高校の修学旅行で、観光バスの中から銀座を見た。
男は背広にネクタイ、女はハイヒールを履いていた。
「ここは、皆さんおしゃれをして歩くんですよ。」
バスガイドの言葉を聞きながら、
ゆったりと歩を進める人々に、物珍しい視線を投げていた。
東京に勤務してから、時々だがその銀座に足が向いた。
まさに「お上りさん」だ。
大きな街である。私が知る銀座は、わずか。
その思い出の一部を記す。
1、『千疋屋』
教員になって初めての夏、帰省した時だ。
東京暮らしに話がおよんだ。
その時、父から『千疋屋』の名前を聞いた。
若い頃、東京で働いていたとき、
「一度でいいから『千疋屋』に行ってみたかった。」
懐かしそうに、辛く貧しかった当時を振り返り、
そんなことを言った。
以来、銀座通りのその店先を通る度に、父を思い出した。
東京に勤務して4年目の夏、長男が産まれた。
父は、大喜びした。
1か月を待って、東京の夏は暑いからと、
北海道に母をおいて、1人で孫の顔を見にきた。
当時の同僚達が、そんな父を囲んでと、
上野公園近くに、酒席を設けてくれた。
都心に足を伸ばしたついで、
若干早めに自宅を出て、銀座に父を案内した。
目当ては、『千疋屋』。
父と私、男2人で、
『千疋屋』2階のフルーツパーラーで向かい合った。
酒好きの父が、私の勧めに応じて、
メロンジュースをストローで飲んだ。
私も同じ物を注文した。
「これは美味いもんだ。」
私も同感だった。
それ以上に、父の満足そうな顔が嬉しかった。
2人で向き合ったあの席は、今も私の記憶にある。
2、『夢屋銀兵衛』
都心区の小学校に勤務していた時だ。
出張帰りに、よく立ち寄った美味しいコーヒー店があった。
通りから直接階段を下りた地下1階だった。
その日も、その喫茶店が目当てだった。
行ってみると、店の構えが変わっていた。
喫茶店ではなく、レストラン風だった。
通りに面した階段口に、店の案内があった。
無国籍料理『夢屋銀兵衛』となっていた。
「無国籍」にも目がいったが、
店名『夢屋銀兵衛』に興味が湧いた。
一緒だった同僚らを誘い、
若干早い食事をと、入店した。
驚いたことが2つあった。
まずは、メニューが1つだけで、前菜に始まり五品程のコースで、
しめがデザートだった。
もう1つは、飲み物のコースターだ。
丸い厚紙製のそれには、
『夢』の文字が大きく書かれていた。
和洋おりまぜたそのコース料理は、
若干高級感があり、それなりの値段だった。
それよりも何よりも、
私は店名とコースターの『夢』が気に入った。
以来、その店が同じ銀座内に移転しても利用した。
友人が、校長職に就いた時も、
大先輩が退職後、再び公職についた時も、
その店の、ワンメニューを楽しみ、
『夢』のコースターにのったグラスで乾杯した。
最近では、もう4年も前になるが、
結婚した息子を囲んだ家族だけの祝宴にここを選んだ。
3 『博品館』
小学校と同じ敷地内にある幼稚園の兼任園長を務めた。
毎月、『お誕生日会』があった。
前回紹介したが、その会で誕生月の園児と『ダッチャン』が握手をした。
それに加え、最初の4月、園児達に手品をして見せた。
これが、予想以上に好評だった。
次の月も是非やってほしいとなった。
手品のネタは、いくつか持っていた。
しかし、半年もしないうちに切れてしまった。
同じ物を2度やるわけにはいかない。
「園児達の期待に、何とか応えなければ・・」
困った。
休日に、銀座8丁目のおもちゃ店『博品館』へ、
出掛けてみた。
その店の4階には、手品用品が売っていた。
それだけではなかった。
プロのマジシャンが、その商品をつかって実演し、
さらには使い方まで伝授してくれるのだ。
私が、幼稚園児に見せたいと伝えると、
簡単で、驚きのあるものをいくつか取り出し、
手品の手ほどきをしてくれた。
