中学3年の担任M先生は、
このブログで、すでに3回登場してきている。
2年生の荒れた学級を、見事に立て直してくれた。
そして、それまで自分に自信が持てなかった私を、
何度も励まし、背中を押してくれた。
伊達に移住してすぐ、隣町に住む先生を訪ねた。
数年前に腰を傷め、歩行は杖を頼りにしていた。
いつ頃覚えたのだろうか、
「大好きなゴルフができなくなった。」
と呟いたのが、印象に残っている。
さて、中学生だった私から見て、
M先生の最大の武器は、先生ならではの話し方だった。
一つ一つの言葉、その言い回しは、
他の先生とは違い、すっと私に入ってきた。
分かりやすかったと言ってもいい。
あの頃、私の学級に、男子生徒の多くが注目する
『学級のマドンナ』がいた。
彼女は、中3になってすぐ転入してきた。
口数の少ない子だった。
その子がいると思うだけで、多感な男子は登校の心が弾んだ。
ところが、半年あまりで、突如転校することになった。
マドンナとの最後の日、
先生は私たち男子の気持ちを察したのか、
帰りのホームルームでこう話した。
「逢うは別れの初めなり。あのなぁ、昔の人はそう言って、
別れの悲しさや寂しさをこらえたんだ。
君たちも、今、それが分かるだろう。」
下校の道々、先生の言葉が、私の中を何度も巡った。
せつない気持ちを、コントロールするのに十分だった。
そんな体験がいくつもあったからだろう、
先生に勧められ、教職を志した時、
あの『しゃべり』方を、私も身に付けたいと思った。
言うまでもないことだが、
教師の資質として求められるものは、
いわゆる『子どもを見る目』と『教材を見る目』である。
教員養成課程のすべては、そこに注がれていると言ってもいい。
まさに、教師の生命線である。
その2つの資質に加え、強調したいものがある。
それが、指導の手や足となる指導技術・指導手法である。
つまり、深く理解した子どもに、熟知した教材で教える。
さて、その次であるが、
どのようにして理解へと導くかだ。
そこには、学習展開の工夫と共に、
様々な指導手法・テクニックの活用が必要になる。
その重要なワザの一つが、
話術、つまり『しゃべり』方だと私は言いたい。
M先生は、その巧みな『しゃべり』方で、私たちを魅了した。
私も見習いたいと常々思った。
私が『しゃべり』方を学んだ一事例を紹介する。
30代の中頃、こんな出会いに恵まれた。
二人の息子が小学生になり、
放課後は学童保育ルームにお世話になった。
当時、私の居住する市には、公設の学童保育ルームがなかった。
市から補助金を頂きながら、保護者によって自主運営されていた。
保護者会で選出された7名の役員が、
そのルームの管理運営を担った。
誰もなり手がなく、私が保護者会長になった。
月一回の定例役員会は、様々な案件の審議で深夜まで及んだ。
7名の職業は様々だった。
当然、発想や視点には違いがあった。
しかし、ルーム運営の重責にあることで、心は一つだった。
そのメンバーの一人に、K氏がいた。
鉄道マンで、架線管理が専門のフットワークのいい行動派だった。
彼は会議の中で、誰もが一目置く程の調整力を発揮した。
会長の私は大いに救われた。
いつも、私たちを笑いの渦に巻き込んだ。
和やかな雰囲気を演出してくれた。
そして、意見の違いを越える切っ掛けを作ってくれた。
とにかく、その楽しい『しゃべり』方は、巧みと言えた。
「Kさん、その『しゃべり』方は、どこで学んだの。」
ある時、頃合いをみて尋ねた。
「あのね、秋葉原駅のデパート前。
あそこで、いつも実演販売をしている人がいるの。
慌ただしく行く交う人がいるでしょう。
その人たちの足を止め、その商品のよさを売り込むんだ。
挙げ句の果てには、それを買わせてしまうんだよ。
それは、うまいもんさ。
