①
15年以上も前になるだろうか。
毎日のようにテレビに出ていた気象予報士のH氏が、
保護者の紹介で、特別ゲストとして6年生の理科授業を行った。
授業で彼は、天気予報の役割や重要性を、
明解に語り、どの子もその話に真剣な表情を浮かべていた。
授業を終えた彼に私は、
「時間があれば」と校長室へ誘った。
「夕方5時からテレビのレギュラーがあります。
でも、まだ少々時間があるでの・・」
と、私が淹れたお茶に付き合ってくれた。
そこでのやり取りで知ったが、
彼は、学生時代に気象予報士か教職の道かで迷ったと言う。
教育実習の経験もあり教員免許も取得していた。
だから、あんなに子どもを引き付けた授業が、
できたのだと納得した。
そんなことが契機となり、彼を講師に招いて、
S区内小学校長の研修会を聞くことができた。
実は、今日までに演題などの記録を探せなかったが、
確か「気象予報士として学校教育へ期待すること」、
そのような内容でお話を頂いたと思う。
彼は、スクリーンに様々な画像を映し出し、
世界各地の気象異変を紹介した。
そして、気候に関する様々なのデーターを示し、
近年の移り変わる地球環境の有り様を解説した。
すでに『地球温暖化』の言葉は、聞きなれていた。
しかし、その危機感は今ほどではなかった。
「そんな脅威がやがてやってくるかも・・」。
私だけでなく、
多くの方がそう思っていたに違いない時代だった。
そんな楽観を、彼は次々と否定した。
「脅威は、もう目の前まできています。
その危機を共有し、学校でも警鐘を鳴らしてほしいのです」。
彼は、そんな願いで講演を結んだ。
これが、地球温暖化による気候変動を、
私が身近なものに感じる第一歩だった。
②
H氏の講演から、1,2年が過ぎた。
熱中症によって救急搬送される事件が都内でたびたび発生した。
それがあったからだろう。
翌年度、区内小中学校の全教室を冷房化する計画が、
突然発表になった。
各校長は、学校敷地内のどこに、
エアコンの室外機を設置するか頭を痛めた。
言うまでもないことだが、
校舎の冷房化を想定して学校は建てられていない。
その上、区内公立学校は、
限られた土地に効率よく作られていた。
しかも、私のS区は都市ガスによる室外機での設置計画だった。
1台1台が大きく、重量の関係もあり屋上設置ができなかった。
私の学校は、運がよかった。
近隣住宅との間に若干のスペースがあった。
運転音などによる苦情の心配もなかった。
6月下旬、計画通り使用することができた。
その夏は、ひと際厳しい暑さだった。
冷房化はタイムリーであった。
教委の英断に感謝した。
しかし、当時はまだ命の危険を感じる暑さなんて、
想像もできなかった。
ところが、4年前になる。
研修会があり、都内の小学校を訪問した。
体育館まで冷房化されていた。
驚きの顔をした私に校長先生は、
「真夏は、プール以外屋外で運動できる日など
ほとんどありません。
最近の猛暑は、命だって危なくなりますから・・。
体育館にクーラーをつけてもらったので、
やっと体育の授業も全校朝会もできるようになりました」。
暑さが、以前よりはるかに過酷さを増していると、
実感したのだった。
③ つい先日、2か月ぶりに理髪店へ行った。
ハサミを動かしながら、
店主が「暑い夏でしたね」と話しかけてきた。
そして、
「クーラーがないと夜も眠れませんでしたね」
と、私に同意を求めた。
「実は私の家、クーラーがないんですよ」。
「そうでしたか。
よく、大丈夫でしたね。熱中症!?」。
「あ! はい」。
店主の話は続く。
「この辺のご近所でも、熱中症のような症状で、
何人も救急車で運ばれたみたいです。
クーラーはあったんですが、
つけてなかったみたいです」。
「そうでしたか。それは大変でしたね」。
「クーラーがないと命に関わります。
こんなこと、今年が初めてです・・」。
「来年は、我が家もクーラーをつけないとダメかも」。
「そうですよ。
ついに、伊達もクーラーが生活必需品になったみたいですね」。
さて、そんな話題に終始し、
散髪を終えての帰り道でのことだ。
広い庭のあるご近所さん宅にさしかかった。
珍しく奥さんが太い柿の木を見上げていた。
素通りすることもできず、
「こんにちは!」と声をかけた。
私を見て、奥さんは不思議そうな顔で近づいてきた。
「ねえ、この柿の木なんだけど、1つも実をつけてないの。
暑かったからなのかしら」。
伊達は柿の木の北限だと言われている。
毎年、ここの柿の木に限らず、
秋本番には市内のいたる所で、
柿は実りの時を迎える。
今は、枝に小さな青い実をつけるはずである。
まさかと見上げた木には、
確かに1つの実も見当たらなかった。
翌日、散歩がてら柿の木が街路樹になっている通りへ、
足を運んでみた。
つややかな葉におおわれた柿の枝枝に、
あっていいはずの小さな実が1つとしてなかった。
どの街路樹も同様だった。
暑さが原因なのか気候変動の性なのか、
私には分からない。
どうやら異変は柿に限らないようだ。
地元農家さんの畑では、収穫を迎えるはずのブロッコリーに
実が付かないとローカルニュースが伝えていた。
私たちの知らないところで、
想像もつかない事態がどんどん進行しているのではないだろうか。
気候変動と言う魔物に、
無知な私はただ不安だけが増殖している。

中秋の風にコスモス
