1 サクランボ
誰が見ても、私には食べ物に対する大きな偏見があった。
最近、それがよく分かった。
そのことについて、筆を走らせる。
私は、通常、食べ物とは『料理したもの』を言うと思ってきた。
料理、それは『調理して出来上がった食べ物』のことだ。
そして、『調理』とは、食材を切ったり、つぶしたり、蒸したり、
骨を除いたり、錬ったりしてから、
次ぎに、炒めたり、煮たり、揚げたり、冷やしたりすることで、
つまり、料理する課程や技術、それが『調理』なのである。
だから、例えば、洗っただけの1本まんまのきゅうりを、
ガブリと食べることは、調理して出来上がった物ではない。
なので、通常食べ物とは言わないと、私は主張してきた。
偏見と分かっていながら言うが、
私自身は、そんな食べ方をするような『野生の人間』ではない。
きゅうりを生で食べるにしても、
せめて、食べやすいようにスライスするのが、、
食べ物としての常道だと思ってきた。
だから、リンゴの丸かじりや、
皮ごとミカンを食べるなど、論外だった。
例え、くだものであっても、
木になっていた物をもぎ取っただけで、口に入れるのは、
『野蛮』なことと思った。
最低限、そのくだものを小さく切り分けたり、
芯や種を取り除いたりといった調理を経て、
「それでこそ食べ物。」と思うのである。
さて、サクランボのことである。
つい最近まで私が、知っていたサクランボは、
フルーツパフェの一番上にのっていた。
あんみつに添えられていたこともある。確か、冷やしそうめんの器にも。
赤一色で親指大ほどの丸い実に細い蔓、それがサクランボだった。
誰も、そのサクランボをめあてに料理を注文などしない。
きっと、清涼感を演出してくれるものとして、
一粒のサクランボはあった。
私は、注文した品にサクランボがあると真っ先に端に除けた。
そして、それを口に運ぶことはなかった。
味は、おおよそ知っている。だが、食べる気にはなれない。
その一番の理由は、小さいくだものとは言え、丸ごとである。
サクランボに、なんの調理もされていない。
だから、食べることに抵抗感があった。
ところが、2年前である。
7月の某日、町会の懇親会があった。
40名ほどの宴席であったが、
役員の方々が工夫を凝らし、テーブルの上は賑やかだった。
日本酒の一升びんが席を回り、
男性陣はめいめいなみなみとコップに注ぎ、活気づいた。
さすが、北の男たちである。酒が強い。
酒のつまみと一緒に、目の前の紙皿に、
山盛りのサクランボがあった。
私の右からも左からも時々手が伸び、
その山は次第に崩れた。
誰とはなく、「さすが壮瞥の佐藤錦だ。美味しいね。」
と、声が交わされた。
同意する言葉と共に、サクランボの山は小さくなった。
決してそれに手を伸ばさない私に気づき、
「遠慮しないで、どうぞ。」
と、勧められた。
まだ馴染みの薄い方からの声だった。
むげにすることもできず、私は同意し、
サクランボに手を伸ばした。
薄い皮がやぶれ、軽い酸味と品のいい甘さが、口に広がった。
驚いた。
私の知らないサクランボの美味しさだ。
「どう、美味しいでしょう。」
の問いに、ハッキリと大きく頷いた。
食べ物に対する私の変な理屈など、どこかへ飛んでしまった。
遠慮がちに、でも次々とサクランボに手が伸びた。
前の皿のサクランボがなくなると、誰かが気をきかせて、
どこかから追加がきた。
私は、それにも手を伸ばした。
会の終わりには、私の食べっぷりを見て、
残ったサクランボを袋に入れ、持たせてくれた。
嬉しかった。
翌朝、そのサクランボもすぐになくなった。
以来、壮瞥の佐藤錦は、私の大好物になった。
調理などしなくても、そのままが一番の味があった。
そんな食べ物、食べ方があっていいと思った。
はなはだ恥ずかしいが、
『野生の人間』や『野蛮』を返上させてもらう。
2 メロン
ネット模様のあるメロンが、一般に出回り始めてから、
まだ30数年にしかならないと思う。
私が幼い頃は、今は『北海カンロ』と言うようだが、
「味瓜」と呼ばれたものがあった。
しかし、メロンなど写真でも見たことがない、夢の食べ物だった。
『ウリ売りが ウリ売りに来て ウリ売り残し 売り売り帰る ウリ売りの声』
という早口言葉があった。
小学生の頃、その言葉にある「ウリ」として思い描いたのは、
野球のボールを一回り大きくした楕円形の「味瓜」だった。
それから何年かして、プリンスメロンなる物が出回った。
こちらは、ソフトボールくらいの大きさで、若干いびつな円形をしていた。
味瓜もプリンスメロンも、どことなく地味な緑色で、
ネット模様はどこにもなかった。
私は、くだものの鮮やかな色からはほど遠い、
その色合いから野菜とよく間違えた。
