去にも人が違うだけでよく観た。
だが、今回は一味違った。

 会いたい人、お礼が言いたい人が登場して来る。
すると、それが夢だった当人が、涙する。
 それが定番シーンだ。

 ところが、テレビカメラの前に出てきた佐藤栞里さんは、
すでに涙涙だったのだ。

 佐藤栞里さんは、しきりと頭をさげ、
そして、涙ながらに言う。
 「私なんかが書いた手紙を、
こんなにも長い間、持っていて下さって・・。」

 アイドルとしての下積みが長かった。
つい3,4年前から、テレビに出られるようになった。
 だから、自分に会いたい人がいたことが、
佐藤栞里さんにとって、
描いたこともなかった夢だった。
 それが叶った一瞬だった。

 最近もろに弱ってきた涙腺が緩るんだ。
もらい泣きしてしまった。
 
 さて、フジコさんのラ、カンパネラを聴いた漁師さんは、
凄い努力の末に、自分の力でつかみ取ったような夢だった。

 一方、佐藤栞里さんは思ってもいなかったような夢に、
巡り巡って出会った。

 2つは、夢もその叶え方も大きく違う。
でも、それがテレビ画面の向こうであっても、
夢が叶うシーンは、ただただ心を打つ。
 憧れる。

 つい私も夢が見たくなった。
そして、その夢が叶ってほしいと思ったりもする。
 たわいない夢、呆れられる夢、そして諦めきれない夢、
そんな数々を思いつくまま、列記するか・・・。
 
 その前に、こんな心境を追記する。
コロナ騒動の最中だ。
 「高齢者は重症化しやすい。致死率も高い」と、
聞かされ、若干怖じ気づいている。

 長期休校中の子ども達のため、何か力になりたい。
そう思う一方で、高齢者だから迷惑をかけないよう、
散歩もジョギングも控えようと、ためらう。
 
 やや萎縮している自分に気づくと、
せめて、あんのんと夢でも見たくなって・・・。


 ▼1 呆れかえる夢から

 4月で72歳になる。
ここまで年齢を重ね、数々の貴重な場を歩んできた。
 好運にも恵まれた。
その1つ1つが私を育て、今がある。

 時には、いくつかのハードルも超えたから、
新しい気づきや喜びに出会えた。
 それが私の財産となり、蓄えられた。
だがら、今を満たしてくれている。

 このままがいい。
ずっとこのままがいい。
 もう年齢を重ねなくてもいい。
このまま、このまま・・・。

 そう、老け込みたくないの・・!


 ▼2 切なる夢から

 伊達に居を構えて、間もなく8年になる。
その間に、何人もの心の支えが逝ってしまった。

 つい1か月前も、A氏の悲報が届いた。
数日後、息子さんからの電話で、彼の最期の様子を知った。
 逝去を実感させられた。
悲しみは、今も癒えないままだ。

 もうこんな寂しさはいらない。
誰も亡くならないでほしい。
 会えなくても構わない。
でも、一人また一人と、逝ってしまうと、
この先を見ていた私までが、
消えていくようで、心細くなる。

 もう誰も逝かないでほしい・・!


 ▼3 引き寄せたい夢から

 4年も前になる。
5月の洞爺湖で、フルマラソンをゴールした。
 夢のまた夢でしかなかった。
 
 その夢が叶った。
なのに、ゴールの実感がなかった。
 喜びの感情をどこかに置き忘れたままゴールインした。

 だから、
「今度のゴールは喜びを爆発させる」。
 そう思って、練習を続け、準備をした。
しかし、ことごとく失敗。
 あれ以来、1度も完走していない。

 年々、高齢になる。
「1年でも早くゴールしないと・・」
気がせいている。

 今年こそと、強い心でいる。
健康にも気遣い、淡々と走り続けてもきた。
 もし、開催が中止になっても、
もう1年くらいなら、気持ちは切れない。
 そう、私を信じる。

 だって、なんとしても、喜びを爆発させたい・・!


   

  まもなく春 最後の雪景色かも   
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