その人を見るのが、大好きなんだ。
『しゃべり』方が最高。」
興味がわいた。さっそく足を運んでみた。
忙しそうに行き交う人々が立ち止まり、
人だかりができていた。
丁度、台所洗剤の実演販売をしていた。
次々とくり出される言葉の機関銃。
立ち止まる人々を飽きさせない、
言い回しと実演が見事に調和した振る舞い方。
そして、人を引きつける明るいトーン。
私は聞き惚れた。
「ねえねえ。この界隈のオフィスビルには、
たくさんのかわいいOLさんが働いているでしょう。
毎朝、大事な部長さんにお茶を入れていることだろうね。
その中には、部長さんの湯飲みの茶渋を取ろうと、
発癌性物質が入っていることも知らずに、
まめに漂白剤につけている方がいる。
やがて、部長さんは胃の調子がおかしくなり、胃癌と分かる。
そして、遂に退職。それがまさしく『イガン退職』。
そうならないために、この洗剤。」
人だかりが、一気にドッと笑い出す。
「すごい。」と、胸躍った。
以来、しばしばそれが聞きたくて、
秋葉原駅で途中下車した。
そのたびに、実演販売に魅了させられた。
教委の研修会も校内研修会も、教師の資質向上に一役かっている。
しかし、それが全てではない。
私の場合、秋葉原の実演販売が、
私の『しゃべり』方を高めてくれる一助になった。
私が顧問をしている『児童文化研究会』には、
よく寄席に行く教師がいる。
観劇に、しばしば足を運ぶ者もいる。
中には、無声映画の弁士から教えを受けている者もいる。
迫り方は、多種多様でいい。
現職の先生方には、子どもの心をガッチリととらえる、
巧みな『しゃべり』方を、身に付けて欲しいと願っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c6/195042a75d6fd3b07c9ef665e9d1fe62.jpg)
もう秋桜が咲き出した トホホ…
このブログで、すでに3回登場してきている。
2年生の荒れた学級を、見事に立て直してくれた。
そして、それまで自分に自信が持てなかった私を、
何度も励まし、背中を押してくれた。
伊達に移住してすぐ、隣町に住む先生を訪ねた。
数年前に腰を傷め、歩行は杖を頼りにしていた。
いつ頃覚えたのだろうか、
「大好きなゴルフができなくなった。」
と呟いたのが、印象に残っている。
さて、中学生だった私から見て、
M先生の最大の武器は、先生ならではの話し方だった。
一つ一つの言葉、その言い回しは、
他の先生とは違い、すっと私に入ってきた。
分かりやすかったと言ってもいい。
あの頃、私の学級に、男子生徒の多くが注目する
『学級のマドンナ』がいた。
彼女は、中3になってすぐ転入してきた。
口数の少ない子だった。
その子がいると思うだけで、多感な男子は登校の心が弾んだ。
ところが、半年あまりで、突如転校することになった。
マドンナとの最後の日、
先生は私たち男子の気持ちを察したのか、
帰りのホームルームでこう話した。
「逢うは別れの初めなり。あのなぁ、昔の人はそう言って、
別れの悲しさや寂しさをこらえたんだ。
君たちも、今、それが分かるだろう。」
下校の道々、先生の言葉が、私の中を何度も巡った。
せつない気持ちを、コントロールするのに十分だった。
そんな体験がいくつもあったからだろう、
先生に勧められ、教職を志した時、
あの『しゃべり』方を、私も身に付けたいと思った。
言うまでもないことだが、
教師の資質として求められるものは、
いわゆる『子どもを見る目』と『教材を見る目』である。
教員養成課程のすべては、そこに注がれていると言ってもいい。
まさに、教師の生命線である。
その2つの資質に加え、強調したいものがある。
それが、指導の手や足となる指導技術・指導手法である。