どちらも、甘い香りがした。しかし、甘みが薄く、
私にはくせのある独特な味に感じられた。
当然、1、2度食べてはみたが、
それからは「嫌いなくだもの。」にしてきた。
従って、その後、夕張メロンをはじめとした北海道メロンが出回っても、
「嫌い。」と言い張って、食べなかった。
あれは、2人の息子が、小学生の頃だった。
夏休みを利用して、家内と息子2人で、実家に里帰りをした。
私は、仕事の都合で、数日遅れで追いかけることにしていた。
久しぶりの慣れない一人暮らしだった。
まだ、コンビニなどがない時代だ。
食事は、自分で用意するか、近くの食堂かラーメン屋等ですませた。
その日は、何故か間が悪く、夕食にありつけなかった。
それでも、一食くらい欠けでも大丈夫と思い、床についた。
ところが、なかなか寝付けなかった。どんどん目が冴えた。
併せて、次第次第に空腹感が増していった。
深夜になってしまった。
とうとう、私はがまんができず、布団を離れ、冷蔵庫を開けた。
「食事は何とかする。」と言う私の言葉を信じ、
家内は、冷蔵庫に何の作り置きも残していかなかった。
ただ、数日前に北海道の生産地から届いていたメロンが半分、
オレンジ色を見せてラップに覆われていた。
くり返しになるが、メロンは私の嫌いな食べ物である。
しかし、深夜一人、空腹で眠れない。
ついに、私は嫌いを承知で、
口に合わないであろうメロンを食べることにした。
ただただ、一時の空腹を満たすための、「緊急避難」だった。
ラップをとり、真ん中の種を除け、
スプーンで果肉をすくい口に入れた。
驚いた。
口の中が、それまで味わったことのない、
上品で爽やかな甘さでおおわれた。
味瓜やプリンスメロンのくせのある味とは違った。
綺麗な甘みだった
空腹も手伝っただろうが、思わず「美味しい。」と口をついた。
数日後、実家で会った家内に、
「メロンって美味しいなあ。」と、いの一番に言った。
あの空腹感が、私にメロンを食べさせてくれた。
それがなければ、今も「メロンは、どうも……。」と言っていただろう。
まさに、『喰わず嫌い』、そのものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/72/27a23d9022070ede8e0e0b50af9dbf6f.jpg)
隣町・壮瞥町から見た 昭和新山(手前)と有珠山
誰が見ても、私には食べ物に対する大きな偏見があった。
最近、それがよく分かった。
そのことについて、筆を走らせる。
私は、通常、食べ物とは『料理したもの』を言うと思ってきた。
料理、それは『調理して出来上がった食べ物』のことだ。
そして、『調理』とは、食材を切ったり、つぶしたり、蒸したり、
骨を除いたり、錬ったりしてから、
次ぎに、炒めたり、煮たり、揚げたり、冷やしたりすることで、
つまり、料理する課程や技術、それが『調理』なのである。
だから、例えば、洗っただけの1本まんまのきゅうりを、
ガブリと食べることは、調理して出来上がった物ではない。
なので、通常食べ物とは言わないと、私は主張してきた。
偏見と分かっていながら言うが、
私自身は、そんな食べ方をするような『野生の人間』ではない。
きゅうりを生で食べるにしても、
せめて、食べやすいようにスライスするのが、、
食べ物としての常道だと思ってきた。
だから、リンゴの丸かじりや、
皮ごとミカンを食べるなど、論外だった。
例え、くだものであっても、
木になっていた物をもぎ取っただけで、口に入れるのは、
『野蛮』なことと思った。
最低限、そのくだものを小さく切り分けたり、
芯や種を取り除いたりといった調理を経て、
「それでこそ食べ物。」と思うのである。
さて、サクランボのことである。
つい最近まで私が、知っていたサクランボは、
フルーツパフェの一番上にのっていた。
あんみつに添えられていたこともある。確か、冷やしそうめんの器にも。
赤一色で親指大ほどの丸い実に細い蔓、それがサクランボだった。
誰も、そのサクランボをめあてに料理を注文などしない。
きっと、清涼感を演出してくれるものとして、
一粒のサクランボはあった。
私は、注文した品にサクランボがあると真っ先に端に除けた。
そして、それを口に運ぶことはなかった。
味は、おおよそ知っている。だが、食べる気にはなれない。
その一番の理由は、小さいくだものとは言え、丸ごとである。
サクランボに、なんの調理もされていない。
だから、食べることに抵抗感があった。
ところが、2年前である。
7月の某日、町会の懇親会があった。
40名ほどの宴席であったが、
役員の方々が工夫を凝らし、テーブルの上は賑やかだった。
日本酒の一升びんが席を回り、
男性陣はめいめいなみなみとコップに注ぎ、活気づいた。