簡単にできそうな物や若干練習が必要な物があった。
3つ程、買い求めた。
ひと月に1つずつ披露すれば、3か月分になった。
それを使って演じ終えると、再び『博品館』へ足が向いた。
次第に、マジシャンと顔馴染みになった。
「トランプを使ったカード手品だって、
十分、幼稚園児に通用します。」
そんな誘いに乗って、トランプマジックにもチャレンジした。
若干手こずったが、結果は大成功だった。
それをマジシャンに報告すると、
「では次はこれを」と、次々と新種の手品を勧めてくれた。
今、我が家の物置には、
大きなケース箱に沢山の手品グッズがある。
月1回、5年間にわたる私の財産である。
その多くは、『博品館』で手に入れた。
4 『キリンシティ』
もう30年も前になるだろうか。
首都圏の主要駅の周辺や駅ナカに、『キリンシティ』があった。
主にキリンビールを提供するビヤホールと言っていいだろう。
私は、その店の『キリンブラウマイスター』という銘柄の生ビールが大好きだ。
その生ビールに限らないが、
この店では、注文した1杯の生ビールが出てくるまでに、
他店より随分と時間がかかった。
それは、ワイングラスのように足の長いグラスに、
2度ならず3度に分けてビールを注ぐからなのだ。
だから、運ばれたビールの泡がフワリと柔らかい。
口当たりがたまらなくいい。
その味に惹かれ、帰りの電車をよく途中下車した。
ところが、各駅から年々『キリンシティー』が姿を消した。
退職の頃、私が知っていたのは、銀座店だけになっていた。
今も、東京に行く機会があると必ず足が向く。
以前のように何杯もおかわりなどできない。
その分、料理のメニューに目が行く。
さすが銀座だといつも思う。
洒落たビールのお供がいっぱい。
その上、旬の食材を工夫した新しいものも、食欲を誘う。
さて、今度行けるのはいつになるのだろう。
『キリンブラウマイスター』と、それにあう料理がいい!
トウモロコシ畑 花盛り
男は背広にネクタイ、女はハイヒールを履いていた。
「ここは、皆さんおしゃれをして歩くんですよ。」
バスガイドの言葉を聞きながら、
ゆったりと歩を進める人々に、物珍しい視線を投げていた。
東京に勤務してから、時々だがその銀座に足が向いた。
まさに「お上りさん」だ。
大きな街である。私が知る銀座は、わずか。
その思い出の一部を記す。
1、『千疋屋』
教員になって初めての夏、帰省した時だ。
東京暮らしに話がおよんだ。
その時、父から『千疋屋』の名前を聞いた。
若い頃、東京で働いていたとき、
「一度でいいから『千疋屋』に行ってみたかった。」
懐かしそうに、辛く貧しかった当時を振り返り、
そんなことを言った。
以来、銀座通りのその店先を通る度に、父を思い出した。
東京に勤務して4年目の夏、長男が産まれた。
父は、大喜びした。
1か月を待って、東京の夏は暑いからと、
北海道に母をおいて、1人で孫の顔を見にきた。
当時の同僚達が、そんな父を囲んでと、
上野公園近くに、酒席を設けてくれた。
都心に足を伸ばしたついで、
若干早めに自宅を出て、銀座に父を案内した。
目当ては、『千疋屋』。
父と私、男2人で、
『千疋屋』2階のフルーツパーラーで向かい合った。
酒好きの父が、私の勧めに応じて、
メロンジュースをストローで飲んだ。
私も同じ物を注文した。
「これは美味いもんだ。」
私も同感だった。
それ以上に、父の満足そうな顔が嬉しかった。
2人で向き合ったあの席は、今も私の記憶にある。
2、『夢屋銀兵衛』
都心区の小学校に勤務していた時だ。
出張帰りに、よく立ち寄った美味しいコーヒー店があった。
通りから直接階段を下りた地下1階だった。
その日も、その喫茶店が目当てだった。
行ってみると、店の構えが変わっていた。
喫茶店ではなく、レストラン風だった。
通りに面した階段口に、店の案内があった。