15年以上も前になるだろうか。
毎日のようにテレビに出ていた気象予報士のH氏が、
保護者の紹介で、特別ゲストとして6年生の理科授業を行った。
授業で彼は、天気予報の役割や重要性を、
明解に語り、どの子もその話に真剣な表情を浮かべていた。
授業を終えた彼に私は、
「時間があれば」と校長室へ誘った。
「夕方5時からテレビのレギュラーがあります。
でも、まだ少々時間があるでの・・」
と、私が淹れたお茶に付き合ってくれた。
そこでのやり取りで知ったが、
彼は、学生時代に気象予報士か教職の道かで迷ったと言う。
教育実習の経験もあり教員免許も取得していた。
だから、あんなに子どもを引き付けた授業が、
できたのだと納得した。
そんなことが契機となり、彼を講師に招いて、
S区内小学校長の研修会を聞くことができた。
実は、今日までに演題などの記録を探せなかったが、
確か「気象予報士として学校教育へ期待すること」、
そのような内容でお話を頂いたと思う。
彼は、スクリーンに様々な画像を映し出し、
世界各地の気象異変を紹介した。
そして、気候に関する様々なのデーターを示し、
近年の移り変わる地球環境の有り様を解説した。
すでに『地球温暖化』の言葉は、聞きなれていた。
しかし、その危機感は今ほどではなかった。
「そんな脅威がやがてやってくるかも・・」。
私だけでなく、
多くの方がそう思っていたに違いない時代だった。
そんな楽観を、彼は次々と否定した。
「脅威は、もう目の前まできています。
その危機を共有し、学校でも警鐘を鳴らしてほしいのです」。
彼は、そんな願いで講演を結んだ。
これが、地球温暖化による気候変動を、
私が身近なものに感じる第一歩だった。
②
H氏の講演から、1,2年が過ぎた。
熱中症によって救急搬送される事件が都内でたびたび発生した。
それがあったからだろう。
翌年度、区内小中学校の全教室を冷房化する計画が、
突然発表になった。
各校長は、学校敷地内のどこに、
エアコンの室外機を設置するか頭を痛めた。
言うまでもないことだが、
校舎の冷房化を想定して学校は建てられていない。
その上、区内公立学校は、
限られた土地に効率よく作られていた。
しかも、私のS区は都市ガスによる室外機での設置計画だった。
1台1台が大きく、重量の関係もあり屋上設置ができなかった。
私の学校は、運がよかった。
近隣住宅との間に若干のスペースがあった。
運転音などによる苦情の心配もなかった。
6月下旬、計画通り使用することができた。
その夏は、ひと際厳しい暑さだった。
冷房化はタイムリーであった。
教委の英断に感謝した。
しかし、当時はまだ命の危険を感じる暑さなんて、
想像もできなかった。
ところが、4年前になる。
研修会があり、都内の小学校を訪問した。
体育館まで冷房化されていた。
驚きの顔をした私に校長先生は、
「真夏は、プール以外屋外で運動できる日など
ほとんどありません。
最近の猛暑は、命だって危なくなりますから・・。
体育館にクーラーをつけてもらったので、
やっと体育の授業も全校朝会もできるようになりました」。
暑さが、以前よりはるかに過酷さを増していると、
実感したのだった。
③ つい先日、2か月ぶりに理髪店へ行った。
ハサミを動かしながら、
店主が「暑い夏でしたね」と話しかけてきた。
そして、
「クーラーがないと夜も眠れませんでしたね」
と、私に同意を求めた。
「実は私の家、クーラーがないんですよ」。
「そうでしたか。
よく、大丈夫でしたね。熱中症!?」。
「あ! はい」。
店主の話は続く。
「この辺のご近所でも、熱中症のような症状で、
何人も救急車で運ばれたみたいです。
クーラーはあったんですが、
つけてなかったみたいです」。
「そうでしたか。それは大変でしたね」。
「クーラーがないと命に関わります。
こんなこと、今年が初めてです・・」。
「来年は、我が家もクーラーをつけないとダメかも」。
「そうですよ。
ついに、伊達もクーラーが生活必需品になったみたいですね」。
さて、そんな話題に終始し、
散髪を終えての帰り道でのことだ。
広い庭のあるご近所さん宅にさしかかった。
珍しく奥さんが太い柿の木を見上げていた。
素通りすることもできず、
「こんにちは!」と声をかけた。
私を見て、奥さんは不思議そうな顔で近づいてきた。
「ねえ、この柿の木なんだけど、1つも実をつけてないの。
暑かったからなのかしら」。
伊達は柿の木の北限だと言われている。
毎年、ここの柿の木に限らず、
秋本番には市内のいたる所で、
柿は実りの時を迎える。
今は、枝に小さな青い実をつけるはずである。
まさかと見上げた木には、
確かに1つの実も見当たらなかった。
翌日、散歩がてら柿の木が街路樹になっている通りへ、
足を運んでみた。
つややかな葉におおわれた柿の枝枝に、
あっていいはずの小さな実が1つとしてなかった。
どの街路樹も同様だった。
暑さが原因なのか気候変動の性なのか、
私には分からない。
どうやら異変は柿に限らないようだ。
地元農家さんの畑では、収穫を迎えるはずのブロッコリーに
実が付かないとローカルニュースが伝えていた。
私たちの知らないところで、
想像もつかない事態がどんどん進行しているのではないだろうか。
気候変動と言う魔物に、
無知な私はただ不安だけが増殖している。

中秋の風にコスモス