つまり、深く理解した子どもに、熟知した教材で教える。
さて、その次であるが、
どのようにして理解へと導くかだ。
そこには、学習展開の工夫と共に、
様々な指導手法・テクニックの活用が必要になる。
その重要なワザの一つが、
話術、つまり『しゃべり』方だと私は言いたい。
M先生は、その巧みな『しゃべり』方で、私たちを魅了した。
私も見習いたいと常々思った。
私が『しゃべり』方を学んだ一事例を紹介する。
30代の中頃、こんな出会いに恵まれた。
二人の息子が小学生になり、
放課後は学童保育ルームにお世話になった。
当時、私の居住する市には、公設の学童保育ルームがなかった。
市から補助金を頂きながら、保護者によって自主運営されていた。
保護者会で選出された7名の役員が、
そのルームの管理運営を担った。
誰もなり手がなく、私が保護者会長になった。
月一回の定例役員会は、様々な案件の審議で深夜まで及んだ。
7名の職業は様々だった。
当然、発想や視点には違いがあった。
しかし、ルーム運営の重責にあることで、心は一つだった。
そのメンバーの一人に、K氏がいた。
鉄道マンで、架線管理が専門のフットワークのいい行動派だった。
彼は会議の中で、誰もが一目置く程の調整力を発揮した。
会長の私は大いに救われた。
いつも、私たちを笑いの渦に巻き込んだ。
和やかな雰囲気を演出してくれた。
そして、意見の違いを越える切っ掛けを作ってくれた。
とにかく、その楽しい『しゃべり』方は、巧みと言えた。
「Kさん、その『しゃべり』方は、どこで学んだの。」
ある時、頃合いをみて尋ねた。
「あのね、秋葉原駅のデパート前。
あそこで、いつも実演販売をしている人がいるの。
慌ただしく行く交う人がいるでしょう。
その人たちの足を止め、その商品のよさを売り込むんだ。
挙げ句の果てには、それを買わせてしまうんだよ。
それは、うまいもんさ。
その人を見るのが、大好きなんだ。
『しゃべり』方が最高。」
興味がわいた。さっそく足を運んでみた。
忙しそうに行き交う人々が立ち止まり、
人だかりができていた。
丁度、台所洗剤の実演販売をしていた。
次々とくり出される言葉の機関銃。
立ち止まる人々を飽きさせない、
言い回しと実演が見事に調和した振る舞い方。
そして、人を引きつける明るいトーン。
私は聞き惚れた。
「ねえねえ。この界隈のオフィスビルには、
たくさんのかわいいOLさんが働いているでしょう。
毎朝、大事な部長さんにお茶を入れていることだろうね。
その中には、部長さんの湯飲みの茶渋を取ろうと、
発癌性物質が入っていることも知らずに、
まめに漂白剤につけている方がいる。
やがて、部長さんは胃の調子がおかしくなり、胃癌と分かる。
そして、遂に退職。それがまさしく『イガン退職』。
そうならないために、この洗剤。」
人だかりが、一気にドッと笑い出す。
「すごい。」と、胸躍った。
以来、しばしばそれが聞きたくて、
秋葉原駅で途中下車した。
そのたびに、実演販売に魅了させられた。
教委の研修会も校内研修会も、教師の資質向上に一役かっている。
しかし、それが全てではない。
私の場合、秋葉原の実演販売が、
私の『しゃべり』方を高めてくれる一助になった。
私が顧問をしている『児童文化研究会』には、
よく寄席に行く教師がいる。
観劇に、しばしば足を運ぶ者もいる。
中には、無声映画の弁士から教えを受けている者もいる。
迫り方は、多種多様でいい。
現職の先生方には、子どもの心をガッチリととらえる、
巧みな『しゃべり』方を、身に付けて欲しいと願っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c6/195042a75d6fd3b07c9ef665e9d1fe62.jpg)
もう秋桜が咲き出した トホホ…