無国籍料理『夢屋銀兵衛』となっていた。
「無国籍」にも目がいったが、
店名『夢屋銀兵衛』に興味が湧いた。
一緒だった同僚らを誘い、
若干早い食事をと、入店した。
驚いたことが2つあった。
まずは、メニューが1つだけで、前菜に始まり五品程のコースで、
しめがデザートだった。
もう1つは、飲み物のコースターだ。
丸い厚紙製のそれには、
『夢』の文字が大きく書かれていた。
和洋おりまぜたそのコース料理は、
若干高級感があり、それなりの値段だった。
それよりも何よりも、
私は店名とコースターの『夢』が気に入った。
以来、その店が同じ銀座内に移転しても利用した。
友人が、校長職に就いた時も、
大先輩が退職後、再び公職についた時も、
その店の、ワンメニューを楽しみ、
『夢』のコースターにのったグラスで乾杯した。
最近では、もう4年も前になるが、
結婚した息子を囲んだ家族だけの祝宴にここを選んだ。
3 『博品館』
小学校と同じ敷地内にある幼稚園の兼任園長を務めた。
毎月、『お誕生日会』があった。
前回紹介したが、その会で誕生月の園児と『ダッチャン』が握手をした。
それに加え、最初の4月、園児達に手品をして見せた。
これが、予想以上に好評だった。
次の月も是非やってほしいとなった。
手品のネタは、いくつか持っていた。
しかし、半年もしないうちに切れてしまった。
同じ物を2度やるわけにはいかない。
「園児達の期待に、何とか応えなければ・・」
困った。
休日に、銀座8丁目のおもちゃ店『博品館』へ、
出掛けてみた。
その店の4階には、手品用品が売っていた。
それだけではなかった。
プロのマジシャンが、その商品をつかって実演し、
さらには使い方まで伝授してくれるのだ。
私が、幼稚園児に見せたいと伝えると、
簡単で、驚きのあるものをいくつか取り出し、
手品の手ほどきをしてくれた。
簡単にできそうな物や若干練習が必要な物があった。
3つ程、買い求めた。
ひと月に1つずつ披露すれば、3か月分になった。
それを使って演じ終えると、再び『博品館』へ足が向いた。
次第に、マジシャンと顔馴染みになった。
「トランプを使ったカード手品だって、
十分、幼稚園児に通用します。」
そんな誘いに乗って、トランプマジックにもチャレンジした。
若干手こずったが、結果は大成功だった。
それをマジシャンに報告すると、
「では次はこれを」と、次々と新種の手品を勧めてくれた。
今、我が家の物置には、
大きなケース箱に沢山の手品グッズがある。
月1回、5年間にわたる私の財産である。
その多くは、『博品館』で手に入れた。
4 『キリンシティ』
もう30年も前になるだろうか。
首都圏の主要駅の周辺や駅ナカに、『キリンシティ』があった。
主にキリンビールを提供するビヤホールと言っていいだろう。
私は、その店の『キリンブラウマイスター』という銘柄の生ビールが大好きだ。
その生ビールに限らないが、
この店では、注文した1杯の生ビールが出てくるまでに、
他店より随分と時間がかかった。
それは、ワイングラスのように足の長いグラスに、
2度ならず3度に分けてビールを注ぐからなのだ。
だから、運ばれたビールの泡がフワリと柔らかい。
口当たりがたまらなくいい。
その味に惹かれ、帰りの電車をよく途中下車した。
ところが、各駅から年々『キリンシティー』が姿を消した。
退職の頃、私が知っていたのは、銀座店だけになっていた。
今も、東京に行く機会があると必ず足が向く。
以前のように何杯もおかわりなどできない。
その分、料理のメニューに目が行く。
さすが銀座だといつも思う。
洒落たビールのお供がいっぱい。
その上、旬の食材を工夫した新しいものも、食欲を誘う。
さて、今度行けるのはいつになるのだろう。
『キリンブラウマイスター』と、それにあう料理がいい!
トウモロコシ畑 花盛り