さすが、北の男たちである。酒が強い。
酒のつまみと一緒に、目の前の紙皿に、
山盛りのサクランボがあった。
私の右からも左からも時々手が伸び、
その山は次第に崩れた。
誰とはなく、「さすが壮瞥の佐藤錦だ。美味しいね。」
と、声が交わされた。
同意する言葉と共に、サクランボの山は小さくなった。
決してそれに手を伸ばさない私に気づき、
「遠慮しないで、どうぞ。」
と、勧められた。
まだ馴染みの薄い方からの声だった。
むげにすることもできず、私は同意し、
サクランボに手を伸ばした。
薄い皮がやぶれ、軽い酸味と品のいい甘さが、口に広がった。
驚いた。
私の知らないサクランボの美味しさだ。
「どう、美味しいでしょう。」
の問いに、ハッキリと大きく頷いた。
食べ物に対する私の変な理屈など、どこかへ飛んでしまった。
遠慮がちに、でも次々とサクランボに手が伸びた。
前の皿のサクランボがなくなると、誰かが気をきかせて、
どこかから追加がきた。
私は、それにも手を伸ばした。
会の終わりには、私の食べっぷりを見て、
残ったサクランボを袋に入れ、持たせてくれた。
嬉しかった。
翌朝、そのサクランボもすぐになくなった。
以来、壮瞥の佐藤錦は、私の大好物になった。
調理などしなくても、そのままが一番の味があった。
そんな食べ物、食べ方があっていいと思った。
はなはだ恥ずかしいが、
『野生の人間』や『野蛮』を返上させてもらう。
2 メロン
ネット模様のあるメロンが、一般に出回り始めてから、
まだ30数年にしかならないと思う。
私が幼い頃は、今は『北海カンロ』と言うようだが、
「味瓜」と呼ばれたものがあった。
しかし、メロンなど写真でも見たことがない、夢の食べ物だった。
『ウリ売りが ウリ売りに来て ウリ売り残し 売り売り帰る ウリ売りの声』
という早口言葉があった。
小学生の頃、その言葉にある「ウリ」として思い描いたのは、
野球のボールを一回り大きくした楕円形の「味瓜」だった。
それから何年かして、プリンスメロンなる物が出回った。
こちらは、ソフトボールくらいの大きさで、若干いびつな円形をしていた。
味瓜もプリンスメロンも、どことなく地味な緑色で、
ネット模様はどこにもなかった。
私は、くだものの鮮やかな色からはほど遠い、
その色合いから野菜とよく間違えた。
どちらも、甘い香りがした。しかし、甘みが薄く、
私にはくせのある独特な味に感じられた。
当然、1、2度食べてはみたが、
それからは「嫌いなくだもの。」にしてきた。
従って、その後、夕張メロンをはじめとした北海道メロンが出回っても、
「嫌い。」と言い張って、食べなかった。
あれは、2人の息子が、小学生の頃だった。
夏休みを利用して、家内と息子2人で、実家に里帰りをした。
私は、仕事の都合で、数日遅れで追いかけることにしていた。
久しぶりの慣れない一人暮らしだった。
まだ、コンビニなどがない時代だ。
食事は、自分で用意するか、近くの食堂かラーメン屋等ですませた。
その日は、何故か間が悪く、夕食にありつけなかった。
それでも、一食くらい欠けでも大丈夫と思い、床についた。
ところが、なかなか寝付けなかった。どんどん目が冴えた。
併せて、次第次第に空腹感が増していった。
深夜になってしまった。
とうとう、私はがまんができず、布団を離れ、冷蔵庫を開けた。
「食事は何とかする。」と言う私の言葉を信じ、
家内は、冷蔵庫に何の作り置きも残していかなかった。
ただ、数日前に北海道の生産地から届いていたメロンが半分、
オレンジ色を見せてラップに覆われていた。
くり返しになるが、メロンは私の嫌いな食べ物である。
しかし、深夜一人、空腹で眠れない。
ついに、私は嫌いを承知で、
口に合わないであろうメロンを食べることにした。
ただただ、一時の空腹を満たすための、「緊急避難」だった。
ラップをとり、真ん中の種を除け、
スプーンで果肉をすくい口に入れた。
驚いた。
口の中が、それまで味わったことのない、
上品で爽やかな甘さでおおわれた。
味瓜やプリンスメロンのくせのある味とは違った。
綺麗な甘みだった
空腹も手伝っただろうが、思わず「美味しい。」と口をついた。
数日後、実家で会った家内に、
「メロンって美味しいなあ。」と、いの一番に言った。
あの空腹感が、私にメロンを食べさせてくれた。
それがなければ、今も「メロンは、どうも……。」と言っていただろう。
まさに、『喰わず嫌い』、そのものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/72/27a23d9022070ede8e0e0b50af9dbf6f.jpg)
隣町・壮瞥町から見た 昭和新山(手前)と有珠山